ちゃんぴおんず大ちゃんの生い立ち|プロサッカーを目指した学生時代から芸人・大崎との結成まで

人物プロフィール

本名
堀之内大輔
生年月日
1991年1月11日
血液型
O型
出身地
鹿児島県 鹿児島市
コンビ・グループ名
ちゃんぴおんず
相方・メンバー
日本一おもしろい大崎
結成年
2021年
所属事務所
ワタナベエンターテインメント
芸人活動開始年
2015年
養成所・スクール
ワタナベコメディスクール 21期

ピンクの衣装に身を包み、「ちょんってすなよ」のリズムネタで知られるお笑いコンビちゃんぴおんずの大ちゃん。

現在は「大ちゃん」の芸名で活動していますが、以前は本名の堀之内大輔名義で舞台やM-1グランプリに出場していました。

テレビで見せる明るいキャラクターからは少し意外ですが、芸人になる前は鹿児島で長くサッカーに打ち込み、大学まで体育会サッカー部に所属してプロサッカー選手を目指していた人物です。

プロを目指したサッカー生活からお笑いへ進み、旧コンビでの活動と長いアルバイト生活を経て、日本一おもしろい大崎さんと現在のちゃんぴおんずを組みました。

しかも、現在のトレードマークになったピンクの衣装やリズムネタを提案したのも大ちゃんです。

大ちゃんの生い立ちと家族|鹿児島でサッカーに打ち込んだ少年時代

大ちゃんは鹿児島県出身で、1991年1月11日生まれです。

芸人になって東京で活動するようになってからも鹿児島とのつながりは続いており、地元やサッカーに関する仕事では故郷の話がたびたび登場しています。

鹿児島の実家で両親と過ごした子ども時代

大ちゃんの子ども時代については、2024年に放送されたテレビ朝日系「チョコプランナー」の企画「相方の実家に泊まろう」で、鹿児島の実家や両親との関係が紹介されました。

企画では日本一おもしろい大崎さんが大ちゃんの実家を訪れ、母親から昔の大ちゃんの話を聞き、子ども時代の写真を見せてもらっています。

大ちゃんが子どものころ、家出した際に向かったという近所の公園にも足を運んでおり、テレビで知られるようになるずっと前の生活圏が登場しました。

大崎さんは以前から大ちゃんの両親とは面識があり、このとき実家を訪れるのは初めてだったものの、父親が帰宅すると一緒に風呂へ入り、親戚も加わって食卓を囲むほどの距離感でした。

