人物プロフィール
TCクラクションで眼鏡をかけ、独特な設定のボケを繰り出す古家曇天さん。
相方・坂本NO.1さんの大声ツッコミと組み合わさった漫才やコントで知られていますが、古家さんの芸歴は2019年のTCクラクション結成より10年以上前から始まっています。
高校卒業後にお笑いの世界へ入り、コンビ活動、解散、長いピン芸人生活を経験し、かつては「曇天三男坊」という芸名で活動していました。
そこからマセキ芸能社での活動を経て、30代になってから坂本NO.1さんとTCクラクションを結成しています。
埼玉県坂戸市で育った少年が、どのように芸人になり、なぜ一度ピン芸人となり、再びコンビを組むことになったのか、幼少期から現在までを順番にたどります。
古家曇天の生い立ちと家族|埼玉県坂戸市で育った三兄弟の末っ子
古家さんの本名は古家祥吾で、1987年10月7日に生まれました。
現在のグレープカンパニー公式プロフィールでも、出身地は埼玉県坂戸市と紹介されています。
坂戸市で育ち、幼いころからお笑いに親しむ
坂戸市で育った古家さんは、子どものころからお笑いに親しみ、そのまま高校卒業後の進路としてお笑いの世界へ入ることになります。
後年のプロフィールを見ると、自転車、映画、料理、絵本、ルービックキューブ、サウナなど、時期によってさまざまな趣味を挙げており、現在まで残っている代表的な特技が山田五郎さんのモノマネです。
テレビで知られるようになってから突然生まれた特技ではなく、曇天三男坊としてマセキ芸能社に所属していたころの公式プロフィールにも、すでに山田五郎さんのモノマネが掲載されていました。
三兄弟の末っ子として育った家族環境
古家さんは兄弟の末っ子として育っています。
後に使うことになる「曇天三男坊」という芸名にも「三男坊」が入っており、ピン転向後の活動名にも自分の家族内での立ち位置が残ることになりました。
家族について詳しく公の場で話す機会は長く多くありませんでしたが、2026年には兄や母方の家系について、これまであまり知られていなかった話をテレビで披露しています。
その出来事は成人後の家族の話でもあるため、古家さんの時間軸が2026年まで進んだところで改めて触れます。
古家曇天の高校時代|坂戸西高校でソフトテニス部へ
中学を経て進学したのが、地元埼玉県の埼玉県立坂戸西高等学校でした。
古家さんがお笑いの道へ進む直前を知るうえで、高校生活は外せない時期です。
坂戸西高校へ進み、ソフトテニス部で過ごす
旧マセキ芸能社の公式プロフィールには坂戸西高校卒業と記載されており、現在のグレープカンパニー公式プロフィールでは部活動としてソフトテニス部が挙げられています。
少なくともこのころは、芸能活動をしながら学校へ通っていた人物ではなく、地元の高校で部活動を経験しながら卒業まで過ごしていました。
高校在学中に芸人として事務所へ所属していた記録もなく、プロとしての活動が始まるのは卒業後です。
「母校が好きじゃない」と後年語った高校生活
2023年、古家さんはJFNの番組「ゾフィー、それいけ!おしゃべりスター」にゲスト出演しました。
その回の公式紹介では、古家さんが「過去のこと」とともに「母校が好きじゃない」というテーマについて話したことが告知されています。
坂戸西高校を卒業したこと自体は公式プロフィールに残っていますが、学校生活を後年になって無条件に懐かしむという語り方ではなかった点も、古家さんの高校時代を知る手掛かりの一つです。
卒業が近づき、大学や就職ではなくお笑いを進路に選ぶ
高校を卒業すると、古家さんは大学へ進学するのではなく、お笑い芸人を育成するNSC東京校へ進みました。
もともとお笑いが好きだった古家さんにとって、高校卒業後に実際に選んだ進路が養成所だったことは、その後約20年続いていく芸人人生の最初の具体的な一歩でした。
高校卒業後、そのままNSC東京校12期へ入ったことで、古家さんの生活は学校の部活動からネタを作り舞台を目指す日々へ変わっていきます。
高校卒業後にNSC東京12期へ|芸人としての第一歩
古家さんが入ったのはNSC東京校12期でした。
同じ12期には、後にテレビで活躍する渡辺直美さんやジャングルポケットなどがいます。
NSC東京校へ入り、渡辺直美らと同じ12期に
NSCに入ると、芸人を目指す同世代が周囲にいる環境へ入り、古家さんも一人ではなくコンビを組んで活動を始めました。
現在のTCクラクションから古家さんを知った場合、最初からピン芸人だったようにも見えますが、実際には芸人人生の入口からコンビ活動を経験しています。
ただ、このNSC時代のコンビは長く続かず、プロとして広く名前が残るコンビにはなりませんでした。
NSC時代に同期とコンビを組むも卒業前に解散
NSC時代には同期とコンビを組みましたが、その関係は卒業後の本格的な活動まで続きませんでした。
そこで芸人をやめたわけではなく、次に古家さんが組んだ相手は、養成所の同期ではなく地元・坂戸につながりのある先輩でした。
養成所で最初のコンビが終わったあと、古家さんは別の相手と再びコンビを組み、2007年にプロとしての活動へ進んでいきます。
地元の先輩とコンビを組み2007年にデビュー
2007年、古家さんは芸人としてデビューしました。
この時期はまだ「古家曇天」でも「TCクラクション」でもなく、現在とは異なるコンビで活動しています。
坂戸の先輩と「ヒトミキタミ」を結成
古家さんが組んだコンビは「ヒトミキタミ」で、東京吉本の芸人として活動しました。
後年にライブ主催者が紹介した経歴では、2007年にヒトミキタミを結成し、東京吉本で活動したとされています。
現在の坂本NO.1さんと組むより12年も前に、古家さんはすでにコンビ芸人として舞台へ立っていたことになります。
コンビ活動を続けた末に解散し、ピン芸人へ
ヒトミキタミは約3年間活動したのち、2010年ごろに解散しました。
ここで古家さんが選んだのは、新しい相方をすぐ探すことではありませんでした。
コンビ解散後は一人で活動するピン芸人へ転向し、自分だけで完結するコントに取り組むようになります。
2012年には東京吉本を離れてフリーとなり、翌2013年には新たな所属先としてマセキ芸能社へ入りました。
曇天三男坊として再出発|ピン芸人時代の試行錯誤
コンビを解散した古家さんが、ピン芸人として名乗ったのが曇天三男坊です。
ここから2019年まで続くピン時代は、古家さんの芸歴の中でもかなり長い期間を占めています。
「曇天三男坊」という芸名で一人コントを始める
「曇天三男坊」という一度聞くと忘れにくい芸名は、ピン転向後に使い始めました。
当時のライブ主催者による人物紹介では、三男であることから「○○三男坊」という形の芸名を考え、当時交際していた女性に候補から選んでもらったと紹介されています。
曇天三男坊としては一人コントを中心に活動し、老人などの人物へ入り込むようなキャラクターコントも持ち味としていました。
コンビでは相方との掛け合いが必要ですが、ピンになってからは設定、人物、台詞まで一人で組み立てて舞台へ持ち込む時期が続きます。
2013年にマセキ芸能社へ入り、事務所ライブで活動
フリー期間を経た2013年、古家さんはマセキ芸能社へ所属しました。
旧公式プロフィールには、若手ライブ「パンキッシュガーデン」への出演が掲載され、毎月の事務所ライブでネタを磨いていたことが分かります。
2016年には、マセキ芸能社の若手によるバトルライブ「真夏の下剋上 紫杯2016」で、曇天三男坊はマセキユースのトップランクとして決勝ステージから登場しました。
当時の予選にはパーパー、かが屋、ガクヅケらも名を連ねており、その勝者が古家さんらトップランクへ挑戦する形で行われていました。
テレビ出演だけでは見えにくい時期ですが、ライブの階級を上がりながら活動していたことが残っています。
「ゴッドタン」で注目され、斎藤工やニッチェとの仕事も広がる
曇天三男坊という名前がテレビのお笑いファンへ広がるきっかけの一つになったのが、テレビ東京系「ゴッドタン」でした。
企画「この若手知ってんのか!?」で「ヤバい若手芸人」部門1位に選ばれ、番組内では「どんちゃん」と呼ばれながら強くいじられるキャラクターになりました。
舞台中心だったピン芸人・曇天三男坊が、テレビでも名前を知られる大きなきっかけになった時期です。
このころはお笑いだけでなく、ニッチェや俳優の斎藤工さんとの交流から仕事が広がる出来事もありました。
2016年にはニッチェ、斎藤工さんとアニメーション作品「スーパーベジタブルブギ」を制作し、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映されています。
そのインタビューで古家さんは、自分が斎藤さんと知り合った流れを振り返り、ニッチェからかかってきた電話に出たことが接点になったと話していました。
「先輩の電話に出たら、斎藤工さんに出会えて」
出典:チェリー「ニッチェ・曇天三男坊インタビュー」
映画「blank13」への出演や「おしゃれイズム」への出演もあり、旧マセキ公式プロフィールにはテレビ、映画、CM、PVまで幅広い仕事が並ぶようになりました。
2016年の「人力舎×マセキ Presents 映画ネタ-1グランプリ」では、マセキ側に曇天三男坊、人力舎側には当時坂本NO.1さんが所属していたドリーマーズも出演しています。
これを二人の初対面と断定することはできませんが、TCクラクション結成より数年前には、それぞれ別の事務所・別の活動形態で同じお笑いライブの出演者欄に名前が並んでいました。
2019年にマセキを退所|坂本NO.1とTCクラクション結成へ
曇天三男坊として約9年、芸人デビューから数えると10年以上が過ぎた2019年、古家さんの活動は大きく変わります。
ピン芸人を続けるのではなく、再びコンビで活動する道を選びました。
12年続けた芸歴の途中でマセキ芸能社を離れる
2019年6月18日、お笑いナタリーは古家さんがマセキ芸能社を退所したことを報じました。
古家さん自身も退所に際し、次のようにコメントしています。
「この度色々と考えるところありましてマセキ芸能社を退社させて頂くこととなりました」
出典:お笑いナタリー
2007年のデビューから12年ほどが過ぎ、吉本、フリー、マセキ、ピン芸人という複数の時期を経験したうえでの退所でした。
坂本NO.1と組み、2019年6月にTCクラクションを結成
マセキを離れたのと同じ2019年6月、古家さんは元ドリーマーズの坂本NO.1さんとコンビを組みます。
結成日は2019年6月1日で、コンビ名はTCクラクション。
坂本さんもすでに長い芸歴を持ち、ドリーマーズの解散後には別のコンビやピンでの活動を経験していました。
新人同士が養成所で出会って組んだコンビではなく、それぞれ別の場所で長く活動してきた芸人同士が30代で組んだコンビだったのです。
2026年に「白黒アンジャッシュ」へ出演した際にも、番組では二人がコンビを結成した経緯が改めてトークテーマになりました。
フリーで活動する予定からグレープカンパニー所属へ
TCクラクションを結成した時点で、二人が最初からグレープカンパニーへ入ることを決めていたわけではありませんでした。
古家さんは2025年のインタビューで、結成直後についてこう話しています。
「僕らは運良くというか、“タイミング”って感じですね」
出典:ZAIKO
結成後はフリーで活動するつもりでしたが、その時期にグレープカンパニーのマネージャーからオーディションを勧められます。
古家さんによると、二人は当時の募集年齢を超えていたもののオーディションを受け、2019年11月にグレープカンパニー所属が決まりました。
所属決定時、古家さんは「これからがスタート」とコメントしています。
「これからがスタートですのでより一層精進していきたいと思います!」
出典:お笑いナタリー
TCクラクションというコンビ名を決めた経緯
「TCクラクション」という名前も、結成後にたびたび由来を尋ねられてきました。
2026年3月の「白黒アンジャッシュ」では、前週に結成の経緯を語った二人が再び登場し、今度はコンビ名の由来が番組の中心テーマになっています。
結成から数年たっても名前の由来自体がトークテーマになるほど、一度聞くと残りやすいコンビ名になりました。
TCクラクション結成後|漫才とコントの二刀流で賞レースへ
TCクラクションは、結成してすぐテレビ中心へ移ったわけではありません。
グレープカンパニーの事務所ライブなどへ出演しながら、漫才とコントの両方を続け、賞レースで少しずつ上の段階へ進んでいきます。
キングオブコントで2020年から5年連続準決勝へ
結成翌年の2020年、TCクラクションはキングオブコント準決勝まで進出しました。
その後も2021年、2022年、2023年、2024年と準決勝へ進み、5年連続でキングオブコントのセミファイナリストとなります。
古家さんはピン時代から一人コントを長く続けていましたが、TCクラクションでは坂本さんの大きな声によるツッコミが加わり、二人の掛け合いとしてコントを作るようになりました。
一方でコントだけに絞らず、M-1グランプリにも出場し続けています。
ツギクル芸人グランプリや「お笑い有楽城」で結果を残す
2022年にはツギクル芸人グランプリの決勝へ進出しました。
決勝前のインタビューで「自分たちの強み」を聞かれた古家さんは、相方について非常に短い言葉で答えています。
「坂本の『怖くない大声』。」
出典:めざましmedia
坂本さん自身も同じインタビューで、コンビの特徴として漫才とコントの両方をやること、大きな声でネタをすることを挙げていました。
2024年3月にはニッポン放送の若手芸人コンテスト「決戦!お笑い有楽城」で優勝します。
コンビ結成から数年が経ち、キングオブコントだけでなく、さまざまな大会で名前が残るようになっていきました。
M-1グランプリ2025で準決勝・敗者復活戦へ
漫才では、2025年のM-1グランプリで大きく前進しました。
史上最多1万1521組がエントリーした大会でTCクラクションは準決勝へ進出し、真空ジェシカ、ヤーレンズ、ミキ、ママタルトらと同じ30組に入りました。
準決勝では決勝9組に届かなかったものの、12月21日の敗者復活戦へ進出し、Aブロックでネタを披露しています。
コントで5年連続キングオブコント準決勝へ進んできたコンビが、漫才でもM-1準決勝まで到達しました。
このころには「コントのコンビが漫才もする」というより、二つの形式を同時に続けることがTCクラクションの活動そのものになっていました。
ダブルインパクト2026で初の賞レース決勝へ
2025年に始まった「ダブルインパクト」は、漫才とコントの両方で競う賞レースです。
長く二つの形式を並行してきたTCクラクションにとって、それまでの賞レースとは少し性格の違う大会になりました。
結成7年目で全国放送の賞レース決勝へ進出
2025年大会では準決勝まで進み、翌2026年には再び挑戦しました。
大会は2回戦以降、漫才とコントの両方を披露し、準決勝では2日間に分けてそれぞれ4分のネタを行い、合計点で決勝進出者を決める方式でした。
TCクラクションはその準決勝を突破し、ビスケットブラザーズ、蛙亭、ななまがり、滝音などとともに8組のファイナリストへ入ります。
2007年に芸人として活動を始めた古家さんにとって、これが賞レースで初めての決勝進出となりました。
2026年7月20日の決勝ではファーストステージで漫才を選び、459点を獲得しましたが、上位5組には届かずセカンドステージ進出は逃しています。
それでも、芸人デビューから約19年、TCクラクション結成から7年を経て、全国ネットの賞レース決勝へ立ったことになります。
漫才とコントを続けるTCクラクションの現在
古家さんは2025年、「ダブルインパクト」への挑戦について聞かれた際、自分たちのこれまでを端的に説明しています。
「俺らは漫才もコントもどっちもやってきましたし。」
出典:ZAIKO
若手時代から一つの芸風だけを続けてきたわけではなく、最初はコンビ、そこからピンコント、再びコンビとなり、TCクラクションでは漫才とコントの両方を作ってきました。
ピン時代に自分だけで設定を作っていた古家さんと、大きな声のツッコミを持つ坂本さんが組んだことで、現在の形になっています。
「曇天三男坊」という一人の芸人だった時期を経て、古家さんは再びコンビ芸人として賞レースの決勝まで進みました。
2026年に明かした兄の羊牧場と家族の現在
ダブルインパクト決勝を控えた2026年7月、古家さんは日本テレビ系の番組で、家族について少し変わった事情を明かしました。
古家さんの兄はニュージーランドで羊飼いの修業を経験し、その後は地元で羊の世話をするようになったといいます。
さらに母方の家系では、母の兄が亡くなって男性の跡継ぎがいなくなったことから、兄弟の中で一番下だった古家さんが祖父の養子になったと話しました。
その結果、戸籍上は実の母親が「姉」にあたる関係になったという、本人ならではの家族エピソードです。
祖父からは土地で畑をする話も出ていたものの、兄が羊を飼い始めたため、古家さんは番組内で現在の状況をユーモアを交えて語っていました。
坂戸市で育ち、高校卒業後にNSCへ進んだ古家さんは、最初のコンビと長いピン芸人生活を経て、30代で坂本NO.1さんとTCクラクションを結成しました。
曇天三男坊として一人で舞台に立っていた時間の先に、漫才とコントの両方を続ける現在のコンビ活動があります。
2007年のデビューから積み重ねてきた芸歴は、2026年、初めての賞レース決勝という舞台まで続いています。












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