吉原怜那の生い立ちと子役時代|M-1でお笑いにハマり東大落研からダウ90000へ

人物プロフィール

生年月日
2001年2月22日
身長
155cm
血液型
B型
出身地
東京都
コンビ・グループ名
ダウ90000
相方・メンバー
蓮見翔、園田祥太、飯原僚也、上原佑太、道上珠妃、中島百依子、忽那文香
結成年
2020年
所属事務所
オフィスカニバブル
芸人活動開始年
2019年

ダウ90000の最年少メンバーとして、コントや演劇だけでなくテレビ、ラジオ、俳優業にも活動を広げている吉原怜那さん。

大学お笑いからダウ90000へ加わった経歴が知られていますが、人前に立つ生活が始まったのは大学よりずっと前で、小学3年生のころには芸能事務所に入り、子役として活動していました。

そのまま俳優の道へ進んだわけではなく、中学生になるとM-1グランプリで見た芸人をきっかけに小さなお笑いライブへ通い、高校時代には観客が数人しかいない地下ライブにも足を運ぶようになります。

大学では東京女子大学に通いながらインカレの東京大学落語研究会へ入り、そこで学生お笑いの舞台に立ち始めました。

子役、地下お笑いの観客、学生芸人という時間を経て、大学1年の冬に蓮見翔さんとコントを撮ったことがダウ90000加入へつながっています。

吉原怜那さんの公式Instagram投稿を見る

吉原怜那の生い立ちと家族|目立ちたがりの小学生が子役へ

吉原怜那さんは2001年2月22日生まれ、東京都出身です。

現在の落ち着いた話し方からは少し意外ですが、子どものころの本人はかなり人前へ出たがるタイプだったといいます。

学級委員・放送委員を務め、応援団長にも立候補した小学生時代

小学校では、先生に当ててもらいたくて授業中によく手を挙げ、学級委員や放送委員も務めていました。

小学6年生になると、以前からやってみたかった運動会の応援団長にも挑戦し、オーディションを受けています。

本人は当時について、周囲の目を気にして後ろへ下がるというより、自分から前へ出ていく子どもだったと振り返っています。

テレビに映る人への憧れも早くからあり、その興味はやがて見る側から出演する側へ向かいました。

『天才てれびくん』に憧れ、小学3年で芸能事務所へ

芸能界へ興味を持つ直接のきっかけは、NHKの子ども向け番組『天才てれびくん』でした。

出演している子どもたちを見て自分も出たいと思い、小学3年生で芸能事務所へ入ります。

「『天才てれびくん』に憧れて小3から芸能事務所に入って、中2までやってました」

WANI BOOKS NewsCrunch

別のインタビューでは「小学4年生ぐらいから子役」とも表現しており、小学3年で事務所へ入り、その後子役として仕事を経験したという流れが見えてきます。

仕事で人前へ出ることそのものは楽しく、本人は後年、子役時代の経験が現在にもつながっていると話しています。

一方で、同じ事務所には本気でアイドルを目指している子や、実際に夢をかなえていく子もいました。

自分より早く将来を考え、夢へ向かって進む同世代を間近で見ていたことは、吉原さんにとって楽しいだけではない子役時代の記憶になりました。

子役仲間と両親に囲まれて過ごした小中学生時代

子役時代の友人の一人が、のちにつばきファクトリーのメンバーとなる小野瑞歩さんです。

二人は同じ芸能事務所に所属していたころから親しく、本人たちだけでなく母親同士にも交流がありました。

やがて中学生になると連絡が途絶え、小野さんはハロー!プロジェクトでアイドルに、吉原さんは後にダウ90000のメンバーとなり、別々の道を進みます。

約10年後、テレビ朝日『週刊ダウ通信』の企画で再会すると、長く会っていなかった時間を挟みながらも、子役時代の距離感が戻ったと吉原さんは話していました。

芸能活動を始めるという小学生の選択を両親は支えており、大学生になってから吉原さんが一般企業へ就職しない意向を伝えたときにも、その進路を受け入れています。

子役時代の具体的な出演作品名については本人のインタビューで細かく列挙されていませんが、小学3年から中学2年まで芸能事務所に所属して活動していたことは本人自身が明かしています。

