人物プロフィール
TBS系『ラヴィット!』で見せる巨大な腕と、静かな受け答えとのギャップで知られる青木マッチョさん。
筋肉だけでなく、ピアノやドラム、カリンバまで演奏する姿を見て、子どものころから人前に出るのが好きだった人物を想像する人もいるかもしれません。
ところが昔は、教室でできるだけ目立たないように過ごしていた少年で、現在の体格とは違って細身だった時期もありました。
高校を卒業すると大学へは進まず消防士として約6年間勤務し、24歳で退職しています。
しかも、消防士を辞めた時点では、まだ芸人になると決めていませんでした。
名古屋で育った少年が、中学で筋トレを始め、高校でラグビーに打ち込み、消防士を経て東京へ移り、どのタイミングでお笑いの世界へ入ったのかを順番にたどります。
青木マッチョの生い立ちと家族|4人兄弟の三男として名古屋で育つ
青木マッチョさんは愛知県名古屋市で生まれ、男ばかりの4人兄弟の三男として育ちました。
兄弟のなかでは特に大人しい子どもだったといい、幼いころの生活には、現在の「筋肉芸人」という姿とはかなり違う一面がありました。
幼いころからピアノ・英会話・絵画教室へ
両親は女の子も欲しかったそうで、青木さんは幼稚園のころからピアノ、英会話、絵画教室へ通わせてもらっていました。
男4人兄弟のなかでも大人しい青木さんに、文化系の習い事がいくつも用意されていたことになります。
なかでもピアノは長く続き、後にドラムやカリンバなどへ広がっていく楽器経験の最初の一つになりました。
当時は外で活発に遊び回るタイプというより、室内で過ごすことが多く、学校でも前へ出る子どもではありませんでした。
小3でランドセルを忘れ、「目立ちたくない」と思うように
小学校では、教室の中でひっそり過ごすことが多く、本人は当時の自分を「空気」のような存在だったと表現しています。
その感覚を強くしたのが小学3年生のときにランドセルを家へ忘れた出来事でした。
手ぶらのまま学校へ行き、クラスメイトからいじられたことが恥ずかしかったといいます。
「そこから『目立ちたくない』と思うようになりました。」
スタジオパーソル
少なくとも小学生の青木さんにとって、人前に立って注目を集める仕事はまだ遠い存在でした。
筋トレ好きの父と、4人兄弟で育った家庭
家では両親と兄弟に囲まれ、青木さんは4人兄弟の3番目として育っています。
父親はもともと筋力トレーニングが好きで、体も鍛えていたため、後に青木さんが筋トレを始めたときには好意的に受け止めていました。
一方、母親は息子の体がどんどん大きくなっていくことにはそれほど積極的ではなく、青木さんの筋肉への熱中を止めようとすることもあったそうです。
兄たちは青木さんより社交的で目立つ存在だった時期があり、特に一つ上の兄の存在は、中学生になった青木さんの生活にも思わぬ形で影響します。
小中学校時代|運動が苦手だった少年が陸上と筋トレを始める
現在はスポーツ企画でも身体能力を見せる青木マッチョさんですが、小学校時代から運動万能だったわけではありません。
本人が体を動かすことへ本格的に向かう入口になったのは、小学校の体育で偶然褒められた経験でした。
体育のハードルで褒められ、中学では陸上部へ
小学4年生のころ、体育の授業で行ったハードル走を先生から褒められたことがありました。
それがうれしく、中学校では陸上部へ入ります。
ところが進学先はたまたま陸上の強い学校で、部員は約100人もおり、入部した時点の50メートル走は下から2番目ほどだったといいます。
そこで終わらず、自主練習に加えて図書館で速く走るための仕組みを調べ、自分の走りを動画で撮ってフォームまで確認するようになりました。
約100人の陸上部で最下位級から部内上位まで追い上げる
練習を重ねた結果、青木さんはハードル走で部員約100人のうち2番目ほどの記録まで伸ばしています。
入部時には下から2番目ほどだった走力が、中学の数年間で上位へ変わりました。
