人物プロフィール
本間キッドさん、中嶋享さん、ロングサイズ伊藤さんの3人で活動しているお笑いトリオ「や団」ですが、現在のメンバーになる前には海野健太郎さんという人物が在籍していました。
海野さんが加わっていたのは、や団がお笑いの世界へ本格的に踏み出した2005年から2007年ごろのことです。
海野さんは中嶋享さんの大学時代の友人で、現在のや団ができる前から中嶋さんとお笑いを始めていた人物でした。
本間さんと中嶋さんが中学・高校時代からの友人だったのに対し、海野さんは大学時代になってから加わった友人であり、3人の出会いをたどると現在のや団とは少し違った形が見えてきます。
大学生活を続けながらお笑いに取り組み、養成所を通らずライブへ出始め、SMA NEET Projectで上位クラスまで進んだ海野さんは、なぜ芸人を辞めることになったのでしょうか。
海野健太郎の生い立ちと家族|茨城県出身の元や団メンバー
海野さんは現在のや団公式プロフィールには登場しないため、芸人時代以前の情報は多く残されていません。
一方、当時のプロフィールや後年のや団メンバーの証言をたどると、大学時代から2007年までの姿はかなり具体的に見えてきます。
1983年生まれ|当時のプロフィールでは茨城県水戸市出身
当時の芸人プロフィールを収録している資料では、海野健太郎さんは1983年3月31日生まれで、出身地は茨城県水戸市と記録されています。
同じプロフィールには身長183cm、趣味としてバスケットボールと音楽、特技としてピアノ、ドラム、一発ギャグが掲載されていました。
とくに音楽については、のちに本間キッドさんとの関係を作る場面でも海野家のつながりが登場するため、芸人になる前の海野さんを知るうえで興味深いプロフィールです。
父親のつてが本間キッドとの出会いを後押し
海野さんの家族について詳しい家族構成までは公に語られていませんが、父親については、初期や団ができる前の重要な場面で具体的なエピソードが残っています。
大学時代、中嶋さんは海野さんと本間さんを仲良くさせようと考え、海野さんの父親のつてで人気音楽フェスのチケットを用意しました。
ロック好きだった本間さんが興味を持つイベントを選び、海野さんと会うきっかけを作ったことで、もともと別々の友人だった2人が意気投合する流れができています。
海野さんの幼少期や小中高校時代について具体的な本人談はほとんど残っておらず、公に語られる経歴がはっきり動き始めるのは中嶋さんと出会った大学時代からです。
大学時代に中嶋享と出会い、お笑いの相方に
海野さんがお笑いへ入るまでをたどるには、まず中嶋享さんと本間キッドさんの関係を知る必要があります。
本間さんと中嶋さんは学生時代からの友人でしたが、大学では本間さんが静岡、中嶋さんが東京で生活することになり、すぐにコンビを組める状況ではありませんでした。
本間キッドと組みたかった中嶋が、大学の友人・海野を相方に
中嶋さんは大学1年のころ、進学した電気工学科の勉強についていくのが難しいと感じるなかで、芸人になることを考え始めました。
本来一緒に漫才をしたかった相手は本間さんでしたが、静岡にいたため、そこで選ばれたのが大学の友人だった海野健太郎さんです。
中嶋さんは後年、海野さんを「ボケの相方」にしようとしていたと明かしており、海野さんは本間さんが加わる前から中嶋さんとお笑いを始めていました。
「だったら3人でお笑いをやるのがいいな」
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中嶋さんの頭の中では海野さんとの2人組だけで終わるのではなく、離れた場所にいる本間さんまで加えた3人組がすでに想定されていました。
音楽フェスを使って海野と本間を引き合わせる
問題は、中嶋さんとはそれぞれ友人でも、海野さんと本間さん同士にはまだ十分な関係がなかったことでした。
そこで中嶋さんは、先ほどの海野さんの父親のつてを利用して人気音楽フェスのチケットを用意し、ロック好きだった本間さんを誘います。
中嶋さんが2人を同じ場所へ連れていき、海野さんと本間さんが意気投合するきっかけを作ったことで、後の3人組につながりました。
現在のや団の名前には本間さんと中嶋さんの中学時代の思い出がありますが、中学時代の「ヤ団」の仲良し3人組に海野さんがいたわけではありません。
「ヤ団」という名前は本間さん、中嶋さんと当時の別の友人が中学3年の3on3大会へ出た際のチーム名が始まりで、海野さんは大学時代になってからお笑いのメンバーとして加わっています。
海野と中嶋はお笑いを続けながら大学を留年
そのころ静岡で大学生活を送っていた本間さんも、舞台役者やお笑い、音楽など「表現者」になることを考えていました。
卒業時には就職先の内定も得ていましたが、最終的に就職せず芸人になることを選び、東京へ戻っています。
ところが、4年で卒業して戻った本間さんを待っていた海野さんと中嶋さんは、まだ大学生でした。
本間さんは後年、2人についてお笑いを続けるために意図的に留年していたと明かしています。
海野さんは単に中嶋さんから誘われただけではなく、大学生活を延ばしながらお笑いを続ける時期を過ごしていました。
海野さん本人が子どものころから芸人志望だったのか、どんな芸人や番組に影響を受けていたのかを語った記録は多くありませんが、この時期にはすでに舞台に立つ方向へ生活が動いていました。
本間キッドを加え、初期のや団が3人でスタート
本間さんが東京へ戻ると、中嶋さんが以前から考えていた3人でのお笑いが実際に動き始めます。
ここでそろったのが本間キッドさん、中嶋享さん、海野健太郎さんという初期のや団でした。
本間が大学卒業後に戻り、3人組で活動開始
3人は中学時代から使われていた「ヤ団」をもとにした「や団」という名前で活動を始めます。
カタカナの「ヤ」がひらがなの「や」になったのは大学4年ごろで、本間さんと中嶋さんが高田馬場のラーメン店「渡なべ」に入り、漢字とひらがなの組み合わせを見たことがきっかけでした。
そのため、グループ名の歴史は海野さん加入以前までさかのぼりますが、お笑いトリオとして本格的に活動を始めた初期メンバーの1人が海野さんでした。
養成所には通わず、フリーのお笑いライブから舞台へ
初期や団の3人には、NSCなどのお笑い養成所へ通った経歴がありません。
中嶋さんによると、最初は誰でも出演できるフリーのお笑いライブに1、2回出るところから始めています。
そこで演じていたのは漫才ではなくコントで、中嶋さんは後年、当時について現在と同じようなコントをしていたと説明しています。
海野さんの芸人生活は、養成所の教室ではなく実際のライブ会場から始まった形でした。
中嶋さんと2人だった段階では「ボケの相方」として位置づけられていた海野さんも、本間さんが加わったことで3人コントの一員として舞台へ立つようになります。
2005年4月、設立直後のSMA NEET Projectへ所属
フリーで活動を始めた3人は、次に所属事務所を探すことになります。
本間さんはネプチューンが好きだったため当初はワタナベエンターテインメントへのネタ見せも考えていましたが、知人の芸人からSMAがお笑い部門を始めたと聞き、3人はSMAへ向かいました。
そこで面接を担当したのが、SMAのお笑い部門を立ち上げた平井精一さんでした。
2005年4月、海野さんを含む3人のや団は、立ち上がったばかりのSMA NEET Projectへ所属します。
現在のSMA公式プロフィールでも、本間さんと中嶋さんについては2005年4月から活動と記載されており、この年が2人と初期や団の本格的な芸人活動の出発点になっています。
海野健太郎がいた若手時代|SMAライブで上位常連へ
SMAへ入った初期や団は、所属しただけで長い間下位にとどまっていたわけではありませんでした。
海野さんが在籍していた時代から、3人は事務所ライブで早くも結果を残し始めています。
トライアウトライブ第3回から参加し、トップランク常連に
SMA NEET Projectでは、観客投票によって芸人のクラスが分かれる「トライアウトライブ」が行われていました。
や団はその第3回から参加し、当時約50組いた所属芸人の中でもかなり若いグループとして舞台に立っています。
勢いのあるコントが観客投票で支持され、ランクを上げていきました。
海野さんがいた初期や団は、活動開始から比較的早い時期に事務所ライブのトップランクグループの常連になっています。
2025年の東洋経済オンラインによる中嶋さんの記事でも、海野さんを含む3人で結成したや団について所属1年目から評価が高かったと紹介されています。
初期は中嶋がツッコミ|現在とは違うコントの役割
現在のや団だけを見ていると、海野さんがいたころも同じ役割分担だったように思えますが、初期のコントには現在とは違う面がありました。
当時を先輩芸人として見ていた、現在のSMAマネージャー・鈴木俊樹さんは2025年の対談で、ロングサイズ伊藤さん加入前のや団について具体的に証言しています。
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本間さんも同じ対談で、鈴木さんとは昔よくライブで一緒になり、浅草へ行っていたことを思い出しています。
海野さんがいたころのや団には、現在の3人によるコントとはまた違った役割とネタの形がありました。
順調にランクを上げながら、海野は大学生活も継続
事務所ライブでトップグループへ上がっていく一方、海野さんはまだ大学生でもありました。
本間さんが4年で大学を卒業して芸人生活へ入ったのに対し、海野さんと中嶋さんは学生生活を残したまま舞台へ出続けています。
海野さんは最終的に大学へ6年間通って卒業することになります。
フリーライブから始まり、SMAへ入り、事務所ライブの上位まで進んだ時期と大学生活が同時に進んでいたことになります。
ところが、大学卒業を迎えた2007年、海野さんは芸人を続けるのとは別の道を選びます。
2007年、大学卒業を機に海野健太郎がや団を脱退
ライブで評価が上がり、これからという時期に、や団の3人体制は一度終わることになりました。
