ウエストランド河本太の生い立ち|吹奏楽部からサッカー部へ、井口との再会・結成とM-1優勝まで

人物プロフィール

生年月日
1984年1月25日
血液型
A型
出身地
岡山県 津山市
コンビ・グループ名
ウエストランド
相方・メンバー
井口浩之
結成年
2008年
所属事務所
タイタン
芸人活動開始年
2008年

ウエストランドの河本太さんといえば、相方の井口浩之さんが猛烈な勢いで言葉を重ねる横で、短いボケを入れる漫才で知られています。

2022年にはウエストランドとしてM-1グランプリ第18代王者となり、その後はキャンプやDIY、内装工事の経験を生かした仕事など、河本さん個人の活動も広がりました。

ところが河本さんは、子どものころから一直線に芸人を目指していたわけではなく、中学では吹奏楽部、高校ではサッカー部に所属し、卒業後には築地の寿司店で働いています。

芸人への道が動き出した背景には、中学・高校の同級生だった井口浩之さんとの長い付き合いと、23歳ごろの再会がありました。

津山で過ごした学生時代から、高校卒業後の仕事、井口さんとのケンカ別れ、養成所を通らないライブ活動、家族との別居を経験した若手時代までを順番にたどると、現在の河本さんへ至る道のりが見えてきます。

河本太の生い立ちと家族|津山市福田で育った子ども時代

河本太さんは1984年1月25日生まれで、岡山県津山市で育ちました。

現在まで長く続く井口浩之さんとの関係も、東京のお笑いライブではなく、この津山で始まっています。

津山市福田で育ち、佐良山小学校へ

河本さんが育ったのは津山市福田で、地元紙では佐良山小学校の卒業生であることも確認されています。

M-1グランプリ2022でウエストランドが優勝した際には、佐良山小学校にも河本さんの快挙を祝う横断幕が掲げられました。

大人になって東京を拠点にするようになってからも津山との行き来は続いており、2022年2月には河本さん自身がXへ「実家にかえりました。」と投稿しています。

子どものころ遊んだショッピングセンター「ウエストランド」

津山には、後にコンビ名と同じ名前になるショッピングセンター「ウエストランド」があります。

河本さんと井口さんにとってここは名前だけ知っていた施設ではなく、子どものころからゲームセンターなどへ遊びに行っていた身近な場所でした。

後に全国で知られることになる「ウエストランド」というコンビ名は、二人が津山で過ごしていたころから身近にあった場所の名前から取られています。

芸人として活動を始めた当初から施設側と正式な関係があったわけではありませんでしたが、後には実際のショッピングセンターで仕事をする関係になりました。

河本家と井口家の意外なつながり|父親と井口の母親も同級生

河本さんと井口さんは中学校、高校の同級生ですが、二人の家族にも同じ土地で暮らしてきたつながりがあります。

河本さんの父親と井口さんの母親も同級生であることを、二人はテレビなどで明かしています。

後に二人がコンビを組み、同じ事務所で長く活動することになりますが、この時点では本人同士が親しい友人だったわけではありませんでした。

津山西中学校では吹奏楽部でパーカッションを担当

河本さんは津山市立津山西中学校へ進み、井口さんと同じ中学校に通いました。

ただし二人は一度も同じクラスにならず、中学時代は顔を知っている程度で、ほとんど話したことがなかったといいます。

このころの河本さんが力を入れていたのはお笑いではなく、吹奏楽部でのパーカッションでした。

テレビ朝日系『しくじり先生 俺みたいになるな!!』でも、中学時代に吹奏楽部で打楽器を担当していたことが紹介されています。

津山商業高校時代|井口浩之とサッカー部で距離が縮まった

中学時代にはほとんど接点のなかった二人は、岡山県立津山商業高等学校へ進学したことで少しずつ一緒に過ごすようになります。

きっかけになったのは、お笑いではなくサッカー部の人数不足でした。

吹奏楽部にいた河本を井口がサッカー部へ誘う

井口さんは高校でサッカー部に入りましたが、部員数が少なく、試合を続けるにも人数を増やしたい状況でした。

そこで井口さんが声をかけたのが、中学で吹奏楽をしていた河本さんです。

河本さんは井口さんから誘われてサッカー部へ入り、この出来事について後年「人生が大きく変わりました」と語っています。

「軽い気持ちでサッカー部に入って、そこで人生が大きく変わりましたね。」

文春オンライン

サッカー部は部員が12人ほどで、井口さんによると河本さんはその中で唯一の補欠だったそうです。

自転車で帰り、コンビニでたこ焼きを食べた高校生活

同じ部活に入ったことで、学校が終わった後も二人で過ごす時間が増えました。

地元紙のインタビューで井口さんは、二人で自転車に乗って帰り、途中のコンビニへ寄ってたこ焼きを食べていた高校時代を振り返っています。

部室でもふざけながら漫才のまねのようなことをするようになり、テレビで見たお笑いを学校で再現することもありました。

まだライブへ出るわけでも、ネタ帳を書き始めるわけでもありませんでしたが、後にコンビになる二人が初めて一緒に笑いをやっていた場所の一つが高校の部室でした。

『めちゃイケ』『ガキ使』をまねて「月曜日だけ面白かった」

井口さんは当時の河本さんを「面白い奴」と思っていたそうですが、後になって振り返ると、その理由には少し事情がありました。

河本さんが学校で披露していた笑いの中には、週末に見た『めちゃ×2イケてるッ!』や『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』など、テレビ番組のネタをまねしたものがあったからです。

「だから、僕、月曜日だけおもしろかったんです(笑)。」

文春オンライン

高校生の河本さんは、完成された自分のネタを持っていたというより、テレビで見つけた面白いものを学校へ持ち込んで友人たちと笑っていたようです。

サッカー部のマネージャーだった女性が後の妻に

河本さんにとって高校のサッカー部は、井口さんとの関係だけでなく、その後の家庭にもつながる場所になりました。

サッカー部でマネージャーをしていた女性が、後に河本さんの妻となっています。

高校を卒業すると河本さんと井口さんは同じ道をそのまま歩くわけではなく、それぞれ別の生活へ進んでいきました。

高校卒業後に上京|築地の寿司店と井口とのケンカ別れ

津山商業高校を卒業した河本さんは大学には進まず、岡山を離れて東京へ向かいました。

ここからウエストランド結成までには、寿司店での仕事と井口さんとの一度目の別れがあります。

大学へは進まず、築地の寿司店で働き始める

井口さんが進学を名目に上京した一方、河本さんは築地の寿司店で働き始めました。

河本さんには大学進学を経て芸人になる期間はなく、高校卒業後はいったん働く生活へ入っています。

後にリフォーム関係の仕事にも就くため、河本さんの芸人になる前の経歴には、複数の仕事を経験した時期があります。

寿司店を辞めて井口宅へ転がり込み、二人はいったん離れる

築地の寿司店で働く生活は長く続かず、河本さんは店を辞めると井口さんのところへ転がり込みました。

しかし、仕事を辞めた河本さんがぶらぶらしていたことで井口さんが怒り、二人は一度離れることになります。

「僕が悪い。寿司店を辞め、相方のところに転がり込んで」

津山朝日新聞

高校時代に一緒に漫才のまねをしていた二人は、上京後すぐコンビになったのではなく、一度ケンカ別れしています。

若いころ勤務先の先輩に頼まれて入れたタトゥーの経緯

河本さんについては、M-1優勝後に体にタトゥーがあることも広く知られるようになりました。

所属事務所タイタンの太田光代社長が取材に説明した内容によると、河本さんが若いころ、勤務先に彫り師を目指している先輩がおり、練習台になってほしいと頼まれたことがきっかけでした。

本人が特定の思想やファッション上の理由から入れたと説明されているわけではなく、勤務先の先輩との関係から入れることになった経緯が伝えられています。

公表された説明では、その「勤務先」が築地の寿司店だったのか、後に働くリフォーム関係の会社だったのかまでは特定されていません。

河本太が芸人になったきっかけ|23歳ごろの再会からウエストランド結成へ

河本さんが芸人を目指した経緯は、子どものころからお笑いだけを目標にしていた井口さんとはかなり違います。

一度離れた二人がもう一度会ったことで、止まっていた高校時代の話が実際の芸人活動へ変わっていきました。

「目立ちたかった」河本と、昔から芸人志望だった井口

井口さんは子どものころからお笑いが好きで、早い段階から芸人になることを考えていました。

一方の河本さんは、芸人だけに進路を絞っていたわけではありません。

「僕は目立ちたがり屋で、何でも良かったんです。」

クランクイン!

河本さんは、楽器ができていたらミュージシャンになっていたかもしれないと話し、井口さんがお笑いをやると聞いて自分もやろうと思ったと明かしています。

つまり河本さんの場合、最初から「芸人になるために井口を選んだ」というより、井口さんがお笑いへ進むことが、自分の進路にもお笑いを入れる直接のきっかけになりました。

東京の同窓会で再会し、二人でお笑いを始める

寿司店を辞めた後に一度離れた二人が再び顔を合わせたのは、23歳ごろに東京で開かれた同窓会でした。

井口さんが「やりたいならやるか」という形で話を進め、ここから二人は実際にライブへ出始めます。

河本さんの芸人人生が本格的に動き出したのは、高校卒業直後ではなく、一度別れた井口さんと23歳ごろに再会してからでした。

養成所へ行かず、居酒屋で働きながら自腹でライブ出演

二人はNSCなどのお笑い養成所には入りませんでした。

当時は居酒屋でアルバイトをしながら、ライブのエントリー費を自分たちで払って舞台へ出る生活を始めています。

芸人になる入口は養成所でも弟子入りでもなく、自分たちでお金を払ってライブへ出続ける方法でした。

二人は「芸をするにはお金を払うもの」だと思っていた時期があり、約2年間フリーで活動を続けました。

2008年11月にウエストランド結成|名前は地元の遊び場から

M-1グランプリや所属事務所の公式情報では、ウエストランドの結成は2008年11月とされています。

コンビ名に選んだのは、二人が津山で子どものころから知っていたショッピングセンター「ウエストランド」の名前でした。

東京でゼロから考えた芸名ではなく、津山にいたころから二人の生活の中に存在していた名前を、そのままコンビの看板にしています。

タイタン所属と若手時代|早く訪れたチャンスと売れきれない年月

ライブへ出続けたウエストランドは、フリーでの活動を経て爆笑問題らが所属するタイタンへ入ります。

テレビへ出る機会は比較的早く訪れましたが、そのまま安定した生活が始まったわけではありませんでした。

約2年のフリー活動を経て2010年にタイタンへ

ウエストランドはオーディションライブなどを経て、2010年にタイタンへ所属しました。

2008年の結成と2010年のタイタン所属は同じ時期ではなく、最初の約2年間はフリーでライブへ出ています。

事務所に入った後も劇場やライブで漫才を続け、2012年にはキングオブコント準決勝へ進出し、2012年からは『THE MANZAI』でも認定漫才師に選ばれました。

河本単独のCMと、二人で決めたギャラ折半

若手時代には河本さん個人のCM出演が決まるなど、井口さんだけが先に仕事を増やしていたわけではありませんでした。

二人はコンビで得た仕事だけでなく、個人仕事を含めたギャラも折半する形を長く続けることになります。

後年は井口さんの個人仕事が大幅に増えたため、この折半制度そのものがテレビでネタにされるほど二人の仕事量に差がつきましたが、若いころから続けてきた取り決めでした。

THE MANZAIと『笑っていいとも!』でもブレイクしきれなかった時期

ウエストランドに大きなテレビ出演の機会が来たのは2013年で、フジテレビ系『笑っていいとも!』のレギュラーに選ばれました。

河本さんは後年、この仕事が決まったときには「売れた」と思ったほどだったと話しています。

その時期に高校時代のサッカー部でマネージャーをしていた女性と結婚し、2015年にはタイタンの太田光代社長が河本さんの結婚披露の様子をXへ投稿しました。

しかし『笑っていいとも!』が2014年に終了すると、その後もテレビだけで家族を養えるほど安定した仕事量にはなりませんでした。

ネタ作りは井口|河本が担ってきたウエストランドの漫才

ウエストランドのネタ作りは井口さんが担当しています。

漫才では河本さんが短くボケを入れ、そこから井口さんが長くしゃべり続ける形が特徴になり、井口さんの愚痴や不満を前面に出すスタイルが少しずつ固まっていきました。

2023年のインタビューで河本さん自身も、ネタを書いておらずセリフも少ないため、漫才を続けることについて文句を言える立場ではないと笑いながら話しています。

高校の部室で二人がふざけていたころとは違い、井口さんがネタを作り、河本さんが横で独特の間を作る現在の形へ変わっていきました。

妻子との別居とリフォーム会社|生活が変わったM-1初決勝前

テレビへ出る機会をつかんでも、河本さんの生活がすぐ安定したわけではありません。

仕事が減った時期には家庭でも変化が起き、芸人とは別の仕事を再び持つことになります。

仕事が減り、生活が荒れて妻子と別居

日本エレキテル連合がブレイクした時期には、同じタイタン所属ということでウエストランドも営業へ同行する機会が増え、一時は収入も上向きました。

ところが営業の仕事が減ると収入も落ち、河本さんは以前辞めたアルバイトへ簡単には戻れないまま、酒を飲んで過ごす時間が増えていきました。

やがて妻が子どもを連れて実家へ戻り、別居状態になります。

この時期は朝まで飲み、仕事へ来ないこともあったと井口さんが明かしています。

浅草・東洋館の出番にも現れず、事務所をクビになりかける

生活の乱れは、実際の舞台にも影響しました。

浅草の東洋館で15分の出番があった日には河本さんが会場へ来ず、井口さんが一人で舞台へ出たことがあります。

ウエストランドはこの時期、河本さんの遅刻や欠席なども重なり、所属事務所をクビになりかけたこともありました。

賞レースでなかなか決勝へ届かなかった時期に、舞台の外でもコンビを続けられるかどうかという問題を抱えていたことになります。

リフォーム会社の正社員になり、家族との生活を取り戻す

生活を立て直すために河本さんが選んだのが、芸人になる前にも経験していたリフォーム関係の仕事でした。

独立して会社を経営していた知人に声をかけ、芸人の仕事が入った日は休ませてもらえる条件で正社員として働くようになります。

別居後も妻側へ仕送りを続け、2020年には妻子が河本さんのもとへ戻りました。

芸人を辞めて会社員になったのではなく、昼間はリフォーム会社で働きながら、お笑いの仕事がある日は現場を休ませてもらう二重生活を続けていました。

家族が戻ると、河本さんは仕事後に帰宅し、朝の仕事にも来るようになったと井口さんが語っています。

井口さんは2020年のM-1決勝前、河本さんの生活リズムが改善したことも決勝進出につながったと話していました。

リフォームとは別に河本さんが力を入れていたのがキャンプで、2019年にはヒロシさんらと「チーム焚火会」でサウナ温め選手権の日本大会に出場し、優勝しています。

両親には「芸人を辞めろ」、先輩からは「井口と辞めるな」

売れない時期が長くなる中で、河本さんの両親は芸人を続けることに賛成していたわけではありませんでした。

河本さんは両親から長く芸人を辞めるよう言われていた一方、かわいがってくれた先輩芸人たちからは、井口さんは面白いからコンビを辞めるなという趣旨の言葉をかけられていたと明かしています。

河本さん自身からコンビ解散を考えたことはなかったといい、仕事量や生活が不安定な時期にもウエストランドは続きました。

M-1グランプリ2020初決勝から2022年の優勝へ

2008年に結成したウエストランドが初めてM-1グランプリの決勝へ届いたのは、結成から12年が過ぎた2020年でした。

このころには漫才のスタイルだけでなく、河本さん自身の家庭と仕事の状況も数年前とは変わっていました。

生活が整った2020年、初めてM-1決勝へ

ウエストランドは2018年にM-1準決勝まで進みましたが、決勝には届きませんでした。

2020年は新型コロナウイルスの影響でライブが減り、例年のように勝負ネタを作り込むことが難しい状況になりました。

そこで井口さんはM-1向けに言葉を選びすぎることをやめ、言いたいことを強く出す方向へ切り替えます。

2020年12月2日、ウエストランドは初めてM-1グランプリ決勝進出を決めました。

決勝進出を妻へLINEで知らせた河本さんは、帰りが遅くなると伝えたところ、最初は酒を飲むための口実だと思われたという出来事も明かしています。

2020年9位を経て、2022年に再び決勝進出

初めて立った2020年のM-1決勝では622点で9位となり、その場でブレイクを決める結果にはなりませんでした。

それでもウエストランドは漫才を続け、2022年に再び決勝へ進みます。

2022年大会は過去最多となる7261組がエントリーし、ウエストランドはファーストラウンドを3位で通過して最終決戦へ残りました。

M-1グランプリ2022で第18代王者に

最終決戦ではウエストランド、さや香、ロングコートダディの3組が漫才を披露しました。

ウエストランドは審査員7人のうち6票を獲得し、M-1グランプリ2022で優勝、第18代王者となりました。

結成から約14年、初決勝から2年後の優勝でした。

優勝後のインタビューで河本さんは、それまで月に2回ほどだったテレビ仕事が、優勝後には毎日のように入るようになったと話しています。

優勝後に河本が語った家族と賞金の使い道

M-1優勝翌朝、ウエストランドはTBS系『ラヴィット!』へ生出演しました。

賞金の使い道を聞かれた河本さんが挙げたのは、自分の趣味の道具ではありませんでした。

「娘の学資保険に手を付けてしまったので、補填します」

スポニチアネックス

別居中にも仕送りを続け、リフォーム会社で働きながら家族との生活を取り戻していた河本さんにとって、M-1優勝後の賞金にも家族の生活が表れていました。

M-1優勝後から現在|リフォーム経験、キャンプ、地元、個人活動へ

M-1優勝によってコンビでのテレビ仕事が一気に増えた一方、河本さん個人では芸人以外の時期に身につけたものも仕事になっています。

津山、リフォーム、キャンプといった河本さんが以前から関わってきたものが、優勝後の活動でもたびたび登場するようになりました。

リフォームで身につけた技術がDIY・キャンプの仕事にも

河本さんは売れない時期の生活費を得るためだけにリフォーム会社へ在籍していたわけではなく、現場で内装工事の技術を身につけています。

その経験は後にDIYや内装工事を扱う企画でも使われるようになり、趣味だったキャンプとともに河本さん個人を表す活動の一つになりました。

芸人の仕事が少なかった時期に続けたリフォームの経験が、M-1王者になった後も別の形で仕事として残っています。

公式YouTube「河本太、頑張ります。」でも、キャンプや登山、ものづくりなど、漫才とは異なる河本さんの活動を見ることができます。

2023年に津山ふるさと大使へ|数年ぶりに祖母とも再会

M-1優勝後、河本さんと井口さんは故郷の津山でも大きく迎えられました。

2023年11月には、津山市が新たに設けた「津山ふるさと大使」第1号にウエストランドの二人が就任しています。

その少し前にはBS日テレ系『極楽とんぼの週末極楽旅』の岡山ロケで、河本さんの実家を訪れる場面がありました。

そこで数年ぶりに祖母と顔を合わせ、祖母が河本さんだけでなく井口さんの活躍も願っていたことを知ります。

「久しぶりだったのでグッときました」

ENCOUNT

子どものころに通ったショッピングセンターの名前をコンビ名にし、そのコンビでM-1を制した後、今度は津山市の大使として地元へ戻ることになりました。

2024年の飲酒・タクシートラブルと仕事上の変化

2024年4月には、河本さんが酒を飲んだ状態でタクシー運転手とトラブルになりました。

太田光代社長の説明によると、JR品川駅付近で河本さんが乗車拒否されたと勘違いしてタクシーの車体を蹴り、降りてきた運転手ともみ合いになり、双方が警察から事情を聞かれました。

その後は話し合いによって事件化せず双方が納得する形で収まり、河本さんは顔のけがが治るまで一時的に仕事を休みました。

この出来事を受け、長年続いていた井口さんとのギャラ折半も取りやめとなりました。

若手時代から続いていたコンビ内の収入の仕組みが、2024年にここで変わっています。

2026年はPodcastやピンネタにも活動を広げる

その後、河本さんは活動へ復帰し、2026年もウエストランドとしてのライブと並行して個人の仕事を続けています。

熊本朝日放送『ヒロシのひとりキャンプのススメ』では、以前から続くキャンプの趣味を生かして出演しています。

2026年6月からは、ライスの田所仁さんとPodcast「喫茶チャンピヲン」の配信も始まりました。

自身のYouTubeではピンネタ作りに取り組む企画も公開し、タイタンライブへ河本さん個人で出演する機会もあります。

さらに2026年7月には、井口さんとともに「ファジアーノ岡山設立20周年アンバサダー」へ就任し、高校時代にサッカー部で一緒だった二人が、岡山のプロサッカークラブの節目にも関わることになりました。

吹奏楽部からサッカー部へ移った高校生のころ、リフォーム会社で働いた時期、長く続けてきたキャンプなど、芸人以外の時間も現在の河本さんの活動に残っています。

津山市で井口浩之さんと出会った河本さんは、高校卒業後に寿司店勤務や一度の別れを経験し、23歳ごろの再会から本格的にお笑いを始めました。

自腹でライブへ出たフリー時代、仕事と家庭が不安定だった時期、リフォーム会社との二重生活を経て、2022年にウエストランドとしてM-1グランプリを制しています。

現在は漫才を続けながら、キャンプ、DIY、Podcast、地元岡山に関わる仕事などへ活動の幅を広げています。

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