人物プロフィール
お笑いトリオ「や団」で、183cmの長身とコントでの演技力を生かして存在感を見せているロングサイズ伊藤さん。
キングオブコントでは2022年に初めて決勝へ進み、その後も決勝の常連となりましたが、芸人になるまでの道は一直線ではありませんでした。
高校卒業後は専門学校、浅草の人力車、NSC、会社員と進路を変え、一度お笑いから離れたあとに25歳頃でもう一度芸人を目指しています。
しかも再挑戦して入ったSMAでは、本人が振り返るほどネタで結果を出せず、所属ライブの最下層にいた時期がありました。
その伊藤さんに声をかけたのが、現在の相方である本間キッドさんと中嶋享さんです。
どんな子ども時代を過ごし、なぜ一度離れたお笑いへ戻り、そこから現在のや団へたどり着いたのでしょうか。
ロングサイズ伊藤の生い立ちと家族|神奈川県で育ち、お笑い好きに
ロングサイズ伊藤さんは1981年3月22日生まれ、神奈川県出身で、本名は伊藤和希さんです。
父親や母親、兄弟姉妹など家族構成については本人から広く公表されている情報が多くありませんが、子どものころからテレビのお笑い番組を楽しんでいたことは本人が明かしています。
小学生時代は「加トケン」、中学生になるとダウンタウンに夢中
小学生のころに好きだったのは、加藤茶さんと志村けんさんが出演していた『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』でした。
このころから家でテレビを見て笑うことが好きで、中学生になると興味の中心がダウンタウンへ移っていきます。
松本人志さんと浜田雅功さんの笑いに強くひかれるようになり、やがて「見る側」だったお笑いが自分の進路に入ってくるほど影響を受けました。
「NSCに入ったのもダウンタウンさんに憧れたからです」
日刊スポーツ
中学生のころに夢中になったダウンタウンは、数年後にNSCへ向かう理由にもなりました。
東京実業高校へ進学し、卒業する頃にはお笑いを仕事にしたかった
その後は東京実業高校へ進み、卒業するころにはすでに「お笑いをやりたい」という気持ちを持っていました。
ただ、この時点では芸人になるルートをはっきり決めていたわけではなく、すぐにお笑いの養成所へ進んだわけでもありません。
高校を出た伊藤さんが最初に選んだのは、芸人養成所ではなく東京ビジュアルアーツでした。
高校卒業後は専門学校からNSCへ|芸人を目指した最初の挑戦
お笑いを仕事にしたいという気持ちはありながらも、高校卒業直後の伊藤さんは、そこへたどり着く方法を探している途中でした。
専門学校へ進み、そこを離れ、働いて資金を作ってからNSCへ入るという順番で、少しずつ芸人の世界へ近づいていきます。
お笑いに役立つと考え、東京ビジュアルアーツで「文字」を学ぼうとする
東京ビジュアルアーツで伊藤さんが考えていたのは、新聞記者や広報などにつながる「文字を扱う」勉強でした。
文章を扱う力なら、いつかお笑いにも生かせるのではないかと考えていたといいます。
「高校卒業したときからお笑いをやりたかったんですよ。」
Bezzy
しかし専門学校には長く在籍せず、伊藤さんは別の形でお笑いへ向かうことになります。
専門学校を離れ、浅草で人力車を引きながらNSCの資金を貯める
専門学校を離れたあと、伊藤さんが働いた場所の一つが浅草でした。
観光客を乗せる人力車の車夫として働きながら、お笑いの養成所へ進むための資金を準備していきます。
高校を卒業したらそのまま養成所へ入ったのではなく、専門学校を経て、浅草で働く時期を挟んでから芸人への入口に立ったことになります。
人力車で働いた先に選んだのが、ダウンタウンも出身者として知られる吉本興業のNSCでした。
ダウンタウンに憧れて東京NSC6期へ入るも、約1〜2か月で通わなくなる
伊藤さんは東京NSC6期へ入ります。
ところが、憧れていたダウンタウンの影響を強く受けていたことが、今度はNSCへ通い続けない方向にも作用しました。
後年のインタビューでは、当時の自分を「ダウンタウン病」と表現し、学校で真面目にお笑いを勉強することを格好悪いと考えていた時期だったと話しています。
親しかった友人とコンビのような形でお笑いをやろうとしていたものの、実際には喫茶店でお笑いについて話す時間が増え、NSCには約1〜2か月ほどで通わなくなりました。
憧れのダウンタウンを追ってNSCへ入ったものの、最初の挑戦では芸人として活動を続けるところまで進みませんでした。
一度は会社員に|携帯ショップ勤務から再び芸人を目指すまで
NSCへ行かなくなった伊藤さんは、そのまま芸人として活動するのではなく、一度お笑いの道から離れます。
ここから約2年間の会社員生活が始まりました。
NSCを離れた後、携帯ショップで約2年間働く
就職先は携帯電話の販売店でした。
