角田晃広の生い立ちと若い頃|音楽志望からプラスドライバー、東京03結成まで

人物プロフィール

生年月日
1973年12月13日
身長
172cm
血液型
A型
出身地
東京都 文京区
コンビ・グループ名
東京03
相方・メンバー
飯塚悟志、豊本明長
結成年
2003年
所属事務所
プロダクション人力舎
芸人活動開始年
1996年

東京03の角田晃広さんは、飯塚悟志さん、豊本明長さんと作り上げるコントだけでなく、ドラマや映画でも独特の存在感を見せてきました。

近年は俳優として大きな役を任される機会も増えていますが、その経歴を若い頃までさかのぼると、最初から芸人一筋だった人物ではありません。

角田さんが中学生のころから夢中になっていたのはギターで、かつてはミュージシャンになることを思い描いていました。

大学へ進んだあとも音楽を続けており、芸人養成所へ入るという考えどころか、当時はお笑いの学校が存在することさえ知らなかったといいます。

そんな角田さんの進路が変わったのは、大学時代に仲間からお笑いへ誘われたことでした。

東京で育った子ども時代からフォークギターに夢中になった学生時代、プラスドライバーの解散、そして東京03の一員になるまでを順番にたどると、現在のコントや芝居へ続く角田さんの歩みが見えてきます。

角田晃広さんの公式Instagram投稿を見る

角田晃広の生い立ちと家族|東京・文京区で過ごした子ども時代

角田晃広さんは1973年12月13日に東京都で生まれ、文京区で子ども時代を過ごしました。

テレビで見せる大きな声や感情を爆発させる芝居とは違い、少年時代からいつも大勢の中心に立っていたわけではなく、一人で楽しめることにも自然と時間を使う子どもでした。

祖父母と近くで暮らし、銭湯へ通っていた幼少期

幼いころの角田さんは祖父母と近い距離で暮らしており、祖父母がいる生活が身近にありました。

当時暮らしていた住まいには風呂がなく、幼い角田さんは母親と一緒に近所の銭湯へ通っていた時期があります。

自宅で風呂に入るのではなく、家族と銭湯へ出かけることが日常の一部だった子ども時代でした。

後に舞台上でごく普通の家庭や職場にいる人物を演じることになる角田さんですが、幼少期の生活も特別に芸能界を意識するようなものではなく、東京の街の中で家族と暮らす日々が続いていました。

小学生時代、初恋相手と交換日記

小学生のころには、同級生のケイコさんと交換日記をしていたというエピソードが残っています。

学校で顔を合わせるだけでなく、ノートを行き来させながら言葉を交わしていた相手で、角田さんにとっては初恋の記憶として残る存在になりました。

その後は進学によって距離ができましたが、この同級生との縁は何年もたってから思わぬ形で再び角田さんの前へ現れることになります。

中学・高校時代|フォークギターとアルバイトに夢中になる

中学生になるころ、角田さんの生活の中で大きな存在になったのが音楽でした。

人前で笑いを取ることより先に、自分でギターを弾き、好きな歌を歌う時間へ深く入り込んでいきます。

中学で長渕剛にハマり、一人でギターを覚える

音楽への入口になったのは長渕剛さんでした。

「中学の頃に長渕剛さんの『ろくなもんじゃねえ』にハマって」

お笑いナタリー

一曲を気に入ったところから長渕さんの過去の作品へさかのぼり、高校へ進むころには古井戸、吉田拓郎さん、ボブ・ディランなどにも聴く音楽を広げていきました。

バンドの中で大勢と音を合わせるよりも、一人で完結できるフォークギターは角田さんに合っており、独学で弾きながら歌う時間を重ねていきます。

この時点で夢中になっていた表現はコントではなく、一本のギターを抱えて歌うフォークでした。

男子校で過ごした高校時代と最初のアルバイト

高校は東海大学付属高輪台高等学校へ進み、当時はまだ男子校だった校内で学生生活を送りました。

高校時代にもギターへの興味は続き、お笑いの養成所や芸能事務所を調べて芸人への準備を始めていたわけではありませんでした。

学校を終えたあとにはアルバイトも経験し、警備の仕事などをしながら、自分で使うお金を得る生活も始まります。

好きな音楽を聴き、ギターを弾きながら次の進路へ進んでいった角田さんにとって、このころまでお笑いはまだ職業として現実味のある選択肢ではありませんでした。

東海大学時代|ミュージシャン志望からお笑いへ

高校卒業後は東海大学へ進学し、学生生活の中でも音楽を続けました。

ここで角田さんは、それまで想像していなかったお笑いの世界へ少しずつ近づいていきます。

フォークサークルに入るも、フォークを弾くのは自分一人

大学ではキャンパスフォークソングソサエティに入り、名前から自分と同じようにフォークを演奏する仲間が集まっていることを期待していました。

ところが周囲ではロックバンドを組む学生が多く、角田さんのように一人でフォークギターを抱えて歌うスタイルはむしろ少数派でした。

それでもギターをやめることはなく、自分の好きな曲を覚えながら音楽への興味を持ち続けます。

男子校から大学へ進んだことで女性を交えた友人関係も増え、カラオケで長渕剛さんを熱唱したものの反応が思ったほどよくなく、当時人気だったT-BOLANの曲を覚えたこともあったと後に語っています。

ギターを続けながらミュージシャンを考えていた大学時代

このころの角田さんの頭にあったのは、芸人よりもミュージシャンという将来でした。

長渕剛さんのようにギターを持って自分の言葉を歌う姿への憧れがあり、自分も音楽を仕事にできないかと考えていました。

ただ、大学生活の途中で新しく持ち込まれた話によって、音楽だけを見ていた進路に別の道が加わります。

知人からお笑いへ誘われ、人生の進路が変わる

大学時代、角田さんはのちに一緒に活動する仲間からお笑いをやらないかと誘われました。

角田さん自身が養成所を探し、芸人募集へ応募して一人で飛び込んだのではなく、ここでも最初の一歩は誰かから声をかけられたことから始まっています。

ミュージシャンを思い描いていた大学生が、仲間からの誘いを受けたことでお笑いの舞台へ向かい始めました。

このとき一緒に動き始めたメンバーとの活動が、1996年に結成されるトリオ「プラスドライバー」へつながります。

プラスドライバー時代|養成所に通わずライブの世界へ

角田さんは大田賢二さん、和知晃さんとプラスドライバーを組み、1996年から本格的にお笑いの舞台へ立ち始めます。

現在では養成所を経て芸人になるルートが広く知られていますが、3人が動き始めたころは、その入口さえよく分かっていませんでした。

芸人になる方法も分からず、3人で事務所ライブを探す

角田さんはNSCやスクールJCAなどの養成所を経ていません。

「お笑いの学校があるというのをまったく知らなくて。」

お笑いナタリー

事務所へどう入ればいいのかも分からなかった3人は、東京では芸人が出演するライブが開かれているらしいと知り、実際に会場を探して足を運びました。

その一つがプロデューサーハウスあ・うんの事務所ライブで、やがてプラスドライバー自身もそこで継続的に舞台へ立つようになります。

養成所の授業から始まったのではなく、3人でライブの場所を探し、そのまま現場へ入っていったのが角田さんのお笑い人生の入口でした。

テレビに出ていない芸人の多さとアンタッチャブルに衝撃

初めて東京のお笑いライブへ足を運んだ角田さんを驚かせたのは、テレビでは見たことのない芸人が大勢活動していたことでした。

そこで目にした芸人の中には、まだ全国的に知られる前のアンタッチャブルもいました。

これほど面白い人たちでもまだテレビへ出ていないのかと感じ、それまで外から眺めていた「芸人」という仕事の層の厚さを初めて知ります。

自分たちも最初から客席を沸かせたわけではなく、角田さんは初期の舞台について「最初はちゃんとスベりました」と振り返っており、ライブに出ながら経験を積む日々が始まりました。

1996年から活動し、2002年にプラスドライバーが解散

プラスドライバーは勢いのあるコントを武器にライブへ出演し、『爆笑オンエアバトル』などテレビのネタ番組にも登場するようになりました。

同じ東京のライブシーンにはバカリズムさんらもおり、後年バカリズムさんは当時のプラスドライバーについて、面白さは認めながらも笑いの取り方の泥くささをいじる形で「関東一ダサいトリオ」と表現しています。

この時期には、子どものころ交換日記をしていたケイコさんをテレビ番組『進ぬ!電波少年』で偶然見つけ、かつての同級生だと気づくという出来事もありました。

舞台に立つ生活を6年ほど続けたプラスドライバーでしたが、2002年にトリオは解散します。

角田さんにとっては次のコンビをすぐ探すための解散ではなく、このまま芸人を終えることも考える時期に入りました。

飯塚悟志の誘いで東京03へ|客演ライブで見えた3人の形

プラスドライバーがなくなったころ、別の場所でもコンビとしての今後に迷っていた2人がいました。

飯塚悟志さんと豊本明長さんのアルファルファです。

芸人を辞めようとしていた角田を飯塚が誘う

角田さんと飯塚さんは別々のグループで活動していたころから知り合いで、飲みに行ってお笑いや今後について話すこともありました。

アルファルファも『爆笑オンエアバトル』などで実績を重ねていましたが、観客へ受けることを意識するうち、自分たちが本当に面白いと思うものが見えにくくなっていた時期があったと飯塚さんは話しています。

そこで飯塚さんの頭に浮かんだのが、プラスドライバーを解散した角田さんでした。

「角ちゃんはセンスとかじゃないの。ぼそっと言ったホンネがすごく面白いの」

テレ東プラス

作り込んだ一言を言う前から、普段の会話の中で角田さんが漏らす本音そのものを飯塚さんは面白がっていました。

一度は芸人を離れようとしていた角田さんに、今度は飯塚さんから新しい組み合わせの話が持ち込まれました。

オークラも疑問視した異色の組み合わせ

ただし、アルファルファに角田さんを加える案は、周囲から見ても最初から自然な組み合わせだったわけではありません。

現在まで東京03の単独公演に深く関わる放送作家のオークラさんも、最初に聞いたときはアルファルファとプラスドライバーの芸風の違いから意外に感じたといいます。

アルファルファは会話や空気を使うタイプのコントを模索していた一方、プラスドライバーの角田さんには声や動きの強さがあり、同じ舞台にそのまま並べただけで成立する保証はありませんでした。

そのため、いきなり正式なトリオとして出発するのではなく、まずは実際のライブで3人の組み合わせを試すことになります。

客演コントの「開き直り」が受け、飯塚が手応えをつかむ

正式結成前に行われたのが、「アルファルファ+ゲスト角田」という形のライブでした。

3人でコントを演じたところ、角田さんが追い詰められた末に逆ギレするように開き直る芝居へ大きな笑いが起こります。

飯塚さんはその反応を見て、それまで別々の芸風だと思われていた3人に新しい形があると感じました。

会議室で理屈を固めて結成したのではなく、3人で舞台へ立ち、角田さんの芝居に客席が反応したことが東京03結成を後押ししました。

2003年9月30日に東京03が誕生

こうして角田さん、飯塚さん、豊本さんの3人は2003年9月30日に東京03を結成しました。

プラスドライバー時代から一転して、角田さんは飯塚さんが作る日常会話の細かなズレの中へ入り、怒り、焦り、言い訳、情けなさといった感情を芝居で膨らませる役割を担っていきます。

飯塚さんと豊本さんにとっても、角田さんが加わったことで、それまでのアルファルファでは作れなかった人物関係をコントの中に置けるようになりました。

解散したトリオの一人と、行き詰まりを感じていたコンビが合流したことで、現在まで続く3人組が始まりました。

東京03結成後の若手・下積み時代|バイトとファミレスのネタ作り

東京03という形ができても、すぐに芸人の収入だけで安定した生活ができるようになったわけではありません。

単独公演へ向けてコントを作り、ライブへ出ながら、角田さんにはアルバイトを続けていた時期もありました。

アルバイト仲間と旅行までしていた角田の若手生活

若手時代の角田さんが働いた場所の一つがドーナツショップでした。

芸人が売れるまで仕方なく働いていた場所というだけではなく、角田さんはアルバイト仲間と花見へ行ったり、一緒に旅行したりするほど職場になじんでいました。

そこで知り合った中村さんとは仕事を離れてからも関係が続き、後の結婚式にも出席してもらうほどの友人になっています。

飯塚さんがアルバイト生活から早く抜け出したかったと話す一方、角田さんは職場でできた人間関係も含めて日々を楽しんでおり、同じ下積みでも3人それぞれ過ごし方は違っていました。

