とにかく明るい安村の生い立ちと家族|甲子園球児から幼なじみと芸人になり、世界のTONIKAKUへ

人物プロフィール

本名
安村 昇剛
生年月日
1982年3月15日
身長
177cm
血液型
B型
出身地
北海道 旭川市
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
1998年
養成所・スクール
NSC東京校 6期

「安心してください、穿いてますよ。」の決めぜりふと、パンツ一枚で全裸に見えるポーズを披露するネタで知られているとにかく明るい安村さん。

日本で一度大きなブームを起こしたあと、2023年にはイギリスのオーディション番組『Britain’s Got Talent』でも観客を沸かせ、「TONIKAKU」の名前が海外まで広がりました。

現在の姿から芸人人生をたどっていくと、その出発点は裸芸ではなく、北海道旭川市で野球に熱中していた少年時代にあります。

高校では旭川実業高校野球部に入り、3年夏には甲子園を経験しましたが、芸人という進路が最初に現れたのは、それより前の中学3年の文化祭で幼なじみとネタを披露したときでした。

その幼なじみと18歳で北海道を離れ、コンビ芸人として十数年を過ごし、解散後には芸人そのものを辞めることまで考えながら、やがて現在につながるネタへたどり着きます。

とにかく明るい安村の生い立ちと家族|旭川で3人兄弟の末っ子として育つ

とにかく明るい安村さんは、北海道旭川市で育ちました。

家庭では兄が2人いる3人兄弟の末っ子で、子どものころは家の中で静かに過ごすより、兄たちや近所の子どもたちについて外へ出て遊ぶことが多かったそうです。

のちにステージ上で体を大きく使う姿からは想像しやすい部分もありますが、少年時代からかなり活発に体を動かしていました。

兄たちと雪の中で遊び、少年野球ではエースピッチャーに

旭川での子ども時代には、近所の男の子たちと相撲を取ったり、自転車で競走したりして遊んでいました。

北海道らしい遊びもあり、積もった雪をクッション代わりにして高い場所から飛び降り、バク転のようなことにも挑戦していたと本人が後年語っています。

小学生になると夢中になったのが少年野球でした。

チームではエースピッチャーを務めるほど野球に打ち込み、当時は本気でプロ野球選手を夢見ていた時期もありました。

お笑いより先に安村少年の生活の中心にあったのは野球で、この時期の経験は高校卒業まで続いていきます。

電気店を営む父の仕事について回った小学生時代

父親は電気店を営んでおり、幼い安村さんには父の仕事について回った記憶も残っています。

テレビの修理などで各家庭を訪ねる父の車に一緒に乗り、その途中で昼食を食べることがありました。

本人が特に覚えているのが、父と一緒に食べたそばと、旭川で親しまれているゲソ丼です。

芸人として売れてから語られる家族の話だけを見ると分かりにくいものの、子どものころにはこうして父の仕事場へついていく日常がありました。

その後、両親は安村さんが小学生のころに離婚し、中学生以降は父親と顔を合わせる機会が少なくなっていきます。

幼なじみ・栗山直人と少年野球で親しくなる

この少年野球時代に、後の芸人人生を大きく左右する人物との関係も深まっていました。

後にアームストロングの相方になる栗山直人さんです。

2人は芸人養成所で知り合ったわけではなく、幼稚園のころから互いを知っていました。

小学生になると同じ少年野球チームで過ごし、一緒に野球をする中で距離が縮まっていきます。

このころの安村さんにとって栗山さんは、まだ「将来の相方」ではなく、地元で一緒に野球をしていた友人でした。

中学文化祭で初めて笑いを取り、旭川実業では甲子園へ

野球少年だった安村さんに「芸人」という進路が初めて具体的に現れるのは中学生のころです。

きっかけを作った相手も、小学生時代から一緒だった栗山さんでした。

中学3年の文化祭で栗山とコンビを組み、芸人になる約束

中学3年の文化祭で、安村さんと栗山さんは2人でネタを披露しました。

そこで大勢の同級生を笑わせた経験が、2人にとって学校生活の思い出だけでは終わりませんでした。

文化祭のあと、栗山さんから高校を卒業したら芸人になろうという話が出ます。

安村さんもその誘いを受け、2人の間には「高校卒業後に一緒に芸人になる」という約束が残りました。

ただし、そのまますぐにコンビ活動を始めたわけではありません。

高校進学後の安村さんには、それまで続けてきた野球が待っていました。

旭川実業野球部で雪上の走り込みと甲子園を経験

進学したのは旭川実業高校で、安村さんは野球部に入りました。

北海道の高校野球では冬場に土のグラウンドをそのまま使えないため、雪国ならではの練習も経験しています。