ただ走るだけでなく、図書館で調べ、動画でフォームを見直し、自分なりの方法を試すという練習を続けていました。
学校の勉強でも成績は良く、中学ではクラスで上位に入る一方、本人の意識は人前で目立つことより、自分で黙々と取り組むことへ向いていました。
中1で筋トレとドラムを始め、1人で動画も投稿
中学1年生になるころには身長が急激に伸びましたが、体重は約56キロとかなり細身でした。
一つ上の兄が学校で目立つ存在だったこともあり、青木さん自身も先輩の不良から絡まれることが増えます。
そこで誰かに相談するのではなく、放課後に着替えて市民体育館のジムへ週3日ほど通い始めました。
筋トレを始めた理由は、将来「筋肉芸人」になるためではなく、不良に絡まれにくい体になりたかったからでした。
同じ中学1年生のころにはドラムも始め、自分一人で演奏している様子を撮影し、YouTubeへ投稿していました。
対面では人の視線を避けていた一方、自分で撮った演奏動画はネットへ出していたという、現在にもつながる少し不思議な行動がすでに始まっていました。
昭和高校時代|軽音部志望からラグビー部、大学ではなく消防士へ
中学校を卒業した青木さんは、名古屋市にある愛知県立昭和高等学校へ進学しました。
高校では運動部を続けるつもりではなく、もともと考えていたのは軽音楽部でした。
入学式でラグビーボールを受け取り、そのままラグビー部へ
入学式の日、校門へ向かう道には新入生を勧誘する上級生たちが並んでいました。
青木さんは軽音楽部のチラシを受け取り、それ以外の勧誘を避けながら歩いていたところ、最後に待ち構えていたラグビー部から楕円形のボールを投げられます。
反射的に一発でキャッチすると、周囲のラグビー部員が大歓声を上げて褒め始めました。
それまで球技も団体スポーツもほとんど経験していなかった青木さんでしたが、そのまま体験入部へ進み、最終的に入部届を提出しました。
「その瞬間は人生のターニングポイントだったと思います。」
BEAMS SPORTS
1年生から試合に出る一方、最後の大会はけがで欠場
陸上で鍛えた足の速さと体格があったため、未経験ながら1年生のころから試合へ出る機会がありました。
ただ、実際のラグビーでは走力だけでは足りず、パスやキャッチ、瞬時の判断にはかなり苦戦しています。
ある試合では高く蹴られたボールを何度も落とし、相手チームから狙われ続けたこともありました。
顧問からキャッチ練習を増やすよう言われた当時、青木さんは高価な電子ドラムを購入した代金を返すため早朝の新聞配達もしていました。
午前3時30分ごろに起きて新聞を配り、そのまま学校へ向かって一人でキャッチ練習を行い、通常の朝練、授業、部活動までこなす生活になりました。
3年間ラグビーを続けましたが、高校3年最後の大会では膝の靱帯を負傷し、選手として試合へ出ることができず、最後はマネージャーとしてチームに加わりました。
大学へ進まず、兄の話をきっかけに消防士を選ぶ
ラグビー中心の高校生活になるにつれて、中学校時代には良かった学校の成績も下がっていきました。
大学生活そのものにも強い関心を持てず、高校卒業後は進学ではなく就職する方向へ進路を切り替えます。
青木マッチョさんは大学には進学していません。
高校2年生のころ、兄から「消防士はどうか」と勧められ、兄の同級生に高校卒業後そのまま消防士になった人がいたことも知りました。
中学から筋トレを続け、高校ではラグビーをしていた青木さんにとって、体を使えることに加えて、親にも安心してもらえる仕事だったのが消防士でした。
採用試験へ向けて長時間勉強する時期をつくり、公務員試験を経て、高校卒業後に地元愛知で消防士として働き始めました。
消防士時代|6年間働き、24歳で退職するまで
消防の仕事に就いた青木さんは、ここから約6年間、芸能界とは離れた生活を送ります。
筋トレはこの時期も途切れず、勤務とトレーニングを並行していました。
