うるとらブギーズ八木崇の生い立ち|高校時代のコント好きからNSC、佐々木との結成まで

人物プロフィール

生年月日
1982年3月10日
身長
172cm
血液型
A型
出身地
熊本県 熊本市
コンビ・グループ名
うるとらブギーズ
相方・メンバー
佐々木崇博
結成年
2009年
所属事務所
吉本興業
養成所・スクール
NSC東京校 10期

うるとらブギーズの八木崇さんは、相方の佐々木崇博さんとコントを続け、2019年のキングオブコントで準優勝、2020年・2021年にも決勝へ進み、2025年には4年ぶりに決勝へ戻ってきました。

長くコントを作り続けてきた八木さんですが、お笑いへの入口をたどると、高校時代にテレビのコントを彼女とまねしていたころまでさかのぼります。

その一方、高校1年生からは実家近くのうどん店でアルバイトを始め、DJをしていた店長との出会いをきっかけにレコードへ夢中になっていました。

東京NSCへ入った当時は、テレビで見ていたスタジオコントこそがお笑いだと思い、そこで初めて漫才を強く意識したほどでした。

現在の相方である佐々木崇博さんとは東京NSC10期の同期でしたが、養成所時代にはほとんど会話をしておらず、それぞれ別のコンビやトリオで活動した末に一緒に組むことになります。

八木崇の生い立ちと家族|熊本市で育った子ども時代

八木崇さんは1982年3月10日生まれ、熊本県熊本市出身で、吉本興業の公式プロフィールにも熊本市出身と記載されています。

後年、地元について尋ねられた際には、海苔の養殖が盛んな熊本の地域で育ったと答えており、東京で長く活動する現在も「地元」として熊本の話をしています。

熊本市で育ち、小学生時代には剣道を経験

吉本興業の公式プロフィールには小学生時代に剣道をしていたことが特技欄に記されており、芸人になる前にはスポーツにも触れていました。

2021年にヨシモト∞ホールの企画で子どものころのあだ名を尋ねられると、足が速かったことから「やぎたかGTR」と呼ばれていたと答えています。

小学6年生のころには、同じクラスの女の子が持っていたペンダントの中に自分の写真が入っているのを見つけ、それをきっかけに相手を意識したものの、1週間後には写真が別の人物に変わっていたという思い出も明かしています。

「芸人さんがみんな輝いて見えたからです。」

月刊芸人

家族との関係と、芸人という進路が現れるまで

父親や兄弟姉妹を含めた家族構成の詳細は多く語られていませんが、八木さんにはダンスをしていた姉がいたことを本人が明かしています。

中学生のころにはglobeやGLAYなど当時流行していたJ-POPのシングルCDを買っており、姉がダンスをしていたことも、のちにヒップホップへ興味を持つ下地の一つだったと本人は振り返っています。

このころからすでに音楽には親しんでいましたが、芸人への道が具体的に見え始めるのは、高校へ進んでテレビのコントをまねし、さらにアルバイト先でDJ文化に出会ってからでした。

高校時代は『笑う犬』をまね、DJにも夢中になった

八木さんの高校時代には、現在まで続く「コント」と「音楽」の二つが、ほぼ同じ時期に生活の中へ入ってきています。

テレビで見ていた笑いを実際にまねする一方、学校の外ではアルバイト代をレコードへつぎ込み、文化祭ではDJも経験していました。

『ごっつええ感じ』『やるならやらねば!』『笑う犬』に夢中

子どもから学生時代に好きだった番組として、八木さんは『ダウンタウンのごっつええ感じ』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』、そして『笑う犬』シリーズを挙げています。

2021年の質問企画では憧れ、尊敬する芸人として志村けんさんの名前も挙げており、若いころに惹かれていたのは、テレビの中で役になりきって見せるタイプの笑いでした。

彼女と「テリーとドリー」をまねしていた高校時代

高校時代には『笑う犬』の人気キャラクター「テリーとドリー」を当時付き合っていた彼女とまねしていましたが、人前で披露するためではなく、2人だけでやっていたそうです。

