人物プロフィール
太田プロダクション所属のお笑いコンビ「センチネル」で活動する大誠さんは、2025年にM-1グランプリ準決勝へ進み、2025年・2026年にはABCお笑いグランプリの決勝にも進出しました。
舞台では大きな体格と力強いツッコミが目を引きますが、お笑いとの最初の接点をたどると、子どものころからテレビのバラエティ番組を見続けていたタイプではありません。
むしろ小学生のころはお笑いに詳しくなく、中学時代に友人の家で暮らした時期に、テレビのお笑いが一気に生活へ入ってきました。
その後は高校でラグビーに打ち込みながら文化祭で初めて漫才を経験し、大学時代の小さなお笑いライブを経て、進学していた大学を辞める決断をします。
そこからワタナベコメディスクール、イチバンニバン、ブルースタンバリンを経てトミサットさんと出会い、現在のセンチネルへとつながっていきました。
大誠の生い立ちと家族|さいたま市で育ち、中学の家出先でお笑いに出会う
大誠さんの本名は齋藤大誠さんで、1993年11月25日に生まれ、埼玉県さいたま市で育ちました。
現在の大誠さんからはお笑いが生活の中心だった少年時代を想像しやすいですが、実際には家庭で自由にバラエティ番組を見るような環境ではなかったといいます。
厳しい父と年の離れた姉がいる「大人ばかり」の家庭
大誠さんは、父親が52歳のときに生まれた子どもでした。
さらに母親が異なる年の離れた姉がおり、子どもの大誠さんからすると、家の中には自分よりずっと年上の家族がいる状態でした。
後年のインタビューでは、子どものころに家の中を「大人ばかり」と感じて居心地の悪さを覚えていた一方、現在は家族との関係もよいと話しています。
家にあったテレビも基本的には父親が見ており、ゴルフや麻雀の番組が多く、大誠さんは小学生までお笑いをほとんど見ていませんでした。
ただし父親はとんねるずやさまぁ〜ずの番組になると見ており、大誠さんは普段とは違って父親が笑う姿を目にしています。
「お笑いの人って格好良いな」
FRIDAYデジタル
中学時代に約1年友人宅で暮らし、テレビのお笑いを知る
大誠さんのお笑いとの距離が大きく変わったのは中学生のころでした。
当時、大誠さんは家を出て、テレビが大好きだった友人の家に身を寄せるようになります。
最初は家族にも居場所を伝えないまま過ごしていましたが、話が大きくなったため、その後はどこにいるかだけは知らせた状態で生活していたそうです。
その期間は短い家出ではなく、本人によると1年近く家へ帰らなかったといいます。
友人はテレビ番組に詳しく、それまで大誠さんが知らなかった番組や芸人を次々に教えてくれました。
家を離れて友人と過ごした時間の中で、それまで遠かった「お笑い」が一気に身近なものになっていきました。
「芸人になるのは目立つ人」と考え、一度は諦める
お笑いを知った大誠さんは、友人にさまぁ〜ずの番組のようなことを自分たちでもやりたいと話したことがありました。
ところが、お笑い芸人になるのはクラスの中心にいるような人気者だと友人から言われ、大誠さん自身も「自分はそちら側ではない」と考えてしまいます。
このとき聞いた「エースで4番のような人が芸人になる」というイメージは、数年後に本格的な相方を探すときまで大誠さんの頭に残ることになります。
獨協埼玉高校|ラグビー県選抜主将から文化祭で初漫才へ
中学時代にお笑いを知った大誠さんですが、高校生活の中心にあったのは漫才ではなくラグビーでした。
一方、高校生活の終盤になると、友人からのひと声によって、見る側だったお笑いから舞台に立つ側へ初めて足を踏み出します。
ラグビー部で埼玉県高校選抜キャプテンに
大誠さんが通ったのは獨協埼玉高校で、太田プロダクションの公式プロフィールにも最終学歴として掲載されています。
高校ではラグビー部に所属し、さらに埼玉県高校選抜のキャプテンまで務めました。
身長182センチという現在の大きな体格もあり、芸人として知られる前には本格的にラグビーへ取り組んでいた時期がありました。
このラグビー歴は後に養成所で本人のキャラクターとして強く使うよう求められることになり、最初のコンビ活動にも影響していきます。
高校3年の文化祭に誘われ、部活後の食堂でネタを作る
大誠さんが初めて人前で漫才をしたのは高校3年生の文化祭でした。
自分から相方を探したのではなく、友人から文化祭の余興で漫才をしようと誘われたことが始まりです。
ラグビー部の練習が終わると、その友人と学校の食堂へ集まり、二人でネタを考えていました。
相方となった友人はかなりのお笑い好きで、大誠さんが案を出すたびに、すでに似たネタをしている芸人がいると指摘するほど詳しかったそうです。
ラグビー部の練習後に食堂へ残って漫才のネタを考える時間が、大誠さんにとって初めて本格的に「自分がお笑いをする」時間になりました。
初漫才は大ウケせず、偶然のネタ被りまで起きる
文化祭は同級生など身近な人たちの前での舞台でしたが、大誠さん自身の記憶ではそれほど大きくウケたわけではありませんでした。
さらに終演後には、モデルの「エビちゃん」をもじったくだりが偶然ダイノジのネタと似ていたことを別のお笑い好きの友人から指摘されました。
ネタが似ていたことをめぐり、お笑い好きの友人同士がケンカにまで発展するという出来事も起きています。
それでも大誠さんに残ったのは失敗だけではなく、友人に誘われたことで「自分も漫才をやっていい」と感じられたことでした。
大学時代|インディーズライブを経て本気で芸人を目指す
高校卒業後、大誠さんは大学へ進学しましたが、学生お笑いのサークルに所属して芸人を目指したわけではありませんでした。
高校時代に一緒に漫才をした友人との関係が続き、少しずつ学校外のお笑いライブへ足を踏み入れていきます。
高校の同級生とインディーズライブへ出演
大学生になった大誠さんは、高校時代の友人に誘われ、芸人の卵たちが出演するエントリーライブへ3回ほど出場しました。
ただし友人は大学でボクシング部に入り、練習や減量もあるため予定を合わせにくくなっていきます。
大誠さん自身も大学のお笑いサークルから活動を始めたわけではなく、この時点ではまだプロへの道が一本に決まっていたわけではありません。
2026年の本人インタビューでは、大学は東京にあったものの埼玉の実家から車で通っており、芸人になるため東京で暮らし始めたのは23歳ごろだったとも語っています。
虹の黄昏の舞台を見た帰り、大学中退を決断
進路を変える出来事が起きたのは、3回目ほどのエントリーライブへ出演した日でした。
その日のMCを務めていたのが虹の黄昏で、小さなライブでも全力で舞台に立つ姿を大誠さんは目の前で見ます。
ライブを終えて友人と車で帰る途中、二人はお笑いについて言い争いになり、ついには車を路肩へ止めて話すことになりました。
そこで大誠さんは、それまでとは違う決断を口にします。
「俺、大学辞めて、本気でお笑いやるわ」
テレビ朝日 logirl「First Stage」
友人もその場では考える姿勢を見せたものの、翌日になると就職する道を選びました。
一方、大誠さんは前夜の言葉を引っ込めず、実際に大学を中退してお笑いへ進みます。
学校で一番明るかった友人を誘い、養成所へ
大学を辞めても、大誠さんの中には中学時代に言われた「芸人になるのはクラスの中心人物」というイメージが残っていました。
そこで目を付けたのが、学生時代に特に明るく、周囲からも人気のあった友人でした。
FRIDAYデジタルのインタビューでは、その友人が大学4年生で就職活動をしていた時期に説得して、お笑いへ誘ったことも明かしています。
友人が希望したことから二人はワタナベコメディスクールへ入り、コンビ名を「イチバンニバン」としました。
太田プロダクションのプロフィールでは、大誠さんはワタナベコメディスクール26期を2018年3月に卒業したと記載されています。
ワタナベ26期と元コンビ時代|イチバンニバンからブルースタンバリンへ
大学を辞め、養成所へ入ったことで、大誠さんはようやくプロのお笑い芸人を目指す生活へ入ります。
ただし現在のセンチネルへすぐにつながったわけではなく、ここから二つのコンビを経験しました。
イチバンニバンで活動し、ラグビーを使ったネタとのズレから解散へ
ワタナベコメディスクール卒業後、イチバンニバンはワタナベエンターテインメントに所属しました。
二人ともラグビー経験者だったことから、養成所ではその経歴をネタのキャラクターとして分かりやすく出すことを勧められました。
ところが大誠さんは、ラグビーで頭をぶつけすぎて変わった人物になったという設定や、スクラムを組みながら漫才をするといった案に納得できませんでした。
一度はユニフォーム姿でスクラムを取り入れた漫才も試しましたが、客席の反応は芳しくなく、大誠さんはその会場にユニフォームを置いて帰ったと後に明かしています。
講師からの提案を受け入れない大誠さんと相方との間にもズレが生まれ、養成所を終えてからおよそ1年でコンビは解散しました。
舞台へ出続けるため大野木ひろしとブルースタンバリンを結成
イチバンニバンが終わったあとも、大誠さんは芸人そのものを辞めるつもりではなく、ライブへ出るため新しい相方を探します。
そこで組んだのが、太田プロの養成所にいた大野木ひろしさんで、新コンビは「ブルースタンバリン」と名乗りました。
大野木さんが太田プロ側へ新しい相方について話したことで、大誠さんも太田プロの養成所の授業へ顔を出すようになります。
ヤマザキモータースの仲介で太田プロ側へつながる
当時の大誠さんはワタナベで活動してきた一方、相方は太田プロ側にいたため、所属をまたぐ形になっていました。
この状況で相談に乗ったのが、太田プロの養成所で講師を務めていたヤマザキモータースさんでした。
ヤマザキモータースさんはワタナベ側へ直接連絡して話を整理し、大誠さんはその後、太田プロで活動を続けることになります。
大学中退後に一つの養成所と一つのコンビだけで進んだのではなく、所属先と相方が変わる時期を経て現在の場所へ移っていきました。
トミサットとの出会いとセンチネル結成|即席漫才の感触が残った
ブルースタンバリンとして活動していた時期、大誠さんは後にセンチネルの相方となるトミサットさんとすでに顔を合わせていました。
最初からコンビを組む予定があったわけではなく、それぞれ別の相方と活動していた時期の出会いでした。
事務所横断ライブ「若気の至り」でトミサットと出会う
二人が知り合ったのは、放送作家の山田ボールペンさんが主催していた若手ライブ「若気の至り」でした。
大誠さんがワタナベ、トミサットさんが太田プロの養成所を出たころで、ワタナベ・太田プロ・人力舎など異なる養成所の若手が集まるライブだったといいます。
大誠さんは当時からトミサットさんのことを面白い芸人として見ていましたが、トミサットさんは前コンビ「シンテンチ」で調子を上げていたため、すぐに声をかけることはありませんでした。
1周年イベントのシャッフル漫才で初めてコンビを組む
関係が大きく変わったのが、「若気の至り」の1周年オールナイトイベントで行われたシャッフル漫才でした。
出演者がくじ引きで即席コンビを作る企画で、大誠さんとトミサットさんが偶然同じ組になります。
別のコーナーが進んでいる短い時間にネタを合わせ、そのまま舞台へ上がるという慌ただしい状況でした。
それでも二人には不思議なやりやすさがあり、トミサットさんにも十分に合わせていないのに漫才が噛み合った感覚が残りました。
大誠さんも当時は前のコンビを解散したことをまだ公表できず、芸人としての気持ちが落ちていた時期だったからこそ、トミサットさんと漫才をした楽しさを強く覚えていたそうです。
双方のコンビ解散が重なり、2020年7月にセンチネル結成
その後、大誠さんのブルースタンバリンとトミサットさんのシンテンチがそれぞれ活動を終えました。
新型コロナウイルスの影響でライブそのものが難しくなっていた時期でしたが、かつてシャッフル漫才をした感触が残っていた二人は一緒に活動することになります。
M-1グランプリ公式では、センチネルの結成日を2020年7月1日としています。
高校の文化祭で初めて漫才をしてから、大学中退、養成所、二つのコンビを経たあとに、現在の相方との芸人人生が始まりました。
センチネル初期|モータースLIVEから舞台数を積み重ねる
センチネルが結成された2020年は、ライブ会場にもマスクやアクリル板があるコロナ禍の最中でした。
現在まで続くセンチネルの漫才も、最初から大きな舞台で始まったわけではありません。
コロナ禍の初ライブで「どーも!」を何度も練習
センチネルとして初めて出演したのはモータースLIVEで、ヤマザキモータースさんから新しいコンビを組んだなら出るよう声をかけてもらいました。
二人はトップバッターで登場することになりましたが、トミサットさんはコンビとしての第一声にこだわり、ネタ合わせでは冒頭の「どーも!」を20回以上繰り返したそうです。
ところが本番になると、最初のあいさつの直後から大誠さんのセリフが台本1ページ分ほど飛んでしまいました。
それでも上位3組が昇格できるライブでぎりぎり通過し、センチネルとしての舞台活動が動き始めます。
太田プロに専用劇場がない中、外部ライブへ出続ける
センチネルのネタは、結成当初からトミサットさんが箇条書きに近い形でアイデアを持ってきて、大誠さんとのやり取りでツッコミなどを固めていく形で作られていました。
吉本興業の劇場所属芸人のように毎日決まった劇場へ出演できる環境ではないため、二人は他事務所のライブを含め、東京のさまざまなお笑いライブへ出演していきます。
後には年間約400本のライブへ出演するまでになり、時期によっては月50本ほど舞台へ立っていたこともありました。
舞台数を増やすだけではなく、新ネタライブを継続してネタを作り続けたことが、その後の賞レース挑戦へつながっていきます。
飲食店バイト12年とイタリアン料理人見習いの生活
大誠さんは芸人として舞台へ立つ一方、長い期間にわたって飲食店のアルバイトも続けていました。
太田プロダクションの公式プロフィールによると飲食店でのアルバイト歴は12年に及び、そのうち3年間はイタリアンの料理人見習いを経験しています。
現在も料理は特技としてプロフィールに掲載されており、ライブ活動と並行して飲食店で働いた時間の長さが分かります。
2021年ABC準決勝、2022年ゴッドタンで周囲の反応が変わる
結成2年目の2021年にはABCお笑いグランプリの準決勝まで進み、二人は自分たちの漫才に少しずつ手応えを持つようになりました。
さらに2022年、『ゴッドタン』の企画「この若手知ってんのか!?2022」で、センチネルは「今のバラエティで売れそうな若手芸人」部門の1位として登場します。
テレビ出演後はライブ会場で声をかけられたり、先輩芸人から舞台上で絡んでもらったりする機会が増え、大誠さん自身も明確な変化を感じていました。
「『ゴッドタン』はマジで追い風になりました」
テレビ朝日 logirl「First Stage」
初タイトルからM-1準決勝へ|少しずつ仕事が変わった時期
『ゴッドタン』出演後も、センチネルはすぐにテレビ中心の活動へ切り替わったわけではなく、ライブへ出ながら賞レースへ挑む日々を続けました。
その積み重ねが、2023年以降になると具体的な結果として現れ始めます。
2023年月笑年間王者でコンビ初タイトル、家賃問題にも区切り
2023年12月、センチネルは太田プロ所属芸人が競う「太田プロライブ月笑」年間チャンピオンを獲得しました。
大誠さんは当時、芸人活動へ集中するためアルバイトを辞めていましたが、決断のタイミングが早すぎたことで家賃を滞納し、退去を求められる直前まで来ていました。
芸人一本で生活しようとした時期と、コンビとして初めて事務所ライブの年間王者になった時期が重なっています。
「賞金で家を継続できるのは本当にありがたいです」
太田プロダクション「月笑2023クライマックスシリーズ」
2024年ツギクル決勝、2025年ABC決勝へ
翌2024年にはツギクル芸人グランプリで初めて決勝へ進みました。
