人物プロフィール
青色1号でネタ作りを担当し、2025年にはキングオブコント初決勝へ進んだカミムラさん。
日常の会話や人間関係を切り取ったコントを作る人物ですが、お笑いとの最初の強い出会いは、15歳ごろにテレビで見た東京03でした。
ただ、その時点ですぐ芸人を志したわけではなく、実際に人生が動き始めたのは日本大学4年生で就職活動をしていたころです。
就活からお笑いへ方向を変え、地元・足立区の友人を連れて事務所のネタ見せを回り、何度もスベった末に養成所へ入りました。
そこから榎本淳さんと2人で青色1号を始め、さらに仮屋そうめんさんが加わり、現在知られる3人のコントトリオへ変わっていきます。
カミムラの生い立ちと家族|足立区で育ち、13年間続けた野球
カミムラさんの本名は上村典弘(かみむら・のりひろ)で、東京都足立区出身です。
現在の太田プロダクション公式プロフィールには、軟式野球を13年間続けていたことも掲載されています。
東京都足立区出身|13年間続けた軟式野球
後に芸人になるときも、養成所へ入る前の相方探しも、カミムラさんの話にはたびたび地元の足立区が登場します。
大学時代に初めて事務所のネタ見せへ挑戦した際にも、まだ芸人の相方が決まっていたわけではなく、足立区にいた友人へ声をかけて一緒に舞台へ向かっています。
一方、子どものころから長く続けていたのが野球で、公式プロフィールでは軟式野球歴13年とされています。
現在も趣味・特技として野球を挙げており、2025年に青色1号のYouTube企画が本格始動した際には、カミムラさんがキャッチャーをできることも紹介されました。
4人きょうだい|実家の父と「仲いい」と語る母
家族については、カミムラさん自身が4人きょうだいであることをインタビューで明かしています。
母の日について聞かれた際には、きょうだいが多いため、ほかのきょうだいに任せているという話もしていました。
大人になってから実家へ帰ったときには、父親が安価なビールを飲みながら業務用の柿の種を少しずつ食べ、袋を振って底へ沈んだピーナツを混ぜていたという、かなり生活感のある光景も語っています。
その父親の姿を不思議そうに眺めた話のあと、母親については仲がいいとも話していました。
芸人になった後の家族についてはこうした断片が残っていますが、カミムラさんの幼少期の家庭生活は、テレビやインタビューで細部まで語られているタイプではありません。
15歳で東京03を知る|日本大学時代にコントへ傾いていく
カミムラさんがお笑いについて語るとき、何度も名前が出てくるのが東京03です。
最初に強く意識したのは15歳ごろでしたが、ここでそのまま芸人への進路が決まったわけではありません。
『エンタの神様』で東京03を初めて見た15歳ごろ
カミムラさんは『エンタの神様』で東京03を見たことを、お笑いへ興味を持った大きな出来事として挙げています。
ただし、本人の記憶では15歳ごろの時点で将来の職業まで考えていたわけではありませんでした。
「その頃は将来お笑いをやるとは思っていなかったです」
TVガイドWeb
この時点では、東京03は「将来の職業」を決める存在というより、カミムラさんの中にコントという笑いを残した存在でした。
日本大学文理学部体育学科へ|大学4年でコントDVDとネタ作り
高校卒業後は日本大学文理学部体育学科へ進みます。
体育学科へ通っていた大学生が、すぐに学生お笑いの大会へ出続けていたわけではありません。
お笑いへの熱が具体的な行動に変わったのは、卒業後の進路を決める時期が近づいてからでした。
大学4年生になるころには、東京03だけでなくバナナマン、ラーメンズのDVDも繰り返し見ていました。
コントを見るだけでなく、自分でもネタを書くようになり、大学の授業中にコントを書いていたことも後に明かしています。
就活から芸人へ|足立区の友人を連れてオーディションを回る
大学4年生になれば、一般的には卒業後の就職先を考える時期に入ります。
カミムラさんも就職活動を始めましたが、その時間の中で別の方向へ動き始めました。
大学4年の就活で「お笑いをやってみよう」と進路を変更
就職活動中、企業の話を聞いていても内容が頭へ入ってこず、就活そのものを続けることに気持ちが向かなくなっていきました。
そこで、それまで好きで見続けていたお笑いを、自分でもやってみる方向へ動きます。
カミムラさんが実際に芸人への進路を選び始めたのは、東京03を初めて見た15歳ではなく、大学4年生で就活をしていた時期でした。