NSCで漫才師を目指していた生活から離れ、携帯ショップで販売の仕事をする日々を約2年間送ります。
高校卒業時から持っていたお笑いへの気持ちは、ここでいったん職業としての会社員生活の後ろへ下がりました。
自分が本当にやりたかったことを考え直し、もう一度お笑いへ
会社員を続けるなかで転機になった出来事の一つが、北海道にいた交際相手との遠距離恋愛が終わったことでした。
生活やこれから先のことを考え直す時間が生まれた伊藤さんは、自分が本当にやりたかったことへもう一度目を向けます。
「俺はお笑いやりたいんだ」
Bezzy
一度NSCを離れて会社員になったあと、25歳頃でもう一度お笑いの世界へ入ることを決めました。
ライブ出演者募集を見てSMAへ行き、そのまま芸人として再スタート
再挑戦を決めた伊藤さんは、自分が出演できるお笑いライブを探し始めました。
そのとき目に入ったのが、ソニー・ミュージックアーティスツのNEET Projectによる出演者募集でした。
本人は通常のお笑いライブへ出演するくらいの感覚で応募したそうですが、現場では履歴書を求められ、その流れでSMAで芸人活動を始めることになります。
高校卒業後に一度目指した道へ、会社員生活を挟んで戻ってきました。
SMA最下層のピン芸人時代|「ロングサイズ伊藤」という芸名も誕生
SMAに入った時点では、現在のや団ではなくピン芸人としてのスタートでした。
ここで現在まで使い続ける芸名も生まれますが、活動は最初から順調だったわけではありません。
身長183cmから、その場の思いつきで「ロングサイズ伊藤」に
SMAへ入る際、書類に芸名を書くよう求められた伊藤さんは、その場で名前を考えることになりました。
そこで目をつけたのが、自身の183cmという身長です。
背が高いことから思いついた「ロングサイズ」と本名の伊藤を組み合わせ、ロングサイズ伊藤と記入しました。
文化放送で本人が語ったところでは、かなり急場で決めた芸名だったそうです。
検索でも目を引く「ロングサイズ」という名前は、183cmの長身から生まれたものでした。
客が2〜3人の「HOP」で最下位になる日々
SMAではライブの成績によって出演するステージが分かれており、伊藤さんがいたのは下位クラスの「HOP」でした。
本人によると、会場の客が2〜3人しかいないこともあったそうです。
さらに伊藤さん自身もそこで好成績を収めていたわけではなく、ネタでは最下位になるほど苦戦していました。
会社員を辞めてお笑いへ戻ってきたものの、舞台に立てばすぐ評価されるという状況ではありませんでした。
上位ライブのや団を見て、本間キッドの人気を勘違い
そのころ、本間キッドさんと中嶋享さんは伊藤さんより上の「金の卵」というライブへ出演していました。
伊藤さんが上位ライブを見に行った際、満員の客席から本間さんへ「てっちゃーん!」と声が飛んでいるのを聞き、かなり人気のある芸人なのだと思ったそうです。
ところが本間さんによれば、その声援を送っていたのは自身のアルバイト先の知り合いたちでした。
まだ別々の場所で活動していた3人は、この時点では同じトリオとして舞台に立っていません。
ロングサイズ伊藤がや団へ加入|辞めかけていた時に届いた誘い
本間キッドさんと中嶋享さんは、もともと別の3人目を含むトリオ「や団」として活動していました。
2007年にそのメンバーが就職などを機に抜けることになり、本間さんはトリオを続けるため新しいメンバーを探します。
3人目が抜けたや団へ「華と演技力がある」と推薦される
そこで伊藤さんの名前を出したのが、SMAで芸人たちを見ていた平井精一プロデューサーでした。
当時の伊藤さんはライブのネタでは結果を残していませんでしたが、平井さんは別の部分を見ていました。
「華があるし、演技力がある」
Cocotame
本間さんたちが作るコントなら、その特徴を生かせるのではないかという推薦でした。
ネタの順位では最下層にいた伊藤さんが、「華」と「演技力」を理由に上位で活動するや団の新メンバー候補になったのです。
本間キッドと中嶋享が待っても、伊藤はネタ見せに現れなかった
本間さんと中嶋さんは、土曜日に行われるSMAのネタ見せへ伊藤さんが来ると聞き、そこで声をかけようと待っていました。
しかし、その日に伊藤さんは現れませんでした。
翌週も姿を見せず、マネージャーからは「辞めそうだ」という話まで出てきます。
会社員を辞めて再挑戦したお笑いでしたが、ピン芸人として結果が出ず、本人は再び続けるかどうかというところまで来ていました。
そこで本間さんたちは伊藤さんの連絡先を聞き、直接誘うことにしました。
連絡を受けて2007年に加入、最下層ライブから満員の舞台へ
連絡を受けた伊藤さんは誘いに応じ、2007年4月から現在の3人によるや団で活動を始めます。
