酒寄希望の生い立ちと家族|会社員から芸人へ、田辺智加との猫塾結成とぼる塾まで

人物プロフィール

生年月日
1988年4月16日
血液型
B型
出身地
東京都
コンビ・グループ名
ぼる塾
相方・メンバー
きりやはるか、あんり、田辺智加
結成年
2019年
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
2012年
養成所・スクール
NSC東京校 18期

テレビでは田辺智加さん、あんりさん、きりやはるかさんの3人で出演することが多かったぼる塾ですが、正式には酒寄希望さんを含めた4人組です。

酒寄さんは後から加わったメンバーではなく、現在のぼる塾が生まれるより前の2012年から田辺さんと「猫塾」として活動してきました。

「ぼる塾の4人目」というより、田辺さんと一緒に現在のぼる塾へつながる道を歩いてきた人物という方が、酒寄さんの芸歴を正確に表しています。

ただ、子どものころから一直線に芸人を目指していたわけではなく、大学を経て一度は一般企業に就職し、仕事を辞めたあとに友人と見に行ったお笑いの舞台から人生が動き始めました。

会社員から東京NSCへ進み、田辺さんと猫塾を結成し、第一子の妊娠と産休を経てぼる塾が誕生するまでには、いくつもの偶然と周囲との出会いが重なっています。

酒寄希望の生い立ちと家族|漫画好きの両親と3歳上の兄

酒寄希望さんは1988年4月16日生まれ、東京都出身で、吉本興業の公式プロフィールでは東京NSC18期と紹介されています。

幼いころの家庭には漫画が身近にあり、後に本や映画、エッセイなど幅広い分野へ興味を持っていく酒寄さんの原点を感じられるエピソードが残っています。

両親と兄の影響で漫画やアニメが身近だった子ども時代

酒寄さんには3歳上の兄がおり、兄が漫画や『ドラゴンボール』を好きだったことから、幼いころから自然に作品へ触れていました。

両親も漫画好きで、自宅には『週刊少年ジャンプ』が置かれており、ゲーム機には『ドラゴンボールZ 超武闘伝』もあったと、ドラゴンボールオフィシャルサイトのインタビューで話しています。

さらにVOCEのインタビューでは、家の中で本や映画について「これは見てはいけない」と強く制限されることがなく、さくらももこさんの作品をきっかけに別の漫画や音楽へ興味を広げていったことも明かしています。

