人物プロフィール
赤木細マッチョさんは、青木マッチョさんと「かけおち」で活動してきたお笑い芸人です。
「赤木細マッチョ」という一度聞いたら忘れにくい名前になったのは2025年で、それ以前は赤木ぼうずとして活動していました。
さらに芸人になる前をたどると、テレビで見せる姿とは違う学生時代があり、高校から大学までやり投げに取り組んでいます。
大学卒業時の就職活動で受けた会社にすべて落ちたことが、芸人という進路を選ぶ直接のきっかけになりました。
そこから東京NSC27期へ入り、まだよく知らない鈴木ロン毛さんへ自分から声をかけ、さらに青木マッチョさんが加わって「かけおち」が生まれます。
埼玉でやり投げに打ち込んでいた前島達也さんが、なぜお笑いの世界へ進み、どんな3人で芸人人生を始め、やがて自らその道を終える決断をしたのか、時間を戻さず順番にたどっていきます。
赤木細マッチョの生い立ちと家族|埼玉・鷲宮で育った少年時代
赤木細マッチョさんの芸人になる前をたどると、まず出てくるのが埼玉県鷲宮町と陸上競技です。
父親や母親、兄弟姉妹などの家族構成について本人が詳しく公表している情報は少ない一方、出身地や学校時代については公式プロフィールや陸上競技の記録が残っています。
本名は前島達也|埼玉県鷲宮町で育つ
吉本興業の公式プロフィールでは、1999年10月2日生まれ、出身地は埼玉県鷲宮町と紹介されています。
本人は芸歴1年目だった2023年のインタビューで、本名の姓が「前島」であることを自ら明かしており、学生時代の陸上競技記録には「前島達也」の名前が残っています。
現在の公式プロフィールにも特技として「槍をものすごい速度で投げられる」と記載されており、芸人になる前の競技経験がプロフィールの中に残っています。
鷲宮西中から羽生第一高校へ
埼玉県立羽生第一高校陸上競技部の大会記録には、前島達也さんの出身中学として鷲宮西中が繰り返し記録されています。
高校は埼玉県立羽生第一高校へ進み、ここで赤木細マッチョさんの学生時代を語るうえで欠かせない、やり投げに取り組み始めました。
子どものころの家庭でどんなテレビ番組を見ていたのか、家族の誰がお笑い好きだったのかといった話は本人から詳しく語られていませんが、少なくとも高校時代の生活では、お笑いよりも陸上競技の足跡が具体的に残っています。
高校でやり投げを始め、関東大会へ進んだ学生時代
赤木細マッチョさんは後年、高校からやり投げを始めたことを話しています。
羽生第一高校の公式記録を見ると、競技を始めたばかりの1年生から県大会で上位に入り、その後も記録を伸ばしていたことが分かります。
「高校から、ケガで引退する大学1年生までは、やり投げをやっていました」
FANY Magazine
羽生第一高校1年からやり投げ|県新人4位
2015年9月の埼玉県高校新人大会では、羽生第一高校1年の前島達也さんが男子やり投げで53m21を記録し、4位に入っています。
学校の記録には、この53m21が当時の自己新記録だったことも記されています。
高校から始めた種目で、1年目から県新人大会の入賞圏まで進んでいたことになります。
高校2年で県3位、関東高校選抜7位へ
2年生になると記録はさらに伸び、2016年の埼玉県高校新人大会では55m02で3位に入りました。
この結果によって関東高校選抜新人大会への出場が決まり、同年10月の大会では56m15で7位に入っています。
県大会3位から関東高校選抜7位まで進んだ高校2年は、やり投げ選手として結果が残った時期でした。
学校公式サイトには大会結果だけでなく、関東高校選抜へ出場した陸上部員として紹介された記録も残っています。
高校3年で59m80|大学でも競技を続ける
3年生だった2017年5月の県大会では57m18で5位となり、関東高校陸上競技大会への出場権を獲得しました。
関東大会では53m50で15位でしたが、高校最後の夏にはさらに記録を伸ばしています。
7月の国体東部地区予選会では59m80を投げて2位となり、高校の公式記録で確認できる中では60mに迫る数字を残しました。
高校卒業と同時に競技を終えたわけではなく、その後も大学へ進んでやり投げを続けています。
