ぼる塾あんりの生い立ちと家族|高校中退から幼なじみ・きりやはるかと芸人になるまで

人物プロフィール

本名
向後あんり
生年月日
1994年10月7日
身長
160cm
血液型
A型
出身地
東京都 江戸川区
コンビ・グループ名
ぼる塾
相方・メンバー
きりやはるか、酒寄希望、田辺智加
結成年
2019年
所属事務所
吉本興業
養成所・スクール
NSC東京校 20期

ぼる塾のあんりさんといえば、相手の言葉をすぐに拾う鋭いツッコミと、先輩芸人を前にしても物おじしない話しぶりが印象に残る芸人です。

ところが、東京都江戸川区瑞江で育った子どものころは引っ込み思案で、高校では新しい人間関係を作れず、1年生の終わりに学校を辞めています。

その後は地元のコンビニで約4年間働き、しばらくは「ここでずっと働きたい」と考えていました。

そんな時期に幼なじみのきりやはるかさんから改めて誘われ、東京NSCへ入ったことで芸人人生が始まります。

家族と過ごした瑞江での幼少期から、高校中退、コンビニ勤務、きりやさんとの「しんぼる」、芸人を辞めるつもりだったライブから「ぼる塾」が生まれるまでを順番にたどります。

ぼる塾あんりの生い立ちと家族|江戸川区瑞江で育った子ども時代

あんりさんは1994年10月7日生まれで、東京都江戸川区の瑞江で育ちました。

26歳で実家を出すまで瑞江で暮らしており、祖父母や兄弟、近所の人たちまで顔を知っているような環境が子ども時代の日常でした。

3歳で両親が離婚|父・祖父母・2人の兄と暮らした幼少期

あんりさんは5人きょうだいの3番目で、上には2人の兄がいます。

幼いころの生活の中心にいたのは父、祖父母、2人の兄で、本人によると両親はあんりさんが3歳のころに離婚していました。

ただし、小さかった本人が両親の離婚をきちんと理解したのは、小学1年生ごろだったといいます。

「私が3歳の時に離婚していたようですが」

CHANTO WEB

離婚後も実母との関係が途切れたわけではなく、週末には母も加わって家族で出かけることがありました。

小学生になって友達の家庭と自分の家を比べるようになり、母が毎日同じ家にいるわけではないことから、少しずつ家庭の状況を理解していったそうです。

父は元暴走族、実母は元レディースだったことも本人が公にしており、兄たちも少しやんちゃだったため、地元では「あの家の子」として早くから知られていました。

小学2年ごろ父が再婚|実母との交流も続いた家族のかたち

あんりさんが小学2年生のころ、父はフィリピン出身の女性と再婚しています。

新しい母との最初の対面はかなり突然で、自宅3階の父の部屋を開けると、知らない女性が一人でケンタッキーを食べていたそうです。

驚いて階下へ戻ったあんりさんに、父は改めて女性を紹介し、結婚しても実母が「あんりのお母さん」であることは変わらないと説明しました。

再婚した母とも一緒に暮らし始めましたが、実母との交流もそのまま続き、思春期に必要なものを買うときには実母が付き添うこともありました。

実母からは料理も教わっており、現在まで続く料理好きにも母との時間が残っています。

父の再婚後には下のきょうだいも増え、あんりさん自身は現在の家族について5人きょうだいの3番目と話しています。

祖父母にかわいがられ、焼肉店と東部フレンド公園へ通った日々

子どものころのあんりさんは、自ら「完全におじいちゃん、おばあちゃん子だった」と話すほど祖父母と過ごす時間が長くありました。

祖父とは、飼っていたラブラドール・レトリバーの散歩を兼ねて東部フレンド公園へよく出かけています。

ある日は祖父が自転車に乗ったまま犬を散歩させようとしたところ、犬が勢いよく走り出して祖父が転んでしまい、二人の間にしばらく気まずい空気が流れたことも覚えているそうです。