文化祭でコントを披露した、学生お笑い大会へ出場したという経歴ではなく、好きなテレビコントを日常の中で自分でもやってみるところから、八木さんとコントの関係は始まっていました。

「テレビで見てたスタジオコント=お笑いだと思ってNSCに入った」

FANY Magazine

高校から始めたDJが20年以上続く趣味へ

高校1年生になると、熊本の実家近くにあったうどん店でアルバイトを始めました。

店には鯉が泳ぐ小さな庭があり、普段は琴の音楽が流れていたそうですが、閉店後になるとDJでもあった店長がターンテーブルを出し、ヒップホップをかけながら片付けをしていました。

通販で購入したレコードが店へ届くのを見て興味を持ち、店長からヒップホップ文化を教わったことで、それまで聴いていた音楽も、音楽の楽しみ方そのものも変わっていきます。

「そのうどん屋のアルバイト代を全部つぎ込んでレコードとプレーヤーを買いました(笑)。」

週プレNEWS

購入したTechnicsのDJ用プレーヤーは12〜13万円ほどで、2023年の取材時点でも壊れずに使い続けていました。

さらに実家近くに捨てられていた大きなスピーカーを4台拾い、修理して自分の部屋に置くなど、高校生のころから機材までそろえていました。

店長にクラブへ連れて行ってもらい実際にDJを経験し、高校の文化祭でもレコードを回しましたが、そのときは観客がコピーバンドのほうへ流れてしまい、ほとんど人が来なかったそうです。

それでもDJは続き、2023年時点では実家と自宅を合わせて約2,000枚のレコードを所有するまでになっています。

コントをやりたくて東京NSC10期へ|芸人になる最初の一歩

高校を卒業した後、八木さんは20歳ごろに熊本から東京へ出て、東京NSC10期としてお笑いの世界へ入りました。

上京後も渋谷・宇田川町などのレコード店へ通っていましたが、生活の中心には少しずつ芸人としての活動が入ってきます。

「スタジオコントがお笑い」だと思ってNSCへ

八木さんがNSCへ入った時点で頭にあったのは、テレビで見てきたセットの中で役を演じるスタジオコントでした。

M-1グランプリが始まっていた時期でしたが、本人によればNSCで初めて漫才というものを知ったくらいで、最初から漫才師になるつもりで養成所へ入ったわけではありません。

高校時代にテレビコントをまねしていた延長線上に、NSCへの入学がありました。

オリエンタルラジオらがいる東京NSC10期で活動開始

東京NSC10期には、オリエンタルラジオやトレンディエンジェルのほか、フルーツポンチ、はんにゃなど、のちに早い時期からテレビで知られる芸人たちがいました。

同期が次々と表舞台へ出ていくなか、八木さんはすぐに現在のうるとらブギーズへたどり着いたわけではありません。

後年、同期が早く売れたことについて佐々木さんは、悔しさはありながらも「自分たちもいつか何とかなるのではないか」という感覚があり、それが続ける理由の一つにもなったと話しています。