中学時代にM-1を見てお笑いライブへ通い始める

子役としてカメラの前に立つ一方、家で好んで見ていたのはドラマだけではありませんでした。

小学生から中学生にかけて、吉原さんの中ではコント番組への興味がかなり大きくなっていました。

コント番組好きで、憧れたのは「お笑い番組に出る女優」

好きだった番組として挙げているのは、『エンタの神様』『はねるのトびら』『爆笑レッドシアター』『ピカルの定理』などです。

さらに『笑う犬』やアニメーション作品『The World of GOLDEN EGGS』も好んでいました。

当時の夢を聞かれると「女優」と答えていましたが、吉原さんが頭に思い浮かべていた女優像は、映画や連続ドラマだけに出演する人ではありませんでした。

本人が例として挙げているのは、『ワンナイR&R』に出演していた小池栄子さんや、『ピカルの定理』に出演していた夏菜さんです。

子どものころから「演技」と「笑い」は吉原さんの中で別々のものではなく、同じテレビの世界に存在していました。

M-1グランプリ2015のメイプル超合金を見てライブの客席へ

テレビでお笑いを見るだけだった吉原さんをライブ会場まで動かしたのが、M-1グランプリ2015でした。

この大会でメイプル超合金を見て、一気に興味を持ちます。

「この人たちを生で見たい!」

Steenz

中学3年生ごろから実際にライブへ足を運ぶようになると、テレビでは見たことのなかった小さな会場のお笑いに触れました。

有名な芸人だけを追いかけるのではなく、そのライブに出演している別の芸人も面白いと思い、さらに次のライブへ行くという流れが生まれていきます。

子役として舞台の外側にいた時期に、今度は客席から「お笑いの現場」へ入り込んでいきました。

高校時代|子役を離れ、地下お笑いへ深くのめり込む

中学2年まで続けた芸能事務所を離れると、吉原さんには次に何を目指すのかを考える時期がやってきました。

高校生活そのものは友人にも恵まれて楽しかった一方、かつて一緒に活動していた子役仲間の姿がテレビで目に入るようになります。

元子役仲間の活躍を見ながら、自分の進む方向を迷った時期

同じ事務所にいた子がデビューしたり、テレビへ出演したりする一方で、自分は芸能事務所を離れて普通の高校生活を送っていました。

そこには「自分もあちら側にいたかもしれない」という感覚があり、周囲の活躍と今の自分との距離を意識することもあったといいます。

「少し方向を迷っていました」

Steenz

ここで再び子役事務所へ戻ったり、すぐに別の芸能事務所へ所属したりしたわけではありません。

吉原さんが時間を使うようになった場所は、すでに中学生のころから通い始めていたお笑いライブでした。

観客4人のライブにも通い「お笑いで一旗上げる」と考えるように

高校時代には、客席に4人ほどしかいないような地下ライブにも足を運んでいました。

華やかなテレビ番組からお笑いへ入ったものの、実際に面白いと感じたのは、大勢に知られる前の芸人たちが小さな会場でネタを試している世界でした。

子役時代の仲間が先へ進んで見えたことへの複雑な気持ちもあり、本人は後年、その感情がお笑いへ深くのめり込む力になったのではないかと話しています。

高校生になるころには、ライブを見るだけでなく、自分もお笑いで「一旗上げてやる」と考えるようになっていました。

同時期には小劇場の演劇も見ており、ゴジゲンや「20歳の国」などにも興味を持っていました。

高校卒業後の進路を考えるころ、吉原さんの中にはすでに演劇とお笑いの両方を続けたいという二つの興味が残っていました。

東京女子大学から東大落研へ|学生お笑いで舞台に立つ

2019年、吉原さんは東京女子大学へ進学します。

ここで「東大」という言葉が吉原さんの経歴に登場しますが、東京大学へ進学したわけではありません。

2019年に東京女子大学へ進学し、インカレの東大落研に加入

吉原さんは東京女子大学に在籍しながら、インカレで東京大学落語研究会、通称「東大落研」に所属しました。

落語研究会という名前ですが、学生たちは落語だけでなく漫才やコントなどにも取り組み、大学お笑いの大会やライブへ出演しています。

高校時代まで客席で地下芸人を見ていた吉原さんは、大学入学後、自分自身がネタを作り舞台へ上がる側になりました。

さらに東大落研の有志によるコント集団ナナペーハーにも大学1年から継続して出演しています。

ナナペーハーや複数ユニット、ピン「ウーマン吉原」で経験を積む

学生お笑い時代の吉原さんは、一つのコンビだけで活動していたわけではありません。

本人が東大落研3年目の2022年に記した文章では、落研内で「ギャング」「ディアロンリーガール」「シチリアの晩鐘」「おでんちゃんズ」「デラソウル」など複数のユニットを経験したことが紹介されています。

ほかの大学のお笑いサークルの学生と「ラテン調」を組み、ピンでは「ウーマン吉原」としても大会に出場しました。

ナナペーハーには大学1年から出演を続け、思ったようにいかず陰で泣いた日もあったことを本人自身が書き残しています。

「舞台に立つこと」

コント集団ナナペーハー note

幼いころのダンスや演劇、子役、そして大学で始めたコントや大喜利までを振り返ったとき、吉原さん自身が共通して好きだったものとして挙げたのが、この「舞台に立つこと」でした。

2022年9月にはナナペーハー第43回公演で座長も務めています。

吉原怜那さんのナナペーハー第43回公演の投稿を見る

大学1年の時点で「就職しない」と周囲へ伝えていた

大学へ入ってからお笑いを始めたため、ダウ90000に誘われたことで突然芸能界一本に決めたようにも見えますが、進路への考えはそれ以前から固まりつつありました。

「ダウ90000に入る前から『就職はしない』と周りに言っていました」

WANI BOOKS NewsCrunch

劇団へ入ることや芸能事務所のオーディションを受けることも、ぼんやりと選択肢に入れていたといいます。

両親も一般企業へ就職しないという考えを受け入れていました。

そのうえで両親からは、ラランドのサーヤさんのように芸人として活動しながら、社会でも使える力を持っていてほしいという話もされていたそうです。

大学に入った時点で、吉原さんは「普通に就職する」以外の道へ進むつもりでいました。

蓮見翔との出会い|YouTubeコントからダウ90000加入へ

大学でお笑いを始めた吉原さんが、のちにダウ90000を主宰する蓮見翔さんとつながったのも学生お笑いの場でした。

最初からダウ90000への加入を希望して近づいたのではなく、客席で前身グループを見たことから少しずつ接点が生まれています。

大学お笑いの場で「はりねずみのパジャマ」を目撃

大学1年のころ、東大落研のイベントに出演していたのが、ダウ90000の前身となる「はりねずみのパジャマ」でした。

吉原さんは、このグループが学生お笑いの大会へ出た際のことも覚えており、出演前は周囲がそれほど注目していなかったものの、舞台に上がると大きくウケていたと後に話しています。

