人物プロフィール
令和ロマン・髙比良くるまさんといえば、漫才を細かく分析し、相手や会場の状況まで読みながら勝負する姿でも知られる芸人です。
2023年のM-1グランプリでトップバッターから優勝すると、翌2024年にも再び最初に登場し、M-1グランプリ史上初となる2連覇を達成しました。
ところが、その過去をたどると、子どものころから一直線に芸人を目指していたわけではありません。
小学校では『踊る!さんま御殿!!』をまねして遊び、中学・高校では6年間ラグビーに打ち込み、高校卒業時には大学進学さえ明確に決めていませんでした。
浪人を経て慶應義塾大学へ進み、そこで学生お笑いと松井ケムリさんに出会ったことから、現在まで続く道が少しずつ形になっていきます。
髙比良くるまの生い立ちと家族|練馬で過ごした子ども時代
髙比良くるまさんは1994年9月3日生まれ、東京都出身で、子ども時代を練馬で過ごしています。
後の経歴だけを見ると、本郷中高から慶應義塾大学へ進んだ「高学歴芸人」という印象がありますが、小学生のころから勉強だけに向かっていた少年ではありませんでした。
一人っ子として育ち、曾祖母や祖母らと暮らした時期も
髙比良さんは一人っ子で、後年には幼いころの家族について、曾祖母、祖母、祖母の弟と暮らしていた時期があったことを明かしています。
「ひいおばあちゃんとおばあちゃんとおばあちゃんの弟の4人で暮らしてた」
ABEMA TIMES
大人になってからは、地元の人間関係について、一人っ子だったことに加えて私立中学へ進んだため、地元との付き合いはそれほど濃くなかったという趣旨の話もしています。
一方、家のテレビから入ってきたお笑いは強く残り、その中でも特に夢中になったのが『踊る!さんま御殿!!』でした。
小学校では6年間“さんま御殿ごっこ”を続けていた
家で見ていた『踊る!さんま御殿!!』に影響された髙比良さんは、番組をただ見るだけで終わらず、学校へそのまま持ち込んでいました。
エセ関西弁で話し、指示棒を持ち、黒板にトークテーマまで書いて、明石家さんまさんの進行を再現するような遊びをしていたといいます。
本人が「小学校6年間を乗り切っていた」と振り返るほど、“さんま御殿ごっこ”は学校生活の中へ入り込んでいました。
当時見ていたのは、さんまさんや島田紳助さんらがトークの流れを握りながら笑いを生み出す番組で、髙比良さんは後年、そうした笑いを「制圧お笑い」という言葉で振り返っています。
本郷中学・高校で6年間ラグビー|勉強より部活と笑いに夢中
小学校を卒業すると、髙比良さんは私立の本郷中学校・高等学校へ進みます。
ここで生活の中心になったのは勉強ではなく、ラグビーと友人たちを笑わせることでした。
ラグビー部副キャプテンで「おもしろ担当」だった中高時代
本郷では中学から高校まで6年間ラグビー部に所属し、高校では副キャプテンを務めています。
当時は現在より20キロほど体重があり、本人によると、キャプテンの横で部員へ「はいがんばるよー」と声をかけるような役回りだったそうです。
ラグビー部の中では「わりとおもしろ担当」でもあり、部室という身近な場所で目の前の仲間を笑わせていました。
本郷は全国大会の花園を狙える位置にいた一方、スポーツ推薦がなく、強豪校と比べれば体格面で不利だったため、細かなサインを考えたり、低いタックルを徹底したりして戦っていました。
高校時代には日本代表と海外チームの試合を見て世界との体格・力量差を感じ、自分がトップレベルのラグビー選手を目指すことは現実的ではないと考えるようになります。
このとき身についた「自分たちより強い相手に、そのままぶつからず工夫して勝負する」という考え方は、ずっと後のM-1にも登場します。
成績は学年下位、卒業後は実家を手伝うことも考えていた
ラグビーには熱中していましたが、勉強についてはかなり極端でした。
本人によれば、中学1年の終わりごろから成績は200数十人いる学年の下位に位置し、2011年には進級もぎりぎりだったといいます。
そこで中途半端に両立するのではなく、宿題もせず、教科書も持たず、ラグビーと授業中にふざけることへ力を使うという学校生活を送っていました。
高校卒業が近づいても将来の職業を明確に決めていたわけではなく、大学へ行かなければ実家のお好み焼き店を手伝うことになるのかもしれない、とぼんやり考えていたそうです。
仲間と一緒に浪人し、半年の受験勉強で慶應へ
髙比良さんの進路が動いたのは、高校最後のラグビーが終わってからでした。
芸人を目指して進学先を決めたのではなく、最初のきっかけはラグビー部の仲間たちです。
