人物プロフィール
M-1グランプリの「餅つき」など、独特のリズムと予想できない展開のネタで知られるヨネダ2000の誠さん。
現在は相方の愛さんと舞台に立ち、ネタ作りも担っていますが、学生時代から人前で目立つタイプだったわけではありません。
高校時代は同級生にも敬語を使うほど人見知りだった一方、中学2年生のころには芸人を職業として意識し、高校生になると一人でネタを書いていました。
高校卒業後は東京NSC23期へ入り、さらに実家が理容室だったことから通信制の理容専門学校にも通い、理容師免許まで取得しています。
そしてNSCでは、当初「一緒に組むことはない」と思っていた愛さんと出会い、一度の解散を挟みながら現在のヨネダ2000へたどり着きました。
ヨネダ2000誠の生い立ちと家族|世田谷の理容室で育った子ども時代
誠さんは東京都世田谷区出身で、父親が営む理容室のある家庭で育ちました。
家には兄と妹がおり、お笑いとの最初の接点も家族の中にありました。
兄のお笑いDVDと家族で見たダウンタウン
幼いころからテレビは身近な存在で、家族で『ダウンタウンのごっつええ感じ』などを見ていました。
兄もお笑い好きで、自宅では兄からお笑いのDVDを見せてもらうことがあり、テレビの中の芸人を自然に見る環境で過ごしています。
学生時代に好きだった番組としては『リンカーン』や『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』なども挙げており、森三中が体を張って笑いを作る姿にも惹かれていました。
このころはまだ自分で舞台に立っていたわけではありませんが、お笑いを見ること自体は日常の中にありました。
父の理容室と、家族そろって同じ髪型になった思い出
父親は理容室を営んでおり、誠さん自身も長く父親に髪を切ってもらっています。
文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』では、一時期は母親と妹も同じような髪型になったため、中学時代の同級生の間で「あの理容室は同じ髪型しかできない」という趣旨の噂が広まったという話もしています。
父の仕事だった理容は、のちに誠さん自身の進路にも入ってくることになります。
学生時代はテニスに打ち込み、お笑いはまだ見る側だった
吉本興業の公式プロフィールには現在も趣味としてテニスが記載されています。
本人も学生時代について、学生お笑いの世界を知らず、当時はテニスばかりしていたと話しています。
中学2年生になると頭の中には「芸人」という将来像が生まれますが、学校でお笑い活動を始めたり、周囲に夢を宣言したりしたわけではありませんでした。
中学2年で芸人を志し、高校では誰にも言わずネタを書いた
誠さんの芸人志望は、養成所へ入る直前に突然生まれたものではありません。
まだ学生だった時期から、自分の中だけで少しずつ現実の進路へ変わっていきます。
友人との将来の話から「芸人」が自分の進路になる
芸人という職業を最初にはっきり意識したのは中学2年生のころでした。
友人と将来なりたい職業について話すようになり、自分は何になりたいのかを考えたとき、子どものころから身近だったお笑いが浮かびます。
「自分は中2ぐらいの時からずっと芸人になりたいなと思っていて」
ch FILES
ただし、この気持ちはすぐ周囲へ話したわけではなく、自分の中にしまったまま学生生活を続けていました。
部活のときだけ明るく、同級生全員に敬語を使った高校時代
高校時代の誠さんは、現在の舞台上から想像する姿とは少し違います。
本人によると、明るく話していたのは主に部活の時間で、普段は部活仲間の一人と一緒に行動していました。
さらに、同級生全員に敬語を使っていたほど人との距離を縮めるのが得意ではありませんでした。
学校のギャルたちから「敬語を使わなくていい」と声をかけられても、敬語をやめられなかったというエピソードも残っています。
学校では静かに過ごしながら、その内側ではすでに芸人になることを考えていました。
テニスを続けながら、一人でネタを書き始める
誠さんは学生お笑いの大会やサークルへ参加していたわけではなく、テニスを続けながら芸人への道を調べていました。
高校2年生ごろになると養成所について本格的に調べ始め、高校生の段階ですでに相方のいない状態で一人でネタを書いていたと明かしています。
現在のヨネダ2000では愛さんを見ている最中にアイデアが浮かぶことも多いそうですが、高校時代はまだ、その愛さんと出会う前でした。
クリープハイプを聴きながら過ごした学生時代
中学から高校にかけて、誠さんの生活にもう一つ大きく入ってきたのが音楽でした。
きっかけは母親です。
実家の理容室で流れていたラジオからクリープハイプの曲を耳にした母親が、「好きそうだから聴きに来なさい」という形で誠さんへ教えました。
そこからクリープハイプを好きになり、通学中や部活帰りにも聴き、友人とライブへ行くようになります。
高校3年生では尾崎世界観さんに近づきたいという気持ちからピアスも開けました。
「絶対に尾崎さんは私のネタ好きだぞぉ!」
QJWeb
芸人になる前からネタを書き、そのネタをまだ会ったことのない好きなミュージシャンへ頭の中で届けていた時期でもありました。
高校2年の終わり、両親へ「NSCに行きたい」と伝える
高校2年生の終わりごろ、進路を考える時期になると、これまで自分の中にしまっていた芸人志望を両親へ伝えました。
両親へ示した進路は、大学ではなく高校卒業後にNSCへ進むことでした。
家族は芸人になること自体を最終的には認めましたが、実家が理容室だったこともあり、芸人だけに進路を絞るのではなく理容師免許を取るよう勧められます。
その結果、誠さんはお笑いの養成所と理容学校を同時に通うという進路を選びました。
高校卒業後、東京NSC23期と理容学校をダブルスクール
高校を卒業すると、誠さんは2017年4月に東京NSC23期へ入りました。
ここから、テレビを見る側だった生活が、実際にネタを作って舞台へ立つ生活へ変わっていきます。
同期の多さと好きな芸人を理由に吉本NSCを選ぶ
数ある養成所の中でNSCを選んだ理由について、誠さんは一人で入るなら同期が多い場所がよかったことと、好きだった芸人に吉本所属が多かったことを挙げています。
当時の東京NSC23期は約390人が入学し、そのうち女性は30人ほどだったと愛さんが話しています。
その大人数の中に、後に相方になる愛さんもいました。
理容師免許を取るため、通信制の専門学校にも通う
NSCへ入った半年後の10月からは、通信制の理容専門学校にも通い始めます。
昼間はお笑いの養成所、同時に理容師になるための勉強も進める生活となり、約2年後には理容師免許を取得しました。
現在の吉本興業公式プロフィールにも、特技として「散髪」「顔剃り」とともに理容師免許取得が掲載されています。
父親の仕事として身近だった理容が、自分自身の資格にもなりました。
人見知りを直すため接客アルバイトを選んだ
高校時代から人との会話が得意ではなかった誠さんは、芸人になるにあたって、その部分を変えようともしていました。
本人が選んだのは、あえて接客系のアルバイトをすることです。
人前へ出る芸人を目指しながら、日常では接客の仕事で人と話す機会を作っていました。
令和ロマンら学生お笑い経験者の完成度に衝撃を受ける
NSCへ入るまで学生お笑いをほとんど知らなかった誠さんにとって、養成所では大きな技術差を感じる場面もありました。
特に印象に残ったのが、大学時代から学生お笑いを経験していた令和ロマンら同期です。
まだ同じ養成所の生徒でありながら、すでに完成度の高いネタを作っている同期を見て、「どうやって書いているのか」と不思議に感じていました。
音楽の話で意気投合した最初の相方とNSCで初舞台
NSCで最初にコンビを組んだのは、音楽の話をきっかけに仲よくなった女性でした。
月に一度あったNSCのライブで初舞台を経験します。
普段は緊張しやすいにもかかわらず、最初の舞台では意外にも冷静で、「ここがウケるのか」と客席の反応を見ながらネタをしていたそうです。
この相方とはNSC卒業前後まで活動しましたが、その後、別の同期から一本の電話がかかってきます。
愛に「ネタがおもしろい」と誘われ、ギンヤンマを結成
その電話をかけてきたのが、現在の相方である愛さんでした。
ただし、二人はNSC時代から親しかったわけではありません。
NSCでは「組まないだろう」と思っていた愛
女性が約30人だったため、お互いの存在そのものは早い段階から知っていました。
それでも会話は少なく、誠さんが愛さんに抱いた第一印象は「大きいな」という程度でした。
愛さんから見た誠さんの印象は「暗いな」だったそうです。
誠さん自身も、「この人とはコンビを組まないだろう」と考えていました。
卒業公演後、愛から突然かかってきたコンビ結成の電話
状況が変わったのは、NSCの卒業公演が終わった2018年3月でした。
愛さんが誠さんへ電話をかけ、コンビを組みたいと伝えます。
「おもしろいと思ってるから組んでほしい」
logirl「First Stage」
愛さんが評価していたのは、二人で話したときの相性ではありません。
ほとんど話したことがない状態で、誠さんが作っていた「ネタ」を見て一緒に組みたいと思ったのでした。
誠さんは当時の相方とも悪い成績ではなかったためすぐには決めず、自分が本当にやりたいネタを考え直したうえで愛さんと組むことを選びました。
2018年3月、手を震わせながら立った二人の初舞台
二人が最初につけたコンビ名は「ギンヤンマ」でした。
2018年3月20日、神保町花月で開催されたNSC東京23期と22期の企画ライブで、ギンヤンマとして舞台に立っています。
この時期は理容専門学校も忙しく、誠さんが参加できるライブ自体が多くありませんでした。
しかも初舞台に向けた新ネタは間に合わず、一度作ったネタを出す形になっています。
もともと緊張が体に出やすい誠さんは舞台袖でも手が震えていましたが、二人はここから約1年間、ギンヤンマとして活動を続けました。
トリオ解散を経て、愛と「ヨネダ2000」を再結成
現在まで続く二人ですが、ギンヤンマがそのままヨネダ2000へ改名したわけではありません。
一度メンバーが増え、さらに解散して別々の相方を探す期間を経験しています。
ギンヤンマに男性同期が加わり「マンモス南口店」へ
ギンヤンマとして約1年活動した2019年3月ごろ、男性の同期芸人から二人のコンビへ入りたいという話が持ち上がりました。
誠さんは二人のまま続けたいと考えていましたが、思うような結果が出ず不安を感じていた愛さんはメンバーを増やすことを提案します。
話し合いの末、三人は「マンモス南口店」というトリオで活動することになりました。
二人のネタ作家と舞台の立ち位置に悩み、約半年で解散
トリオになったことで、それまで誠さんが中心だったネタ作りに男性メンバーも加わりました。
ただ、二人とも相手へ気を遣う性格だったため、どちらかのアイデアへ振り切れず、中間を取ったネタになってしまうことがあったそうです。
もう一つ本人たちが後年挙げたのが舞台上の立ち位置でした。
愛さんを中央に置いたことで左右にいる誠さんと男性メンバーがお互いを見づらくなり、三人でネタを合わせる難しさが出ました。
マンモス南口店は約半年で解散します。
別々の相方を探した半年間と、愛から二度目の誘い
解散した時点では、誠さんも愛さんも「もう二人で組むことはない」と考えていました。
友人として連絡は取りながらも、それぞれ別の相方候補を探し始めます。
ところが、しばらくして愛さんがもう一度、誠さんへコンビを組もうと声をかけました。
誠さんには別に組もうと考えていた相手がいたため、ここでもすぐには返事をせず、愛さんを半年ほど待たせています。
最終的に二人はもう一度一緒に活動することを決め、2020年4月1日に「ヨネダ2000」を結成しました。
