人物プロフィール
M-1グランプリで見せた熱量の高いツッコミや、「見せ算」のような独特なネタで知られるさや香・新山さん。
現在の姿からさかのぼると、子どものころはダウンタウンの松本人志さんに夢中になり、高校では野球部の先輩に誘われて文化祭の漫才へ出ています。
その後は大阪府立高津高校から大阪教育大学へ進みましたが、大学2回生のときには学校の先生になる道とは別に、お笑いの世界へ足を踏み入れました。
大学へ通いながらNSC大阪校34期へ入り、そこから現在の石井さんと組むまでには、別のコンビで活動していた時期もあります。
新山さんがどんな家庭で育ち、高校や大学でどんな時間を過ごし、なぜ芸人を選び、ほとんど接点のなかった石井さんと「さや香」を組むことになったのか、順番にたどっていきます。
新山の生い立ちと家族|東大阪で育ち松本人志に夢中だった少年時代
新山さんは1991年10月17日生まれ、大阪府東大阪市出身で、現在の吉本興業公式プロフィールでも東大阪市出身と紹介されています。
父、母、妹がおり、父親は子どものころから勉強や進路について厳しい存在だったことを、新山さん自身が後年の番組などで語っています。
『ダウンタウンDX』を見て松本人志に憧れ、書道でも名前を書くほど好きに
新山さんのお笑いとの最初の接点として何度も登場するのが、ダウンタウンです。
子どものころに『ダウンタウンDX』を見て、松本人志さんを好きになりました。
その熱の入り方は、テレビを見るだけでは終わりませんでした。
学校の書道では「松本人志」と書いて掲示したことがあり、家でも松本さんへの憧れを隠していなかったため、父親から「自分が親だ」という意味のツッコミを入れられたこともあったそうです。
「松本さんが大好きになり」
ch FILES
ただし、この時点ですでに芸人になると決めていたわけではありません。
お笑いは身近にありましたが、職業として芸人を選ぶ決断は、もっと後の大学時代にやってきます。
中学時代は硬式野球に打ち込み、筒香嘉智とも対戦
中学生になると、新山さんはボーイズリーグで硬式野球をしていました。
当時、近隣のチームには後にプロ野球で活躍する筒香嘉智さんがおり、何度も試合で対戦しています。
新山さんの記憶に強く残っていたのは、選手としてすでに目立っていた筒香さんだけではなく、その父親でした。
相手チームにも気さくに話しかけ、自分でボケて豪快に笑う姿が印象的で、新山さんたちの間では筒香さんの父親のモノマネまで流行っていたといいます。
野球を続けながら、お笑い番組を見る生活も続いていましたが、まだ本格的に舞台へ出る生活とは離れていました。
高津高校時代|野球部の先輩に誘われた文化祭で初めて漫才へ
新山さんが進学したのは大阪府立高津高校です。
この高校時代に、テレビでお笑いを見る側だった新山さんが、実際に人前で漫才をする機会が生まれます。
高校2年の文化祭で漫才に挑戦し、唯一の2年生コンビで優勝
高校2年生の文化祭では、3年生たちが複数の漫才コンビを作って出演することになり、「2年生も1組入れよう」という話が出ました。
そこで野球部の先輩から声をかけられたのが新山さんです。
以前から漫才に興味はあったものの、外部の大会へ出るほどではなく、文化祭なら一度やってみたいと参加しました。
先生たちが審査する形で順位が決められ、唯一の2年生コンビだった新山さんたちが優勝しました。
翌年も文化祭で漫才をしており、高校時代に人前で漫才をした経験は計2回ほどだったと本人が話しています。
学校裏の公園でネタを練習し、本番では3分の予定が約7分に
文化祭へ出ると決まっても、当時はネタ作りや立ち方を教えてくれる人がいたわけではありません。
新山さんは相方役の友人と高校の裏にある公園へ行き、本を手に持ちながら、見よう見まねで漫才を練習していました。
「僕も高校の裏の公園で、見よう見まねで、二人で立って、本持ってやってました」
ch FILES
客席を想像しながら作り込むというより、まずは二人で漫才らしい形を作ってみるところから始まっています。
