人物プロフィール
迷彩服に短髪、おなじみの「はい~」という返事で、テレビやバラエティ番組に登場してきたやす子さん。
現在の姿だけを見ると、元自衛官という経歴を生かして最初からお笑い芸人を目指してきたようにも見えますが、実際の歩みはかなり違います。
高校を卒業すると陸上自衛隊へ入り、退職後は東京で清掃の仕事をしていましたが、その時点でも芸人になるつもりはありませんでした。
お笑いを始めた直接のきっかけは、高校時代から交流していた友人に「一緒に漫才をしてほしい」と頼まれたことでした。
しかも、初めてSMAのライブへ行った日には、その友人が会場へ現れませんでした。そこで急きょ一人用のネタを作り、「やす子」と名乗って舞台へ立ったことから、ピン芸人としての人生が始まっています。
やす子の生い立ちと家族|山口市から宇部へ移った子ども時代
やす子さんの本名は安井かのんさんで、1998年9月2日生まれです。
SMAの公式プロフィールでは山口県宇部市出身とされていますが、地元の宇部日報によると、4歳までは山口市で育ち、その後は宇部市で成長しました。
2歳で両親が離婚|母・妹と暮らした幼少期
やす子さんが2歳のころに両親が離婚し、その後は母親と妹との母子家庭で育ちました。
母親は働きながら子どもたちを育てていましたが、家計には余裕がなく、やす子さん自身も後年、経済的に厳しい家庭環境だったことを明かしています。
一方、本人は2023年にXで子ども時代を振り返った際、貧しかったことだけで幼少期を語るのではなく、楽しかった思い出もあり、一人で育ててくれた母親に感謝しているとつづっています。
常盤小・西岐波中へ|水泳部と昼休みの図書館
宇部市へ移ってからは明光幼稚園、宇部市立常盤小学校、宇部市立西岐波中学校へ進みました。
西岐波中学校では水泳部に所属していましたが、学校生活の中で特に長い時間を過ごしていた場所の一つが図書館でした。
「小中高の自分は、ずっと昼休みに図書室で過ごすような人でした」
Cocotame
本人によると、当時は周囲から面白いと言われるようなタイプでもありませんでした。
2024年の『アナザースカイ』では約10年ぶりに西岐波中学校へ戻り、水泳部の部室や昼休みに通っていた図書館を訪れています。
宇部中央高校と児童養護施設|進学を諦め自衛隊を選ぶまで
中学校を卒業すると、山口県立宇部中央高等学校へ進学しました。
現在の明るいテレビでの姿とは違い、高校生のころは人見知りで、自分の気持ちを周囲へ伝えることが得意ではなかったと振り返っています。
本音を言えなかった高校時代、音楽を通じて友人ができる
2024年の双葉社のインタビューでは、高校時代について「人見知りで、友達はあんまりいなかった」と話しています。
そんな中で人とのつながりを広げるきっかけになったのが音楽でした。
地元で音楽フェスが開かれた際に友人と見に行くようになり、好きな音楽を通して交友関係が広がっていきます。そのころ一緒にフェスへ行った友人とは、後年まで付き合いが続いているそうです。
一人で過ごす時間が多かった学校生活の中でも、音楽は人とつながる入口になっていました。
高校時代に児童養護施設で生活し、進学を断念
高校時代には、家庭の経済的な事情から児童養護施設で生活した時期もありました。
このことを詳しく公表したのは、芸人として広く知られるようになってからです。
「高校生のころ、児童養護施設にお世話になっていた時期があります」
ORICON NEWS
施設では共用のパソコンが1台しかなく、テレビのチャンネルをめぐってほかの子どもたちと競うこともあり、友人と遊びに行くためのお金も自由には使えなかったと振り返っています。
高校卒業後には進学という道もありましたが、経済的な事情から進学を諦め、自分で生活できる仕事へ進む必要がありました。
18歳で衣食住のある陸上自衛隊へ
そこで選んだのが陸上自衛隊でした。
若いころのインタビューでは「社会経験をするなら厳しい仕事をしてみたい」という理由も話していましたが、児童養護施設での生活を公表した後には、高校卒業後に生活を成り立たせる現実的な進路でもあったことを詳しく明かしています。
高校を卒業した2017年、やす子さんは18歳で陸上自衛隊へ入隊しました。
陸上自衛隊時代|大久保駐屯地でドーザ手として2年間勤務