当時の吉原さんはまだ東大落研で自分のユニットに取り組んでいる大学1年生で、蓮見さんたちとは所属する大学もサークルも違いました。

東大落研の先輩を介して蓮見翔からコントへ誘われる

転機になったのは、東大落研の先輩が蓮見さんと親しくなったことでした。

大学1年の冬、蓮見さんからYouTube用のコントへの出演を誘われます。

撮影したのは、蓮見さん、東大落研の先輩、吉原さんという3人で演じるコントでした。

そこで吉原さんの演技やお笑いの感覚を見た蓮見さんから、さらに声がかかります。

地下ライブの客だった高校生が、東大落研で舞台に立ち、そこでできた人間関係を通じてダウ90000の前身メンバーとコントを作るところまで進みました。

演劇とお笑いを両方できる場所を見つけ、2020年に正式加入

蓮見さんたちと出会った時期、吉原さんが探していたのは、お笑いだけ、演劇だけと一方に絞る場所ではありませんでした。

子どものころから好きだった演技と、高校時代に夢中になったお笑いの両方ができる場所を求めていたところに、はりねずみのパジャマの活動が重なりました。

2020年、前身グループから新たにダウ90000が始動すると、吉原さんも正式なメンバーとして参加します。

養成所へ入ったのではなく、学生お笑いで出会った先輩との縁と一本のYouTubeコントが、吉原さんをダウ90000へ連れていきました。

ダウ90000加入直後|“ゲスト感覚”から8人の一員になるまで

ダウ90000へ加入したからといって、その日からすぐに8人が同じ距離感になったわけではありません。

ほかのメンバーには日本大学芸術学部や前身グループから続く関係があり、東京女子大学から加わった吉原さんは少し違う位置から活動を始めました。

コロナ禍、公民館でYouTube用コントを撮る日々

しかもダウ90000が始動した2020年は、新型コロナウイルスの影響で客を入れた公演を簡単に開けない時期でした。

メンバーは公民館などを使ってYouTube用のコントを撮影し、まず映像で作品を作る時間を重ねていきます。

吉原さんにとって、ダウ90000として客前に立つ機会は加入直後にはやってきませんでした。

初めて観客の前でダウ90000のメンバーとして出演したのは、演劇公演『フローリングならでは』でした。

『フローリングならでは』のInstagram投稿を見る

『フローリングならでは』の稽古でメンバーとしての自覚が生まれる

加入したばかりの吉原さんには、自分だけが後から呼ばれたゲストのような感覚が残っていました。

周囲は年上のメンバーばかりで、敬語もなかなか抜けなかったといいます。

その距離が変わったのが、長い稽古期間を使って一本の演劇作品を作った『フローリングならでは』でした。

稽古場で何度も芝居を合わせ、同じ作品を作り上げていくうちに、自分もダウ90000の一員なのだという感覚が生まれていきます。

吉原さんにとってダウ90000への「加入」と、ダウ90000の「一員になった実感」は、少し時間のずれた別々の出来事でした。

蓮見翔と中島百依子が覚えている加入当初の吉原怜那

本人が遠慮を感じていた一方、迎えた側には最初のコントから強い印象が残っていました。

中島百依子さんは、初めて一緒に演じたときの吉原さんについてこう振り返っています。

「怜那ちゃんは初めて一緒にやったときから抜群におもしろかったです」

テレビ朝日 logirl

蓮見さんも、映像作品で求められる自然な芝居とは少し違う「コントの演技」を吉原さんが最初からできていたことを挙げています。

子役としてカメラの前に立った経験があり、その後は学生お笑いで何組ものユニットに参加していた吉原さんは、ダウ90000に入る時点ですでに演技と笑いの両方を経験していました。

M-1とABCお笑いグランプリ|短い下積みの中で知名度が変わる

ダウ90000の活動初期は、加入からすぐテレビへ出続けるような環境ではありませんでした。

小さなライブや映像制作を繰り返しながら作品数を増やし、客席やインターネット上の反応を一つずつ見ていた時期があります。

ライブ後のエゴサに一喜一憂していた活動初期

吉原さんは2022年のインタビューで、その1年ほど前まではライブが終わるたびにメンバーみんなで自分たちの名前を検索していたと話しています。

投稿された感想が一つ増えただけで喜び、厳しい感想があれば落ち込むほど、一件一件の反応を近く感じていました。

ダウ90000はコントだけでなく演劇公演も続け、ライブの本数と作品を少しずつ増やしていきます。

吉原さん自身も東大落研やナナペーハーの活動を続けており、大学内外の舞台とダウ90000を並行していました。

M-1グランプリ2021準々決勝を境に名前が知られ始める

2021年、ダウ90000はM-1グランプリで準々決勝へ進出します。

演劇とコントを行う大人数のグループが漫才の大会に出場したことも含め、お笑いファンの間で名前を見かける機会が増えていきました。

吉原さんが後に語ったエゴサの変化も、この時期の知名度の広がりをよく表しています。

少数の感想をメンバー全員で追っていた状態から、自分たちだけでは追いきれないほど名前が出る状態へ変わっていきました。

賞レース一つで突然すべてが変わったというより、舞台公演、YouTube、M-1など複数の活動が重なり、2021年から2022年にかけて外から見つかる機会が増えていきます。

ABCお笑いグランプリと大学生活を並行した若手時代

2022年には第43回ABCお笑いグランプリの決勝へ進出しました。

このころの吉原さんはまだ東京女子大学の学生で、大阪で行われる賞レースの予選へ向かうため授業を途中で抜けることもありました。

大学では学生お笑い、外ではダウ90000として舞台や賞レースに出演し、テレビの仕事も増え始めるという生活です。

ABCお笑いグランプリの舞台では、8人の中で前列にいながら思うように動けなかったことを、東大落研の先輩から率直に指摘されたこともありました。

翌年は自分から前へ出ることを意識するようになり、大人数の中でどう振る舞うかについても経験を重ねています。

ダウ90000の知名度が上がっていく時期にも、吉原さんには東京女子大学と東大落研という学生生活が並行していました。

吉原怜那さんの公式Instagram投稿を見る

子役からコント、演劇、俳優へ|昔から続く「舞台に立つこと」

賞レースで名前を知られるようになった2022年、吉原さんの活動は舞台の外へも広がっていきました。

そこで再びつながったのが、東大落研で過ごした学生時代です。

東大落研OBとの縁で初の連続ドラマへ

2022年、日本テレビとHuluでダウ90000が出演するショートドラマ『今日、ドイツ村は光らない』が制作されました。

吉原さんにとって初めての連続ドラマで、総合演出を担当した橋本和明さんには意外なつながりがありました。

橋本さんも東大落研のOBで、さらに東大落研の有志によるナナペーハーでは初代座長を経験しています。

吉原さんは東大落研へ入ったあと、『有吉の壁』などを手がける橋本さんがOBだと知り、後に橋本さんがダウ90000の公演を見に来た際には、一緒に仕事をしようと声をかけられていました。

その言葉が『今日、ドイツ村は光らない』で現実になります。

舞台では一つの場所を使って長く演じることが多かった吉原さんにとって、実際の東京ドイツ村を移動しながら撮影する映像作品は新しい経験でした。

「映像のお仕事も楽しいなと心底思いました」

マイナビニュース

東京女子大学から東大落研へ入った選択が、学生お笑いだけでなく、その後のテレビドラマの仕事にもつながりました。

ピン「ウーマン吉原」や漫才コンビ「4000」にも活動を広げる

ダウ90000が知られるようになってからも、吉原さんは8人での活動だけに絞っていません。

学生時代から使っていた「ウーマン吉原」の名義でピンの賞レースにも挑戦し、R-1グランプリ2025では準々決勝へ進出しました。

さらに蓮見翔さんとは、2人で漫才をする「4000」としても活動しています。

M-1グランプリ公式では4000の結成年が2024年12月15日と登録され、蓮見さんと吉原さんの2人組として掲載されています。

2025年には漫才とコントの両方で争う「ダブルインパクト」で準決勝へ進み、M-1グランプリでも準々決勝へ進出しました。

学生時代に複数ユニットやピンを経験していた吉原さんは、ダウ90000が軸になった後も一つの形だけに活動を固定していません。

CMでも活動は広がり、2025年にはSansanの経理サービス「Bill One」のCMで、蓮見さん、園田祥太さんとともに松重豊さん演じる部長の若手社員役として出演しました。

このCMは2026年2月から「ひとこと言いたい」篇としても放映されており、子どものころに芸能事務所で活動していた吉原さんは、コントや演劇を経て再びテレビCMの画面にも立っています。

ダウ90000と個人活動を行き来する現在

大学については、2019年の入学から活動との両立が続き、2025年2月のJ-WAVEでは本人が東京女子大学6年目で卒業に苦戦していることを明かしていました。

入学直後は東大落研の活動に力を入れ、その後コロナ禍を挟み、ダウ90000の仕事が急速に増えたことも大学生活と重なっています。

仕事ではラジオにも活動の場を広げ、2026年現在はJ-WAVE『GURU GURU!』火曜パーソナリティを担当し、Artistspoken『違和感なふたり』にも出演しています。

J-WAVE『GURU GURU!』のInstagram投稿を見る

ダウ90000では、2025年に上演した第7回演劇公演『ロマンス』が第70回岸田國士戯曲賞を受賞しました。

2026年7月からは約2年ぶりとなるコント単独ライブ『40000』を大阪、東京、札幌、仙台、福岡など全国10都市で展開しています。

同年7月にはダウ90000として第47回ABCお笑いグランプリ決勝にも進出し、吉原さんにとってABCの決勝は4度目となりました。

子どものころに思い描いていた「お笑い番組にも出る女優」に近い場所へ、演劇だけでもお笑いだけでもない形でたどり着いています。

小学3年で『天才てれびくん』に憧れて芸能事務所へ入り、中学ではM-1を見て小さなお笑いライブの客席へ通うようになりました。

高校を経て東京女子大学へ進み、東大落研で自分が舞台に立つ側になると、そこで生まれた縁から蓮見翔さんとコントを撮り、2020年にダウ90000へ加わります。

現在は8人でのコントと演劇を軸にしながら、ピン、漫才、俳優、CM、ラジオへ活動を広げ、子どものころから続いてきた「人前に立つこと」をさまざまな形で続けています。

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