きっかけは、海野さんが6年間通った大学を卒業したことでした。
結婚を考え、芸人を辞めると中嶋と本間へ伝える
2020年のCocotameで中嶋さんが語ったところでは、大学を卒業した海野さんは当時交際していた女性との結婚を考え、芸人を辞めたいという意向を伝えました。
事務所ライブでトップグループの常連になっていた時期でしたが、海野さんは大学卒業を一区切りとして芸人生活から離れる決断をしています。
中嶋さんは、せっかく活動がいい流れに来ていたところで脱退を告げられ、本間さんとかなり慌てたと当時を振り返っています。
海野さんがや団を離れたのは2007年で、現在の3人体制ができる直前でした。
二次情報では「就職した」「結婚した」とまで書かれることがありますが、関係者インタビューから明確に分かるのは、海野さんが結婚を考えて芸人を辞める意向を伝えたというところまでです。
本間と中嶋は2人組ではなく、3人コントを続ける道を選ぶ
海野さんが抜けたことで本間さんと中嶋さんの2人が残りましたが、そのままコンビとしてや団を続ける方向には進みませんでした。
「僕は3人でやるコントが絶対に良かった。」
Cocotame「や団:お笑い通も一目置く、ネクストブレイク芸人の急先鋒【前編】」
本間さんにとっては、海野さんが抜けたあとも3人でコントをする形そのものを残すことが重要でした。
海野さんの脱退によって「や団を2人にする」のではなく、「新しい3人目を探す」という次の動きが始まりました。
ここで2人に候補を教えたのが、SMA NEET Projectを立ち上げた平井精一さんです。
ロングサイズ伊藤が加入し、2007年4月に現在のや団へ
平井さんが紹介したのは、当時SMAの一番下のランクで活動していたピン芸人のロングサイズ伊藤さんでした。
伊藤さんはライブでは結果を出せていなかったものの、平井さんは華や演技力を評価し、本間さんたちの書くコントなら合うのではないかと考えていました。
本間さんと中嶋さんは土曜日のネタ見せに伊藤さんが来るのを待ちましたが姿を見せなかったため、連絡先を教えてもらい、直接電話で加入を持ちかけています。
芸人を続けるか迷っていた時期だった伊藤さんは誘いを受け、や団へ加入しました。
SMAの現在の公式プロフィールでは、本間キッドさん・中嶋享さん・ロングサイズ伊藤さんによるや団を「2007年4月結成」としています。
一方で本間さんと中嶋さんの活動開始は2005年4月と記載されているため、海野さんを含む初期や団の活動開始が2005年、現在のメンバーによるや団の結成が2007年4月と整理すると経歴が分かりやすくなります。
海野健太郎がいた2年間から現在のや団へ
ロングサイズ伊藤さんが加入すると、海野さんがいたころから続いていた3人コントという形を残しながら、や団は新しいメンバーで再スタートしました。
交代直後には、少し意外な出来事も起きています。
海野とロングサイズ伊藤は背格好がよく似ていた
伊藤さんは後年のインタビューで、加入前に事務所ライブでや団を一度見たことがあり、当時から上位にいるグループとして認識していたと話しています。
ところが実際に自分が加入すると、前任の海野さんと伊藤さんは背格好がほぼ同じでした。
遠目では外見の変化が小さく、メンバーが海野さんから伊藤さんへ替わったことに気づかない観客もいたと伊藤さんは振り返っています。
海野さんの旧プロフィールに残る身長は183cmで、現在のSMA公式プロフィールでロングサイズ伊藤さんも183cmとなっており、数字の上でも2人は同じ身長です。
2005年の活動開始と2007年の現体制結成は別の出来事
現在のや団が広く知られるようになったのは、海野さんが脱退してからかなり後のことです。
キングオブコントが始まったのは2008年のため、海野さん在籍時代には大会そのものがまだ開催されていませんでした。
そのため、2022年以降のキングオブコント決勝進出などは、本間さん、中嶋さん、ロングサイズ伊藤さんによる現在のや団が積み上げた経歴です。
海野さんの時代に残された大きな足跡は、養成所を経ずに3人でライブへ出始め、2005年にSMAへ入り、事務所ライブのトップグループまで上がった初期の2年間です。
現在のや団は2025年にもキングオブコント決勝へ進み、2026年には東京・愛知・福岡・大阪・新潟を回る5都市の単独ライブツアー「巡業」を開催するなど、3人組のコントを軸に活動を続けています。
大学時代、中嶋享さんの友人としてお笑いを始めた海野健太郎さんは、本間キッドさんとの関係を作りながら、初期のや団を構成する3人目として舞台に立ちました。
2005年のSMA加入から事務所ライブの上位へ進み、大学卒業を迎えた2007年に芸人生活から離れるまでの時間は、現在のや団ができる直前にあったもう一つの3人体制でした。
その後にロングサイズ伊藤さんが加わっても3人コントという形は残り、や団という名前は現在まで続いています。












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