ハナコ菊田竜大の生い立ち|柏の「爆笑王」が法政大学から芸人へ、岡部加入を拒んだ結成秘話

人物プロフィール

生年月日
1987年6月12日
身長
176cm
血液型
B型
出身地
千葉県 柏市
コンビ・グループ名
ハナコ
相方・メンバー
秋山寛貴、岡部大
結成年
2014年
所属事務所
ワタナベエンターテインメント
芸人活動開始年
2011年
養成所・スクール
ワタナベコメディスクール 12期

ハナコの菊田竜大さんといえば、コントの中で出番が少なかったり、相方の秋山寛貴さんと岡部大さんから「やらない人」といじられたりする独特の立ち位置でも知られています。

ところが昔をたどると、現在のイメージとはかなり違う姿が見えてきます。

千葉県柏市で育った菊田さんは、子どものころから学校で笑いを取り、本人が「小中高大」を通して自分は爆笑王だったと語るほど、人前で笑いを取ることに自信を持っていました。

大学では普通に就職する道も考えていましたが、友人の何気ない一言をきっかけに進路が動き、やがてワタナベコメディスクール12期へ入ります。

さらに現在のハナコができるまでには、秋山さんとのコンビ「ウエストミンスター」で売れない時期を過ごし、岡部さんからトリオ加入を申し込まれた際には、菊田さん自身が一度きっぱりと断った夜もありました。

菊田竜大の生い立ちと家族|千葉県柏市で育った「爆笑王」

菊田竜大さんは1987年6月12日生まれ、千葉県柏市出身です。

本人や所属事務所のプロフィールでは家族構成のすべてが詳しく公表されているわけではありませんが、父親と母親については、菊田さん自身が子ども時代や大学受験の思い出を具体的に明かしています。