大学でもやり投げを続けるが、1年でけがにより引退
高校3年間を通して記録を残したあと、赤木細マッチョさんは大学でも競技を続けました。
ただし、大学での競技生活は高校時代ほど長くは続きませんでした。
関東学連に残る「聖学院大・前島達也」の記録
関東学生陸上競技連盟の2018年新人大会公式記録には、男子やり投げに「前島達也(1)・聖学院大・埼玉」という選手が出場し、55m40を記録したことが掲載されています。
氏名、埼玉県、高校卒業翌年に大学1年生であること、本人が大学1年までやり投げを続けたと話していることが一致しており、聖学院大学で競技を続けていた時期の記録とみられます。
大学名そのものを本人がインタビューで語った資料は見当たりませんが、競技記録では学校名まで確認できます。
大学1年でけがをして競技生活を終える
本人によれば、大学1年生のときにけがをして、やり投げを引退しました。
けがをした部位や診断名、治療期間などは詳しく公表していません。
高校では関東大会まで進み、大学でも大会に出場していた競技生活は、ここで一区切りとなります。
競技を離れてから大学卒業までの細かな生活について本人が詳しく話した資料は少なく、その後に具体的な転機として語っているのが卒業時の就職活動でした。
就活全滅から芸人へ|東京NSC27期に入ったきっかけ
赤木細マッチョさんの場合、芸人になるきっかけは「昔から芸人になることだけを考えていた」というものではありません。
大学を卒業する時点では就職活動をしており、まず一般企業へ入る進路を選ぼうとしていました。
大学卒業時に受けた会社がすべて不採用
2023年のFANY Magazineで本人が明かしたのは、大学卒業時の就職活動で受けた会社にすべて落ちたという経験でした。
「大学卒業時に就活ですべて落ちて」
FANY Magazine
不採用が続いたあと、本人は自分が社会に必要とされていないように感じたと話しています。
そこで考えたのが、自分のような人間でも生き残っていける場所はどこなのかということでした。
就職ではなく、お笑い芸人という進路を選ぶ
就職活動で結果が出なかったあとに選んだのが、お笑い芸人になる道でした。
特定の芸人に憧れたことや、一つのテレビ番組を見たことを直接の理由には挙げておらず、就職活動を経験したうえで自分の居場所を考えた末に出てきた選択だったことを本人自身が説明しています。
芸人になる決断に対して両親がどう反応したのか、NSCの学費をどのように準備したのかといった家族とのやり取りは詳しく公表されていません。
大学卒業後、東京NSC27期へ
赤木細マッチョさんが入ったのは、吉本興業の養成所である東京NSC27期です。
吉本興業のプロフィールでも東京NSC27期と記載されており、2022年にはNSCを卒業しています。
大学卒業後にNSCへ入り、それまで続けてきた学生生活からお笑いの世界へ移りました。
そしてNSCでは、入学後にゆっくり相方を探したのではなく、入学式の日からすでに自分で動いています。
NSCで鈴木ロン毛を誘い、青木マッチョと3人になる
かけおち結成までの流れは、3人が同じ教室で仲良くなって自然に組んだというものではありません。
入口になったのは、NSC入学前に用意されていた同期のLINEグループでした。
LINEの自己紹介動画を見て鈴木ロン毛を相方候補に
NSCでは入学前に同期が参加するLINEグループがあり、希望者はそこへ自己紹介動画を投稿できたといいます。
鈴木ロン毛さんは動画の中で、自分はツッコミをやりたいと話していました。
その動画を見た赤木さんは鈴木さんを相方候補として意識し、入学式当日に近くにいた本人へ声をかけました。
「この人にしよう!」
FANY Magazine
NSCの入学式の日に赤木さんから鈴木ロン毛さんへ声をかけたことが、かけおち結成の最初の一歩でした。
2Lペットボトルを持ったまま入学式で声をかける
鈴木さんが初対面の赤木さんについて覚えていたのは、入学式の最中に聞こえていたペットボトルの音でした。
式が終わると、音の主だった赤木さんが2Lのペットボトルを手にして話しかけてきたといいます。
赤木さん自身は、落ち着きがなく無意識に何かを触ってしまうことがあり、そのときもペットボトルをつぶしていたと説明しています。
鈴木さんは南海キャンディーズのしずちゃんのような、一風変わった相方と組みたいと考えていたため、赤木さんからの誘いを受けました。
青木マッチョが合流|赤木と青木は申請後に初対面
ところが、鈴木ロン毛さんの自己紹介動画を見ていたのは赤木さんだけではありませんでした。
青木マッチョさんも鈴木さんと組みたいと考え、NSCへ入ったあとに声をかけます。
その時点ではすでに赤木さんと鈴木さんが組む話が進んでいたため、鈴木さんから青木さんへ「トリオでもいいか」と提案する形になりました。
さらに変わっているのは、この時点で赤木さんと青木さんにはほとんど接点がなかったことです。
鈴木さんがトリオ結成の申請を出したあとに、赤木さんと青木さんは初めて顔を合わせました。
青木さん自身も赤木さんについて何も知らない状態だったと話しており、後にテレビでそれぞれのキャラクターが知られる3人は、最初から親しい仲間だったわけではありませんでした。
「赤木ぼうず」の芸名を付けたのは鈴木ロン毛
トリオ初期には、鈴木ロン毛さんがネタだけでなくメンバーの芸名を考える役割も担っていました。
赤木さんは本名を芸名として使いたくなかったため、鈴木さんが青木マッチョの「青木」に対応させて「赤木」と命名しました。
そこから「赤木ぼうず」として芸人人生を始め、後年の「赤木細マッチョ」まで「赤木」の部分は残ることになります。
トリオ「かけおち」結成|NSC在学中からテレビへの入口をつかむ
赤木ぼうずさん、鈴木ロン毛さん、青木マッチョさんの3人は、かけおちとして活動を始めます。
まだプロとして本格的に活動する前から、若手芸人が集まるオーディションへ名前を連ねていました。
NSC在学中に『おもしろ荘』最終オーディションへ
2021年12月、『ぐるぐるナインティナイン』の年末年始企画『おもしろ荘』の最終オーディション参加36組の中に、かけおちの名前がありました。
この時点ではまだNSC在学中で、本放送への出演には届かなかったものの、養成所時代から外部のオーディションへ出ていたことが分かります。
2022年4月にプロ活動開始|鈴木ロン毛がネタ作りを担当
3人は2022年にNSCを卒業し、吉本興業の公式プロフィールでは2022年4月1日がかけおちの結成年月とされています。
芸人としてのスタートは、赤木さんのピン活動でも青木さんとのコンビでもなく、鈴木ロン毛さんを含む3人組でした。
当時は鈴木さんがほとんどのネタを書き、赤木さんと青木さんから意見が出れば修正していく形で作っていたといいます。
鈴木さんがツッコミを担当し、坊主頭の赤木さんと大柄な青木さんの見た目や個性を使ったボケがトリオの特徴になっていきました。
NSC講師の「対比」という助言からネタが生まれる
『さんまのまんま新春SP』で披露したネタの一つも、最初から3人だけで完成させたものではありません。
NSCの講師から「対比」を使うことを勧められ、坊主の赤木さんがマッチョらしい服装をし、青木さんが坊主らしい服装をするなど、普段のキャラクターと逆のことをするネタへつながりました。
3人の見た目の違いそのものを、舞台上の仕掛けとして使っていた時期です。
芸歴1年目の『さんまのまんま』で村上賞
2023年1月2日放送の『さんまのまんま新春SP』では、今田耕司さんのおすすめ芸人として登場しました。
そこでゲストだった当時ヤクルトの村上宗隆選手が選ぶ「村上賞」に選ばれ、芸歴1年目で全国ネットの番組に3人で出演する機会をつかみます。
ただ、この出演だけで仕事が一気に安定したわけではなく、当時の赤木さんは「ひとつでも多くメディアへ出演したい」という段階でした。
同じインタビューでは、自身のInstagramフォロワーが18人で、『いろはに千鳥』への出演前は6人だったという話も出ており、テレビ出演が始まりながらもまだ若手の入口にいた様子が伝わります。
若手時代のかけおち|3人全員が敬語だったトリオ生活
テレビでは「坊主・ロン毛・マッチョ」と分かりやすい3人組に見えましたが、私生活まで最初から距離の近いトリオだったわけではありません。
年齢も異なり、2023年の時点では3人の関係はまだ出来上がっている途中でした。
年齢の違う3人は全員敬語|YouTubeで会話を増やす
2023年のインタビュー当時、鈴木ロン毛さんは「まだ全員が敬語」という状態を明かしています。
鈴木さんが最年少で、赤木さん、青木さんと年齢がそれぞれ違うこともあり、3人の間には距離が残っていました。
そこで自分たちのYouTubeチャンネルでラジオ形式の動画を撮り始め、3人で話す時間を意識的に増やしています。
ネタ合わせだけで組んでいた3人が、芸人として活動しながら互いを知っていく時期でもありました。
2023年、神保町よしもと漫才劇場の劇場メンバーへ
2023年8月には、かけおちが神保町よしもと漫才劇場の劇場メンバーに入ったことを青木マッチョさんが公式Xで報告しました。
NSC卒業後はテレビだけでなく、東京吉本の若手が立つ劇場でも3人で経験を重ねていきます。
M-1・キングオブコントにも挑戦
かけおちは劇場に立ちながら、M-1グランプリやキングオブコントなどの賞レースにもエントリーしています。
キングオブコントでは2024年も1回戦を通過して2回戦へ進んでおり、トリオでコントを続けていました。
一方で、かけおちの場合は賞レース優勝がそのままブレイクになったわけではなく、劇場出演やテレビ出演を重ねる中で、まず青木マッチョさん個人のテレビ露出が大きく増えていきます。
鈴木ロン毛の脱退でコンビへ|「赤木細マッチョ」に改名
3人で始まったかけおちに大きな変化が起きたのは、2024年秋でした。
トリオ結成の中心にいて、ネタ作りや芸名決めまで担当していた鈴木ロン毛さんが抜けることになります。
2024年10月31日に鈴木ロン毛がかけおちを脱退
鈴木ロン毛さんは2024年10月31日をもって「かけおち」から脱退しました。
鈴木さんは芸人自体を辞めたわけではなく、その後も芸人活動を継続しています。
脱退発表時の公開コメントでは、赤木さんや青木さんへの感謝は述べられましたが、具体的な脱退理由までは説明されていません。
そのため、かけおちが3人から2人になった理由について、不仲や仕事量の差などを事実として結び付ける根拠はありません。
青木マッチョと赤木ぼうずの2人で「かけおち」を継続
鈴木さんの脱退後も「かけおち」という名前は残り、青木マッチョさんと赤木ぼうずさんのコンビとして活動を続けました。
NSC入学時には互いのことを知らず、鈴木さんを介して初めて会った2人が、ここで初めて正式にコンビとして残ることになります。
トリオ時代には鈴木さんが大半のネタを書いていたため、2人体制への移行は、単に人数が1人減っただけではなく舞台上の形そのものが変わる出来事でした。
筋トレを始め「赤木ぼうず」から「赤木細マッチョ」へ
コンビになった翌年の2025年2月24日、赤木ぼうずさんはイベント「つながる!!Tokyoボランティアフェスタ2025」で改名を発表しました。
新しい芸名は、現在の赤木細マッチョです。
本人によれば、最初は人から注目されたいという気持ちで筋トレを始めたところ体つきが変わり、相方が青木マッチョだったため、自分もマッチョを芸名に入れることにしました。
赤木ぼうずから「赤木細マッチョ」へ変わり、青木マッチョと並んだときの名前まで対になるコンビになりました。
「ほっちょさんと呼んで頂けるとありがたいです!」
ORICON NEWS
芸人人生の途中で始めた筋トレが、最終的には芸名そのものを変えるところまで進みました。
青木マッチョのブレイク後に増えた赤木細マッチョの露出
2024年になると、青木マッチョさんは『ラヴィット!』などへの出演をきっかけにテレビで知られる機会が急増しました。
その結果、赤木さんも「青木マッチョの相方」として紹介される場面が増えますが、芸歴の始まりはそれより前のトリオ時代にあります。
コンビとなってから赤木細マッチョ自身にも焦点が当たる
コンビ化と改名を経て、赤木細マッチョさん自身の人物像を扱う企画も少しずつ増えていきました。