家族が好きなものを自由に読んだり見たりできる環境の中で、後の読書好きや映画好きにつながる時間を過ごしていました。

小学校の卒業アルバムに「お笑い芸人」と書いた意外な理由

意外にも、酒寄さんは小学校の卒業アルバムの将来の夢の欄に「お笑い芸人」と書いています。

ただし、当時から芸人を目標にしていたわけではなく、本人によると友達がそう書いていたから自分も書いたという程度だったそうです。

子どものころから将来の職業を一つに決めていたわけではなく、この時点では「お笑い芸人」という言葉も、後の進路へ直接つながるものではありませんでした。

酒寄希望の学生時代|大学卒業が近づいても将来の夢は決まらなかった

酒寄さんは大学へ進学していますが、本人や吉本興業の公式プロフィールでは、高校名や大学名までは明らかにしていません。

学生時代について重要なのは学校名よりも、大学を終えるころになっても「これを仕事にしたい」というものが定まっていなかったという本人の話です。

高校・大学名は公表されていない|大学時代まで明確な進路はなかった

漫画、本、映画など好きなものは多かった一方で、それをそのまま職業にしようとは考えていませんでした。

VOCEでは、世の中にある作品を読んだり見たりするだけで満足しており、「何になりたいのか分からないまま」大学生活の終盤を迎えたと語っています。

現在のネタ作りや執筆活動とは対照的に、学生時代にはまだ自分が「作る側」へ進む姿を想像していませんでした。

大学が終わるころ「まず就職しよう」と社会人の道へ

大学卒業が近づくと、酒寄さんは明確な夢がないまま一般企業へ就職しました。

ところが、入った会社の環境や仕事は本人には合わず、働く中で徐々に自信を失っていきます。

後に酒寄さん自身が「人生の中でも一番自分が嫌いだった時期」と振り返るほど、社会人生活の経験はその後まで尾を引きました。

前職を辞めた酒寄希望がルミネの舞台を見てNSCへ

会社を辞めたあとも気持ちはすぐには切り替わらず、酒寄さんは自信をなくした状態で過ごしていました。

そこへ声をかけたのが、お笑い好きの友人でした。

仕事が合わず退職し、友人に誘われてルミネtheよしもとへ

友人から「吉本のお笑いを見ると元気になれる」と誘われ、酒寄さんは新宿のルミネtheよしもとへ足を運びました。

そこで見た舞台が予想以上に面白く、落ち込んでいた気持ちが明るくなったことで、酒寄さんの中にそれまでなかった選択肢が現れます。

「自分もお笑いの世界へ行く」という最初のきっかけは、就職活動中でも学生時代でもなく、会社を辞めた後に見た一度の舞台でした。

「この人たちのように明るくなりたい」と東京NSC18期へ

劇場へ行った酒寄さんは芸人たちの明るさにひかれ、養成所の存在を知ると東京NSC18期へ入ります。

最初から「芸人として売れる」と決めていたというより、自分自身を変えたいという気持ちが強かったようです。

「養成所に通ったら私も明るい人になれるのかなと思って入ったんです」

VOCE

芸人になるためというより、「明るい人になりたい」という思いからNSCの門をたたいたところから、酒寄さんの芸人人生が始まりました。

芸人になる決断を家族が喜び、父はライブへ通うように

前職で精神的に落ち込んでいた姿を家族も知っていたため、酒寄さんが「何か新しいことをしたい」と芸人になることを伝えると、家族は喜んでくれたそうです。

活動を始めてからは父親が毎週のようにライブへ来るようになり、田辺さんの母親と並んで客席から猫塾を見ていました。

本人たちがまだ売れていない時代から、両家の親がそれぞれチケットを買い、隣同士で舞台を見ていたという関係でした。

NSCで田辺智加と出会い、2012年に猫塾を結成

東京NSCへ入った酒寄さんは、そこで後に長く人生を共にすることになる田辺智加さんと出会います。

偶然席が近かったから何となく組んだわけではなく、酒寄さんはその前から田辺さんのネタに強くひかれていました。

田辺智加のネタを見て「面白い」と感じ、酒寄希望から声をかけた

NSCのネタ見せの授業で、酒寄さんは先に田辺さんのピンネタを見る機会がありました。

その後、別の授業で田辺さんと前後の席になったとき、酒寄さんの方から話しかけています。

「この子すごく面白い!と思っていたので、チャンスだと思って声をかけたんです」

HugKum

現在のぼる塾まで続く酒寄さんと田辺さんの関係は、酒寄さん自身が田辺さんの面白さを見つけ、自分から声をかけたところから始まりました。

2012年5月5日に猫塾を結成し、ライブ中心の日々へ

2人は2012年5月5日に「猫塾」を結成し、コンビとして活動を始めました。

この結成日はM-1グランプリ公式サイトにも記録されており、酒寄さんと田辺さんは同じ東京NSC18期の同期です。

酒寄さんは田辺さんと話していると、本人が面白いと思っていない出来事まで面白く感じることが多く、コンビ時代から「最近、何か面白いことあった?」と日常の出来事を聞くようになりました。

田辺さん側も後年、酒寄さんが自分の出来事を面白がってネタへ取り入れてくれたことや、「田辺さんを売れさせる」と言ってくれていたことを語っています。

田辺さん本人が気づいていない面白さを酒寄さんが拾い、形にしていく関係は、猫塾時代からすでにできていました。

ライブ後のパンチョと無料券|売れる前の2人の生活

猫塾はすぐに売れたわけではなく、ライブやネタ合わせを繰り返す時期が長く続きました。

ヨシモト∞ホールでのライブやネタ合わせが終わると、2人はスパゲッティー店「パンチョ」へ行くことがあり、お金に余裕がなかったためトッピング無料券を毎回使っていたと後に振り返っています。

