ぐんぴぃの生い立ちと家族|青学落研、ブックオフ店長を経て土岡と芸人になるまで

人物プロフィール

本名
山口大樹
生年月日
1990年3月31日
身長
175cm
血液型
unknown
出身地
福岡県 北九州市小倉北区
コンビ・グループ名
春とヒコーキ
相方・メンバー
土岡哲朗
結成年
2017年
所属事務所
タイタン
養成所・スクール
タイタンの学校 2期

YouTubeの「バキ童チャンネル」で知られ、ドラマ「占拠」シリーズや映画『怪獣ヤロウ!』では俳優としても活動する春とヒコーキのぐんぴぃさん。

現在の姿だけを見ると、ネットから一気に世へ出た芸人という印象を持つかもしれません。

ところが、もともとは高校生のころから芸人を意識し、青山学院大学では落語研究会に所属しながら、一度はお笑いの道を諦めています。

大学卒業後はブックオフへ就職して店長となり、店の業績で全国1位を記録するほど仕事に打ち込んでいました。

それでも大学時代の後輩だった土岡哲朗さんからの誘いは消えず、27歳で会社員生活を終え、芸人の道へ進みます。

幼いころに人を笑わせ始めた理由から、青学での土岡さんとの出会い、会社員として過ごした3年間、春とヒコーキ結成、そして「バキバキ童貞」と呼ばれるようになるまでを順番にたどります。

ぐんぴぃの生い立ちと家族|北九州で人を笑わせ始めた少年時代

ぐんぴぃさんは1990年3月31日、福岡県北九州市小倉北区出身です。

本名は山口大樹(やまぐち・ひろき)といい、現在のタイタン公式プロフィールでも北九州市小倉北区出身と紹介されています。

厳しい父との出来事を学校で笑い話にした

ぐんぴぃさんがお笑いの原点として語っているのは、芸人のネタを見た経験よりも先に、小学生時代の家庭で起きた出来事です。

2025年のインタビューでは、父親について怒ると非常に厳しい人物だったと振り返っています。

ある日、父親に怒られたあと顔を腫らしたまま学校へ行くと、クラスメイトから何があったのか聞かれました。

そこで、実際に起きたことをそのまま暗く説明するのではなく、父親に追いかけられた様子をアニメのような話に大げさにして伝えたところ、周囲が笑ってくれたそうです。

「苦しい状況から自分を守るために笑いを取るようになった」

スタジオパーソル

嫌だった出来事を別の話へ変えて人を笑わせる経験を、小学生のころにはすでにしていました。

父が付けた「大樹」という名前と家族から呼ばれた「グッチ」

本名の「大樹」という名前にも父親とのエピソードがあります。

ぐんぴぃさんが本人のnoteで明かしたところによると、父親が産婦人科の中庭にあった大きな木を見たことから「大樹」という名前になったと聞かされていたそうです。

家庭では本名そのものとは別に、ぐんぴぃさんだけ「グッチ」という呼び名が使われていました。

一方、弟は普通に下の名前で呼ばれていたといい、本人もその違いを不思議に感じていたことを書いています。

弟と育った家庭生活|大人になってからも続く家族との交流

ぐんぴぃさんには弟がおり、現在の「バキ童チャンネル」でも弟や両親とのエピソードがたびたび登場しています。

幼いころからテレビの中の芸能人を目指して一直線だったわけではなく、まず身近な学校生活の中で、話し方によって周囲を笑わせる経験を積んでいきました。

本人が幼少期から社会人、芸人時代までをまとめて振り返った公式動画では、小学校、中学校、高校、予備校、青学、社会人時代までそれぞれ章を分けて話しています。

中学・高校時代|松本人志の『遺書』を読み芸人を意識する

小学生のころには身近な友人を笑わせていたぐんぴぃさんですが、職業としての「芸人」が具体的な選択肢に入ってきたのは高校時代でした。

中高時代は「ジャバ」と呼ばれていた

学生時代のぐんぴぃさんは、現在の芸名とは別のあだ名で友人たちから呼ばれていました。

本人の人生振り返り動画では、中高時代に「ジャバ」というあだ名が付いていたことも語られています。

テレビで見る現在の芸人像から逆算して学生時代を作るのではなく、このころは学校の友人関係や趣味の中でお笑いへの興味を強めていった時期でした。

松本人志の『遺書』を読んで芸人を目指す

高校時代、人生の方向を変えた一冊が松本人志さんの著書『遺書』でした。

本人は後年、この本から強く影響を受けて芸人を志すようになったことを明かしています。

当時はかなり強気で、東京へ出てお笑いの世界へ進むことを思い描いていました。

高校生の時点では、将来は芸人になるつもりで東京を目指していました。

伊集院光や太田光、江戸落語への興味から東京へ

松本人志さんだけでなく、ぐんぴぃさんは伊集院光さんや爆笑問題・太田光さんにも惹かれていました。

なかでも伊集院光さんは元落語家という経歴を持ち、後に大学で落語研究会へ入る理由の一つにもなります。

高校卒業後すぐ大学へ進んだのではなく、1年間の浪人生活を経て東京の大学を受験しました。

1浪して青山学院大学へ|落研で土岡哲朗と出会う

1浪を経て進学したのが、青山学院大学経営学部経営学科でした。

高校時代には芸人を目指していたぐんぴぃさんですが、ここで実際にお笑いをする学生たちと接したことで、自分自身への見方が変わっていきます。

お笑いサークルから逃げるように落研へ入った

大学へ入ったぐんぴぃさんは、まずお笑い系のサークルを見学しました。

ところが、その場で行われていた大喜利の雰囲気が自分には合わないと感じます。

そこで向かったのが青山学院大学落語研究会でした。

伊集院光さんに憧れていたこともあり、落研では落語だけではなく、漫才など人前で笑いを取る活動にも触れていきます。

「『ムリだ…』って逃げるように落研に」

anan

「紙袋おじさん」と呼ばれた大学生活と1浪・留年

大学時代のぐんぴぃさんには、現在にも通じる独特なこだわりがありました。

ブランド物のバッグを持つ学生たちへの反発から、教科書などを紙袋に入れて大学へ通っていた時期があり、周囲から「紙袋おじさん」として知られるようになります。

さらに1浪して入学したうえ、大学では留年も経験しました。

この留年が、後に相方となる土岡哲朗さんとの関係にも影響します。

2歳年下の土岡と同学年になり、落研で距離を縮める

土岡哲朗さんはぐんぴぃさんより2歳年下で、青学落研では後輩でした。

ぐんぴぃさんが1浪と留年を経験したため、途中から2人は大学で同じ学年になります。

土岡さんの第一印象は決して華やかなものではなく、ぐんぴぃさんは後年、ほとんど人と話さなかった土岡さんを独特な言葉で表現しています。

それでも土岡さんの面白さには早い段階から気付いており、2人は少しずつ友人として行動を共にするようになりました。

ある夜、一緒に帰りながら肝試しをしていたとき、土岡さんが突然ぐんぴぃさんを「山口さん」ではなく「山口くん」と呼び始めたという話も残っています。

先輩後輩だった2人の距離が縮まっていったことが分かる小さな出来事です。

自分より面白い人たちを知り、芸人への自信を失う

高校時代には芸人になるつもりだったぐんぴぃさんですが、落研へ入ると考えが変わります。

土岡さんをはじめ、学生のお笑いの世界には自分より面白いと感じる人物が何人もいました。

後に「バキ童チャンネル」へ出演する町田さんも、青学落研時代からの知人です。

町田さんは大学へ入った直後、ぐんぴぃさんとの初対面でいきなり複数のエピソードトークを聞かされたという思い出を残しています。

芸人になりたくて東京へ出てきたものの、実際に面白い人たちの中へ入ったことで「自分では難しい」と考えるようになりました。

大学卒業が近づくころには、お笑い一本ではなく就職する道を選びます。

大学卒業後はブックオフへ|芸人志望をいったん封印した会社員時代

大学を卒業したぐんぴぃさんが最初に希望していたのは、出版に関わる仕事でした。

しかし希望する進路には進めず、最終的にブックオフへ入社します。

出版関係を目指すも叶わずブックオフへ入社

入社後は長い下積み期間を経て店長になったわけではなく、短い研修を終えて早い段階から店舗を任されました。

ところが、現場には自分より仕事を知っている経験豊富なスタッフがいます。

新人で何もできないまま店長という立場に入ったため、当初はスタッフから頼りない存在として見られていたと本人は語っています。

そこで仕事を覚えながら、自分なりの方法で店の売上を伸ばそうと考えるようになります。

レジ横の売場を提案し、前年比142%で全国1位に

配属先は横浜の店舗でした。

当時の周辺の書店事情を見たぐんぴぃさんは、他店で扱いが減っていた商品を自分の店舗で大きく展開することを考えます。

スペースがないと言われると、空いていたレジ横を使うことを提案し、売場を作りました。

この施策などによって店舗の数字は伸び、前年比で高い成績を記録します。

ぐんぴぃさんが担当した店舗は前年比142%となり、ブックオフ内で全国1位の成績を残しました。

芸人を諦めたあとに仕方なく働いていたというだけではなく、会社員として結果が出るところまで仕事を続けていたことが分かります。

土岡から芸人へ誘われても「100万円貯める」と会社に残った

その一方で、大学卒業後のぐんぴぃさんにはもう一つの選択肢が残っていました。

青学を卒業した土岡さんが、ぐんぴぃさんへ「一緒に芸人をやらないか」と声をかけていたのです。

土岡さんは大学時代、自分を最も笑わせた人物の一人としてぐんぴぃさんを見ており、コンビを組む相手として考えていました。

「彼以外の選択肢はなかった」

MEN’S NON-NO WEB

ぐんぴぃさん自身も土岡さんの面白さを高く評価していたため、誘いを完全に断ったわけではありません。

ただ、ブックオフでは自分を軽く見ていた周囲を仕事で見返したい気持ちもあり、すぐ会社を辞めることはできませんでした。

そこで土岡さんに、芸人になるための資金として100万円を貯めたら会社を辞めると話します。

毎月2万円ずつ土岡さんへ預ける形で貯金を始めました。

3年間で約22万円|土岡の「もう待てない」が退職のタイミングに

ところが、この計画は予定どおりには進みませんでした。

会社員生活を約3年間続けても、芸人になるために貯めた金額は本人によると約22万円でした。

そのころにはブックオフの店舗で全国1位の数字を出し、仕事でも一つの区切りを感じるようになっていました。

そして、待ち続けていた土岡さんから決定的な言葉をかけられます。

「もう待てない」

スタジオパーソル

ぐんぴぃさんは27歳でブックオフを退職し、土岡さんと本格的に芸人として活動する道を選びました。

高校時代から頭の中にあった芸人という進路へ、大学入学から数えると長い時間を経て戻ることになります。

27歳で会社を辞めて芸人へ|土岡と春とヒコーキを結成

退職と同時に現在の事務所へ所属したわけではなく、最初は土岡さんとフリーで活動を始めました。

ここでは「芸歴開始」「コンビ結成」「事務所所属」が少しずつ違う時期にあります。

2016年は「ポピンジ」でM-1に出場していた

M-1グランプリの公式記録を見ると、現在の春とヒコーキが正式結成する前年の2016年には「ポピンジ」という名前で大会へ出場しています。

つまり、2017年4月の正式結成より前から、2人でお笑いの活動を始めていた時期がありました。

会社員から芸人へ転身した日と、現在のコンビ名になった日を同じ出来事として扱うと、この前後関係が見えなくなります。

2017年4月1日に「春とヒコーキ」を正式結成

M-1グランプリ公式サイトに記録されている春とヒコーキの結成年月日は、2017年4月1日です。

ぐんぴぃさんが27歳になった直後でした。

土岡さんがネタ作りを担い、大学時代から互いの面白さを知っていた2人がコンビとして活動を始めます。

土岡さんは大学卒業後すぐに声をかけ、ぐんぴぃさんが会社を辞めるまで約3年間待っていました。

春とヒコーキの結成は、養成所で初めて知り合った者同士がその場で組んだのではなく、青学落研から続く関係の先にあります。

「春ヒコ」と呼べる名前から「春とヒコーキ」に

コンビ名を考えたのは土岡さんです。

「春とヒコーキ」という名前は、略したときに「春ヒコ」と呼べることを意識して付けられています。

土岡さんはもともと、ぐんぴぃさんに「ハルヒコ」という別の芸名を付けようとしたこともあったと、ぐんぴぃさん本人が芸名について書いたnoteで明かしています。

フリー芸人時代|コールセンターとオーディションを続けた日々

ブックオフを辞めたあと、収入がすぐ芸人の仕事だけで成り立つようになったわけではありません。

春とヒコーキはフリー芸人として、ライブや賞レース、芸能事務所のオーディションへ出続けます。

野方へ移り、コールセンターの夜勤とライブを両立

会社を辞めたぐんぴぃさんに住む場所を勧めたのは、青学落研の後輩であるまんじゅう大帝国・田中永真さんでした。

東京都中野区の野方にあった築年数の古い木造物件へ移り、芸人生活を始めます。

生活費を得るために始めたのがコールセンターのアルバイトでした。

夜勤もしながら、自分たちで出演料を支払うエントリー形式のライブやオーディションへ向かう日々が続きます。

後には芸人仲間とのシェアハウス生活も経験しました。

マセキのオーディションを約1年半受け「ぐんぴぃ」へ改名

フリー時代には複数の芸能事務所への所属を目指し、オーディションを受けています。

本人のnoteによると、マセキ芸能社のオーディションには約1年半通いました。

しかし所属には至らず、その時期に芸名を現在の「ぐんぴぃ」へ変更します。

芸名は、アニメキャラクター「ピングー」の名前を逆から読んだような「業界用語読み」をしたことから付けられました。

現在では本名の山口大樹より「ぐんぴぃ」の方が広く知られていますが、その名前が生まれたのは芸人活動を始めてからです。

バキ童以前にもフリー芸人大会で決勝へ進んでいた

春とヒコーキは、街頭インタビューでぐんぴぃさんが知られる前からフリー芸人の大会へ挑戦しています。

タイタン公式プロフィールには、2018年「THE VERY BEST OF FREE」決勝進出、2019年「THE VERY BEST OF FIVE」優勝という経歴が掲載されています。

「バキ童」が先にあって芸人を始めたのではなく、街頭インタビュー以前からライブと賞レースを続けていました。

2019年にタイタンの学校2期生へ

2019年には、爆笑問題らが所属するタイタンが運営する「タイタンの学校」芸人コース2期へ入ります。

同年9月の定期ライブでは、観客投票によって春とヒコーキが最優秀芸人の1組に選ばれ、「TITAN LIVE Rhea」への出場権を獲得しました。

フリーライブ、事務所オーディションを回ったあとにタイタンの学校へ入り、2020年からタイタン所属芸人として活動していきます。

「バキバキ童貞」の街頭インタビュー|入学式前日に起きた予想外の転機

タイタンの学校へ入るころ、芸人としての活動とは別のところから、ぐんぴぃさんの名前が急速に広がる出来事が起きました。

2019年、アルバイトから帰る途中に街頭インタビューを受けたことが始まりです。

コールセンター帰りの街頭インタビューがSNSで拡散

当時のぐんぴぃさんは、コールセンターでアルバイトをしながら芸人活動を続けていました。

その帰り道、テレビ朝日の街頭インタビューを受け、性交経験について聞かれた際の受け答えが放送されます。

その中で発した「バキバキ童貞」という言葉と表情がSNSで切り取られ、本人の想像を超える勢いで拡散されました。

しかも本人によれば、インタビューを受けたのはタイタンの学校の入学式前日でした。

芸人として所属先を目指していた時期に、芸人のネタではなく街頭インタビューの「一般人」として先に全国へ知られることになったのです。

有名になった直後は喜ぶより戸惑いの方が大きかった

ネットで名前と顔が広がったからといって、本人が最初からこの状況を歓迎していたわけではありません。

これから芸人として活動したい時期に、非常に個人的な情報と一緒に顔が全国へ広がってしまったため、ぐんぴぃさんは強い戸惑いを感じていました。

後のインタビューでも、この出来事を当時は人生の中でもかなり嫌な出来事として受け止めていたことを話しています。

一方、周囲はネット上で急速に知られ始めたぐんぴぃさんを芸人活動へ生かそうと考えるようになります。

唯井まひろとの動画を経て「バキ童チャンネル」が始まる

街頭インタビューで注目された後、ぐんぴぃさんはYouTubeへの出演を始めます。

当初は「春とヒコーキ」のYouTube活動の中で動画を公開し、AV女優の唯井まひろさんとのコラボなども大きな反響を集めました。

やがて「バキ童」という呼び名そのものを前面に出した「バキ童チャンネル【ぐんぴぃ】」へ発展していきます。

最初は本人が隠したかった出来事でしたが、その後はトークや企画へ変換し、自分たちの発信の場を広げていきました。

2026年時点ではチャンネル登録者数が200万人を超えています。

YouTubeだけではない春とヒコーキ|お笑い・俳優へ広がった現在

「バキ童」の知名度が大きくなってからも、ぐんぴぃさんが春とヒコーキとしての活動をやめたわけではありません。

漫才とコント、YouTube、テレビ、俳優と、活動する場所が増えていきました。

タイタン所属後も漫才・コントを続けKOC2024準決勝へ

タイタン公式プロフィールでは、春とヒコーキを漫才とコントの両方を得意とするコンビとして紹介しています。

キングオブコントでは2024年に準決勝へ進出しました。

YouTube登録者数の大きさだけでは見えにくいものの、2人はライブや賞レースにも継続して取り組んでいます。

ネットで知られたあとも「春とヒコーキ」というコンビでネタを続けていることが、ぐんぴぃさんの芸人人生のもう一つの軸です。

『大病院占拠』から俳優活動が広がり『怪獣ヤロウ!』で主演

仕事の幅が大きく変わったのが2023年です。

日本テレビ系ドラマ『大病院占拠』で情報分析官・志摩蓮司役を演じ、俳優として連続ドラマへ出演しました。

同じ役で2024年の『新空港占拠』、2025年の『放送局占拠』にも続けて出演しています。

2025年には、岐阜県関市を舞台にした映画『怪獣ヤロウ!』で主演を務めました。

高校時代に考えていた「芸人」という仕事から、大学の落研、ブックオフ、フリーライブ、YouTubeを経て、活動場所は映像作品にまで広がっています。

2026年は4都市24公演の単独ライブを完走

2026年4月から5月には、春とヒコーキとして3回目となる単独ライブ「モンキービジネス」を開催しました。

今回は初の全国ツアーとなり、大阪、福岡、北海道、東京の4都市24公演を行っています。

第1回単独ライブ「孤独を着こなすな」、2023年の「春とヒコーキ『龍』」に続き、YouTubeの視聴者数が大きく増えたあとも舞台で新しいネタを作り続けています。

「バキ童チャンネル」の200万人超という数字と並行して、2026年には春とヒコーキとして24公演の単独ライブを行うところまで活動が広がりました。

北九州で、嫌だった出来事をクラスメイトが笑える話へ変えていた少年は、高校で芸人を夢見たあと、大学で一度その進路を諦めました。

ブックオフで3年間働き、土岡さんを待たせた末に27歳で会社を辞めたことで、止まっていた芸人への道が再び動き始めます。

街頭インタビュー、YouTube、俳優という予想していなかった仕事が増えた現在も、ぐんぴぃさんは土岡さんと春とヒコーキとして舞台に立っています。

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