道上珠妃の生い立ち|タイで育った体操少女が日芸でダウ90000に入るまで

人物プロフィール

本名
道上 珠妃
生年月日
1998年10月2日
血液型
AB型
出身地
海外
コンビ・グループ名
ダウ90000
相方・メンバー
蓮見翔、園田祥太、飯原僚也、上原佑太、中島百依子、忽那文香、吉原怜那
結成年
2020年
所属事務所
オフィスカニバブル
芸人活動開始年
2018年

演劇とコントの両方を手がける8人組「ダウ90000」で活動しながら、個人ではドラマや舞台にも出演している道上珠妃さん。

2026年にはテレビ東京系ドラマ『るなしい』で初めて連続ドラマに出演するなど、役者として活動する場も広がっています。

ところが、10代の道上さんが時間を注いでいたのは、芝居でもお笑いでもなく器械体操でした。

タイで生まれ、小学生時代の多くをタイで過ごし、帰国後は競技者として体操に打ち込み、高校3年生のケガを境に進路を考え直しています。

体操を続けられなくなったところから「演技をしたい」という道が現れ、日芸で出会った舞台がダウ90000へ進むきっかけになりました。

最初から芸人を目指して養成所へ入ったわけではない道上さんが、どんな子ども時代を送り、なぜ演技へ向かい、蓮見翔さんたちと活動するようになったのか、時間を追って見ていきます。

道上珠妃の生い立ちと家族|タイで過ごした小学生時代

道上珠妃さんは1998年10月2日生まれで、出生地はタイです。

本人が昔を振り返る話には、父親、母親、兄がたびたび登場し、子どものころから家族との関わりの中でさまざまなことを経験してきた様子が残っています。

タイで生まれ、日本とタイを行き来して育つ

道上さんはタイで生まれたあと一度日本へ移り、小学校へ上がる前に再びタイへ渡り、小学5年生ごろまでタイで生活していました。

現地では日本人学校に通っていたため、長くタイで暮らしていたものの、本人によるとタイ語を使う機会はそれほど多くなく、後年には簡単な自己紹介ができる程度だと話しています。

子どものころはかなり活発で、友達との遊びも習い事も勉強も全力で取り組むタイプだったそうです。

2025年に本人が書いたnoteでは、「道上 珠妃(みちがみ たまき)」は本名であることも明かしています。

「正真正銘の本名」

道上珠妃 note「珠妃」

小学生のころ、授業の宿題で名前の由来を両親に聞いたことがあり、「真珠」と「お妃様」を重ねたような意味だったと本人は記憶しています。

バンコク日本人学校で書いていた小学校文集「メナム」

タイで通っていたのがバンコク日本人学校です。

道上さんの小学生時代は、思い出話だけではなく、本人が当時書いた文章も残っています。

ダウ90000の公式YouTubeチャンネル「ダウ九萬」では、学校で毎年作られていた文集「メナム」を持ち出し、小学1年生から4年生までに自分が書いた文章を読み返しています。

本人が実物の文集を手にしているため、タイで暮らしていたころの道上さんを知るうえでは珍しい資料になっています。

後に舞台やテレビへ立つ姿からさかのぼると、海外で過ごした小学生時代があり、そのころの文章まで本人の手元に残っていたことになります。

兄の影響で始めた器械体操

日本へ帰国した道上さんが本格的に取り組むようになったのが器械体操でした。

きっかけには、先に器械体操をしていた兄の存在がありました。

小さいころの道上さんは、誰かが何かをしている姿を見ると自分もやりたくなる子で、体操以外にもミュージカルやピアノを習っています。

その中で長く残ったのが器械体操で、習い事という範囲を越え、競技者として取り組むようになりました。

「だから10代のときは、ほとんど体操ばかりしていたんです」

Steenz 道上珠妃インタビュー

現在の所属先であるオフィスカニバブルのプロフィールにも器械体操が特技として掲載され、関東大会への出場経験があることが紹介されています。

後年には本人がXで「ダウ90000で1番運動神経良い」と投稿しており、体操を離れたあとも運動経験は本人の特徴のひとつとして残っています。

中高時代は器械体操中心|高校3年のケガで進路が変わる

タイから帰国したあとも器械体操を続け、道上さんの10代は競技中心に進んでいきました。

この時点では、後にダウ90000へ入り、演劇とコントの舞台へ立つ未来を目指していたわけではありません。

中高一貫校で過ごした6年間

道上さんは中高一貫校へ進学しています。

学校名について本人や学校などから確かな公表は見当たりませんが、本人のnoteには中学入学の日の記憶が詳しく残っています。

中高一貫だったため、6年間で入学式は一度だけでした。

その入学式の日、母親と緊張しながらクラス分けの張り紙を見て1年D組に自分の名前を見つけると、出席番号ですぐ後ろの生徒にも「珠妃」という全く同じ漢字の名前がありました。

珍しい名前だけに母娘とも驚き、教室へ行ったら読み方を聞いてくると約束したことまで覚えているそうです。

学校では「たーちゃん」や、そこから変化した呼び方をされることもありましたが、高校卒業後は「珠妃」と呼ばれることを自分から伝えるようになったと書いています。

10代の大半を器械体操に打ち込む

中学・高校に入ってからも、生活の中心にあったのは体操でした。

舞台に立つ以前の道上さんは、10代のほとんどを器械体操に使っていた競技者でした。

幼いころにはミュージカルも経験していたとはいえ、この時期に将来の職業として芝居を目指していたわけではありません。

関東大会まで進むほど競技を続けていたことを考えると、高校卒業後も体操と何らかの形で関わる進路があっても不思議ではない状態でした。

ところが、高校生活の最後に大きな出来事が起こります。

高校3年の大ケガで競技生活に区切りをつける

高校3年生のとき、道上さんは大きなケガをしました。

本人は後年、さらにケガをすると大きなボルトを入れる必要があるような状態だったと説明しており、そこで競技者として体操を続ける道を断念しています。

小さいころから続け、10代の大半を費やした体操を、高校3年生で終えることになりました。

それまで競技に打ち込んできた道上さんが、ここで初めて「将来、何をしたいのか」をきちんと考えることになります。

昔から人前に立つことは好きだったことから浮かんだのが、「演技をしたい」という進路でした。

長く準備してきた夢ではなく、体操を続けられなくなった高校3年生の時点で、俳優という新しい方向へ進み始めています。

演技をしたくて日本大学芸術学部へ

体操に区切りをつけた道上さんは、演技を学べる進路を探しました。

そこで受験したのが、俳優や放送・映画関係者を多く輩出している日本大学芸術学部、通称「日芸」です。

日芸映画学科の演技コースに挑戦するも不合格

第一志望として挑戦したのは、映画学科の演技コースでした。

しかし、こちらの受験には合格できませんでした。

同時に受けていた、扱う分野が比較的近い放送学科には合格し、道上さんは日芸へ進学します。

現在まで続く役者としての活動を考えると意外ですが、最初から希望していた映画学科の演技コースへそのまま進めたわけではありません。

映画学科への不合格を経て入った放送学科で、後のダウ90000につながる人たちと出会うことになります。

放送学科へ進み「ウェイ!」な大学生活を送る

日芸へ入ったからといって、すぐに蓮見翔さんたちと行動を始めたわけではありません。

放送学科には、学生の多くが参加する「放送9課」というサークルがあり、文化祭などで芸人を呼び、学生が裏方として番組を作る活動をしていました。

一方、道上さん自身がやりたかったのは裏方よりも表に出ることでした。

大学生活そのものはかなり活発で、サークルの合宿や飲み会にも積極的に参加し、本人が後年「ウェイ!」と表現するような学生生活を送っていました。

演技をするために学外の劇団や養成所へ行くことも考えていたころ、日芸の中で気になる噂を耳にします。

蓮見翔の舞台との出会い|はりねずみのパジャマへ加入

道上さんの大学生活を大きく変えたのが、ダウ90000の前身となった「はりねずみのパジャマ」でした。

この出会いも、芸人を志望してお笑いサークルを探したところから始まったものではありません。

大学1年の文化祭で「面白いらしい」と舞台を観に行く

大学1年生だった道上さんは、学内で「はりねずみのパジャマが面白い」という噂を聞き、文化祭公演を観に行きました。

そこで目にしたのが、蓮見翔さんらが作っていた舞台です。

道上さんは、それまで自分の周囲にこれほど面白い人たちがいなかったと感じるほど強い衝撃を受けています。

翌2018年春、大学2年生になると、もう一人の主宰へ頼んで「はりねずみのパジャマ」へ入りました。

最初にもらった役は、女の子が相手へ水をかけるたび、その容器へ延々と水を注ぎ続ける役でした。

ところが当時の道上さんには、そのコントの面白さがまだ理解できず、「自分は何をしているのだろう」という感覚だったと振り返っています。

蓮見さんが書く会話劇に惹かれて入ったものの、加入後すぐに蓮見作品へ次々出られたわけでもなく、本人いわくしばらくは「恋しい時期」が続きました。

決まっていた外部事務所より大学の仲間を選ぶ

当時の道上さんは、学外で演技をする道もすでに進めていました。

後年のインタビューでは、外部の事務所へ進む話が決まっていた一方、日芸の中にこれほど面白い舞台を作る人たちがいるのに、わざわざ外へ出る必要があるのかと考えたことを明かしています。

道上さんは外部へ進むより、蓮見さんたちと一緒に作品を作る道を選びました。

「演技がしたい」と日芸へ入ったあと、最初に所属先を決めた基準は、知名度のある事務所かどうかではなく、目の前で観た舞台が面白かったことでした。

前身団体の公演記録を見ると、2018年9月に下北沢OFF・OFFシアターで上演された第4回公演『夜は寿司を食べた。』にも、出演者として道上珠妃さんの名前が残っています。

加入当初は緊張して無口、打ち解けると「頑張らなくていい」と感じた

現在の明るい姿とは少し違い、加入したばかりのころはかなり緊張していました。

蓮見さんから見ると、当初は「誰とも喋らない子」と思うほど静かだったものの、打ち解けてからは人との距離が近いタイプへ印象が変わったそうです。

道上さん自身も、それまでの大学生活とは違う人たちの中へ入ったことで、無理に自分を作らずにいられる感覚を持つようになりました。

後から「はりねずみのパジャマ」へ入った忽那文香さんにも、道上さんとの最初期の記憶があります。

先輩ばかりの場所で一人緊張していた忽那さんへ、道上さんのほうから声をかけました。

「タメ口でいいよ!」

Steenz 忽那文香インタビュー

自分が加入したときには緊張していた道上さんが、後から入ってきたメンバーには先に声をかける側になっていました。

大学卒業を前に就職かダウ90000かで迷う

「はりねずみのパジャマ」に入ったことと、その活動を仕事として続けると決めたことは別の出来事です。

大学卒業が近づくと、道上さんにも一般企業への就職という現実的な選択肢が迫ってきました。

就活もしながらプロとして続けるか悩んだ時期

道上さんは卒業前、実際に就職活動も少し行っています。

舞台の活動を続けながら就活もする、どちらにも完全には振り切れていない時期がありました。

高校3年生では体操をやめて演技を選び、大学では外部の進路より学内の舞台を選びましたが、卒業時にはさらに「これを仕事として続けるのか」という判断が必要になります。

しかも当時は、現在のようにダウ90000が各地で単独公演を行う状況ではありませんでした。

「就職します」と言い切れず、ダウ90000へ懸ける

プロとして活動するのか、本気で就職活動へ切り替えるのかを決める段階になっても、道上さんは「就職する」と言い切ることができませんでした。

そこで「やれるところまでやってみよう」と、ダウ90000へ懸けることを選びます。

高校3年生で演技へ進むと決めたときとは別に、大学卒業前には「表現することを仕事として続ける」という二度目の大きな進路選択がありました。

道上さんの場合、「芸人になるきっかけ」を一つの日に絞るより、高校で演技を選び、大学で仲間を選び、卒業前にその活動を仕事として続けると決めた順番で見るほうが実際の経歴に合っています。

就職を望んでいた家族と、テレビを見ていた父

両親は当初、道上さんに普通に就職してほしいと考えていました。

ただ、本人が進路を迷っていることも分かっており、最終的には芸能活動を続ける選択を受け入れる形になったそうです。

仕事が増えてからは、テレビ出演が決まるたびに家族のLINEへ連絡していました。

父親はその連絡に既読だけを付けて返信しないことが多かったものの、あるとき実家へ帰ると、父親がビールを飲みながら道上さんの出演番組を見ていたことが分かりました。

芸能の道を最初から勧めていた家族ではありませんでしたが、仕事がテレビへ広がったころには、父親も娘の出演を画面越しに見ていました。

ダウ90000としてプロへ|学生演劇からコントの世界へ

道上さん個人が就職と活動継続の間で揺れていたころ、団体そのものにも大きな変化が起きていました。

大学の演劇団体だった「はりねずみのパジャマ」は、コロナ禍を経てダウ90000として動き始めます。

コロナ禍の2020年、ダウ90000として仕切り直す

2020年、新型コロナウイルスの影響で公演ができなくなり、団体の活動は約3か月止まりました。

主宰の一人と連絡が取れなくなったことなども重なり、蓮見翔さんは2020年9月、活動をダウ90000として仕切り直すことをメンバーへ伝えます。

その際に示されたのは、「これから本気で売れる」「就職する人は抜けてほしい」「いずれアルバイトをせずダウ一本で生活できるようにする」という、学生団体とは違う方針でした。

現在の公式プロフィールでも、ダウ90000は2020年に日本大学芸術学部のサークルを母体として旗揚げされた8人組と説明されています。

道上さんもここに残り、大学で始めた舞台活動をそのまま職業へつなげることになりました。

大量の新作コントを作りながらライブを重ねる

ダウ90000として再スタートすると、2021年1月に予定していた第1回演劇公演『フローリングならでは』へ観客を呼ぶため、毎月コントライブ『あの子の自転車』を行うことになります。

当時、蓮見さんが用意していた新作コントは1か月15本で、それを4か月続けました。

今の知名度からは想像しにくいものの、初期のYouTube動画は再生数が200回ほどで、30人ほどの会場を埋めるために知り合いへ声をかけていた時期もありました。

その途中でコントライブ「テアトロコント」への出演依頼が入り、作り続けてきたコントを外の観客へ見せる機会が増えていきます。

道上さんを含む多くのメンバーはもともと役者志向で、お笑いに詳しかったわけではなく、ダウ初期の短い作品についても本人は「コント」というより短編の演劇をしている感覚だったと語っています。

8人で挑んだ『旅館じゃないんだからさ』直前のメンバー脱退

現在につながる8人体制で初めて行った演劇公演が、第2回本公演『旅館じゃないんだからさ』でした。

ところが本番のわずか3週間前、当時のメンバー2人が抜けることになります。

一人については事前に退団の話があったものの、もう一人は出演予定で、すでに脚本も完成していました。

メンバーは約3時間話し合い、考え直してもらうためいったん外を歩いてもらいましたが、最終的には退団することになり、蓮見さんは短期間で台本を大きく書き直しています。

その話し合いの場となった区民館では、それまであまり口にしてこなかったそれぞれの気持ちも話しました。

「全員の意思確認もできた」

テレビ朝日 logirl

道上さんは、このとき初めて全員が真剣に話したと振り返っています。

公演直前のメンバー脱退を経て、現在の8人で続ける意思を互いに確かめる場が生まれました。

『旅館じゃないんだからさ』はその後、第66回岸田國士戯曲賞の最終候補にも選ばれています。

ライブ評判から賞レース・テレビへ

ダウ90000は、テレビへ出たことで突然形ができたグループではありません。

小さな会場で大量の新作を試していた時期を経て、大人数だからこそできるコントの形が少しずつ固まっていきました。

大人数コントの形が固まり、ライブで評判が広がる

転機のひとつになったのが、『あの子の自転車』第2回で上演した「フロント」というコントでした。

当時は現在より人数が多い時期でしたが、大人数が一つのコントに登場する形でそれまでと違う笑いが起き、蓮見さんは手応えを感じます。

そこから「顔合わせ」「AED」「まちがいさがし」など、大人数を生かした作品が生まれ、後に知られるダウ90000のスタイルへ近づいていきました。

ライブで反応を確かめる中で外部からも評価される機会が増え、演劇の会話劇とコントを明確に切り離さない8人組として存在感が広がっていきます。

M-1、ABCお笑いグランプリで知名度が上昇

2021年には、蓮見翔さん、道上珠妃さん、忽那文香さん、中島百依子さん、吉原怜那さんの5人でM-1グランプリへ出場しました。

漫才コンビを中心とする大会に5人編成で挑み、準々決勝まで進出しています。

M-1公式サイトではこのエントリーの結成年が「2021年8月15日」と記録されていますが、ダウ90000というグループ自体は2020年に旗揚げされているため、二つは同じ意味の「結成年」ではありません。

翌2022年には第43回ABCお笑いグランプリへ8人で進み、決勝の舞台に立ちました。

演劇公演を続ける一方で賞レースにも入り込んだことで、「演劇の団体」と「お笑いのグループ」のどちらか一方では説明しにくい活動が広く知られるようになります。

道上さん自身も、もともとはお笑いに詳しくなかったところから、大人数コントの演者として賞レースの舞台まで進むことになりました。

初の冠ドラマ出演で、もう一度強くなった芝居への気持ち

活動が広がった2022年、道上さんにとって別の方向で大きかったのが、ダウ90000初の冠ドラマ『ダウ90000 深夜1時の内風呂で』への出演でした。

道上さんは勝村政信さんが演じる父親の娘役を演じています。

もともとお笑いには詳しくなく、ドラマや映画へ出演したい気持ちを持って日芸へ入った道上さんにとって、テレビドラマに出られること自体がうれしい仕事でした。

撮影後には反省点もあった一方、本人の中では「もっと芝居をやりたい」という気持ちが強くなります。

高校3年生のケガのあとに初めて選んだ「演技」が、ダウ90000の活動を続けた先で再び個人の仕事として動き始めました。

高校時代に選んだ「演技」が個人の俳優活動へ

ダウ90000が知られるようになるにつれ、メンバーそれぞれがグループ外で仕事をする機会も増えていきました。

道上さんの場合、そこで大きくなっていったのが、もともと日芸へ進む理由だった俳優の仕事です。

ダウ90000外の舞台『午前0時のラジオ局』へ出演

2023年3月には、博品館劇場で上演された舞台『午前0時のラジオ局』へ出演しました。

福田悠太さん、浜中文一さん、大河原恵さんらと同じ作品へ出演し、ダウ90000の公演とは別の座組で舞台に立っています。

同じ2023年のインタビューでは、グループの活動がある程度広がった次の段階として、自分一人で外へ出たときの「個人力」を試し、その経験をダウへ持ち帰りたいという考えも話していました。

ダウ90000を離れて個人で芝居をする仕事が、グループとは別の活動軸として増えていきます。

ドラマ出演を重ね、俳優としても活動

舞台だけでなく、テレビドラマへの個人出演も続きました。

日本大学芸術学部の卒業生紹介では、ダウ90000での活動と並び、2024年のフジテレビ系ドラマ『ギークス~警察署の変人たち~』や『午前0時のラジオ局』への出演が紹介されています。

さらに2026年4月から放送されたテレビ東京系『るなしい』では、佐原和葉役を担当しました。

テレビ東京の公式プロフィールで、道上さん自身がこれが初めての連続ドラマ出演だと明かしています。

高校3年生のころには、まだ漠然と「演技をしたい」と考えただけでしたが、その後は日芸、学生演劇、ダウ90000の舞台、冠ドラマ、外部舞台を経て連続ドラマへ出演するところまで進みました。

ダウ90000では演劇とコントの両方を続ける現在

個人の俳優活動が増えても、道上さんの活動の中心には現在もダウ90000があります。

グループは2024年8月31日でYOU GO signを退所し、同年9月1日からKOHEN合同会社が運営するオフィスカニバブル所属となりました。

2025年に4都市で上演した第7回演劇公演『ロマンス』は、2026年に第70回岸田國士戯曲賞を受賞しています。

コントでも活動は続き、2026年7月からは約2年ぶりとなる単独コントライブ『40000』を大阪からスタートし、全国10都市を巡る公演を展開しています。

2026年の第47回ABCお笑いグランプリでも決勝へ進み、キングオブコント2026では準決勝進出者に名を連ねました。

演劇公演、コントの賞レース、個人のドラマや舞台という複数の活動を、現在も同時に続けています。

タイで育った子ども時代から高校3年生まで、道上珠妃さんの生活の中心にあったのは器械体操でした。

ケガをきっかけに演技を選び、日芸で偶然観た舞台から仲間と出会い、就職と迷った末にダウ90000で活動を続ける道を選びました。

そのダウ90000で演劇とコントの両方に立ちながら、高校時代に芽生えた「演技をしたい」という進路も、舞台や連続ドラマへの出演として現在まで続いています。

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