岸大将の生い立ち|水泳でインカレ出場した若い頃、大学中退からきしたかの結成まで

人物プロフィール

本名
岸大将
生年月日
1990年2月3日
身長
171cm
血液型
unknown
出身地
東京都 江東区
コンビ・グループ名
きしたかの
相方・メンバー
高野正成
結成年
2012年
所属事務所
マセキ芸能社
芸人活動開始年
2012年
養成所・スクール
ワタナベコメディスクール 14期

「きしたかの」で高野正成さんと並び、ネタ作りやYouTubeの企画にも深く関わっている岸大将さん。

現在は高野さんの強烈な怒りツッコミを引き出す側としても知られていますが、芸人になる前の岸さんは、長い時間をお笑いとはまったく違う競技に使っていました。

学生時代は水泳でジュニアオリンピックやインカレに出場した競泳選手で、大学まで本格的に泳ぎ続けています。

その競技生活を終えた大学時代、岸さんは以前から考えていたお笑いの道へ進むことを決めました。

そこで思わぬ形で隣に立つことになったのが、中学1年生からの友人だった高野正成さんです。

岸大将の生い立ちと家族|東京都江東区出身、水泳に打ち込んだ少年時代

岸大将さんは、マセキ芸能社の公式プロフィールで東京都江東区出身と紹介されています。

父親や母親の職業、兄弟姉妹の人数といった詳しい家族構成は公式プロフィールでは公表されておらず、岸さんが少年時代について語るときは、水泳や地元の友人たちとの話が多く登場します。

中学1年で高野正成と同じクラスに|深夜番組を見ていた2人が仲良くなる

岸さんの人生に長く関わることになる高野さんとは、中学1年生のときに初めて同じクラスになりました。

岸さんはそれ以前から、小学校時代の高野さんが周囲から「お笑いの天才」のように言われているという噂を耳にしており、どんな人物なのか気になっていたそうです。

ところが実際に知り合ってみると、高野さんが学校で披露していたギャグには、当時の深夜番組などで見たものも含まれていました。

岸さん自身もそうしたテレビ番組を見ていたため元ネタに気づき、そこからお笑いやバラエティ番組が好きという共通点で仲良くなっていきます。

後年、岸さんは卒業アルバムで高野さんと隣同士になっている写真をXへ投稿しており、芸人になるよりずっと前から続く2人の関係を見ることができます。

仲良し4人組でも漫才はしていなかった|互いに別の相方候補がいた

現在の2人を見ると、中学生のころから一緒にお笑いをやっていたようにも思えますが、実際はそうではありません。

地元では4人ほどの仲のいいグループで過ごし、テレビ番組について「あれ見た?」と話すことはあっても、学校で2人が漫才をしたり、ボケとツッコミに分かれて遊んだりしていたわけではなかったといいます。

岸さんも高野さんも、芸人をやるなら別の同級生と組むことを考えたことがありました。

友人としては近くても、この時点では互いを「将来の相方」として見ていなかった2人が、数年後に同じ養成所へ向かうことになります。

目黒学院高校から国士舘大学へ|ジュニアオリンピックとインカレに出た水泳選手時代

中学を卒業した岸さんは目黒学院高校へ進学し、その後は国士舘大学理工学部へ進みました。

学生生活の中心にあったのが水泳で、マセキ芸能社の公式プロフィールにもインカレ、ジュニアオリンピックへの出場経験が記されています。

目黒学院高校を卒業|競泳でジュニアオリンピックにも出場

岸さんは芸人になってからも特技として水泳を掲げていますが、それは趣味で泳いでいたという程度ではありません。

全国規模の大会へ出場する競泳選手として活動し、大学に進んでからも競技を続けました。

現在の岸さんしか知らない人にとっては意外な経歴ですが、20歳前後までの生活は、お笑いの舞台よりプールのほうが身近なものでした。

国士舘大学1年でインカレ|400m自由形4分24秒25の公式記録

大学進学後も競泳を続け、2008年には第84回日本学生選手権水泳競技大会へ出場しています。

大会の公式競技結果には、国士舘大学1年の「岸 大将」の名前があり、男子400メートル自由形を4分24秒25で泳いだ記録が残されています。

芸人になる数年前の岸さんは、大学水泳の全国大会で400メートル自由形を泳いでいました。

2024年に文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」へ出演した際には、大学で水泳をしていたころの体重は70キロほどだったとも話しています。

