青山フォール勝ちの生い立ち|4歳からレスリング、和田まんじゅうと芸人を目指した理由

人物プロフィール

本名
青山久志
生年月日
1986年1月19日
身長
177cm
血液型
B型
出身地
島根県 松江市
コンビ・グループ名
ネルソンズ
相方・メンバー
和田まんじゅう、岸健之助
結成年
2010年
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
2008年
養成所・スクール
NSC東京校 14期

ネルソンズのメンバーとしてコントを続ける青山フォール勝ちさんには、お笑い芸人になる前に長く打ち込んでいたものがあります。

それが、4歳から大学まで続けたレスリングです。

高校では国体準優勝、大学では天皇杯ベスト8、さらに全日本強化指定選手にも選ばれた経験を持ち、吉本興業の公式プロフィールでも「元レスリング日本代表」と紹介されています。

ところが、本人の中には中学生のころからお笑い芸人への憧れがあり、大学4年になるとレスリングを続ける道ではなく、芸人になる道を自分で選びました。

さらに、一緒に芸人を目指そうと誘ったのが、島根県松江市で小学1年生のころから知っていた和田まんじゅうさんでした。

青山フォール勝ちの生い立ちと家族|松江で4歳からレスリング

青山フォール勝ちさんは1986年1月19日、島根県松江市出身です。

現在の芸名になる前は、本名の青山久志として活動していました。

祖父の背中で跳ねるほど活発で、母の勧めから4歳でレスリングへ

レスリングを始めたのは4歳のころでした。

本人が2024年のインタビューで振り返ったところによると、幼いころは祖父の背中の上で跳ねることもあるほど活発で、その姿を見た母親が体力を使うスポーツとしてレスリングを選んだそうです。

物心がつくころには猛烈に練習する生活になっていましたが、意外なのは、本人が幼いころからレスリング選手になることだけを目標にしていたわけではないことです。

小学校の卒業アルバムにも、将来の夢として「レスリング選手になりたい」とは書いていなかったといいます。

試合で結果が出始め、周囲からも背中を押されるなかで競技を続け、やがて全国レベルへ進んでいきました。

小学1年のレスリング教室で和田まんじゅうと出会う

このレスリング教室で、後にネルソンズのメンバーとなる和田まんじゅうさんとも出会っています。

2人が知り合ったのは小学1年生のころで、同じレスリングチームに所属していました。

後に青山さんは、レスリングだけでなく、お笑いや音楽の趣味も和田さんと似ていたことを明かしています。

この時点では、もちろん2人が将来同じお笑いトリオで活動することは決まっていません。

それでも、子どものころに同じ場所で汗を流していた相手が、20代になって芸人人生を一緒に始める相手になることになります。

しじみ漁師の父と妹がいる家族、18歳まで過ごした松江

青山さんは高校卒業までの18年間を松江で過ごしました。

島根県の広報で地元について語った際には、松江城の堀川が流れる京橋界隈を思い出の場所として挙げ、学生時代には友人と堀川沿いを通って宍道湖の花火を見に行っていたと振り返っています。

芸人になって東京で暮らすようになった後も松江との交流は続き、島根県の遣島使や島根林業PR大使など、地元に関わる活動にも参加してきました。

父親は宍道湖でしじみ漁をしており、青山さん自身も2020年にInstagramで父を「島根のしじみ漁師の親父」と紹介しています。

妹のルミカさんも公に登場しており、2026年にはTBS系『櫻井・有吉THE夜会』で家事代行のプロとして紹介されました。

ルミカさんは小学生時代から和田さんを知っており、現在まで家族同然の付き合いが続いていることも明かされています。

中学・高校時代|レスリングを続けながら「めちゃイケ」で芸人に憧れる

小学生から競技を続けていた青山さんは、中学、高校とレスリングの実力を伸ばしていきます。

一方、この時期には競技とはまったく別の方向へ気持ちが動き始めていました。

中学生で『めちゃ×2イケてるッ!』を見て芸人を意識

青山さんがお笑い芸人に憧れるようになったのは中学生のころです。

きっかけとして本人が挙げているのが、フジテレビ系で放送されていた『めちゃ×2イケてるッ!』でした。

すでにレスリングでは長い競技歴を重ねていましたが、心の中にはお笑いの世界へ出たいという気持ちが生まれていました。

さらに学生時代には、レスリングだけでなく「フリースタイル」という名前でバンド活動もしています。

本人がやりたかったのは、レスリングだけではなく「表舞台に立つ仕事」でした。

松江工業高校で全国上位へ、レスリングに本格的に打ち込む

高校は地元の島根県立松江工業高校へ進学しました。

当時の指導者による記録では、青山久志選手は幼いころから続けてきたレスリングに休まず取り組み、リードされていても終盤のスタミナ勝負で逆転する試合が多かったと振り返られています。

高校では国体準優勝を経験し、全国選抜大会への出場記録も残っています。

2019年には、自身のInstagramで松江工業レスリング部が17年ぶりに全国選抜へ出場することを紹介し、自分も17年前の出場メンバーだったと振り返りました。

レスリング選手を将来の夢にしていたわけではなかった

競技成績だけを見ると、幼いころからレスリング一本で進路を考えていたようにも見えます。

しかし本人の話では、成績がついてくるようになり、周囲からも後押しされるなかで続けていた面がありました。

高校卒業時点でレスリングをやめることはなく、さらに高いレベルで競技を続けるため東京の大学へ進みます。

大学時代|全国レベルのレスラーが芸人を選ぶまで

高校卒業後、青山さんは上京し、東洋大学でレスリングを続けました。

ここから競技生活はさらに本格的になりますが、同時に中学生のころから抱えていた芸人への思いも消えていませんでした。

東洋大学でもレスリングを続け、全日本強化指定選手へ

大学時代には天皇杯ベスト8に入り、全日本強化指定選手にも選ばれました。

2006年の全日本レスリング大学選手権でも東洋大学の青山久志として66kg級へ出場した記録が残っており、その前年には同大会で3位に入っています。

学生レスリングの全国上位で戦う位置まで進み、吉本興業の現在のプロフィールにも「元レスリング日本代表」という経歴が残りました。

大学では寮生活も経験しています。

後に新日本プロレスで活動するYOHさんとはレスリング部時代に寮の同室で過ごしており、当時「いつか一緒にテレビに出られたら」と話していたことを青山さんが明かしています。