筋肉を生かせて親も安心できる仕事として消防士に
消防学校を経て現場へ配属されると、青木さんは救助隊や救急の仕事を経験しました。
消防士の勤務は朝から翌朝まで続く24時間勤務になることがあり、仕事を終えたあとにもジムへ向かっていました。
消防学校で出会った筋肉質な教官の影響からゴールドジムへ通い始め、本格的なトレーニング環境にも入っています。
救助技術を競う訓練では、うまくなるためにYouTubeを見たり、全国大会で結果を出した消防士へSNSで直接連絡して方法を聞いたりすることもありました。
中学の陸上で本や動画を使って走り方を調べていたころと同じように、消防士になってからも自分で情報を集めながら試していました。
大きな体と控えめな性格のギャップに悩んだ消防の現場
仕事を続ける一方で、職場では青木さんの大きな体と静かな性格の組み合わせが悩みになることもありました。
救急車の中では体が大きすぎて動きにくく、本人によると後半は運転を担当することが多くなったといいます。
上司や先輩からは、体が大きいのに元気がない、声が小さいと注意されることもありました。
現在テレビで見せる「大きな体なのに静か」という特徴は、消防士時代には仕事上の悩みになる場面もありました。
それでもすぐ退職したわけではなく、約6年間勤務を続けています。
「芸人になるため」ではなく、まず東京へ行くために退職
24歳になったころ、2人の兄はすでに結婚して家庭を持ち、家や車を持つ生活を築いていました。
兄たちが安定した生活を送る姿を見た青木さんは、自分は親の目を気にしすぎず、好きなことをしてみようと考えます。
ここで重要なのは、消防士を辞める決断と、芸人になる決断が同じタイミングではなかったことです。
「実は芸人になるためではなくて、『東京に行きたかった』だけなんです。」
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消防士を約6年間務めて退職した時点で、お笑い芸人という次の職業はまだ決まっていませんでした。
退職後の1年|実家とフリーター生活からお笑いの道へ
消防士を辞めた青木さんが東京へ移ろうとしていたのは2020年春でした。
ところが、ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大と重なり、予定していた生活は最初から崩れます。
2020年春、コロナ禍で上京できず実家へ戻る
東京ではすでに部屋を借りていたものの、緊急事態宣言によってジムなどが休業し、青木さんは愛知の実家でしばらく生活することにしました。
仕事はしておらず、朝9時から10時ごろに起きて食事をし、楽器を触り、時間をかけて筋トレをする日々が続きました。
トレーニングは短時間ではなく1日3時間ほど行うこともあり、消防士時代より体はさらに大きくなっていきます。
一方で、無職の息子が毎日のように筋トレをしながら体だけ大きくなっていく様子を見て、母親から怒られたことも本人が後に書いています。
筋トレ中心の生活を続け、東京でフリーターに
東京都内でもジムが再開し始めた2020年6月、青木さんは足立区北千住へ移りました。
近くのゴールドジムへ入会し、アルバイトをしながらトレーニングする生活を始めます。
東京に知り合いはほとんどおらず、予定していたNSCへの入学も翌年へ延期したため、空いている時間のかなりの部分を筋肉へ使えました。
食事まで細かく管理し、アルバイト先にも米や鶏胸肉を持参し、食べ終えるまで眠れず深夜まで炊飯器と向き合った日もあったといいます。
東京へ来た最初の1年は、芸能活動よりもアルバイトと筋トレが生活の中心でした。
芸人の動画を見るうちにお笑いを仕事にしたくなりNSCへ
フリーターとして過ごすなかで、もともと好きだったお笑い芸人の動画をYouTubeで見る時間も増えていきました。
