人物プロフィール
演劇とコントの両方で活動する8人組ダウ90000のメンバーとして舞台に立ち、個人では俳優としてもドラマ出演を重ねているのが上原佑太さんです。
大人数の会話劇では派手に前へ出る役だけでなく、その場に自然に居続ける人物も演じ、ダウ90000の独特な空気の一角を担っています。
ところが、中学生のころに上原さんが思い描いていた将来はお笑い芸人ではなく声優でした。
現在のダウ90000につながる最初の一歩も、自分から劇団を探したことではなく、大学で友達について行った新歓でした。
横浜で浦和レッズを応援していた子ども時代から、アニメに夢中になった中高時代、日本大学芸術学部で偶然演劇と出会った大学時代へと順番にたどっていきます。
上原佑太の生い立ちと家族|横浜で浦和レッズを応援した子ども時代
上原佑太さんは神奈川県横浜市で育ちました。
幼いころの家庭を語るうえで欠かせないのが、両親の影響で生活の中へ入ってきた浦和レッズです。
両親とスタジアムへ通い、試合中はポケモンをしていた幼少期
上原さんによると、両親が浦和レッズのサポーターだったため、物心がつく前から自分の中では浦和レッズを応援することが当たり前になっていました。
家族でスタジアムへ行っても、小さいころはサッカーそのものを熱心に見るわけではなく、試合中にポケモンで遊び、ゴールが決まって家族が一斉に喜ぶと自分も立ち上がり、またゲームへ戻ったり眠ったりしていたそうです。
「服を着る、ご飯を食べる、寝る、浦和レッズ、みたいな。」
上原佑太 note「浦和レッズ軸で振り返る人生」
2006年に浦和レッズが初めてJ1リーグを制したころから試合をしっかり見るようになり、翌2007年には学校の文化祭を早退して日産スタジアムへ向かったこともありました。
地元の横浜では横浜F・マリノスを応援する同級生が多く、当時強かった鹿島アントラーズのファンもいる中で、小学校では自分だけが浦和レッズを応援しているような環境だったと本人は振り返っています。
サッカーを習いながら自分のペースを貫いた少年時代
見るだけではなく自身もサッカーを習い、チームへ入っていました。
一方で勝負になると強気になれず、とにかくけがをしたくないという気持ちが強かったため、本人は後年、自分はチームで一番下手だったと笑いながら話しています。
そのかわり、サッカーを辞めるまで一度もけがをしなかったことは本人にとって自慢でした。
学校生活でもマイペースさは変わらず、次の授業が始まりそうなのに習字セットを片付け終わらず、先生が手伝おうとすると嫌がり、最後まで自分で片付けようとする子どもだったといいます。
このころから人前へ出ること自体は嫌いではなく、テレビではお笑い番組も見ていましたが、まだ将来の仕事として笑いを選んでいたわけではありませんでした。
日本大学藤沢中学・高校|アニメに夢中になり声優を目指す
中学生になると、サッカーとは別に上原さんが強く夢中になるものが現れます。
日本大学藤沢中学校の学校記録には、2011年に中学1年生として電気物理部の大会へ参加した名前も残っており、当時はまだ現在の演劇やコントとは違う場所で学校生活を送っていました。
『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけに声優という夢が生まれる
転機になったのは、クラスメートが読んでいた『涼宮ハルヒの憂鬱』でした。
そこからアニメを見るようになり、『銀魂』や『鋼の錬金術師』などにも夢中になっていきます。
中学時代には「声優になりたい」という夢が生まれ、現在とはまったく違う入口から演技の世界を意識し始めました。
ただ、その夢をすぐ周囲へ話せたわけではなく、上原さんは声優を目指していることを口にするのにも恥ずかしさを感じていたそうです。
本人のnoteでは、中学3年生ごろになってようやく友人へ「声優になりたいかもしれない」と伝えたと明かしています。
声優を意識して放送部へ入り、朗読部門で優秀賞
高校へ進むと、その友人から勧められたこともあり放送部へ入りました。
顧問からは、将来声優の養成所などへ進むなら、その前の準備として放送部を使ってもいいという趣旨の言葉をかけてもらい、発声練習や朗読に取り組みます。