本人が後年語った練習の一つが、雪を踏み固めたグラウンドを長靴で何周も走るメニューで、50周することもあったといいます。

冬には苫小牧方面へ遠征して練習することもありましたが、安村さんはある遠征前、休み時間にサッカーをして足の指を骨折してしまいました。

遠征には同行したものの十分に練習できず、チームの手伝いに回ることになったという、高校生らしい失敗も残っています。

それでも3年夏、旭川実業は甲子園へ進み、安村さんも甲子園球児になりました。

試合では、ピンチの場面で監督の指示を選手へ伝える伝令役としてグラウンドへ向かったことがあります。

旭川市の公式インタビューでは、その場で仲間を笑わせて緊張をほぐしたというエピソードも紹介されています。

甲子園という緊張感のある舞台でも、仲間を笑わせる役割を担っていたというのは、中学文化祭とはまた違う安村さんの高校時代の一場面です。

大学進学も就職も選ばず、高校卒業後に芸人になると決める

高校時代、栗山さんとは別々の学校生活を送り、ほとんど会わない時期もありました。

それでも、中学時代に交わした「卒業したら芸人になる」という話は消えていませんでした。

高校卒業が近づくと、周囲が大学進学や就職を考える中で、安村さんはそのどちらにも進みませんでした。

先生にも芸人になることを伝え、栗山さんと東京へ出る道を選びます。

甲子園を経験した高校3年間のあと、18歳で野球ではなくお笑いを選んで北海道を離れました。

18歳で上京|栗山直人と東京NSC6期へ

高校を卒業した安村さんと栗山さんは、約束どおり2人で東京へ向かいます。

地元の友人同士だった2人が、ここからプロのお笑い芸人を目指す生活に入っていきました。

栗山の提案で北海道を離れ、2000年春にNSC入校

2000年春、2人が入ったのが吉本興業の芸人養成所NSC東京校です。

安村さんは東京NSC6期としてお笑いを学び始めました。

高校まで旭川で暮らしていた18歳にとって、東京での生活は街そのものからして別世界でした。

幼稚園から知る友人と一緒に北海道を離れ、そのまま芸人養成所へ入ったことになります。

ジャージ姿で渋谷109へ向かった上京直後の東京生活

上京したばかりのころには、北海道から来た仲間たちと東京の街を見て回ることもありました。

安村さんが後年覚えているのが、男5人ほどでジャージ姿のまま渋谷109へ出かけたことです。

高校では野球部中心の生活を送り、卒業と同時に上京したばかりだったため、渋谷の街やそこを歩く人たちの姿にも驚いたといいます。

まだテレビの仕事もなく、裸芸もなく、地方から出てきた若者がNSCへ通い始めたばかりの時期でした。

アームストロングを結成し、コンビ芸人としてスタート

NSCを経て、安村さんと栗山さんはアームストロングとして活動を始めます。

中学文化祭で初めて2人で人前に立ってから、高校の3年間を挟み、本当に同じコンビでプロのお笑いの世界へ入ったことになります。

現在はピン芸人として知られている安村さんですが、芸人人生の最初の十数年は栗山さんとのコンビ活動でした。

NSC入学年、コンビとしての活動開始、後年のピン転向はそれぞれ別の出来事であり、安村さんの芸歴を追ううえではこの順序が重要になります。

アームストロングの若手時代|営業、劇場、テレビを行き来した日々

アームストロングとして活動を始めても、すぐテレビだけで生活できるようになったわけではありません。

駆け出し時代には、現在の芸人活動からは想像しにくい営業の現場にも数多く立っています。

スーパーの「トッポマン」からゲームセンターの何十ステージまで

若手時代の仕事の一つに、スーパーでお菓子を販売するためのイベントがありました。

そこで安村さんたちは商品の名前に合わせた「トッポマン」というコントを披露し、買い物客の前で笑いを取っていました。

別の仕事では、東京・昭島のゲームセンターでネタを披露しています。

親子を乗せた小さな汽車がステージ前へ到着するたびに芸人がネタを見せる形式で、汽車が回ってくるたび再びステージに立ちました。

同じ客が何度も汽車に乗ることもあり、そのたび同じネタだけを見せるわけにもいかず、内容を変えながら続けていたそうです。

一日に何十回も短いステージへ立つような営業も、アームストロングの駆け出し時代にはありました。

劇場とテレビへ進み、2010年にNHK新人演芸大賞を受賞

営業を続けながら、アームストロングは吉本の劇場やお笑いライブへ出演するようになり、テレビのネタ番組にも活動の場を広げていきます。

2010年にはNHK新人演芸大賞の演芸部門大賞を受賞しました。

中学時代の文化祭から始まった2人が、プロのコンビとして賞を獲得するところまで進んだことになります。

一方で、賞を取ればそのまま仕事が安定するほど単純ではありませんでした。

劇場やテレビの仕事で生活できる時期がある一方、仕事量や収入には波があり、安村さん自身もコンビの先について考えるようになっていきます。

家庭を持った時期に仕事が減り、2014年に自ら解散を切り出す

安村さんは結婚し、子どもも生まれましたが、そのころアームストロングの仕事は以前ほど安定していませんでした。

本人は後年、月収が15万円ほどまで下がった時期があったことも明かしています。

コンビ活動について考え続けた末、安村さんの側から栗山さんへ解散を切り出しました。

2014年4月13日、アームストロングは解散し、十数年続いた幼なじみとのコンビ活動が終わりました。

解散後、栗山さんは芸人を離れ、安村さんは一人で活動を続けることになります。

ピン転向|芸人を辞めかけた安村に「全裸に見えるポーズ」が生まれる

コンビを解散したからといって、安村さんが最初からピン芸人として成功する自信を持っていたわけではありません。

むしろ、この時期には芸人そのものを辞めることまで現実的に考えていました。

就職も考えた解散直後、妻の一言でもう2年続けると決断

家庭があり、仕事も安定していない中でコンビまで解散したため、安村さんは就職することも考えました。

そんな様子を見ていた妻から、芸人をまだ続けたそうに見えると言われます。

「まだ芸人やりたそうな顔してるよ」

Real Soundブック

その言葉を受け、安村さんはすぐ就職するのではなく、もう一度ピン芸人として勝負することにしました。

結果が出なければ辞めるつもりで「あと2年」と区切って芸人を続けた時期に、現在まで続く代表ネタが生まれます。

渡辺麻友の写真集をヒントに「全裸に見えるポーズ」を考案

ピンになった安村さんは、一人で見せられる新しいネタを考えなければなりませんでした。

そこで発想のきっかけの一つになったと本人が語っているのが、元AKB48の渡辺麻友さんの写真集表紙です。

写真の構図によって裸のように見える姿を目にし、「ポーズ次第でパンツを隠せるのではないか」という発想へ進んでいきました。

こうしてパンツを穿いたまま全裸に見える角度を探し、さまざまなポーズを作っていきます。

アームストロング時代にはなかった「全裸に見えるポーズ」が、コンビ解散後に初めて生まれました。

現在の安村さんだけを見ると最初から裸芸一本で活動してきたようにも見えますが、その前には中学時代から続いた栗山さんとのコンビ生活が十数年ありました。

R-1決勝進出から「安心してください、穿いてますよ」の大ブレイクへ

ピン芸人として活動を始めた安村さんは、2015年にR-1ぐらんぷりの決勝へ進出します。

パンツが見えないポーズを次々と披露し、最後にパンツを見せながら「安心してください、穿いてますよ。」と伝える形が広く知られるようになりました。

解散から約1年で、コンビ時代とはまったく違うピン芸によって全国的に知られる存在になったことになります。

テレビ出演が急増し、安村さん自身の名前と決めぜりふが一気に浸透しました。

ただし、この最初のブレイクがそのまま途切れず続いたわけではありません。

「有吉の壁」で踏みとどまり、「東京ってすごい」で再び存在感

2015年に大きく売れたあと、安村さんのテレビ出演には再び波が訪れます。

一時期のような勢いが落ち着く中でも、長く出演を続けることになる番組の一つが『有吉の壁』でした。

ブレイク後に仕事が減る中でも『有吉の壁』への出演が続く

『有吉の壁』は、芸人たちがさまざまな場所や設定で即興的に笑いを作り、有吉弘行さんを笑わせる番組です。

安村さんは番組の初期から出演し、裸芸だけに頼らず、毎回違う設定やキャラクターにも挑戦していきました。

コンビ時代には営業や劇場で数多くの短いステージへ立ち、ピン転向後には一人でネタを作り直した経験があり、この番組では毎回新しい笑いを求められました。

一度の大ブレイクが落ち着いたあとも『有吉の壁』へ出続けたことで、安村さんには別の形で再び注目が集まっていきます。

2019年に作った「東京ってすごい」は最初の舞台ではウケなかった

2019年、安村さんは歌ネタの大会へ向けて「東京ってすごい」というネタを作りました。

歌の中で扱ったのは、北海道から東京へ出てきた自分自身の人生です。

相方に誘われて上京したこと、コンビが解散したこと、そして気づけば裸で芸人を続けていることまで、自分の来歴を笑いに変えました。

ところが、最初に大会で披露した段階では期待していたほど大きな反応を得られませんでした。

そこで終わらず、後に同じネタを『有吉の壁』で披露すると反応が変わります。

『有吉の壁』で、自分の半生そのものが新しいネタになる

「東京ってすごい」の面白さは、架空の設定ではなく、安村さん自身が歩いてきた経歴がそのまま材料になっているところにあります。

旭川で育ち、栗山さんに誘われて18歳で上京し、アームストロングを組み、解散して、ピン芸人になったという出来事が一本の歌へ入っています。

若手時代にはただ経験していた出来事が、約20年後には本人のネタそのものになりました。

裸芸が一度流行した芸人というだけではなく、安村さん自身の過去を使った笑いも番組の中で知られるようになっていきます。

BGTで「TONIKAKU」へ|日本の裸芸が英国の観客に届く

国内で長く芸人を続けてきた安村さんに、もう一度大きな転機が訪れたのが2023年です。

挑戦したのは、イギリスの人気オーディション番組『Britain’s Got Talent』でした。

2023年、Britain’s Got Talentで「PANTS!」が会場に広がる

安村さんが英国のステージへ持っていったのは、日本で2015年に広く知られた「全裸に見えるポーズ」です。

ネタの基本構造を大きく変えたわけではありませんでしたが、英語で「Don’t worry, I’m wearing」と伝え、観客側から「PANTS!」という声が返ってくる掛け合いが生まれました。

日本の決めぜりふ「安心してください、穿いてますよ」が、英国では観客も参加する「PANTS!」の笑いへ変わったのです。

旭川の中学文化祭で同級生を笑わせたころから20年以上が過ぎ、今度は言葉も文化も違う観客の前に一人で立っていました。

準決勝2位からワイルドカードで決勝進出

BGTでの安村さんは、最初のオーディションだけで終わりませんでした。

準決勝へ進むと視聴者投票で18.3%を獲得して2位となり、その後ワイルドカードで決勝進出が決まります。

アームストロング解散後に生まれた裸芸で、イギリスの大型オーディション番組の決勝まで進みました。

日本でのブレイクから約8年後、同じ基本ネタが海外で再び大きな注目を集めたことになります。

BGT公式でも「Tonikaku」の名前でパフォーマンスが紹介され、英国での知名度が一気に高まりました。

海外での安村さんは「TONIKAKU」に加えて「TONY」と呼ばれることも増え、日本で長く続けてきた芸風が新しい場所へ広がっていきます。

海外で注目された2023年、旭川では父と7年ぶりに再会

BGTで注目を集めた2023年には、芸人人生とは別のところでも長い時間を経た出来事がありました。

地元・旭川を訪れた際、小学生時代に仕事について回った父親と約7年ぶりに再会しています。

両親の離婚後、中学生になってからは父親と会う回数が少なくなり、大人になってからも頻繁に顔を合わせる関係ではありませんでした。

子どものころ、父の車で旭川の家々を回り、そばやゲソ丼を一緒に食べていた時期から数十年が過ぎたあとの再会でした。

幼少期の家族エピソードとは別の時期に起きた出来事だからこそ、海外で名前が知られるようになった2023年の出来事として位置づけることができます。

海外でも「穿いてますよ」を続ける現在

BGTへの出演後、安村さんの仕事は日本国内だけで完結しなくなりました。

海外のステージや番組へ呼ばれる機会が生まれ、十数年前に日本で作った一人芸を各国の観客へ見せる活動へ広がっています。

BGT後も海外ステージへ進み、活動の軸が日本から世界へ広がる

BGT以降は、海外のテレビやイベントでも「TONIKAKU」としてステージへ立つようになりました。

日本語の長い会話を必要とせず、ポーズを見れば何をしているのかが分かるネタだったことも、海外の観客へ届く大きな特徴になっています。

一方で、そのネタが生まれた背景をたどると、海外進出のために最初から作られた芸ではありません。

幼なじみとのコンビが解散し、芸人を辞めるか迷った時期に、一人で続けるために考えたネタでした。

日本で再起するために生まれた裸芸が、約10年後には海外で安村さんを紹介する代表的な芸になりました。

THE TOKYO IDIOTSでも海外の舞台へ

海外では一人だけでなく、市川こいくちさん、ウエスPさんと「THE TOKYO IDIOTS」として舞台へ立つ活動も始まっています。

2025年には韓国の釜山国際コメディフェスティバルへ出演し、「Ocean of Laughter Award」を受賞しました。

旭川で野球に打ち込んでいた少年が、中学の文化祭で幼なじみと人を笑わせ、高校卒業後にその友人と東京へ出たところから芸人人生は始まりました。

アームストロング解散後には芸人を辞めることまで考えましたが、そこで作った「全裸に見えるポーズ」が日本で仕事を変え、さらに英国の観客の前まで安村さんを運びました。

中学文化祭で人を笑わせた経験から20年以上が過ぎた現在も、安村さんは場所を日本から海外へ広げながら、人前に立って笑いを取る仕事を続けています。

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