現在の相方が実家へ泊まりに行き、両親や親戚と一緒に過ごすほど、大ちゃんの家族と大崎さんの交流は深まっています。

少年時代から続けたサッカーと大迫勇也との縁

大ちゃんの学生時代を語るうえで外せないのがサッカーです。

一時的な部活動ではなく、大学まで体育会で競技を続け、将来はプロになることを考えていました。

2019年、旧コンビ「ゴリゴリ」で活動していた大ちゃんは、出演していた「モータースLIVE」の公式ページで自身の過去を紹介しています。

「大学まで体育会のサッカー部に所属して、プロのサッカー選手を目指してた」

モータースLIVE

さらに同じ文章では、鹿児島時代から縁のある同級生として、のちに日本代表でも活躍した大迫勇也選手の名前を挙げています。

所属するワタナベエンターテインメントの公式プロフィールでも、高校生時代に大迫選手と同じチームでプレーし、大ちゃんがキャプテンを務めていたことが紹介されています。

一方、2026年にJリーグ公式サイトで紹介された番組「けるとめる」では、学生時代に大迫選手と「対戦もした」と説明されています。

同じ鹿児島のサッカー世代として、同じ側でプレーした時期だけでなく、対戦相手としてピッチに立った機会もあったことになります。

高校・大学時代|プロサッカー選手を目指して競技を続ける

中学を終えてからも、大ちゃんの生活の中心にはサッカーがありました。

芸人になるという選択肢より先にあったのは、競技を続けながら上のレベルを目指す進路です。

鹿児島の高校でキャプテンを経験

大ちゃんの出身高校は鹿児島県立松陽高校として紹介されており、高校時代もサッカーを続けました。

ワタナベエンターテインメントのプロフィールには、高校生のころに大迫勇也選手と同じチームでプレーし、キャプテンを務めていたという経歴が掲載されています。

大迫選手は同世代の中でも早くから注目を集め、その後プロ、日本代表へ進みました。

大ちゃんもその近くで競技を続け、大学進学後までプロを目標にしています。

お笑いを始める前の大ちゃんは、人前でネタをする生活ではなく、本気でサッカーを続ける体育会の学生でした。

東海大学体育会サッカー部へ進み、プロを目指す

高校卒業後は東海大学へ進み、体育会サッカー部に所属しました。

2026年にABEMAのサッカー企画へ出演した際にも、大ちゃんは「東海大学の体育会サッカー部出身」と紹介されています。

大学まで競技を続けた背景には、趣味としてサッカーを楽しむのではなく、プロサッカー選手になるという目標がありました。

ところが、そのままサッカー選手になる道には進みませんでした。

ここで大ちゃんの進路は、グラウンドからお笑いの世界へ大きく変わっていきます。

プロへの道から芸人へ|2014年にWCS21期へ

プロサッカー選手を目指して大学まで競技を続けた大ちゃんは、卒業前後に次の進路を考えることになります。

そのとき浮かんだのが、自分が以前から周囲に「面白い」と言われていたことを生かす道でした。

サッカーからお笑いへ進路を変えたきっかけ

サッカーでプロへ進むことがかなわなかったあと、大ちゃんは自分にほかに何ができるのかを考え、お笑い芸人という道を選びました。

小さいころから人に面白いと言われてきたことを思い出し、それなら笑いを磨いて仕事にできないかと考えたことが、芸人を目指すきっかけになったと紹介されています。

大学まで追っていたプロサッカー選手という目標を離れ、20代前半でお笑いの世界へ進路を切り替えました。

高校卒業時から芸人一本だったわけではなく、大学まで一つの競技を続けたあとに選び直した進路だった点が、大ちゃんの芸歴の出発点です。

2014年10月、ワタナベコメディスクール21期へ入学

大ちゃんが選んだ入口は、ワタナベエンターテインメント系列の養成所ワタナベコメディスクール(WCS)でした。

ワタナベエデュケーションの公式沿革では、2014年10月にWCS21期生として大ちゃんが入学したことが記録されています。

現在の相方、日本一おもしろい大崎さんは18期生なので、2人は同じ期の養成所仲間ではありません。

大ちゃんは21期として芸人の基礎を学び、卒業後は現在とは別の相方とコンビ活動を始めます。

2014年10月のWCS入学が、大ちゃんがお笑いを本格的に学び始めた時期です。

旧コンビ「ゴリゴリ」で始まった芸人人生

養成所を経た大ちゃんは、いきなり現在のちゃんぴおんずを結成したわけではありません。

先に長く活動したのが、ライチ角谷さんとのコンビ「ゴリゴリ」でした。

ライチ角谷と「ゴリゴリ」を結成し、ライブへ出演

M-1グランプリ公式サイトでは、ゴリゴリは2015年10月1日結成と記録され、メンバーはライチ角谷さんと「堀之内大輔」となっています。

現在の「大ちゃん」ではなく、本名を前面に出していた時期です。

若手時代はさまざまなライブに立ち、2019年には「モータースLIVE」で初優勝を経験しました。

本人は当時、このライブについて、他事務所の芸人とも競える自分たちにとって重要な場所だと書いています。

サッカーから全く別の世界へ移ったあとも、すぐテレビへ出られたわけではなく、ライブでネタを試し続ける若手生活が続きました。

2020年にはワタナベお笑いNo.1決定戦の決勝へ

ゴリゴリとしての活動で一つの結果を残したのが、「ワタナベお笑いNo.1決定戦2020」です。

準決勝を突破し、Aマッソ、四千頭身、土佐兄弟、サンシャイン池崎、Gパンパンダなどとともに決勝12組へ進みました。

決勝は2020年2月17日に行われ、ゴリゴリはCブロックでロングロング、四千頭身、はなしょーと競っています。

現在のコンビを組む前から、大ちゃんは事務所内の大きな大会で決勝へ進むところまで活動を積み重ねていました。

「ゴリゴリ」は、現在のちゃんぴおんず以前に大ちゃんが数年間かけて舞台経験を積んだ重要なコンビです。

ライブのあと朝までバイトを続けた若手時代

舞台で結果が出始めても、芸人の収入だけで生活できる状態ではありませんでした。

2023年のインタビューで大ちゃんは、売れる前について、ライブへ出たあと朝までアルバイトをする生活を9年ほど続けていたと話しています。

「朝起きて仕事があるのが人生初なんです」

ドカント

それほど「朝に芸人の仕事へ行く」という生活は、それまでの日常とは違うものでした。

アルバイトも一つではなく、結婚式場のサービス、大使館での配膳、日本テレビの社員食堂、銀行の役員食堂など、複数の仕事を経験しています。

金銭的に厳しい時期には、手元の120円で2週間を過ごさなければならなくなり、勤務先の店長へ頼んで食料を段ボールに入れて持ち帰ったこともありました。

テレビに出る前の大ちゃんは、ライブと深夜のアルバイトを往復しながら芸人を続けていました。

その後はカラオケスナックでも働き、この店がのちにちゃんぴおんずを大きく変えるネタの誕生場所になります。

2026年9月には、若手時代から大ちゃんを知るぱーてぃーちゃん・すがちゃん最高No.1さんが「あちこちオードリー」で、接客業時代の大ちゃんが「恵比寿のミッキーマウス」と呼ばれるほど店で存在感を放っていたというエピソードも明かしています。