大学3年で水泳を引退し、国士舘大学を中退

競泳生活に大きな区切りがついたのは、大学3年生のころでした。

岸さんは大学3年で水泳を引退すると、大学も中退しています。

長く続けてきた競泳を終えたところで、それまでとはまったく違う「お笑い芸人」という進路を選びました。

水泳を辞めた後には生活も大きく変わり、2024年の文化放送では、70キロほどだった体重が引退後の約1年間で40キロほど増え、110キロ前後まで一気に増えたことも明かしています。

競泳選手としての時間が終わったその時期、地元の友人たちへ話した新しい進路が、思いがけない形で高野さんを巻き込むことになります。

岸大将が芸人になったきっかけ|高野正成の“勘違い”で進路が重なる

岸さんは水泳を辞めたあと、以前からやりたいと考えていたお笑いの世界へ進むことを決めました。

ただし、最初から高野さんを誘ってコンビを結成する計画だったわけではありません。

地元の友人へ芸人になると報告|高野への誘いではなかった

大学を辞めるころ、岸さんは高野さんを含む地元の友人たちと飲んでいる席で、大学を辞めたことや芸人をやろうと思っていることを話しました。

岸さんとしては自分の進路を報告しただけでしたが、高野さんは違う受け取り方をしていました。

高野さんは、岸さんの「芸人になる」という話を、自分へのコンビ結成の誘いだと思ったのです。

当時の高野さんは大学へ通い、教員免許を取得する進路を歩んでいました。

飲み会帰りの公園で「お前の気持ちは受け取った」

友人たちとの飲み会が終わった帰り道、岸さんのもとへ高野さんから電話が入りました。

近所の公園へ来るように言われ、ベンチに座って待っていると、高野さんはなかなか本題を切り出さず、しばらくもじもじしていたそうです。

そこで高野さんが口にした言葉を、岸さんは後年こう振り返っています。

「お前の気持ちは受け取った」

coki

高野さんは続けて、自分もお笑いをやるという意思を伝えました。

岸さんはこのとき初めて、高野さんが「一緒に芸人をやろう」と誘われたつもりでいることに気づきます。

コンビ結成の入口は、岸さんからの正式な誘いではなく、中学からの友人だった高野さんの思い込みでした。

数日後に養成所のパンフレット|熱湯風呂の高野を想像してコンビへ

話はその公園だけで終わらず、高野さんは後日、本当にお笑い養成所のパンフレットを持ってきました。

岸さんは当時、シソンヌやかが屋のような雰囲気のお笑いに憧れ、もっとシュッとした相方を思い描いていたといいます。

それでも高野さんと組んだ姿を想像すると、なぜか熱湯風呂に入っている高野さんの姿が頭に浮かびました。

「こいつとなら面白いことができるかもしれない」

FRIDAYデジタル

こうして、中学生のころには互いを相方候補にしていなかった2人が、一緒に芸人になるための入口へ向かいました。

ワタナベコメディスクールから「きしたかの」結成へ

高野さんが持ってきたパンフレットをきっかけに、2人はワタナベコメディスクールへ進みます。

現在もワタナベエデュケーションの公式サイトでは、きしたかのが同スクールの卒業生として紹介されています。

2011年4月入学組|サツマカワRPGらと同じ養成所時代

カカロニ・すがやなおひろさんは自身のブログで、2011年4月にワタナベコメディスクールへ入学した同期として、きしたかののほか、サツマカワRPG、さんだる、シティホテル3号室などの名前を挙げています。

ここでいう「同期」は、同じ時期に同スクールへ入学したという意味です。

競泳を終えた岸さんは、2011年春には高野さんと同じ養成所でお笑いを学ぶ生活へ入っていました。

2012年5月に「きしたかの」を結成|中学の同級生が芸人コンビに

養成所を経た2人は、2012年5月に「きしたかの」を結成しました。

コンビ名は2人の名字である「岸」と「高野」をひらがなでつないだものです。

中学1年で知り合った友人同士が、大学時代の進路変更を経て仕事の相方になりました。

その後はマセキ芸能社に所属し、ライブを重ねながら芸人としての形を作っていきます。

すぐに売れなければ辞めるつもりだった|3年ごとに続いた“契約更新”

芸人になったころの2人は、いつまでも続けるつもりだったわけではありませんでした。

2023年のFRIDAYデジタルのインタビューで岸さんは、事務所へ入る際に2人で「3年間やってテレビに出られなかったら辞める」といった区切りを決めていたことを明かしています。

ところが3年ほど経つとネット番組のレギュラーが決まり、次に設定した目標の時期には小さくてもCM出演が決まるなど、辞めるかどうかを考える節目で少しずつ次の仕事が入りました。

高野さんはその状態を、目標をクリアするたびに「契約更新」のように芸人を続けていたと説明しています。

若手・下積み時代|三四郎との出会いから高野の怒りツッコミが生まれる

現在のきしたかのを象徴する高野さんの「怒りツッコミ」も、結成当初から完成していたものではありません。

若手ライブで先輩芸人と関わる中で、本人たちも予想していなかった形で見つかっていきました。

芸歴1年目、三四郎・相田と居酒屋へ|体育会系すぎて料理に手を出せない

芸歴1年目のころ、2人がライブの手伝いをしていた際、出演していた三四郎・相田周二さんから飲みに誘われたことがありました。

岸さんは大学まで水泳、高野さんも剣道を続けており、2人とも体育会系の上下関係に慣れていました。

そのため先輩芸人との初めてに近い飲みの席でも緊張し、相田さんから好きなものを食べるよう言われても、料理に手をつけず話を聞くことに徹していたそうです。

あまりにも固い2人に、最後は相田さんから「お前らと飲みにいっても全然楽しくない」という趣旨のことを言われ、そこからようやく距離感が変わっていきました。

小宮にいじられ続けた高野が本気で怒る|客席が沸いた夜

芸歴1〜2年ほどのころ、今度は三四郎の小宮浩信さんが出演するライブで大きな出来事が起こります。

小宮さんから何度もいじられ続けた高野さんが、本気で腹を立てて強く言い返したところ、その反応が客席で大きくウケました。

普段の高野さんが本当に怒ったときの反応そのものが、笑いになることを2人が知った瞬間でした。

2018年のスポニチのインタビューでも高野さんは、このライブで初めてツッコミそのものが面白いと思えたと語り、ターニングポイントとして挙げています。

現在まで続く高野さんの怒りツッコミの種は、売れる前の小さなライブで生まれました。

若手期のきしたかのはコントを軸にし、高野さんがテーマを出し、岸さんがネタを書いて、高野さんが面白いと感じたものを採用するという作り方もしていました。

岸さんが細かなボケを変化させ、高野さんが同じフレーズを繰り返しながら次第に声量を上げていく形を磨き、「喉爆発ライブ」と題して長時間ツッコミ続けるライブまで開催しています。

2018年「おもしろ荘」と初「ゴッドタン」|注目されても「まずはネタ」

2018年になるとテレビへ出る機会も少しずつ増え、7月には日本テレビ系「ぐるナイ」のおもしろ荘へ出演しました。

同じ時期には、2人が以前から出演を目標にしていたテレビ東京「ゴッドタン」にも初登場しています。

ただ、その初出演では本人たちが望んだような結果を出せず、岸さんは2026年になっても当時の放送を見返せていないと明かすほど強く覚えていました。

キングオブコントも2018年は準々決勝敗退で、「おもしろ荘」出演後も一気に全国区になったわけではありません。

当時の岸さんは、これからどう知られていきたいのかをこう話していました。

「まずはネタ。ネタで笑ってもらって、知ってもらおう」

スポニチアネックス

「チャンスの時間」が支えになった時期|仕事が少ない中で呼ばれ続ける

テレビ出演が増え始めても、まだ芸人の仕事だけで安定して生活できる状況ではありませんでした。

そんな時期のきしたかのと長く関わった番組が、千鳥がMCを務めるABEMA「チャンスの時間」です。

2019年「イッテQ!への道」がスタート

2019年7月には、番組内で「きしたかの『イッテQ!』への道」がスタートしました。

高野さんが「世界の果てまでイッテQ!」への出演を目標に、さまざまな技や体を張った企画へ挑むシリーズです。

岸さんは後年、ほかのメディア仕事がほとんどない時期にも「チャンスの時間」は定期的に呼んでくれたという趣旨で振り返っています。

全国的に売れる前から、きしたかのの高野さんを追い続けていた番組の一つが「チャンスの時間」でした。

元後輩・大河内敦揮が再び連絡|2020年にYouTubeを始める

この時期、後にきしたかのの活動で重要な存在になる大河内敦揮さんとの関係も再び動き始めます。

大河内さんはもともとマセキ時代の後輩で、早い時期から高野さんについて「面白い」「タレント性がある」と評価していた人物でした。

芸人時代には岸さん、高野さん、大河内さんの3人でネタを考えていた時期もあり、夏場に岸さんがエアコンを18度に設定し続けたため、大河内さんが寒さに耐えきれず帰ってしまったという小さな出来事まで残っています。

大河内さんが芸人を辞めてから時間がたった後、「チャンスの時間」に出る2人を見たことをきっかけに再び連絡を取り、YouTubeを一緒にやろうと持ちかけました。

そして2020年3月、きしたかののYouTubeチャンネルが始動します。

ところが、チャンネルを始めただけでは状況はすぐに変わらず、約1年続けても思うように再生数が伸びない時期が続きました。

YouTube「高野さんを怒らせたい。」が転機|2022年に仕事の景色が変わる

2020年に始めたYouTubeは、料理やゲームなどさまざまな企画を試した後、2022年に大きく方向を変えました。

岸さんと大河内さんが改めて注目したのは、若手時代のライブから知っていた高野さんが本気で怒ったときのツッコミとリアクションでした。

2022年1月にチャンネルをリニューアル|高野の本気の怒りを主役に

2022年1月11日、チャンネルは「高野さんを怒らせたい。」を前面に出した形へリニューアルされます。

岸さんは単に再生数を増やすことより、動画を見た人にきしたかのを知ってもらい、仕事へつなげることを考えていました。

高野さんにドッキリを仕掛け、本気で困ったり怒ったりしたときの強い反応を見せる形へ企画を絞りました。

2023年のFRIDAYデジタルのインタビューで岸さんは、きしたかのの一番の長所を考えたとき、高野さんが追い込まれたときの返しや強いツッコミが浮かび、それを生かせるのがドッキリだと考えたと説明しています。

芸歴1〜2年目のライブで偶然見つかった高野さんの「本気の怒り」が、約10年後にはYouTubeの中心になりました。

同じ1月に結婚を公表|4月には子どもが誕生

YouTubeが新しい方向へ動き始めた2022年は、岸さん自身の生活にも変化があった年でした。

1月30日配信の「チャンスの時間」で結婚したことを初めて公表し、その日のうちに自身のXでも報告しています。

さらに同年4月には子どもが誕生しました。

この報告をめぐっては、長年の相方である高野さんにも直前まで伝えていなかったことが分かる出来事があります。

高野さんがライブの楽屋へ入ると、岸さんがモグライダー・芝大輔さんやルシファー吉岡さんへ子どもが生まれたことを報告しており、高野さんはその場で初めて知ったそうです。

2022年夏からYouTubeが加速|テレビの仕事にも変化

リニューアル後は、高野さんへ同じ質問を何度も繰り返したり、ゲームや日常の中で怒らせたりと、企画の入口は単純でも高野さんの反応が大きく見える動画が増えていきました。

岸さんは後のインタビューで、2022年夏ごろからチャンネルの勢いが変わり、秋には初めて100万再生へ届く動画も出たと振り返っています。

同じ夏にはTBS系「ラヴィット!」への出演もあり、YouTubeだけではなくテレビで2人を知った人が動画へ流れ込む動きも起こりました。

「チャンスの時間」でも、高野さんが新型iPhoneを手に入れるため表参道のApple Store前に長時間並ぶ企画などが話題となり、SNSでも名前が広がっていきます。

テレビで高野さんを知り、YouTubeでさらに強烈なリアクションを見るという流れができ、2022年を境に仕事の量も変わっていきました。

高野さん自身も、YouTubeを始めてからの変化について岸さんへ感謝を伝えています。

「YouTubeをきっかけに仕事が増えたし、感謝してるよ」

FRIDAYデジタル

M-1準決勝と現在|岸大将が高野正成の“説明書”になるまで

YouTubeやバラエティで存在感が増えた後も、きしたかのはネタでの活動を続けました。

結成から10年以上がたった2023年には、漫才の賞レースでもそれまでより先へ進みます。

2023年M-1準決勝・敗者復活戦へ|ネタでも結果を残す

2023年、きしたかのはM-1グランプリ準決勝へ進出しました。

決勝進出には届かなかったものの、M-1グランプリ公式記録でも敗者復活戦の出場者として確認できます。

テレビやYouTubeで名前が広がってから、2023年にはM-1準決勝まで進みました。

若手時代の「まずはネタ」という言葉から数年がたち、高野さんの怒りツッコミを生かしたバラエティと、2人で立つネタの舞台が並行するようになっていました。

2024年にはアルバイトをせず生活|長い下積みから仕事が変わる

2023年のインタビューでは、少し前まで芸人としての収入がほとんどなく、アルバイトをしながら活動していた時期があったことも語られています。

2024年4月に文化放送へ出演した際には、2人ともアルバイトをせずに生活できるようになったと紹介され、高野さんは芸人の仕事だけで食べられるようになった時期について「2年ぐらい前」と答えていました。

結成から約10年を経た2022年前後に、芸人の仕事だけで生活できる状態へ変わっていったことになります。

2026年現在はTBSラジオ「きしたかののブタピエロ」をはじめ、テレビ、ライブ、YouTubeなど複数の場所で活動を続けています。

2026年、岸が語った「俺はこいつの説明書になりたい」

現在の岸さんの役割がよく分かる言葉が、2026年に放送された番組で語られています。

若手ライブで高野さんが怒る姿を見た後、その特徴を外の人にも伝えるため、大河内さんとYouTubeの企画を作ってきた岸さんは、高野さんとの関係をこう表現しました。

「俺はこいつの説明書になりたいと思った」

日刊ゲンダイDIGITAL

高野さんの隣でただボケるだけでなく、「この人はここが面白い」と外へ伝えることも岸さんの仕事になっています。

中学生のころはテレビ番組の話をする友人の一人だった高野さんを、岸さんは若手ライブ、下積み、テレビ、YouTubeと長い時間を通して見続けてきました。

競泳選手として大学まで泳いでいた岸さんは、水泳を辞めたところで芸人という別の道を選び、その報告を高野さんが“誘い”と受け取ったことから「きしたかの」が始まりました。

公園のベンチから始まった2人は、売れない時期を何度も越え、現在もネタ、ラジオ、テレビ、YouTubeで一緒に活動しています。

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