金子きょんちぃの生い立ちと昔|M-1を夢見た学生時代、キャバ嬢からぱーてぃーちゃん結成まで

人物プロフィール

血液型
unknown
出身地
神奈川県
コンビ・グループ名
ぱーてぃーちゃん
相方・メンバー
すがちゃん最高No.1、信子
結成年
2021年
所属事務所
ワタナベエンターテインメント
芸人活動開始年
2017年
養成所・スクール
ワタナベコメディスクール 24期

金子きょんちぃさんといえば、信子さん、すがちゃん最高No.1さんと組む「ぱーてぃーちゃん」で、明るいギャルキャラクターを前面に出した姿がよく知られています。

ところが、お笑いとの付き合いはぱーてぃーちゃん結成よりもずっと前から始まっていました。

子供のころから父親とお笑い番組を見て、中学生になると芸人を目指すことを口にし、高校では友人と実際に漫才まで披露しています。

そのまま一直線に芸人になったわけではなく、学校を離れたあとにはキャバクラで働き、22歳になってから友人のひと言をきっかけに、昔から考えていたお笑いの道へ戻りました。

「M-1チャンピオンになりたい」という思いは、中学生のころから養成所、エンぷレス時代、ぱーてぃーちゃん結成後まで続いています。

現在のキャラクターができるまでには、信子さんと組んでもなかなか事務所ライブへ出られなかった時期や、芸人を辞めようとした2020年、そこへすがちゃんが合流した転機がありました。

