トミサットの生い立ちと家族|中学の友人に誘われ7年待った芸人への道、センチネル結成まで

人物プロフィール

本名
富里恵士
生年月日
1993年4月13日
身長
178cm
血液型
A型
出身地
東京都 八王子市
コンビ・グループ名
センチネル
相方・メンバー
大誠
結成年
2020年
所属事務所
太田プロダクション
芸人活動開始年
2018年
養成所・スクール
太田プロエンタテイメントカレッジ 11期

お笑いコンビ「センチネル」で、大誠さんと漫才を続けているトミサットさん。

2025年にはM-1グランプリで初の準決勝へ進み、2026年もABCお笑いグランプリ決勝、ツギクル芸人グランプリ決勝へ進出するなど、ネタの舞台で名前を見る機会が増えています。

一方で、芸人になるまでの道をたどると、学生時代からクラスの中心で笑いを取っていたタイプではなく、本人によれば「仲間内でだけおもしろいことを言う」ような恥ずかしがり屋でした。

芸人を意識した始まりは、中学の同級生から「一緒に芸人になろう」と誘われたことでした。

ところが、その友人を待った時間は約7年に及び、大学へ進まずフリーターとして暮らしていたトミサットさんは、結局その相手とはコンビを組まないまま、自分から別の一歩を踏み出すことになります。

トミサットの生い立ちと家族|八王子生まれ、テレビ好きだった少年時代

トミサットさんの本名は富里恵士(とみさと・けいし)さんで、1993年4月13日生まれです。

太田プロダクションの公式プロフィールでは東京都出身とされ、父はアフリカのウガンダ出身、母は八王子出身と紹介されています。

ウガンダ出身の父と八王子出身の母、姉2人の家庭で育つ

2026年4月に出演した「アメトーーク!」では、生まれた場所について本人が八王子だったことを明かしています。

「生まれは八王子ですね。すいません」

日刊スポーツ

父方の家系はウガンダの田舎にルーツがあり、父が暮らしていた地域では、ゴリラが生活圏へ入ってきたことで住民側が移転することになり、最終的に村がなくなったという話も番組で披露しています。

インパクトのある父方の話が知られていますが、本人自身は日本で生まれ、都内で普通に生活して育ったと話しています。

きょうだいは姉が2人おり、子どものころにテレビへ夢中になった背景にも姉たちの存在がありました。

親が寝たあと、団地で「はねトび」をこっそり見ていた

トミサットさんは小学校低学年のころからバラエティ番組が好きで、当時暮らしていた団地では、親が寝静まってからテレビのすぐ近くへ座り、音量を絞って深夜時代の「はねるのトびら」を見ていました。

