ドンデコルテ小橋共作の生い立ち|沖縄の家族と大学、元相方との解散から渡辺銀次との結成まで

人物プロフィール

本名
小橋川 共作
生年月日
1989年6月17日
身長
166cm
血液型
A型
出身地
沖縄県 宜野湾市
コンビ・グループ名
ドンデコルテ
相方・メンバー
渡辺銀次
結成年
2019年
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
2014年
養成所・スクール
NSC東京校 19期

ドンデコルテの小橋共作さんは、2025年のM-1グランプリで初めて決勝へ進み、相方の渡辺銀次さんと準優勝を果たしました。

現在は独特のしゃべくり漫才で知られていますが、もともと一直線にお笑い芸人を目指していたわけではありません。

高校を卒業したころの小橋さんが強く思い描いていたのは、「芸人になること」ではなく、アメリカで暮らすことでした。

英語を学び、沖縄の米軍基地内にある大学へ進みながら、その夢を断念したところからお笑いという別の道が現れます。

さらに芸人になった後も、最初のコンビの解散、ピンでのR-1挑戦、引退を考えた時期を経て、5期先輩だった渡辺銀次さんへ自分から連絡したことで現在のドンデコルテへつながりました。

小橋共作の生い立ちと家族|沖縄・宜野湾で育った子ども時代

小橋さんは1989年6月17日生まれで、吉本興業の公式プロフィールでは沖縄県宜野湾市出身と紹介されています。

父、母、姉、兄とのエピソードが本人のインタビューや後年のテレビ番組に残っており、家族それぞれに印象的な話があります。

沖縄県宜野湾市で育ち、アメリカが身近にある環境へ

生まれ育った宜野湾市には米軍基地があり、小橋さん自身も後に基地周辺でアメリカ人と接しながら英語を使う生活を経験するようになります。

後年のラジオでは、円とドルの両方が使えるような地域で働き、アメリカ人スタッフや客とも普通に意思疎通できるほど、日常会話の英語を身につけていたと説明しています。

ただし、子どものころから将来の職業として芸人を決めていたわけではなく、まず強くなっていったのはアメリカそのものへの憧れでした。

父が会社員から商売へ転身した家庭で育つ

小橋さんの父親は、もともと沖縄の石油会社で重役を務めていましたが、定年後の生活を考えて早期退職し、その後は成人向け書籍を扱う店を経営しました。

2026年2月放送の『相席食堂』で小橋さんが故郷の宜野湾へ戻った際には両親も登場し、父親の店は一時期、沖縄県内で最大3店舗まで広がっていたことが紹介されています。

「家族(の将来)を守りたい」

ABCマガジン

会社員を続けるのではなく、自分で商売を始める方向へ動いた父親の姿を、小橋さんは小学生ほどの年齢だった時期から身近で見ていたことになります。

芸人の兄・魂ずコバシと過ごした子ども時代

小橋さんには姉と兄がいて、兄は後にプロダクション人力舎所属のお笑いコンビ「魂ず」のコバシさんとして芸人になりました。

兄弟が同じコンビを組んだわけではなく、弟の小橋さんは吉本興業、兄のコバシさんは人力舎と、それぞれ別の入口からお笑いの世界へ入っています。

姉との具体的な思い出としては、高校へ入学した際に約3万円のシルバーの腕時計を買ってもらったことを、小橋さんが2026年のインタビューで明かしています。

中学時代、好きな女子のために本気でダイエット

中学生のころには、好きだった女子に振り向いてもらおうとして、本気でダイエットしたこともありました。

小橋さんが後に自身のnoteで書いたところでは、かなり体重を落としたものの、その女子からの反応は本人が期待していたものとは違い、結局その恋は実りませんでした。

現在の舞台上とは直接関係のない小さな出来事ですが、自分で決めると実際に行動へ移す中学生だったことが分かる昔話の一つです。

学生時代|進学校で苦戦し、アメリカへの憧れを強める

中学を卒業した小橋さんは、本人が「沖縄でトップクラス」と表現する進学校へ入りました。

ところが入学後は、周囲の授業レベルについていくことに苦戦する高校生活が始まります。

高校では勉強に苦戦し、部活に入らずマクドナルドでアルバイト

2026年のマイナビニュースのインタビューで、小橋さんは進学校へ入ったものの勉強についていけなかったと話しています。

部活動には入らず、高校時代はマクドナルドでアルバイトをしていました。

高校入学時に姉からもらった腕時計は気に入って使っていましたが、高校2年生のときにバイク事故に遭い、その際に壊れてしまったそうです。

学校名については二次情報で複数の記載が見られるものの、本人のインタビューでは校名を明かしていないため、ここでは本人が確認している「沖縄でトップクラスの進学校」という範囲にとどめます。