2020年4月に再結成するも、直後に劇場が閉鎖
コンビ登録を済ませ、「これから舞台へ出る」という時期に新型コロナウイルスの感染拡大が重なりました。
劇場は閉まり、二人でネタを披露できる機会もほとんどなくなります。
再結成後の初舞台になったのは、4月の結成から数カ月が過ぎたキングオブコントの1回戦でした。
久しぶりに二人でネタをしたものの結果は振るわず、その後のM-1予選でも早い段階で敗退しています。
舞台に立てない時期にはInstagramのライブ配信を試したり、二人でハーモニカ教室へ通ったりもしました。
2021年「どすこい」が生まれ、現在の芸風へ変わり始める
結成した2020年は賞レースで結果が出なかったヨネダ2000ですが、翌2021年にネタの形が大きく変わる出来事が起きます。
本番5時間前、「張り手をよける」だけから作った新ネタ
2021年1月、新ネタライブを控えていた誠さんは、当日になってもネタを書き上げられずにいました。
本番まで残り約5時間というところで思いついたのが、「張り手をよける」というアイデアです。
そこから誠さんが愛さんへ「どすこい」と繰り返してもらい、その横で自分がボケ続ける形を考えました。
実際に舞台へかけると二人自身が楽しく、客席の反応もよかったため、「どすこい」はその後のヨネダ2000のネタ作りを変える一本になります。
愛がツッコまないことで二人に合う形が見えてきた
それ以前のヨネダ2000はコントを中心にしており、漫才では愛さんが比較的しっかりツッコむ形でした。
ところが「どすこい」では、愛さん自身が動きながらツッコむことが難しくなり、結果としてツッコミを減らす形になります。
誠さんが作る世界へ愛さんが入り込み、二人で同じリズムを作っていく現在に近いスタイルが、この時期から見え始めました。
劇場メンバーから外れ、参加費を払ってフリーライブへ
「どすこい」が生まれたからといって、すぐ仕事が増えたわけではありません。
2021年4月、吉本の若手芸人を劇場メンバーと「それ以外」に分けるライブがあり、ヨネダ2000は「それ以外」に入りました。
吉本の劇場へ自由に出られないため、自分たちで参加費を払って外部のフリーライブへエントリーしていた時期もあります。
「次もダメなら吉本を辞めよう」と話した時期
次の劇場昇格でも結果が出なければ、このまま続けるのは難しいというところまで二人は考えていました。
「次ダメだったらよしもと辞めようって話が出てたくらい。」
logirl「First Stage」
そんな二人を、プリズンクイズチャンネルの竜大さん、マリーマリーの海老原さんら先輩芸人が飲みに誘い、励ましたこともありました。
その後、2021年6月のライブで勝ち、劇場メンバーへ復帰します。
吉本を辞める話まで出ていた数カ月後、ヨネダ2000はM-1準決勝とTHE W決勝まで進むことになります。
THE WとM-1で仕事が変わり始め、2022年に「誠」へ改名
2021年後半、それまで賞レースの1回戦で敗退することも多かった二人は、初めて大きな大会の終盤まで残ります。
2021年M-1準決勝へ進み、初めて大会を勝ち上がる
M-1グランプリ2021では準決勝へ進出しました。
それまでのM-1は、二人にとって「夏に出場して、冬にテレビで見る大会」に近い存在でした。
この年は1回勝つたびに次の審査へ進み、準々決勝では密着カメラまでつくようになります。
準決勝では本人たちも決勝へ行ける手応えを持っており、結果発表まで「決勝へ行くつもり」で待っていたほどでしたが、ファイナリストには届きませんでした。
それでもM-1公式記録では、2021年のヨネダ2000は準決勝進出、敗者復活戦10位まで進んでいます。
THE W決勝がヨネダ2000初のテレビ出演に
同じ2021年には『女芸人No.1決定戦 THE W』でも初めて決勝へ進みました。
驚くのは、この決勝がヨネダ2000にとって初めてのテレビ出演だったことです。