東高円寺の稽古場と、何度も食べた松月庵のカツカレー

東京03結成当時、所属するプロダクション人力舎の事務所は東高円寺にあり、ライブ前になると3人はその周辺で長い稽古期間を過ごしていました。

角田さんがそのころ頻繁に食べていたのが、近くにある松月庵のカツカレーでした。

飯塚さんと豊本さんから教えられ、単独ライブ前に一か月ほど稽古を続ける時期には何度も注文していたといいます。

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売れる前の東京03には、東高円寺で稽古を重ね、その合間に同じ店のカツカレーを食べる日々がありました。

飯塚と角田がファミレスで5対5に近い形から始めたネタ作り

東京03初期のネタ作りでは、飯塚さんだけが完成した台本を持ってきて角田さんと豊本さんが演じる現在のイメージとは少し違う時期がありました。

飯塚さんと角田さんがファミリーレストランで向き合い、互いにアイデアを出しながらコントを形にしていたのです。

結成当初について飯塚さんは、ネタ作りへの関わり方が自分と角田さんで「5対5」に近かったと振り返っています。

もちろん毎回すんなり決まるわけではなく、飯塚さんが直しを提案すると角田さんが納得できず不機嫌になることもあり、おぎやはぎの矢作兼さんやアンタッチャブルの山崎弘也さんまで交えて話をしたこともありました。

舞台で実際に客の反応を受け、その結果を持ち帰りながら3人に合うテンポや人物配置を少しずつ探していきました。

「もうやめる?」に角田が待ったをかけた第4回単独公演

東京03が順調に続き始めたように見えた一方、2006年の第4回単独ライブ「夏下手男」のころ、飯塚さんの中では芸人を続けるかどうかという問題が再び大きくなっていました。

30代へ入り、若いころから思うように売れなければ辞めることも考えていた飯塚さんは、単独ライブを終えたあと角田さんへ「もうやめる?」と持ちかけました。

「いやいやいや、今いいじゃん! やろうよ!」

お笑いナタリー

プラスドライバー解散後に飯塚さんから誘われた角田さんが、今度は東京03を終えようとする飯塚さんを止めました。

この時期の3人はまだ全国的な人気者ではありませんでしたが、単独公演を繰り返す中で東京03のコントを楽しみに来る観客と、同業の芸人からの評価を少しずつ積み上げていました。

キングオブコント2009優勝|長いコントを続けた先の転機

東京03を続ける選択をしたあとも、世間のお笑い番組では短い時間で笑いを取るスタイルが大きな流れになっていきました。

数分から十数分を使って人物関係を積み上げる東京03にとって、その流れは簡単に合わせられるものではありませんでした。

スピード重視のブームの中でも長いコントを変えなかった東京03

2009年前後には1分ほどの短いネタを見せるテレビ番組が人気を集め、所属事務所でも短時間で特徴を出しやすい芸人へ仕事が集まる状況がありました。

同じ2009年春には東京03が全国ツアーを行いましたが、小規模な会場でも満席にできない地域があり、ツアー収支も赤字になっています。

それでも飯塚さんは、普段10分前後かけて演じているコントを単純に1分へ縮める方向には進みませんでした。

「飯塚さんが死守してくれたから、今があると思う」

テレ東プラス

テレビ向けに東京03そのものを作り替えるのではなく、3人が長く続けてきたコントを残したまま次の機会を待ちました。

決勝前夜を仲間と過ごし、「温泉旅行」で逆転

その機会になったのがキングオブコント2009でした。

決勝前夜、緊張したまま自宅にいた角田さんのもとへアンタッチャブルの山崎弘也さんから連絡があり、おぎやはぎの矢作兼さんや飯塚さん、ドランクドラゴンの塚地武雅さんらと食事やカラオケをして朝まで過ごしたという出来事もあります。

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決勝では1本目の「コンビニ強盗」で835点を獲得し、首位のサンドウィッチマンを追う位置から2本目へ進みました。

続く「温泉旅行」では、旅行先での人間関係が少しずつこじれていく東京03らしいコントを披露し、2本目だけで953点という大会最高得点を記録しました。

合計1788点で逆転し、2584組の頂点に立った東京03はキングオブコント2代目王者になりました。

優勝後も単独公演を軸にする道を選ぶ

優勝後には東京03を知る人が急増し、単独公演へ足を運ぶ観客も大きく増えました。

優勝会見でも飯塚さんは賞金をライブのために使いたいという考えを話しており、賞レースをきっかけにネタから離れるのではなく、むしろ単独公演を続ける環境が広がっていきます。

テレビの仕事が増えたあとも、毎年のように新しいコントを作り、まとまった本数を一本の公演として見せる活動が東京03の中心に残りました。

角田さんにとっても、売れたことで芝居をやめるのではなく、舞台で人物を演じ続ける時間がそのまま積み重なっていきました。

昔の音楽とコントの芝居が現在へ|マジ歌から俳優活動まで

キングオブコントを境に東京03を知る層は広がりましたが、角田さんの中には芸人になる前から続いていたものも残っていました。

一つはギターで、もう一つは東京03で何度も磨いてきた芝居です。

学生時代から続けたギターが「マジ歌」という新しい武器になる

中学生のころから手放さなかったギターは、芸人になったあとも角田さんの活動から消えませんでした。

テレビ東京系『ゴッドタン』の「芸人マジ歌選手権」では、自らギターを弾きながら熱のこもった歌を披露するスタイルが定着し、東京03のコントとは別の角田さんを見せる場になっていきます。

2009年には「角田晃広(東京03)+大竹マネージャー」として音楽作品も発表し、その後も番組の名物企画で新曲を披露してきました。

芸人になる前に夢中になったフォークギターが、何年もたってから芸人・角田晃広の表現として再び前面に出ました。

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東京03で磨いた芝居が『半沢直樹』『怪物』などへ広がる

東京03では、会社員や友人、夫、同僚など、どこにでもいそうな人物の感情が少しずつ崩れていく場面を何度も演じてきました。

角田さんは大げさなキャラクターだけで押すのではなく、会話の間や目線、困ったときの沈黙、言い訳を始める瞬間まで含めて笑いにする役を長く経験しています。

その芝居はドラマへも広がり、2020年の『半沢直樹』では三木重行役を演じ、テレビドラマの中でも広く顔を知られるようになりました。

2023年には是枝裕和監督の映画『怪物』にも出演し、コントとは異なる作品の中で人物を演じる仕事が続いていきます。

同じ2023年9月30日には東京03が結成20周年を迎え、長年の単独公演で作ってきたコントは100本を大きく超える規模になっていました。

『ホットスポット』で「壮大なコント」を演じ、演技賞へ

2025年には、長年お笑いの現場で付き合いのあるバカリズムさんが脚本を手がけたドラマ『ホットスポット』で、高橋孝介役を演じました。

見た目は普通の中年男性でありながら実は宇宙人と地球人のハーフという役で、日常会話の中へ奇妙な設定が入り込む作品でした。

「全10話の壮大なコントのつもりで『宇宙人・高橋』という面白い役をやらせてもらいました。」

ザテレビジョンドラマアカデミー賞

テレビドラマだから東京03とはまったく別の演技を作るのではなく、角田さん自身もコントの延長に近い感覚を持って高橋を演じていました。

その演技は第123回ザテレビジョンドラマアカデミー賞の助演男優賞や、第51回放送文化基金賞の演技賞という形でも評価されました。

大学時代からライブで演技を始め、プラスドライバー、東京03と何本ものコントを重ねてきた時間の先に、ドラマで大きな役を担う現在があります。

第28回単独公演を続ける東京03と、現在の角田晃広

俳優として評価される仕事が増えても、角田さんの活動から東京03の舞台がなくなったわけではありません。

2026年には第28回東京03単独公演「満更じゃないから」を行い、5月から各地を回ったあと、9月には東京で追加公演も開催しました。

俳優、音楽、テレビへ活動が広がった現在も、新しいコントを作って3人で舞台へ立つことが東京03の中心に残っています。

文京区で育ち、中学生でフォークギターに夢中になった角田さんは、大学時代の誘いを受けて思いがけずお笑いの舞台へ入りました。

プラスドライバーの解散後に飯塚さんから声をかけられ、客演ライブで3人の形が見えたことから始まった東京03は、その後も単独公演を積み重ねています。

そこで磨かれた角田さんの芝居と、若いころから続くギターは、コントの舞台を離れた仕事にも形を変えながら残っています。

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