本番では3分ほどと言われていたところを、緊張と尺の感覚が分からないまま進め、本人の記憶では7分ほどまで伸びてしまいました。
興味深いのは、後年その文化祭漫才の映像を同窓会で見たとき、新山さんが当時のネタ作りと初期のさや香の方向性にそれほど大きな違いを感じなかったことです。
高校生のころから、新山さん自身がネタを考える側に回っていました。
高校1年4組で出会った大迫さんとは、テレビの世界に入った現在も親友
高校時代の人間関係で、芸人になった後まで続いている人物がABCテレビの大迫ディレクターです。
二人は高校1年生の「1年4組」で同級生として出会いました。
一方は芸人、一方は『相席食堂』や『M-1グランプリ アナザーストーリー』などを手がけるテレビスタッフとなり、別々の入口からお笑いの仕事へ進んでいます。
2024年にはABCラジオで『さや香・新山 同級生ラジオ1年4組』が放送され、高校時代を知る同級生たちの証言も交えながら学生時代が振り返られました。
大阪教育大学への進学|教員を考えていた新山が芸人へ傾いた転機
高校卒業が近づいたころ、新山さんが考えていたのは、すぐ芸人になる進路ではありませんでした。
学校の先生になることも考え、大学受験へ向かいます。
第一志望に届かず、家族の希望を受けて大阪教育大学へ
大学受験では第一志望に届かず、新山さん自身は浪人してもう一度挑戦することを考えていました。
しかし父親からは、浪人にかかる費用の問題もあり、合格していた国立大学へ進んでほしいと伝えられます。
その大学が大阪教育大学でした。
新山さんは家族の希望を受け入れて進学しますが、第一志望ではなかったことで、大学生活への向き合い方が大きく変わりました。
大学へ行く代わりに「好きなことをやる」と決め、自分でNSCの費用を準備
父親の希望どおり大学へ進む一方、新山さんの中には「それなら自分の好きなこともやってみたい」という気持ちが生まれました。
「その代わりに自分の好きな事をやってみようと思ったんです」
琉球新報
そこで選んだのが吉本興業の養成所NSC大阪校でした。
親に費用を出してもらうのではなく、自分でお金を用意してNSCへ入っています。
吉本興業の公式プロフィールでは、2012年にNSC大阪校34期へ入ったことが確認できます。
大学2回生でNSC大阪34期へ入り、大学とのダブルスクール生活へ
NSCへ入ったのは大学2回生のときでした。
本人は後年、当時を大学とNSCの「ダブルスクール」のような感覚だったと表現しています。
大阪教育大学で学校の先生になる道も残っていたため、芸人としてうまくいかなければ辞めてもいいという気持ちもあり、最初から後戻りできない覚悟だけで飛び込んだわけではありませんでした。
大学生として生活しながら、同時に吉本の養成所でネタを作り、人前へ出る準備を始めた時期です。
父には作家コースと説明するも、部屋に増えた小道具から芸人活動が発覚
父親は、新山さんが教員ではなく芸人の道へ進むことに強く反対していました。
そのためNSCへ入り始めたころは、家では芸人コースではなく「作家コースへ通っている」と説明していた時期があります。
ところが、活動を続けるうちに自室へコントで使う小道具が増えていきます。
作家志望と言っていた息子の部屋に舞台用の物が増えていけば、不自然さは隠しきれません。
やがて芸人として活動していることが知られ、父親から強く反対されながらも、新山さんはお笑いを続けました。
父親は後になってライブをこっそり見に行っていたことも明かしており、芸人になるという選択をめぐる親子の関係も、年月とともに変化していきます。
NSC時代と元相方|さや香の前に経験したコンビ「オリオン」
NSC大阪校34期には現在のお笑い界で活動する芸人が複数いましたが、新山さんは入学後すぐ石井さんと組んだわけではありません。
現在のさや香にたどり着く前に、別の相方とネタを作る時期を経験しています。
NSCでは大学と両立しながらネタを作る生活へ
大学在学中だった新山さんにとって、NSCは学校生活と並行して通う場所でした。
そこで漫才やコントを実際に作り、ネタを見せて評価される芸人の世界へ入っていきます。
高校の文化祭では友人と見よう見まねで作っていた漫才が、ここからは仕事につながるネタ作りへ変わっていきました。
﨑山祐と「オリオン」を組み、ネタ作りの違いを経験
さや香以前に新山さんが組んでいた相手の一人が、後にファイヤーサンダーとして活動する﨑山祐さんです。
二人のコンビ名は「オリオン」でした。
2025年には新山さんの公式YouTubeで元相方の﨑山さんを招き、当時のコンビについて二人で話しています。
二人ともネタを作る側でしたが、﨑山さんは大量にネタを考えるタイプで、新山さんは当たるか分からないものも試してみたいタイプだったため、ネタへの向き合い方には違いがありました。
現在それぞれ別のコンビでネタ作りを担う二人が、若手時代には一つのコンビで一緒にネタを作っていました。
コンビ解散後、「次はボケをやりたい」と新しい相方探しへ
オリオンなど以前のコンビ活動が終わったころ、新山さんは次の相方を探すことになります。
その時点で新山さんがやりたかったのはボケでした。
一方、同じNSC34期に、新山さんとは反対に、それまでボケをしていたものの「次はツッコミをやりたい」と考えていた人物がいました。
それが後の相方となる石井さんです。
石井との出会いとさや香結成|ほとんど話したことのない同期とコンビへ
新山さんと石井さんはNSC大阪校34期の同期ですが、養成所時代から親しい間柄だったわけではありません。
石井さんによれば、舞台袖で一度会話した程度というほど接点が少ない同期でした。
前コンビを解散した2人をトニーフランクがつなぐ
二人が近づいたのは、それぞれが以前のコンビを解散し、新しい相方を探していた時期です。
石井さんはボケからツッコミへ移りたいと考えており、新山さんはボケを担当したいと考えていました。
そのタイミングで、ボケ希望の新山さんがいることを知った同期芸人のトニーフランクさんが二人をつなぎました。
「接点がないままコンビを組んだんです」
anan
学生時代からの親友でも、幼なじみでもありません。
別々のコンビが終わり、二人がちょうど逆の役割を求めていた時期が重なったことで、現在の組み合わせが生まれました。
2014年にさや香を結成し、新山がボケ・石井がツッコミへ
吉本興業の公式プロフィールでは、さや香の結成は2014年です。
初期は新山さんがボケ、石井さんがツッコミを担当し、新山さんがネタ作りの中心になりました。
2017年より前のインタビューでも、新山さん自身の考えや恋愛観などを強く盛り込んだネタを作り、石井さんが横から受ける形を二人の漫才の色として説明しています。
現在の「新山がツッコミ」という印象とは、スタート時点の役割が逆でした。
「リンゴの唄」案から「さや香」へ決まったコンビ名
コンビ名も最初から「さや香」に決まっていたわけではありません。
新山さんは当初、二人とも椎名林檎さんが好きだったことなどから「リンゴの唄」という名前を考えていました。
しかし同期からもう少し考えた方がいいのではないかと言われ、別案を検討します。
最終的には「さや香」という音の響きを新山さんが気に入り、その名前で書類を出しました。
「初恋の女性の名前」という説明をしていたこともありますが、本人たちは後にそれをギャグとして話しており、実際には「さや香」という響きを気に入ったことが名前を決めた理由だと説明しています。
若手時代とよしもと漫才劇場|チケットを手売りしていた頃
コンビ結成後は、すぐ全国的に知られたわけではなく、大阪の劇場を中心に漫才を作り続けました。
その生活が目に見えて変わる最初の大きな出来事が、2017年のM-1グランプリでした。
約300席の劇場で単独ライブのチケットを自分たちで販売
若手時代のさや香は、約300人規模のよしもと漫才劇場で単独ライブを行っていました。
当時は「チケットあります」と書いたパネルを持ち、自分たちで観客へ声をかけて手売りしていたと石井さんが振り返っています。
新山さんはネタ作りにもかなりの時間を使っており、ある時期にはライブのため毎月6本ほど新ネタを作っていました。
テレビへ出る以前から、劇場で新しいネタを繰り返し試す生活が続いていました。
2017年M-1初決勝で、劇場のチケットの売れ方が変わる
2017年、結成3年のさや香はM-1グランプリ決勝へ初めて進出します。
決勝では「歌のお兄さん」を題材にした漫才を披露し、公式記録では628点でした。
最終決戦には届きませんでしたが、テレビ出演後は劇場で明確な変化が起こります。
それまで自分たちで手売りしていた単独ライブのチケットが、M-1出演後は手売りをしなくても売れるようになりました。
テレビの仕事も増え、石井さんは2019年のインタビューで、ようやく芸だけでぎりぎり生活できるようになった時期だったと語っています。
2017年の決勝は「優勝して一気に完成した瞬間」ではなく、劇場の外でも名前を知ってもらう最初の大きな入口になりました。
初決勝後もM-1で結果が続かず、漫才スタイルを模索
一度M-1決勝へ進んでも、そのまま毎年ファイナリストになれたわけではありません。
2018年から2020年は3年続けて準々決勝で敗退しました。
その間、2019年にはNHK上方漫才コンテスト、2020年には歌ネタ王決定戦で結果を残していますが、M-1では2017年の次の決勝が遠い状態が続きました。
新山さん自身も、2017年に披露したスタイルの延長だけでは先へ進めない感覚を持つようになります。
ボケとツッコミを入れ替える決断|2021年に漫才を大きく変更
2017年の初決勝から数年たったころ、さや香は漫才の根本に手を入れます。
コンビを結成したときから続いていた「新山がボケ、石井がツッコミ」という役割そのものを変えることになりました。
「歌のお兄さん」型の限界から新しいスタイルを試行
2017年の決勝で披露した「歌のお兄さん」の漫才について、新山さんはネタ自体に手応えを持っていました。
しかし決勝では628点で、本人が期待したほどの結果にはなりませんでした。
「このスタイル自体がもう限界なんだな」
Number Web
その後は、新山さんが自分の考えていることを一気にしゃべる形など、別のスタイルも試しました。
それでもM-1で決勝へ戻れない期間が続き、次に試したのが役割そのものの入れ替えでした。
新山の提案で石井をボケ、新山をツッコミへ
2021年夏ごろ、新山さんの提案で石井さんをボケ、新山さんをツッコミにする新しい形を試し始めます。
石井さんは当初、新山さんが何をしたいのか分からなかったと話していましたが、新しい役割用のネタを作り、単独ライブなどで試していきました。
M-1では2021年の3回戦から入れ替えた形で挑戦しています。
新しい相方を探すのではなく、同じ二人の中で役割を反転させることで漫才を作り直しました。
「からあげ4」など実験的なネタを経て新しいさや香へ
役割交代後、新山さんのネタ作りには「結果が読めないものでも試す」という性格がよりはっきり表れます。
2021年のM-1敗者復活戦で披露した「からあげ4」は、その一例です。
新山さんは後年、「からあげ4」と「見せ算」を自分の中では近い系統のネタとして挙げ、ウケるか分からないラインを試したいという考えを話しています。
ボケとツッコミを替えただけではなく、何を漫才にするのかというネタの選び方も変化していきました。
M-1 2022で再び決勝へ|役割交代後の漫才で準優勝
役割を入れ替えてから迎えた2022年、さや香は2017年以来5年ぶりにM-1の決勝へ戻ります。
以前の「新山がボケ、石井がツッコミ」という姿を知る視聴者にとっても、二人の漫才は大きく変わっていました。
5年ぶりのM-1決勝でファーストラウンド1位
M-1グランプリ2022では、ファーストラウンドで667点を獲得しました。
この得点は10組中1位で、ロングコートダディ、ウエストランドとともに最終決戦へ進みます。
最終投票ではウエストランドが優勝し、さや香は準優勝となりました。
2017年の初決勝から5年、ボケとツッコミを入れ替えた新しい漫才で再びM-1の最終決戦まで進みました。
一度決勝へ出た後に結果が続かなかった時期と、役割を変えて試行錯誤した期間があったため、2022年は単純な「2度目の決勝」以上の転機になっています。
準優勝を機に東京進出を考えるも、「見せ算」のため大阪に残る
2022年の準優勝後、新山さんは活動拠点を東京へ移すことも考えました。
もう一度大阪に残ってM-1へ挑むのか、それとも東京へ進みM-1からいったん離れるのかを考えたといいます。
そのとき、新山さんの中にはすでに「見せ算」というネタがありました。
「見せ算のために大阪に残った」
ABCマガジン
M-1でそのネタを披露したいという気持ちが、東京進出を1年先送りする理由の一つになりました。
M-1 2023の「見せ算」から東京進出へ
2023年も、さや香はM-1決勝へ進出しました。
前年の準優勝によって注目度が上がった状態で、新山さんは大阪に残る理由にもなった「見せ算」を持って大会へ臨みます。
ファーストラウンド1位から最終決戦へ
2023年のファーストラウンドでは659点を獲得し、再び1位で最終決戦へ進みました。
最終決戦には令和ロマン、ヤーレンズ、さや香の3組が残ります。
そこで新山さんが選んだのが、数を見つめ合せるという架空の計算方法を扱った「見せ算」でした。
結果は3位となりましたが、前年とはまったく違う方向のネタを最終決戦へ持ち込みました。
2021年から続けてきた「結果が読めなくても新しいものを試す」という新山さんのネタ作りが、M-1の最後の舞台にもそのまま表れました。
2024年春、大阪を離れて東京へ活動拠点を移す
「見せ算」をM-1で披露した翌年の2024年春、さや香は大阪から東京へ活動拠点を移しました。
2月によしもと漫才劇場のイベントで東京進出を発表し、4月から東京での活動を本格化しています。
大阪ではNSC時代から劇場でネタを作り、チケットを手売りしていた時期を経て、M-1へ3度進出しました。
2022年に一度考えた東京進出は、「見せ算」をM-1で披露した後の2024年に実現しました。
東京進出後の新山|漫才からR-1・俳優・ピン活動へ
東京へ移ってからも、新山さんの活動の中心からネタが消えたわけではありません。
コンビで漫才を続ける一方、一人でネタをする機会や、漫才とは異なる仕事も増えていきます。
2025年にR-1グランプリで初の決勝進出
2025年には、ピン芸日本一を決めるR-1グランプリ2025で決勝へ進出しました。
M-1では石井さんとの漫才を作ってきた新山さんが、一人で4分間のネタを成立させる大会へ進んだ形です。
決勝前のインタビューでは、仕掛けよりも言葉と熱量を前面へ出すネタになると話していました。
高校時代から続いていた「自分でネタを考えて人前へ出る」という行動は、コンビだけでなくピンの舞台にも広がっています。
俳優業にも進みながら、さや香として漫才を続ける
新山さんは2025年にドラマ『トーキョーカモフラージュアワー』や『相続探偵』にも出演し、俳優としての仕事も経験しました。
一方で、さや香は現在も吉本興業に所属し、渋谷よしもと漫才劇場や神保町よしもと漫才劇場の所属芸人として掲載されています。
2026年にも新山さん単独のピンネタやトークを扱うライブが組まれており、コンビの漫才だけに活動を絞っているわけではありません。
東大阪で『ダウンタウンDX』を見ていた少年は、高津高校の文化祭で初めて漫才を作り、大阪教育大学へ進んだ後、自分で費用を用意してNSCの門をたたきました。
元相方との活動を経て石井さんと出会い、さや香を結成してからも、役割を入れ替えたり、結果の読めないネタを試したりしながら漫才の形を変えてきました。
現在はコンビの漫才を続けながら、ピンネタや俳優などにも活動を広げています。












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