人物プロフィール
四千頭身の中央に立ち、力の抜けた口調でツッコミを入れる後藤拓実さん。
若くしてテレビへ出るようになったため、子どものころから芸人を目指して一直線に進んできたようにも見えますが、実際の道のりはかなり違います。
小学生のころには友人と漫才をしていた一方、将来の仕事として芸人に強く憧れていたわけではなく、高校3年の冬になっても卒業後の進路は決まっていませんでした。
人生が動いた直接のきっかけは、友人が後藤さんの代わりにお笑いの養成所へ応募したことでした。
そこから養成所で都築拓紀さん、石橋遼大さんと出会い、何度かメンバーを組み替えながら四千頭身が生まれていきます。
後藤拓実の生い立ちと家族|大船渡に生まれ朝霞で育った少年時代
後藤さんの幼少期をたどると、現在のプロフィールで使われる「岩手県出身」と、実際に長く暮らした埼玉県朝霞市という二つの土地が出てきます。
まずは、生まれた場所と家庭で過ごしたころから見ていきます。
岩手県大船渡市に生まれ、子どものころは林業をする将来も考えていた
後藤拓実さんは1997年2月6日生まれで、所属するワタナベエンターテインメントの公式プロフィールでは岩手県出身とされています。
さらに岩手県は、後藤さんについて「大船渡市生まれ」と明記しています。
その後は家族と埼玉県朝霞市で暮らし、学校生活の多くを朝霞で送ることになりますが、岩手とのつながりがなくなったわけではありません。
後年のインタビューでは、岩手が好きだったため、子どものころには地元で林業の仕事をする将来まで考えていたと明かしています。
このころの将来像に「お笑い芸人」は入っていませんでした。
テレビの世界へ出ることを最初から目標にしていた少年ではなく、岩手で働く人生も現実的に思い描いていたことになります。
父・母・10歳下の妹と暮らした後藤家
朝霞で暮らしていた後藤さんの身近には、父親、母親、そして10歳年下の妹がいました。
妹とは年齢が大きく離れており、後藤さんは後年のテレビ朝日のインタビューで、妹について「可愛くてしかたない」と話しています。
一方で、妹が兄を芸能人として特別扱いしているわけではないようで、友達用のサインを頼むときには「宛名はいらない」と言われ、後藤さんが転売を疑うという兄妹らしいやり取りもありました。
テレビで知られるようになってからは家族そのものが番組へ登場する機会も増えますが、それはずっと後のことです。
少年時代の後藤さんは、朝霞の学校へ通いながら友人たちと過ごしていました。
小学生時代に出会った「人生初の相方」が笑いの始まり
芸人を職業として考えるよりずっと前、後藤さんにはすでに一緒にお笑いをする友人がいました。
テレビ朝日『あいつ今何してる?』で後藤さん自身が再会を希望した、小学校時代の同級生です。
親友・橘田一優と2人で漫才をしていた小学生時代
後藤さんが「人生初の相方」として挙げたのは、小学生時代の親友橘田一優さんでした。
橘田さんは後藤さんにとって友人のなかでも特に面白い存在で、2人は子どもながらに漫才をし、コンビ名まで考えていたといいます。
「はじめてお笑いというものを意識した」
テレ朝POST
後年になって四千頭身を組むより前に、後藤さんにはすでに「相方」と呼べる友人がいたことになります。
成人式では後藤さんを見かけながら、橘田さんはあえて声をかけなかったそうで、番組でその理由や現在の思いを知った後藤さんは「泣きそうになった」と口にしました。
芸人志望ではなかった少年が、お笑いを初めて意識した友人
ここで興味深いのは、小学生時代に漫才までしていたのに、後藤さんがそのまま芸人志望になったわけではないことです。
QJWebのインタビューでは、昔から芸人への憧れがあったのかと聞かれ、はっきり否定しています。
橘田さんとの漫才は、将来の職業を決める活動というより、友人と本気で笑いを作って遊んだ時間だったのでしょう。
後藤さんは後年、子どものころに『ムシキング』ではなく『オシャレ魔女 ラブandベリー』で遊んでいたことも本人のXで明かしています。
漫才もゲームも含め、周囲がどう見るかより、自分が面白いと思ったものへ自然に手を伸ばす子ども時代だったことが伝わるエピソードです。
中学から高校へ|芸人とは別の将来を考えていた学生時代
小学校を卒業しても、後藤さんの進路がそのままお笑いへ向かったわけではありません。
中学では野球に取り組み、高校へ進んだあとも、卒業後の仕事を決める時期まで芸人は現実的な進路になっていませんでした。