高校卒業後は英語観光科の専門学校へ

高校卒業後に選んだのは、お笑いの養成所ではなく、英語観光科のある専門学校でした。

このころ小橋さんが強く持っていたのは、「将来アメリカに住みたい」という希望です。

就職して特定の職業に就くことへのこだわりはほとんどなく、後年には、アメリカに住めるなら現地でどんな仕事をする形でもよかったというほどだったと語っています。

留学資金がない中、先生から米軍基地内の大学を教えられる

問題は、海外へ留学するための費用でした。

専門学校の先生へ「留学するお金はないが、どうしてもアメリカへ行きたい」という趣旨の相談をしたところ、紹介されたのが沖縄の米軍基地内にあるメリーランド大学グローバル・カレッジ校でした。

アメリカへ行く資金がないという悩みから、沖縄にいながらアメリカの大学で学ぶ道が見つかったのです。

メリーランド大学から「芸人になる」という決断へ

専門学校から大学へ進んだことで、小橋さんが長く考えていたアメリカでの生活は少し現実へ近づきました。

ところが、実際に授業が始まると、日常会話とはまったく違う壁にぶつかります。

米軍基地内のメリーランド大学へ編入

小橋さんは面接を受け、米軍基地内にあるメリーランド大学グローバル・カレッジ校へ入りました。

基地周辺ではアメリカ人スタッフや客と接していたため、当時は英語での日常会話には困らない程度まで話せていたと、2026年のラジオで説明しています。

本人にとっても、英語そのものがまったく分からない状態で飛び込んだわけではありませんでした。

英語の授業についていけず、アメリカに住む夢を断念

しかし、大学の最初の授業で聞こえてきたのは、日常会話ではなく学問を説明するための英語でした。

普段の会話ならできても、専門的な内容を英語で説明されると、何を話しているのかほとんど理解できなかったといいます。

そこで小橋さんは大学へ通うことをやめ、長く抱いていたアメリカ移住の夢もいったん諦めました。

ただし、このとき正式に「中退」したわけではなかったことが、ずっと後の2026年になって判明します。

ブラックマヨネーズへの憧れと、現実になった「お笑いをやりたい」気持ち

アメリカという大きな目標が消えたところで、以前から頭の片隅にあった別の選択肢が前へ出てきました。

小橋さんは2005年のM-1グランプリで優勝したブラックマヨネーズを見て強く惹かれており、以前からお笑いをやってみたいという気持ち自体は持っていました。

大学でアメリカへの夢を諦めたことで、それまでぼんやりしていた「お笑いをやりたい」が現実の進路へ変わりました。

芸人になるきっかけは、子どものころから一つの夢を追い続けた結果ではなく、最初に目指したアメリカへの道が止まったところにありました。

母は泣き、父は背中を押した芸人への進路

芸人になることを家族へ伝えた際、母親は泣いたものの、進路そのものに反対したわけではありませんでした。

父親も小橋さんの選択を止めず、自分のやりたいことへ挑戦するよう促す反応だったといいます。

「お父さんは『やってみろ』という感じ」

マイナビニュース

こうして小橋さんは沖縄で英語を学んでいた生活から離れ、お笑い芸人になるための次の場所へ向かいました。

NSC東京19期とデビルポメラニアン時代

お笑いの世界へ入るために選んだのは、吉本興業の養成所であるNSC東京校でした。

ここからはアメリカを目指していた学生時代とは違い、舞台でネタをする生活が始まります。

2013年にNSC東京校へ入り、初舞台を経験

小橋さんは2013年にNSC東京校19期へ入りました。

初めて舞台へ立ったのもNSC時代で、本人は当時のネタそのものは覚えていないものの、芸人を目指す人たちが出演し、知人も多く見に来る温かな雰囲気だったと振り返っています。

客席からもそれなりに笑いがあったというのが、小橋さんに残っている最初の舞台の記憶です。

同期・末次翔一とデビルポメラニアンを結成

NSCを経て、同期の末次翔一さんと組んだのが、最初のコンビ「デビルポメラニアン」でした。

M-1グランプリ公式のコンビ情報では2014年4月1日結成と記録され、当時の小橋さんは現在の「小橋共作」ではなく「小橋川共作」の名前で登録されています。

2015年にはイベント「夏のよしもとお笑い100選」の若手ネタバトルで優勝し、2人で活動している姿も公式イベントアカウントに残っています。

スーツ姿で「正しいことを言う人」だった当時の芸風

デビルポメラニアン時代の小橋さんは、スーツにネクタイという姿で舞台へ立っていました。

相方のキャラクターが強かったため、小橋さん自身はその横で「正しいことを言う人」という立ち位置だったと、後に自身のnoteで説明しています。

現在のドンデコルテの漫才だけを見ると最初から今の形だったようにも見えますが、このころは衣装も役回りも違いました。

2018年にコンビ解散、次の相方探しへ

デビルポメラニアンとしての活動は約4年で終わり、2018年にコンビを解散しました。

小橋さんは当初、これまで芸人を続けてきたのだから、解散すれば誰かから新しいコンビの誘いが来るだろうと考えていたそうです。

ところが、待っていても声は掛かりませんでした。

前コンビ解散後|R-1敗退から芸人を辞めようとするまで

コンビを失った小橋さんは、すぐに現在の相方と組んだわけではありません。

何人かと試しにネタをしながら、新しい形を探す時間が続きました。

何人かとお試しで組むもうまくいかず、初めてピンへ

誰からも誘いが来なかったため、自分から何人かへ声を掛けてお試しでコンビを組みましたが、正式なコンビにはつながりませんでした。

そこで小橋さんは、それまでほとんど経験していなかったピン芸人としてR-1へ挑戦します。

一人コントは演技が苦手、ギャグや大喜利、フリップ芸も違うと候補を一つずつ消していき、最後に残った漫談で大会へ出ることにしました。

R-1で最後のあいさつを5回噛み、2回戦敗退

R-1では1回戦を通過したものの、2回戦で敗退しました。

本人の記憶に強く残っているのはネタの内容よりも、最後に言おうとした「どうもありがとうございました」を何度も噛んでしまったことでした。

自身のnoteでは、結局5回噛んだと書いています。

ジムとハムスターの日々の先で「もう辞めよう」と考える

R-1で敗退した翌日、小橋さんはスポーツジムへ入り、さらにハムスターを飼い始めました。

それからしばらくして頭に浮かんだのが、芸人を辞めるという選択でした。

「もう辞めよう」と考えながら、それでも本当は辞めたくなかったため、最後にもう一度だけ相方を探すことにしました。

その「最後に組んでみたい相手」として最初に浮かんだのが、5期先輩の渡辺銀次さんでした。

渡辺銀次との出会いからドンデコルテ結成へ

渡辺さんはNSC東京14期で、小橋さんより5期先輩にあたります。

2人はこのとき初めて顔を合わせたわけではなく、それぞれ別の活動をしていたころからライブで接点がありました。

「一番面白いと思っていた」5期先輩の渡辺へ小橋から連絡

小橋さんによると、以前にはゆにばーす・川瀬名人さんが主催したライブで限定ユニットを組み、渡辺さんから誘われて一緒に漫才をしたこともありました。

ただし、その一度のライブがそのままコンビ結成のきっかけになったわけではありません。

前コンビ解散後に相方探しがうまくいかなくなった小橋さんが、自分の知る芸人の中で最も面白いと思っていた渡辺さんを改めて思い出し、今度は自分から連絡しました。

「渡辺さんとコンビ組みたいです。今年のM-1、出ませんか?」

ドンデコルテ 小橋 公式note

渡辺さんから返ってきた答えは、参加を受け入れるものでした。

2018年にお試しコンビ「news38」として活動開始

2人は最初から正式なコンビにはせず、2018年に「news38(ニュースサンパチ)」というお試しコンビで活動を始めました。

M-1グランプリ公式には、news38の結成年が2018年7月8日と記録されています。

渡辺さんは普段ツッコミをしていた時期が長かったものの、小橋さんは以前のライブで渡辺さんがボケをしている姿を見て、そのスタイルを気に入っていました。

そこで新しいコンビでは、渡辺さんにそのボケをやってほしいと頼みます。

2019年に「ドンデコルテ」へ改名し、M-1準々決勝を正式結成の条件に

2019年にはコンビ名を現在の「ドンデコルテ」へ変更しましたが、まだ2人の関係は完全な正式コンビではありませんでした。

小橋さんが「どこまで行けば正式に組んでくれるのか」と渡辺さんに確認した際に示されたラインが、M-1の準々決勝でした。

2人とも以前のコンビではM-1の2回戦より先へ進んだ経験がありませんでした。

過去最高が2回戦だった2人にとって、「準々決勝へ行けたら正式に組む」という条件は簡単なものではありませんでした。

M-1初戦敗退から再エントリー、初の3回戦突破へ

2019年8月2日、ドンデコルテとして挑んだM-1の1回戦では、小橋さん自身は手応えを感じていました。

その日は飼っていたハムスターにいつもより多くチーズをあげたほどでしたが、結果はまさかの敗退でした。

翌日、小橋さんは渡辺さんへ再エントリーを相談し、9月20日にもう一度1回戦へ出場して今度は通過します。

10月21日の2回戦はトム・ブラウンの後、和牛の前という出番で、満員の客席から大きな笑いが起こり、2人は初めて次の3回戦へ進みました。

11月11日の3回戦を終えた小橋さんは、ここで落ちたら芸人を辞めようとまで考えていましたが、翌日に通過を知ります。

準々決勝翌日のカフェで話し合い、正式なコンビになる

2019年11月19日、ついに条件だったM-1準々決勝の日を迎えました。

大きな楽屋で渡辺さんを探した小橋さんが見つけたのは、緊張した表情で座り込む姿ではなく、けん玉をしている相方でした。

準々決勝から先へ進むことはできませんでしたが、2人が事前に決めていた条件はすでに達成しています。

翌日、カフェで小橋さんが正式なコンビ登録の話を切り出し、渡辺さんも了承しました。

M-1公式に記録されているドンデコルテの正式な結成日は、2019年11月20日です。

前コンビの解散からピンでの失敗、引退を考えた時期を通り、M-1準々決勝を突破条件にした約束によってドンデコルテが正式なコンビになりました。

神保町よしもと漫才劇場でネタを増やした若手時代

正式にコンビとなった時点で、小橋さんはNSCへ入ってからすでに数年がたち、渡辺さんはさらに5期上の先輩でした。

それでもドンデコルテというコンビとして見れば、2人は結成したばかりで、持っているネタの数も多くありませんでした。

結成直後はネタが少なく、毎月新ネタを舞台へ

主な活動場所の一つとなったのが神保町よしもと漫才劇場です。

2021年のFANY Magazineのインタビューで渡辺さんは、コンビを組んでから日が浅く、ほかの芸人よりネタ数が少なかったため、ランキングライブの予選で毎月新ネタを下ろし続けていたと話しています。

小橋さんも、すべてがうまくいったわけではなく、ネタが飛んで2人で慌てた舞台もあったと明かしています。

結成直後のドンデコルテは、少ない持ちネタを守るのではなく、劇場で毎月新しいネタを増やしていました。

M-1を目指す「Mライブ」で芸人と客から意見を受ける

2020年1月からは、タモンズ、田畑藤本、ゆにばーす、ドンデコルテの4組で「Mライブ」を始めています。

各組が2本ずつネタを披露し、後日4組全員でそれぞれのネタについて意見を出し合う形式でした。

さらに、出演した芸人だけではなく、客もネタへの意見を伝えられる仕組みになっていました。

小橋さんは自身のnoteで、客から正直な意見を直接聞ける機会はめったにないとして、このライブについて書いています。

2021年「頂~鳥~」1位で最上位クラス「花」へ

劇場で新ネタを重ねる中、2021年2月27日のランキングバトル『頂~鳥~』でドンデコルテは1位になりました。

これにより、当時「花・鳥・風・月」に分けられていた神保町よしもと漫才劇場のランキングで、最上位にあたる「花」クラスへ入ります。

1位を取った直後にも、小橋さんは次のM-1を意識したライブを告知しており、劇場内の順位を上げたところで賞レースへの挑戦が止まったわけではありませんでした。

先輩・後輩だった2人が、コンビとして漫才を作っていく

コンビ結成前は明確な先輩と後輩だった2人ですが、一緒に活動する時間が増れるにつれて関係も変化しました。

2021年のインタビューで小橋さんは、以前ほど先輩後輩という距離ではなくなり、地元の先輩のような感覚でいられるようになったと話しています。

「僕はコンビを組んで、本当によかったです」

FANY Magazine

この時期には、現在のドンデコルテを印象づける話し方にも変化が起きています。

後に『あちこちオードリー』で明かしたところでは、現在の演説のような漫才につながるネタ自体は数年前からありましたが、当初はもっと力強く話していました。

ある朝の寄席で小橋さん自身も客席も眠そうだったため、いつものように力を入れずに話してみたところ大きくウケ、それが現在につながる語り口になったといいます。

同じ2021年には、神保町よしもと漫才劇場のライブへ人力舎の魂ずが出演し、小橋さんと実兄・コバシさんの神保町での初兄弟共演も実現しました。

M-1で状況が変わる|2024年初準決勝から2025年準優勝へ

ドンデコルテは正式結成直後の2019年からM-1準々決勝へ進み、2020年、2021年も準々決勝まで進出しました。

しかし、そのまま一直線に決勝へ近づいたわけではなく、その後は再び準々決勝へ届かない年も続きます。

2022・2023年の敗退を経て、2024年に初の準決勝

2024年には、賞レースとは別の出来事も起きていました。

6月30日、ライブを終えた小橋さんはUber Eatsの配達をしている途中で交通事故に遭い、入院することになります。

事故後には本人がnoteで状況を記録し、数日後には退院したことも報告しました。

その年のM-1では、ドンデコルテが初めて準決勝へ進出しました。

正式結成から5年目の2024年、準々決勝の先にある舞台へ初めて進んだことで、翌年につながる動きが始まります。

M-1ツアーで各地の舞台へ

2024年に準決勝まで進んだことで、翌年にはM-1ツアーへ参加し、各地の舞台を回る機会が生まれました。

2025年の決勝直前インタビューでは、小橋さんが前年の準決勝進出によって北海道などさまざまな場所へ行けるようになったことを話しています。

コンビ結成時から目標にしてきたM-1が、結果を競う年1回の大会だけではなく、実際の仕事として各地へ出るきっかけにもなっていました。

2025年に初決勝、845点3位から最終決戦へ

2025年、ドンデコルテは2年連続で準決勝へ進み、今度は初めて決勝進出を決めました。

12月21日の決勝ファーストラウンドでは845点を獲得し、エバース、たくろうに続く3位で最終決戦へ進出します。

最終決戦では、たくろう、ドンデコルテ、エバースの3組が争い、審査員9人の投票はたくろう8票、ドンデコルテ1票、エバース0票となりました。

初めて進んだM-1決勝で、ドンデコルテは準優勝となりました。

2018年のお試しコンビから7年、2019年に正式コンビとなる条件にした「準々決勝」のさらに先で、2人は最終決戦まで進みました。

M-1準優勝後、仕事量が大きく変化

M-1準優勝後は、ドンデコルテを取り巻く仕事の状況も変わりました。

2026年にはテレビ番組への出演や企業イベント、CMなど舞台外の仕事も増え、ORICON NEWSもM-1準優勝をきっかけに一躍注目を集めたコンビとして紹介しています。

ただ、小橋さん自身はテレビでの仕事だけへ活動を切り替える考えではなく、2026年のインタビューでも今後の軸として漫才を続けたいと話しています。

強いツッコミを目指した昔から「人間」を見せる現在の漫才へ

ドンデコルテの漫才では、渡辺さんが独特の持論を長く話し、小橋さんが隣で受ける形が印象的ですが、結成当初から完成したスタイルがそのまま存在したわけではありません。

2025年のFANY Magazineのインタビューで小橋さんは、ネタの中に出てくる感情には実際に本人たちが感じていることが土台にあり、それを少し大きくして漫才にしているという趣旨の説明をしています。

前コンビではスーツ姿で「正しいことを言う人」だった小橋さんが、渡辺さんのボケを気に入り、劇場で新ネタを重ね、話す力加減まで変えながら現在の形になりました。

M-1後の現在|沖縄・大学・家族がもう一度つながる

M-1準優勝後の2026年には、小橋さんの若いころに出てきた「大学」「宜野湾」「兄」という要素が、それぞれ別の形で再び表に現れました。

なかでも大学については、それまで広く「中退」と捉えられていた経歴そのものを見直す出来事が起きています。

2026年、15年ほど通っていなかった大学が「正式に在学中」と判明

2026年2月、小橋さんはニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』で、かつて通っていたメリーランド大学から近年になって「学校へ来ないのか」という趣旨のメールが届くようになったと話しました。

本人は大学を離れた当時、一定期間単位を取らなければ自動的に在籍ではなくなると理解しており、約15年も通っていなかったため、とっくに学生ではないと思っていました。

ところがラジオ出演後、小橋さん自身が大学へ連絡します。

大学側から返ってきた答えは、正式に「在学中」だというものでした。

大学へ通うのをやめてから約15年後、M-1準優勝後の2026年になって「中退」ではなく在学中だったことが本人の問い合わせで確認されました。

そのため、小橋さんの学歴については「大学中退」と断定するより、メリーランド大学へ編入し、長期間通っていなかったものの、2026年2月の確認時点では正式に在学中だったとするのが現在確認できる経緯に沿っています。

故郷・宜野湾でベイスターズのイベントに出演

現在の小橋さんは横浜DeNAベイスターズのファンとしても知られています。

2026年2月には、春季キャンプ地でもある故郷・宜野湾市で行われた球団イベント「横浜DeNAベイスターズ Haisai Carnival 2026」へドンデコルテとして出演しました。

球団公式サイトには、小橋さんが「宜野湾出身でベイスターズ大好きで良かった」と喜ぶコメントも掲載されています。

さらに4月には横浜スタジアムでセレモニアルピッチを務める予定も組まれましたが、当日の試合は天候の影響を受けました。

沖縄・宜野湾で育った経歴が、M-1準優勝後には地元でのベイスターズ公式イベントという仕事にもつながりました。

兄・魂ずコバシと2026年に再び兄弟共演

兄のコバシさんとは2021年に神保町のライブで共演していましたが、M-1準優勝後の2026年にはテレビでも兄弟が顔を合わせました。

チバテレ『白黒アンジャッシュ』では、ドンデコルテとともに魂ずもゲスト出演し、先に大きな注目を浴びることになった弟について兄がどう見ているのかという話題も扱われています。

子どものころ同じ家庭で育った兄弟は、それぞれ人力舎と吉本興業へ入り、別々のコンビで芸人を続けた後、舞台やテレビで共演する関係になりました。

ダブルインパクト2026でも準優勝、漫才とコントの両方へ

2026年7月20日には、漫才とコントの両方で競う『ダブルインパクト2026』へドンデコルテとして出場しました。

大会には2,896組がエントリーし、優勝したのは滝音でしたが、ドンデコルテはここでも準優勝となりました。

若手時代には神保町のランキングライブで新しい漫才を毎月下ろし、小橋さん自身もかつて「演技が苦手」と話しながらコントへ挑戦していました。

M-1準優勝の翌年には、漫才だけでなくコントも必要になる大会の最終盤まで進むコンビになっています。

沖縄でアメリカに住むことを思い描き、英語を学んで米軍基地内の大学へ進んだ小橋共作さんは、その道を離れたところからお笑いを仕事にしました。

最初のコンビが解散し、芸人を辞めようとした時期に渡辺銀次さんへ自分から連絡したことが、2019年のドンデコルテ正式結成へつながりました。

劇場で新ネタを作り続けた時間を経て、2025年のM-1準優勝、そして2026年の活動へと時間はそのまま続いています。

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