岸健之助の生い立ち|父親・高校・前職からNSC入学、ネルソンズ結成まで

人物プロフィール

生年月日
1983年8月9日
身長
168.5cm
血液型
B型
出身地
山口県 下関市
コンビ・グループ名
ネルソンズ
相方・メンバー
和田まんじゅう、青山フォール勝ち
結成年
2010年
所属事務所
吉本興業
養成所・スクール
NSC東京校 14期

ネルソンズのコントで、淡々とした口調や独特の間、役になり切った演技を見せているのが岸健之助さんです。

現在は青山フォール勝ちさん、和田まんじゅうさんと3人で活動していますが、岸さんは高校を卒業してすぐ芸人になったわけではなく、地元・山口県下関市で複数の仕事を経験した後、20代半ばになってNSC東京校へ入りました。

NSCでは最初から現在の3人だったわけでもなく、岸さんも別のコンビ活動を経験し、青山さんと和田さんも「ワダヤマブルー」を解散した後、それぞれ別の相手と活動していた時期があります。

そんな3人が同期の紹介で集まり、2010年4月1日にネルソンズを結成し、劇場や賞レースを重ねながら現在まで活動を続けてきました。

岸健之助の生い立ちと家族|山口県下関市で育った少年時代

岸健之助さんは1983年8月9日、山口県下関市出身で、吉本興業の公式プロフィールでも下関市が出身地として記載されています。

地元について聞かれたときも本人は「山口県」と答えており、子どもの頃には「きしけん」「きし」と呼ばれていました。

父親は約50歳年上の船乗り|年齢差のある家庭で育つ

岸さんの家族で特に印象的なのが、父親との大きな年齢差です。

2021年に38歳だった岸さんがテレビで家族の話をした際、父親は87歳で、父親が50歳のときに生まれた子どもだったと明かしています。

「僕50(歳)の時の子どもなんですよ」

Coconuts Japan

父親は世界を回る船に乗っていた船乗りで、ソマリア沖では乗っていた船が海賊と間違えられて拿捕されたこともあったと岸さんは話しています。

学校行事でも父親の年齢差は目立っていたようで、授業参観などでは周囲の父親よりかなり年上だったという思い出も残っています。

後年のプロフィールでは両親とも高齢だったことが紹介されており、岸さんは若手時代から、両親が元気なうちに仕事で結果を出したいという話をしていました。

小学生から始めた剣道|生活の中心になった少年時代

下関で育った岸さんは、子どもの頃から長く剣道に打ち込んでいます。

小学校から高校まで剣道を続けたと紹介されており、その腕前は剣道三段です。

吉本興業の現在のプロフィールでは趣味に「三角倒立」が挙げられていますが、若い頃から身体を動かしてきた経歴は、後に身体を大きく使うネルソンズのコントへ入っていく前の岸さんを知る手がかりの一つです。

下関で過ごした学生時代|工業高校と剣道、文化祭

中学を終えた岸さんは、地元の工業高校へ進みました。

この頃もまだ、芸人一本に進路を決めていたわけではありません。

下関工業高校へ進学|剣道を続け三段へ

岸さんの出身校として紹介されているのは、山口県立下関工業高等学校です。

同校は後に山口県立下関中央工業高校との再編で山口県立下関工科高校となっていますが、岸さんが在学していた当時は下関工業高校でした。

高校でもそれまで続けてきた剣道に取り組み、三段まで取得しています。

ネルソンズでは青山さんのレスリング歴や和田さんの格闘技経験が目立つ場面もありますが、岸さんにも学生時代から続く武道経験がありました。

文化祭ではバンド活動|まだ芸人を目指していなかった高校時代

剣道だけでなく、高校時代にはバンド活動もしており、文化祭のステージに立ったというエピソードがあります。

後に本人が19歳頃を振り返った際にも「バンドをやっている人」を格好いい存在として挙げており、当時はお笑いだけを追っていた青年ではありませんでした。

高校卒業を迎えた岸さんは大学へ進むのではなく、まず社会へ出て働く道へ進みます。

高校卒業後は複数の仕事へ|芸人になる前の岸健之助

高校を出た時点でも、岸さんの進路はお笑い芸人ではありませんでした。

地元で働きながら20代前半を過ごし、その途中で少しずつ芸人という仕事を意識するようになります。

19歳ごろに入れた金剛力士像のタトゥーと、その後の除去

岸さんの若い頃についてよく知られている出来事の一つが、腰に入れていた金剛力士像のタトゥーです。

これは芸人になってから入れたものではなく、本人によると19歳ごろ、まだ芸人を目指すより前に入れたものでした。

「かっこいいかなって思って入れました」

miyearnZZ Labo

入れる際には約2万5000円、その後の除去には約25万円かかったと話しており、ネルソンズを結成して間もない時期まで青山さんと和田さんもその存在を知らなかったそうです。

