さや香・石井の生い立ち|高校漫才と大学時代、公務員志望から芸人になったきっかけ

人物プロフィール

本名
石井 誠一
生年月日
1988年5月28日
血液型
unknown
出身地
大阪府 大阪市
コンビ・グループ名
さや香
相方・メンバー
新山
結成年
2014年
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
2012年
養成所・スクール
NSC大阪校 34期

M-1グランプリで2年連続ファーストラウンド1位を記録し、ダンスを生かしたネタでも知られるさや香・石井さん。

現在の舞台で見せる動きの大きさとは対照的に、本人は中学時代まであまり目立つタイプではなかったと話しています。

高校へ進むと自分から漫才を始め、大学卒業が近づくころには公務員を目指す道と芸人になる道の間で迷いました。

高校時代に人前で漫才をして笑いを取った経験が、大学卒業後に「芸人」を選ぶところまで残っていました。

そこからNSC、以前のコンビ「ハナガタ」、新山さんとの出会い、アルバイト生活、M-1へと時間を進めながら、石井さんがどう芸人になったのかをたどります。

石井の生い立ちと家族|姉の影響で小学生からお笑いに親しむ

石井さんは1988年5月28日、大阪府大阪市生まれで、吉本興業の公式プロフィールでも大阪市出身とされています。

芸人になるよりずっと前から身近にあったのがテレビのお笑いで、そこには年の離れた姉たちの存在がありました。

10歳以上離れた2人の姉と『ごっつええ感じ』を見ていた小学生時代

石井さんには10歳以上年の離れた姉が2人いて、小学生のころは姉たちが見ていたテレビ番組を一緒に見ていました。

その中で本人がお笑いの原体験として挙げているのが、ダウンタウンの『ダウンタウンのごっつええ感じ』です。

「『ダウンタウンのごっつええ感じ』かな。」

ch FILES

自分でネタを作ったり舞台へ立ったりしていた時期ではありませんが、家の中で姉たちとお笑い番組を見ることが、石井さんにとって最初のお笑いとの接点でした。

のちに高校で実際に漫才を始めたときには、ブラックマヨネーズやチュートリアルなど、M-1で活躍した芸人の漫才を参考にするようになります。

父が47歳のときに誕生|年齢の離れた家族の中で育つ

父親との年齢差も石井さんの家族を語るうえで特徴的です。

2017年のM-1グランプリ公式インタビューでは、父親が47歳のときに自分が生まれたことを本人が明かしています。

「父親が47歳のときに生まれたので、一番早く親孝行をしたい」

M-1グランプリ公式サイト

石井さんが20代後半でM-1決勝へ進んだ時点で、すでに父親は70代になっていました。

母親や姉たちの氏名、職業などについては本人の公式プロフィールでは詳しく公表されておらず、家族の個人情報を推測できる材料は広げず、本人が公に話している範囲で追うのが適切です。

中学から高校へ|漫才を始めて「高校デビュー」

小学生のころからお笑いを見ていた石井さんですが、自分が人前で笑いを取る側へ移ったのは高校時代でした。

しかも、本人の話では中学から高校へ進む間に性格の見せ方をかなり意識して変えています。

中学まで目立たなかった石井が「一回目立ってみよう」と決める

石井さんが通っていたのは中高一貫校で、中学から高校へ進んでも周囲の顔ぶれが大きく変わる環境ではありませんでした。

本人は中学時代までの自分をかなり控えめなタイプだったと説明しています。

「一回目立ってみようと思って漫才をやってみたんです。」

ch FILES

環境が変わったからではなく、自分から人前へ出る行動を始めたことで高校生活が変わっていきました。

漫才を始めたあとには学級委員を務め、運動会では応援団長も経験しています。

中学までの自分を知っている同級生たちがいる中での変化だったため、相方の新山さんも後年のインタビューで、その「高校デビュー」を面白がっていました。

校内の漫才で勝ち、父兄会の講堂で学年と保護者の前へ

高校には石井さん以外にも漫才をする生徒がおり、何組かが参加する中で勝ち上がった経験があります。

その先に待っていたのが、学年の生徒と保護者が集まる父兄会の講堂でした。

仲の良い友人と組んだ石井さんは、そこで実際に漫才を披露しています。

テレビで漫才を見るだけだった少年が、高校では大勢の生徒と保護者の前に立って笑いを取る側になりました。

大学を卒業して進路を決めるころ、石井さんはこの高校時代について「漫才してウケた経験」が自分にとって大きな刺激だったのだろうと振り返っています。

河川敷で友人と練習|ブラマヨとチュートリアルをまねた高校時代

学校でいきなり本番だけをしていたわけではありません。

相方役だった友人とは普段から仲がよく、河川敷へ行って繰り返し漫才を練習していました。

当時はガラケーで音楽をダウンロードできるようになったころで、M-1グランプリの出囃子を探して流しながら漫才をすることもあったそうです。

好きだったのはブラックマヨネーズやチュートリアルの漫才で、似たようなネタも作りました。

本人は、そのネタを学校で披露して大きく滑ったことまで話しています。

成功した父兄会の漫才だけでなく、まねをしてうまくいかなかった経験も含め、高校時代にはすでに「作る・練習する・人前で試す」ということを経験していました。

大学時代からNSCへ|公務員か漫才かで迷い、芸人を選ぶ

高校で漫才を経験したからといって、そのまますぐ芸人を目指したわけではありません。

卒業後は大学進学を選び、地元の大阪を離れて東京で生活します。

大学進学で東京へ|ダンスサークルで身につけた動き

石井さんは2024年のインタビューで、大学進学を機に東京へ出たことを明かしています。

大学ではダンスサークルに入り、後年のインタビューではダンスをしていた期間について約2年だったと説明しています。

現在「さや香 石井 大学」「大学 言えない」といった形で学校名が注目されることがありますが、吉本興業の公式プロフィールや本人への主要なインタビューでは大学名は公表されていません。

大学名を特定の学校とする情報もネット上にはありますが、本人が大学名を明言した一次資料や、名前を伏せている理由を説明した発言は確認できません。

一方で、東京の大学へ進学したこと、大学を卒業したこと、大学時代にダンスをしていたことは本人の発言から確認できます。

後に石井さんの大きな特徴になるダンスは、芸人になってから突然始めたものではなく、大学時代にすでに経験していました。

卒業間際まで公務員と芸人の間で迷っていた

大学時代の石井さんには、お笑いとは別の進路もありました。

公務員になるための勉強をしており、大学卒業が近づいても、漫才の道へ進むのか、公務員を目指すのかを決めきれずにいました。

「“やっぱりお笑いが好きや!”と自分の気持ちを確信した」

ch FILES

ここで高校時代の漫才経験が再び出てきます。

本人は後年、大学を出て進路を考えたときに芸人を選んだことを振り返り、高校で漫才をしてウケた体験が大きな刺激だったのだと思う、と話しています。

大学卒業が迫ったところで公務員ではなく、もう一度「漫才をする側」へ進むことを選びました。

石井さんが芸人になった直接の分岐点は、大学卒業時の進路選択です。

大学卒業後に大阪へ戻り、NSC大阪校34期へ

大学卒業後、石井さんは東京から大阪へ戻りました。

吉本興業の公式プロフィールでは2012年・NSC大阪校34期生とされています。

NSCへ入ったからといって、最初から「1年以内に売れなければ終わり」と自分を追い込んでいたわけでもありませんでした。

2024年のインタビューでは、大阪へ戻って好きな環境で生活し、クラスメートたちとキャンプへ行くなど、NSCを学校のような感覚で過ごしていたことを明かしています。

「クラスのみんなと仲良くして学校みたいな感覚でした。」

ch FILES

ここで新山さんも同じ34期生としてNSCに在籍していましたが、この時点では現在のような相方同士ではありません。

「ハナガタ」時代|踊りながらボケていた若手コンビ

現在のさや香だけを見ていると、石井さんは新山さんと組んで芸人生活を始めたようにも見えます。

実際には、その前に「ハナガタ」というコンビで活動していました。

NSC卒業後、同期の中でも人気だった「ハナガタ」でボケを担当

ハナガタ時代の石井さんは、現在のさや香結成当初とは役割も違っていました。

ボケを担当し、踊りながらボケるスタイルで舞台へ立っていたことを、後に新山さんがFANY Magazineのインタビューで明かしています。

新山さんの記憶では、NSCを卒業したばかりのころのハナガタは同期の中でもかなり人気があったコンビでした。

大学で経験したダンスが、芸人になって間もない時期からすでに舞台上へ持ち込まれていたことになります。

大学のダンス経験と高校時代からの漫才経験が、ハナガタでは「踊りながらボケる」という形で同じ舞台に乗りました。

「ジャンピング☆ブラザーズ」で客席が埋まる人気を経験

ハナガタは単独で活動していただけではありません。

ダイヤモンド・小野竜輔さんが当時所属していた「アルドルフ」、しゃかりきとともに、若手3組で「ジャンピング☆ブラザーズ」というユニットライブを行っていました。

2022年のM-1決勝直前インタビューで、新山さんはこのライブについて客席が毎回埋まるほどだったと振り返っています。

「石井が踊りながらボケるっていうコンビやった」

FANY Magazine

まだ現在のさや香は存在していませんが、石井さんはすでに若手ライブの客前で経験を重ねていました。

次はツッコミをやりたいと考え、前のコンビを解散

人気があったハナガタは、そのまま続きませんでした。

石井さんは後年、次はツッコミをやりたいという思いがあり、以前のコンビを解散したと説明しています。

ここで面白いのは、現在の石井さんがボケ側に立つ機会が多いからといって、役割が一直線に続いてきたわけではないことです。

ハナガタではボケを担当し、次のコンビではツッコミをしたいと考え、その後さらに役割を入れ替えることになります。

新山との出会いとさや香結成|ほとんど話したことのない同期が相方に

石井さんが前のコンビを解散したころ、新山さんも同じ時期に以前のコンビを終えていました。

NSC34期の同期ではありましたが、二人が最初から仲の良い友人だったわけではありません。

舞台袖で一度話した程度だった新山と、トニーフランクがつなぐ

2024年の『anan』のインタビューで、二人は結成前の距離感を具体的に話しています。

「舞台の袖とかで1回、会話をしたくらいでしたからね。」

anan web

ほとんど接点のなかった二人の間をつないだのが、同期の芸人トニーフランクさんでした。

石井さんはボケからツッコミへ変わりたい。

新山さんは次のコンビではボケをやりたい。

親しかったから組んだのではなく、前のコンビが同時期に終わり、二人が次にやりたい役割がちょうど噛み合いました。

「ツッコミになって組まへん?」互いのやりたい役割が一致

2017年のインタビューでは、新山さんから石井さんへ「ツッコミになって組まへん?」という形で声をかけたことが語られています。

石井さんにとっても、ちょうどツッコミをしたいと思っていたタイミングでした。

ハナガタでボケをしていた石井さんは、新山さんと組むことでツッコミへ回ります。

高校時代に友人と漫才を始めたときから何年も経ち、ここで現在まで続く相方とのコンビが生まれました。

2014年4月1日に結成|「さや香」という名前が決まった経緯

M-1グランプリ公式サイトでは、さや香の結成日は2014年4月1日と記録されています。

コンビ名は、新山さんが「さや香」という音の響きを気に入り決めました。

「初恋の人の名前」という話をネタにすることもありましたが、本人は琉球新報のインタビューで、実際には初恋の人の名前ではなくイントネーションや響きから選んだと説明しています。

その前には、二人とも椎名林檎さんが好きだったことなどから「リンゴの唄」という候補もありました。

石井さんは別の名前になると思っていたところ、新山さんからすでに「さや香」で書類を出したと報告されたそうです。

ほとんど話したことのなかった同期二人が、2014年春から「さや香」として舞台へ立ち始めました。

若手時代とアルバイト|2017年M-1決勝で仕事が動き始める

コンビを組んだからといって、すぐに芸人の仕事だけで生活できるようになったわけではありません。

石井さんは複数のアルバイトをしながら、さや香として舞台へ立っていました。

牛丼店、ラウンジのボーイ、コンビニで働きながら舞台へ

本人がアルバイト経験として挙げているのは、牛丼店、ラウンジのボーイ、コンビニなどです。

芸人を選ぶ前に会社員として働いていたわけではなく、大学卒業後にNSCへ入り、そのまま芸人活動とアルバイトを並行する生活に入りました。

2017年にM-1決勝へ進んだときの公式インタビューでは、賞金の使い道を聞かれた石井さんが、当時の金銭状況をそのまま笑いにしています。

「お金がなくて歯が3本ないので、いい歯を入れたい」

M-1グランプリ公式サイト

この時点では、M-1公式の決勝進出コメントでも自分たちを「誰も知らない」「ダークホース」と表現する立場でした。

2017年M-1で初の決勝進出|「完全なダークホース」として登場

結成4年目の2017年、さや香はM-1グランプリの決勝へ初進出します。

M-1公式記録では628点で7位でしたが、この決勝進出を境に仕事の状況は大きく変わりました。

2019年のインタビューで石井さんは、2017年には年間10本にも満たなかったテレビ出演が、翌2018年には60本を超えたとスケジュールを振り返っています。

M-1決勝後にはアルバイトを辞めても生活できる感覚になったとも話しており、2017年の決勝は収入と仕事量が変わる具体的な境目になりました。

賞レースの優勝ではなく、初めてM-1決勝へ進んだことが、さや香の仕事量を動かした最初の大きな出来事でした。

2019年上方漫才コンテスト、2020年歌ネタ王で結果を残す

M-1決勝のあとも賞レースへの挑戦は続きました。

2019年には第49回NHK上方漫才コンテストで優勝し、翌2020年には歌ネタ王決定戦で優勝しています。

歌ネタ王で披露したのは、新山さんが高校のダンス部大会当日にCDを忘れ、代わりに集めたCMソングに合わせて石井さんが踊るという設定のネタでした。

普段の漫才は新山さんがネタを作りますが、このダンスネタでは石井さん自身もネタ作りに参加しています。

優勝後には、大学時代にダンスサークルへ入っていた経験について本人が触れました。

学生時代に始めたダンスが、2020年には賞レース優勝を決めるネタの中心になりました。

歌ネタ王で優勝したあと、石井さんは結成10年までに賞レースのグランプリをできるだけ取りたいという思いがあったことを明かしています。

「このタイミングでの受賞はすごく嬉しかったです。」

ch FILES

ボケとツッコミを入れ替える|2022年M-1準優勝までの変化

2017年のM-1決勝で仕事は増えましたが、その後すぐに同じ大会の決勝へ戻れたわけではありません。

2018年から2020年まで、さや香はM-1で3年続けて準々決勝敗退となりました。

2018~2020年はM-1準々決勝敗退が続く

この時期にも2019年のNHK上方漫才コンテスト、2020年の歌ネタ王など結果は出ていました。

一方、M-1では2017年の決勝から遠ざかります。

2024年のwithnewsの取材では、石井さんが当時について、テレビのレギュラーなどで知名度が上がる一方、劇場では自分たちで客席を埋められない感覚があったと話しています。

2017年と同じ形を続けるのではなく、漫才そのものを変える動きが出てきました。

2021年、新山の提案で石井がボケへ

大きな変更が始まったのは2021年夏です。

それまでのさや香は基本的に新山さんがボケ、石井さんがツッコミでした。

新山さんの提案で役割を入れ替える試みを始め、石井さんがボケ、新山さんがツッコミのネタを作り始めます。

スポニチの当時の取材で、石井さんは最初に提案を聞いたとき、何をしたいのか意味が分からなかったと話していました。

ハナガタでボケ、さや香結成後はツッコミ、そして2021年から再びボケへ。

石井さんの役割は、芸歴の中で何度も変わっています。

この役割変更を経た漫才で、さや香は5年ぶりにM-1決勝へ戻ることになります。

2022年M-1はファーストラウンド1位から準優勝

2022年、さや香は2017年以来5年ぶりにM-1グランプリ決勝へ進出しました。

ファーストラウンドでは667点を獲得し、ロングコートダディ、ウエストランドを上回って1位通過。

最終決戦ではウエストランドが6票、さや香が1票となり、結果はM-1グランプリ2022準優勝でした。

2017年の決勝では新山さんがボケ、石井さんがツッコミでしたが、2022年の決勝では役割を入れ替えた形で舞台へ戻っています。

HBCの『ジンギス談!』では、2017年は緊張が強く本番から翌日の新幹線まで記憶が曖昧になるほどだったのに対し、2022年は以前より落ち着いて決勝を迎えられたことも語っています。

5年前とは役割も漫才の形も変わった状態で、ファーストラウンド1位まで進みました。

2023年M-1から東京進出へ|大阪で積み重ねた12年の先へ

2022年の準優勝で終わらず、翌年もさや香はM-1の決勝へ戻ります。

その翌春には、NSC時代から長く活動してきた大阪を離れる決断も待っていました。

2023年M-1はファーストラウンド1位、最終3位

2023年12月、さや香は2年連続、通算3回目のM-1決勝進出を果たします。

ファーストラウンドは659点で1位。

2位のヤーレンズ、3位の令和ロマンとともに最終決戦へ進みました。

最終決戦では「見せ算」を披露し、審査員票は入らず最終順位は3位となりました。

結果だけを見ると前年の準優勝から順位を落としていますが、2022年と2023年の2年連続でファーストラウンドを1位通過しています。

高校時代にブラマヨやチュートリアルをまねて漫才を作っていた石井さんは、この時点ではM-1の最終決戦で独自色の強いネタを演じる立場まで来ていました。

2024年春に大阪を離れ、活動拠点を東京へ

2024年2月、さや香はよしもと漫才劇場のライブで東京進出を発表しました。

同年4月から活動拠点を大阪から東京へ移し、ヨシモト∞ホールのメンバーに加入しています。

「12年間大阪で培ったものを、全部カットされるぐらいのつもりで東京でぶつけてきたい」

FANY Magazine

大学進学時にも一度東京で暮らした石井さんですが、その後大阪へ戻ってNSCへ入り、そこから約12年間を大阪の芸人として過ごしてきました。

2012年に大阪へ戻ってNSCへ入った石井さんは、2024年に芸人として東京へ活動拠点を移しました。

現在も吉本興業の公式プロフィールでは東京本部所属のさや香として掲載され、漫才や劇場出演に加えてテレビ、ドラマなどへ活動の幅を広げています。

ダンスも漫才も残しながら続く現在の活動

石井さんの経歴を時間順に見ると、現在知られている特徴の多くは途中で突然生まれたものではありません。

小学生のころは姉の影響でお笑い番組を見て、高校では友人と河川敷で漫才を練習し、大学ではダンスを経験しました。

芸人になってからはハナガタで踊りながらボケ、さや香ではツッコミへ回り、2021年にはもう一度ボケ側へ移っています。

高校の漫才、大学のダンス、NSC、ハナガタ、さや香という別々の時期の経験が、そのまま消えずに現在の舞台へ残っています。

高校時代に人前で漫才をした石井さんは、大学卒業時に公務員という選択肢と迷った末、お笑いを選びました。

ほとんど話したことのなかった新山さんと2014年にコンビを組み、アルバイトを続けながら舞台へ立った時間を経て、M-1の決勝へ3度進んでいます。

大阪で芸人生活を始めて12年後の2024年には東京へ拠点を移し、さや香として次の舞台に立ち続けています。

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