旧コンビ解散後、大ちゃんから日本一おもしろい大崎を誘う

ゴリゴリでの活動を終えたあと、大ちゃんは再び相方を探すことになりました。

そこで目を向けたのが、以前から芸人仲間として知っていた日本一おもしろい大崎さんです。

「次が最後」と考え、近くで一番面白かった大崎へ声をかける

大ちゃんと大崎さんは、それぞれ別のコンビで活動していましたが、ほぼ同じ時期に以前のコンビを解散し、ピンの状態になりました。

2023年に文化放送「おとなりさん」へ出演した際、大ちゃんは次の相方選びについて話しています。

「次が最後だと思って」

文化放送

中途半端に組むのではなく、本当に面白いと思える相手か、強くネタを書ける相手と組もうと考えたといいます。

そのとき、大ちゃんの近くにいた中で「一番面白い」と感じていたのが大崎さんでした。

さらに以前、それぞれの旧コンビ同士で撮った写真を見たとき、大ちゃんと大崎さんが横に並んだ姿を見て「このフォルムならいけそうだ」と感じたことも、声をかける後押しになりました。

ちゃんぴおんずは偶然組まれたコンビではなく、大ちゃん自身が「この人と組みたい」と大崎さんを選んだところから始まりました。

「大崎&堀之内」「樽錦」を経て現在のコンビへ

2人は現在の名前になる前から一緒に活動しており、一時期は「大崎&堀之内」のように2人の名前をそのまま使っていました。

M-1グランプリ2021には「樽錦」という名前で出場し、公式サイトには堀之内大輔と大崎義孝のコンビとして記録されています。

M-1公式では現在のちゃんぴおんずについて「2021年4月1日結成」、樽錦については「2021年7月1日結成」と別々に記録されているため、活動の開始時期と各ユニット名での登録時期には違いがあります。

少なくともこの時期、2人は複数の名前を試しながらコンビとして活動を固めていました。

野球とサッカーから生まれた「ちゃんぴおんず」という名前

現在のコンビ名には、2人が学生時代に打ち込んだスポーツが関係しています。

大崎さんは高校野球の強豪・長崎日大で甲子園を経験し、大ちゃんは長くサッカーを続けていました。

元笑撃戦隊のばし太さんから「チャンピオンズ」という名前を提案され、その話を土佐兄弟へ相談したところ、ひらがなにして「ちゃんぴおんず」にしてはどうかという案が出ました。

大ちゃんは2023年の文化放送で、大崎さんが野球、自分がサッカーをしていたことから出た名前だと説明しています。

表記をひらがなにした背景には「とんねるず」のような名前に、という土佐兄弟からの提案もあり、そのまま現在のちゃんぴおんずへつながりました。

ピンク衣装と「ちょんってすなよ」が生まれるまで

コンビ名が固まっても、すぐに現在の芸風が完成したわけではありません。

特に大崎さんは、後に2人を広く知られるきっかけとなるスタイルへ最初から乗り気だったわけではありませんでした。

ピンクの衣装を考えたのは大ちゃんだった

ちゃんぴおんずといえば、2人そろった鮮やかなピンク色の衣装が目に入ります。

この衣装を提案したのは大ちゃんです。

さらに「ちょんってすなよ」を軸にしたリズムネタも大ちゃん側の提案でした。

ところが、大崎さんはピンクの衣装もリズムネタも嫌がり、約3か月にわたって断り続けていたと話しています。

それまで大崎さんが考えたネタで思うような結果が出なくなった時期に、ようやく大ちゃんの案を試すことになりました。

実際に舞台で試すと、それまでとは違う大きな笑いが起こり、現在知られるちゃんぴおんずの形が動き始めました。

大崎さん自身も後に、客席の反応を見て大ちゃんのほうが先を見えていたと感じたことを明かしています。

アルバイト先のカラオケスナックから「ちょんってすなよ」が生まれる

「ちょんってすなよ」の始まりは、テレビ局の楽屋や大きな劇場ではありませんでした。

大ちゃんが働いていたカラオケスナックです。

営業時間外の店を使って2人でネタ合わせをしていたとき、大ちゃんが大崎さんの頭を指で軽く触りました。

その瞬間、大崎さんから返ってきたのが「ちょんってすなよ」という言葉でした。

最初はネタとして準備したやり取りではなく、2人で遊ぶように繰り返していたものだったといいます。

それを人前で試したところ反応があり、リズムを加えながら現在のネタへ形を整えていきました。

生活費を稼ぐために働いていたアルバイト先が、結果的にちゃんぴおんずを全国へ広げるネタの誕生場所になりました。

2023年「おもしろ荘」優勝で仕事が増え始める

ちゃんぴおんずは「ちょんってすなよ」ができる以前にも、「ぐるナイ」の新春企画「おもしろ荘」の最終オーディションまで進んだことがありました。

しかし、そのときは別のネタで思うような結果を残せず出演には届きませんでした。

そこから「ちょんってすなよ」が生まれ、再び挑戦した「おもしろ荘2023」で優勝します。

ワタナベお笑い公式チャンネルには、優勝ネタとして「ちょんってすなよ」の映像も公開されました。

優勝後に文化放送へ出演した大ちゃんは、2023年1月1日から仕事が増え始めたと話しています。

それまでテレビを見た人から街で声をかけられる経験もほとんどありませんでしたが、「おもしろ荘」後には外を歩いていて顔を知られていることを実感するようになりました。

賞レースの結果だけではなく、優勝直後から実際に仕事量と周囲の反応が変わったことが、大ちゃん本人の言葉から分かります。

「大ちゃん!」のキャラクターが広がり、サッカー経験も仕事へ

「ちょんってすなよ」で知られたあとも、ちゃんぴおんずは同じネタだけを続けてきたわけではありません。

大ちゃん自身の名前を使った自己紹介ギャグも広がり、過去のサッカー経験がテレビの仕事へ戻ってくるようになりました。

「大ちゃん!」のあとには何と言っている?

ちゃんぴおんずのネタやテレビ出演では、周囲から「大ちゃん!」と呼ばれたあと、高速で言葉を返す自己紹介があります。

本人が2023年1月にXへ文字で投稿しており、聞き取りにくい前半は「ユウィゴットゥーエンターエンター let’s go」と発しています。

その後は「ンッアンンアッ……」とリズムを刻む声が続く形で、英語として文章の意味を説明するというより、音と勢いを含めて成立している自己紹介ギャグです。

この自己紹介はさらに展開し、2024年にはそのフレーズを軸にしたオリジナル曲「大ちゃん」をリリースしました。

大ちゃんによると約1年間構想した楽曲で、YOKARO-MONとともに制作され、その後TikTokでも音源が広がっています。

「ちょんってすなよ」でコンビを知った人だけでなく、「大ちゃん!」という本人のキャラクターそのものでも認知が広がっていきました。

17年ぶりに大迫勇也と再会し、サッカー経験が仕事になる

芸人になるために一度は離れたプロサッカーへの道ですが、長く競技を続けた経験は後年の仕事で再び表に出ています。

2026年4月にはJリーグを扱うフジテレビ系番組「けるとめる」にちゃんぴおんずとして出演しました。

豊田スタジアムを訪れた際、そこで再会したのが学生時代から縁のあった大迫勇也選手です。

Jリーグ公式の放送告知でも、大ちゃんと大迫選手は学生時代に対戦していた間柄として紹介されました。

大ちゃん自身も放送当日、17年ぶりに会ったことをXで報告しています。

同年にはABEMAのサッカー企画にも東海大学体育会サッカー部出身の芸人として出演しています。

大学まで続けたサッカーはプロ選手という形ではなく、芸人になったあとに本人ならではの仕事として再びつながりました。

WCSの生徒だった大ちゃんが後輩を教える側へ

もう一つ、若いころの経験がそのまま現在へ戻ってきた場所があります。

ワタナベコメディスクールです。

2014年10月に21期生として入った大ちゃんは、2026年3月31日、日本一おもしろい大崎さんとともに同校の学生を対象とした特別授業を担当しました。

授業では実際にひな壇トークを行いながら、企画、実践、改善を通して笑いの作り方を学ぶ「チャレスタ」を担当しています。

「10年前に養成所に通っていた自分を思い出すとめちゃくちゃ光栄」

ワタナベコメディスクール

2026年もちゃんぴおんずはワタナベのお笑いライブなどに出演しながら、テレビ、ラジオ、配信、サッカー関連企画などへ活動の幅を広げています。

かつて芸人になるために通った養成所へ、今度は現場を経験した先輩芸人として戻る立場になりました。

鹿児島でプロサッカー選手を目指していた大ちゃんは、大学卒業後に進路を変え、WCS21期からお笑いの世界へ入りました。

ゴリゴリ時代のライブとアルバイト生活を経て、自ら大崎さんへ声をかけ、ピンクの衣装とリズムネタを提案したことが現在のちゃんぴおんずへつながっています。

現在は「大ちゃん!」のキャラクターで活動する一方、学生時代に打ち込んだサッカーや、芸人生活を始めたワタナベコメディスクールとも再び仕事を通して関わっています。

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