最初のコンビを経てトリオ「モンローズ」へ

八木さんはNSC卒業後、現在とは別の相方とコンビを組んだ経験があり、その後は「モンローズ」というトリオで活動しました。

最初のコンビについては、八木さん自身が後年、相方との関係がかなり悪く、ネタ合わせもぎくしゃくしていたと明かしています。

この経験は、次に誰かと組むなら「仲のいいコンビがいい」と考えるきっかけになり、その後の佐々木さんとの関係にも影響することになります。

モンローズ解散後、佐々木崇博とうるとらブギーズを結成

八木さんがモンローズで活動していたころ、佐々木さんは「L・ジャクソン」という別のコンビで芸人を続けていました。

現在は長く一緒にコントをしている2人ですが、NSCからすぐに意気投合して結成したコンビではありません。

NSC同期なのにほとんど話していなかった2人

NSC時代、八木さんの当時の相方と佐々木さんが親しかったため、そのつながりで八木さんが佐々木さん宅へ1〜2回遊びに行ったことはありました。

しかし2人自身はほとんど話しておらず、佐々木さんの記憶に残っていた八木さんは、家に来ても黙って下を向いているような人物でした。

2021年の質問企画で八木さんに佐々木さんの第一印象を尋ねた際の答えも「部屋広そうです」で、現在の関係からは想像しにくい距離感から始まっています。

ラブレターズ塚本の後押しを経て佐々木から八木へ

先にL・ジャクソンが解散し、続いてモンローズも解散すると、佐々木さんは新しい相方を探し始めました。

佐々木さんはモンローズの八木さん以外のメンバー2人と親しく、まずその2人とそれぞれ組もうとしましたが、どちらもうまく続きませんでした。

そこで相談したのが、中学時代からの友人で、モンローズとL・ジャクソンの両方をよく見ていたラブレターズの塚本直毅さんでした。

「絶対に八木さん!! 絶対に八木さんだよ」

FANY Magazine

塚本さんの強い後押しを受け、佐々木さんはそれまでほとんど話していなかった八木さんへ声をかけました。

初めて合わせたネタで手応え、仲良くなるためディズニーランドへ

2人で試しにネタを合わせてみると、佐々木さんはそのときの感触がよかったと振り返っています。

以前のコンビで人間関係に苦労していた八木さんにとって、佐々木さんは自分の意見を強く押しつけず、受け入れてくれる相手でもありました。

組み始めたころには佐々木さんを「タカフィー」と呼び、仲良くなるため2人だけでディズニーランドへ出かけたり、買い物へ行ったりしています。

同期として長く知っていたから組んだのではなく、組むことを決めてから、あらためて相方としての関係を作っていった2人でした。

そして2009年6月、うるとらブギーズを結成します。

「ジャルジャルのようなネタ」を目指してコントを開始

結成時には、2人ともジャルジャルのようなネタをやりたいという点で方向性が一致していました。

八木さんはNSC時代から同じことを繰り返すような「しつこい系」の笑いが好きで、当時Fandango!で見たジャルジャルのネタに強く惹かれていたといいます。

2013年にはABCお笑いグランプリの準決勝へ進み、憧れていたジャルジャルと同じ大会の舞台に立つ機会も訪れました。

月数本のライブから始まった若手時代|劇場バトルで票が入らない日々

うるとらブギーズを結成しても、すぐに仕事が増えたわけではなく、当初は月に数本ほどライブへ出演するところからのスタートでした。

テレビより先に、ライブと劇場でコントを作っては試す時間が長く続きます。

結成当初は月に数本のライブからスタート

八木さんは芸人だけでは生活できない時期にアルバイトも続けており、その一つが掃除の仕事でした。

2021年に静岡県浜松市でライブを行った際には、約10年前に掃除のアルバイトで一度だけ遠鉄百貨店を訪れたことがあると、自身のコメントで明かしています。

高校時代のうどん店、芸人時代の掃除と、八木さんのアルバイト歴には具体的な仕事場の記憶が残っています。

人気芸人が数百票の中、4〜5票だったMAE AGE時代

ヨシモト∞ホールの旧ランキングシステムでは、うるとらブギーズはなかなか上位へ上がれませんでした。

「AGE AGE LIVE」時代の「MAE AGE」ではインターネット投票があり、人気芸人には平日の昼公演でも300〜400票ほど集まる一方、うるとらブギーズの票数は一桁だったことがあります。