好きだったコント師のDVDを見ながら自分でもネタを書き、そのネタを実際に試すための相手を探します。
授業中に書いたコントで浅井企画へ|最初のネタ見せで大スベり
まだ養成所へ入る前だったため、コンビを組む芸人仲間もいませんでした。
そこでカミムラさんが頼ったのが、地元・足立区の友人たちです。
後のインタビューでは、足立区から暇そうな友人を見つけて声をかけたという調子で当時を振り返っています。
最初に向かったのは浅井企画のネタ見せでした。
大学の授業中に書き、自分ではかなり自信があったコントを持ち込みます。
ところが、結果は本人の予想とはまったく違い、ほとんど手応えを得られませんでした。
初めて外部へ持ち込んだ自信作がスベったことが、独学のまま続けず養成所を考えるきっかけになります。
複数事務所のネタ見せを回り、養成所へ進むことを決める
一度の失敗だけで終わったわけではありません。
地元の友人を誘いながら、トゥインクル・コーポレーション、ash&A、浅井企画、グレープカンパニーなど複数の事務所のネタ見せへ足を運びました。
当時のカミムラさんは、自分のネタならウケると思って参加していましたが、思うような反応は続きませんでした。
何度か外部のネタ見せへ参加した末に、「きちんと養成所へ入ったほうがいい」と考えるようになります。
33万円をアルバイト掛け持ちで用意し、太田プロ6期へ
養成所選びで重視したのは、かなり現実的な条件でした。
カミムラさんが選んだ太田プロエンタテイメント学院は、当時、入学金と授業料を合わせて33万円でした。
ほかの養成所より費用が安く、授業が週1回だった点にも魅力を感じたと話しています。
その33万円を親に用意してもらったわけではありません。
「バイトをかけ持ちして稼ぎました」
logirl
こうして2014年、太田プロエンタテイメント学院東京校の芸人コース6期へ入ります。
2015年3月に6期生を卒業しますが、現在の青色1号が最初から3人そろっていたわけではありませんでした。
ゴリラズから青色1号へ|養成所で榎本淳と組む
太田プロの養成所へ入った2014年、カミムラさん、榎本淳さん、仮屋そうめんさんは同期でした。
ただし、入学時点では3人とも別々のコンビで活動しています。
足立区の後輩と「ゴリラズ」|強面の2人で繊細なコント
カミムラさんが最初に養成所で組んでいたコンビは「ゴリラズ」でした。
相手は地元・足立区の後輩で、カミムラさんによれば、かなり怖そうな見た目の人物だったといいます。
2人は周囲からヤンキーコンビのように見られていました。
ところが、カミムラさんが東京03やバナナマンを好んでいたため、見た目とは反対に、2人が取り組んでいたのは静かで繊細な演技を使うコントでした。
現在の青色1号にある会話劇の雰囲気は、このころにはすでにカミムラさんの中にありました。
それぞれのコンビが解散し、カミムラから榎本を誘う
同じ6期だった榎本さんも、最初は別の相方と活動していました。
やがてカミムラさんのゴリラズと、榎本さんのコンビがそれぞれ解散します。
そこで2人が組むことになりました。
新しい相方として声をかけたのはカミムラさんの側でした。
「僕から『よかったら入って』って誘いました」
TVガイドWeb
2014年、カミムラさんと榎本さんの2人で青色1号として活動を始めます。
静かな会話劇から始まった2人の青色1号
2人時代の青色1号も、派手な動きや分かりやすいキャラクターを前面へ出すタイプではありませんでした。
人が座って話すような場面を使い、会話や演技で違和感を膨らませるコントを作っていました。
後に仮屋さん自身も、当時の2人のコントを静かで繊細なものだったと振り返っています。
「色+数字」で覚えやすく|青色1号というコンビ名へ
コンビ名を決める際には、覚えてもらいやすい名前について2人で考えました。
動物、色、数字などが入っていると記憶に残りやすいという話になりましたが、カミムラさんは前のコンビ「ゴリラズ」ですでに動物を使っていました。
そこで色と数字の両方が入っていた「青色1号」を選びます。
榎本さんも「ウォーターミカン」「虹色チャーハン」「幕末バックスクリーン」など複数の候補を考えていましたが、採用されたのは青色1号でした。
2人から3人へ|仮屋そうめん加入でコントが変わる
現在の青色1号を形作る大きな出来事が起きたのは、2人で活動を始めてからしばらくたったころです。
きっかけは、カミムラさんが書く台本そのものにありました。
3人必要な台本が増え、メンバー追加を考える