2025年には、それまで準決勝を経験していたABCお笑いグランプリで決勝進出を果たします。
一つの大会だけで急に状況が変わったのではなく、ゴッドタン、月笑、ツギクル、ABCと、数年をかけて舞台の規模が少しずつ大きくなっていきました。
年間約400本のライブを重ね、漫才の「所作」まで考えるように
賞レースで決勝へ進むようになってからも、二人は自分たちの漫才が完成したとは考えていませんでした。
2025年秋のインタビューでは、それまでM-1で3回戦を突破できない理由について、ネタの構成だけでなく、二人の強い見た目をどう漫才の中で見せるかという舞台上の所作にも課題があると話しています。
ライブ本数が多くなったからこそ、単純にセリフを面白くするだけではなく、立ち方やキャラクターの伝わり方まで考える段階へ入っていました。
2025年までM-1では3回戦が壁になっていましたが、その年の大会で初めて準決勝まで進みます。
2025年M-1初準決勝から敗者復活戦へ
2025年12月、センチネルはM-1グランプリ準決勝へ進出しましたが、決勝9組には入れず敗者復活戦へ回りました。
敗者復活戦ではBブロックに入り、決勝最後の1枠を目指して漫才を披露しています。
高校の文化祭で身内を前に披露した漫才から十数年を経て、M-1の敗者復活戦で全国放送される舞台へ立つところまで来ました。
2026年のセンチネル|連続決勝と月笑7大会連続首位
M-1で初めて準決勝まで進んだ翌2026年も、センチネルはライブと賞レースを中心に活動を続けています。
特定の大会で優勝して一気にブレイクしたという経歴ではなく、複数の大会で決勝や上位進出を繰り返しながら現在へ進んでいます。
ABC・ツギクルで再び決勝へ進む
2026年のABCお笑いグランプリでは、センチネルは前年に続いて2年連続で決勝へ進出しました。
決勝ではゼロカラン、江戸川ジャンクジャンク、ダウ90000と同じBブロックに入り、大会の優勝はゼロカランが獲得しています。
さらにツギクル芸人グランプリ2026でも15組のファイナリストに選ばれ、2024年以来となる決勝の舞台へ戻りました。
どちらも優勝には届きませんでしたが、2024年から2026年にかけて複数の若手賞レースで決勝へ進む状態が続いています。
月笑で史上初の7大会連続首位を記録
2026年に特に目立った結果となったのが、かつて初の年間王者になった太田プロライブ「月笑」でした。
2月ROUNDから7月ROUNDまで2026年シーズンの6大会をすべて1位で通過し、前年から続く連勝を合わせて月笑史上初の7大会連続首位を記録しています。
2023年には家賃を払えるかという状況でつかんだ月笑年間王者でしたが、2026年には同じライブで記録を更新する側になりました。
芸人仲間とのシェアハウス生活を続けながら賞レース優勝を目指す現在
2026年現在、大誠さんは東高円寺周辺で、青色1号・榎本淳さん、群青団地・横颯太さん、ハマノとヘンミ・ヘンミ亮介さんという太田プロの芸人仲間と4人で暮らしています。
芸人になるため23歳ごろに埼玉から東京へ移った当初は方南町に住み、そのころから高円寺へよく遊びに来ていたそうです。
現在のシェアハウスでは、それぞれが賞レースへ挑みながら生活しており、大誠さんもセンチネルとしてM-1をはじめとする大きな大会のタイトルを目標にしています。
小学生のころにはお笑いをほとんど知らず、中学生になって友人の家でテレビを見続けたことから、大誠さんの中へお笑いが入りました。
高校の文化祭で初めて漫才をし、大学時代のライブ帰りに進路を変え、二つの元コンビを経て偶然のシャッフル漫才で現在の相方と出会っています。
そのセンチネルは、2025年のM-1準決勝や2026年の賞レース決勝、月笑での連勝を重ねながら、今も多数のライブへ立ち続けています。












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