ラグビー部の仲間が浪人すると知り、自分も大学受験を決意
ラグビー部の仲間の多くが現役で大学へ進まず浪人することになり、髙比良さんにも「まだ仲間と一緒にいたい」という気持ちが生まれました。
それまで浪人する発想すらなかったところから、仲間と一緒に受験するため、自分も浪人生活へ入っています。
部活動の終了が遅かった仲間たちは浪人後に早稲田や慶應を目指して勉強しており、髙比良さんも周囲から受験情報をもらいながら追いかけました。
中高時代にほとんど勉強していなかったため、すべてを均等に学び直すのではなく、私立文系に絞り、さらに自分が勝負できそうな慶應義塾大学文学部の入試形式へ対策を寄せています。
英語では当時持ち込みが認められていた辞書を利用し、日本史も全時代を完璧にするのではなく近現代を重点的に勉強するなど、限られた時間で得点へつながる部分を選びました。
大雪を見越して漫画喫茶へ前泊した慶應入試
慶應の入試本番では、天気予報から交通が乱れる可能性を考え、試験前日から日吉の漫画喫茶で待機しています。
実際に当日は大雪となり、朝には電車も止まる状況になりました。
試験内容だけでなく当日の移動まで先回りして準備し、髙比良さんは慶應義塾大学文学部へ合格しました。
後にM-1で「どういう展開になったら、どのネタを出すか」まで準備する姿が注目されますが、大学受験の時点でも、勝負する範囲を絞って条件を整える行動が見られます。
慶應のお笑いサークルで、芸人という進路が現れる
慶應へ入った時点でも、髙比良さんがプロの芸人になると決めていたわけではありません。
ここで初めて、それまでテレビで見ていたお笑いが、自分の進路になり得るものへ変わっていきます。
軽い気持ちで入ったO-keisで川北茂澄やストレッチーズのネタに衝撃
大学ではラグビーを続けながら、もう一つ何かやろうという程度の感覚で、お笑い道場O-keisにも足を運びました。
ところが実際に入ってみると思った以上に居心地がよく、次第に学生お笑いへ時間を使うようになります。
特に衝撃を受けたのが、サークルの先輩にあたる真空ジェシカ・川北茂澄さんのピンネタや、ストレッチーズの漫才でした。
小学校ではテレビのお笑いをまねしていた髙比良さんが、慶應で初めて、身近な先輩たちが本気でネタを作り舞台へ立つ環境に入りました。
「見るお笑い」から「自分でやるお笑い」へ比重が移ったのが、O-keisで過ごした大学時代でした。
大学1年で留年し、テレビ局のアルバイトをしながら学費を払う生活へ
大学生活では、意外な失敗も起きています。
髙比良さんは遊びすぎて単位を落としたのではなく、パソコンでの履修登録を間違え、後期は登録できていない授業へ真面目に出席していたことに後から気づきました。
その結果、1年生で留年し、一般企業へ就職することにも自信を失っていったといいます。
「テレビ局のバイトを先輩から紹介してもらって、学費を払いながらバイトしてたらあっという間に4年経ってました。」
Mastered「藤井健太郎のoff-air」
大学へ通い、お笑いサークルでネタを続けながら、テレビ局のアルバイトで学費を払う生活が続きました。
就職するために大学を卒業することより、若いうちの時間をお笑いへ使いたいという気持ちも強くなり、やがて大学を中退する選択へ進みます。
松井ケムリとの出会いから「魔人無骨」結成へ
O-keisには、髙比良さんより1学年上の松井ケムリさんもいました。
二人は最初から相方候補として近づいたわけではなく、それぞれ別の形で学生お笑いをしています。
「ずっと喋ってるやつ」だった髙比良と、別の相方がいたケムリ
松井さんが大学で初めて髙比良さんを見たとき、強く残ったのは話の内容より、とにかく長くしゃべり続けている姿でした。
「ずっと喋ってるやつがいるな…」
TOKYO FM「川島明 そもそもの話」
そのとき髙比良さんは、コンビニで新品の『週刊少年ジャンプ』を確実に手に入れるにはどうすればいいか、といった話を延々としていたそうです。
一方の松井さんには当時別の相方がおり、そのコンビでプロになることも考えていましたが、大学3年時にコンビが終わります。
「太った人と組みたかった」髙比良から見た松井ケムリ
松井さんの以前のコンビが終わったあと、髙比良さんとの距離が一気に縮まります。
2019年の慶應塾生新聞のインタビューでは、松井さんが大学3年、髙比良さんが2年のころ、飲んでいる夜に二人だけになり、そのままコンビを結成したと説明しています。
「僕は太った人とコンビを組みたかったんですよね。」
慶應塾生新聞
髙比良さんは、愛らしい人が横にいると芸人として周囲からかわいがってもらえるのではないかと考え、サークル内で最も体格の大きかった松井さんを相方に選んだと冗談交じりに話しています。
こうして現在の令和ロマンにつながる学生コンビ「魔人無骨」が誕生しました。
「魔人無骨」という名前は、戦国時代に存在した槍「人間無骨」をもとに、検索したとき自分たちの情報を見つけやすい名前にしたいという松井さんの発想から付けられています。
学生コンビ結成から大学中退、NSC東京23期へ
コンビを組んだあと、二人は学生お笑いだけで終わらず、プロになる方向へ進みます。
髙比良さんは慶應文学部で学んでいましたが、学部の勉強そのものへの興味が薄かったことに加え、「大学に通いながら芸人をする」状態にもどかしさを感じていました。
大学を卒業するためにさらに時間を使うより、若いうちにお笑いへ時間を振り向けることを選び、慶應を中退してプロの道へ進みます。
魔人無骨の二人が入ったのは、吉本興業の養成所NSC東京校23期でした。
M-1グランプリ公式が現在示している令和ロマンの結成年は2018年4月で、大学時代に魔人無骨を組んだ時期と、プロとして活動を始めた時期は分けて考える必要があります。
NSC首席からプロ1年目でM-1準決勝|魔人無骨から令和ロマンへ
NSCへ入った時点で、二人にはすでに学生お笑いの経験がありました。
それがすぐに有利に働いたわけではなく、養成所では「大学お笑い経験者」として目を付けられる場面もあったと二人は振り返っています。
NSC大ライブ133組の頂点から、M-1準決勝の舞台袖へ
卒業時に行われた「NSC大ライブTOKYO 2018」では、東京23期の133組の中から魔人無骨が優勝しました。
学生お笑い出身として警戒されることもあった二人は、結果としてNSC東京23期を首席で卒業しています。
同じ2018年にはM-1グランプリへ挑み、ワイルドカードから準決勝まで進みました。
髙比良さんに強く残ったのは、準決勝で自分たちがネタを終えたあとの舞台袖でした。
かまいたち・山内健司さんが客席を確認し、和牛・川西賢志郎さん、スーパーマラドーナ・武智さん、ジャルジャル・福徳秀介さんらが、それぞれ異なる方法で本番へ備えている光景を見ています。
強豪たちが集まる舞台袖を目にした2018年の準決勝を境に、髙比良さんの中で「M-1にどう向き合うか」が具体的な課題へ変わりました。
過去のM-1王者のネタをコピーして練習するなど、「対M-1」の準備を始めたのもこの時期です。
ヨシモト∞ホール最上位へ上がり、2019年に「令和ロマン」へ改名
プロになったばかりの2018年、二人は東京・渋谷のヨシモト∞ホールでも急速にステージを上がり、同年12月には当時の最上位クラス「ファーストクラス」へ昇格しました。
そして新元号「令和」が始まる2019年5月1日、コンビ名を「魔人無骨」から「令和ロマン」へ変更します。
NSC首席、M-1準決勝、劇場での昇格と、デビュー直後から結果は出ていましたが、それだけでテレビの仕事が次々に増えたわけではありませんでした。
コロナ禍で漫才を続ける意味を失い、NHK新人お笑い大賞が転機に
令和ロマンとして活動を始めた翌年、芸人生活そのものを大きく揺らす出来事が起きます。
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大によって劇場やライブが止まり、それまで目の前にあった漫才の勝負の場が突然なくなりました。
劇場も勝負の場もなくなった2020年
周囲の芸人がYouTubeやTikTokなど新しい場所へ動く中、髙比良さん自身には、すぐに別の場所でやりたいことが見つかりませんでした。
本人は後年、この時期について仕事がなくなり、お笑いをする意味も分からなくなっていたと明かしています。
NSC首席から2年ほどしかたっていない時期でしたが、若手のころに思い描いていた「劇場へ出て、賞レースで勝負する」という日常自体が止まってしまいました。
「あの優勝がなければ」コンビの未来も違っていた
そんな2020年に出場したのがNHK新人お笑い大賞でした。
当時は親知らずの影響で口が十分に開かず、ゆっくり話すような状態だったにもかかわらず、令和ロマンは優勝します。
髙比良さんは、その結果と当時の自分の状態があまりにも噛み合っていなかったからこそ、もう一度漫才へ向かわなければならないような感覚になったと振り返っています。
「お笑いをやめてました、多分。」
PHPオンライン
後年、もしNHK新人お笑い大賞で優勝していなければ、漫才を続けず、コンビも解散していた可能性があると本人が語るほどの転機でした。