2人組として活動していた一方で、カミムラさんが考えるコントには3人いないと成立しない設定が増えていました。
そのため、いつか3人目を入れたいと考えるようになります。
そこで候補として浮かんだのが、同じ養成所6期の仮屋さんでした。
仮屋のコンビ解散後、カミムラから加入を打診
仮屋さんは養成所時代、地元・福岡の同級生と「フィルダースチョイス」というコンビを組んでいました。
養成所時代のライブでは上位に入ることが多かったコンビでしたが、約2年で解散します。
その後、仮屋さんは2カ月ほどピン芸人として活動しました。
1人でネタを続ける難しさを感じていたタイミングで、カミムラさんから青色1号への加入を持ちかけられます。
現在の3人がそろったのは、カミムラさんが「3人でなければできないコント」を書くようになっていたことと、仮屋さんのコンビ解散が重なったためでした。
加入を知らなかった榎本は「外される」と思い大きなニキビ
ところが、ここで一人だけ事情を知らされていなかった人物がいました。
榎本さんです。
いつものようにネタ合わせへ行くと、その場に仮屋さんがいました。
榎本さんが理由を尋ねると、仮屋さんから青色1号へ入ると告げられます。
事前説明がなかった榎本さんは、自分と入れ替わるのではないかと考えたそうで、そのストレスから大きなニキビができたことまで覚えていると話しています。
実際には榎本さんが抜ける話ではなく、2人から3人になるための加入でした。
2017年、カミムラさん、榎本さん、仮屋さんによる現在の青色1号が動き始めます。
翌週のモータースLIVEが3人での初舞台
3人になってから最初の舞台まで、長い準備期間があったわけではありませんでした。
仮屋さんが加入した翌週、ヤマザキモータースさんが主催する『モータースLIVE』へ出演します。
それまで青色1号を見てきた観客からすれば、名前は変わらないのに、ある日突然舞台上の人数が1人増えた状態でした。
しかし、3人で最初に披露したコントから客席の反応はよく、周囲の芸人からもトリオになって良くなったと言われるようになります。
モータースLIVEのランキングでもすぐに1位を取り、昇格した先のライブでも1位になりました。
静かな会話劇に仮屋のバカバカしさが加わり、ライブ1位へ
カミムラさんと榎本さんの2人だけで作っていたころは、演技や会話を重視するあまり、コントとしての分かりやすい笑いが少ないところもありました。
一方の仮屋さんは、もっとバカバカしいタイプのお笑いを好んでいました。
カミムラさんは後に、2人だけのコントを料理にたとえ、仮屋さんが加わったことで味が付いたような感覚だったと説明しています。
静かな人間関係を描くカミムラさんの台本に、仮屋さんの分かりやすいバカバカしさが加わり、現在の青色1号に近い形が生まれました。
若手・下積み時代|ライブと居酒屋夜勤を続けながらネタを磨く
3人になった直後からライブでは手応えを得ましたが、それだけで生活が一変したわけではありませんでした。
テレビへ広く出る前には、若手ライブとアルバイトを行き来する時期が続きます。
若手時代は楽屋の隅へ|尖っていたころのカミムラ
若手ライブへ出演し始めたころのカミムラさんは、現在よりも周囲の芸人と距離を取ることが多かったと振り返っています。
ライブ会場でもほかの芸人と積極的に話すタイプではなく、自分たちのネタへ意識を向けていました。
本人も後年、当時はかなり尖っていた時期だったと話しています。
K-PROでライブ仲間が広がっていく
ライブ活動を続ける中で大きな存在になったのが、若手お笑いライブを数多く開催するK-PROでした。
K-PRO代表の児島気奈さんらを通じて、少しずつほかの若手芸人との接点も増えていきます。
テレビより先にライブ会場で青色1号を知っていた芸人やスタッフが増え、その環境で何本もネタを試していきました。
2020年『ゴッドタン』で青色1号の“扱われ方”が変わる
ライブ外で青色1号の名前が広がるきっかけの一つになったのが、2020年8月の『ゴッドタン』でした。
「この若手知ってんのか!? 2020」の「とにかくヤバい次世代芸人」部門で青色1号が1位として登場します。
番組ではネタ作りに厳しいカミムラさんのキャラクターも取り上げられ、それまでライブでは少し怖く見られることもあったカミムラさんを、周囲がいじる流れが生まれました。
放送後にはYouTubeの登録者やSNSのフォロワーも増え、別の番組や先輩芸人から覚えてもらう機会も出てきます。
「どう出ればいいかを僕らが分かってなかったんで、それがほんの少し見えてきました」