SMAの公式プロフィールでも、本間さんと中嶋さんは2005年4月から活動、伊藤さんはや団結成時の2007年4月から活動と整理されています。
伊藤さんにとって大きかったのは、舞台の環境が一気に変わったことでした。
客が数人ということもあったHOPから、すでに上位ライブへ出ていた本間さん、中嶋さんと一緒に舞台へ上がるようになります。
芸人を辞めようとしていた時期に届いたや団からの連絡が、現在まで続くトリオ活動の始まりになりました。
ネプチューンのVHSからトリオコントを学び、演技力が武器になる
ただし、加入した伊藤さんが最初からや団のコントを理解していたわけではありません。
本人は当初、「時事を切るようなこと」をやりたいという考えを持っていました。
そこで本間さんはネプチューンのVHSを伊藤さんへ見せ、3人で演じるコントがどういうものなのかを伝えていきました。
ネタの土台は本間さんが作り、3人で読みながらセリフや動きを整えていく現在につながる作り方も、活動を続けるなかで形になっていきます。
「ロングさん、演技はすごくうまいんですよ」
文化放送
伊藤さん自身はや団へ入るまで、自分に演技力があるとは考えていなかったといいます。
ピンでは結果につながらなかった演技が、トリオコントへ入ることで伊藤さんの大きな持ち味として表に出るようになりました。
や団の若手・下積み時代|KOC準決勝を重ねてもバイト生活
現在の3人になった翌年の2008年、や団は第1回キングオブコントへ出場しました。
ここから初めて決勝へ進む2022年まで、長い時間を劇場やライブ、アルバイトとともに過ごすことになります。
2009年にKOC準決勝へ進むも、その後も長い足踏みが続く
2009年には早くもキングオブコント準決勝へ進みました。
その後も2014年、2016年から2019年にかけて準決勝へ進出するなど、決勝がまったく見えない位置にいたわけではありません。
しかし、準決勝までは行けても決勝へ届かない年が重なりました。
ライブへ呼ばれる機会はあり、賞レースでもある程度の結果は出る一方で、それだけで生活できるほど仕事が増えるわけではない状態が続きます。
2020年のインタビューでも、3人はそれぞれアルバイトを続けながら芸人活動をしていました。
「33歳まで仕事がなければ辞める」と決めながら活動を継続
一度会社員になってから25歳頃でお笑いへ戻った伊藤さんには、年齢に対する焦りもありました。
「最初は33歳まで何も仕事がなかったら辞めようと決めていた」
Cocotame
ところが33歳へ近づくころにもライブへ呼ばれ、キングオブコントでは準決勝へ進むことがありました。
大きく売れてはいないものの、「何も起きていない」とも言えない結果が少しずつ続き、辞めると決めた年齢を越えて活動を続けます。
完全に仕事がないわけではない一方、芸人だけで生活できるところにも届かない時期が長く続きました。
松本りんすとの同居など、芸人仲間と過ごした売れる前の生活
売れる前の伊藤さんの生活が見えるエピソードの一つが、同じSMA所属のだーりんず・松本りんすさんとの同居です。
松本さんは2017年の自身のブログで、伊藤さんについてはっきり「同居人」と書いています。
その投稿では伊藤さんがハワイ旅行へ行くため、留守中の金魚の餌やりを松本さんへ任せたという、同居生活の一場面も残っています。
テレビ出演が日常になる前は、同じ事務所の芸人仲間と暮らしながら舞台へ出る生活が続いていました。
2020年「山-1グランプリ」で優勝し、3人の個性を生かすコントが形になる
長い活動のなかで、や団の方向がはっきりしていったネタの一つが「バーベキュー」でした。
本間さんが伊藤さんと中嶋さんの言動に振り回される構図で、3人それぞれの人物像が前へ出るコントです。
このネタで2019年にSMAホープ大賞を獲得し、2020年には『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の山-1グランプリで優勝しました。
伊藤さんの大きな体と演技、中嶋さんの独特な振る舞い、本間さんがそれを受ける形が、舞台で生きるようになっていきます。
それでも、この時点でキングオブコント決勝にはまだ届いていませんでした。
2022年7月には座・高円寺2で初の単独ライブ『真夏のや団』を開催し、250人以上入る会場へ挑戦します。
客席を満員にすることはできませんでしたが、バッファロー吾郎A先生やせきしろさんら外部の人にもネタを見てもらうようになり、同年秋のキングオブコントへ向かいました。
15回目のKOCで初決勝|2022年3位から仕事が変わり始める
第1回大会からキングオブコントへ挑戦してきたや団にとって、2022年は大きく状況が変わった年でした。
長く越えられなかった準決勝の先へ、初めて進みます。
キングオブコント2022で初の決勝進出、3位に