金子きょんちぃの生い立ちと家族|お笑い好きの父のもとで育った子供時代

金子きょんちぃさんは神奈川県出身で、幼いころから家庭の中にお笑いと音楽がある環境で育ちました。

特に父親のお笑い好きは、その後の進路を考えるうえで外せない存在です。

父とお笑い番組を見て育ち、中学生になる前から笑いが身近にあった

テレビ朝日のlogirlによる2024年のインタビューで、きょんちぃさんは子供時代について、父親がお笑い好きだったことを明かしています。

「パパがめっちゃお笑い好きだったんですよ」

テレビ朝日 logirl

『クレヨンしんちゃん』については本人が真似をしすぎるため止められていたそうですが、お笑い番組については幅広く見せてもらっていました。

後年のインタビューでは、子供のころからお笑い番組を見て、父親と番組の感想を話していたことも語っています。

M-1グランプリを見るうちに漫才師への憧れも強まり、中学生になるころには、芸人になるという目標を周囲へ話すようになっていました。

母は学校から連絡が来ると、まず本人の話を聞いてくれた

母親については、2025年の『Ray』で学校時代の具体的なエピソードを話しています。

学校から親を呼び出す電話があると、母親はいったん電話を切り、先に娘本人へ何があったのかを聞いていたそうです。

「まず私に話しな」

Ray

事情を聞いたあとに学校へ改めて連絡し、必要なときにはきちんと謝るという対応だったため、きょんちぃさん自身も母親には嘘をつかなかったと話しています。

一方の父親については、同じインタビューで「ラスボスみたいな感じで厳しい」と表現しており、父と母では接し方にも違いがあったようです。

幼稚園・小学校の同級生だった山田涼介と芸能界で再会

子供時代には、のちにHey! Say! JUMPとして活動する山田涼介さんとも接点がありました。

山田さんは2026年1月のラジオで、きょんちぃさんとは幼稚園と小学校の同級生だったと明かしています。

「ぱーてぃーちゃんのきょんちぃ、幼稚園と小学校の同級生です!」

TRILL/山田涼介のオールナイトニッポンPremium紹介記事

長い時間を経て日本テレビ系『スクール革命!』で同じ現場になり、山田さんのほうが途中で気づいて声をかけたことで久々の再会になりました。

幼いころの同級生が、それぞれ別の形で芸能界へ入り、テレビ番組の収録現場で再び顔を合わせたことになります。

家族ぐるみでEXILEが好きになり、LDHへ夢中になる

お笑いと並んで、学生時代のきょんちぃさんを強く引きつけたものがEXILEやLDHのアーティストでした。

2024年の『GENERATIONS高校TV』では、家族そろってEXILEが好きだったことを明かしています。

このころからのLDH好きは一時的なものではなく、のちに養成所を選ぶ際にも意外な形で影響することになります。

中学・高校時代|M-1への憧れと初めての漫才

中学生になると、お笑いを見るだけだった生活から、自分も漫才師になりたいという気持ちがはっきりしていきます。

高校では、プロになる何年も前に一度だけ友人と舞台に立っていました。

中学生で「芸人になる」と口にし、M-1チャンピオンを夢見る

きょんちぃさん本人によると、芸人になることを口にしたのは中学生のころでした。

特に好きだったのが漫才とM-1で、後に養成所を選ぶ段階でも「M-1チャンピオンになりたい」という希望が基準になっています。

現在のぱーてぃーちゃんではギャルとチャラ男を前面に出した漫才が印象的ですが、芸人を意識し始めた当初から目を向けていたのは漫才でした。

高校のイベントで友人と時事ネタ漫才を披露し、ツッコミを担当

高校時代には、何らかの学校イベントで友人と漫才を披露したことがあります。

内容は当時の出来事を題材にした時事ネタ漫才で、マイケル・ジャクソンが亡くなった時期の話題を絡めたネタだったと記憶しています。

このときのきょんちぃさんは、現在のぱーてぃーちゃんで見せる自由なボケ側のイメージとは違い、ツッコミ担当でした。

一度終えたあとに友人へ「またやる?」と声をかけたものの断られ、のちに養成所へ入る際にも同じ友人を誘ったところ、やはり即答で断られたと笑いながら振り返っています。

高校時代の一度きりの漫才は、養成所へ入るより何年も前に自分で人前へ立った経験でした。

GENERATIONSを追いかける生活で単位を失い、高校を離れる

一方、高校時代にはお笑いだけでなく、GENERATIONSをはじめとするLDHへの熱中も続いていました。

2026年9月放送のABEMA『LDH PERFECT SHINE旅行』では、GENERATIONSの夢者修行を追いかけたことで夏休みの課題が進まず、単位を取れなくなって高校を辞めたことを本人が改めて明かしています。

2024年の『GENERATIONS高校TV』でも高校を卒業できなかった経緯を話しており、後年、憧れて追いかけていたGENERATIONS本人たちの前でこの学生時代を話すことになりました。

学生時代から続くLDH好きは、芸人になったあとも変わらず、のちに本人たちとの番組共演まで実現しています。

芸人になる前|本厚木のキャバクラで働いた時代

学校を離れてから、きょんちぃさんはすぐに養成所へ入ったわけではありません。

仕事をしながら過ごした数年間を挟み、20代前半になってから再びお笑いという進路が現れます。

キャバクラで働き、のちに本厚木の店でNo.2になる

芸人になる前にはキャバクラで働いていました。

ワタナベエンターテインメントの公式プロフィールにも、きょんちぃさんは本厚木のキャバクラでNo.2になった経験があると掲載されています。

テレビで知られるようになった後から作られたギャル設定ではなく、芸人を始める前から接客業や夜の街で過ごす時間がありました。

2023年の『Ray』でも、若いころは地元・神奈川のクラブへ行ったり、カラオケなどで遊んだりしていたことを話しています。

22歳、周囲が就職していくなかで将来への不安が強まる

養成所へ入ったのは22歳のときです。

同年代が大学を卒業して就職したり、それぞれの生活を固めたりしていく様子を見るなかで、自分の今後を考えるようになりました。

中学生のころに芸人になると言っていたものの、すでに数年が過ぎていました。

友人の「芸人やるって言ってなかった?」で中学時代の夢を思い出す

進路が動いたのは、昔からの夢を知る友人との会話でした。

「お笑い芸人やるって言ってなかった〜?」

テレビ朝日 logirl

このひと言を受けて、きょんちぃさんは本格的に芸人になる方向へ動き始めます。

中学時代に口にしていた「芸人になる」という話が、22歳で実際の進路になりました。

WCS24期へ|信子との出会いからエンぷレス結成まで

芸人になることを決めると、養成所選びでは最初からワタナベ一本だったわけではありませんでした。

漫才とM-1への思いが強かったため、当初は吉本興業の養成所も有力な選択肢に入っていました。

吉本志望だったきょんちぃを、ワタナベが「会わせたい子がいる」と呼び戻す

きょんちぃさんは吉本とワタナベの両方の説明会へ足を運びました。

M-1チャンピオンを目標にしていたため本人は吉本へ進むイメージを持っていましたが、ワタナベ側からもう一度来てほしいと連絡を受けます。

その際に伝えられたのが、「どうしても会わせたい子がいる」という話でした。

その相手が、のちに長くコンビを組み、現在もぱーてぃーちゃんで一緒に活動する信子さんです。

さらにワタナベコメディスクールが当時中目黒にあり、好きだったLDHの事務所に近かったことも入学を決める理由の一つになりました。

現在、ワタナベコメディスクール公式では、きょんちぃさんと信子さんは24期生、すがちゃんは19期生として紹介されています。

ワタナベへ入ったことで、信子さんとの出会いだけでなく、5期先輩のすがちゃんとも同じ事務所でつながっていきます。

WCS入学後は複数の相方候補と組み、信子とはまず友人になる

養成所へ入ったからといって、きょんちぃさんと信子さんがすぐにコンビを組んだわけではありません。

信子さんはもともとピン芸人を志望しており、途中では別のメンバーとトリオを組んでいました。

きょんちぃさんも次々と別の相方候補と組み、信子さんの記憶では入学から2人が組むまでの約半年に8人ほどと試していたといいます。

当時のきょんちぃさんは自分ではネタを書かず、相方に書いてもらっていましたが、お笑いが好きで劇場にも通っていたぶん、相手が書いたネタをプロの舞台と比較してしまうこともありました。

芸人としては別々に動く一方、信子さんとは週3〜4回ほど一緒に飲む友人関係になっていきます。

毎日のように飲んでいた2人が養成所入学後の9月にコンビを組む

やがて信子さんのトリオが解散し、きょんちぃさんもそれまでの相方との活動が終わります。

2人は養成所へ入った年の9月ごろに一緒に組むことになり、講師からは「やっと組んだのか」という反応をされたそうです。

芸人として組む前から何度も飲みに行き、互いの性格を知っていたことが、この2人のスタートでした。

きょんちぃさん自身も、ほかの相方とは性格が合わないことが多かった一方、信子さんとは「人間としては合う」と感じていたと話しています。

2017年、エンぷレスとしてプロ活動を始める

養成所在学中から2人で活動を始め、卒業後は「エンぷレス」としてプロの芸人人生へ入ります。

M-1グランプリ公式サイトではエンぷレスの結成年を2017年4月1日としており、メンバー欄には信子さんと、当時「京佳」名義だったきょんちぃさんが掲載されています。

養成所在学中に組み始めた時期と、M-1公式上の結成年は分けて見ると流れが分かりやすくなります。

エンぷレス時代|初舞台の失敗とネタ見せに通らなかった若手期

信子さんと組んだからといって、すぐにライブで結果が出たわけではありませんでした。

最初のネタ見せから、2人の若手時代には失敗や試行錯誤が続いています。

初舞台でネタが飛び、舞台後に泣いたきょんちぃ

エンぷレスとして組んで間もないころ、養成所のネタ見せで初めて2人で舞台に立ちました。

ところが、きょんちぃさんは途中でネタを飛ばしてしまい、終わったあとに泣いてしまいます。

信子さんが怒ったのは、失敗して泣いたことそのものではなく、その直後にきょんちぃさんが化粧を直していたことでした。

きょんちぃさんとしては次のライブの手伝いがあり、化粧が崩れた顔を人に見られたくなかったという事情がありました。

結局、その後の手伝いでは2人で話して過ごし、肝心の初ネタについては後年ほとんど内容を覚えていないと振り返っています。

「楽屋では面白い」と言われながら、約1年事務所ライブへなかなか出られない

2017年に養成所を卒業してからも、エンぷレスは事務所ライブのネタ見せをなかなか通過できませんでした。

きょんちぃさんによれば、1年近く事務所ライブへ出られない時期があり、芸歴3年を超えたあたりから少しずつ出演できるようになっていきます。

周囲の芸人からは、普段の楽屋で2人が話していると面白いのに、ネタになるとその面白さが出ないという趣旨のことを言われていました。

信子さんは当時、憧れていた山里亮太さんのようなたとえツッコミを試し、きょんちぃさんは「自分が世界で一番かわいい」というぶりっ子系のキャラクターを演じるなど、現在とは違う型も試しています。

現在のギャル2人の自然なやり取りへたどり着く前には、「芸人らしいネタ」を作ろうとしてうまく噛み合わない時期がありました。

先輩すがちゃんのシェアハウスへ通い、ネタを書いてもらう

エンぷレス時代から2人を近くで見ていた先輩が、のちに同じトリオになるすがちゃん最高No.1さんでした。

すがちゃんはワタナベコメディスクール19期で、きょんちぃさんと信子さんより5期上にあたります。

信子さんによれば、エンぷレスのネタは、2人がやりたいことを話しながらすがちゃんに組み立ててもらい、内容の大部分を作ってもらうこともありました。

2人はすがちゃんが住んでいたシェアハウスへ行き、ネタを書いてもらうまで居座るようなこともあったと、後年3人で笑いながら話しています。

すがちゃんはワタナベ所属後、2人を最初に食事へ連れて行った先輩でもあり、その後も定期的に食事へ行く関係が続きました。

つまり3人の関係は、ぱーてぃーちゃんを正式に結成する何年も前から始まっていました。

キャラクターを試しながら、ギャルを生かした漫才へ近づいていく

エンぷレスでは、信子さんがツッコミ、きょんちぃさんがキャラクターを演じる時期などを経て、少しずつ2人自身の普段の会話に近い方向へ変わっていきました。

後にぱーてぃーちゃんを組んだすがちゃんも、当時の2人は普段の人間としては面白い一方、舞台へ上がると「芸人っぽくしなければ」という意識が強く出ていたと振り返っています。

テレビで知られることになるギャルのままの会話は、初期から完成していた芸風ではありませんでした。

2020年、芸人を辞めようとした時期

エンぷレスとして少しずつライブへ出るようになったあと、2020年に活動環境が一変します。

新型コロナウイルスの感染拡大でライブがなくなり、人と会う機会そのものが減っていきました。

コロナ禍でライブと接客の仕事が止まり、芸人を続ける意味を見失う

きょんちぃさんは感染への不安からキャバクラの仕事も辞め、家にこもるようになりました。

ライブもなく、誰とも会わない時間が続くなかで、お笑いを続ける意味そのものが分からなくなっていきます。

それまでには事務所ライブへ少しずつ出演できるようになっていましたが、活動の土台だった人との接触が一気になくなりました。

信子へ「辞めたい」と連絡したころ、すがちゃんのコンビも解散

2020年夏、きょんちぃさんは信子さんへ電話し、「辞めたい」と伝えました。

信子さんは以前からきょんちぃさんが辞めそうな空気を感じ、もしもの場合には自分でピンネタを作ることまで考えていたそうです。

それでも電話では、もう少し様子を見てもいいのではないかと声をかけました。

その直後、以前から2人の面倒を見ていたすがちゃんが、それまで活動していたコンビを解散します。

エンぷレスを続けるか迷っていた時期と、すがちゃんが新しい相方を探し始めた時期が重なりました。

2020年秋の即席ユニットライブで3人が初めて同じ舞台へ

2020年秋ごろには、解散した芸人などが別の相手と試しにネタをする即席ユニットのライブが開かれていました。

すがちゃんも相方を探す流れのなかでエンぷレスの2人と組み、2020年11月ごろに3人で初めてネタを披露します。

この時点では正式なトリオではなく、数回一緒にライブへ出たり、ネタ番組のオーディション動画を送ったりする程度の活動でした。

ぱーてぃーちゃん結成|3人のポーズ漫才が形になるまで

長く先輩後輩として付き合っていた3人が同じ舞台へ立ったものの、最初から大きな手応えがあったわけではありません。

むしろ、最初の3人のステージは本人たちにとって忘れにくいほど厳しい結果でした。

最初の3人の舞台は「一番スベった」と振り返るほどのスタート

3人が後年logirlで振り返ったところによると、2020年11月ごろの即席ユニットライブは、ぱーてぃーちゃん史上でも特にスベった舞台だったそうです。

まだお試しで組んでいただけだったため、その一度で正式結成になったわけではありません。

その後も何度か3人でライブやオーディションへ出るうちに、現在の芸風へつながる形が生まれました。

ポーズ漫才が生まれ、『知らなくて委員会』で手応えをつかむ

3人で試行錯誤するなかでできたのが、現在のぱーてぃーちゃんを象徴するポーズを取り入れた漫才です。

そのネタが北海道放送『知らなくて委員会』の「芸人ショートネタ選手権」へつながり、3人は本番へ向けて細かく準備しました。

すがちゃんによれば本番では結果を残し、その日のうちに別の番組への出演を打診されるなど、それまでとは違う反応が返ってきました。

さらにK-PROのライブでポーズ漫才を披露した際にも客席から大きな笑いが起こり、すがちゃんは初めて「いけるかもしれない」と感じたと話しています。

最初の即席ライブではスベった3人が、ポーズ漫才を作ったことで正式なトリオへ動き始めました。

きょんちぃのバイト先のバーで、すがちゃんが「いったんやってみるか」と切り出す

正式結成を決めた場面も、3人らしいものでした。

当時、3人はきょんちぃさんがアルバイトをしていたバーでネタ合わせをすることがありました。

ある日、きょんちぃさんと信子さんがすがちゃんを店へ呼び出し、すがちゃんは2人から正式に組もうと言われるのだと察していました。

しかし2人はなかなか話を切り出さず、結局すがちゃんのほうから声をかけます。

「いったんやってみるか?」

テレビ朝日 logirl

すると2人は、自分たちから呼び出しておきながら、すがちゃんが言うならやってもいいという態度を取ったと、3人で当時を笑いながら振り返っています。

2021年4月にぱーてぃーちゃんを正式結成

こうして3人は2021年4月に「ぱーてぃーちゃん」を正式結成しました。

信子さんときょんちぃさんがエンぷレスとして活動を始めてから約4年が経っており、すがちゃんとも以前から先輩後輩として交流がありました。

きょんちぃさんにとっては、芸人を辞めようと信子さんへ連絡した2020年夏から1年もたたないうちに、新しいトリオで活動することになった形です。

『おもしろ荘』から活動拡大|M-1を夢見た少女の現在地

正式結成した2021年、3人は年末年始の『ぐるナイ おもしろ荘2022』へ向けてオーディションを受けました。

テレビで知られるようになっていく一方、きょんちぃさんが芸人を目指した当初から持っていたM-1への思いも残っています。

K-PROのライブでポーズ漫才が大きくウケ、2021年末『おもしろ荘』へ

結成後のぱーてぃーちゃんは、『おもしろ荘』のオーディションを一つの目標にしてネタを整えていきました。

審査途中ではギャルとチャラ男の要素をもっとシンプルに見せたほうがよいという反応もあり、最終審査へ向けて調整を重ねています。

出演が決まったあともネタを作り直し、ライブやロケが重なるなかで準備を続けました。

logirlでは、2021年末の『おもしろ荘』出演をきっかけに広く知られるようになった時期として紹介されています。

テレビ・ライブへ活動が広がっても、M-1チャンピオンの目標は変わらなかった

テレビ出演が増えてからも、きょんちぃさんはM-1についてたびたび話しています。

「前から変わらず、M-1チャンピオン!」

MEN’S NON-NO WEB

同じインタビューでは、そもそもM-1チャンピオンになるために芸人になったという趣旨まで明言しています。

中学生で芸人を意識し、高校で一度漫才をし、22歳で養成所へ入る決断をしたころから、M-1は長く目標の中心にあります。

現在のぱーてぃーちゃんの自由なキャラクターと、きょんちぃさんが最初に憧れた「漫才師」は、同じ芸歴の中にあります。

即興から生まれた「京佳お嬢様」が2026年には映画へ

ぱーてぃーちゃん以外での仕事にも、活動は広がっています。

2025年1月、日本テレビ系『有吉の壁』の即興企画で、きょんちぃさんとガクテンソク・奥田修二さんによる「京佳お嬢様と奥田執事」が誕生しました。

放送後に反響が広がり、ショートドラマだけでなく、2025年にはKADOKAWAから漫画と小説も刊行されています。

さらに2026年1月16日には、『有吉の壁』10周年企画の同時上映作品として映画『京佳お嬢様と奥田執事~京佳お嬢様パリへ行く~』が劇場公開されました。

公式映画サイトによると舞台はパリで、金子きょんちぃさんと奥田さんの即興ユニットから始まった世界観が、そのまま映画まで広がっています。

子供のころは父親とお笑い番組を見ながら育ち、中学生になるとM-1チャンピオンを目標にしました。

高校時代の一度きりの漫才から、キャバクラ勤務、22歳での養成所入り、信子さんとのエンぷレス、芸人を辞めようとした2020年を経て、2021年にぱーてぃーちゃんが始まりました。

漫才で始まった目標を持ちながら、現在はトリオだけでなく、即興から生まれたキャラクターが漫画、小説、映画へ展開するところまで活動の幅を広げています。

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