やがて声優になるための準備という範囲を超え、放送部そのものが高校生活の大きな居場所になっていきました。
本人は高校時代にクラスで親しい友人がいなかったことも明かしていますが、それでも学校へ通い続けた大きな理由が放送部だったと記しています。
発声や朗読だけでなく、ラジオドラマ制作や朗読劇にも取り組み、高校3年だった2016年にはNHK杯全国高校放送コンテスト神奈川県大会の朗読部門で優秀賞を受賞しました。
日本大学藤沢高校の公式記録にも、高校3年生の上原佑太さんが朗読部門で優秀賞を受賞したことが残っています。
表彰状をクラスへ持ち帰った際には英語教師が気づき、クラスメートへ拍手を促してくれたという出来事もありました。
内部進学で日芸映画学科の演技コースを選ぶ
上原さんが日大の付属校へ進んだ経緯そのものは、将来の演技を見越して計画したものではありませんでした。
高校受験のころは『鋼の錬金術師』を読むことに夢中で、第二志望だった日大の付属校に早い段階で合格すると、第一志望は自宅から遠いこともあり、それ以上受験を続けなかったと話しています。
高校卒業後の進路では放送部からそのまま放送学科へ進むことも考えましたが、アナウンサー志望者が多いと知り、自分の目指す方向とは違うと感じました。
そこで、声優にも演技が必要だと考え、日本大学芸術学部映画学科の演技コースを選びます。
この時点では、大学で学ぶ演技もあくまで声優への道の途中にあるものでした。
日芸で演劇へ|友達について行った新歓が進路を変える
2017年、日芸へ入った上原さんは、声優になるための演技を学ぶつもりで大学生活を始めます。
ところが入学直後、後のダウ90000へつながる出会いが訪れました。
「大学では浮きたくない」とクラスメートについて前身団体へ
高校3年のころにクラスで居場所がないと感じていたこともあり、大学では同じ状態になりたくないという気持ちがありました。
少人数だった映画学科演技コースで周囲についていこうと考え、クラスの中心にいるように見えた学生が新歓へ行くと聞いて、その後ろについて行きます。
その行き先が、ダウ90000の前身となる「はりねずみのパジャマ」でした。
新歓の場で中心的な学生が入ると宣言し、周囲も次々に名前を書いたため、上原さんもその流れで加入しています。
後年のインタビューでは、加入そのものは本意ではなかったと笑っており、自分から演劇サークルを探して飛び込んだわけではありませんでした。
「飯原と上原は、前向きな4人にくっついてきた控えめな2人だったんですよ。」
logirl「First Stage」蓮見翔の発言
蓮見翔さんから見ても、飯原僚也さんと上原さんは前へ出てきたメンバーではなく、周囲についてきた「控えめな2人」だったといいます。
飯原僚也の「出ないの?」で初舞台に立つ
加入して間もない5月、上原さんは公演へ出演するか聞かれたものの、最初は出るのをやめておこうかと考えていました。
そんなとき、たまたまトイレで一緒になったのが同じく後輩として加入していた飯原僚也さんでした。
「出ないの?」
Steenz 上原佑太インタビュー
この短い一言を受け、上原さんは流れのまま最初の舞台へ立つことになりました。
芸人になる決意を固めた瞬間でも、俳優一本に絞った瞬間でもなく、友人から声をかけられて出演してみたことが、後の活動へ続いていきます。
蓮見翔の脚本に惹かれ、声優より演劇を続けたくなる
実際に舞台へ出てみると、その公演で渡された蓮見翔さんの台本を上原さんは面白いと感じました。
大学生が作る作品には作り手自身の表現を強く押し出したものも多かった一方、蓮見さんは最初から客席へ伝わることを意識して書いていたと、上原さんは後に語っています。
その分かりやすい会話劇が自分には合っており、舞台で演技をしたいという気持ちは、短期間で声優になりたい気持ちを上回っていきました。
当初は友達について行っただけだった「はりねずみのパジャマ」について、団体がある限りついていこうと思うまでになっています。
観客4人の教室公演でも客を呼び込み、舞台を続ける
学生時代の活動環境は、最初から整った劇場だったわけではありません。
映画学科の学生が中心だったため演劇用のホールを使えず、教室の机を立てて舞台袖を作り、照明も教室の蛍光灯という状態で公演をしていました。