キングオブコント2022で、や団は結成から15年目にして初めて決勝へ進出しました。
ファーストステージを突破して最終決戦まで残り、結果は3位でした。
優勝ではありませんでしたが、この決勝進出を境にテレビやライブの仕事は明らかに増えています。
決勝直後の文化放送では、それ以前の芸人としての月収について、伊藤さんはおよそ2,000円だったと紹介されていました。
第1回から挑戦を続けてきたキングオブコントで、2022年に初めて決勝へ進んだことが仕事量の変化につながりました。
仕事は増えても、水道メーター検針のアルバイトを続けていた
ただし、KOC決勝3位になった翌日からアルバイトを完全に辞められたわけではありません。
伊藤さんが続けていた仕事の一つが水道メーターの検針でした。
2023年には、KOC後は毎日のようにアルバイトへ行かなくてもよくなったものの、検針の仕事自体は続けていると話しています。
さらに2025年のマネージャーとの対談でも、その仕事は少ないながら残っていました。
「昔からやっている水道メーターの検針は、少ないながらもまだ続けてます」
Cocotame
KOC初決勝後は仕事が増えましたが、生活の変化は一度に起きたのではなく、アルバイトを減らしながら段階的に進んでいきました。
2023年、2024年、2025年と決勝へ進み、2025年は準優勝
2022年の初決勝は一度きりでは終わりませんでした。
2023年も決勝へ進み5位、2024年は4位となり、3年続けてファイナリストに選ばれます。
そして2025年には4年連続で決勝へ進出しました。
ファーストステージで473点を獲得して最終決戦へ進み、ファイナルステージとの合計は937点。
優勝したロングコートダディの945点に8点届かず、や団はキングオブコント2025準優勝となりました。
初決勝だった2022年の3位から、2025年には準優勝まで順位を上げ、や団はKOC決勝の常連になっていきました。
コントの演技力がテレビや俳優仕事へ|ロングサイズ伊藤の現在
KOC初決勝以降は、トリオとしての仕事だけでなく伊藤さん個人で呼ばれる場面も増えました。
そのなかで改めて生かされているのが、や団へ加入する前から周囲に評価されていた演技力です。
若手時代から評価されていた演技力がLIXILのWeb CMなどへ広がる
や団のマネージャーを務める鈴木俊樹さんは、伊藤さんについて長身で見栄えがし、コントで培ってきた演技力もあることから、俳優仕事への可能性を見ています。
実際にLIXILの窓・ドアリフォーム関連のWeb CMなどへ出演し、コント以外で演じる仕事も増えていきました。
2025年には縦型ショートドラマ『御曹司はお忍び清掃員 REVENGE SHOW』にも出演し、中島颯太さん、小西詠斗さん、大和田伸也さんらと共演しています。
SMA最下層のピン芸人だったころから周囲が見ていた「演技力」が、コントを経て映像の仕事にも使われるようになりました。
トリオだけでなく個人のバラエティー出演も増加
KOC後は『チャンスの時間』や『ロンドンハーツ』など、伊藤さん個人でバラエティー番組へ出演する機会も増えています。
長身と独特な雰囲気に加え、コントで役に入り込んできた経験もあり、や団のネタ以外で伊藤さん自身が前へ出る仕事が広がりました。
一方で、や団では現在も本間さんがネタの土台を作り、3人でセリフや動きを調整しながらコントを仕上げています。
ピン芸人として始めたSMAでの活動は、や団との出会いによってトリオコントへ移り、そこから個人のテレビや映像仕事へも枝分かれしてきました。
2026年もキングオブコントへ挑戦、9月時点で準決勝まで進出
2026年も、や団はキングオブコントへの挑戦を続けています。
19回目となるキングオブコント2026には3,445組がエントリーし、や団は準々決勝を突破して準決勝35組に入りました。
準決勝は2026年9月3日と4日に開催され、9月6日時点では決勝進出10組の発表前です。
決勝進出者は9月10日午後6時に大会公式YouTubeで発表される予定となっているため、現時点で確認できるのは準決勝進出までです。
会社員を辞めて25歳頃に戻ったお笑いの世界で、伊藤さんは2026年もや団の一員としてKOCの舞台に立っています。
高校卒業後にお笑いを目指しながら、専門学校、NSC、会社員と進路を変えたロングサイズ伊藤さん。
再挑戦したSMAで結果が出ず辞めかけた時期に本間キッドさんと中嶋享さんから声をかけられ、や団のコントで演技力を生かすようになりました。
長くアルバイトを続けた若手時代を経てKOC決勝の常連となり、現在はトリオのコントに加えてバラエティーや演技の仕事にも活動を広げています。












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