和田まんじゅうの生い立ちと若い頃|レスリング推薦5校から運送会社、芸人になるまで

人物プロフィール

本名
和田朋丈
生年月日
1985年9月20日
身長
165cm
血液型
O型
出身地
島根県 松江市
コンビ・グループ名
ネルソンズ
相方・メンバー
青山フォール勝ち、岸健之助
結成年
2010年
所属事務所
吉本興業
養成所・スクール
NSC東京校 14期

お笑いトリオ「ネルソンズ」で、坊主頭と丸みのあるキャラクターを生かしたコントを見せている和田まんじゅうさん。

現在の姿からは意外ですが、若い頃はレスリングに打ち込み、高校から複数の推薦が来るほどの選手でした。

ところが高校には進学せず、島根県で働き始め、やがて運送会社に勤めるようになります。

しかも当時は、幼なじみの青山フォール勝ちさんから誘われるまで、芸人になるつもりはほとんどありませんでした。

その青山さんとは芸人になってから出会ったわけではなく、小学1年生のころからレスリングを通じて知っていた間柄です。

島根で働いていた青年が、なぜ東京へ向かい、いったん解散まで経験した幼なじみと再び組み、現在のネルソンズへたどり着いたのでしょうか。

和田まんじゅうの生い立ちと家族|島根県松江市で育った子ども時代

和田まんじゅうさんは1985年9月20日生まれ、島根県松江市出身です。

後に一緒に芸人の道へ進む青山フォール勝ちさんとの関係も、東京の養成所ではなく、この松江で過ごした子ども時代から始まっています。

小学1年のレスリング教室で青山フォール勝ちと出会う

青山さんによると、2人が出会ったのは小学1年生のころに通っていたレスリング教室でした。

後にネルソンズのメンバーになる2人ですが、この時点ではもちろんお笑いの相方ではなく、同じ地域でレスリングをする子ども同士でした。

成長するとレスリングだけでなく、お笑いや音楽といった趣味も合うことが分かり、長い付き合いになっていきます。

現在まで続く青山さんとの関係は、芸人になる十数年前から始まっていました。

島根の実家と家族|父母・兄・妹との関係

和田さんは後年、島根の実家へ帰省した際の本人SNSで、父親、母親、兄、妹について触れています。

その投稿では、自身の娘を連れて帰省し、父親と母親が孫に会えてうれしそうだったことや、兄と妹も元気だったことを伝えていました。

幼少期の家庭内での細かな出来事は本人から多く語られているわけではありませんが、少なくとも大人になってからも島根の実家や家族との交流が続いていたことが分かります。

和田まんじゅうの中学時代|レスリング推薦5校から進路が一変

中学生になっても和田さんはレスリングを続け、その実力は高校側から注目されるほどになっていました。

現在のお笑いで見せる姿とはかなり違う、競技中心の学生生活があった時期です。

青山と続けたレスリング|約5校から推薦が来るほどの実力

2023年に出演した『ジャンクSPORTS』で和田さんは、中学時代のレスリング成績を受けて、高校から5校ほど推薦の話が来ていたことを明かしています。

青山さんも当時の実力をよく知っており、強豪校へ進んで競技を続けていれば全国大会の表彰台も狙えたのではないかという趣旨で話していました。

単にレスリングを経験していたという程度ではなく、高校側から複数の推薦が来る位置まで競技を続けていたことになります。

高校進学に至らず、地元で働く道へ

しかし、そのままレスリング推薦で高校へ進むことにはなりませんでした。

「高校は行っていないんです」

ENCOUNT

本人によれば、推薦の話はあったものの中学校側から進学につながらず、高校へは進学していません。

このため、レスリングの強豪校から大学へ進むような競技人生ではなく、中学を出たあと地元で働く方向へ進むことになりました。

「レスリングで推薦を受けるほどだった中学生」と「高校には進まず働き始めた青年」の間で、和田さんの進路は大きく変わっています。

運送会社員から芸人へ|青山フォール勝ちの誘いで人生が動く

中学卒業後の和田さんと青山さんは、同じレスリング教室で過ごしていたころとは違う道へ進みました。

青山さんは東京の大学へ進み、和田さんは島根で仕事をする生活に入り、以前ほど頻繁には会わなくなっていきます。

青山は東京の大学へ、和田は島根の運送会社へ

和田さんは島根で働き、のちに運送会社に勤務していました。

一方の青山さんは東京で大学生活を送りながら芸人になることを考えるようになり、大学4年生の夏ごろにはNSCへ入る進路を決めています。

そこで青山さんが「一緒に芸人をやる相手」として思い出したのが、小学生のころから知る和田さんでした。

一度はNSC入りを断るも、青山が友人まで巻き込んで勧誘

青山さんから電話でNSCへ誘われたとき、和田さんにはすでに島根での仕事がありました。

「僕はその時運送会社に就職してたから、『ごめん無理だわ』」

スポニチアネックス

最初から芸人になる夢を共有していたわけではなく、和田さん側は一度きっぱり断っています。

それでも青山さんは諦めず、共通の友人にも協力してもらいながら何度も和田さんを誘いました。

そこまで和田さんにこだわった理由について、青山さんは後に地元の島根で一番面白いと思っていたという趣旨で説明しています。

芸人を目指していた青山さんが、芸人志望ではなかった和田さんを相方候補として東京へ呼ぼうとしたことが、進路を変える直接のきっかけでした。

東京行きのトラックで上京し、青山と同居してNSCへ

和田さんが東京へ向かった方法も、当時の仕事と直結していました。

勤務していた運送会社で東京方面へ運ぶ荷物をトラックに積み、仕事として東京便を走らせながら東京へ向かったと本人たちは語っています。

東京へ出たあとは青山さんと一緒に暮らし、2008年にNSC東京校14期へ入りました。

島根で運送会社員として働いていた生活から、幼なじみとの共同生活とお笑いの養成所へ環境が一気に変わった時期です。

NSC東京14期とワダヤマブルー|最初の笑いとコンビ解散

東京へ出てNSCへ入ったからといって、和田さんが突然「絶対に売れる」と考えるようになったわけではありません。

むしろ本人の後年の言葉からは、最初はかなり軽い気持ちでお笑いの世界へ入ったことが伝わります。

芸人になる気はなかったが、最初のネタ見せで大きな笑い

2026年のインタビューで、青山さんに誘われる以前から芸人になろうと思っていたのかを尋ねられた和田さんは、「全くなかった」と答えています。

「最初は1年ぐらいで辞めようと思ってました。」

週刊実話WEB

ところがNSCの最初期に同期の前でネタを披露した際、大きな笑いが起きました。

人前でネタをして実際に笑いが返ってきた体験が、和田さんがお笑いを続ける楽しさにつながっていきます。

養成所では好調だったワダヤマブルーが客前で苦戦

和田さんと青山さんは「ワダヤマブルー」というコンビで活動を始めました。

青山さんによると、NSCではかなり荒っぽく自由なネタをしていたものの、それが養成所の生徒たちにはよく受けていました。

ところがNSCを出て一般のお客さんの前へ立つようになると、養成所時代と同じようには笑いが起きませんでした。

内輪では受けていたやり方が劇場の客には届かず、2人の間でも衝突が増えていきます。

卒業後1年足らずで解散し、それぞれ別のコンビへ

ワダヤマブルーは、NSC卒業後から1年もたたないうちに解散しました。

小学生のころから知る2人は、芸人になって最初に組んだコンビを一度解消することになります。

解散後は和田さんと青山さんがそれぞれ別のコンビを組み、別々に芸人活動を続けました。

ここで芸人を辞めたり、そのまま2人が離れ続けたりしなかったことが、次のネルソンズ結成へつながっていきます。

ネルソンズ結成|幼なじみとの再会に岸健之助が加わる

ワダヤマブルーの解散後、再び2人を結びつけたのはNSCの同期たちでした。

青山さんの周囲では、別々に活動するより和田さんともう一度組んだ方がいいという声が出るようになります。

同期に再結成を勧められ、約1年ぶりに青山と会話

青山さんは同期から和田さんとの再結成を強く勧められ、ワダヤマブルー解散からおよそ1年後、久しぶりに和田さんと話しました。

ただし、以前とまったく同じ2人組へ戻ろうとしたわけではありませんでした。

一度コンビとして失敗した経験があった2人の間から、別の形で再出発する案が出てきます。

和田が「3人でやりたい」と提案し、岸健之助を紹介される

再び話した際、3人組で活動する案を出したのは和田さんでした。

「和田が『ツッコミを入れた3人でやり直したい』と言い出したんです。」

CREA

そこで同期から紹介されたのが、同じNSC東京校14期の岸健之助さんでした。

和田さんと青山さんの再結成に岸さんが加わることで、2人組だったワダヤマブルーとは違う形が生まれました。

2010年4月1日にネルソンズ結成、コント中心の活動へ

吉本興業に所属する3人は、2010年4月1日に「ネルソンズ」を結成しました。

結成当初は現在のように誰か一人だけがネタを作る形ではなく、2026年のインタビューで青山さんは、昔は3人ともコントを書いていたと振り返っています。

小学生から知る和田さんと青山さんが一度コンビを解散し、岸さんという新しいメンバーを加えて再スタートしたことで、現在まで続くトリオの形ができました。

ネルソンズの若手・劇場時代|坊主頭と単独ライブで形が見え始める

ネルソンズを結成しても、すぐにテレビで知られる存在になったわけではありません。

劇場でネタを続けながら、トリオとして何が客に伝わるのかを探していく時期が続きました。

和田が坊主頭にして客の反応が変わる

青山さんがネルソンズの初期を振り返る際、一つの転機として挙げているのが和田さんが坊主頭にしたことです。

見た目とネタの中でのキャラクターが噛み合うようになり、客席からの反応も以前より分かりやすく返ってくるようになったといいます。

現在では和田まんじゅうさんを象徴する坊主頭も、若手時代にネルソンズの形が定まり始めた時期と重なっています。

2013年にヨシモト∞ホールで初単独ライブ

2013年、ネルソンズはヨシモト∞ホールで初の単独ライブ「脳みそまで筋肉とは言わせない」を開催しました。

テレビで広く名前を知られる前から、3人は劇場でまとまった数のコントを見せる単独ライブに取り組んでいました。

2016年にはヨシモト∞ホールの新ランキング制度で上位の「ファーストクラス」に選ばれ、劇場を代表する若手の一組として名前を連ねています。

賞レースだけを追うと見えにくいものの、テレビ出演が増える前にも劇場と単独ライブを軸にした期間がありました。

2016年「おもしろ荘」優勝でも、すぐには売れなかった

全国的に名前が知られる大きなきっかけの一つとなったのが、2016年元日に放送された『ぐるナイ おもしろ荘』でした。

ネルソンズはこの年の「おもしろ荘」で優勝しています。

青山さんは当時、優勝によって一気に仕事が増えるのではないかと期待したものの、実際にはその直後から急に売れたわけではなかったと語っています。

「おもしろ荘優勝=その瞬間にブレイク」ではなく、そこから少しずつネタ番組などへの出演が増えていきました。

賞レースと中川家との出会い|少しずつ名前が広がったネルソンズ

2016年のおもしろ荘以降、ネルソンズは劇場だけでなく複数のお笑い大会でも結果を残すようになります。

ただし知名度が広がっていく過程では、賞レース以外にも先輩芸人との思いがけない接点がありました。

2017年に複数大会で決勝・準優勝まで進出

2017年にはNHK新人お笑い大賞の決勝へ進み、「BAKE-MON」や『にちようチャップリン お笑い王決定戦』では準優勝を記録しています。