同じころに「リチャードホール」も見ており、さらに姉2人の影響から「めちゃ×2イケてるッ!」「SMAP×SMAP」などにも夢中になっていきます。

本人が特にワクワクしたのは、芸人だけで完結する番組ではなく、芸人とアイドルやタレントが入り交じる平成期の大人数バラエティでした。

とんねるずの番組も好きだったと話しており、まだ芸人になる話が出るずっと前から、テレビのバラエティそのものを楽しむ少年でした。

学校では恥ずかしがり屋、仲間内でだけ笑わせるタイプだった

テレビでは派手なバラエティを好んでいたものの、学校での本人は目立ちたがり屋ではありませんでした。

授業中に先生の話を遮って笑いを取るようなことには抵抗があり、気心の知れた友人の中でだけ冗談を言うタイプだったと振り返っています。

後に芸人になった姿から想像される「学校中を笑わせていた人気者」とは、少し違う学生生活を送っていました。

中学の友人に誘われて芸人を意識|高校卒業後も続いた約束

自分から「芸人になろう」と言い出したわけではなかったトミサットさんに、お笑いを職業として意識する出来事が起きたのは中学生のころでした。

「一緒に芸人になろう」と誘われ、自分にも向いていると思った

中学の同級生から突然「芸人になろう」と誘われたとき、学校で目立っていたわけではない本人は、誘われたことそのものを一つのきっかけとして受け止めました。

「誘われるってことは芸人向いてるのかもって思って、その気になりましたね」

テレビ朝日 logirl

ところが友人からは、すぐに始めるのではなく高校卒業まで待ってほしいと言われます。

卒業時期が来ると、今度は大学を卒業するまで待ってほしいという話へ変わりました。

高校卒業後も待ち続け、大学へは進まずフリーターに

トミサットさん自身は大学へ進学せず、フリーターとして働きながら友人を待つ道を選びます。

最初に芸人へ誘われてから、待った期間は本人の話では約7年でした。

その間ずっと暗い生活をしていたわけではなく、焼肉店の牛角で働き、バイトリーダーを任されるようになり、恋愛を楽しんでいた時期もあったと話しています。

芸人になる約束は残っていましたが、日常生活そのものはアルバイトを中心に進んでいました。

約7年後、待っていた友人から芸人にならないと告げられる

待っていた友人は大学で学生お笑いを経験しましたが、そこで本人なりに満足したことに加え、家業を継ぐ事情も重なり、トミサットさんと芸人になる話は実現しませんでした。

中学生のころに始まった約束は、約7年待った末にコンビ結成へつながらないまま終わりました。

しかし、ここでお笑いそのものを諦めたわけではありませんでした。

牛角のバイトリーダーから芸人へ|止まっていた生活が動き出す

友人を待っている間に、アルバイト先ではかなり仕事を任される立場になっていました。

普通に働く生活が形になりつつある一方で、本人の中では次第に毎日への物足りなさが出てきます。

焼肉店で働き、店長不在時の責任者まで任される

2026年の「アメトーーク!」では、焼肉店でバイトリーダーとなり、エリアマネジャーからも気に入られていた当時を本人が振り返っています。

仕事を続けるうちに、店長が不在の際には店内を任される責任者になるところまで進みました。

ある日、店で停電が起きて換気設備が止まり、煙が充満したため客を退店させたこともありました。

駆けつけた消防隊へ自分が責任者だと名乗ったところ、見た目から日本語が通じないと思われ、改めて「日本語を話せる人」を探されたという出来事まで本人の持ち話になっています。

芸人になる前から、職場では責任を任せられるところまで働いていたことが分かるエピソードです。

別の同級生を誘ってエントリーライブへ出ると初回で1位

そのころ、酒を飲んでも以前ほど楽しく感じられなくなり、本人は生活が停滞しているような感覚を持つようになりました。

転機として本人が挙げているのが、城咲仁さんが役者時代にプライドを捨てるため大胆な行動をしたという逸話を聞いたことでした。

その話に影響されて本人も突飛な行動を試したところ、翌日から急に動く気になり、待っていた友人とは別の同級生へ声をかけます。

2人で一般参加できるエントリーライブへ出場すると、初めての挑戦でいきなり1位になりました。

約7年待つ側だったトミサットさんが、ここでは自分から相手を誘い、自分から舞台へ出ています。

太田プロへ自分から電話するも、ネタ見せで失敗

初ライブで1位になった2人は一気に自信を持ち、トミサットさんは太田プロダクションへ直接電話します。

内容は、自分たちは面白いからネタを見てほしいという売り込みでした。

待っていた7年間とは対照的に、芸人として最初の扉は自分で電話をかけて開けようとしました。

実際にネタ見せへ参加できたものの、本番では緊張してネタを飛ばし、講師を務めていたヤマザキモータースさんから厳しい評価を受けます。

宮下草薙らのライブを見て自信を失い、相方も離脱

さらにエントリーライブ1位の特典でK-PROのライブへ出ると、結成したばかりだった宮下草薙が大きな笑いを取る姿を目の当たりにしました。

別のライブでは、はなしょーなど実力のある若手とも同じ舞台になり、それまで持っていた自信は一気に崩れます。

一緒に始めた同級生も心が折れ、コンビは解散しました。

マネージャーから呼ばれ、そのまま太田プロ養成所の授業へ

コンビがなくなったあと、太田プロのマネージャーから「次のネタ見せに来るか」という連絡が入ります。

解散したことを伝えると、今度はトミサットさん自身がお笑いを続けたいのか聞かれました。

「やりたい」と答えると太田プロの稽古場へ呼ばれ、そこではマネージャーとヤマザキモータースさんが待っていました。

直接電話してネタを見てほしいと頼んできた気概を買われ、稽古場で長く待ったあと、その日のうちに養成所の授業へ参加することになります。

最初のネタ見せは失敗しましたが、そのとき自分から動いたことが太田プロの養成所へ入る流れを生みました。

太田プロ養成所からシンテンチへ|「おもしろ荘」まで進んだ前コンビ時代

トミサットさんは太田プロエンタテイメントカレッジ東京校芸人コース11期に入り、2018年3月に卒業しています。

養成所へ入った時点で現在の相方・大誠さんと組んでいたわけではありません。

太田プロ11期で木津徳大とシンテンチ結成

最初に養成所へ入るきっかけとなった同級生は途中で辞め、その後、同期だった木津徳大さんとコンビを組みました。

コンビ名は「シンテンチ」で、M-1グランプリ公式記録では2017年12月18日結成となっています。

養成所時代の成績について、後年のインタビューでトミサットさんは次のように答えています。

「僕らは一応、首席でしたね」

FRIDAYデジタル

2019年の太田プロ「月笑」では、芸歴2年目のシンテンチについて達者なしゃべりが紹介されており、同年9月のTBSラジオ「マイナビ Laughter Night」ではコントで出演しています。

2020年2月の同番組には漫才で出演しているため、初期から一つの形式だけに固定せずネタを作っていました。

養成所で上位となり、2019年末には「おもしろ荘」へ

シンテンチは若手ライブで活動を重ね、2019年末には日本テレビ系「ぐるナイ おもしろ荘」への出演が決まります。

太田プロ公式プロフィールにも、トミサットさんが以前のコンビ・シンテンチとして「おもしろ荘」へ出演した経歴が記載されています。

芸人を誘ってきた友人を待っていた時期から数年後、トミサットさんは前コンビで全国放送の若手芸人企画まで進みました。

お笑いへの熱量の差が広がり、シンテンチ解散へ

しかし、「おもしろ荘」への出演がそのままコンビの継続にはつながりませんでした。

トミサットさんによると、活動を続けるうちに2人の間でお笑いへ使いたい時間の考え方に差が出てきたといいます。

「僕は芸人やるからには全部お笑いに注ぎ込むタイプ」

FRIDAYデジタル

一方の木津さんは私生活とのバランスも含めて活動したい考えで、少しずつズレが広がったと説明しています。

2020年元日の「おもしろ荘」出演直後、シンテンチは解散しました。

解散後の「パイナポー富里」と大誠との再接近

全国放送へ出たばかりのコンビがなくなり、トミサットさんは再び相方のいない状態になります。

この時期に現在のセンチネルへつながる人物、大誠さんとの距離が縮まっていきました。

前コンビ解散後、アフロを切ってピン芸人として活動

シンテンチ解散後は、ピン芸人として「パイナポー富里」を名乗った時期があります。

本人は当時をかなり落ち込んでいた時期として振り返っており、それまでのアフロヘアを坊主にし、酒を飲む日も増えました。

さらに2020年は新型コロナウイルスの影響でライブが止まり、アルバイトの仕事もなくなるなど、芸人として次に何をするか決めにくい状況が重なります。

現在使っている「トミサット」という芸名については、2026年の「アメトーーク!」で、親に黙って芸人活動を始めた時期に「富里」の姓を名乗らないでほしいと言われ、本名の姓をアレンジして付けたと説明しています。

「若気の至り」で出会っていた大誠とシャッフル漫才

大誠さんとは、太田プロ・ワタナベエンターテインメント・プロダクション人力舎などの養成所で成績の良かった若手が集まる「若気の至り」というライブですでに顔を合わせていました。

そのライブの1周年オールナイト企画では、くじ引きで即席コンビを作るシャッフル漫才が行われ、トミサットさんと大誠さんが一緒になります。

別のコーナーが進んでいる短い時間にネタを合わせ、そのまま舞台へ出るような企画でした。

ほとんど合わせる時間がなかったにもかかわらず、2人には「噛み合った」という感覚が残りました。

短いネタ合わせでも噛み合った感覚が残っていた

当時すぐに正式なコンビを組んだわけではなく、それぞれ別の活動が残っていました。

それでもトミサットさんには、大誠さんとの即席漫才が楽しかったという記憶が残り、大誠さん側にも同じ感覚がありました。

シンテンチ解散で落ち込んでいたトミサットさんと、前コンビの活動が終わった大誠さんが、2020年に改めて一緒に過ごすようになります。

センチネル結成|ボンバーマンで息が合い、2020年にコンビへ

センチネル結成の決め手になったのは、養成所の教室やネタ見せ会場ではありませんでした。

新型コロナによる最初の緊急事態宣言が明けたころ、2人は久しぶりに飲みに出かけます。

双方の前コンビが解散したコロナ禍に再び飲みに行く

向かったのは、料理を食べながらテレビゲームの「ボンバーマン」を遊べる居酒屋でした。

店でお笑いの話をしていると、隣にいたカップルから芸人なのかと声をかけられ、2対2でボンバーマンをすることになります。

2人ともそのゲームは初めてだったそうですが、カップルを相手に完封するほど息が合いました。

「じゃあコンビを組むか」

WANI BOOKS NewsCrunch

シャッフル漫才で感じていた相性が、居酒屋で遊んだゲームでも重なり、正式なコンビ結成へ進みました。

M-1グランプリ公式サイトに登録されているセンチネルの結成日は2020年7月1日です。

センチネル初舞台、「どうも」を20回練習したのにネタを飛ばす

センチネルとしての初ライブは、ヤマザキモータースさんに声をかけてもらった「モータースLIVE」でした。

コロナ禍だったため、アクリル板やマスクを使いながら舞台に立っていた時期で、2人はトップバッターを務めます。

ネタ合わせでは、トミサットさんが大誠さんの最初の「どうも」の声の高さに納得せず、20回以上繰り返させました。

ところが本番になると、厳しく練習させていたトミサットさん自身が「どうも」の直後から台本1ページ分ほどを飛ばしてしまったと大誠さんが明かしています。

「本当に新人になったような感じだった、全部ゼロになった」

テレビ朝日 logirl

シンテンチで「おもしろ荘」まで経験していても、新コンビの最初の舞台では再び新人のような緊張を味わいました。

トミサットが叩き台を作り、大誠のツッコミを加えるネタ作り

センチネルでは、結成当初からトミサットさんがネタの土台を作っています。

完成した台本を一方的に渡すというより、まず箇条書きに近いアイデアを持ってきて、大誠さんへ内容を伝えながら形にしていく方法です。

そこで大誠さんから良いツッコミが出れば取り込み、2人で漫才として調整していきます。

見た目やトミサットさんのルーツだけを前面へ出すのではなく、漫才そのものを作り込む方向でセンチネルは活動を始めました。

センチネルがライブで力をつけるまで|2022年「ゴッドタン」が追い風に

コンビ結成直後から一気にテレビ中心になったわけではなく、センチネルは東京の若手ライブへ出ながら少しずつ手応えを増やしていきました。

2021年ABCお笑いグランプリ準決勝で初めて手応え

トミサットさんがセンチネルとして最初に手応えを感じた出来事として挙げているのが、2021年のABCお笑いグランプリ準決勝進出です。

結成からまだ間もない時期に若手賞レースの準決勝まで進み、自分たちのネタに対する感覚が少し変わりました。

ただ、ここからすぐ決勝常連になったわけではなく、ライブへ出ながら前年より面白くなることを意識してネタを重ねていきます。

青色1号・仮屋そうめんの言葉でライブへの向き合い方が変わる

シンテンチ解散後には、以前のコンビのイメージを引きずり、これからどう活動すればいいか悩んでいた時期もありました。

そのころ青色1号の仮屋そうめんさんから、周囲は本人が思うほど過去を気にしておらず、ライブシーンは動きが速いため、気にせず出続けたほうがいいという言葉をかけられます。

トミサットさんはそこで吹っ切れ、一回一回のライブで何かを残そうと前へ出るようになったと話しています。

前コンビの実績を守るより、新しい舞台へ出続ける方向へ切り替わった時期でした。

2022年「ゴッドタン」で「バラエティで売れそうな芸人」1位

2022年にはテレビ東京系「ゴッドタン」の企画「この若手知ってんのか!?」へ出演し、「今のバラエティで売れそうな芸人」部門で1位として紹介されました。

大誠さんは後年、この出演について仕事面だけでなくライブ会場での反応も変わった「追い風」だったと振り返っています。

トミサットさん自身も、それまでより先輩芸人から舞台上で振られたり、イジられたりする機会が増えたと話しました。

賞レース優勝ではなく、2022年の「ゴッドタン」はセンチネルがライブの外側でも知られていく大きな転機になりました。

新ネタを作り続け、年間約400本のライブへ

テレビ出演が増えてからも、センチネルの活動量はライブを中心に増えていきます。

2024年のインタビューでは、毎月新ネタを4本下ろすライブを行い、あえて自分たちより上の先輩をゲストに呼び、緊張する環境で漫才を試していると説明していました。

2025年には年間のライブ出演数が約400本と紹介されています。

専用劇場を持たない太田プロ所属でそれだけの本数へ出演するには、ネタだけでなく、主催者への挨拶、出番管理、ライブの進行に合わせた行動なども必要だと本人たちは冗談を交えながら話しています。

新ネタを作ることと、実際の客前で試すことを繰り返す生活が、賞レースへつながっていきました。

賞レースとテレビで広がったセンチネル|現在も漫才を磨く日々

ライブを重ねたセンチネルは、2023年以降、事務所ライブや若手賞レースで結果が続くようになります。

現在の活動を見るうえで重要なのは、一つの大会だけで突然状況が変わったというより、毎年少しずつ進出地点を更新してきたことです。

月笑年間王者、ツギクル、ABCと少しずつ大きな舞台へ

2023年には太田プロの事務所ライブ「月笑」年間チャンピオンを獲得しました。

2024年にはツギクル芸人グランプリ決勝へ初進出し、全国放送される若手賞レースの舞台にも進みます。

同じころにはフジテレビの若手芸人番組「深夜のハチミツ」シリーズにも出演し、子どものころから好きだった大人数の若手バラエティへ、自分が出演する側として参加するようになりました。

2025年にはABCお笑いグランプリ決勝へ進出し、賞レースでの露出はさらに増えていきます。

2025年M-1で初の準決勝、敗者復活戦の舞台へ

センチネルにとって長く突破できていなかった大会の一つがM-1グランプリでした。

2024年までの最高成績は3回戦でしたが、2025年大会では1回戦、2回戦、3回戦、準々決勝を通過し、初めて準決勝まで進出しました。

準決勝では決勝9組に入れなかったものの、そのまま敗者復活戦へ出場しています。

このころのセンチネルはテレビ出演と並行してライブでネタを重ねており、公式YouTubeでは当時披露していたコントも公開されています。

2026年もABC・ツギクル決勝へ、月笑では連勝記録を更新

2026年に入ってもネタでの結果は続き、ABCお笑いグランプリには2年連続で決勝進出しました。

決勝前の本人コメントでは、前年の舞台で緊張から早口になった経験も踏まえ、再び同じ大会へ戻ってきた喜びを表しています。

「去年の僕らは忘れて今年の僕らを焼き付けてください」

ABEMA/PR TIMES

同大会ではBブロックに入り、最終的な第47代王者はゼロカランとなりました。

さらにツギクル芸人グランプリ2026でも決勝15組に入り、2024年以来となる決勝の舞台へ戻っています。

事務所ライブ「月笑」では、2026年2月から7月まで今季6回連続で1位となりました。

2025年11月の最終ラウンドから数えると通常回で7連勝となり、6月には宮下草薙が持っていた連続優勝記録を更新、7月には宮下草薙が持つ年間最多優勝6回にも並んでいます。

「ここまで来たら、年内全制覇目指します」

日刊スポーツ

中学の友人を約7年待っていた時期から、現在は自分たちでネタを作り、年間何百本ものライブへ出る生活へ変わっています。

少年時代に憧れた若手バラエティ番組へ出演する側になる

ネタの活動と並行して、トミサットさんは「深夜のハチミツ」シリーズなど、若手芸人が大勢集まるテレビ番組にも出演してきました。

これは小学生のころ、親が寝たあとに「はねるのトびら」を見ていた本人にとって、昔から見ていたテレビの形に近い仕事でもあります。

売れる前には東京・大門でアルバイトをしていた時期もあり、仕事帰りに酒のロング缶を飲みながら、お台場のフジテレビ社屋を眺めていたことがありました。

「フジテレビに出てえな〜!」

WANI BOOKS NewsCrunch

その後、実際にフジテレビの若手ユニット番組へ入り、子どものころにテレビの前から眺めていた側から、スタジオで競う側へ移りました。

現在もセンチネルの中心にあるのは、テレビ出演だけではなく、トミサットさんが叩き台を作り、大誠さんと何度も客前で磨いている漫才です。

団地で音量を絞ってバラエティを見ていた少年は、中学生で友人から芸人へ誘われ、その約束を長く待ったあと、自分から太田プロへ電話をかけてお笑いの世界へ入りました。

シンテンチの結成と解散、ピン芸人の時期を経て、大誠さんとの即席漫才やボンバーマンでの不思議な相性からセンチネルが始まりました。

2026年も2人はライブと賞レースの舞台に立ち続け、あのころ見上げていたテレビ局の中と、何百本も重ねてきた客前の舞台を行き来しています。

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