日本一おもしろい大崎の生い立ちと家族|甲子園ベスト4から姉の一言で芸人になるまで

人物プロフィール

本名
大崎義孝
生年月日
1990年3月5日
血液型
unknown
出身地
長崎県 諫早市
コンビ・グループ名
ちゃんぴおんず
相方・メンバー
大ちゃん
結成年
2021年
所属事務所
ワタナベエンターテインメント
芸人活動開始年
2014年
養成所・スクール
ワタナベコメディスクール 18期

ピンク色のスーツに身を包み、「ちょんってすなよ」のリズムネタで知られるお笑いコンビ「ちゃんぴおんず」。

向かって左に立つ日本一おもしろい大崎は、1990年3月5日生まれ、長崎県出身のお笑い芸人です。

現在の姿からは想像しにくいかもしれませんが、高校時代には長崎日本大学高等学校の野球部に所属し、夏の甲子園でベスト4まで勝ち進んだチームのベンチ入りメンバーでした。

高校卒業後には地元のケーブルテレビ局で働き、リポーターとしてカメラの前にも立っています。

その後、大崎をお笑いの世界へ向かわせた大きな存在が実の姉でした。

甲子園のベンチ、地元テレビ局、ワタナベコメディスクール、別コンビでの活動を経て、大ちゃんと組み、ようやく「ちゃんぴおんず」へたどり着きます。

日本一おもしろい大崎の生い立ちと家族|長崎で育った少年時代

日本一おもしろい大崎の本名は大崎義孝です。

ワタナベエンターテインメントの公式プロフィールでは長崎県出身とされ、本人へのインタビューでは長崎県諫早市出身と紹介されています。

長崎県諫早市で育ち、野球に打ち込む

幼少期の学校生活や小・中学校名については、本人や所属事務所から詳しい経歴が広く公表されているわけではありません。

一方、後の経歴からは、少年期から野球を続け、高校では全国大会を狙う強豪校の野球部へ進むほど競技に打ち込んでいたことが確認できます。

現在の公式プロフィールでも趣味・特技として「野球」が挙げられており、高校卒業から長い年月がたっても野球との関わりは続いています。

父・母・姉がいる家族|姉は後に人生の進路を動かす存在に

大崎には父、母、そして姉がいます。

母親は2026年放送のテレビ番組にも出演し、大崎が長崎で育ったころから現在まで続く家族関係が紹介されました。

家族の中でも、その後の芸人人生を語るうえで欠かせないのが実の姉です。

子どものころから芸人になることだけを目標にしていた人物ではなく、社会人として働く時期を経験した大崎に対し、姉が別の道を示すことになります。

姉が口にした一言は、地元で働いていた弟を東京のお笑い養成所へ向かわせるきっかけになりました。

長崎日大で野球に打ち込んだ高校時代|甲子園ベスト4のベンチ入り

大崎が進学したのは長崎日本大学高等学校です。

強豪として知られる野球部に入り、捕手として高校生活を送ります。

100人を超える野球部から甲子園のベンチ入りメンバーへ

高校3年だった2007年、長崎日大は第89回全国高等学校野球選手権大会に出場しました。

大崎は後年、部員が100人を超える大所帯だったことを話しており、その中から甲子園でベンチに入れる18人に選ばれています。

ワタナベエンターテインメントの公式プロフィールにも、「第89回全国高校野球選手権大会ベスト4・長崎日大ベンチ入り」が経歴として掲載されています。

長崎日大はこの大会で準決勝まで勝ち進み、大崎は甲子園ベスト4のチームの一員となりました。

2学年下の野球部には、のちにプロ野球・広島東洋カープで活躍する大瀬良大地もいました。

第4捕手として過ごした2007年夏の甲子園

ただし、大崎は正捕手として試合に出ていたわけではありません。

本人は後年、自分を「第4捕手」だったと振り返っています。

背番号は13で、甲子園で実際に出場する機会はありませんでした。

それでも100人を超える部員の中からベンチ入りしたこと自体が、大崎の高校時代を語るうえで大きな出来事です。

本人はバラエティー番組で、背番号を発表する際に監督が大瀬良と間違えて「大崎」と呼び、自分がすぐ返事をしたためそのまま選ばれたという話まで披露しています。

本人が笑い話として語っているエピソードですが、少なくとも大崎義孝という名前が2007年夏の甲子園ベンチ入りメンバーに残っていることは確かです。

後にリズムネタでテレビに映ることになる大崎は、このころ甲子園のベンチから仲間のプレーを見ていました。

高校卒業後、20歳でおおむらケーブルテレビへ|芸人になる前の社会人時代

高校を卒業してからワタナベコメディスクールへ入るまでには、芸人とはまったく違う仕事を経験しています。

勤務先は長崎県大村市のおおむらケーブルテレビでした。

2010年5月に入社|報道制作部でカメラの前にも立っていた

おおむらケーブルテレビが2010年に発行した広報誌には、大崎本人による当時の文章が残っています。

そこでは、20歳だった大崎が2010年5月に入社し、報道制作部で働いていたことが記されています。

当時の愛称は「オージー」。

入社後、最初に画面へ登場したのは地域イベント「チャレンジデー」で、ダッシュや腹筋などに挑戦したと自ら書いています。

続いて「かっぱまつり」でリポーターデビューを経験しました。

「かなりガチガチなリポーターデビューとなりました」

おおむらケーブルテレビ「ケーブルプラス」2010年7月号

現在のテレビ出演時とは違い、社会人になったばかりの大崎は、地域イベントの現場で緊張しながらマイクを握っていました。

大学についてはインターネット上で複数の情報がありますが、本人や所属事務所の公表資料では大学名を明確に確認できません。

一方、勤務先が発行した2010年の資料からは、20歳ですでにおおむらケーブルテレビへ入社していたことが分かります。

「オビット」として地域で知られる存在に

ケーブルテレビでは裏方の制作業務だけをしていたわけではありません。

大崎は「オビット」というキャラクターでも番組に登場していました。

おおむらケーブルテレビは、芸人となった大崎が2023年に地元へ凱旋した際、「当時大崎君はオビットというキャラクターで市民から人気を集めていた」と紹介しています。

一緒に働いていた宮本さん、橋本さんも、大崎の昔を知る元同僚として番組に登場しました。

芸人になる前から、地域の人に顔を覚えられ、カメラの前で話す仕事を経験していたことになります。

姉の「お笑い芸人になりなさい」で進路が変わる

地元で社会人生活を送っていた大崎が、そのままテレビ局員として働き続けることはありませんでした。

後年、大崎本人が明かしたところによると、芸人になるよう背中を押したのは実の姉でした。

「お笑い芸人になりなさい!」

WEBザテレビジョン「浜ちゃんの休日」関連記事

2025年の「浜ちゃんの休日」でこの話をした際、大崎は芸人になる前から好きだった浜田雅功にもらったTシャツを手に、姉のことを思い出して涙を流しました。

その場で姉へテレビ電話をかけると、浜田が突然画面に登場し、姉も涙を流しています。

地元テレビ局で働いていた大崎は、姉の後押しを受けてお笑い芸人を目指すことになりました。

ワタナベコメディスクール18期へ|芸人人生のスタート

大崎が芸人になるために選んだ入口は、ワタナベエンターテインメントが運営するワタナベコメディスクールでした。

地元・長崎での会社員生活から、東京でお笑いを学ぶ生活へ移ります。

2013年4月、WCS18期に入学|土佐兄弟やフワちゃんと同じ期

ワタナベエデュケーションの公式記録では、2013年4月にワタナベコメディスクール18期生として入学したことが確認できます。

同じ18期には土佐兄弟の土佐卓也・土佐有輝、フワちゃんがいました。

現在の「ちゃんぴおんず」を結成するのはまだずっと先で、この時点で大ちゃんとは別の期です。

大ちゃんはWCS21期であり、2人は養成所の同級生としてコンビになったわけではありません。

ケーブルテレビ勤務を経て23歳ごろから、本格的に芸人としての道を歩き始めました。

卒業後は別コンビ「秀正」で活動|突然倒れるネタも

WCSを出た大崎は、現在の大ちゃんとすぐに組んだわけではありません。

過去には「秀正」というコンビで活動しています。

秀正時代の大崎には、漫才中に突然倒れる「倒れ芸」がありました。

この芸は後年の「有田ジェネレーション」でも取り上げられ、すでに芸人を辞めていた元相方が見届ける中、大ちゃんと再び挑戦する企画まで組まれています。

現在のピンク衣装とリズムネタだけを見ると最初から同じスタイルだったように感じますが、若手時代には現在とは異なる相方、異なるネタで舞台に立っていた時期がありました。

ライブとアルバイトを続けた売れる前の生活

芸人になってすぐに収入だけで生活できるようになったわけでもありません。

大崎は2026年の「あちこちオードリー」で、売れる前に飲食店でアルバイトをしていた時期を明かしています。

その店は経営者たちが二次会などで利用することが多く、大崎は仕事を通じて社長たちと酒席を囲むことにも慣れていきました。

後に大物経営者や先輩芸能人と自然に交流する姿がテレビで語られるようになりますが、その前には客を相手に働いていた時期がありました。

昼間からテレビに出ていたケーブルテレビ時代とは違い、東京ではライブとアルバイトを重ねながら芸人を続けています。

大ちゃんから誘われユニット結成|ちゃんぴおんずができるまで

現在の相方・大ちゃんも、ちゃんぴおんず以前には「ゴリゴリ」という別コンビで活動していました。

2020年、2人の前のコンビがそれぞれ終わり、別々に活動する状況になります。

大ちゃんが「一番面白い」と思っていた大崎を誘う

新しい相方を探していた大ちゃんは、次に組むなら「ものすごく面白い人」か「ネタを書ける人」がいいと考えていました。

そのとき頭に浮かんだのが、先輩にあたる大崎でした。

「近くに一番面白かった大崎さんがいたんですよ」

文化放送「おとなりさん」

大ちゃんは以前から、大崎のフリートークや舞台上での面白さを高く評価していました。

現在のちゃんぴおんずは、大ちゃん側から大崎へ声をかけたことから始まっています。

ボケ同士ですぐには正式コンビにならず「大崎&堀之内」から始動

誘われた大崎が、すぐに「コンビを組もう」と受け入れたわけではありません。

2人はそれぞれ以前のコンビでボケを担っており、「ボケとボケ」の組み合わせでした。

大ちゃんは大崎を誘ったものの、何ができるのか分からないことから、まず正式なコンビではなくユニットとして活動します。

2020年10月には「大崎&堀之内」として活動を始めました。

その後は「大崎と堀之内」などの名前でも活動し、2021年のM-1グランプリには「樽錦」というコンビ名で出場しています。

M-1公式の樽錦プロフィールには、本名の大崎義孝と堀之内大輔の名前が記録されています。

ユニット活動の開始時期と正式なコンビ結成時期は資料によって基準が異なりますが、2020年10月から2人で活動していたこと、そして2022年2月に「ちゃんぴおんず」へ改名した流れは確認できます。

「ちゃんぴおんず」という名前が生まれた経緯

現在のコンビ名にも、先輩芸人とのやり取りがあります。

元・笑撃戦隊のばし太から「チャンピオンズ」という名前を提案され、その話を土佐兄弟のラジオで相談しました。

大崎は高校野球、大ちゃんは高校・大学までサッカーを経験しています。

野球経験者とサッカー経験者の2人という組み合わせが、とんねるずの石橋貴明・木梨憲武を思わせることから、平仮名の「ちゃんぴおんず」にする案が出ました。

2022年2月、いくつものユニット名を経た2人は現在の「ちゃんぴおんず」を名乗るようになります。

「ちょんってすなよ」誕生|大崎が3か月拒んだネタが転機に

コンビ名が決まっても、現在知られている芸風がすぐ完成したわけではありません。

むしろ大崎は、現在のちゃんぴおんずを象徴する要素に当初かなり抵抗していました。

ピンク衣装もリズムネタも最初は乗り気ではなかった

現在のちゃんぴおんずといえば、まず目に入るのが鮮やかなピンク色の衣装です。

この衣装を考えたのは大ちゃんでした。

さらに、大ちゃんが大崎の頭を指でつつき、大崎がリズムに乗せて返す「ちょんってすなよ」も大ちゃん側から生まれたアイデアでした。

ところが、大崎はリズムネタでイメージが固定されることを気にしていました。

「3か月くらいずーっと断ってて」

文化放送「おとなりさん」

後に代表ネタとなる「ちょんってすなよ」を、大崎自身は約3か月も拒み続けていました。

自分のネタがうまくいかず試してみると客席の反応が一変

それでも、自分が考えたネタでは思うような結果が出ませんでした。

そこで大崎は、それまで拒んでいた大ちゃんのリズムネタを実際に舞台で試してみます。

すると、それまでとは違う反応が返ってきました。

「お客さんのウケが尋常じゃないんですよ!」

文化放送「おとなりさん」

大崎は、自分より大ちゃんの方が客席に届く形を見抜いていたことに驚いたと話しています。

大ちゃんも、大崎のフリートークの面白さを世間へ知ってもらうためには、まず2人を知ってもらえる分かりやすい武器が必要だと考えていました。

大崎が嫌がっていたネタが、ちゃんぴおんずを知ってもらうための最初の大きな武器になりました。

前年のおもしろ荘最終オーディション敗退から再挑戦へ

ちゃんぴおんずには、「おもしろ荘」へ突然現れてそのまま優勝したというだけではない前段階があります。

大崎によると、前年にも「大崎&堀之内」時代に「おもしろ荘」の最終オーディションまで進んでいました。

しかし、そのとき披露したのは「ちょんってすなよ」ではないネタで、結果は出演ならず。

文化放送で当時を振り返った大崎は、前年の最終オーディション敗退後について短くこう話しています。

「そのあとにちょんができて」

文化放送「CultureZ」

2022年にはワタナベお笑いNo.1決定戦でも決勝へ進出し、「ちょんってすなよ」を舞台で磨いていきました。

一度届かなかった「おもしろ荘」に、新しいネタを持ってもう一度挑むことになります。

おもしろ荘2023優勝|ちゃんぴおんずの仕事が変わり始める

2022年12月31日深夜から放送された「ぐるぐるナインティナイン」の恒例企画「おもしろ荘2023」に、ちゃんぴおんずが出演しました。

前年は最終オーディションで終わりましたが、今回は「ちょんってすなよ」を携えて本番の舞台へ進みます。

「ちょんってすなよ」で優勝し、街でも気づかれるように

結果は優勝でした。

ワタナベエンターテインメントの公式プロフィールでも、「ぐるナイ〜新春おもしろ荘2023〜優勝」がちゃんぴおんずの代表的な経歴として記載されています。

約3か月拒み続けたリズムネタで、ちゃんぴおんずは全国放送の若手芸人企画を制しました。

優勝から間もない2023年1月、文化放送の特番で2人は周囲の変化について話しています。

「外いって顔刺されたりするの」

文化放送「ちゃんぴおんずのお笑い王は俺だ!!」

それまで道を歩いていてテレビを見た人から声をかけられる経験はほとんどなかった2人にとって、目に見える変化でした。

「めざましテレビ」に出演した後には、浅草を歩いていると「めざましテレビ見ました」と言われることも増えたと語っています。

おもしろ荘優勝は、賞レースの肩書きが一つ増えただけではなく、一般の人に顔を知られるきっかけになりました。

テレビ出演が増えても漫才・ライブを続ける

おもしろ荘の後はテレビやラジオへの出演が増えましたが、ちゃんぴおんずはネタ活動をやめたわけではありません。

2023年には漫才協会へ加入し、浅草の舞台にも立つようになりました。

代表的なリズムネタだけでなく、2人で漫才を続けながら、大崎はバラエティー番組でのトークやロケでも活動の幅を広げています。

2026年現在もワタナベエンターテインメントのライブ「WEL」「WEL NEXT」への出演予定が掲載されており、テレビだけに活動を移したわけではありません。

売れた後に再びつながった長崎・野球・WCS

おもしろ荘で名前が広がってからは、芸人になる前にいた場所との接点も再び増えていきました。

ケーブルテレビ、長崎日大、ワタナベコメディスクールという過去の3つの場所へ、今度は「ちゃんぴおんずの日本一おもしろい大崎」として戻っています。

おおむらケーブルテレビへ凱旋|「オビット」時代の映像も再登場

2023年、おおむらケーブルテレビは大崎が約12年前に同社で働いていたことを紹介し、ちゃんぴおんずの地元ライブと独占インタビューを放送しました。

番組には、かつて一緒に働いていた同僚も登場しています。

さらに、会社員だったころの「オビット」時代のお宝映像も放送されました。

2025年には再び大村で凱旋ライブが開催され、おおむらケーブルテレビ向けにオビット姿でメッセージも送っています。

20歳でリポーターデビューした勤務先へ、芸人として名前が知られた後に帰ってきました。

2026年、母校・長崎日大を甲子園で現地応援

高校野球との縁も続いています。

2026年8月、母校の長崎日大が夏の甲子園へ出場すると、大崎は阪神甲子園球場まで応援に駆けつけました。

本人は現地から長崎日大を応援する様子をXへ投稿し、試合後には後輩たちへの感謝を記しています。

さらに甲子園へ行ったことで、長く会っていなかった野球部OBたちとも再会できたと明かしました。

2007年に選手としてベンチに入った甲子園へ、2026年には母校を応援するOBとして戻っています。

卒業生としてワタナベコメディスクールの教壇へ

もう一つ戻った場所が、芸人人生を始めたワタナベコメディスクールです。

2026年3月31日、ちゃんぴおんずはWCSの学生を対象に特別授業を行いました。

授業では、ひな壇トークを実践しながら企画・実践・改善を学ぶ「チャレスタ」を担当しています。

「養成所に通っていた自分を思い出すとめちゃくちゃ光栄」

ワタナベエデュケーション

2013年には18期生として教わる側だった大崎が、13年後には学生へ現場で感じていることを伝える立場になりました。

長崎の会社員からお笑い養成所へ飛び込んだ場所に、今度は現役芸人の講師として立っています。

長崎で野球に打ち込み、20歳でケーブルテレビのリポーターになった大崎は、姉の一言をきっかけに仕事を変え、お笑いの世界へ入りました。

別コンビでの活動を経て大ちゃんに誘われ、最初は拒んでいた「ちょんってすなよ」でおもしろ荘優勝をつかみます。

現在は、かつて働いた大村、甲子園のベンチに入った長崎日大、芸人として学んだWCSと再びつながりながら、ちゃんぴおんずとして舞台やテレビに立っています。

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