自衛隊へ入った後は、現在テレビで見せる迷彩服のイメージにもつながる2年間を過ごします。
ただし、この時点でも将来お笑い芸人になるとは考えていませんでした。
大津・大久保で教育を受け、第3施設大隊へ
入隊後は滋賀県の大津駐屯地と京都府の大久保駐屯地で、それぞれ約3カ月の教育を受けました。
その後、適性検査などを経て大久保駐屯地の施設科へ配属されます。
自衛隊専門誌『MAMOR』では、2017年に入隊し、第3施設大隊で勤務した経歴が紹介されています。
女性では珍しいドーザ手としてブルドーザーを操作
担当したのはドーザ手、つまりブルドーザーのオペレーターでした。
道路を整備する施設科の中でも、本人によると所属した約20人の小隊でドーザ手は3人ほど。女性のドーザ手は自分一人だったそうです。
訓練では重い荷物を背負って長距離を歩く行軍や射撃にも取り組み、当初は失敗して叱られることも多かったものの、徐々に仕事へ慣れていきました。
「社会人としての良識の全てを、自衛隊で教えていただきました」
MAMOR-WEB
大きな声で返事をすることや、先輩への接し方など、自衛隊で身についた習慣は芸人になった後にも残りました。
入隊1年半で突然退職を決め、2019年に東京へ
仕事に慣れ、生活も安定していたころ、本人自身も予想していなかった転機が訪れます。
入隊して1年半ほど経ったある日、前を歩いていた上官を見た瞬間、突然「辞めよう」と思い、そのまま追いかけて退職の意思を伝えました。
自衛隊を辞めた理由は、お笑い芸人を目指したからではありません。
本人は後年のインタビューでも、なぜ突然辞めようと思ったのか自分でもはっきり説明できないと話しています。
上官や同僚からは生活を心配され、辞めた後にどこで働き、どこに住むのかを決めて提出するよう求められました。
2019年、陸士長で自衛隊を退職。芸人になる予定がないまま、次の生活へ進みます。
上京後の清掃員生活から漫才へ|友人と「新人類」を結成
自衛隊を出た後に選んだのは、華やかな芸能界とはまったく違う仕事でした。
2019年4月、就職アプリで見つけた東京の清掃会社へ入り、一人暮らしを始めます。
官公庁などを清掃しながら一人暮らしを始める
清掃会社では、官公庁のトイレなどを黙々と掃除する仕事をしていました。
自衛隊では朝から晩まで集団で行動していたため、退職後はできるだけ一人で取り組める仕事を選びたかったそうです。
自衛官時代にも、官品の靴を2~3時間かけて一人で磨く作業が好きだったといい、静かに作業できる清掃の仕事は本人の希望にも合っていました。
東京へ来ても積極的に友人を作る生活ではなく、仕事をして一人で過ごす毎日が続いていました。
高校時代からのSNS友達に「漫才をしたい」と誘われる
約半年後の2019年9月、高校時代からTwitterで知り合い、LINEで連絡を取り続けていた女性の友人と遊ぶことになりました。
ジャルジャルが好きだったその友人は、東京NSCへ入り芸人になりたいと考えていました。
しかし、いきなり養成所へ入る勇気がなく、まず一度漫才をやってみたいとして、やす子さんに相方を頼んだのです。
「その時はお笑いに興味はなかった」
ミーツキャリア by マイナビ転職
本人によると、当時知っていた芸人はダウンタウンや爆笑問題などごく一部で、漫才を研究してきた経験もありませんでした。
それでも友人から「ネタも書いてほしい」と頼まれ、断らずに引き受けます。
やす子さんが芸人への最初の一歩を踏み出した理由は、自分の夢ではなく、友人の頼みに応えたことでした。
朝4時起きの仕事と両立し、週末は代々木公園でネタ合わせ
漫才を始めたからといって、清掃会社を辞めたわけではありません。
平日は朝4時に起き、午前5時から夜8時まで清掃の仕事をこなし、家へ帰ってから漫才のネタを書いていました。
土日になると、千葉に住む友人と代々木公園で待ち合わせてネタ合わせをします。
まだ舞台に一度も立っていない段階でしたが、友人はSMAやほかのお笑い事務所へ「所属させてもらえないか」と連絡を送り始めました。
初ライブで相方が来ず「やす子」としてピン芸人に
友人が送った連絡に最初に返事をした事務所の一つが、現在も所属するソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)でした。
SMAの公式プロフィールでは、やす子さんの活動開始日は2019年9月29日と記されています。
SMAから返事が届き、2019年9月29日にBeach Vへ
SMAのお笑い部門を担当していた平井精一さんから、事務所ライブがあるので面接に来るよう連絡を受けます。
ところが、ライブの3日ほど前から一緒に漫才をする予定だった友人と連絡が取れなくなりました。
やす子さんは平井さんとの約束を断ることができず、一人でSMAのライブハウスBeach V(びーちぶ)へ向かいます。
相方が現れず、漫才をその場でピンネタへ変更
当日になっても友人は現れませんでした。
しかも、やす子さんは事務所との面接程度だと思っていましたが、実際には観客の前でネタを披露するライブでした。
二人で演じる予定だった漫才は、そのままでは使えません。
そこで用意していたネタを急きょ、「怒ってないよと言いながら怒ってる人」という一人用のネタへ変更しました。
芸名も決まっていなかったため、本名の「安井かのん」から「やす」を取り、その場で「やす子」と名乗ります。
初舞台で相方が来なかったことが、結果としてコンビ「新人類」からピン芸人へ変わる出来事になりました。
急造したピンネタは観客投票で2位。一度だけのつもりだった舞台から、そのまま芸人生活が始まりました。
「やす子」という芸名が生まれ、Beach Vが新しい居場所になる
この日、やす子さんは相方を失いましたが、同時に新しい人間関係もできました。
同じ日にSMA HEET Projectへ所属することになった「さくりふぁいす」の瀬戸勇太さん(現・瀬戸そいでほいでさん)と知り合い、ライブ会場の掃除や雑用を教えてもらいます。
「もう、びーちぶが居場所みたいに思えてきたんですね、自分の」
Cocotame
東京へ来てから友人をほとんど作っていなかった中で、平井さんやSMAの芸人たちとの交流が増え、仕事がない日にもBeach Vへ通うようになりました。
清掃会社の正社員として働きながら、ライブにも出演する二足のわらじの生活がここから始まります。
自衛隊ネタが生まれた若手時代|仕事とアルバイトを続けた日々
現在のやす子さんを象徴する「自衛隊あるある」も、初舞台から一貫して続けてきた芸風ではありません。
芸人を始めたばかりのころは、自分にどんなネタが合うのかも分からず、さまざまな形を試していました。
全身タイツなどを試した後、先輩の一言で自衛隊ネタへ
初期には全身タイツを着るネタや、慌てる姿を使った「慌てんぼう」のネタなど、自衛隊とは関係のない内容も披露していました。
流れが変わったのは、早稲田クローバースタジオで共演した先輩芸人の大葉かやろうさんから、元自衛官なら自衛隊ネタをやってみてはどうかと勧められたことでした。
「自衛隊あるある」を始めると、それまでよりテレビのオーディションに通るようになりました。
2020年4月には『水曜日のダウンタウン』のドッキリ企画へ出演し、自衛隊ネタを披露しています。
放送翌日には、芸歴4カ月ごろに撮影されたフリップネタの動画も自身のXで紹介しています。
ザコシショウの舞台を見て「芸人をちゃんとやってみよう」と思う
芸人になった瞬間から、お笑い一本で生きていく覚悟を決めていたわけでもありません。
2025年にテレビ朝日の番組で振り返った際には、友人に誘われて芸能界へ入ったため、当初はそれほど強いやる気があったわけではなかったと話しています。
意識が変わるきっかけの一つになったのが、同じSMAに所属するハリウッドザコシショウさんの単独ライブを手伝ったことでした。
「芸人をちゃんとやってみようと思った存在ですね」
テレ朝POST
一人で大勢の観客を笑わせるザコシショウさんの姿を舞台裏から見たことで、友人の頼みから偶然始まった仕事を、自分の仕事として考えるようになっていきます。
コロナ禍でアルバイトを転々としながら芸人を続ける
芸人生活を始めて間もなく、新型コロナウイルスの流行でライブや仕事にも大きな影響が出ました。
清掃会社を辞めた後は複数のアルバイトを経験しましたが、本人は2023年に1年間で15回アルバイトをクビになり、一時期は約200万円の借金もあったとXで明かしています。
一方で芸人としてはBeach Vへ通い、ネタを作り、自衛隊ネタを武器に少しずつテレビ出演へつなげていました。
22歳ごろから疎遠だった母・妹とも再び連絡を取る
芸人として活動を始めたころから、家族との関係にも変化がありました。
高校時代から距離ができていた母親とは22歳ごろまで疎遠だったといいますが、芸人になった後に母親と妹へ自分から連絡を取るようになりました。
その後は一緒に食事をしたり旅行へ出かけたりするようになり、2024年1月には母親と妹との初めての家族旅行にも出かけています。
幼少期の家族構成とは別に、芸人になってから家族との交流が再び増えていったのです。
『おもしろ荘2021』3位でテレビ出演が急増
自衛隊ネタでテレビのオーディションに通るようになった中で、仕事の流れを大きく変えたのが日本テレビ系『ぐるナイ おもしろ荘2021』でした。
まだ芸歴2年にも満たない時期です。
自衛隊ネタで3位になり、出演依頼が一気に増える
2021年元日の放送では、迷彩服姿で自衛隊を題材にしたフリップネタを披露し、結果は3位でした。
優勝ではありませんでしたが、この出演後にテレビから声がかかる機会が急増します。
2021年4月のCocotameインタビューでは、2020年のテレビ出演が2本ほどだったのに対し、2021年3月だけで10本近く出演したと紹介されています。
やす子さんの場合、「賞レースで優勝した瞬間」ではなく、『おもしろ荘2021』で3位に入り、自衛隊ネタと本人のキャラクターが知られたことがテレビ出演増加の大きな転機でした。
2022年にはSNSをきっかけに父と約23年ぶりに再会
テレビ出演が増え、顔と名前が知られるようになったことで、もう一つ予想していなかった出来事が起きました。
2歳のころに両親が離婚して以来、会っていなかった実の父親からSNSを通じて連絡が届いたのです。
父親はやす子さんの生まれた日時など、本人しか確認できない情報を伝え、その後、約23年ぶりに対面しました。
そこで初めて知ったことの一つが、父親も元自衛官だったことです。
話し方や人見知りなところにも似ている部分があったといい、芸人として世間に知られたことが、長く会っていなかった父親との再会にもつながりました。
THE W決勝から現在へ|自衛隊経験を持つピン芸人として活動
『おもしろ荘』で知られるようになった後も、やす子さんはバラエティ番組への出演だけでなく、芸人としてネタを続けました。
若手時代には「賞レースで結果を残したい」と話していましたが、その目標は数年後に一つの形になります。
2023年「THE W」決勝へ進み、ネタでも勝負を続ける
2023年には『女芸人No.1決定戦 THE W 2023』の決勝へ進出しました。
2021年のインタビューでは、テレビに出ているだけではなく「THE W」などの賞レースを狙えるネタを作りたいと話しており、その後も舞台でネタを続けていたことが分かります。
友人の頼みで一度だけ漫才をするつもりだった人物が、4年後にはピン芸人として全国放送の賞レース決勝へ進みました。
予備自衛官として訓練を続け、子ども食堂の準備も進める
自衛隊を2019年に退職した後も、自衛隊との関係が完全になくなったわけではありません。
芸能活動と並行して予備自衛官として訓練を続けており、2026年3月にも5日間の招集訓練に参加しています。
さらに、芸人として知られるようになってからは、高校時代に児童養護施設で暮らしていた経験についても公に話すようになりました。
2024年には『24時間テレビ』で児童養護施設への募金を目的としたチャリティーマラソンに参加し、その後も施設を巣立った若者への支援へつながる活動が続いています。
そして2026年7月、本人のXで同年9月から東京都内で週1回の子ども食堂を始める予定であることを発表しました。
高校時代に経済的な事情で進学を諦めた経験を持つやす子さんが、現在は子どもたちのための場所を作る準備を進めています。
山口で育ち、高校卒業後は生活のために自衛隊へ入り、退職後には東京で清掃の仕事をしていたやす子さん。
芸人になる予定はなかったものの、友人に頼まれた漫才と、相方が来なかった2019年9月29日の初舞台を境に人生の方向が変わりました。
その後も自衛隊で過ごした時間や家族、児童養護施設での経験を抱えたまま、ピン芸人として舞台に立ち続けています。











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