人物プロフィール
お笑いトリオ「ハナコ」でコントを演じる一方、俳優やバラエティ番組でも活動の幅を広げている岡部大さん。
2018年の「キングオブコント」優勝で一気に知られるようになりましたが、そこへ至るまでには、秋田でバスケットボールに打ち込んだ少年時代と、高校の教室で始めた漫才、早稲田大学での大きな進路変更がありました。
早稲田大学に入った時点でも、岡部さんは芸人一本に進むと決めていたわけではありません。
大学ではまず本格的にバスケットボールを続け、その道から離れたところへ、高校時代に一緒にお笑いをしていた友人からもう一度声がかかりました。
そこからワタナベコメディスクール、エガラモガラの解散、秋山寛貴さん・菊田竜大さんとの出会い直しを経て、現在のハナコへたどり着いています。
岡部大の生い立ちと家族|秋田市でお笑いとバスケに親しんだ少年時代
岡部大さんは1989年、秋田県秋田市に生まれました。
のちに本人が母校を訪ねて子どもたちへ語った昔話には、田んぼに囲まれた学校、雪の中の登下校、友達と遊んだ公園など、東京で活動する現在とはかなり違う風景が残っています。
お笑いだけに夢中だった子どもではなく、長く生活の中心にあったのはバスケットボールでした。
四ツ小屋小学校で初めて人前に立ち、小学4年からバスケへ
母校は秋田市立四ツ小屋小学校です。
2024年、創立150周年を迎えた母校を訪れた岡部さんは、校庭にあった「風の子山」、田植え、宿泊研修のキャンプファイヤー、修学旅行などを次々と思い出していました。
冬には吹雪で前が見えにくい中を歩いて登校し、途中で用水路にはまって長靴をなくし、雪が解けた春になってから出てきたこともあったそうです。
小学4年生から始めたのがバスケットボールで、練習場所は四ツ小屋小学校の体育館でした。
一方、人前で何かを演じた経験もすでにあり、小学3~4年生ごろの学習発表会では「だいくとおにろく」の大工役を担当しています。
本人はこの舞台について、自分にとって最初の舞台だったかもしれないと母校で振り返っています。
さらに小学4~5年生のころには、友達とコントのようなこともしていました。
母と「笑う犬」を見て、姉の「お笑いポポロ」を読んだ家庭
家では、お笑いが身近にありました。
岡部さんは後年のインタビューで、母親と一緒にフジテレビ系の「笑う犬」シリーズやNHKの「爆笑オンエアバトル」を見ていたと明かしています。
姉が買っていたお笑い雑誌「お笑いポポロ」も読み、お笑い番組や芸人に触れる時間が自然に増えていきました。
ただし、このころの将来の夢がお笑い芸人だったわけではありません。
小学生のころはバスケットボール選手に憧れ、中学・高校になるとけがが多かったことから、スポーツ選手を支えるトレーナーに興味を持った時期もありました。
小中学校ではバスケを続けながら、人を笑わせる遊びも始まる
四ツ小屋小学校は大規模校ではなく、岡部さんは後年、全員の顔や名前が分かるような環境だったと語っています。
スポーツ少年団が休みの日には友達と公園へ集まり、田んぼの周辺で虫やザリガニを捕まえて遊んでいました。
バスケットボールは中学校へ進んでも続け、高校まで約10年間、生活の大きな部分を占めることになります。
小学校で友達とやっていたコントも、この時点では職業へ結び付くものではありませんでした。
それでも、バスケを続けながら、友達の前で何かを演じて笑ってもらう時間もすでに始まっていました。
秋田高校時代|バスケに打ち込み、中山君と教室で漫才を始める
中学校を卒業すると、岡部さんは秋田県立秋田高校へ進みました。
この高校で、後に最初の相方となる同級生の中山さんと出会います。
バスケとお笑いという、その後の岡部さんを長く追いかける二つの要素が、本格的に並び始めた時期でした。
バスケ中心だった高校生活と最後の大会
秋田高校でもバスケットボール部に入り、ポジションはポイントガードでした。
練習が終わったあとも体育館の照明が消えるころまでシュートやパスの練習を続け、自転車で時間をかけて帰宅すると、食事と風呂を済ませて眠るという生活を送っていたことを後年語っています。
高校3年の県インターハイ予選ではベスト4へ進出し、準決勝で当時全国屈指の強豪だった能代工業高校と対戦しました。
結果は大差での敗戦となり、岡部さんは試合後に涙を流しています。
高校卒業が近づくころまで、本人の中にはお笑いだけでなく、バスケやスポーツに関わる進路が残っていました。
3年間同じクラスだった中山君と放課後に漫才
秋田高校で岡部さんと中山さんは、3年間同じクラスでした。
高校2年生になると、中山さんに誘われ、放課後の教室で仲の良い友人たちを相手に漫才をするようになります。
テレビで好きな芸人を見る側だった岡部さんが、自分たちでネタをやって人に見せる側へ移ったのはこのころです。
「彼がいなかったら、今、僕はお笑いをやっていません」
秋田高校同窓会だより
後年、岡部さん自身が秋田高校同窓会誌へ寄せた文章の題名も「お笑いの原点 中山君」でした。
高校3年の文化祭で教室を借り、お笑いライブを開催
高校3年生になると、二人のお笑いは放課後の数人だけに見せるものではなくなります。
文化祭では教室を一つ借り切ってお笑いライブを開き、体育館で行われたイベントではMCも担当しました。
高校の教室で始まった漫才は、文化祭で観客を前にするところまで広がっていました。
中山さんからは大学へ進んでも一緒にお笑いを続けようと誘われますが、この時の岡部さんはその誘いを断ります。
高校卒業後も、本格的にバスケットボールを続けたいという気持ちがあったからでした。
早稲田大学時代|バスケ部を辞めたことで再びお笑いの道へ
岡部さんが進学したのは早稲田大学スポーツ科学部です。
高校で漫才を経験していたものの、上京した岡部さんが最初に選んだのは、やはりバスケットボールでした。
ここでバスケを続けるか離れるかという判断が、次のお笑い活動を始める時期と重なります。
スポーツ科学部へ進み、大学でも最初はバスケを選択
入学後は体育各部のバスケットボール部へ一般入部しました。
周囲にはスポーツ推薦で入学した高い競技力を持つ選手が多く、岡部さん自身はけがも重なりました。
小学校から約10年間続けてきた競技でしたが、悩んだ末にバスケットボール部を退部します。
部を離れたあともバスケそのものをやめたわけではなく、バスケットボールのサークルに入り競技は続けました。
「あのときバスケ部を辞めるという決断がなかったらお笑いを始めていませんでした」
早稲田ウィークリー
バスケ部退部後、中山君からもう一度「お笑いをやろう」と誘われる
高校卒業時には一度断った中山さんからの誘いが、ここでもう一度やってきます。
母校の小学生へ岡部さんが説明したところによると、バスケをけがでやめたタイミングで、中山さんが再びお笑いへ誘ってくれました。
「その友達が2回誘ってくれたから」
秋田市立四ツ小屋小学校「教えて岡部先輩 特別授業」
高校で一度誘われて断り、大学でバスケ部を辞めたところでもう一度誘われたことが、岡部さんがお笑いへ踏み出す直接のきっかけになりました。
友人たちは高校時代から二人の舞台を見ていたこともあり、芸人を目指すと聞いた際には背中を押してくれました。
一方、父親と母親は当初、お笑いの道へ進むことに強く反対したと岡部さんは母校で明かしています。
それでも本人は中山さんと再びコンビを組み、学生のお笑い活動へ進みました。
お笑い工房LUDOと大学お笑いで仲間が広がる
早稲田では、前の相方である中山さんと活動しながら、大学のお笑いサークル「お笑い工房LUDO」にも参加するようになります。
当初はサークルへ入らず、養成所だけに通ってプロを目指すつもりでしたが、LUDOのメンバーから誘われたことでサークル活動も並行しました。
そこでは、後に芸人となるひょっこりはんも当時「宮下先輩」として在籍していました。
大学時代の岡部さんは、スポーツ科学部に在籍しながらお笑いの世界へ進み、卒業研究では「バラエティ番組の歴史とこれから」という題目を選んでいます。
卒業論文ではテレビのお笑い番組の歴史やインターネットの普及による視聴環境の変化などを扱っており、プロとして活動を始めた時期の大学生活でも、テレビとお笑いを題材にしていました。
大学生お笑い大会からWCS12期へ|エガラモガラでプロを目指す
高校の教室から始まった岡部さんと中山さんのコンビは、「エガラモガラ」としてプロを目指す段階へ進みます。
大学生のお笑い大会への出場が、ワタナベの養成所へ入る入口になりました。
ここから岡部さんは、大学生でありながら養成所にも通う生活を始めます。
大学生お笑い大会をきっかけにワタナベコメディスクールへ
ワタナベエデュケーションの公式記録では、岡部さんは2010年4月、ワタナベコメディスクール12期として入学しています。
現在のハナコで一緒になる秋山寛貴さんと菊田竜大さんも同じ12期でしたが、この時点ではまだ3人組ではありません。
岡部さんは中山さんとのエガラモガラ、秋山さんと菊田さんは「ウエストミンスター」というコンビで、それぞれ別に活動していました。
現在のハナコ3人は養成所の同期でしたが、最初から一緒に芸人生活を始めたわけではありません。
WCSの授業後は中山君とファミレスで同期の話をしていた
WCSではネタ見せやライブを経験し、岡部さんたちのエガラモガラはスクール内でも名前を知られるようになっていきました。
岡部さんのクラスにはさまざまな経歴の生徒がおり、授業が終わると中山さんとファミリーレストランへ行き、その日に出会った同期たちの話をすることも楽しみの一つだったそうです。
高校からずっと一緒だった二人が、今度はプロを目指す人たちの中でネタを作り、舞台へ立つようになりました。
漫才からコントへ気持ちが移り、エガラモガラ解散を決断
ところが活動を続けるうち、岡部さんの中でやりたいお笑いが変わっていきます。
芸歴2年目あたりから、漫才よりもコントへの興味が強くなり、実際にコントへ挑戦する機会も増えていきました。
その中で中山さんとのコントでは、自分が考えているものとの違いを感じるようになり、岡部さんの方から解散を決めます。
いざ中山さんを前にすると、高校の教室、文化祭、上京後の活動まで一緒に過ごした時間が頭に浮かび、「解散しよう」という一言がなかなか出ませんでした。
ようやく伝えると、中山さんは意外なほどあっさり受け入れようとしたため、今度は岡部さんの方が思い出話をしながら引き留めたと本人が書き残しています。
芸人の世界へ二度誘ってくれた中山さんとのコンビを、自分から終わらせることになりました。
ハナコ結成まで|菊田に断られた岡部が秋山へ電話
エガラモガラを解散したからといって、すぐ現在のハナコが始まったわけではありません。
岡部さんには次の相方が決まっていない時期があり、その中で同期たちのネタを見ながら新しい組み合わせを探していました。
そこで候補として浮かんだのが、秋山さんと菊田さんのウエストミンスターでした。
エガラモガラ解散後、次の相方を探した時期
解散後、岡部さんはしばらく新しいコンビを組まずにいました。
一時は同期の富樫啓郎さんと組むことも考えていましたが、富樫さんの当時のコンビが解散せず、その話は進みませんでした。
そんな中、事務所ライブでウエストミンスターのネタを見る機会があり、岡部さんは秋山さんが書くコントに惹かれていきます。
ウエストミンスターのネタに惹かれ、加入を希望
転機は菊田さんから食事へ誘われたときに訪れました。
菊田さんから「誰か一緒にやりたい人はいないのか」という話を振られた岡部さんは、そこでウエストミンスターと一緒にやりたいと伝えました。
しかし菊田さんは、自分たちのコンビへ岡部さんを入れるつもりで質問したわけではありませんでした。
その場では岡部さんの申し出を断っています。
菊田の「無理」から一転、秋山の即答で3人組へ
岡部さんは、そのまま話を流してしまいませんでした。
菊田さんとの食事を終えたあと、今度は秋山さんへ直接電話し、一緒にお笑いをやりたいと伝えます。
秋山さんの返事はすぐに了承するものでした。
ただし秋山さんからは「2人なのか3人なのか」という確認が入り、ウエストミンスターの二人に岡部さんが加わる形が最初から当然だったわけでもありませんでした。
菊田さんには一度断られながら、その直後に岡部さんが秋山さんへ電話したことで、現在の3人が動き始めました。
養成所では同期だったものの別々のコンビだった3人が、数年を経て同じ組へ集まることになります。
2014年10月にハナコ結成、事務所所属をいったん失って再出発
ハナコは2014年10月に結成されました。
ただ、新しくトリオを作ったことで、そのまま以前と同じ立場で事務所所属を続けられたわけではありません。
一度は所属を外れ、フリーに近い状態から3人で再スタートし、事務所ライブで結果を出して再び所属を勝ち取っています。
ネタ作りでは秋山さんと岡部さんが中心となり、エガラモガラ時代の後半から強くなっていた岡部さんのコント志向は、新しいトリオで続いていきました。
高校時代に漫才から始めた岡部さんは、コントをやりたいという理由で最初のコンビを解散し、やがてコントを軸とするハナコへ入りました。
若手・下積み時代|築地市場で働きながらコントを作る日々
3人になったあとも、すぐに芸人だけの収入で生活できるようになったわけではありません。
岡部さんと秋山さんは、偶然にも築地市場のすぐ近くでそれぞれアルバイトをしていました。
この距離の近さは、働きながらコントを作る二人ならではの場面も生んでいます。
岡部は寿司店、秋山はすぐ近くの塩店でアルバイト
岡部さんが働いていたのは、築地市場にあった「大和寿司」です。
一方の秋山さんは、そのすぐ近くにある塩を扱う店で働いていました。
芸人としての仕事だけでは生活が難しい時期にも、岡部さんは早朝から寿司店へ入り、仕事を続けています。
食費に困る若手時代には、アルバイト先で食事をさせてもらうこともあり、岡部さんは後年も大和寿司を思い出の場所として語っています。
接客中に思いついたネタを秋山の店まで伝えに行く
二人の勤務先が近かったことで、アルバイト中にもネタ作りは止まりませんでした。
秋山さんによると、岡部さんが寿司店で接客している最中にコントの設定を思いつくと、目の前にある秋山さんの勤務先までやって来て、そのアイデアを伝えることがあったそうです。
築地で客を相手に働いていた時間の途中にも、ハナコのコントの種が生まれていました。
当時からネタを考える中心は秋山さんと岡部さんで、二人で喫茶店へ集まってネタ作りをすることもありました。
2018年の賞レース優勝後も翌朝5時から築地へ
活動が変わり始めたのは2018年です。
2月には「ワタナベお笑いNo.1決定戦2018」で優勝しました。
それでも、優勝した時点では3人ともアルバイトを続けていました。
岡部さんは優勝した翌朝も、午前5時から寿司店のアルバイトへ入る予定になっていました。
賞レースで優勝した翌朝にも築地へ出勤する生活が、2018年に入っても続いていました。
キングオブコント2018|アルバイト生活から仕事が一変
2018年は、ハナコにとって一つの大会だけが突然すべてを変えた年ではありませんでした。
年の前半から賞レースで結果が続き、その流れの先にキングオブコントがありました。
築地でアルバイトを続けていた岡部さんの生活も、この年の後半から大きく変わっていきます。
ワタナベお笑いNo.1とハーベスト大賞で結果が出始める
ハナコは2018年2月のワタナベお笑いNo.1決定戦で優勝すると、夏には「お笑いハーベスト大賞」でも優勝しました。
前年まで大事な大会の決勝で勝ち切れないことが続いていた3人にとって、年明けから結果が続く状態になります。
キングオブコントの前に、ハナコはすでに2018年の二つの大会で優勝していました。
そして秋、コント日本一を決める大会へ初の決勝進出を果たします。
決勝前にシソンヌじろうへ相談し、キングオブコントへ
キングオブコント決勝を控えたころ、岡部さんと秋山さんは、2014年王者のシソンヌ・じろうさんに相談しています。
じろうさんに連れて行ってもらったのは、東京・渋谷の町中華「兆楽」でした。
二人は食事をしながら、どうすればキングオブコントで優勝できるのかを尋ねています。
「優勝しようと思うと力入るから、楽しめばいい」
TBS「人生最高レストラン」
岡部さんと秋山さんは、その言葉を受けて肩の力を抜き、いつものコントをすることへ意識を向けました。
11代目キングとなり、築地のアルバイトを卒業
2018年9月22日、ハナコは「キングオブコント2018」の決勝へ初進出しました。
ファーストステージを3位で通過し、ファイナルステージでは得点を伸ばして逆転します。
ハナコはキングオブコント2018の11代目キングとなりました。
高校時代に漫才を始め、大学で一度バスケを選び、コントをやりたくてエガラモガラを解散し、同期二人のコンビへ加わった岡部さんが、ハナコとしてコントの大会を制した瞬間でした。
大会後はテレビなどの仕事が急増し、それまで続けていた築地のアルバイトからも離れることになります。
KOC優勝後には、中山さんから久しぶりに「おめでとう」と連絡が届きました。
岡部さんは秋田高校同窓会誌で、短い一言だけの連絡が中山さんらしく、ハナコの活動を見てくれていたことがうれしかったと記しています。
ブレイク後|コントから俳優・バラエティへ広がった活動
キングオブコント以降、岡部さんの仕事はハナコ3人でのコントだけではなくなっていきました。
ただ、現在もハナコとして単独公演を行い、秋山さんと岡部さんが中心になって新しいコントを作る活動は続いています。
その一方で、個人では幼いころから続けてきたスポーツや、コントで磨いてきた演技を使う仕事が増えていきました。
ハナコのコントを見た人から個人仕事へ声がかかるように
KOC優勝後は、バラエティ番組やロケなど、岡部さん個人で呼ばれる機会も増えていきます。
現在はハナコとしてのネタ番組やバラエティだけでなく、情報番組、ロケ、グルメ企画などでも活動しています。
食べることが好きな岡部さんにとっては、築地の寿司店で働いていた若手時代とは違う形で、食に関わる仕事も一つの活動になりました。
朝ドラ・大河・主演ドラマへと広がった俳優活動
俳優としても出演作が増え、2020年にはNHK連続テレビ小説「エール」やTBS系「私の家政夫ナギサさん」へ出演しました。
2022年にはテレビ東京系「しろめし修行僧」で主演を務め、2023年にはNHK大河ドラマ「どうする家康」にも出演しています。
2024年にはフジテレビ系「ブルーモーメント」、2026年にはBS-TBS「よかれと思ってやったのに〜男たちの『失敗学』裁判〜」で主演するなど、コント以外の演技へ出演範囲が広がりました。
若手時代にコントを選び直した岡部さんは、現在もハナコのコントに立ちながら、ドラマでは別の役を演じています。
子どものころから続けたバスケも現在の仕事の一つに
大学で体育各部を辞めたあとも、バスケットボールそのものとの関係は切れませんでした。
現在も自分で体育館を借りてプレーすることがあり、バスケットボール関連の番組や企画にも出演しています。
2023年にはバスケットボールを扱うYouTube企画「ハナコ岡部のオカBB」を始め、富樫勇樹選手や渡邊雄太選手と共演する機会も生まれました。
2025年12月にも、自身の公式Xでバスケットボール企画の出演を告知しています。
秋田の小学校で始めたバスケットボールは、早稲田大学で一度大きな区切りを迎え、その直後に岡部さんはお笑いへ進みました。
高校の教室で漫才へ誘ってくれた中山さんとの時間を経て、コントを選び、秋山さんと菊田さんに出会い直したことでハナコが生まれました。
築地で働きながらコントを考えていた時期を越えた現在も、岡部さんはハナコのコント、俳優、バラエティ、そして長く続けてきたバスケットボールの仕事に立っています。












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