舞台でまったく笑いが起きなかった日には、田辺さんがネタを忘れ、酒寄さんも動揺したまま舞台上で本気で怒ってしまったこともありました。

酒寄さんは終演後に劇場を飛び出し、普段ネタ合わせに使っていた公園まで行って泣いていたと、本人のnote「メロンパン」で書いています。

別の日には、痩せていた酒寄さんを心配した田辺さんが手作りの食事を持ってきたこともあり、仕事でも私生活でも一緒に過ごす時間が増えていきました。

猫塾としんぼるが合流|第一子妊娠から「ぼる塾」が生まれるまで

猫塾の2人と、東京NSC20期の後輩であるきりやはるかさん・あんりさんの「しんぼる」は、若手時代から交流を続けていました。

それぞれ別のコンビとして活動していた4人でしたが、2019年に大きな転機が訪れます。

猫塾としんぼるが近づき「ぼる塾」というツーマンライブを企画

当時、しんぼるはコンビとして結果が出ず、あんりさんは解散を考えていました。

最後にライブをしようと考えた2人が先輩の猫塾へ声をかけ、「しんぼる」の「ぼる」と「猫塾」の「塾」を合わせた「ぼる塾」という名前のライブを企画します。

まだこの時点では、ぼる塾は正式なグループ名ではなくライブのタイトルでした。

つわりで酒寄希望が欠席し、急きょ生まれた3人漫才が大ウケ

ところがライブを控えた時期、酒寄さんは第一子を妊娠し、つわりが強くなったため出演できなくなりました。

酒寄さんが出られなくなり、解散する予定だったしんぼると田辺さんだけが残ったため、当時ついていた構成作家へ相談すると、3人で漫才をすることを提案されます。

しんぼるのネタへ田辺さんが入る形で急きょ作った漫才は、しんぼるがコンビ時代にやってきたネタ以上と言えるほど大きな笑いを取りました。

解散するつもりだったあんりさんは、その手応えを受けて「辞めたくない」と思い、田辺さんへ一緒に組んでほしいと伝えます。

田辺智加が「酒寄さんを待つ」と答え、4人組で続けることに

あんりさんから誘われた田辺さんは、その場ですぐ3人組になるとは答えませんでした。

田辺さんには、産休に入る酒寄さんと猫塾を続ける気持ちが残っていたからです。

酒寄さん自身も後に、田辺さんからぼる塾結成の相談を受けた際は「自分が抜けて3人で活動する」という話だと思い、身を引くつもりだったと明かしています。

ところが、田辺さん、あんりさん、きりやさんが望んでいたのは酒寄さんも含めた4人でした。

「今すぐ復帰できないなら、育休中のメンバーがいる4人組にすればいい」という発想から、現在のぼる塾の形が決まっていきました。

酒寄さんは2019年7月に長男を出産し、その後も育児を続けながら、メンバーとの連絡やネタ作りを通じてグループへ関わっていきます。

2019年12月7日、4人組「ぼる塾」が正式にスタート

吉本興業の公式プロフィールでは、ぼる塾の結成年月は2019年12月7日となっています。

猫塾としんぼるが合流し、酒寄さんは育児のため表舞台から離れ、田辺さん、あんりさん、きりやさんの3人が主に舞台やテレビへ出演する形が始まりました。

テレビで3人を見かけることが多かった時期も、ぼる塾そのものは最初から酒寄さんを含む4人組でした。

育休中に3人のぼる塾がブレイク|テレビに出なかった酒寄希望の葛藤

ぼる塾が正式に始動すると、田辺さん、あんりさん、きりやさんの3人は急速に仕事を増やしていきます。

一方、酒寄さんは育児をしながら自宅からグループへ関わる日々を送っていました。

3人がテレビへ進む一方で、酒寄希望は育児とネタ作りで参加

3人は2019年のM-1グランプリで3回戦まで進み、2020年には『女芸人No.1決定戦 THE W』の決勝へ進出するなど、ぼる塾の名前が全国へ広がっていきました。

酒寄さんはテレビの前にはほとんど出ていなかったものの、メンバーとは頻繁に連絡を取り、ネタについて考えたり、YouTubeのナレーションなどを担当したりしていました。

猫塾時代から田辺さんへ「今日、何か面白いことあった?」と聞く習慣があり、それがぼる塾になってからは4人のやり取りへ広がりました。

「自分はいらないのでは」と悩んだ育休中

3人が売れていく姿はうれしい一方で、酒寄さんの中には「自分はぼる塾に必要なのか」という迷いも生まれました。

自分が戻ることで、すでに完成している3人の関係を壊してしまうのではないかと考えるようになり、ぼる塾から離れることまで考えた時期があります。

それをメンバーへ話すと、3人は「酒寄さんと仕事をするのは自分たちだ」と伝え、必要かどうかを外からの評価だけで決める考えを否定しました。

表に出る3人と育児中の1人という距離がありながら、4人は毎日のように出来事を共有していました。

毎日の連絡からnoteへ|3人の面白さを書き残すようになる

酒寄さんは、3人から送られてくる日常の出来事を面白がり、それをXだけでは書き切れなくなると2020年11月からnoteで文章を書くようになりました。

本人は3人が自分たちの面白さに気づいていないと感じ、その出来事をほかの人にも知ってほしいと思ったことが執筆のきっかけだったと説明しています。

その文章は後に加筆や書き下ろしを加えた『酒寄さんのぼる塾日記』として2021年12月に書籍化されました。

テレビへ出る代わりに裏方へ回ったという単純な形ではなく、育休中の出来事から、酒寄さん自身の「書く仕事」も広がっていきました。

酒寄希望が2022年に舞台復帰|「4人のぼる塾」が動き始める

長い育休を経て、酒寄さんは2022年11月から少しずつ劇場へ戻り始めます。

ただし、復帰すればすぐ以前と同じようにできたわけではありませんでした。

まず時間を読みやすい舞台から、無理のない形で復帰

神保町よしもと漫才劇場は2022年11月から酒寄さんが復帰し、4人でライブへ出演すると発表しました。

最初の舞台は11月5日の「Jimbochoグランプリ」で、子育てと両立しやすい劇場の仕事から活動を増やしていきます。

この時点では完全に以前の仕事量へ戻すのではなく、3人で出演する舞台も残しながら、それぞれの予定に合わせる形が取られていました。

復帰直後の舞台で力の差を痛感し、3人の言葉で再スタート

酒寄さんは復帰前から、テレビや劇場で経験を重ねてきた3人と、自分との間に力の差があることを意識していました。

それでも「自分が戻るなら3人のとき以上に面白くしなければ」と力が入り、復帰最初のバトルライブでは思うように動けませんでした。

本人は、自分が加わったことでむしろ笑いが減ってしまったと感じるほど落ち込みました。

「大丈夫!あんたは今、本当の意味でスタート地点に立ったんだから」

CHANTO WEB

3人は、育休中に自分たちが身につけた力を酒寄さんが頼ればいいとも伝えました。

酒寄さん一人の復帰ではなく、ここから初めて「4人のぼる塾」として舞台経験を積み始めることになりました。

育休で生まれた3年間の差を一気に埋めるのではなく、舞台へ出るたびに4人の形を作っていくという再スタートでした。

夫からかけられた「自分の力でぼる塾として稼ぐ」という言葉

家族も酒寄さんの芸人復帰を応援していましたが、夫からは復帰にあたって一つの厳しい言葉をかけられています。

「絶対に己の力でぼる塾としてお金を稼げるようになってください」

Be myself

3人が酒寄さんを受け入れてくれているからといって、趣味のような感覚で戻ってはいけないという意味でした。

テレビや劇場で何年も経験を積んだ3人へ追いつき、自分自身も「私はぼる塾です」と自信を持てる働きをすることを意識しながら、舞台へ立つ回数を増やしていきます。

2023年『THE W』で4人そろって初の決勝へ

復帰から約1年後、ぼる塾は『女芸人No.1決定戦 THE W 2023』の決勝へ4人で進出しました。

酒寄さんにとっては、ぼる塾として4人そろってテレビの大きな舞台へ出る初めての機会となりました。

決勝ではエルフに敗れましたが、4人で漫才をして『THE W』決勝へ行くという一つの目標をここで実現します。

産休・育休で長く表舞台から離れていた酒寄さんが、田辺さん、あんりさん、きりやさんと並んで全国放送の賞レースへ立ちました。

ネタ作りと執筆も活動の柱に|現在の酒寄希望

舞台へ戻った後も、酒寄さんは他の3人とまったく同じ仕事量、同じ出演方法へそろえる道を選んだわけではありません。

舞台、ネタ作り、文章、YouTubeなど、自分ができる仕事を組み合わせながら4人で活動する形が続いています。

2024年『THE W』では4人全員が生きるコントを酒寄希望が制作

2024年、ぼる塾は再び『THE W』決勝へ進みました。

日本テレビの大会公式ページでは、ぼる塾について「ネタ作りは酒寄」と紹介されています。

前年は「4人で漫才をして決勝へ行く」という目標がありましたが、2024年は漫才にこだわらずコントへ取り組みました。

「とにかく4人全員が面白くなるネタを考えようと思って」

女芸人No.1決定戦 THE W 2024

猫塾時代に田辺さんの日常の面白さを拾っていた酒寄さんが、現在は4人それぞれの魅力をどうネタへ入れるか考える立場になっています。

舞台・ネタ作り・エッセイを組み合わせた現在の働き方

吉本興業の現在のプロフィールでは、酒寄さん個人の活動としてWEBザテレビジョンやオレンジページnetなどの連載も掲載されています。

育休中に始めた文章の仕事は一時的なものではなく、復帰後も芸人としての活動と並ぶ仕事の一つになりました。

酒寄さんが昔から続けてきた「田辺さんや周囲の人から面白い出来事を聞く」という行動は、漫才のネタだけでなく、エッセイや連載にも形を変えて残っています。

2023年に長男が保育園へ入ってからは仕事量を少しずつ増やしつつ、3人だけで出演する仕事と4人で出演する仕事が共存するスタイルを続けています。

「常に4人全員で出演しなければ4人組ではない」という形ではなく、それぞれの生活に合わせながら必要な場所で集まるのが現在のぼる塾です。

2026年に第2子を出産し、9月には4人そろって公の場へ

2026年2月、酒寄さんは公式YouTubeで第2子を妊娠したことを発表しました。

体調に合わせて出演できる舞台には4人で立つ方針を伝え、その後6月に第2子となる女の子を出産しています。

同年9月8日には、田辺さんのスイーツイベント「田辺のお茶会」の取材会へ酒寄さん、田辺さん、あんりさん、きりやさんの4人が登場し、酒寄さんにとって第2子出産後初の公の場となりました。

久しぶりに4人そろった会見で、酒寄さんは緊張して夜中の2時から起きていたと話し、その横で田辺さんが「私は2時に寝ました」と返すなど、猫塾時代から続く2人らしいやり取りも見せています。

第一子の妊娠をきっかけに生まれた4人組は、酒寄さんが二度目の出産を迎えた2026年にも、4人それぞれの生活を抱えながら続いています。

漫画好きの家族の中で育ち、大学卒業後には一度会社員になった酒寄希望さんは、仕事を辞めたあとに偶然見たお笑いの舞台から東京NSCへ進みました。

そこで田辺智加さんの面白さを見つけて猫塾を組み、売れない時代を一緒に過ごした後、第一子の妊娠という出来事からしんぼると合流して現在のぼる塾が生まれました。

育休中に始めたネタ作りや文章の仕事、舞台復帰後に積み重ねた4人での経験は、現在も酒寄さんの活動の中にそのまま続いています。

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