祖母は瑞江駅前の焼肉店「絵のある街」で働いており、あんりさんは祖母の仕事に合わせて店へ行き、焼肉や豚足を食べさせてもらっていました。

それでも帰宅後には何も食べていない顔で家族と夕食を食べ、祖父もおなかが空いたと言えばこっそり納豆ご飯を出してくれたといいます。

兄弟の間では回覧板を近所へ届ける役を取り合っており、小さい子が届けるとアイスやお菓子をもらえることが理由でした。

家の中だけでなく、近所まで互いのことを知っている瑞江の環境で、あんりさんは周囲から自然に声をかけてもらいながら育ちました。

小中学校では幼なじみ・きりやはるかと毎日のように過ごした

のちに一緒に芸人になるきりやはるかさんとは、芸人養成所で知り合ったわけではありません。

二人の付き合いは小学校1年生までさかのぼり、実家も名前を呼べば返事が聞こえるほど近くにありました。

小学1年の雑巾がけが、きりやはるかとの最初の記憶

あんりさんときりやさんは、小学1年生と2年生で同じクラスになりました。

あんりさんが強く覚えている最初の場面は、教室の掃除時間に雑巾がけをしていたときです。

雑巾がけの遅いあんりさんを見たきりやさんが、その様子を面白がって声をかけたことが記憶に残っています。

教室ではそれほど話していなかったものの、通学路が同じだったため、いつの間にか二人で帰るようになりました。

やがて放課後や休日も一緒に過ごすようになり、きりやさんはあんりさんの肩をピアノに見立ててモノマネをするなど、当時からあんりさんを笑わせる存在でした。

あんりさんにとって、小学生のきりやさんは「はるちゃん以上に面白い人はいない」と感じるほど身近な存在でした。

兄たちのおかげで最初から周囲に知られていた学校生活

小中学校時代のあんりさんは、自分から積極的に友達へ話しかけなくても人間関係ができていました。

2人の兄が先に同じ学校へ通っており、さらに父も同じ小学校の出身だったため、先生たちからも最初から「あの家の子」と認識されていたからです。

同級生も向こうから話しかけてくれたため、小学校から中学校までは、自分から知らない人の輪へ入る経験がほとんどありませんでした。

中学生になると、新中川の土手は友人たちと恋愛の話をする場所になり、誰かが「土手に集合」と声をかければ恋の話が始まるという習慣まであったそうです。

中学の放課後に「お笑いやらない?」と誘われるも一度断る

二人がまだ中学生だったころ、放課後の教室できりやさんが突然、お笑いの道へあんりさんを誘いました。

ところが、このときのあんりさんは誘いを断っています。

あんりさん自身が引っ込み思案だったうえ、面白いきりやさんも人前へ積極的に出るタイプには見えず、「私たちには無理だ」と思ったからでした。

この時点では、お笑い芸人があんりさんの将来の目標になったわけではありませんでした。

それでもきりやさんの中では、この誘いは完全には終わっていなかったようで、数年後に再び二人の進路を動かすことになります。

高校で友達を作れず1年で中退|瑞江のコンビニが新しい居場所に

小中学校で周囲から自然に話しかけてもらっていた日々は、高校進学と同時に大きく変わりました。

兄も父も知られていない場所へ進んだことで、あんりさんは初めて自分から人間関係を作らなければならなくなります。

誰も自分を知らない高校で、昼食も一人になった

高校へ入ると、周囲にはあんりさんのことを最初から知っている人がいませんでした。

小中学校では友達を「作る」という行動をほとんど経験していなかったため、自分から誰かへ声をかけ、輪の中へ入る方法が分からなかったといいます。

「どうやって友達を作っていいのかわからない」

CHANTO WEB

いじめを受けていたわけではありませんが、校内では一人で過ごすことが増え、昼食の時間もつらく感じるようになりました。

高校1年生の夏休み前にはほとんど学校へ行けなくなり、そのまま欠席が増えていきました。

制服を着ても学校へ行けなくなり高校1年の終わりに退学

学校へ行くことが難しくなったあんりさんは、両親へ「学校を辞めたい」と伝えました。

父は強く引き止めずに受け止めましたが、実母は自分たちが学歴のないことで苦労した経験もあり、当初は卒業できるなら続けたほうがいいと考えていました。

それでも娘の様子を見て、最終的には退学を受け入れています。

あんりさんは高校1年生の終わりに退学し、学校へ行かなくてもよくなった解放感と、これから何をすればいいのか分からない不安の両方を抱えました。

きりやさんたち中学時代の友人にも、高校を辞めたことは退学後にメールで伝えています。

バイト面接に落ち続け、約半年後にコンビニへ

家にこもったままでは動けなくなる気がしたあんりさんは、退学後すぐにアルバイトを探し始めました。

しかし、高校で友達を作れなかった時期と同じように面接でも積極的に話せず、応募しては不採用になることが続きます。

面接に落ちる生活は半年ほど続き、ようやく採用されたのが地元・瑞江のコンビニでした。

採用されたあともすぐに社交的になったわけではなく、仕事以外では周囲とほとんど話さず、休憩中に勤務先のレジで自分の飲み物を買うことさえ緊張していたそうです。

同い年の同僚に誘われ、初めて職場の輪へ入った

アルバイトを始めて3、4か月ほどたったころ、同い年の女性が新しく働き始めました。

その女性は物おじせず、あんりさんにも自然に声をかけ、仕事が終われば一緒に帰ろうと誘ってくれました。

22時に勤務を終えたあと、二人でコンビニの自転車置き場に座り、ジュースを飲みながら話す時間が増えていきます。

あんりさんにとっては、地元の小中学校以外で初めてできた友人と呼べる存在でした。

その友人を通して昼間のパート従業員とも親しくなり、パート従業員が営むお好み焼き店へ遊びに行ったり、職場の集まりに参加したりするようになります。

コンビニには約4年間勤務し、いつしか「ここでずっと働きたい」と思うほど居心地のよい場所になっていました。

きりやはるかに再び誘われNSCへ|あんりが芸人になったきっかけ

高校を辞めた直後には決まっていなかった次の進路が動いたのは、コンビニ勤務を始めて数年がたったころでした。

きっかけを持ってきたのは、中学生のころにも一度お笑いへ誘っていたきりやさんでした。

「一緒にNSC行くんでしょ?」で中学時代の誘いが復活

あんりさんがコンビニで働く一方、きりやさんは4年間の定時制高校へ通っていました。

きりやさんが高校3年生のころ、久しぶりに会ったあんりさんが卒業後の進路を尋ねると、きりやさんはすでに二人で芸人養成所へ行くつもりで話を進めました。

中学生のときに断ったはずのあんりさんと違い、きりやさんの中では話が終わっておらず、養成所へ入るための学費までアルバイトで貯めていました。

あんりさん自身は強く芸人を志していたわけではなく、ほかに具体的な進路もなかったため、「友達と一緒に働けるなら」という感覚からNSC行きを決めています。

きりやさんが高校を卒業するタイミングに合わせ、二人で養成所へ進むことになりました。

誕生日会で芸人になると告白|父が学費の半分を支援

NSCへ行くことを決めたあと、次に必要だったのが家族へ進路を伝えることでした。

あんりさんの家では、子どもたちが大きくなってからも誕生日には家族全員が集まって祝っており、自分の誕生日会を進路の話をする機会に選びました。

ハッピーバースデーの歌が終わったところで「話があります」と切り出し、芸人になりたいと伝えます。

祖父母からは将来を心配して反対されましたが、家族の中で背中を押したのが父でした。

「初めてわがままを言ってくれたんだから応援したい」

SUUMOタウン

父は応援するだけでなく、NSCの学費を半分負担すると申し出ました。

あんりさん自身も、父が賛成してくれなければ芸人にはなっていなかったと思うと後に話しています。

東京NSC20期へ入り、瑞江の公園でネタ合わせ

あんりさんときりやさんが入ったのは、東京NSC20期でした。

同じ東京20期には、のちに3時のヒロインを結成するかなでさんらもいます。

養成所へ入ってからも二人の生活圏は瑞江にあり、子どものころ遊んでいた東部フレンド公園がネタ合わせの場所になりました。

最初のネタ見せでは、きりやさんが作ったネタを一度あんりさんが書き直して披露しましたが、それでもほとんど笑いは起きませんでした。

そこで自分たちの出番だけで終わらず、ほかの生徒のネタもすべて見て、講師がどこを指摘しているのかまでメモするようになります。

授業とネタ見せを繰り返すうちに少しずつ反応が変わり、それまで受け身だったあんりさんが、自分から改善する時間が増えていきました。

NSCでは手応えを感じるも、卒業後にプロの厳しさを知る

NSCではネタを見せれば講師から具体的な評価が返り、直した部分の反応が変わるという経験を重ねました。

本人にとって、自分が何かをして評価され、その結果を次の行動へ反映する経験はほとんど初めてだったといいます。

また、芸人仲間から初めて強くイジられたとき、反射的に荒い口調で言い返したことで、ツッコミとしての話し方も表に出始めました。

養成所内では徐々に笑いを取れるようになった一方、卒業すれば同じように舞台で笑いを取る芸人が大勢いる世界へ入ります。

二人はそのまま芸人活動を続け、幼なじみ同士のコンビ「しんぼる」として長い若手時代を過ごすことになりました。

しんぼる時代の約5年間|劇場とオーディションを続けた若手期

NSCを出たからといって、すぐにテレビの仕事が増えたわけではありませんでした。

あんりさんときりやさんは、ライブ、劇場の仕事、番組オーディションを重ねながら活動を続けます。

幼なじみ2人で「しんぼる」を結成し、あんりがネタ作りへ

しんぼるでは、きりやさんの自由な発言をあんりさんが拾っていく二人の関係を生かしながら漫才を続けました。

NSC最初のネタ見せをきっかけにあんりさんがネタを書くようになり、舞台で試しては直す時間を積み重ねていきます。

後年、あんりさんはこの時期について、楽しく活動していた一方で「5年間は売れなかった」と振り返っています。

ライブで笑いが起きても、それだけでは次の仕事につながらず、周囲の先輩がテレビへ進んでいく姿を見ながら番組オーディションも受け続けました。

幕張の劇場で呼び込みやチラシ折りをしていたころ

若手時代の二人が長く関わった場所の一つが、よしもと幕張イオンモール劇場でした。

劇場の外で公演を呼び込む「キャラバン隊」をきりやさんと一緒に担当し、チラシの折り込みもしています。

あんりさんには、ほかのアルバイトをせずキャラバン隊の仕事だけをしていた時期もあり、仕事を終えるとその日に得たお金を持って、きりやさんと近くのコストコへ行って食べることもありました。

幕張では出演する先輩芸人と館内で顔を合わせる機会が多く、キャラバン隊を続けるうちに少しずつ顔を覚えてもらえるようになります。

前説を任されるようになると、バイク川崎バイクさんからファミリー層の観客に向けた進行についてアドバイスを受けたこともありました。

幕張のキャラバンライブには父を初めて招き、しんぼるとして漫才をしている姿を見てもらっています。

「こんな生き生きしている娘を初めて見た」

お笑いナタリー

芸人になると伝えたときに背中を押した父から、漫才をする姿を初めて褒められた場所も幕張でした。

M-1予選でネタが止まり、あんりが芸人を辞めると決断

しんぼるで活動する中で、あんりさんには一つ気になっていることがありました。

きりやさんが舞台でネタを飛ばすことがあり、それまではあんりさんがその場でフォローして進めていました。

ところが、大事なM-1グランプリの予選で、きりやさんが予想していなかった部分を飛ばした際には、あんりさん自身も頭が真っ白になり、続きをつなげられませんでした。

二人は舞台上で謝って袖へ戻り、あんりさんは「なぜ大事なところで」ときりやさんを責める気持ちを抱きます。

しかし、少し時間がたつと、売れないことまで相方のせいにしている自分について考えるようになりました。

「はるちゃんを嫌いになるのは嫌だ」

CHANTO WEB

あんりさんは、きりやさんには芸人を続けてもらい、自分は芸人を辞めると伝えました。

中学から付き合ってきた幼なじみとの関係を壊すくらいなら、自分が芸人を辞めようと決めたのです。

最後のライブが転機|田辺智加が加わり「ぼる塾」へ

きりやさんは引き止めましたが、あんりさんの意思は変わらず、しんぼるとして最後のライブを開くことになりました。

ところが、その「最後のライブ」の準備中に起きた予定外の出来事が、二人を別のグループへ進ませます。

解散前の2マンライブに先輩コンビ「猫塾」を誘う

あんりさんときりやさんだけでは十分にお客さんを集められないと考え、最後のライブには先輩コンビ「猫塾」を誘いました。

猫塾は酒寄希望さんと田辺智加さんのコンビで、しんぼるとは以前から交流がありました。

本来は、しんぼると猫塾による2マンライブとして開催する予定でした。

酒寄希望が出演できず、急きょ3人漫才を作った

ところが、酒寄さんは妊娠中で、つわりのためライブへ出演できなくなります。

そこで残ったあんりさん、きりやさん、田辺さんの3人で、急きょ漫才を作って舞台へ立つことになりました。

もともと別々のコンビだったため、長い時間をかけて3人用の形を作ったわけではありません。

芸人を辞めるつもりだったあんりさんにとっては、最後の舞台の一部として組んだ3人でした。

これまでにない笑いを受け、あんりが芸人引退を撤回

3人で漫才を始めると、しんぼる時代には味わったことがないほど大きな笑いが起きました。

田辺さんが加わったことで、それまでの二人の掛け合いとは違う間や関係が生まれ、あんりさんにもはっきりとした手応えが残ります。

辞めるために開いたはずのライブで得た大きな反応によって、あんりさんは芸人を続ける方向へ気持ちを変えました。

芸人人生を終える予定だった舞台が、そのまま次のグループを始める入口になったのです。

2019年12月7日、4人組「ぼる塾」として正式始動

3人で活動する手応えを得たあと、しんぼると猫塾は二つのコンビを合わせる形で活動することになりました。

グループ名は「しんぼる」の「ぼる」と「猫塾」の「塾」を合わせた「ぼる塾」です。

吉本興業の公式プロフィールでは、ぼる塾の結成年月は2019年12月7日とされています。

メンバーは酒寄希望さん、きりやはるかさん、あんりさん、田辺智加さんの4人で、酒寄さんが育児などで表舞台を離れていた時期には、あんりさん、きりやさん、田辺さんの3人を中心に活動しました。

しんぼる時代からネタを見ていた同期の吉住さんは、二つのコンビが一緒になったと知った当時を次のように振り返っています。

「夢の組み合わせだなって!」

FANY Magazine

吉住さんは以前からしんぼるの動画を見ており、猫塾の田辺さんにも注目していたため、両方が一緒になったことを「ドリームマッチ」のように感じたと話しています。

2020年にテレビ出演が急増|しんぼる時代を経て現在へ

ぼる塾になった直後から、しんぼる時代とは仕事の反応が変わり始めました。

ライブだけでなく、何度も受けてきたテレビ番組のオーディションでも、3人になったことで初めて明確な手応えを感じます。

初めて手応えを感じたテレビオーディション

しんぼる時代にもテレビ番組のオーディションへ挑戦していましたが、あんりさんは審査の場で笑いが起こらず、沈んだ気持ちで帰ることが多かったと話しています。

ぼる塾として3人で初めてオーディションへ行ったときには、その場で大きな笑いが起こりました。

あんりさんが初めて「これは受かった」と感じられるほど反応が変わり、そこからテレビへの露出も増えていきました。

二人では埋められなかった部分に田辺さんが加わり、あんりさん自身がすべてを背負わなくても、それぞれの持ち味を出せる形になっていきました。

『しゃべくり007』『アメトーーク!』後に出演依頼が増加

2019年にはテレビ出演がほぼなかったぼる塾ですが、2020年になると状況が大きく変わります。

マイナビニュースがニホンモニターの数字として紹介した集計では、2020年のテレビ出演番組数は98本まで増えています。

あんりさん自身が、忙しくなる大きなきっかけとして挙げているのが、2020年に出演した『アメトーーク!』と『しゃべくり007』でした。

「この2番組のオンエア後、いろんな番組から声がかかりました」

マイナビニュース

賞レースで優勝した瞬間ではなく、テレビ番組で3人の掛け合いが広く知られたことが仕事量の大きな変化につながりました。

しんぼるとして約5年間続けた時間のあと、ぼる塾結成から短期間でテレビの仕事が急増したことになります。

瑞江と家族の中で身についた話し方が現在のツッコミにも残る

現在のあんりさんを印象づけている強い口調も、芸人になってから意識的に一から作ったものではありませんでした。

NSCで初めて芸人仲間からイジられた際、思わず強い調子で言い返したあと、その言葉遣いが祖父母や地元で聞いていた話し方に近いことに気づいたそうです。

「自分がこの話し方になったのはうちの家族だな」

SUUMOタウン

子どものころから祖父母と一緒に暮らし、2人の兄に囲まれていたため、本人は同年代だけの集まりより年上の人といるほうが自然体でいられるとも話しています。

もともと先輩で年上だった田辺さんや酒寄さんと一緒にいる空気にも、その感覚と似た居心地のよさがあるそうです。

テレビで聞かれる豪快なツッコミの口調には、瑞江の街や家族の会話を耳にして育った時間が残っています。

瑞江で家族や幼なじみに囲まれて育ったあんりさんは、高校中退後のコンビニ勤務を経て、きりやさんの誘いから芸人の道へ入りました。

しんぼるを続ける中で一度は芸人を辞めるところまで進みましたが、最後のつもりだった舞台から4人組のぼる塾が生まれています。

現在の話し方についても、本人は家族や瑞江から受けた影響を語っており、子どものころから聞いてきた言葉が今も舞台やテレビのツッコミに表れています。

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