野球を続けながら過ごした中学時代
後藤さんは朝霞市内の中学校へ進み、中学時代は野球部で過ごしていました。
現在の所属事務所プロフィールにもスポーツとして野球が記載されており、学生時代から続く身近な競技だったことが分かります。
後年のインタビューでは、中学の野球部時代について、中心選手として張り詰めていたというより、レギュラー争いから少し離れた立場で楽しんでいたことを笑い話として語っています。
小学生時代に漫才をした経験はあっても、この時期に養成所へ通ったり、芸人になるための活動を始めたりしていたわけではありません。
高校3年の冬になっても進路が決まっていなかった
中学卒業後は埼玉県立新座高校へ進学しました。
学生時代にはマクドナルドでアルバイトを経験しており、日本マクドナルド側の資料でも、後藤さんが「初めてのバイト」としてマクドナルドを経験した人物として紹介されています。
高校生活が終わりに近づいても、大学へ進んで特定の仕事を目指すといった進路は固まっていませんでした。
2023年に『ボクらの時代』で振り返ったところでは、高校3年の冬になっても進路が決まっておらず、マクドナルドでフリーターを続けることまで口にしていたそうです。
芸人を目指す直前まで、後藤さんは「芸人になる準備」をしていた人ではありませんでした。
後藤拓実が芸人になったきっかけ|友人が勝手に養成所へ応募
高校卒業後の道が決まらない後藤さんに対し、友人が「何かやりたいことはないのか」と尋ねます。
そこで出てきた答えは、お笑い芸人になりたいという話ではありませんでした。
SCANDALのTOMOMIに会いたいという一言から進路が動く
当時の後藤さんが好きだったのが、ガールズバンドSCANDALです。
友人からやりたいことを聞かれた際、後藤さんはSCANDALのベース・ボーカルを務めるTOMOMIさんの名前を出しました。
「SCANDALのTOMOMIちゃんに一目会える人生だったらうれしかったな」
スポニチアネックス
その言葉を聞いた友人は、「本気を出せば会えるのではないか」と考えました。
さらに好きな芸人を聞かれた後藤さんがあばれる君と答えると、友人はあばれる君が所属するワタナベエンターテインメントにつながるお笑い養成所を見つけます。
そして友人が、後藤さん本人に代わって養成所のオーディションへ応募しました。
あばれる君の所属先をきっかけにWCSのオーディションへ
突然オーディションへ行くことになった後藤さんは、何もせず会場へ向かったわけではありません。
審査に備えてエピソードトークを用意し、実際に選考へ参加しました。
そこで合格し、授業料の一部にあたる7万円を免除される扱いも受けたことで、本人は自分に才能があるのではないかと喜んだそうです。
こうして高校卒業後、ワタナベコメディスクール(WCS)22期へ進みます。
芸人を目指して何年も養成所を調べた末に選んだ学校ではなく、友人との会話から一気に応募まで進んだ入口でした。
その後、後藤さんは実際にSCANDALと仕事で接点を持ち、本人のXで「芸人になるキッカケ」への感謝を投稿しています。
高校3年の冬に友人へ話した願いは、芸人になったあと現実になりました。
合格しても芸人になるのが怖く、何度も辞めようとした
養成所へ入った後藤さんは、すぐに「これが自分の天職だ」と腹を決めたわけでもありません。
入学直後、全員の前で行った自己PRのピンネタでは笑いを取り、ネタ作りを始めて間もない段階から手応えを得ていました。
ところが、うまくいったからこそ別の不安が出てきます。
「芸人になるのが怖かった」
QJWeb
売れないまま芸人を続けて普通の仕事へ戻れなくなることを考え、養成所を何度も辞めようとしたといいます。
それでも周囲から止められ、授業とネタ作りを続けました。
「芸人になりたくて仕方がない」という気持ちではなく、「このまま芸人になってしまうのではないか」という戸惑いを抱えたまま次へ進んでいきました。
WCSで都築拓紀・石橋遼大と出会い、四千頭身ができるまで
後藤さんの芸人人生を決定づける2人との出会いも、WCS22期で起きました。
ただし、後藤・都築・石橋の3人が出会ってすぐ四千頭身を結成したわけではありません。
自己PRでウケた後藤と、強烈にスベっていた都築の初対面
入学して間もない自己PRで、後藤さんは自分のネタがウケたことを覚えています。
同じ場には後の相方となる都築拓紀さんもいましたが、後藤さんの記憶では、都築さんはかなりスベっていました。