一つの大会だけで突然評価が変わったのではなく、コントを続ける中で複数の舞台や番組で結果が積み重なっていきました。

若手時代に劇場で作ってきたネタを、より多くの視聴者が見る機会も徐々に増えていきます。

中川家・剛が単独ライブを訪れ「中川家&コント」へ

ネルソンズの仕事が広がった出来事として、3人が挙げているのが中川家・剛さんとの出会いです。

まだ深夜のネタ番組などへの出演が中心だったころ、それまで直接の付き合いがなかった剛さんが突然ネルソンズの単独ライブを見に来ました。

きっかけは剛さんの息子がネルソンズを好きだったことで、剛さん自身は客席ではなく舞台裏のモニターからライブを見たといいます。

その後、ネルソンズはBSフジ『中川家&コント』へ継続的に出演するようになり、ラジオなどにも声をかけてもらうようになりました。

「きっかけとしてはだいぶデカい」

スポニチアネックス

賞レースとは別のところで先輩芸人がライブを見つけてくれたことも、ネルソンズを知る人が増える一つの転機になりました。

キングオブコント2019・2022で決勝へ

コントを軸に活動してきたネルソンズは、2019年のキングオブコントで決勝へ進みました。

結成から約9年、初単独ライブからも約6年が過ぎた時期で、若手劇場でネタを続けてきた3人が全国放送の大きなコント大会の決勝に立つことになります。

さらに2022年にも再び決勝進出を果たし、応募総数3018組の中からファイナリスト10組に入りました。

2016年のおもしろ荘から2019年・2022年のキングオブコントまで、仕事や知名度は一つの出来事だけでなく複数の転機を経ながら広がっていきました。

単独ライブを続ける現在|結成15年を超えてもコントの舞台へ

テレビで知られるようになった後も、ネルソンズはコントそのものから離れたわけではありません。

結成15周年を迎えた2025年以降も、3人で新作コントを作り、単独ライブを開催しています。

2025年、6年ぶりの単独ライブ「NEO NELSONS」

2025年2月22日、ネルソンズはルミネtheよしもとで単独ライブ「NEO NELSONS」を開催しました。

ネルソンズとしては約6年ぶりとなる単独ライブで、結成15周年の年に改めて3人のコントをまとめて見せる公演となりました。

「6年ぶりに本気出します!ぜひ!」

吉本興業

若手時代から続けてきた単独ライブへ、知名度が上がった後も戻っていることが現在の活動にも表れています。

2026年「FAMILY」で初の2公演、現在もネタを続ける

2026年1月には、YOSHIMOTO ROPPONGI THEATERで単独ライブ「FAMILY」を開催しました。

今回はネルソンズとして初めて単独ライブを2公演行い、結成から17年目に入った3人が新しいコントを舞台へかけています。

和田さんは公演前のインタビューで、いいネタが増えれば寄席や別のライブでも使えるという考えを話しており、現在も新作コントを作ることを活動の中心に置いています。

「17年間やってきて、追い風みたいなのは1回もないです。」

FANY Magazine

2026年8月にも「ネルソンズのニコニコライブ」が吉本の劇場で開催され、テレビだけでなくライブでネタを見せる活動が続いています。

島根県松江市でレスリングに打ち込み、幼いころから青山フォール勝ちさんと同じ時間を過ごしていたことが、和田まんじゅうさんの出発点でした。

高校へは進まず運送会社で働いていたところを、その青山さんから何度も誘われて東京へ向かい、ワダヤマブルーの解散を経て岸健之助さんとネルソンズを結成しました。

結成から15年以上が過ぎた現在も、3人は新しいコントを作りながら単独ライブや劇場の舞台に立ち続けています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA