うるとらブギーズ佐々木崇博の生い立ち|塚本直毅と過ごした中学時代、NSC・八木崇との結成まで

人物プロフィール

生年月日
1984年12月17日
身長
169cm
血液型
A型
出身地
静岡県 浜松市
コンビ・グループ名
うるとらブギーズ
相方・メンバー
八木崇
結成年
2009年
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
2005年
養成所・スクール
NSC東京校 10期

うるとらブギーズの佐々木崇博さんは、相方の八木崇さんとコントを続け、2019年のキングオブコント準優勝をはじめ複数回の決勝進出を経験してきました。

現在は舞台でコントを演じるだけでなく、ギターを手に歌ったり、一人でライブを開いたりしていますが、子どものころの佐々木さんは人前で声を出したり目立つことを、とても恥ずかしがる子どもでした。

中学生になると、のちにラブレターズを結成する塚本直毅さんと出会い、教室の隅でテレビやラジオのお笑いについて話すようになります。

高校卒業が近づくころには芸人を目指すと言い出し、大学進学を経て、大学を1年で中退してNSC東京へ進みました。

そこから現在の相方・八木さんとすぐに組んだわけではなく、別のコンビ、一人でライブへ出た時期、八木さんとはほとんど会話もしなかったNSC時代を経て、2009年のうるとらブギーズ結成へ進んでいきます。

佐々木崇博の生い立ちと家族|静岡県浜松市で育った幼少期

佐々木崇博さんは1984年12月17日生まれで、吉本興業の公式プロフィールでは静岡県浜松市出身とされています。

幼少期の家族構成について詳しい情報は多くありませんが、佐々木さん自身が2026年に振り返った子ども時代には、家の近くまで来る幼稚園バスを親や近所の幼なじみ、その家族が見守っていた場面が残っています。

幼稚園では人前で挨拶することさえ恥ずかしかった

幼稚園の通園バスへ乗るときには、先生と一緒に挨拶をし、両手を胸の前で蝶のように動かしてから乗車する決まりがありました。

周囲には自分の親、近所の幼なじみ、その親、すでにバスへ乗っている園児たちがおり、佐々木さんはその視線の中で動きをすることが苦手でした。

声も自然と小さくなり、手もすぐに下ろしてしまうため、先生から「もっと元気出して」とやり直しを求められることがほぼ毎日のようにあったといいます。

「恥ずかしくてたまらなかったんです。」

うるとらブギーズ佐々木 note

子ども会のレクリエーションで尻文字をする場面でも、人前でお尻を動かすのが嫌で、できるだけ答える側へ回るようにしていました。

遠足の帰りのバスでは順番に歌うためのマイクが回ってきたものの、何もできず本人の表現では「石」になったように固まり、後ろの子がマイクを引き取ってくれました。

小学校の合唱では「声が小さい」と一人で居残り練習

小学3年生の合唱コンクールでは、「声が小さい」「声が暗い」という理由で、全体練習のあとに一人だけ残り、担任の先生と練習する日がありました。

クラス全員がいると周囲の目が気になって声が小さくなる一方、先生とのマンツーマンでは少しずつ恥ずかしさが薄れ、声を出せたと振り返っています。

本番前日には担任からクラスの中で頑張りを紹介され、その場で一人だけ歌うことになりましたが、褒められても本人にとってはやはり非常に恥ずかしい時間でした。

2026年4月、芸人として22年目に入った佐々木さんは、幼いころの自分と現在を並べ、人前でコントをし、ギターを弾いて歌い、体操まで披露している今の姿を自分でも不思議に感じることがあると書いています。

中学時代|塚本直毅と教室の隅でお笑いを語る

佐々木さんの学生時代をたどるうえで欠かせない人物が、現在ラブレターズとして活動している塚本直毅さんです。

二人は同じ浜松市で育ち、中学2年生のころから親しくなりました。

中2で出会った塚本直毅とテレビ・ラジオの話ばかりしていた

佐々木さんは小学生のころに『ダウンタウンのごっつええ感じ』を見てお笑いを好きになり、中学では塚本さんとテレビ番組やナインティナインの『オールナイトニッポン』について話していました。

学校の中心で人を笑わせるような二人だったわけではなく、塚本さんも後年、当時の二人は目立つ側ではなかったと振り返っています。

「ふたりでお笑いの話ばっかりしてたんです。」

Bezzy|塚本直毅インタビュー

佐々木さん本人も、中学時代は塚本さんとだけお笑いの話をしていたと話しており、人前へ出ることは苦手でも、二人の間ではテレビやラジオの笑いを細かく共有する時間が続いていました。

塚本さんは当時、芸人になるのではなく放送作家になる道を考え、佐々木さんともそんな話をしていたといいます。

卒業文集へオリジナル詩「無言」を書いて“かまそう”とした

普段は目立つ立ち位置ではなかった佐々木さんにも、周囲から「すごい」と思われたい気持ちはありました。

中学3年生の卒業文集では、普通の思い出話ではなくオリジナルの詩「無言」を書き、自分なりの感性を見せようとしています。

文集が配られたあとには女子生徒から卒業アルバムにも詩を書いてほしいと頼まれ、その場でも即興で詩を書いたものの、渡した相手が固まってしまったというところまで本人が後年振り返っています。

卒業後は友人たちと焼肉やカラオケへ行き、その帰りには自転車で転倒するという一日まで記憶に残っており、当時の佐々木さんを知る小さな場面の一つになっています。

高校から大学へ|弓道部主将とコントへの憧れ

高校へ進んでも、お笑いを見る時間は続きました。

一方で学校生活では弓道部のキャプテンを務めており、この経歴は現在の吉本興業公式プロフィールにも特技とともに記載されています。

高校では弓道部キャプテン、『爆笑オンエアバトル』とバナナマンに夢中になる

中学から高校にかけて佐々木さんがよく見ていた番組の一つが、芸人たちがネタで競うNHKの『爆笑オンエアバトル』でした。

そこで特に惹かれたのがバナナマンで、佐々木さんは次第に「コントをやる」という方向へ気持ちを向けていきます。

当時すでにM-1グランプリも始まっており、漫才を格好いいと感じる一方、本人は等身大の自分のままで人を笑わせることには強い恥ずかしさがあったと話しています。

幼いころから人前へ出るのが得意ではなく、学生時代もおしゃべりなタイプではなかった佐々木さんにとって、別の人物や状況を演じられるコントは入りやすい表現だったようです。

「そのまま、コントをやろうと思ってNSCに入りました。」

FANY Magazine

芸人を目指すと言い出し、大学を1年で中退してNSC東京へ

高校卒業を控えたころ、佐々木さんは塚本さんに芸人をやりたいと話すようになります。

塚本さんは、それまで二人で放送作家の話をしていたうえ、学校で目立つタイプでもなかった佐々木さんが表舞台へ進もうとしたことに驚き、「できるわけがない」と止めたと後年のインタビューで明かしています。

佐々木さんはいったん大学へ進学しましたが、塚本さんの証言では1年で中退し、その後、吉本興業の養成所へ入りました。

高校時代まで教室の中心にいたわけではない佐々木さんが、人前へ立つ芸人の道を実際に選び、NSC東京10期へ進みます。

高校名や大学名については吉本興業の公式プロフィールでは明記されておらず、確実にたどれるのは、高校で弓道部のキャプテンを務め、大学を1年で中退したのちNSCへ進んだという経歴です。

NSC東京10期と最初の芸人活動|八木崇とはほとんど話さなかった

NSC東京10期には、のちにうるとらブギーズの相方になる八木崇さんも在籍していました。

しかし、同じ期にいたことと、最初から仲が良かったことはまったく別でした。

現コンビ以前のコンビ活動と、解散後に一人で出ていたライブ

佐々木さんはうるとらブギーズ以前、NSC同期のふーみんさんこと大野文弥さんと「L・ジャクソン」というコンビで活動していました。

元相方のふーみんさん自身も2018年、佐々木さんと一緒に写った写真を添え、「吉本時代の相方」としてL・ジャクソンの名前を投稿しています。

そのコンビが解散すると、佐々木さんには一人でライブへ出演していた時期がありました。

八木さんも別のコンビやトリオで活動しており、二人はそれぞれ別の相手との活動を経験してから、現在のコンビへ進むことになります。

NSC時代の八木さんとは、八木さんの当時の相方が佐々木さんと親しかったため、自宅へ1、2度遊びに来たことはあったものの、佐々木さんには会話をした記憶がほとんどありませんでした。

塚本直毅とは一度だけ「やらまいかやらまいか」でM-1へ

NSCへ進んだあとも、中学時代からの塚本さんとの関係は切れませんでした。

二人は15年以上前、一度だけ「やらまいかやらまいか」というコンビ名でM-1グランプリへ出場しています。

結果は1回戦敗退でしたが、「やらまいか」は地元・遠州の言葉で「やってやろうじゃないか」という意味を持ち、のちに二人が浜松でライブを行う際にもこの名前が再び使われました。

塚本さんは大学生活を送りながら、吉本で活動を始めた佐々木さんのライブへ4年間通っていたと振り返っています。

八木崇との出会い|2009年にうるとらブギーズ結成

それぞれが別の組み合わせで活動した末、二人の状況が変わったのが2009年前後でした。

佐々木さんのコンビが解散し、その後に八木さんのトリオも解散することになります。

最初に誘ったのは八木ではなく、八木の友人だった

佐々木さんは相方を探す際、最初から八木さんへ声をかけたわけではありませんでした。

まず声をかけたのは八木さんと仲の良かった別の人物で、自主ライブに試しに出てみたものの、うまくかみ合わなかったといいます。

そこで次に声をかけたのが八木さんでした。

NSC時代にはほとんど話さなかった相手が、別々のコンビやトリオの解散を経て、次の相方候補になりました。

八木と初めてネタを合わせて手応え、コンビ結成へ

試しに八木さんとネタをやってみると、佐々木さんには感触の良さがありました。

一方の八木さんは以前のコンビでネタ合わせがぎくしゃくした経験があり、次は仲の良い関係で続けられる相手がいいと考えていました。

佐々木さんが相手の意見を受け入れる姿を見て、八木さんは新しいコンビについて手応えを感じています。

「これは続くな」

FANY Magazine|八木崇インタビュー

こうして2009年6月、うるとらブギーズが結成されました。

ディズニーランドへ行き、「ジャルジャルのようなネタ」で意気投合

コンビを組んだばかりの二人には、ネタ以前に「これから仲良くなる」という段階がありました。

八木さんは佐々木さんを「タカフィー」と呼び、一緒に買い物へ行ったり、二人でディズニーランドへ出かけたりしています。

芸風について二人が意気投合したのは、当時すでにテレビで存在感を増していたジャルジャルのようなネタをやりたいという点でした。

佐々木さんは、ジャルジャルのバカバカしさの中にセンスを感じるところや、かっちり決めすぎずノリで進んでいくような雰囲気に惹かれていました。

ただ、結成したからすぐ仕事が増えたわけではなく、活動初期は月に数本のライブへ出るほどのペースだったと本人が振り返っています。

劇場とアルバイトの下積み|なかなか上がれなかった∞ホール

うるとらブギーズは、東京の若手芸人が出演するよしもと∞ホールなどでコントを続けました。

NSC東京10期には早くからテレビで活躍する芸人もいましたが、佐々木さんと八木さんは劇場のランキングを一段ずつ上がっていく時間を長く経験しています。

月数本のライブから始まり、∞ホールでは何度も卒業と復帰

∞ホールには階層式のランキング制度があり、佐々木さんによると、うるとらブギーズは良くても上から2番目ほどの位置でした。

劇場の制度が変わるたびに対象となる芸歴も変わり、二人は∞ホールを3回ほど「卒業」したと振り返っています。

芸歴10年以下の劇場になったときには11年目だったため卒業し、大宮のランキングライブ「ギャラクシーバトル」へ移りました。

そこでは最上位の「ゴッドギャラクシー」まで上がり、たまに∞ホールへ出演すると後輩からその呼び名でいじられることもありました。

ホテルの朝食配膳からUber Eatsへ、芸人とアルバイトの生活

舞台だけで生活できるようになる前、佐々木さんはアルバイトをしながら芸人活動を続けていました。

2019年のキングオブコント以前にはUber Eatsの配達をしており、その前にはホテルの朝食会場で料理を運ぶ仕事をしていました。

同期がテレビで活躍していく中でも、佐々木さんは「自分たちだけ辞めていられない」という気持ちもあり、コントを続けています。

八木さんがネタを書き、二人で細かな間や演じ方を詰めながら、劇場とアルバイトを行き来する時期が続きました。

2014年KOC準決勝から「コントしかない」と新ネタを作り続ける

二人にとって手応えの一つになったのが、2014年のキングオブコント準決勝進出でした。

八木さんはそのころから「自分たちはコントなのかもしれない」と感じ始め、佐々木さんも方向がはっきりしたと話しています。

「コントしかない」

月刊芸人

そこから二人は新しいコントを作り、ライブで試す時間を重ねるようになりました。

それでも2019年の初決勝までの2、3年は準決勝敗退が続き、八木さんが毎年のように「今年ダメだったら辞める」と言う時期もありました。

佐々木さん自身は辞めたいわけではなかったため、八木さんが敗退後に何事もなかったように翌年へ進むと、あえて話を蒸し返さず、そのままコンビを続けました。

2019年キングオブコント準優勝|結成10年目で生活が変わる

2009年の結成から10年が経った2019年、うるとらブギーズは初めてキングオブコントの決勝へ進みました。

そこで獲得したのが準優勝でした。

初の決勝進出で準優勝、周囲との関係にも変化

佐々木さんは2019年以前、自分の中に芸人としての劣等感のようなものを抱えていたと振り返っています。

初の決勝で準優勝すると、大きなコントライブから声がかかるようになり、芸人仲間との接し方も本人には以前と違って感じられました。

長く劇場のランキングを上がれずにいた二人にとって、2019年の準優勝は仕事の環境まで変える出来事になりました。

アルバイトを離れ、毎日仕事へ向かう生活になる

生活面でも変化があり、八木さんは2019年を境にアルバイトをしなくてもよくなったと話しています。

佐々木さんもUber Eatsなどの仕事を続けていた生活から、芸人の仕事へ向かう日々へ移っていきました。

賞レースで順位が付いただけではなく、長く続いていた「芸人とアルバイト」の生活そのものが変わった時期でした。

ルミネtheよしもと初単独ライブも完売

同じ2019年12月には、ルミネtheよしもとで初となる単独ライブ「ultra very special boogie」を開催し、チケットは完売しました。

佐々木さんはオリジナルソングの弾き語りも続けており、この時期には「TAKAHIRO」名義で音楽作品も発表しています。

幼稚園のバスで人前の動きすら恥ずかしがり、小学校では大勢の前で声を出せなかった人物が、コントだけでなくギターを持って歌う活動まで始めていました。

3年連続KOC決勝と∞ホール初優勝

2019年の一度だけでキングオブコントとの関係が終わったわけではありません。

うるとらブギーズは翌年以降も決勝へ戻ります。

2020年・2021年もKOC決勝へ

2020年はキングオブコント決勝10位となりましたが、二人は続く2021年にも決勝へ進み、3年連続ファイナリストとなりました。

2020年の決勝後、八木さんには再びアルバイトを始めなければならないのではないかという不安もありましたが、2019年に変わった仕事環境は大きく崩れずに続きました。

2021年大会では7位となり、2019年から3大会続けて決勝の舞台を経験しています。

芸歴17年目でムゲンダイレギュラーとなり、初の客票1位・優勝

2021年にはキングオブコントとは別に、長く出演してきた∞ホールでも大きな出来事がありました。

芸歴17年目で初めてムゲンダイレギュラーに入り、7月の「ムゲンダイチャンピオンシップ~2021 SUMMER~」では優勝しています。

かつて「MAE AGE」のインターネット投票で人気芸人が数百票を集める中、自分たちは4、5票ほどしか入らなかった時代もあったと二人は振り返っています。

その劇場で客票1位を獲得したことについて、佐々木さんは特に喜んでいました。

何度も劇場を卒業し、ランキングでも上位へ届かなかった二人が、長く立ってきた∞ホールで初めて優勝しました。

休養後の再始動|ピン単独と4年ぶりKOC決勝

3年連続でキングオブコント決勝へ進んだあとも、佐々木さんの活動は一直線に同じ形で続いたわけではありません。

コンビとして一度立ち止まる時期を経て、自分一人でネタを作るという新しい経験も始まります。

2023年、体調不良で一定期間休養

2023年8月5日、吉本興業のFANY Magazineを通じて、佐々木さんが体調不良のため一定期間休養することが発表されました。

発表では病名などには触れず、数日前から仕事を休んでおり、体調を万全に整えて復帰するための休養と説明されています。

コンビからも、再び二人で舞台へ立つための期間として休むことが伝えられ、その後、佐々木さんは活動へ戻りました。

2024年に初のピン単独ライブ、自分でネタを書く経験

2024年、佐々木さんは芸歴約20年にして初めて、自分一人の単独ライブを行うことを決めました。

きっかけは5月ごろ、マネージャーたちと仕事について話していた際に「ピンで単独をやってみたら」と提案されたことでした。

うるとらブギーズでは長年、八木さんがネタを書き、佐々木さんが演じる形で活動してきたため、佐々木さん自身には「自分が何を面白いと思い、何をやりたいのか」をはっきり表現してこなかった感覚がありました。

「自分自身の『軸』がないなと痛感しておりました。」

うるとらブギーズ佐々木 note

さらに2024年のキングオブコント準決勝で敗退したことで、その思いは強くなり、12月8日にヨシモト∞ドームで初ピン単独ライブ「Let’s search for myself」を開催しました。

ところが当日は、オープニングコントで使う衣装一式を自宅へ忘れたことが開演直前に判明し、スタッフが劇場内の衣装をかき集めて対応する出来事も起きています。

ライブを終えて自分で作ったネタを見返すと、うまくいかない人や不器用な人を題材にしたものが多いことにも気づいたと佐々木さんは書いています。

2025年に4年ぶりKOC決勝、ネタ作りを「量産」から「厳選」へ

2025年、うるとらブギーズは2021年以来4年ぶり4回目となるキングオブコント決勝進出を決めました。

この年は、それまでのようにネタを大量に作るやり方から、勝負できるネタを選び抜く形へ方針を変えています。

八木さんは余白を減らして掛け合いの密度を高め、佐々木さんはその横で、決勝進出を最優先に考えてネタを組み立てる相方の姿を見ていました。

決勝進出者発表では7組目まで名前を呼ばれず、二人は半ば諦めかけていましたが、8組目で「うるとらブギーズ」が発表されます。

「毛穴が全部開くような衝撃でした。」

TBSテレビ|キングオブコント

決勝へ戻るまでの4年間には、同期のGAGとのコントライブや、継続して舞台へ呼んだ劇場でネタを磨く時間がありました。

2025年の決勝結果は8位でしたが、2019年から数えると4度目のファイナリストとなりました。

決勝前に実家へ帰った際には、父親から優勝したら外車を買ってほしいと言われ、佐々木さんは長く仕送りをしてもらったことへの恩返しとして実現させたいと話しています。

幼少期の家族の詳しい情報を多く語ってきたわけではありませんが、40歳を迎えたころにも父親とのこうした会話があり、甥や姪もキングオブコントを応援していました。

中学時代の親友と憧れの先輩|昔の関係が続く現在

佐々木さんの現在までをたどると、中学時代やコンビ結成時代に登場した人物との関係が、その後も何度も表れます。

一人は塚本直毅さん、もう一組がジャルジャルです。

塚本直毅とは浜松凱旋ライブからピン単独のアフタートークまで

中学2年生のころ、教室の隅で一緒にお笑いの話をしていた塚本さんとは、大人になってからも関係が続いています。

2021年には、うるとらブギーズとラブレターズが地元浜松で「やらまいかやらまいか」というツーマンライブを開催しました。

タイトルは、学生時代の二人が一度だけM-1へ出場したときのコンビ名をそのまま使ったものでした。

その後、ラブレターズは2024年のキングオブコントで優勝し、同じ年の12月に佐々木さんが初めて開催したピン単独ライブでは、塚本さんがアフタートークの相手として登場しています。

佐々木さんは塚本さんについて、中学2年生で出会ってから長い時間を一緒に過ごしてきた親友として記しています。

二人でひそひそとお笑いを話していた中学生のころから、それぞれ別のコンビでキングオブコント決勝の舞台へ立つところまで関係が続きました。

結成時に憧れたジャルジャルと2026年にも二組ライブ

うるとらブギーズ結成時、二人が共通して「こんなネタをやりたい」と話していた相手がジャルジャルでした。

活動初期には本社で姿を見かけるだけでも華を感じ、やがて二人でジャルジャルの単独ライブを見学するようになり、2013年のABCお笑いグランプリ準決勝では初めて同じ舞台にも立っています。

キングオブコントで3年連続決勝へ進んだあとには、うるとらブギーズ側から声をかけ、ジャルジャルとの二組ライブが実現しました。

その企画は後年も続き、2026年9月16日にはYOSHIMOTO ROPPONGI THEATERで「うるとらブギーズがジャルジャルと」が組まれています。

2009年に「ジャルジャルのようなネタをやりたい」と話しながら始まったコンビは、17年後にも憧れた先輩と同じライブの名前に並んでいました。

人前で声を出すことさえ恥ずかしかった浜松での子ども時代から、中学で塚本さんとお笑いを語り、大学を離れてNSCへ進んだ佐々木さん。

別コンビの解散を経て八木さんへ声をかけたことからうるとらブギーズが始まり、劇場とアルバイトを行き来した時間の先に2019年のキングオブコント準優勝がありました。

現在も八木さんとコントを続けながら、佐々木さん自身のピンライブや音楽など、以前にはなかった形でも人前へ立っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA