松井ケムリの生い立ちと家族|父親・母親・姉との幼少期、桐朋・慶應から芸人になるまで

人物プロフィール

本名
松井 浩一
生年月日
1993年5月29日
身長
173cm
血液型
A型
出身地
神奈川県 横浜市
コンビ・グループ名
令和ロマン
相方・メンバー
髙比良くるま
結成年
2018年
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
2018年
養成所・スクール
NSC東京校 23期

令和ロマンの松井ケムリさんといえば、髙比良くるまさんの横で漫才を支えるツッコミとして知られ、2023年と2024年にはコンビでM-1グランプリを2年連続で制しました。

大和証券で要職を務めてきた父親を持つことから、裕福な家庭で育ったエピソードもよく知られていますが、子どものころの松井さんは動物図鑑を読み、アザラシのまねをして転がり、学校では友人を笑わせていた少年でした。

その後は桐朋中学校・高等学校へ進み、大学受験では一度すべて不合格となり、そこで初めてNSCという進路が現実味を帯びます。

浪人して慶應義塾大学へ進み、大学お笑いの仲間と出会ったことが、芸人への道を大きく動かしました。

最初から髙比良くるまさんと組んでいたわけでもなく、その前には別の学生コンビもあります。

松井ケムリの生い立ちと家族|動物好きでよくボケる子どもだった

松井ケムリさんは1993年5月29日生まれで、吉本興業の公式プロフィールでは神奈川県横浜市出身とされています。

一方、本人が2026年のインタビューで振り返った幼少期をたどると、小学校へ入る前までは東京都江戸川区のマンションで暮らし、小学校入学のころに横浜へ移っています。

証券会社勤めの父・専業主婦の母・姉と暮らした幼少期

家族は父親、母親、3歳上の姉、松井さんの4人でした。

父親は当時から証券会社で働いており、後に大和証券で取締役副会長を務めるまでになりますが、松井さんが幼かったころから現在知られているような暮らしだったわけではありません。

本人によると、小学校へ入る前に暮らしていた江戸川区のマンションはかなり古く、家の中にアリの巣ができたことまであったそうです。

父親は仕事で帰宅が遅いことが多く、小学生のころには働きすぎで体調を崩した時期もありました。

母親は専業主婦で、本人は少しおっちょこちょいなところのある母だったと振り返っています。

姉とは3歳離れていたため、いつも一緒に遊ぶような関係ではなかったものの、家族旅行へ出かけたり、ときにはきょうだいげんかをしたりしながら育ちました。

小学校へ入るタイミングで一家は横浜へ移り、そこから松井さんの長い横浜での生活が始まります。

現在は父親の経歴から「実家がお金持ち」という印象も強くありますが、幼少期には欲しい物を何でも買ってもらっていたわけではなく、まとまったプレゼントは誕生日やクリスマスなどが中心だったといいます。

父親個人の総資産について公表された確かな数字はなく、具体的な資産額は確認できません。

図鑑と生きものに夢中、アザラシのまねでふざける子どもだった

幼いころから特に好きだったのが動物と生きものでした。

図鑑を眺めるのが好きで、自宅ではトンボになる前のヤゴを飼うこともあり、動物に関する知識をどんどん蓄えていきます。

一方で、性格は静かに図鑑を読んでいるだけの子どもではありませんでした。

「明るかったですね。お調子者で、よくボケる子でした。」

kodomoe

幼稚園ではアザラシになりきって床を転がるようなこともしており、両親からはふざけ始めると「しつこい」と注意されることがあったそうです。

外で一日中走り回るタイプというより、家ではゲームボーイや『ポケットモンスター』でもよく遊んでいました。

動物に詳しく、人を笑わせることも好きだったという二つの面は、このころからすでに同居していました。

小4からSAPIXへ通い、虫の研究者を夢見て中学受験

小学校4年生になると、松井さんは中学受験塾のSAPIXへ通い始めました。

塾への送り迎えは両親がしており、6年生になるころには放課後に友人と遊ぶ時間も減り、受験勉強中心の生活になっていきます。

ただ、塾でもずっと模範的だったわけではなく、教室の壁を触っているうちに表面を剥がしてしまい、叱られたこともありました。

当時思い描いていた将来は芸人ではなく、虫を研究する仕事でした。

東京大学の農学部に入って昆虫の研究をすることまで考え、生きものをしっかり学べる中学校を探します。

その中で興味を持ったのが、生物部の活動が盛んだった桐朋中学校でした。

桐朋中高時代|卓球部に入り、お笑いと芸能界への興味が膨らむ

中学受験を経て桐朋中学校へ進学した松井さんは、そのまま桐朋高等学校まで6年間を過ごします。

研究者を夢見て選んだ学校でしたが、入学すると学校生活は少し違う方向へ進みました。

生物部を目当てに桐朋へ進むも、選んだのは卓球部

桐朋を選んだ理由の一つだったのは生物部でしたが、実際に入ったのは卓球部でした。

卓球部は東京都大会でベスト8に入るほどのチームでしたが、松井さん自身は部活動一色の生活という感覚ではなく、友人と卓球をしたり、話したり、ゲームで遊んだりしながら中高時代を過ごしています。

勉強についても常にトップを走っていたわけではなく、普段の成績は本人の感覚では平均的で、試験が近づくと勉強するような学生でした。

「高学歴芸人」という現在の印象とは違い、中高時代から受験勉強だけに打ち込んでいたわけではありません。

バラエティ番組を見ながら「芸能人になりたい」と考え始める

学校では自分でも「比較的面白いほうだった」と感じており、友人を笑わせることも好きでした。

テレビでは『爆笑レッドカーペット』や『はねるのトびら』などを見て、お笑いへの興味を強めていきます。

同世代の志田未来さんや神木隆之介さんらがテレビで活躍する姿を見ると、自分も芸能界へ入りたいという気持ちが少しずつ生まれました。

この段階では「漫才師になる」という具体的な計画より、本人の言葉でいえば、芸能人になって注目されたいというぼんやりした憧れに近いものでした。

子どものころからお笑いは好きだったものの、芸人になることが進路として固まっていたわけではなかったのです。

大学受験に全敗してNSCを考え、1年間の浪人生活へ

高校卒業が近づくと大学を受験しましたが、現役時代は受けた大学に一校も合格できませんでした。

浪人を避けたい気持ちもあり、そこで松井さんの頭に浮かんだのが吉本興業の養成所・NSCでした。

大学受験にすべて不合格となった18歳の時期に、芸人という進路が初めて現実的な選択肢として現れます。

しかし両親から大学へ進んだほうがいいと勧められ、本人もその意見を受け入れて、もう1年受験勉強を続けることにしました。

浪人中は自宅近くの予備校へ通い、高校時代の友人がほとんどいない環境で勉強をやり直します。

特に英語は英文解釈から学び直して音読を繰り返し、日本史にもかなり時間を使いました。

現役時代とは勉強の仕方が変わり、12月ごろの代々木ゼミナール「早慶大プレ」では全国4位まで成績を伸ばしたと本人が振り返っています。

一度NSCへ進もうと考えながら浪人を選び、その1年後に慶應義塾大学へ合格しました。

慶應義塾大学で芸人への道が現実になる

浪人を経て進学したのは慶應義塾大学法学部でした。

ここで松井さんは、高校時代までテレビの向こう側にあった「芸人」という仕事に、実際に進もうとしている仲間たちと出会います。

法学部でO-keisと軽音に入り、塾講師のアルバイトも経験

大学では公認のお笑いサークル「お笑い道場O-keis」に入りました。

同時に軽音楽のサークルにも所属し、ベースを担当しています。

本人によると、大学へ入る時点では芸人になることを意識していたものの、軽音が予想以上に楽しく、一時期はお笑い以上に夢中になったほどでした。

アルバイトでは塾講師も経験し、その後は居酒屋などでも働いています。

大学お笑いの周囲には、後にプロへ進むラパルフェやアンゴラ村長ら同世代の学生芸人もいました。

プロを目指す仲間が身近にいる環境へ入ったことで、「芸人になる」が遠い夢ではなくなっていきました。

学生コンビ「メロメロ産業」で舞台に立つ

O-keisに入った松井さんが最初から髙比良くるまさんと漫才をしていたわけではありません。

先に岩本さんという学生と「メロメロ産業」を組み、大学お笑いの舞台へ出ていました。

O-keisの公式記録や当時の公式Xにも「メロメロ産業 松井」として活動していた姿が残っており、現在の令和ロマン以前に、すでにコンビで漫才へ取り組んでいたことが分かります。

松井さんはこのころからプロへ進むつもりで、メロメロ産業のまま芸人になる未来を考えていました。

元相方が就職を選び、プロへ進む相手がいなくなる

ところが大学生活が後半へ入ると、学生芸人たちは卒業後にプロへ進むのか、それとも就職するのかを決める時期を迎えます。

岩本さんは後年のインタビューで、自分は芸能事務所やプロになることを具体的に考えておらず、帰り道で松井さんへ就職する可能性を伝えたと振り返っています。

一方の松井さんは、メロメロ産業でそのままプロへ行くつもりでした。

芸人になる意思は固まりつつあったのに、一緒にプロへ進むはずだった相方がいなくなりました。

ここで次に組むことになるのが、O-keisで松井さんの後輩だった髙比良くるまさんです。

髙比良くるまと「魔人無骨」を結成

松井さんと髙比良くるまさんは、大学のお笑いサークルで初めて知り合いました。

現在ではM-1を連覇した相方同士ですが、出会った時点ではO-keisの先輩と後輩です。

O-keisの先輩後輩から、飲みの席でコンビを組むことに

メロメロ産業でプロへ進めなくなったあと、松井さんと髙比良さんが一緒に活動する流れが生まれます。

「メロメロ産業が終わった瞬間ですね。」

QJWeb

髙比良さんの記憶では、2人で組んだのは2015年の夏以降でした。

別のインタビューでは、サークルの飲み会で最後に2人になった夜、そのままコンビを組む話になったことも語られています。

髙比良さん側も新しい相方を探しており、舞台上で自分との見た目の対比が作れることなどから、松井さんを相方候補として見ていました。

松井さんが元コンビでプロへ進めなくなった直後に、現在まで続く相方とのコンビが生まれました。

「魔人無骨」で学生お笑いへ、髙比良くるまが選んだ相方

2人が最初に名乗ったコンビ名は「魔人無骨」でした。

名前の元になったのは、戦国武将・森長可が使った槍として知られる「人間無骨」で、松井さんは検索したとき自分たちの情報を見つけやすい名前にしたかったと説明しています。

学生時代から漫才を中心に活動し、髙比良さんがボケ、松井さんがツッコミを担う形で舞台へ立っていきました。

大学お笑いの大会やライブへ出る中で、松井さんの周囲には同じようにプロを目指す学生芸人が増えていきます。

本人は後年、大学お笑いのコミュニティーがなければ、普通に就職していた可能性が高いと話しています。

松井ケムリさんが芸人になった直接の土台は、慶應という学歴そのものより、そこで大学お笑いの仲間と出会ったことでした。

大学卒業後に東京NSC23期へ、父も芸人への道を受け入れる

大学卒業後、松井さんと髙比良さんは2人そろって東京NSC23期へ進みました。

高校3年生のころには芸人をやりたい気持ちを家族へ伝えていたため、両親にとって完全な突然の進路ではありませんでした。

母親は芸人になることに反対しましたが、父親は違う反応を見せました。

「AIにできない仕事だから、いいんじゃないか」

THE CHANGE

一度は大学受験全敗のときに考えたNSCへ、今度は慶應卒業後、髙比良くるまさんと一緒に入ることになりました。

NSC首席から若手劇場へ|芸歴1年目でM-1準決勝まで進む

令和ロマンの結成年には少し注意が必要です。

本人たちは学生時代の2015年ごろから魔人無骨として組んでいますが、M-1グランプリ公式ではプロとしての結成年を2018年4月としています。

NSC大ライブTOKYO2018で133組の頂点に立つ

東京NSC23期で過ごした1年間の最後に行われた「NSC大ライブTOKYO2018」では、133組の中から優勝しました。

その結果、2人はNSCを首席で卒業します。

学生お笑いからそのままプロへ進んだ2人は、養成所の卒業ライブでいきなり同期の頂点に立ちました。

ただし、NSC首席になったからといって、すぐに漫才だけで生活できるようになったわけではありません。

アルバイトを続けながらプロの芸人生活を始める

松井さんは大学時代の塾講師に加え、居酒屋など複数のアルバイトを経験しています。

大学4年生の後半から芸人活動を始めてしばらくの時期には、有料放送の映像を監視するアルバイトもしていました。

天候などで放送中の映像に問題が起きると、待機している別映像へ切り替える仕事で、深夜帯にも勤務していたとテレビ朝日のインタビューで明かしています。

裕福な家庭の出身であることを知られることに本人は当時むしろ抵抗があり、自分で稼いだお金で生活しようとしていました。

NSC首席という肩書きと、アルバイトをしながら舞台へ出る生活が同時に続いていたのがプロ入り直後です。

M-1 2018準決勝進出で名前が知られ始める

プロになった2018年、魔人無骨はM-1グランプリ2018へ出場しました。

準々決勝で一度敗れたものの、配信動画によるワイルドカードで復活し、準決勝まで進みます。

髙比良さんは後年、この準決勝進出によって吉本の社員にも名前を覚えてもらい、ライブへ呼ばれる機会が増えたと振り返っています。

M-1優勝より5年前、芸歴1年目の準決勝進出が最初の小さな仕事の変化を生みました。

2019年、「魔人無骨」から「令和ロマン」へ改名

プロ2年目の2019年5月1日、2人はコンビ名を「魔人無骨」から「令和ロマン」へ変更しました。

その年もM-1へ挑戦しましたが、準々決勝で敗退しています。

現在のコンビ名になってすぐ全国的に売れたわけではなく、劇場でネタを続けながら、M-1の決勝を目指す時間がこのあとも続きました。

神保町の若手時代とコロナ禍|NHK新人お笑い大賞が転機に

2019年から2020年にかけて、令和ロマンは吉本の若手劇場を中心に漫才を続けました。

NSC首席やM-1準決勝進出という実績はありましたが、劇場内の競争から外れたわけではありません。

劇場ランキングの上位で漫才を続ける

2020年には神保町よしもと漫才劇場を主な活動場所の一つとし、当時の劇場ランクでは上位の「花」クラスに入っていました。

その一方で、過去には劇場のランクを落とした時期もあり、NSC首席からずっと最上位を走り続けていたわけではありません。

ネタを作って舞台にかけ、評価によって立ち位置が変わる若手劇場の日々を重ねていきました。

仕事が大きく変わった2020年にNHK新人お笑い大賞を受賞

2020年は新型コロナウイルスの影響で劇場公演が止まり、若手芸人の活動環境も大きく変わった年でした。

その中で令和ロマンはNHK新人お笑い大賞へ出場し、優勝します。

「『NHK新人お笑い大賞優勝』っていう名刺ができて良かった」

月刊芸人

これは髙比良さんが当時のインタビューで語った言葉で、NSC首席とは別に、プロの漫才師として説明できる実績ができたことを喜んでいました。

松井さんも受賞後、それまで話したことのなかった先輩芸人から声をかけられるようになったと話しています。

若手劇場で漫才を続けていた2人にとって、2020年のNHK新人お笑い大賞は周囲からの見られ方が変わる一つの転機になりました。

2022年M-1敗者復活戦で決勝目前まで迫る

M-1では2019年から2021年まで準々決勝敗退が続きましたが、2022年に再び準決勝へ進出します。

準決勝では決勝進出を逃したものの、敗者復活戦の視聴者投票ではオズワルドに次ぐ2位でした。

あと一歩で初のM-1決勝というところまで来ていました。

2018年の初準決勝から4年を経て、令和ロマンは決勝進出が現実的に見える位置まで上がってきました。

M-1 2023・2024連覇|令和ロマンが全国区へ

2023年、令和ロマンは結成以来初めてM-1グランプリの決勝進出を決めます。

前年には敗者復活戦で決勝目前まで迫っていましたが、今度は準決勝を勝ち上がって自力で最終日の舞台へ進みました。

初めてのM-1決勝で2023年王者に

2023年12月24日の決勝では、令和ロマンがトップバッターを引きました。

ファーストラウンドで648点を獲得して3位に入り、ヤーレンズ、さや香とともに最終決戦へ進みます。

最終決戦ではヤーレンズとの接戦を制し、審査員票4票を獲得して優勝しました。

初めて立ったM-1決勝で、そのまま第19代王者になりました。

大学お笑いでコンビを組んでから約8年、プロになってから約5年が経っていました。

学生お笑いの先輩後輩だった2人が、8540組がエントリーした大会の頂点に立った瞬間でした。

ABC優勝を経てM-1 2024も制し、大会史上初の連覇

M-1王者になった翌2024年も、令和ロマンは賞レースへの挑戦をやめませんでした。

7月には第45回ABCお笑いグランプリで優勝し、年末には前年王者として再びM-1へ出場します。

2024年大会には過去最多となる1万330組がエントリーしました。

決勝のファーストラウンドでは850点で2位となり、バッテリィズ、真空ジェシカと最終決戦へ進出します。

そして最終決戦を制し、前年に続いて優勝しました。

2023年、2024年と2年連続でM-1王者となり、大会史上初の連覇を達成しました。

売れたあとに変わった仕事と家族との関係

M-1優勝後はテレビやラジオなどコンビ外の仕事も増え、松井さん個人で番組へ出演する機会も目立つようになりました。

家族との関係にも変化があり、父親は令和ロマンのステッカーを仕事関係者へ配るようになったと松井さんが明かしています。

芸人になると伝えたときに「AIにできない仕事」と背中を押した父が、息子のコンビを周囲へ紹介するようになったことになります。

また2025年6月には、前年に結婚していたことと第1子が誕生したことを本人が公表しました。

2026年には父親になったことで仕事を選ぶ際の考え方にも変化が出たと語っており、芸人を始めたころとは生活そのものも変わっています。

現在の松井ケムリ|個人活動が増えても令和ロマンを続ける

M-1連覇後、令和ロマンを取り巻く環境にも大きな変化がありました。

それでも、2026年現在も松井ケムリさんと髙比良くるまさんは令和ロマンとして活動を続けています。

髙比良くるまが吉本を離れた後もコンビ活動を継続

2025年4月28日、吉本興業は髙比良くるまさんとのマネジメント契約を双方合意の上で終了したと発表しました。

同時に、令和ロマンとしての活動は継続し、松井さんは引き続き吉本興業に所属することも公式に明記されています。

M-1グランプリ公式の現在のコンビ情報でも、所属は「プロ(吉本興業/フリー)」と掲載されており、所属先の異なる2人で令和ロマンを続けています。

大学のお笑いサークルで組んだコンビは、所属形態が変わったあとも解散せず続いています。

幼少期からの動物好きが2026年の著書につながる

現在の個人活動の中には、芸人になるよりずっと前から続いているものもあります。

吉本興業の公式プロフィールでは、趣味として「動物雑学」「動物園巡り」を挙げています。

2026年4月23日には、Gakkenから初の単著『ナマケモノの朝は、午後からはじまる。』を刊行しました。

さまざまな動物の生態を題材にしたエッセイで、幼稚園のころから動物図鑑を読み、ヤゴを飼い、虫の研究者を夢見ていた松井さんの興味が、そのまま大人になってからの仕事にも表れています。

江戸川区の古いマンションで動物図鑑を眺めていた少年は、桐朋中高を経て、大学受験に失敗したときに一度NSCという道を思い浮かべました。

浪人して進んだ慶應義塾大学で大学お笑いと出会い、元相方との別れを経て髙比良くるまさんと組んだことから、令和ロマンへ続く時間が始まりました。

学生時代から組んだ相方とM-1を2度制したあとも、松井ケムリさんは令和ロマンを続けながら、子どものころから好きだった動物を含めて個人の仕事を広げています。

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