一方の石橋遼大さんについては、この時点ではほとんど記憶がなかったといいます。
ところが、その都築さんから声をかけられ、後藤さんともう1人の同期を加えた3人で最初のトリオを組むことになります。
後藤さんは、都築さんがいじられたときに見せる表情に面白さを感じ、一緒にやる価値がありそうだと考えました。
現在の都築さんのキャラクターを知ってから作られた関係ではなく、養成所の最初期から、その姿をネタの中でどう生かすかを後藤さんは見ていました。
最初のトリオ解散から石橋との短期コンビへ
最初に組んだトリオは、そのまま続きませんでした。
一度解散したあと、後藤さんは今度は石橋さんと2人でコンビを組んでみます。
当時の後藤さんは自分がボケを担当し、石橋さんならツッコミができるだろうと考えていました。
しかし実際にやってみるとうまく噛み合わず、このコンビも短期間で解散します。
石橋さんは芸人そのものを辞めるようなことを口にするようになり、後藤さんは自分がコンビへ誘ったこともあって申し訳なさを感じていました。
「僕らとやってみる?」で現在の3人がそろった
そのころ、後藤さんは都築さんたちともう一度組もうと考えていました。
ちょうど都築さん側でも一緒に活動していたメンバーが抜け、人数が足りなくなったタイミングでした。
そこで後藤さんが石橋さんへ声をかけます。
一度は別々の組み合わせを試した3人がここで集まり、後藤拓実・都築拓紀・石橋遼大による現在の四千頭身につながりました。
M-1グランプリ公式では、四千頭身の結成日は2016年4月1日と記録されています。
養成所へ入った年、最初のトリオを組んだ時期、石橋さんとのコンビ、そして四千頭身の正式な結成は、それぞれ別の出来事です。
神龍の画像への大喜利回答から「四千頭身」が誕生
3人がそろったあとに残ったのがトリオ名でした。
「四千頭身」という言葉は、3人で会議をして一から考えた名前ではありません。
後藤さんと石橋さんが普段からやっていた「写真で一言」の大喜利で、石橋さんが『ドラゴンボール』の神龍の画像を後藤さんへ送ったことから生まれました。
画像を見た後藤さんの答えが「四千頭身」で、石橋さんのツボに入ります。
当初は長く使い続ける名前にするつもりではなかったものの、活動を始めて間もなく周囲から「四千」と呼ばれるようになったため、変更しづらくなりました。
現在まで残るトリオ名は、後藤さんと石橋さんが養成所時代にしていた私的な大喜利から偶然生まれた名前です。
養成所時代に形になった3人漫才と、同期との競争
3人がそろうと、後藤さんはネタを書く役割を担うようになります。
ここでも、最初から完成された漫才理論を持っていたわけではありません。
漫才の型を知らなかったからこそ書けた初期のネタ
初期のネタで後藤さんが考えたのは、それぞれの見た目やキャラクターをどう配置するかでした。
都築さんについては「変なことを言いそうな顔」をしていると感じ、ボケとして動かすなら石橋さんより都築さんだと考えたと話しています。
こうして、都築さんが前へ出てボケ、中央の後藤さんが低いテンションで返し、石橋さんが加わる3人漫才の形ができていきました。
後藤さんによれば、最初のころは漫才の決まりや「こうあるべき」という型を知らなかったため、むしろネタをスラスラ書けたそうです。
経験を積み、『M-1グランプリ』などを意識するようになってからのほうが難しさを感じるようになりました。
四千頭身の独特な漫才は、既存の型を十分に知らない時期に3人の特徴から組み立てたものでした。
若手ライブ優勝とWEL NEXT2位で少しずつ生まれた自信
養成所後半になると、四千頭身はワタナベエンターテインメントの事務所ライブへ出るようになります。
後藤さんの回想では、最初に一番下の若手ライブで優勝し、その次の『WEL NEXT』で2位になりました。
そのとき1位だったのが、のちにキングオブコント王者となるハナコです。
養成所を卒業しても芸人として食べていけるのは一握りだと聞かされていたなか、ライブで結果が出たことで、後藤さんの中にも「プロになってもいけるかもしれない」という感覚が少しずつ生まれました。
ただし本人は、この時点でも「腹を括った」とまでは考えていなかったと振り返っています。
先に仕事を得た丸山礼への悔しさから、電車で2人とも号泣
同じWCS22期には、現在タレントとして活躍する丸山礼さんもいました。
丸山さんは養成所在学中から事務所内の大会で結果を残し、『PON!』のレギュラーも決まります。