観客を呼ぶために上原さんたちが変わった看板を持って呼び込みをしても、出演者が15人ほどいるのに客席は4人という公演もあったといいます。
それでも上原さんは、客が来てくれればそれでいいという感覚で舞台を続け、蓮見さんも後年、忽那文香さんと上原さんが出演するコントを書くのが好きだったと振り返っています。
声優志望からコントへ|大学後半からダウ90000結成まで
学生演劇が楽しくなってからも、長く抱えていた声優への気持ちがすぐ消えたわけではありません。
大学生活の後半では、演劇を続けながら、一度は声優になるための行動も起こしています。
声優学校にも1年間通いながら演劇活動を続ける
大学3年生になったころ、上原さんは「声優になりたい」と思いながら具体的な行動をほとんどしてこなかったことが気になり始め、養成所の体験レッスンへ申し込みました。
後の本人noteでは声優学校へ1年間通っていたことも明かしていますが、同じころには「はりねずみのパジャマ」で演劇を続けたいという気持ちも強くなっていました。
声優になったときにどんな役を演じたいのかと大学の同級生から聞かれ、具体的な答えが出てこなかったことも本人の記憶に残っています。
2022年に昔を振り返った時点では、声優という職業そのものより、ダウ90000で自分が何になれるのかを考えるようになったと記していました。
忽那文香との「嘘つきグアム」でキングオブコントに挑戦
大学後半には、演劇だけでなく賞レースの舞台にも足を踏み入れます。
2020年、忽那文香さんと「嘘つきグアム」としてキングオブコントへ出場しました。
上原さんが後に明かした最初の挑戦は、ネタが半分ほど残っているうちに制限時間を迎え、強制暗転してしまうというものでした。
2年後にダウ90000としてキングオブコントの準々決勝へ進んだ際、本人はこのときの失敗を「遠い昔のよう」と書いています。
コロナ禍を経た2020年9月、固定メンバーのダウ90000へ
2020年に新型コロナウイルスの影響で公演ができなくなると、前身団体はYouTubeへコントを投稿するようになり、活動の形も変わっていきました。
蓮見さんは卒業後も就職せず、前身団体のもう一人の主宰とも連絡がつかなくなった中で、2020年9月にダウ90000として仕切り直すことをメンバーへ伝えます。
目標は、メンバーがアルバイトをせずダウ90000の仕事だけで生活できる状態を作ることでした。
上原さん自身も就職するつもりはあまりなく、この先も芝居を続けたいと考えていたため、固定メンバーで活動する話を聞いたときは素直にうれしかったと話しています。
「その中に自分がいられることは、奇跡みたいだなって」
Steenz 上原佑太インタビュー
声優になるため演技を学び始めた上原さんは、2020年9月、大学で出会った仲間たちとダウ90000を続ける道へ進みました。
ダウ90000の若手時代|小さな客席から8人体制へ
ダウ90000という名前になったからといって、すぐ大きな劇場が埋まったわけではありません。
2020年秋から2021年にかけては、コントを大量に作り、小さな客席へ届けるところから始まりました。
月1コントライブを始め、30人規模の客席を埋めるところから出発
2021年1月の第1回演劇公演『フローリングならでは』へ観客を呼ぶため、その前から月1回のコントライブ『あの子の自転車』を始めます。
初期には4か月続けて月15本ほどの新作コントを下ろす時期があり、YouTubeに公開しても再生数は200回ほど、ライブも知り合いへ声をかけながら30人規模の客席を埋める状態でした。
その『あの子の自転車』2回目で作られたのが、大人数が次々に会話へ入っていくコント「フロント」です。
蓮見さんは、この作品で大人数を生かす形に手応えを得たと後に語っています。
現在のダウ90000を連想させる「大人数の会話で笑いを作る形」が、この時期に少しずつ見え始めました。
『旅館じゃないんだからさ』直前の変化を経て現在の8人が固まる
現在の8人が初めてそろって舞台へ立ったのは、2021年の第2回本公演『旅館じゃないんだからさ』でした。
ところが本番の約3週間前、当時のメンバー2人が離れることになり、そのうち一人はすでに出演を前提として脚本が完成した後でした。
メンバーは区民館で長時間話し合い、残る人たちの意思を確認し、蓮見さんは短期間で脚本を書き直しています。
この公演から蓮見翔、園田祥太、飯原僚也、上原佑太、道上珠妃、中島百依子、忽那文香、吉原怜那の現在の8人体制になりました。
『旅館じゃないんだからさ』はその後、第66回岸田國士戯曲賞の最終候補にも選ばれています。
ユーロライブがほぼ満席になり、客席の変化を実感
2021年11月、『あの子の自転車 vol.8』をユーロライブで開催した際には、座席制限がほぼなくなった会場がほぼ満席になりました。
上原さんは本番が始まって舞台から客席を見た瞬間、「めちゃくちゃ人がいる」と感じたことをnoteに残しています。
1年ほど前には知人を呼びながら30人規模の客席を埋めていたところから、100人単位の観客を前にするようになり、アンケートの量もそれまでより明らかに増えていました。
2022年3月にはフジテレビ『Around the Corner』へ出演し、本人によればダウ90000として2度目のテレビ出演で、上原さん自身がテレビで声を発する最初の機会にもなりました。
同年5月には『ダウンタウンDX』への出演も告知し、ネタではなく素の自分でテレビへ出るのは初めてだと本人が投稿しています。
賞レースとドラマ|不安を抱えていた上原佑太に起きた変化
2022年になると、舞台だけでなく賞レースやテレビドラマなど、それまでとは違う環境へ出る機会が一気に増えていきます。
そこで何度も表に出てくるのが、上原さん自身が語る「不安」や「緊張」でした。
初期の賞レースでは緊張で震えながら舞台へ
ダウ90000は2022年7月、第43回ABCお笑いグランプリの決勝へ進出しました。
大きな賞レースの舞台に慣れていなかった上原さんは、後年この初出場時について、本番中に震えが止まらず、終演後は半泣きになるほど怖かったと振り返っています。
翌2023年にもABCお笑いグランプリの決勝へ進み、そのときは前年のようには震えず、舞台上で笑いが起きたことも感じられたと本人は記しました。
同じ2022年にはダウ90000としてキングオブコントで初めて2回戦を突破し、上原さんにとっては2020年の「嘘つきグアム」以来2度目の2回戦突破から、さらに準々決勝へ進んでいます。
勝村政信とのドラマリハーサルで「演技は楽しい」と思えるようになる
2022年後半には、フジテレビのドラマ『ダウ90000 深夜1時の内風呂で』へメンバー8人で出演しました。
上原さんは作品の中で比較的大きな役割を任され、ドラマと舞台では求められる演技が違うのではないか、自分にできるのかと不安を感じていました。
その感覚が変わったのが、共演した勝村政信さんとのリハーサルでした。
「あ、僕は演技を楽しいって思っていいんだ」
Steenz 上原佑太インタビュー
リハーサルを終えると、それまで抱えていた演技への不安が薄れ、周囲からも「自信が出てきた」と言われるようになりました。
一人暮らしを始め、2022年末にアルバイトという選択肢を手放す
舞台やテレビの仕事が増えるまで、上原さんは複数のアルバイトを経験しています。
本人が挙げているのは、パン工場を5日間、塾の試験監督を約1年、イベントスタッフへの登録、コンビニ店員を約2年という仕事です。
最初のアルバイト面接で強く緊張した経験から、ほとんど面接のないパン工場を選びましたが、初日にミスをして笑われたことが堪え、2日目の朝には『ラブライブ!』の曲を聴きながら通勤バスで泣いたと記しています。
それでも事務担当者が優しかったことから数日は勤務し、最終的には5日で辞めました。
その後は小学生のころに通っていた塾の試験監督を経験し、演劇活動などと並行しながら働いた後、コンビニでも約2年間勤務しています。
2022年には初めて一人暮らしを始め、その後仕事が増えたことでアルバイトへ入る時間そのものがなくなっていきました。
「ダウ90000がみんなバイトを辞めました。」
上原佑太 note「バイトの思い出とさようなら」
2022年末、ダウ90000は結成時に掲げていた「メンバーがダウの仕事だけで生活する」という最初の目標へ到達しました。
他の芸人とも話せるようになり、舞台上での感覚が変化
賞レースへの挑戦はその後も続き、上原さん自身の過ごし方にも変化が出てきます。
2022年のABC決勝では周囲の芸人とほとんど話さず、ダウ90000のメンバーと一緒にいるか、なるべく他人の視界へ入らないようにしていたといいます。
2023年を経て2024年の第45回ABCお笑いグランプリでは、ファーストステージを突破して初めてファイナルステージへ進みました。
大会公式の記事では、ダウ90000はファイナルで648点を獲得し、青色1号、優勝した令和ロマンに続く結果となっています。
上原さんが強く印象に残していたのは結果だけではなく、ファイナルへ進んだ際に他の芸人と「絶対負けねぇ」と言い合えるほど、周囲と話せるようになっていたことでした。
初出場では舞台上で震えていた場所で、3度目には他の芸人と言葉を交わしながら最終決戦へ立っていました。
俳優としても活動が広がる|ダウ90000と歩く現在
ダウ90000で舞台へ立ち続けながら、上原さん個人の仕事もドラマやCMなどへ広がっていきました。
中学生のころ声優を夢見て、高校の放送部から演技へ近づいていった経験は、今度は映像作品へ出演する形でも続いています。
2024年にオフィスカニバブル所属へ
ダウ90000は2024年8月31日をもってYOU GO signとの契約を満了し、翌9月1日からKOHEN合同会社が運営するオフィスカニバブル所属として活動を始めました。
所属変更についてはダウ90000と蓮見翔さんの連名で公式発表されています。
同じ2024年12月には、上原さんと蓮見さんによる漫才コンビ「7000」も結成されており、M-1グランプリ公式プロフィールには結成日が2024年12月15日と記録されています。
学生時代には蓮見さんの会話劇へ出演する側として関係が始まりましたが、ダウ90000とは別に2人で漫才へ挑む活動も加わりました。
2025年に初の連続ドラマレギュラーを経験
俳優としては2025年、テレビ東京系の木ドラ24『できても、できなくても』で松原傑役を務めました。
上原さんにとっては、これが初めての連続ドラマレギュラーでした。
「連ドラでレギュラーをやらせていただくのが今回初めて」
テレビ東京「できても、できなくても」出演者コメント
オファーを聞いたときは喜んだ一方、撮影が近づくにつれて「初めて」であることへの落ち着かなさも出てきたと本人はコメントしています。
2022年にはドラマの演技ができるのか不安を抱えていたところから、3年後には一つの連続ドラマを通して役を演じる仕事を任されるようになりました。
2026年は『タイムトラベルダディ』出演と全国10都市の「40000」へ
2026年8月には、テレビ朝日のドラマ『タイムトラベルダディ』へダウ90000の上原佑太として出演しました。
一方のダウ90000では、2025年に上演した演劇公演『ロマンス』が2026年2月に第70回岸田國士戯曲賞を受賞しています。
さらに2026年7月からは、約2年ぶりとなるコントの単独ライブ『40000』を大阪からスタートし、東京、札幌、仙台、福岡、広島、鹿児島、金沢、名古屋、横浜を含む全10都市を巡る公演へ入りました。
上原さんは2022年、自分には一言で説明できるような役割がなく、長いコントの中では何でもない立場でその場に居続けることがあると話し、自分の位置を「なんかずっといる」と表現したことがあります。
友達について行った日芸の新歓から始まった演劇との関係は、ダウ90000の全国公演と個人のドラマ出演を並行するところまで続いています。
幼いころは家族と浦和レッズを応援し、中学生になると声優を夢見て、高校では放送部で声を出す毎日を過ごしました。
大学では出演するつもりのなかった最初の舞台へ飯原僚也さんの一言で立ち、そこで蓮見翔さんの脚本と出会ったことから、演劇を続ける時間が始まりました。
観客4人の教室公演やアルバイトをしながらの活動を経て、現在も上原佑太さんはダウ90000の8人の一人として舞台に立ち、俳優として映像作品にも出演しています。












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