消防署を離れて気持ちが自由になっていたこともあり、芸人たちを見ながら「この世界に入ったら楽しく生きていけそうだ」と考えるようになります。
こうして退職から時間を置いて、ようやくお笑いが具体的な進路になりました。
2021年、青木さんはNSC東京27期へ入学します。
一部の後年プロフィールには2020年入学とする記載もありますが、NSC公式では東京27期の入学式が2021年に行われており、在学中の活動記録も2021年度に残っています。
NSC東京27期|鈴木ロン毛・赤木ぼうずと「かけおち」を組む
NSCへ入った青木さんは、ここで後の芸人人生をともにする鈴木ロン毛さんと赤木ぼうずさんに出会います。
3人の出会い方は、入学後に偶然仲良くなったという単純なものではありませんでした。
自己紹介動画を見て、青木から鈴木ロン毛へ声をかける
NSC東京27期では、入学前から同期が参加するLINEグループがあり、希望者が自己紹介動画を投稿できました。
そこで鈴木ロン毛さんは、自分はツッコミをやりたいとアピールしていました。
青木さんもその動画を見ており、NSCへ入ってから自分のほうから鈴木さんへ声をかけます。
ところが鈴木さんは、入学式の日に声をかけてきた赤木ぼうずさんと、すでに組む話を進めていました。
赤木と初対面する前にトリオ結成が決まっていた
青木さんが鈴木さんを誘うと、返ってきたのは「すでに相手がいるから無理」という答えではなく、3人で組むという提案でした。
青木さんは当時、赤木さんをまったく知らない状態でしたが、その提案を受け入れます。
さらに鈴木さんは組申請を先に出してしまい、青木さんと赤木さんが初めて会ったのは、トリオを組むことが決まったあとでした。
「とんでもないマッチョを連れてこられて。」
FANY Magazine
赤木さんから見れば、組むことになった相手として突然現れたのが、すでに大きな体をしていた青木さんだったわけです。
こうしてNSC在学中の2021年、3人組「かけおち」が動き始めました。
RUSH上位常連となり、ローテンションなキャラが形になる
最初の舞台では、鈴木さんと赤木さんの2人が先にネタを始め、観客にコンビと思わせた途中から青木さんが現れる構成を試しました。
青木さんはオムツ姿で登場し、ほとんどしゃべらず筋肉を見せる役でしたが、その見た目だけで大きな笑いが起きたといいます。
NSC現役生のネタライブ「RUSH」でも成績を残し、2021年には2位に入った回があり、別の回では1位になりました。
NSC公式のライブレポートでは、当時のかけおちはテンポの速いコント漫才を見せ、青木さんはローテンションで独特なキャラクターとして紹介されています。
消防士時代から弾いていたカリンバも、NSC東西の若手が特技動画を投稿する企画で使い、筋肉を見せながら演奏する動画で結果を残しました。
2022年にプロデビュー、鈴木がネタを書くトリオとして始動
2022年にNSC東京27期を卒業すると、かけおちはプロとして活動を始めました。
吉本興業の公式プロフィール上では2022年4月1日が結成年月になっているため、NSC在学中の2021年に3人で組み、2022年からプロのトリオとして本格始動した形になります。
ネタは主に鈴木ロン毛さんが作り、青木さんと赤木さんから意見が出れば修正する方法を取っていました。
「青木マッチョ」「赤木ぼうず」という対になる芸名も鈴木さんの発案で、青木は本名の名字を残したものです。
若手・下積み時代|劇場とアルバイト、筋肉の仕事を行き来
NSCでは舞台で結果が出ていたものの、卒業したからすぐ芸人の収入だけで暮らせるようになったわけではありません。
アルバイトを続けながら、オーディション、ライブ、先輩との付き合いへ時間を使う生活が始まりました。
芸人収入約1万円でも、オーディションにはすべて応募
青木さんが後に自分で書いたコラムによると、若手時代には芸人としての給料が月1万円程度だった時期がありました。
それでも募集されるオーディションには広く応募し、先輩から飲み会に誘われれば顔を出していたため、アルバイトへ使える時間は減っていきます。
収入が少なくなると、それまで大量に取っていた食事を維持できなくなりました。
東京へ来た最初の1年には、米や鶏肉を大量に食べて体を大きくしていたのに、芸人活動が始まると食費が足りず、徐々に体重まで落ちていったそうです。
若手時代の青木さんにとっては、生活費だけでなく「筋肉を維持するだけの食事代」も大きな問題でした。
クリスタルジムで「筋肉」が芸人の仕事になっていく
その一方で、中学1年生から続けてきた筋トレは、少しずつ芸人としての仕事にも変わっていきました。
マヂカルラブリー・野田クリスタルさんが発案したクリスタルジムに参加し、芸人でありながらパーソナルトレーナーとして利用者を指導するようになります。
2022年には神保町よしもと漫才劇場の筋肉芸人イベントにも出演し、舞台のネタとは別の場所でも青木さんの体格が仕事になっていました。
NSCの最初の舞台で「筋肉を見せるだけでも笑いが起きる」と知った経験と、長年続けてきたトレーニングが、ここでは実際の活動領域になっていきます。
『さんまのまんま』での注目から神保町の劇場メンバーへ
2023年1月、かけおちは『さんまのまんま新春SP』の若手芸人を紹介する企画へ出演しました。
披露したのは、青木さんと赤木さんがそれぞれ普段とは逆のキャラクターに寄せるネタで、NSC講師から「対比を使ってみては」と助言されたことから作ったものでした。
番組ではプロ野球選手の村上宗隆さんが選ぶ「村上賞」に選ばれ、芸歴1年目のトリオとしてテレビで名前が出る機会を得ます。
同年8月には「Jimbochoサバイバルバトル」を通過し、神保町よしもと漫才劇場の所属メンバーになりました。
テレビだけに移ったわけではなく、トリオとして劇場でネタを続けながら、青木さん個人ではクリスタルジムなどの活動も並行していました。
『ラヴィット!』初登場|失敗したあみだくじから仕事が増え始める
青木マッチョさんの名前が広く知られる大きなきっかけは、賞レースの優勝ではありませんでした。
転機になったのは2024年4月11日の『ラヴィット!』初出演です。
2024年4月11日、ダンビラムーチョ大原の紹介で初出演
番組へつながった入口は、ダンビラムーチョの大原優一さんからの紹介でした。
青木さんが披露することになった特技の一つが、素早くあみだくじの結果を見抜く「あみだくじ」でした。
ところが本番では、その得意分野として持ち込んだあみだくじを立て続けに外します。
通常なら特技披露としては苦しい展開でしたが、番組はそこで終わりませんでした。
特技は失敗、それでも別のリアクションで強烈な印象を残す
あみだくじの失敗から罰ゲームへ進み、青木さんは電気椅子を受けることになります。
ところが電流を受けてもリアクションが極端に小さく、その「何をされても静かなマッチョ」という姿が別の笑いになりました。
得意技を成功させて注目されたのではなく、失敗した先で本人のキャラクターが見つかった初出演でした。
筋肉・楽器・多彩な特技を武器に出演が増えていく
青木さん本人は後年、最初の『ラヴィット!』出演で自信を失ったとも明かしています。
番組の出演者たちを前にして、トークの面白さだけで勝負するのは難しいと感じ、そこから筋肉、楽器、運動能力など、自分が長く続けてきたものを前面に出す方向へ意識を切り替えました。
ブレイクの入口となった番組で、本人は逆に「しゃべりだけでは難しい」と感じていたのです。
するとピアノ、ドラム、カリンバなどの楽器、筋力、スポーツ企画での身体能力と、これまで別々に積み重ねてきたものが番組内で次々と使われるようになりました。
『ラヴィット!』出演を境に青木マッチョさん個人のテレビ出演が増え、仕事の流れが大きく変わります。
2024年末のORICON NEWS「2024年ブレイク芸人ランキング」では3位に入り、『ラヴィット!』への出演をきっかけに認知度が上がった人物として紹介されました。
かけおちの変化と現在|トリオからコンビ、そして解散へ
青木さん個人の仕事が急速に増えるなか、かけおちの形も変わっていきました。
NSCから続いた3人体制は2024年秋に終わり、その約2年後にはコンビそのものにも区切りがつきます。
2024年10月、鈴木ロン毛が脱退し赤木とのコンビに
2024年10月31日をもって鈴木ロン毛さんがかけおちを脱退し、青木マッチョさんと赤木ぼうずさんの2人体制になりました。
NSC入学前の自己紹介動画をきっかけに青木さんが声をかけた鈴木さんが抜け、かけおちはトリオからコンビへ変わります。
赤木ぼうずさんは2025年2月に赤木細マッチョへ改名し、以降は青木マッチョさんとの「マッチョ」同士のコンビとして活動しました。
一方、青木さんは『ラヴィット!』を中心に単独出演が増え、コンビ活動と個人活動を並行する状態になります。
2025年、元消防士の経験や一人で続けてきた趣味が個人仕事に
個人仕事が増えた後には、昔の経歴そのものが仕事になる場面も出てきました。
2025年3月には、かつて消防士として働いていた地域で一日消防署長を務めています。
消防署を辞めて東京へ向かった5年前には想像しにくかった形で、消防士時代の経験と現在の芸能活動が同じ場所に並びました。
2025年11月には個人YouTubeチャンネル「孤独のマッチョ」もスタートしました。
一人でキャンプをしたり街を歩いたりする企画が中心で、消防士時代から続けていたソロキャンプなど、自分一人で楽しんできた趣味がそのまま企画に使われています。
2026年、個人YouTubeから初冠番組へ
「孤独のマッチョ」で見せていた一人の時間を楽しむスタイルは、2026年にはテレビ番組へ広がりました。
BSよしもとで初冠番組『青木マッチョのソロ活日記』が放送され、青木さんが一人で行動すること自体が番組の軸になっています。
大人数の教室で目立たないようにしていた少年の「一人で過ごす時間」が、現在では個人コンテンツにも使われています。
個人YouTubeでは、上京後に長く暮らした北千住を歩き、自分の東京生活の原点をたどる企画も公開されました。
2026年8月30日、かけおち解散。今後の活動形態は未定
2026年8月26日、青木マッチョさんと赤木細マッチョさんはかけおちの解散を発表しました。
赤木さんは約1年前にも芸人を辞めたいと青木さんへ相談していましたが、そのときは青木さんが引き止め、活動を続けていました。
最終的に赤木さんは2026年9月末で芸人を辞めることを決め、かけおちは8月30日をもって解散することになりました。
「マッチョには感謝しかありません。」
FANY Magazine
8月30日にはクリスタルジムで「かけおちトークTHE FINAL」がコンビとしての最終稼働として案内され、元メンバーの鈴木ロン毛さんも出演者に名を連ねました。
2026年8月30日、NSC時代から続いた「かけおち」は約6年弱の活動に区切りをつけました。
青木さん自身は解散発表の時点で、今後について「どのような形になるのかはまだ決まっていない」としており、解散後の活動形態をピン芸人などと確定できる段階ではありません。
教室で目立たないようにしていた少年は、中学で陸上と筋トレ、高校でラグビーに向き合い、高校卒業後は消防士として働きました。
24歳で職場を離れたとき、行き先はまだお笑いではなく、東京で過ごしたフリーターの期間を経てNSCへ入り、かけおちを組みました。
『ラヴィット!』を境に個人の仕事も大きく広がり、2026年8月30日にかけおちは解散しましたが、青木マッチョさんの次の活動形態については本人からの発表を待つ段階です。












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