柏市で育ち、小学校の先生から「将来は芸人」と言われる

菊田さんにとって「芸人」という職業が身近になった最初の出来事は、養成所へ入るずっと前の小学生時代にありました。

当時からクラスで笑いを取ることが多く、本人は後年、自分を「クラスの人気者」「爆笑王」のような存在だったと振り返っています。

その姿を見ていた先生から、将来についてこんな言葉をかけられました。

「菊田くんは将来芸人さんになるんだよね」

ENCOUNT

このころに本格的なネタ作りを始めていたわけではありませんが、学校で人を笑わせることと「芸人」という職業が初めて結びついた時期でした。

小学6年まで母に背中をさすってもらった子ども時代

学校では人前に出て笑いを取っていた一方、家では母親との距離がかなり近い子どもでした。

2023年にフジテレビ系「ぽかぽか」へ出演した際には、小学6年生ごろまで母親に背中をさすってもらわないと眠れなかったと明かしています。

小学2年生のころには、学校で母親を「ママ」と呼んでいることをからかわれ、それを機に「お母さん」へ呼び方を変えました。

ただ本人は、大人になってからも本当は「ママ」と呼びたいほど母親が好きだったと語っています。

学校では「爆笑王」、家では母親に背中をさすってもらって眠る。菊田さんの子ども時代には、外で見せる姿と家庭での姿の両方がありました。

中学・高校・法政大学|「面白い」と言われ続けた学生時代

小学校を卒業してからも、菊田さんが学校で笑いを取る立ち位置は変わらなかったようです。

本人・所属事務所の公式プロフィールには中学校や高校の校名は掲載されておらず、公表情報として明確なのは千葉県柏市出身で、法政大学へ進学したことまでです。

中学・高校を通じても続いた「爆笑王」の立ち位置

菊田さんは後年、自分の学生時代について「小中高大」と続けて笑いを取っていたと話しています。

中学校時代については、音楽の授業で起きた小さな出来事も残っています。

授業中に先生がブラームスを紹介したとき、菊田さんは教室でこう口にしました。

「この人はぼくのおじいちゃんですね」

AGESTOCK WEB MAGAZINE

その一言で教室が大きく沸いたといい、芸人になる前から、その場にあるものを使って笑いへ変えることを楽しんでいました。

高校時代も含めて、お笑いの部活動や芸能活動をしていたというより、日常の中で友人を笑わせる学生生活を続けていきます。

法政大学のお笑いサークルを見に行き、入らずにプロを選ぶ

高校卒業後、菊田さんは法政大学へ進学しました。

大学でもすぐに学生お笑いを始めたわけではなく、所属していたのはテニスサークルでした。

ただ、お笑いへの興味が消えていたわけではありません。

大学にお笑いサークルがあると知った菊田さんは一度様子を見に行き、「学生のお笑いなら、それほどでもないだろう」という感覚でネタを見ました。

ところが実際には予想以上に面白く、会場で大笑いしたといいます。

「やべー、ここに入るのはやめよう。俺はプロ目指そう」

ENCOUNT

学生芸人のレベルを見て刺激を受け、その輪へ加わるのではなく、学生お笑いを経験しないままプロを目指す方向へ気持ちが動いたという少し珍しい進み方でした。

結局、お笑いサークルには入らず、本人の言葉を借りれば大学ではそのまま「テニサーの爆笑王」として過ごします。

「やっぱ菊ちゃん面白い」テニスサークルの友人の一言で進路が変わる

プロを意識する瞬間はあったものの、大学生になった菊田さんが最初から芸人一本に進路を決めていたわけではありません。

卒業が近づくなかでは、普通に就職することも考えていました。

そんな時期、テニスサークルの友人からかけられた言葉が決断を後押しします。

「やっぱ菊ちゃん面白いなー」

ENCOUNT

菊田さんが引っかかったのは、「面白い」だけでなく「やっぱ」という部分でした。

普段から面白いと思われているからこそ出た言葉だと受け止め、自分は本当に芸人を目指せるのではないかと考え、進路をお笑いへ向けます。

大学受験の時期には家族との印象的な出来事もあり、明治大学、法政大学、駒澤大学、獨協大学を受験した際、法政・駒澤・獨協の3校には母親が付き添い、3校とも合格したと本人が話しています。

一方、父親が付き添った明治大学は不合格だったため、菊田さんは後年これを「ママパワー」と笑い話にしていました。

就職と迷った大学卒業前|素人限定オーディションからWCS12期へ

芸人になると決めた菊田さんが次に始めたのは、養成所探しでした。

現在のハナコ3人は同じ養成所出身ですが、菊田さんが最初からワタナベ一本に決めていたわけではありません。

複数の養成所を比較するなか、ワタナベの担当者の熱意に惹かれる

大学卒業が近づいたころ、菊田さんはいくつものお笑い養成所から資料を取り寄せました。

その中で印象に残ったのがワタナベコメディスクールでした。

資料請求後、ワタナベ側から積極的に連絡があり、その熱意に惹かれたと本人が振り返っています。

「ぜひうちに」

お笑いナタリー

複数校を比較していましたが、最終的にオーディションを受けたのはワタナベでした。

ネタをせず「お笑いへの思い」を伝えた素人限定オーディション

菊田さんが受けたのは、当時行われていた素人限定のオーディションでした。

すでに完成したネタを持った学生芸人として挑戦したわけではありません。

本人によれば、オーディションでは一発ギャグやネタを披露せず、自分がお笑いをどれだけやりたいかを話したといいます。

法政大学のお笑いサークルへ入らずテニスサークルで過ごした菊田さんにとって、ここがプロのお笑いの世界へ実際に足を踏み入れる入口になりました。

2010年にWCSへ入り、秋山・岡部と同期になる

2010年4月、菊田さんはワタナベコメディスクール12期へ入学しました。

同じ12期には、後にハナコを組む秋山寛貴さんと岡部大さんもいました。

つまり3人は、単に活動開始時期が近いという意味ではなく、同じWCS12期で学んだ同期です。

ただし、この段階で3人が一緒に活動していたわけではありません。

菊田さんと秋山さんがコンビを組む一方、岡部さんも別の相手とコンビを組み、それぞれ別の道を歩き始めます。

秋山寛貴とウエストミンスター結成|事務所所属を目指した若手時代

養成所を卒業すれば、そのまま現在のハナコが始まったわけではありません。

菊田さんの最初の本格的なコンビ活動は、秋山さんと組んだウエストミンスターでした。

WCS卒業後、秋山とコンビを組み2011年に活動開始

WCS卒業後の2011年、菊田さんと秋山さんはウエストミンスターとして活動を始めます。

後にハナコの中心となるコント作りへつながっていく二人ですが、このころから秋山さんがネタを考える役割を担っていました。

現在のハナコだけを見ると3人で順調にスタートしたようにも見えますが、菊田さんと秋山さんには、二人だけで約3年間活動した時期があります。

事務所所属を目指してオーディションを受け続ける

ウエストミンスターはWCSを出てすぐ、ワタナベエンターテインメントの所属芸人になれたわけではありませんでした。

養成所卒業後は事務所所属を目指し、「STEP!STEP!STEP!ライブ」などで評価を受けながら活動を続けます。

お笑いナタリーのWCS特集では、所属までに約2年かかったことが紹介されています。

養成所へ入った2010年、コンビを組んだ2011年、事務所所属をつかむ時期はそれぞれ同じではありません。

ライブへ出ながら評価を上げ、所属枠を目指す生活が続きました。

パン屋・ファミレス・配送業で働きながらライブへ

芸人だけの収入で暮らせる段階ではなく、菊田さんはいくつものアルバイトを経験しています。

本人が挙げているのは、パン屋、ファミリーレストランのキッチン、配送業です。

中でも配送の仕事はかなり性に合っていたようで、売れた後にもその仕事への愛着を語っていました。

「荷物の宅配なら、いつでも復帰できます」

Smart FLASH

岡部さんによると、配送で電動自転車に乗りすぎて股関節を痛めたこともあったといい、ライブだけでは見えない若手時代の日常がありました。

秋山がネタを書く横で過ごした、コンビ約3年間の日々

ウエストミンスターのネタ作りを担っていたのは主に秋山さんでした。

後年「アメトーーク!」で当時を振り返った秋山さんは、サイゼリヤで自分がネタを書いている目の前で、菊田さんがたばこを吸っていたという場面を明かしています。

秋山さんは約3年間二人で活動した当時について、冗談を交えながら「もう限界でした」と話していました。

一方で、ウエストミンスターのネタそのものを面白いと見ていた芸人もいました。

その二人の形へ、やがて岡部さんが加わることになります。

岡部大の加入とハナコ結成|菊田が一度断った新宿の夜

WCS12期だった岡部さんは、当初「エガラモガラ」という別のコンビで活動していました。

そのコンビが解散し、一人になった岡部さんとウエストミンスターの二人が近づいたことで、現在のハナコへつながる出来事が始まります。

岡部を食事へ誘った菊田に「ウエストミンスターへ入りたい」と申し出る