大学4年、監督に「芸人になります」と伝える

大学4年になると、卒業後の進路を決める時期が来ました。

レスリング部の監督から「就職どうするんだ?」と尋ねられた青山さんが出した答えは、競技を続けることでも一般企業への就職でもありませんでした。

「芸人になります。吉本に入ります!」

CREA

全国レベルまで続けたレスリングを大学で終え、お笑い芸人になる進路を選びました。

突然思いついた転身ではなく、中学生のころから『めちゃイケ』を見て芸人へ憧れ、バンド活動もするなど、表舞台への気持ちは何年も前から続いていました。

島根で働いていた和田を「一緒にNSCへ」と誘う

自分が芸人になることを決めると、青山さんは次に和田まんじゅうさんへ連絡しました。

当時の和田さんは島根へ残り、すでに運送会社へ就職していました。

青山さんが大学4年の夏ごろに電話をかけ、NSCへ一緒に入らないかと誘ったものの、働いていた和田さんは最初に断っています。

それでも青山さんは諦めず、共通の友人にも協力してもらいながら誘い続けました。

やがて和田さんは勤務先の仕事で東京行きの荷物を運ぶトラックに乗り、そのまま東京へやって来ます。

青山さんと合流した後は2人で同居しながらNSCへ通うことになりました。

青山さんが数いる友人の中から和田さんを相方に選んだ理由は、とてもシンプルでした。

「島根で一番面白かった」

スポニチ Sponichi Annex

小学1年から知っていた和田さんを青山さん自身が東京へ誘ったことから、2人の芸人人生が始まりました。

NSCとワダヤマブルー|幼なじみコンビが一度解散

2008年、青山さんと和田さんはNSC東京校14期へ入学しました。

現在のネルソンズが最初から存在していたわけではなく、2人はまずコンビとして活動を始めています。

和田と同居しながらNSC東京校14期へ

コンビ名は「ワダヤマブルー」でした。

青山さんは最初から和田さんと組むことを前提にNSCへ入り、2人でネタを作って披露するようになります。

養成所内での反応は悪くありませんでした。

本人によれば、かなり荒っぽい内容のネタをしていたものの、同期の生徒たちには受けており、当時の2人はかなり調子が良かったそうです。

養成所では受けたネタが、卒業後のお客さんには通じなかった

状況が変わったのはNSCを卒業してからでした。

同期が中心だった養成所とは違い、一般のお客さんを前にネタを披露すると、それまでのようには笑いが起きませんでした。

青山さん自身も、当時のネタは荒かったのだろうと後年振り返っています。

結果が出ないなかで2人は揉めるようになり、関係も悪化していきました。

和田と揉めてワダヤマブルーを解散、それぞれ別コンビへ

ワダヤマブルーはNSC卒業から1年も経たないうちに解散します。

小学1年から知り合い、島根から東京へ出て一緒に暮らし、芸人生活まで始めた2人でしたが、ここで一度離れることになりました。

解散後は、それぞれ別のコンビを組んで活動しています。

青山さんと和田さんはその後、約1年間まともに会話をしない時期を過ごしました。

2010年ネルソンズ結成|岸健之助が3人目になるまで

別々に活動するようになった青山さんと和田さんを再び近づけたのは、NSC東京14期の同期たちでした。

2人だけの判断で元のコンビへ戻ったのではありません。

同期に再結成を勧められ、約1年ぶりに和田と話す

青山さんの周囲にいた同期たちは、別々のコンビで活動する2人を見ながら、もう一度和田さんと組んだ方がいいと考えていました。

「絶対に和田と再結成した方がいい!」

CREA

周囲から背中を押された青山さんは、約1年ぶりに和田さんと話をすることになります。

ただし、そこで以前と同じ2人組へ戻ることにはなりませんでした。

和田の「ツッコミを入れた3人で」から岸を紹介される

再び話した際、和田さんから出たのが3人組にする案でした。

「ツッコミを入れた3人でやり直したい」

CREA

そこで同期から紹介されたのが、現在の3人目のメンバーである岸健之助さんでした。

岸さんもNSC東京校14期で、当時は青山さん、和田さん、岸さんの3人とも、それぞれの活動が思うように進んでいない時期でした。

3人でコントを始め、ネルソンズとして活動開始

こうして2010年4月、3人によるネルソンズがスタートしました。

幼なじみ2人のコンビが一度壊れ、同期の後押しと岸さんの加入を経て現在のネルソンズになっています。

結成当初から現在の和田さんの坊主頭というイメージが完成していたわけでもありません。

2026年3月には、青山さんがXで14年前の『爆笑オンエアバトル』初挑戦時の3人の写真を公開しており、髪のある和田さんを含む若手時代の姿を見ることができます。

ネルソンズの若手・下積み時代|劇場とアルバイトを続けた日々

ネルソンズを結成したからといって、すぐにテレビで知られるようになったわけではありません。

青山さん自身も、結成から売れるまでにはかなり時間がかかったと振り返っています。

2012年ごろは歌舞伎町のバーでもアルバイト

ネルソンズ結成から約2年後の2012年ごろ、青山さんは東京・新宿歌舞伎町のバーでアルバイトをしていました。

このころはまだ芸人として安定した生活を送っていた時期ではなく、劇場へ立ちながらアルバイトも続けていました。

このバーで後に妻となるチサトさんと出会ったことは、さらに14年近く後の2026年に明らかになります。

ただ、この時点ではネルソンズもまだ若手で、青山さんの日常には劇場とアルバイトが並んでいました。

2013年に∞ホールで初単独ライブ

2013年6月6日には、東京のヨシモト∞ホールでネルソンズ初の単独ライブ「脳みそまで筋肉とは言わせない」を開催しています。

開催直前のお笑いナタリーの取材では、3人が単独用に複数の新ネタを作っていたことや、普段とは違う音を使うなど、新しい試みに取り組んでいたことが紹介されています。

テレビで名前が広まるより前から、劇場で新しいコントを作り続けていた時期でした。

和田が坊主にするとキャラクターが固まり、客席の反応が変わる

活動を続けるなかで一つの変化になったのが、和田まんじゅうさんが坊主頭にしたことでした。

青山さんによると、和田さんが坊主になったことでキャラクターがはっきりし、客席にも受けるようになっていったといいます。

現在では和田さんの外見もネルソンズのコントを見た人に強く残る要素ですが、若手時代の途中で生まれた変化でした。

ネルソンズは結成した瞬間から現在の形が完成していたのではなく、劇場で試しながら3人の見え方を変えていきました。

2016年以降の転機|おもしろ荘からキングオブコントへ

結成から数年が過ぎたころ、ネルソンズにはテレビで名前を広げるきっかけが訪れます。

ただし、一つの番組で優勝した瞬間に仕事が一変したわけではありませんでした。

「おもしろ荘」優勝でも、すぐには売れなかった

2016年の『ぐるナイ おもしろ荘』でネルソンズは優勝しました。

若手芸人が広く知られるきっかけにもなる番組での優勝だったため、青山さんも大きな変化を期待していました。

しかし、本人の感覚は想像していたものとは違いました。

「これで売れる!」

CREA

そう思ったものの、すぐに仕事が急増したわけではなかったと振り返っています。

それでも少しずつ名前が知られるようになり、ネタ番組へ呼ばれる機会が増えていきました。

青山久志から「青山フォール勝ち」へ改名

同じ2016年には、青山さん自身にも現在まで続く大きな変化がありました。

2016年11月16日、それまで使用していた青山久志から「青山フォール勝ち」へ改名したことを本人がXで発表しています。

「フォール勝ち」は、相手の両肩をマットにつけて勝利するレスリングの言葉です。

大学で競技生活を終えてから約8年後、長く続けたレスリングがそのまま芸名の一部になりました。

2017年に賞レースで結果が続き、ネタ番組出演が増える

2017年には、ネルソンズの名前が賞レースでも目立つようになっていきます。

吉本興業の公式プロフィールには、「NHK新人お笑い大賞2017」決勝進出や「タウンワークプレゼンツBAKE-MON」準優勝、「にちようチャップリン お笑い王決定戦2017グランドチャンピオン大会」準優勝などが記録されています。

青山さんも、2017年ごろには複数のコンテストで上位へ入れるようになり、ネタ番組へ呼ばれる機会が増えたと振り返っています。

キングオブコント2019・2022で2度の決勝へ

ネルソンズのコント師としての歩みで大きな位置を占めるのがキングオブコントです。

2019年に初めて決勝へ進み、2022年にも再びファイナリスト10組へ選ばれました。

2022年大会は参加総数3018組の中から決勝まで進んでいます。

結成からすでに10年以上が経過しており、ワダヤマブルーの解散や劇場での若手時代を経た3人が、コントの全国大会で再び決勝へ戻ってきた時期でした。

ネルソンズはその後もキングオブコントへの挑戦を続けており、2026年大会でも準決勝35組へ進出しています。

2026年9月8日時点では決勝進出者の発表前で、結果は9月10日に大会公式YouTubeで発表される予定です。

レスリングとコントを続ける現在

大学卒業時にレスリング選手としての競技生活を終えた青山さんですが、レスリングそのものとの関係がなくなったわけではありません。

芸人になってからも競技経験を別の形で続けています。

キッズレスリングの指導者として競技へ関わり続ける

現在はトイカツ道場のキッズレスリングで監督・メインコーチを務めています。

2022年には教え子が全国大会で優勝し、トイカツ道場の公式サイトでも「監督 メインコーチは吉本芸人 ネルソンズ 青山フォール勝ち先生」と紹介されました。

その後も全国大会でメダルを獲得する選手が続き、かつて青山さんが長い時間を過ごした競技場へ、今度は指導者として立っています。

2023年には、自身が指導する選手たちが全国少年少女レスリング選手権大会へ出場したことをInstagramで報告しました。

4歳で始めたレスリングは、芸人になった後も「教える側」という形で現在まで続いています。

俳優にも活動を広げ、ネルソンズでは単独ライブを継続

芸人以外の活動では、映画やドラマで俳優として出演する機会も生まれました。

2024年には橋口亮輔監督の映画『お母さんが一緒』に出演し、江口のりこさん、内田慈さん、古川琴音さんらと共演しています。

一方、ネルソンズとしてコントを離れたわけではありません。

2025年には6年ぶりの単独ライブを行い、2026年1月には東京・YOSHIMOTO ROPPONGI THEATERで、結成17年目にして初めてとなる2日間の単独ライブ「FAMILY」を開催しました。

2026年夏にも3人でテレビ番組へ出演し、同年のキングオブコントでは再び準決勝へ進んでいます。

13年の交際を経て2026年に結婚

私生活では、若手時代から長く付き合ってきた女性との関係にも大きな節目がありました。

出会ったのはネルソンズ結成から約2年後の2012年です。

青山さんが働いていた新宿・歌舞伎町のバーに、後からアルバイトとして入ってきたのがチサトさんでした。

交際期間には一時離れていた時期もあったことを後に本人が明かしていますが、関係は長く続きました。

そして2026年2月25日、TBS系『水曜日のダウンタウン』の企画を通してプロポーズし、放送後に婚姻届を提出したことを発表しました。

結婚報告では妻と息子について触れ、これからは「家族3人トリオ」として暮らしていくことを伝えています。

ネルソンズの公式YouTubeでも、青山さん自身が結婚について報告しました。

島根県松江市で4歳から始めたレスリングは、大学で全国上位まで進んだ後、芸人になるという決断によって一度競技生活として区切られました。

大学4年の夏に幼なじみの和田まんじゅうさんへ電話をかけたことから芸人人生が動き出し、ワダヤマブルーの解散、岸健之助さんとの出会い、劇場での若手時代を経てネルソンズが現在まで続いています。

そして「フォール勝ち」という競技の言葉を芸名に残し、現在はコントを続けながら、子どもたちへレスリングを教える側としてもマットに立っています。

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