「僕らは4〜5票くらいでした。」

月刊芸人

八木さんは友人へ投票する時間帯を伝え、「投票してくれ」と頼み込んでいたものの、それでも勝てなかったと話しています。

後にキングオブコント決勝へ何度も進むコンビが、劇場では友人へ投票を頼んでも4〜5票という時期を過ごしていました。

劇場制度の変更で何度も卒業しながらコントを続ける

∞ホールでは制度変更のたびに立場も変わり、本人たちによれば3回ほど「卒業」を経験しています。

一度目は∞ホールが芸歴10年目以下を中心とする劇場になった時期で、当時11年目だった2人は大宮の劇場バトルへ移りました。

大宮の「ギャラクシーバトル」では最上位の「ゴッドギャラクシー」まで上がりましたが、その後∞ホールへ戻り、再び卒業するなど、同じ劇場で一直線に上位へ上がったコンビではありません。

2014年KOC準決勝で見えた手応え|「辞める」と言いながら新ネタを作り続けた

劇場では思うように票が集まらない一方、八木さんと佐々木さんはコントそのものを作り続けていました。

その中で一つの区切りになったのが、2014年のキングオブコント準決勝進出です。

2014年の準決勝で「自分たちはコントなのかもしれない」

八木さんは2014年にキングオブコント準決勝まで進んだことで、自分たちが続けてきたコントに手応えを持ち始めました。

「もしかしたら俺ら、コントなのかもしれない」

月刊芸人

この準決勝以降、新ネタをさらに作り、ライブを開催しながらキングオブコント決勝を目指す時間が続きました。

新ネタとライブを増やし、KOC決勝を追い続ける

一度準決勝まで進んだからといって、そのまま決勝へ上がれたわけではありません。

新しい設定を作り、ライブで試し、また次のネタを作るサイクルを続けながら、キングオブコントでは決勝直前で止まる年を重ねていきました。

早く売れた同期がいる一方で、八木さん自身は「ひたすらコントを作り続けていた」という感覚だったと話しています。

2019年までの2〜3年は「今年ダメなら辞める」を繰り返した

初めて決勝へ進む直前の2〜3年間、八木さんはキングオブコントを前にするたび、佐々木さんへ「今年ダメだったら辞める」と口にしていました。

ところが準決勝で敗退すると、しばらくして「やっぱり楽しいからもう少しやろう」となり、翌年もまたコンビを続けます。

毎年聞かされていた佐々木さんも次第に慣れ、「また言っている」と受け止めるようになり、八木さんが何事もなかったように活動を再開すれば、そのまま一緒にコントを続けました。

辞めると言いながら再びネタを作る年を重ねた末、2019年に初めてキングオブコント決勝への扉が開きます。

2019年キングオブコント準優勝で仕事が変わった

うるとらブギーズはキングオブコント2019で初めて決勝へ進出し、そのまま準優勝しました。

長く劇場とアルバイトを行き来してきた2人にとって、この大会は賞レースの成績だけでは終わらない変化をもたらしました。

初の決勝進出と準優勝で大きなコントライブへ

準優勝後、八木さんはそれまで出られなかった規模の大きなコントライブへ呼ばれるようになったことを喜んでいます。

2019年12月にはルミネtheよしもとで初の単独ライブを開催し、チケットは完売しました。

劇場のインターネット投票で4〜5票だった時代から、キングオブコント準優勝を経て大きな劇場で単独ライブを行うところまで進みました。

吉本興業の公式プロフィールでは、2019年の代表的なコントとして「催眠術」などの映像も紹介されています。

アルバイトを離れ、芸人の仕事だけで生活できるように

2019年の変化を最も具体的に表しているのが、アルバイトへ行かなくても生活できるようになったことでした。

翌2020年の大会を終えた際、八木さんは結果次第では再びアルバイトを始めなければならないのではないかと思ったことも明かしています。

掃除の仕事などを続けながら舞台へ立っていた生活が、2019年の準優勝を境に変わりました。

2020・2021年も決勝へ、∞ホールでは客票1位で優勝

2019年だけで終わらず、うるとらブギーズは2020年、2021年も3年連続でキングオブコント決勝へ進みました。

2021年には、長く苦戦してきたヨシモト∞ホールの「ムゲンダイチャンピオンシップ~2021 SUMMER~」で優勝し、かつて苦しんだ客票でも1位を獲得しています。

300〜400票を集める芸人がいるなかで4〜5票だった劇場で、今度は客席から最も多くの票を受ける側になりました。

このころ担当していた吉田マネージャーは、ネタが終わるたびに八木さんから感想を求められ、面白さだけではなく設定の辻褄やセリフの違和感まで客観的に伝えていたと明かしています。

「八木さんから必ず『今日のネタどうでした?』と質問されるんです。」

月刊芸人

ネタを巡って佐々木さんと喧嘩し、八木さんがマネージャーを呼び出したこともありましたが、マネージャーが到着したときには2人ともすでに仲直りして笑っていたという出来事も残っています。

∞ホールとの関係はその後も固定されたものではなく、長く出演してきた劇場を再び卒業する時期もありました。

4年ぶりのKOC決勝へ|ネタを「量産」から「厳選」へ

2021年まで3年連続でキングオブコント決勝へ進んだ後、うるとらブギーズはしばらく決勝から離れます。

その数年間もコントをやめたわけではなく、八木さんはネタの作り方そのものを見直していきました。

決勝へ届かない時期を経てネタ作りの方法を変更

決勝から離れていた時期にはライブ出演自体が減ることもありましたが、八木さんは沼津ラクーンよしもと劇場で継続的にネタを披露していました。

東京や大阪から芸人が集まり、一泊二日で複数のコントを演じ、先輩や作家から意見をもらう機会を八木さんは「合宿」のようだったと振り返っています。

以前は新ネタを大量に作って舞台へかけていましたが、2025年は勝負できるものを残し、掛け合いの間を減らしてネタの密度を上げる方向へ変えました。

「今年は『これじゃ勝てない』というネタを削ぎ落として」

TBSテレビ「キングオブコント」

長く続けてきた「たくさん作る」方法を固定せず、決勝へ戻るためにネタの選び方そのものを変えました。

2025年にキングオブコント決勝へ返り咲く

2025年、うるとらブギーズは2021年以来4年ぶり、通算4度目となるキングオブコント決勝進出を決めました。

発表では7組目まで名前が呼ばれず、2人とも半ば諦めかけていたところ、8組目で「うるとらブギーズ」と呼ばれました。

佐々木さんはこの時期、八木さんが手元にあるネタを整理しながら「決勝へ行くこと」を最優先に考えている姿を隣で見ていたと話しています。

2019年の初決勝から6年、決勝へ行けない時期を挟んでもネタの作り方を変えながら再び同じ舞台へ戻りました。

コントとDJを続ける現在の八木崇

2025年の決勝前には、決勝へ出られなかった時期と重なるように子どもが保育園へ通い始め、八木さんが毎朝送り、迎えに行ける日は迎えにも行っていると話していました。

妻についても公に語っており、若いころの家族ではなく、芸人生活を長く続けた先で八木さん自身が家庭を持つ時期へ進んでいます。

音楽の趣味も途切れておらず、高校1年生でうどん店の店長から教わったDJは20年以上続き、レコードについて発信する個人YouTube「Yaggy-tチャンネル」にもつながりました。

高校生のころに買ったDJ用プレーヤーを長年使い続ける一方、お笑いではネタ作りの方法を何度も変えながらコントを続けています。

2026年もキングオブコントへ出場し、8月14日の東京準々決勝まで進みましたが、8月17日に発表された準決勝進出35組には入らず、2025年に続く決勝進出とはなりませんでした。

熊本でテレビのコントをまねし、うどん店のアルバイト代をレコードへつぎ込んでいた高校生は、東京へ出てコントを仕事にするようになりました。

NSC時代にはほとんど話さなかった佐々木さんとコンビを組み、客票が4〜5票だった劇場時代も、キングオブコント決勝へ届かなかった年月も、2人でネタを作りながら過ごしてきました。

現在も八木さんの生活には、高校時代から好きだった音楽と、NSCへ入る前から惹かれていたコントの両方が残っています。

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