岡部さんが一人で活動していたころ、食事へ誘ったのは菊田さんでした。

場所は新宿の居酒屋でした。

菊田さんが「一緒にやりたい相手はいないのか」という趣旨の話を振ると、岡部さんは以前から気になっていたウエストミンスターの名前を出します。

岡部さんはウエストミンスターのネタを面白いと思っており、自分のような濃いキャラクターが加わる余地もあると考えていました。

そこで「ウエストミンスターに入りたい」と申し出ます。

菊田が拒否し、岡部が帰り道で秋山へ電話

ところが、岡部さんから加入を申し込まれた菊田さんの答えは歓迎ではありませんでした。

「いやだと断りました。はっきり」

日刊スポーツ

菊田さんには、コンビで売れることがお笑いの王道だという感覚があり、トリオになることへ抵抗がありました。

居酒屋の空気は悪くなり、二人はほどなく店を出ます。

その帰り道、岡部さんは今度は秋山さんへ電話しました。

すると秋山さんはすぐに了承し、そのうえで「2人?3人?」と確認したといいます。

菊田さんが断った直後、岡部さんと秋山さんの電話によってトリオ結成の話が動き始めました。

トリオ化で事務所所属を失い、フリーから再スタート

岡部さんの加入は、その場ですべて決まったわけではありません。

後に3人が明かしたところでは、岡部さんを本当に加えるかを見る約1カ月の「試用期間」のような時期もありました。

さらにウエストミンスターはすでに事務所所属をつかんでいましたが、メンバー構成を変えたことで、その立場をそのまま引き継ぐことはできませんでした。

3人は新しいトリオとして、もう一度フリーの状態から所属を取り直すことになります。

岡部さんを加えればすぐ楽になるという再編ではなく、一度手にしていた所属を手放しての再出発でした。

ライブで結果が出て菊田が「これ売れるぞ」と手応え

菊田さんの気持ちを変えたのは、話し合いよりも実際の舞台での結果でした。

3人で出た最初のころの事務所バトルライブで結果を残し、岡部さんによると、優勝者として名前を呼ばれた際に一番喜んでいたのが菊田さんだったといいます。

「これ売れるぞ」

日刊スポーツ

トリオを嫌がっていたところから一転し、舞台で実際にウケたことで、新しい3人の形に手応えを持つようになりました。

2014年10月「ハナコ」として正式に活動へ

こうして菊田竜大さん、秋山寛貴さん、岡部大さんの3人は、2014年10月にハナコを結成しました。

ウエストミンスターに岡部さんが加わる形でできたトリオであり、菊田さんの芸人人生はここから現在の形へ切り替わります。

ただ、結成した時点では全国的に知られた存在ではなく、3人でライブへ出ながら、自分たちに合うコントの形を探す時間が続きました。

ハナコの若手時代|3人のコントと菊田の立ち位置が固まっていく

ウエストミンスターに岡部さんが加わると、二人で作っていたコントにはそれまでなかった役割が生まれました。

ハナコは最初から現在のようなバランスだったのではなく、ライブの中で3人の使い方を変えていきます。

岡部加入後、ロッチ・コカドから「完全体」と評される

ウエストミンスター時代から二人のネタを気にかけていた先輩の一人が、ロッチのコカドケンタロウさんでした。

秋山さんによると、ウエストミンスターがなかなか上へ行けないころにも、コカドさんは「面白いのに」と声をかけてくれていたといいます。

岡部さんが加入した際、コカドさんから言われた言葉を秋山さんは覚えていました。

「完全体になったな」

お笑いナタリー

二人では足りなかったものを、岡部さんの存在が埋める形になりました。

ライブと「新しい波24」などを経てテレビへの入口が増える

結成後のハナコは、バトルライブなどで少しずつ順位を上げていきました。

秋山さんは後年、突然「覚醒」したというより、勝負できるネタがゆっくり増えていったと説明しています。

中でもK-PROのバトルライブ「トッパレ」で賞レースの決勝・準決勝経験者を相手に勝てるようになったことが、3人の自信につながりました。

テレビでは2016年12月、若手芸人を集めたフジテレビ系「新しい波24」にも出演し、舞台中心だった活動からテレビへ顔を見せる機会も増えていきます。

菊田の出番が少ないコントが、ハナコ独自の形になっていく

トリオ結成当初は、3人それぞれの出番を均等にしようとしていました。

しかし続けるうちに、そのバランスにこだわらなくなります。

岡部さんと秋山さんが長く芝居を進め、菊田さんが終盤になってから登場するネタも生まれました。

「3人組なのだから3人を同じだけ出す」という考えを外したことで、菊田さんの出番の少なさそのものが笑いになる形もできていきます。

菊田さん自身は当初、出番やセリフが少ないことを嫌がっていた時期もありましたが、やがてそれを受け入れていきました。

2018年に賞レース3冠|キングオブコント優勝で仕事が急増

結成から4年目の2018年、ハナコは複数の賞レースで立て続けに結果を残します。

この年は単に賞状が増えたのではなく、ライブで磨いてきたコントが外部の大会でも評価され、テレビの仕事が大きく変わる年になりました。

ワタナベお笑いNo.1決定戦で優勝

2018年2月、ハナコは所属事務所の芸人が競う「ワタナベお笑いNo.1決定戦2018」で優勝しました。

WCS卒業後に所属を目指してライブへ出続け、トリオ化ではもう一度フリーからやり直した3人が、事務所の大会で頂点に立ったことになります。

ただ、この一度だけで全国的なブレイクが完成したわけではありません。

数カ月後、さらに別のコント大会で結果が続きます。

お笑いハーベスト大賞では「終盤に出る菊田」が笑いをさらう

2018年7月には、若手芸人を対象にした第9回お笑いハーベスト大賞で優勝しました。

決勝では結婚式を題材にしたコントを披露し、岡部さんの演技に加え、菊田さんが終盤になって登場して笑いを取る構成も当時の記事でハナコの特徴として紹介されています。

決勝では規定時間を超えたことで減点を受けながら、それでも優勝をつかみました。

若手時代に作ってきた「菊田をあえて長く出さない」という形が、賞レースでも武器になっていました。

キングオブコント初決勝で優勝し、テレビ出演が急増

そして2018年9月22日、ハナコは「キングオブコント2018」の決勝へ進みます。

過去には準決勝まで進んだ年もありましたが、決勝の舞台へ立つのはこの年が初めてでした。

ファーストステージを突破し、最終決戦でも得点を伸ばしたハナコは、第11代キングオブコント王者となりました。

ワタナベお笑いNo.1決定戦、お笑いハーベスト大賞に続く優勝で、2018年に大きなタイトルを3つ獲得したことになります。

賞レースで評価を積み上げ、KOC後にテレビ出演が急増

ハナコの2018年は、ある日突然一つの大会だけで評価されたというより、2月、7月、9月とコントで結果を重ねた年でした。

一方、仕事の量という点ではキングオブコント優勝の前後で明確な変化があり、優勝後にはテレビ出演が急増します。

菊田さんは以前、コントで自分のセリフが減ることに不満を感じていましたが、売れた後にはむしろセリフが少ないことを喜ぶようになったとも語っています。

学生時代には自分を「爆笑王」と思い、コンビで売れることがお笑いの王道だと考えていた菊田さんが、トリオの中で「出すぎないこと」まで笑いになる位置へたどり着きました。

売れた後もコントを軸に|現在の菊田竜大

キングオブコント優勝後、ハナコはテレビで知られる存在となり、菊田さんもバラエティーだけでなくドラマなど個人の仕事へ活動を広げました。

それでも、相方2人が語る菊田さん像には、WCS以前から続く独特の部分があります。

「できない」ではなく「やらない」菊田を相方2人はどう見ているか

秋山さんは菊田さんについて、芸人として前へ出続けるタイプとは少し違う「ノンプロ感」や「お客さんの匂い」があると表現しています。

岡部さんも、菊田さんは能力的にできないのではなく、積極的にやろうとしない人なのだと説明しました。

「そのくせ誰よりもお笑いが好き」

ENCOUNT

大学時代に学生お笑いへ入らず、テニスサークルで人を笑わせながらプロを目指したころから、菊田さんには周囲の芸人とは少し違う距離感がありました。

その人物がトリオに入り、出番を減らすことさえネタの一部になることで、ハナコの3人にしかないバランスができています。

テレビや個人仕事が増えても「ネタを見てもらうために人気者でいたい」

現在の菊田さんは、ハナコとしてのテレビ出演に加え、個人でドラマなどにも出演するようになりました。

ハナコもコントの単独公演を続け、2025年には第9回単独公演「リストランテ」をDVD・デジタル化しています。

テレビへ出続けたい理由について、菊田さんは2024年のインタビューで、単にテレビタレントとして有名になりたいという話ではなく、ネタとの関係を挙げています。

「人気者であり続けないとネタは見てもらえない」

ENCOUNT

テレビで知ってもらい、その先でハナコのコントを見てもらう。菊田さんは売れた後も、テレビとネタを別々の仕事として切り離してはいません。

柏市でクラスを笑わせ、小学校の先生から将来を芸人と見られていた少年は、法政大学で就職と迷った末に、友人の一言からプロのお笑いへ進みました。

秋山さんとのウエストミンスター、岡部さんの加入を断った夜、フリーからの再出発を経て、2018年にはハナコとしてキングオブコントを制しています。

現在も、「爆笑王」だった学生時代とは違う独特の立ち位置で、ハナコのコントとテレビの両方に立ち続けています。

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