3人で中野サンプラザ前などを使ってネタ合わせをしていた頃、話の流れから初めてタトゥーの存在がメンバーに伝わりました。

タトゥーを入れていたこと自体は本人が公に話している事実ですが、それだけを理由に岸さんが「元ヤンだった」とする根拠にはなりません。

工場や船関係などの仕事を経験した20代前半

高校卒業後の岸さんは一つの職場だけで過ごしたのではなく、工場勤務をはじめ複数の仕事を経験しました。

芸人になる前には、埋め立てに関わる船でベルトコンベアの状態を見る仕事、漁港での仕事、自動販売機に関わる仕事なども経験したと紹介されています。

高校卒業からNSC入学までには数年間の社会人生活がありました。

後に「芸人以外の仕事を選ぶなら?」と聞かれた際、岸さんが答えた職業は「漁師さん」でした。

下関で育ち、海に関係する仕事も経験した岸さんらしい答えが、芸人になった後にも残っています。

岸健之助が芸人になったきっかけ|20代半ばでNSC東京校へ

仕事をしながら20代前半を過ごした岸さんに、お笑いを職業として考える時期がやってきます。

それまでの仕事を続けるのではなく、24歳になる年に養成所へ入るという大きな進路変更をしました。

品川祐に憧れ、「楽しそうな仕事」とお笑いを意識

岸さんが尊敬する芸人として名前を挙げているのが、品川庄司の品川祐さんです。

工場で働いていた頃に品川さんのブログを読み、お笑い芸人という仕事を具体的に意識するようになったというエピソードも伝えられています。

本人が後年、「芸人を志したきっかけは?」という質問に答えた言葉は非常に率直でした。

「こんなに楽しそうな仕事で金持ちになれるんだぁ〜と思ったから」

月刊芸人

工場などで働く生活を経験したあと、外から見た芸人の仕事の楽しさが、岸さんの新しい進路として現れました。

2008年にNSC東京校14期へ|最初のコンビと一人になった時期

岸さんは2008年にNSC東京校14期生として入学しました。

同じ14期には、後にネルソンズで一緒になる青山フォール勝ちさんと和田まんじゅうさんもいました。

ただし、入学した時点から3人で活動していたわけではありません。

青山さんと和田さんはNSC時代に「ワダヤマブルー」というコンビを組み、岸さんも別の相手とのコンビ活動を経験していました。

青山さんによると、後に3人が集まった頃には、岸さんを含めてそれぞれのコンビ活動がうまくいっていない状況だったといいます。

同期から青山・和田を紹介され、ネルソンズ結成へ

NSC卒業後、3人は一度それぞれ別の道を進みました。

そこから現在まで続くネルソンズが生まれたのは、華々しいスカウトではなく、コンビ活動につまずいていた同期同士が再び集まったことからでした。

解散したワダヤマブルーが「ツッコミを入れた3人」で再始動

青山さんと和田さんのワダヤマブルーは、NSCにいた頃には周囲の生徒から受けていたものの、卒業して一般の客の前へ出るとうまくいかなくなったと青山さんは振り返っています。

2人は衝突するようになり、NSC卒業から1年も経たないうちに解散して、それぞれ別のコンビへ移りました。

その後、同期からワダヤマブルーの再結成を勧められたとき、和田さんが出した案が2人にツッコミ役を加え、3人でやり直すことでした。

「ツッコミを入れた3人でやり直したい」

CREA

そこで同期から紹介されたのが岸さんでした。

青山さん、和田さん、岸さんの全員がそれぞれの活動で行き詰まっていた時期だったため、3人で組む話が具体的に進んでいきます。

岸の第一印象は「ワダヤマブルーだぁ〜」|2010年4月に3人で活動開始

岸さんにとって青山さんと和田さんは、NSC時代から存在を知っていた同期でした。

後に2人と初めて会ったときの印象を聞かれると、岸さんは「ワダヤマブルーだぁ〜」と答えています。

まったく知らない2人に突然誘われたのではなく、同じ14期の中で活動していたコンビに岸さんが加わる形でした。

M-1グランプリ公式サイトに記録されているネルソンズの結成日は、2010年4月1日です。

岸さんが加わり、青山さん・和田さんとの3人組「ネルソンズ」がここで正式に始まりました。

レスリング技から「ネルソンズ」へ|結成直後の役割と芸風

「ネルソンズ」という名前は、レスリングの技である「ネルソン・ホールド」に由来します。

青山さんは学生時代にレスリングで実績を残しており、和田さんにもレスリング経験があったため、3人の名前にも格闘技とのつながりが残りました。

岸さんはツッコミを加えたいという流れから加入しましたが、ネルソンズのネタでは役割が完全に固定されたわけではなく、後にはボケ側や強いキャラクターを演じる場面も増えていきます。

また3人とも身体能力が高く、初期から大きな動きやアクションを取り入れたコントが持ち味になっていきました。

劇場で過ごした若手時代|2013年に初単独ライブ

2010年に結成したネルソンズは、テレビへすぐ進出したのではなく、東京の劇場を中心にネタを重ねました。

岸さんにとっても、ここからが3人でコントを作り続ける若手時代の始まりでした。

ヨシモト∞ホールの「彩Member」へ|身体を使ったコントと岸のギャグ

ネルソンズは渋谷のヨシモト∞ホールなどへ出演しながら経験を積み、2013年には劇場の「彩Member」として活動していました。

この頃のネルソンズは、3人の身体能力を使った派手な動きや回転などをネタへ入れており、ネタ作りの中でも「どこで回転するか」が話題になるほどでした。

岸さんには「そうです、岸でーす!」という決めぜりふもあり、現在とはまた違った見せ方で舞台に立っていました。

一方で、3人は身体を使うだけではなく、コントで岸さんの演技そのものをどう見せるかも考えるようになっていきます。

初単独「脳みそまで筋肉とは言わせない」で演技と動きを磨く

結成から3年後の2013年6月6日、ネルソンズはヨシモト∞ホールで初単独ライブ「脳みそまで筋肉とは言わせない」を開催しました。

開催1週間前の時点で5本のネタが完成し、さらに残り1本を作っている最中で、普段とは違う音を使うなど初単独ならではの試みも行っていました。

このライブを前に、岸さんが自分の見てほしい部分として挙げたのは演技でした。

「僕も演技を見てほしいですね、動きとか」

お笑いナタリー

青山さんからも岸さんが生きるコントが多いと言われ、和田さんには岸さんの出来が単独ライブ全体を左右するとまで言われていました。

初単独の時点ですでに、岸さんの「演技と動き」はネルソンズのネタを支える要素になっていました。

2016年「おもしろ荘」優勝|それでもすぐには売れなかった

劇場で活動を続けたネルソンズに、テレビで名前を広げる大きな機会が訪れます。

ただし、その結果だけを境に一気に仕事が変わったわけではありませんでした。

和田の坊主をきっかけにキャラクターが定まり、客席の反応が変化

青山さんが後年のインタビューで転機として挙げている一つが、和田さんが坊主頭になったことです。

それまで3人が舞台に出ても十分な反応を得られない時期がありましたが、和田さんの見た目とコント内のキャラクターがはっきりしていくにつれ、客席の反応にも変化が出始めました。

岸さんと青山さんが和田さんをどう動かすかというネルソンズ独自の形も、劇場でネタを繰り返す中で少しずつ作られていきます。

「おもしろ荘」優勝後も劇場と賞レースを重ねた数年間

そしてネルソンズは、2016年の「ぐるナイ おもしろ荘」で優勝しました。

若手芸人にとって注目度の高い番組で結果を残し、3人も「これで売れる」と感じたものの、青山さんによれば、そこからすぐに大きなブレイクが訪れたわけではありません。

「おもしろ荘」優勝は重要な転機でしたが、優勝した瞬間がネルソンズの完成形ではありませんでした。

その後も劇場出演とネタ作りを続け、2017年にはNHK新人お笑い大賞の決勝、BAKE-MONや「にちようチャップリン」の大会などで上位へ進む機会が増えていきます。

テレビのネタ番組に呼ばれる回数も徐々に増え、結成から何年もかけてネルソンズという名前が広がっていきました。

2018年の単独ライブ「悲しみの果て」では、岸さんを前面に出した「岸選手」というコントも披露されています。

キングオブコント決勝へ|岸の女性役が現在の武器になるまで

劇場で長くコントを作り続けてきた3人にとって、キングオブコントは重要な挑戦になっていきます。

岸さん自身も賞レースでは強く緊張するタイプで、本番前には独特のルーティンを行っていました。

2019年に初のキングオブコント決勝進出

ネルソンズは2019年、キングオブコントで初めて決勝へ進出しました。

結成から約9年、2016年の「おもしろ荘」優勝からも数年が経った時期で、長くコントを続けてきた3人がようやく大会の決勝舞台へ立ちました。

決勝後、岸さんは自身のXで緊張したことや、たばこを何本も吸ったことなど、本番前の落ち着かない様子を率直に投稿しています。

賞レース前の岸さんには、袖で一度「空ゲロ」をして喉の引っ掛かりをなくしてから舞台へ出るという習慣もありました。

普段の淡々とした姿とは違い、大きな舞台の直前には強く緊張しながら、それでもネタへ入っていく岸さんの様子がメンバーの会話からも伝わります。

「文化祭前日」から現在に近い3人の形へ|岸の女性役が定着

ネルソンズのコントは、結成時からずっと同じ形だったわけではありません。

後年の青山さんが、現在のスタイルに近い最初のネタとして挙げているのが「文化祭前日」です。

和田さんを振り回す展開の中で、岸さんが女性役を演じる形が生まれ、そこから岸さんの役者としての見せ場も大きくなっていきました。

ツッコミ役を加えるためにネルソンズへ入った岸さんが、女性役でコントの中心に入るところまで役割が広がっていきます。

『エンタの神様』の収録では、プロデューサーの五味一男さんから女性役の演技について具体的な指摘を受け、同じ場面を何度も撮り直したこともありました。

数か月後、再び女性役で収録に臨んだ岸さんは、前回とは違う評価を受けます。

「首の動きが女性なんだよなぁ」

月刊芸人

ザ・ギースの尾関篤史さんからも女性役の演技を評価されたといい、岸さんの女性役は繰り返し演じる中でネルソンズの一つの武器になりました。

2022年に再び決勝へ|賞レース前の“空ゲロ”と3人のやり取り

ネルソンズは2020年、2021年もキングオブコントへの挑戦を続け、2022年に再び決勝進出を果たしました。

その過程では、岸さんのセリフが直前までうまく決まらず、青山さんと和田さんが「岸は間違える人」として受け止めながら舞台へ出たこともあります。

ある準々決勝では前日に追加された岸さんのセリフがライブで何度もうまくいかなかったものの、本番では岸さんが成功し、安心した直後に今度は和田さんが言葉につまずいたという出来事もありました。

ネタの中だけでなく、誰かが崩れたときに残る2人が受け止めながら舞台を続ける関係も、長い劇場生活の中で作られてきました。

下関への凱旋と現在のネルソンズ

キングオブコント決勝を経験した後も、ネルソンズはコントを軸にライブやテレビで活動を続けています。

岸さんにとっては、東京で長く活動した後に、生まれ育った下関へ芸人として戻る機会も生まれました。

2025年の凱旋ライブに約500人|両親も客席へ

岸さんは2025年、山口県下関市で凱旋ライブを行っています。

本人によると会場には約500人が集まり、ライブは温かい雰囲気の中で盛り上がり、客席には両親も来ていました。

終演後、岸さんは両親を会場の外まで送り届け、それから再び中へ戻ろうとします。

ところが入口のスタッフに出演者の岸さんだと気付いてもらえず、「再入場はできない」と止められてしまいました。

「今の今までやってたのに」

日刊スポーツ

少年時代を過ごした下関へ戻り、両親も見守る前で約500人を集めたライブの直後に起きた、岸さんらしいオチの付いた凱旋になりました。

2026年もキングオブコントへ|結成16年を超えた3人の現在地

2010年4月に始まったネルソンズは、2026年で結成16年を超えました。

長く活動していてもキングオブコントへの挑戦は続いており、2026年大会でも準決勝進出35組の中にネルソンズが入っています。

2026年9月9日時点では決勝進出者の発表前で、決勝へ進む10組と敗者復活戦へ進む10組は9月10日午後6時に大会公式YouTubeで発表される予定です。

2019年、2022年の決勝を経ても、3人は再びコント日本一を目指す舞台に立っています。

高校卒業後にいくつもの仕事を経験していた岸さんは、20代半ばになってからNSC東京校へ入りました。

そこで一度それぞれのコンビ活動につまずいた青山さん、和田さんと出会い直し、2010年からネルソンズとして劇場でコントを積み重ねてきました。

ツッコミ役として加わった岸さんは、長い活動の中で女性役や独特のキャラクターまで担うようになり、現在も3人で新しいコントを続けています。

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