ワラパー
ネタの評価だけではなく、テレビで3人がどう見えるかという部分でも変化が起きた時期でした。
居酒屋で客の会話をメモ|日常の人間関係をコントへ
カミムラさんのコント作りは、机の上だけで完結していたわけではありません。
居酒屋で働いていたころには、店内で聞こえてくる客同士の会話に耳を傾け、面白いと思った言葉ややり取りをスマートフォンへ残していました。
電車や街中でも、人が実際にどんな話し方をしているかを見ることがネタの材料になります。
青色1号のコントに登場する、少し気まずい人間関係や妙にリアルな会話は、日常で実際に耳にした人のやり取りから生まれることもありました。
ライブ増加で夜勤を辞め、Uber Eatsと賞金でつなぐ
芸人として活動する一方、カミムラさんは居酒屋の夜勤を続けていました。
しかしライブが増えてくると、夜勤明けの疲れた状態で舞台へ上がることが難しくなります。
2022年には居酒屋を辞め、その後はバイクを使ったUber Eatsの配達なども行いました。
同じ2022年にはライブ大会で得た賞金を生活費へ回すこともあり、舞台の本数は増えているのに、芸人の仕事だけで十分に暮らせるわけではない時期が続いていました。
2022年から結果が積み上がる|ABC・KOC・THE CONTEへ
ライブでネタを試し続けていた青色1号に、賞レースや大きな舞台で結果が出始めたのが2022年以降です。
一つの優勝で突然ブレイクしたのではなく、数年間にわたって少しずつ外へ名前が広がっていきました。
2022年ABC決勝とKOC初準決勝|大会で名前が広がる
2022年、青色1号は第43回ABCお笑いグランプリで決勝へ進みました。
同じ年にはキングオブコント2022で準決勝へ進み、サガミハラエッジ芸人バトルでは優勝しています。
ただ、最初のABC決勝では本人たちが納得できるようなネタの反応を得られず、翌年以降も大会へ挑戦を続けます。
2023年『THE CONTE』で憧れの東京03の前に立つ
2023年1月には『THE CONTEへの道』で観客投票1位となり、フジテレビ系『THE CONTE』への出演権を獲得しました。
『THE CONTE』のMCの一組は、カミムラさんがお笑いを好きになる大きなきっかけだった東京03です。
15歳ごろにテレビで初めて見た東京03の3人を前に、自分が書いた青色1号のコントを披露するところまで来ました。
収録後、カミムラさんは東京03の前でネタができたことを喜び、2022年のABCで思うようにいかなかった分も含めて、強い手応えを感じていました。
初単独ライブ『ちょっとだけバカ』を開催
2022年にABC決勝、KOC準決勝へ進んだ流れを受け、事務所から単独ライブを提案されます。
2023年6月、青色1号は初の単独ライブ『ちょっとだけバカ』を開催しました。
カミムラさんは、単独ライブだけで一気に代表作を作るというより、普段のライブでネタを下ろし、何度も試しながら仕上げていく方法を好んでいます。
青色1号は単独ライブだけでなく、普段のライブでも新しいコントを客前へかけ、反応を見ながら何度も修正を重ねています。
所属事務所の「太田プロライブ月笑」も、3人が継続してネタを披露してきた重要な舞台の一つです。
カミムラさんはネタを8割ほど作った段階で2人へ見せ、仮屋さんから出たアイデアなども加えながら、3人で合わせて仕上げていきます。
2024年ABC準優勝と「月笑」年間チャンピオン
2024年、第45回ABCお笑いグランプリへ出場した青色1号は、決勝Bブロックを勝ち抜きました。
最終ステージには令和ロマン、青色1号、ダウ90000の3組が残ります。
青色1号は655点を獲得し、659点だった令和ロマンとわずか4点差で準優勝となりました。
同じ2024年には所属事務所のライブ「太田プロライブ月笑」年間チャンピオンにもなり、長く出演してきたライブの場でも年間王者を獲得しました。
2020年のテレビ出演、2022年の賞レース決勝、2023年のTHE CONTE、2024年のABC準優勝と、青色1号の知名度は一度ではなく段階的に上がっていきました。
キングオブコント2025初決勝4位|ライブで磨いた3人のコント
2025年、青色1号にとってさらに大きな舞台がやってきます。
史上最多となる3449組がエントリーしたキングオブコント2025で、初めて決勝進出を決めました。
新ネタライブを重ね、決勝で披露するネタが生まれる
カミムラさんのネタ作りは、賞レース直前だけ突然始まるものではありません。
日常的にライブへ出て新しいネタを試し、反応が弱ければ捨て、手応えがあれば何度も修正することを繰り返してきました。
本人によれば、いいネタには最初に下ろしたときから何かしら雰囲気があり、まったく反応がないものは早い段階で手放すこともあります。
長くライブへ出続けてきたこと自体が、キングオブコントのためのネタを磨く場所になっていました。
結成後初のKOC決勝で4位
2025年9月、青色1号は準決勝を突破し、初の決勝進出を決めます。
太田プロの養成所から育った3人にとって、事務所を背負う意味も大きな大会でした。
「事務所初の優勝を持って帰りたいです!」
TBSテレビ「キングオブコント2025」
10月11日の決勝で青色1号は458点を獲得し、最終結果は4位でした。
優勝には届かなかったものの、青色1号にとって初めて全国放送のキングオブコント決勝でネタを披露した大会になりました。
「月笑」も2年連続年間チャンピオンへ
KOC決勝後も、活動の中心からライブが消えたわけではありません。
2025年12月には「太田プロライブ月笑2025クライマックスシリーズ」を制し、前年に続いて2年連続の年間王者となりました。
テレビや賞レースで名前が知られ始めた後も、所属事務所のライブで毎月ほかの芸人と競う生活は続いています。
現在もライブの現場へ|KOC後に変わった仕事と変わらないネタ作り
キングオブコント決勝後、青色1号を取り巻く仕事にははっきりと変化がありました。
一方で、カミムラさんがネタを書き、3人でライブへ出て試すという日々は現在も続いています。
2026年、第2回単独ライブ『オトコハツライヨ』
2026年3月10日と11日には、東京・座・高円寺2で青色1号の第2回単独ライブ『オトコハツライヨ』を開催しました。
2日間の公演では7本のコントを用意し、そのうち5本が新ネタでした。
キングオブコント決勝へ進んだ後も、新しいコントを作り、観客の前へ持っていくことが次の活動になっています。
KOC翌月に収入40倍、それでもライブ中心の日々
KOC決勝は、仕事量にも変化を与えました。
2026年7月にカミムラさんがテレビ番組で明かしたところでは、KOC決勝へ進んだ翌月の芸人としての収入は、それまでの約40倍になりました。
ただし、元の月収がおよそ4000円だったため、40倍になっても約16万円だったと説明しています。
その後もお笑いの仕事による月収が約7万円だった時期があり、ライブによっては1人あたりの出演料が600円ということもありました。
一方で、出演するライブ自体は月30本前後に及んでいます。
キングオブコント決勝で4位になっても、すぐにライブ中心の生活が終わったわけではありませんでした。
2026年4月から初の地上波ラジオレギュラー
KOC後に増えた仕事の一つがラジオです。
2026年4月からFM FUJIで『フニャフニャ伝説』がスタートし、青色1号にとって初の地上波ラジオレギュラーとなりました。
番組は毎週火曜21時から23時の生放送で、乃木坂46の愛宕心響さんとともに出演しています。
ネタ番組だけでなく、3人が長い時間しゃべる仕事も活動の一つになりました。
東京03から始まった人間模様のコントを現在も追い続ける
KOC決勝後はテレビ出演やラジオなど新しい仕事が増えましたが、カミムラさん自身はネタへの向き合い方が大きく変わったとは考えていません。
2026年のインタビューでも、まず考えているのは「5分で面白いものを作る」ことだと話しています。
「僕ら史上では、キングオブコント決勝が一番影響力あったのかなと思います」
ワラパー
東京03だけでなく、バナナマンやおぎやはぎなど、人と人との関係を笑いにする芸人から受けた影響も現在まで残っています。
居酒屋で客の会話をメモしていた若手時代から、KOC決勝を経験した現在まで、カミムラさんが探している題材は、特別な世界よりも身近な人間関係です。
15歳でテレビ越しに見た東京03から始まり、大学4年の就活で芸人へ進路を変え、榎本さん、仮屋さんとの青色1号で自分のコントを作る側になりました。
足立区の友人を連れてネタ見せへ行っていた大学生は、養成所と若手ライブを経て、2025年にキングオブコントの決勝へ立ちました。
仕事の種類が増えた2026年も、カミムラさんはライブへ出ながら、次の5分間のコントを書き続けています。












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