青木さんの筋肉キャラクターに合わせただけの存在ではなく、やり投げ経験、服への関心、自分で動画を制作することなど、赤木さん個人の経歴や趣味もプロフィールとして出るようになります。
2026年『粗品のロケ』で赤木細マッチョを単独で掘り下げる企画
2026年1月には、YouTubeチャンネル「粗品のロケ」で「喋った事ない後輩を掘り下げよう【赤木細マッチョ】」が公開されました。
コンビ名や青木マッチョさんだけを入口にするのではなく、赤木細マッチョさん本人をタイトルに掲げて人物を掘り下げる動画です。
芸歴1年目にはInstagramのフォロワー3桁を目標にしていた赤木さんが、数年後には単独で一本の企画を組まれるところまで来ていました。
かけおち解散へ|赤木細マッチョが芸人引退を決めるまで
改名してコンビ活動を続けていた一方で、赤木細マッチョさんは芸人を続けるかどうかを以前から考えていました。
2026年8月26日にかけおちの解散が発表され、赤木さん自身も9月末で吉本興業を退所して芸人を辞める決断を明かしました。
約1年前にも青木マッチョへ「辞めたい」と相談
青木マッチョさんによれば、突然初めて聞かされた話ではなく、約1年前にも赤木さんから芸人を辞めたいという相談を受けていました。
そのときは青木さんが引き止め、赤木さんはその後もコンビ活動を続けています。
2024年秋に鈴木ロン毛さんが抜けてからも2人で「かけおち」を続け、赤木さんは2025年に改名し、2026年まで舞台やメディアで活動していました。
福岡の劇場で改めて辞意を伝える
最終的な意思が伝えられたのは、解散発表のおよそ1カ月前でした。
青木さんは2026年8月29日のイベントで、福岡の劇場でステージの出番と出番の間に赤木さんから解散の意向を伝えられたと説明しています。
一度は続けることを選んだあと、約1年を経て赤木さん自身が改めて芸人を辞める決断をしました。
2026年8月30日「かけおちトークTHE FINAL」で活動終了
かけおちのコンビとして最後の活動になったのは、2026年8月30日にクリスタルジムで開催された「かけおちトークTHE FINAL」でした。
最後のライブには、かつて3人でかけおちを組んでいた鈴木ロン毛さんも出演しました。
トリオとして始まった3人が最後のライブで再びそろい、この公演をもって「かけおち」は解散しました。
クリスタルジム公式も、この公演を赤木細マッチョさんにとって「芸人最後のライブ」として伝えています。
9月末で吉本興業を退所し、芸人引退へ
赤木細マッチョさんは解散発表の中で、2026年9月末で吉本興業を退所し、芸人を辞めると発表しました。
「マッチョには感謝しかありません。」
FANY Magazine
本人は、養成所時代から一緒だった青木さんのおかげで、自分の実力以上の仕事や経験をさせてもらったという趣旨の言葉も残しています。
芸人として活動した5年間については、短く感じるほど密度があり、楽しかった時間だったと振り返りました。
芸人の次は消防士を目指すと青木マッチョが明かす
解散発表後には、赤木さんが芸人を辞めたあとの進路についても一つの情報が出ています。
2026年8月29日、元消防士でもある青木マッチョさんが消防団のイベントに出席した際、赤木さんから聞いている次の進路を明かしました。
「彼は芸人を辞めて消防士になると言っています」
テレビ朝日
現時点で消防士として採用されたという発表ではなく、青木さんが赤木さんは消防士を目指していると明かした段階です。
就職活動から芸人へ進んだ20代前半と同じように、芸人生活を終える時点でも、赤木さんは次の仕事へ向けて動こうとしています。
高校ではやり投げに取り組み、大学卒業時の就職活動を経て、お笑いの世界へ入った赤木細マッチョさん。
NSCの入学式で鈴木ロン毛さんへ声をかけたことから始まった芸人人生は、青木マッチョさんを加えたトリオ、2人でのコンビ活動を経て、2026年8月30日に「かけおち」としての活動を終えました。
2026年9月末には吉本興業を離れ、芸人とは別の道へ進む予定です。












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