仲のよい同期が先に仕事をつかむ姿は、後藤さんに強い悔しさを残しました。
事務所関係者との食事会で丸山さんの仕事の話が中心になった日、後藤さんは丸山さんへ負けたくない気持ちを正面からぶつけます。
「1回、後藤くんと電車の中でケンカして2人で号泣しましたから」
お笑いナタリー/丸山礼
丸山さんが泣き出すと、後藤さんまでつられて泣き、終点の中目黒へ着いたあとも謝り続けていたそうです。
普段の静かな話し方からは見えにくいですが、売れる前の後藤さんには、同い年の仲間が先へ進むことへ感情をあらわにする時期もありました。
卒業後の四千頭身|テレビ仕事がない時期から『新しい波24』へ
養成所内のライブでは結果を出し始めた四千頭身ですが、卒業した瞬間からテレビの仕事が次々に入ったわけではありません。
先にメディアへ出ていく同期を横目に、3人はライブで結果を積み重ねます。
ほかの同期がテレビへ出るなか、四千頭身に仕事がなかった時期
お笑いナタリーのWCS特集で、後藤さんは養成所卒業後を振り返り、ほかの卒業生がテレビへ出る一方で、四千頭身には目立った仕事がなかった時期があったと話しています。
養成所ライブで勝っても、それだけでテレビ出演へ直結するわけではありませんでした。
そこで3人は事務所ライブへ出続け、WEL FESの出演につながる予選でも結果を残します。
その舞台を見ていた関係者から、次のオーディションの話が届きました。
ライブで結果を残し『新しい波24』のオーディションへ
声をかけられた先が、フジテレビの若手芸人発掘番組『新しい波24』でした。
フジテレビによると、『新しい波24』は総勢700組を超えるオーディションから29組を選出した番組で、四千頭身もそのメンバーに入ります。
2016年末の特番でテレビ初出演を果たし、2017年に始まったレギュラー放送へ進みました。
養成所で何度も辞めようとしていた後藤さんが、ライブを経由してテレビの世界へ入った大きな転機が『新しい波24』でした。
賞レースでいきなり全国優勝して知られたのではなく、養成所と事務所ライブでネタを見てもらい、若手発掘番組のオーディションへつながった流れです。
短い芸歴でテレビに出て、湾岸スタジオへ通った若手時代
テレビへ出るようになったとはいえ、後藤さんたちはまだ芸歴が浅く、トーク番組で話せる芸人生活のエピソードも多くありませんでした。
後藤さんは『新しい波24』当時、フジテレビ湾岸スタジオへ通い、スタッフとエピソードトークの打ち合わせをしていたと明かしています。
一方で、若さは武器にもなりました。
周囲の先輩より圧倒的に若かったため、失敗をしても受け止めてもらえることがあり、後藤さん自身も先輩へ遠慮せず話しかけて自分の居場所を作っていきました。
「下積みが何十年も続いた」のではなく、経験の少ない状態でテレビへ出たため、テレビの現場で必要なことを後から覚えていった若手時代でした。
2019年のブレイクで仕事と家族の環境が変わっていく
『新しい波24』からテレビへ進んだ四千頭身は、2018年から2019年にかけて出演機会を増やしていきます。
特に2019年は、後藤さん自身も後年「ブレークした年」として振り返るほど生活が変化しました。
「第七世代」と呼ばれ、若い3人の仕事が急増
霜降り明星、ハナコ、宮下草薙、EXITら若い芸人がまとめて「お笑い第七世代」と呼ばれるようになると、四千頭身もその一角としてテレビで名前を知られていきました。
3人とも20代前半という若さで、脱力した3人漫才や後藤さんの静かな話し方も、それまでのテレビで目立つ若手像とは違うものとして受け取られます。
ただ、後藤さん自身は2020年のインタビューで、前年に四千頭身だけの力で売れたとは考えていないと話していました。
「第七世代」という大きなくくりの追い風を冷静に見ながら、次は四千頭身そのものとして残ることを考えていました。
『かりそめ天国』から後藤ファミリーもテレビへ
テレビ出演が増えた2019年には、後藤さん本人だけでなく家族にも変化が起きます。
『マツコ&有吉 かりそめ天国』で後藤さんがオカリナを覚えて家族へ披露する企画があり、そのときの家族の反応がきっかけとなって「後藤ファミリー」の企画が続くようになりました。
父、母、妹が出演し、キャンプや実家の片付けなど、後藤家の日常そのものが番組の企画になっていきます。
家族がライブを見に来ればファンから気づかれ、近所でも声をかけられるようになったといいます。
2020年には後藤さんが、マツコ・デラックスさん、有吉弘行さんらと自身の家族が並んだ写真を「なんちゅう写真だ。」と投稿しています。
母が出演番組をすべて録画し、2019年11月には実家を出る
仕事が増えると、母親は後藤さんの出演番組を録画して見るようになりました。
「僕が出演した番組を見終えた母から『よかったです』っていつも感想が届きます」
テレ朝POST
ダメ出しを細かく送るのではなく、毎回ほぼ「よかったです」と伝える母親でした。
一方、都内での仕事が増えた後藤さんは、朝霞の実家から通う距離を負担に感じるようになります。
2019年11月、後藤さんは長く暮らした実家を出て、一人暮らしを始めました。
本人によれば、家を出ることを以前から強く望んでいたわけではなく、仕事場までの距離が理由でした。
実際に一人になると開放感より寂しさも感じ、自分は一人暮らしにあまり向いていないかもしれないと話しています。
早く売れた後藤拓実が2023年ごろから変えた仕事への向き合い方
高校卒業後に養成所へ入り、20代前半で全国放送の番組へ次々と出演するようになった後藤さんは、長い下積みを経てから売れた芸人とは違う課題に直面しました。
売れるまでが早かったことで、一時は現在の状況がこのまま続くように感じていたといいます。
タワマンも外車も「笑いになる」と考えたものの作戦は失敗
後藤さんを巡る話題のなかでも大きく知られたのが、タワーマンション暮らしや外車です。
ところが、本人が2024年に振り返ったところでは、もともとタワマンへの強い憧れがあって入居したわけではありませんでした。
若くして売れた芸人がタワマンへ移り、外車に乗れば、その派手さ自体が笑いになると考えていたそうです。
しかし世間には意図したようには伝わらず、「調子に乗っている」と受け止められることが増えました。
本人にとってタワマンや外車は成功を見せるためだけのものではなく、芸人としての「ボケ」にするつもりで選んだものでした。
後藤さん自身は、その試みを後年「作戦失敗」と振り返っています。
四千頭身の公式YouTube「YonTube」では、2023年にタワマン退去後の引っ越しも動画になりました。
周囲の芸人を見て「売れるのは簡単ではない」と気づく
若くして大きな番組へ出て、有名な先輩芸人にも次々と会えた時期、後藤さんは一時「この先も大丈夫だろう」という感覚を持っていたそうです。
その考えを変えたのは、周囲で活動する芸人たちでした。
まだ広く売れていない段階でも面白い芸人が大勢いて、その人たちが時間をかけてテレビへ出ていく姿を見たことで、売れることの難しさを改めて感じます。
「もっとまじめに取り組まなきゃ」
Real Sound
本人によれば、こうした意識がはっきり変わったのは2023年初めごろでした。
売れるまでの苦労が長かったのではなく、早く売れたあとに仕事の難しさを知ったことが、後藤さんのキャリアでは大きな転機になっています。
再びネタへ意識を向ける現在と四千頭身
仕事への向き合い方が変わった後藤さんは、テレビへ出られることを当然と考えず、一つひとつ結果を残さなければならないと話すようになりました。
そのなかで改めて重視しているのが、四千頭身の出発点でもあるネタです。
2024年のインタビューでは、執筆など別の仕事についても語りながら、今後について「ネタかなと思います」と答えています。
養成所に入ったばかりのころ、漫才の型も知らずに書き始めたネタへ、テレビでさまざまな経験をしたあと再び意識を向けています。
なお、2026年8月18日にワタナベエンターテインメントは都築拓紀さんを当面の間謹慎とし、四千頭身の活動を当面、後藤拓実さんと石橋遼大さんの2人で行うと発表しました。
四千頭身というトリオ自体の結成経緯が変わったわけではありませんが、2026年8月時点では通常とは異なる体制で活動しています。
大船渡に生まれ、朝霞で友人と漫才をしていた少年は、高校3年の冬に友人が送った一通の応募から芸人の世界へ入りました。
養成所では辞めることを考えながら都築さんと石橋さんに出会い、組み替えを経て四千頭身を結成し、短い芸歴のままテレビの世界へ進みました。
そして早く売れた時間も経験した現在、後藤さんはもう一度、芸人人生の最初に始めた「ネタ」と向き合っています。












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