収録番組への出演経験もない状態から、いきなり全国放送の生放送で決勝ネタを披露することになりました。
ここで披露したのが、年初に本番5時間前から作った「どすこい」です。
劇場から外れていた2021年前半から、同じ年の12月には全国放送の賞レース決勝へ立つところまで状況が変わりました。
2022年5月、清水亜真音から「誠」へ改名
2022年5月26日、それまで清水亜真音名義で活動していた芸名を「誠」へ変更しました。
きっかけは『ダウンタウンDX』への出演です。
番組内で改名を希望していることを話すと、松本人志さんが「すず」「恋」「誠」という候補を提示。
浜田雅功さんの意見もあり、漫画『愛と誠』にもつながる「誠」が新しい芸名として決まりました。
THE W準優勝とM-1決勝5位で広く知られるように
2022年は賞レースでさらに結果が続きました。
第43回ABCお笑いグランプリ決勝、キングオブコント準決勝、THE Wでは準優勝へ進みます。
そしてM-1グランプリでは初めて決勝進出を決めました。
M-1公式記録ではファーストラウンド647点で5位タイ。
8番手で披露した「餅つき」は、愛さんが一定のリズムを刻む横で誠さんの動きと設定が次々と変化していくネタでした。
普段は劇場でも緊張するという誠さんですが、M-1決勝ではウエストランドの井口浩之さんが舞台裏で出演者へ話しかけ続けていたこともあり、本人は後年「ただただ楽しかった」と振り返っています。
2021年前半には劇場メンバーから外れていたコンビが、翌年にはM-1決勝の舞台へ立ちました。
愛の反応を基準にする現在のネタ作り
現在も、ヨネダ2000のネタは主に誠さんが作っています。
ただし、一人で完成させてから愛さんへ渡すという形ではありません。
まず思いついたアイデアのごく一部を愛さんへ説明し、愛さんが笑った場合にその発想をネタへ育てていきます。
「1個の基準として愛さんが必ずいますね」
文化放送
高校時代には一人で書いていたネタが、現在では愛さんを見ているときに発想が生まれ、愛さんの笑いを確認しながら形になることも増えました。
2025年M-1再決勝を経て、活動の幅が広がる現在
2022年の初決勝後も、ヨネダ2000は劇場や単独ライブでネタを続けました。
その後、M-1では2023年、2024年と決勝から離れますが、2025年に再び大きな舞台へ戻ってきます。
3年ぶり2度目のM-1決勝で8位
M-1グランプリ2025では、3年ぶり2度目の決勝進出を果たしました。
大会には過去最多となる1万1521組がエントリーし、ヨネダ2000は準決勝を突破した9組の一つとして決勝へ進出。
ファーストラウンドでは826点を獲得し、最終順位は8位でした。
2022年に一度だけ決勝へ出たコンビではなく、劇場でネタを続けながら再びM-1決勝まで戻っています。
ネタを続けながら、2026年は朝ドラ出演へ
2026年もヨネダ2000はライブや単独公演を続ける一方、活動の範囲はお笑いの舞台以外にも広がっています。
2026年秋から放送予定のNHK連続テレビ小説『ブラッサム』では、愛さんと誠さんがそろって朝ドラへ初出演することが発表されました。
誠さんが演じるのは「ヨネ」、愛さんは「スギ」という役で、二人は主人公が東京で出会う人々として登場する予定です。
中学2年生のころ、周囲にはほとんど話さず自分の中だけで芸人になることを考えていた誠さんは、高校卒業後にNSCと理容学校へ同時に通い始めました。
NSCでほとんど話したことのなかった愛さんからネタを評価され、一度の解散を挟みながら再び二人で組んだことが、現在のヨネダ2000へ続いています。
劇場から外れた時期も越え、現在も二人は自分たちが面白いと思うネタを作りながら、新しい舞台へ活動を広げています。












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