M-1優勝より3年前のこの受賞が、令和ロマンをもう一度漫才の勝負へ戻しました。
2022年ごろから芸人の仕事だけで生活できるように
2020年の受賞後も、すぐ全国的に名前が知られるようになったわけではありません。
松井ケムリさんが後年、大きな変化として挙げたのが2022年のABCお笑いグランプリ準優勝でした。
このころから仕事の流れが変わり、芸人の仕事だけで生活できるようになったと松井さんは振り返っています。
2023年にもABCお笑いグランプリで決勝へ進み、結果を重ねながら、その年の暮れに初めてM-1決勝へ進出することになります。
M-1初優勝から史上初の連覇へ|令和ロマンの現在地
2018年の準決勝で舞台袖を見てから5年、令和ロマンはようやくM-1の決勝舞台へたどり着きます。
その間に髙比良さんが続けていたのは、自分たちの漫才だけを見るのではなく、大会全体で何が起こるかまで含めて準備することでした。
関西の劇場で漫才を磨き、2023年M-1トップバッターから優勝
2023年のM-1では、令和ロマンが初の決勝進出を果たします。
笑神籤で引かれた出番は、9組の中で最初に漫才をするトップバッターでした。
髙比良さんは優勝だけを追うのではなく、自分たちが最初に会場を盛り上げる役割へ切り替え、そこで披露した漫才で最終決戦へ残ります。
また、この大会へ向けては、客席の反応や前後の展開によって使うネタを変えられるよう複数の選択肢を準備していました。
本人は後に、本郷ラグビー部で体格の大きな相手に勝つためサインや低いタックルを工夫していた経験と、M-1での準備を重ねて語っています。
令和ロマンは最終決戦でも票を集め、トップバッターからM-1グランプリ2023の第19代王者になりました。
小柄なチームだった本郷ラグビー部で「どう工夫するか」を考えていた時間が、M-1の舞台でも本人の戦い方として現れました。
2024年に再びトップバッターからM-1史上初の2連覇
M-1王者になったあとも令和ロマンは賞レースから離れず、2024年7月には第45回ABCお笑いグランプリで優勝しました。
さらに前年の王者としてM-1グランプリ2024にも出場し、再び決勝まで勝ち上がります。
そこで二人を待っていたのは、前年とまったく同じトップバッターでした。
2年連続で最初に漫才を披露した令和ロマンは最終決戦まで残り、再び頂点へ立ちます。
2024年12月22日、令和ロマンはM-1グランプリ史上初となる連覇を達成しました。
NSCを卒業した2018年から数えると、2018年準決勝の舞台袖で始まった「対M-1」の時間が、6年後に史上初の2連覇へつながりました。
吉本との契約終了後も令和ロマンを続け、映画制作へ
M-1連覇から数か月後の2025年4月28日、吉本興業は髙比良さんとのマネジメント契約を同日付で終了したことを発表しました。
一方、松井ケムリさんは吉本興業へ所属したままで、公式発表でも令和ロマンとしての活動は継続すると明記されています。
松井さん自身も後に、当時コンビを解散する考えはなかったと話しました。
「解散しても何も変わらない。漫才がなくなるだけで損しかないと思った。」
TOKYO FM「川島明 そもそもの話」
2026年5月には、令和ロマンとしてKアリーナ横浜で単独ライブ「RE:IWAROMAN」を開催するなど、所属形態が変わったあとも二人での活動は続いています。
髙比良さん個人の仕事も広がり、2026年にはクリエイティブスタジオ「KURUMADE」を立ち上げ、短編映画『BREAK SHOT』で初めて監督・脚本を手がけました。
映画は「RE:IWAROMAN」の幕間映像から発展して制作されたもので、全編をドライブレコーダーの定点映像で進めるブラックコメディになっています。
新しい表現へ進んでも、本人が創作の中で戻ってくるのは、大学時代から続けてきた漫才でした。
「自分の個性を出そうとすると、漫才を避けて通れない」
NiEW
小学校の黒板で“さんま御殿ごっこ”をしていた髙比良さんは、本郷のラグビー部と浪人生活を経て、慶應のお笑いサークルで初めて芸人という進路へ近づきました。
そこで出会った松井ケムリさんと魔人無骨を組み、NSC、劇場、コロナ禍、賞レースを進みながら令和ロマンとして漫才を続け、M-1史上初の2連覇までたどり着きました。
映画や新しい制作へ活動が広がった現在も、その中心には、学生時代から二人で続けてきた漫才が残っています。












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