人物プロフィール
ストレッチーズの高木貫太さんは、福島敏貴さんとの漫才で活動する太田プロダクション所属のお笑い芸人です。
埼玉県立浦和高校から慶應義塾大学理工学部へ進学し、数学検定準1級に加えて高校数学の教員免許も持っています。
その経歴だけを見ると、学生時代から迷わず勉強を続けてきたようにも見えますが、お笑いとの接点をたどると、母親とM-1を見ていた子供時代、高校文化祭で福島さんと「耳毛」「猛打賞」と叫んだ舞台、大学のお笑いサークルへと続いていきます。
大学では教員免許を取り、就職活動もしていたため、芸人以外の道も最後まで現実的な選択肢として残っていました。
芸人になると腹を決めることになったのは、就職活動の一次面接を寝過ごした日のことでした。
高木貫太の生い立ちと家族|母とお笑い番組を見て育った少年時代
高木貫太さんは1991年7月24日生まれ、埼玉県出身で、子供のころから家の中にお笑い番組がある環境で育ちました。
その中心にいたのが、お笑い好きだった母親です。
母とM-1や『爆笑オンエアバトル』を見る家庭でお笑いに親しむ
高木さんが後年語っているところでは、母親はかなりのお笑い好きで、『M-1グランプリ』を第1回から見ていたほどでした。
『爆笑オンエアバトル』も録画し、夕食を食べながら親子で見ることがあったといいます。
高木さんにとって、お笑いは芸人になると決めてから知った世界ではなく、家庭の中ですでに身近なものになっていました。
ところが、後に本人が本当に「芸人になる」と言い出したとき、この母親が強く反対することになります。
小学生で『すごいよ!!マサルさん』に夢中になる
テレビだけでなく、漫画にも高木さんのお笑いの好みが表れていました。
小学生のころに初めて自分で集めた漫画として挙げているのが、うすた京介さんのギャグ漫画『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』です。
意味の分からない言葉や突然飛び出す独特のギャグが好きで、この漫画は後に福島敏貴さんと仲を深める共通の話題にもなりました。
高校へ進学すると、家で見ていた笑いを楽しむ側から、少しずつ自分たちで人前に出る側へ移っていきます。
浦和高校で福島敏貴と出会う|バスケ部から文化祭の“初舞台”へ
高木さんが進学したのは、男子校として知られる埼玉県立浦和高校です。
ここで、後に長くコンビを組むことになる福島敏貴さんと出会いました。
バスケ部で出会い、「浦高ラーメン」を食べながら過ごした高校時代
二人が初めて顔を合わせたのは、浦和高校へ入学したあとのバスケットボール部でした。
福島さんが覚えている高木さんの第一印象は、1年生が集まっている中にいた「髪の長いボブみたいな奴」だったそうです。
一方の高木さんは、連絡先を交換した福島さんから送られてきたメールがギャル文字だらけだったことを覚えていました。
部活動が同じだった二人は休日もバスケ部の仲間と行動し、練習後には高校近くの中華料理店へ足を運んでいます。
そこで食べていたのが、300円ほどでバケツのような量が出てきたという「浦高ラーメン」でした。
食べ終わってすぐ帰るのではなく、そのまま仲間たちと5〜6時間ほど店にいることもあったと福島さんは振り返っています。
「高校3年間は二人でふざけてたような感じです」
慶應塾生新聞デジタル
このころはまだ「将来は二人で芸人になる」と決めていたわけではありませんでした。
高校2年の文化祭で「耳毛」「猛打賞」と叫んでスベる
二人が初めて一緒に人前で何かをしたのは、高校2年生の文化祭でした。
ただし、現在のような漫才を披露したわけではありません。
高木さんによると、変な顔をしながら響きの面白い単語を交互に叫ぶという内容で、二人が口にしていたのが「耳毛」「猛打賞」などの言葉でした。
結果はほとんどウケず、本人たちの言葉でもしっかりスベった舞台だったようです。
それでも高木さんには、その場に立った感覚そのものが残りました。
「僕らは人前に出て、なんかやってることが楽しかった」
logirl「First Stage」
笑いの数より、「二人で人前に出ることが楽しい」という感覚が先にあった高校時代でした。
女装ミスコンや卒業式でも二人で人前に立つ
文化祭での出番は一度では終わりませんでした。
浦和高校には男子生徒が女装して参加するミスコンがあり、高木さんと福島さんも出演しています。
高校3年では二人でワンピースを着て、PUFFYの「愛のしるし」を歌いながら漫才のような掛け合いもしました。
他校の女子生徒から注目を集めようという狙いもあったものの、高木さんによれば二人が出るとむしろ人が減ってしまったそうです。
卒業式でも、学校独特の「学生注目!」という呼びかけを使いながら、二人で同級生向けのネタのようなことをしています。
後年ストレッチーズをテレビで見た同級生から、高校の卒業式のころから芸人になると思っていたという連絡が高木さんへ届きましたが、本人は「ウソつけ」と返したといいます。
東大受験から慶應義塾大学へ|教員も考えていた学生時代
文化祭ではふざけていた一方、浦和高校では大学受験に向けた勉強にもかなりの時間を使っていました。
高木さん自身、後年のテレビ出演で東京大学を受験したことを明かしています。
東大に届かず慶應理工へ、数学を学び教員免許も取得
受験期の高木さんは、同じ場所に長時間いることが苦手だったため、朝・昼・夜で勉強場所を変えていました。
朝はミスタードーナツ、昼は高校の図書室、その後は塾の自習室へ移動し、食事中にも合格体験記を読んでいたそうです。
東京大学については、2025年のテレビ出演で「10点くらい足りなかった」と本人が振り返っており、その後は慶應義塾大学へ進みました。
本人は慶應について冗談交じりに「完全に滑り止め」と話していますが、入学したのは理工学部で、数理科学を学びました。
大学では高校数学の教員免許を取得し、教育実習まで経験しています。
「先生になろうかなと半分くらい思ってて」
慶應塾生新聞デジタル
学校教員というより、子供のころから通っていた予備校や塾の先生になることも考えていたと話しています。
大学卒業直前まで教員や就職が現実的な進路だったため、芸人になることは最初から決まっていたわけではありません。
大学1年の好成績で奨学金を獲得する
大学1年生の高木さんは、学業でもかなり良い成績を残していました。
私立大学へ進んだことに家計面で申し訳なさを感じ、「取れる奨学金は全部取ろう」と考えて制度を調べています。
そこで見つけたのが、成績などを条件に約30万円を受け取れる返済不要の奨学金でした。
自分が学ぶ分野で慶應義塾大学へどう貢献するかを書く小論文も提出し、選考を通過しています。
大学からは学問を背負う人材として期待する内容の賞状まで届きましたが、その後お笑い芸人になったことを、高木さんは後年笑い話にしています。
O-keisで学生お笑いへ|福島敏貴とストレッチーズを組むまで
慶應義塾大学へ進んだ高木さんは、ここで初めて継続的にお笑いへ取り組む環境に入ります。
所属したのは、慶應義塾大学のお笑いサークル「お笑い道場O-keis」でした。
細田祥平からNSCへ誘われ、代わりに大学お笑いを選ぶ
高木さんと一緒にO-keisへ入ったのが、浦和高校の同級生で、後にひつじねいりを結成する細田祥平さんです。
細田さんは高校時代から芸人になる意思がはっきりしており、高木さんをNSCへ誘ったこともありました。
しかし当時の高木さんには、すぐにプロの世界へ飛び込むほどの覚悟はありませんでした。
そこで高木さんの方から細田さんを大学のお笑いサークルへ誘い、まず学生お笑いを始めることになります。
芸人という職業を現実の進路として意識するきっかけを作った人物の一人が、細田祥平さんでした。
細田との「安全ナイフ」と、福島を加えた3人組構想
O-keisでは、高木さんは福島さんより先に細田さんと「安全ナイフ」というコンビを組んでいました。
高木さんは後のインタビューで、大学時代に「学生M-1グランプリ」を2度優勝しており、最初の優勝は福島さんではなく、それ以前に組んでいた相方とのコンビだったと話しています。
その最初の優勝後には芸能事務所のオーディションも受けましたが、そこで面接官から才能がないという趣旨の厳しい言葉を受け、一度はお笑いを辞めると当時の相方へ伝えました。
高校から一緒だった福島さんは、大学入学後すぐにはO-keisで活動していませんでした。
新歓へ顔を出した際に笑いを取ろうとしてやりすぎ、一時的にサークルへ入りづらい状態になったあと、同窓会で高木さんと再会し、改めてO-keisへ加わっています。
そこで一度は高木さん・細田さん・福島さんの3人で組む話も出ました。
福島のネタ合わせ欠席から二人組ストレッチーズが誕生
3人で活動する案が動き出したところで、最初のネタ合わせに福島さんが連絡なしで来ませんでした。
細田さんは、初回のネタ合わせから来ない人とは組めないという考えを示します。
その結果、細田さんとの3人組はなくなり、高木さんと福島さんの二人でコンビを組むことになりました。
大学1年の11月ごろ、文化祭へ向けて二人でネタを作り、学生コンビとしてのストレッチーズが始まります。
コンビ名について高木さんは福島さんへほぼ任せており、福島さんが「ストレッチーズ」と名付けました。
最初のころは日高屋で食事をしたり、たばこを吸ったりしながらネタを考え、道案内などを題材にしつつ高校時代から好きだった変な言葉を盛り込んでいました。
なお、M-1グランプリ公式サイトではストレッチーズの結成年を2014年4月1日としていますが、これは大学卒業後にプロとして活動を始めた時期で、学生コンビとしてはそれ以前から活動しています。
外部大会の惨敗をきっかけにネタ合わせを本格化し、2012年大学生M-1優勝
大学2年ごろ、二人はサークル外の大会へ出場しましたが、そこで大きくスベりました。
それまでサークル内で楽しく漫才をしていた二人にとって、外で通用しなかったことはかなり悔しい経験になりました。
大学生M-1へ挑戦するころには、それまでとは違って本格的にネタ合わせを始め、日吉駅近くのマクドナルドへ集まって細かく練習しています。
高木さんには、優勝できればプロへ行くことを周囲にも認めてもらえるのではないかという思いもありました。
そして2012年、ストレッチーズは大学生M-1グランプリで優勝しました。
一度は事務所のオーディションをきっかけに薄れていた高木さんのお笑いへの気持ちも、福島さんとの優勝によって再び強くなっていきます。
就職か芸人か|一次面接を寝過ごした日、高木貫太が進路を決める
大学生M-1で優勝しても、高木さんがその場で就職をやめたわけではありませんでした。
大学4年を迎えるころまで、芸人と一般企業への就職の間で迷い続けます。
教員や就職も考える中、気持ちはお笑いへ傾いていた
教員免許を取得し、塾や予備校の先生になる道も考えていた一方、企業への就職活動も実際に行っていました。
大学3年の冬から春にかけて就職活動を続けていたものの、本人は後に「身が入らなかった」という趣旨で当時を振り返っています。
学生お笑いではすでに優勝を経験し、テレビ朝日『学生HEROES!』にも出演していたため、プロのお笑いも現実味を帯び始めていました。
それでも、安定した進路を手放して芸人になることへの怖さがあり、最後の決断ができずにいました。
コンビニ夜勤後に面接を寝過ごし、母へ「芸人になる」と宣言
進路が一気に動いたのは、就職活動の一次面接が入っていた日でした。
当時、高木さんはコンビニの夜勤をしており、朝まで働いたあと自宅へ戻ります。
その日は午前中から一次面接へ行く予定でしたが、夜勤明けの眠気に負けて寝過ごしてしまいました。
午後になって起きると、実家で暮らしていた高木さんを母親が叱りました。
そこで面接へ行かなかった言い訳をするような形で、高木さんの口から出た言葉がありました。
「いや、俺お笑い芸人になるからいいんだよね」
logirl「First Stage」
迷いながら続けていた就職活動は、この一言を境に芸人という進路へ傾きました。
本人も後に、もし本当に就職するつもりだったなら面接へ行っていたはずで、すでに気持ちはお笑い側へ傾いていたのだと思うと話しています。
家族会議を重ねながら大学卒業後にプロの道へ
高木さんが芸人になることを伝えると、子供のころ一緒にお笑いを見ていた母親は喜ぶどころか強く反対しました。
慶應まで進み、教員免許も取得した息子が一般企業へ就職せず芸人を選ぶことを、家族がすぐには受け入れられなかったためです。
高木さんは家族会議について、出演した媒体によって「7回」「8回」と表現しており、少なくとも進路をめぐる話し合いが何度も繰り返されたことが分かります。
後年には、祖父から「裏切り者!」と言われたことも明かしました。
母親がお笑いを好きだった家庭で育ちながら、自分がお笑い芸人になる段階では家族の強い反対を受けることになりました。
それでも高木さんは大学卒業後、福島さんとストレッチーズを続け、2014年からプロとして活動を始めます。
2014年プロ入りから太田プロへ|若手ライブで漫才を磨く
学生コンビからプロへ変わったストレッチーズは、現在の太田プロダクションへ最初から所属していたわけではありません。
大学時代のテレビ出演でできた縁から、最初の所属先が決まりました。
タイズブリック所属からフリーになり、ヤマザキモータースの誘いで太田プロへ
大学生M-1優勝後、ストレッチーズはテレビ朝日『学生HEROES!』のオーディションに合格し、大学4年の春からおよそ1年間出演しました。
番組制作に関わっていたタイズブリックから卒業後も一緒に活動しようと声をかけられ、新しく作られたお笑い部門へ所属します。
2016年1月のTBSラジオ『ラフターナイト』の記録にも、ストレッチーズは「タイズブリック所属」の漫才コンビとして残っています。
ただ、新しく立ち上がったばかりのお笑い部門ではテレビなどのオーディション情報がほとんど回ってこず、ライブ仲間からその状況を聞いた二人は危機感を持つようになりました。
タイズブリックを離れてフリーになったとき、以前から若手ライブで世話になっていた太田プロのヤマザキモータースさんへ報告します。
するとヤマザキモータースさんから、太田プロの養成所へ来るよう声をかけられました。
お金がなかった二人の事情も知っており、養成所へ通えるよう配慮してくれたと、二人は後のインタビューで話しています。
太田プロエンタテイメント学院8期を卒業し、ライブ中心の日々へ
ストレッチーズはプロとしてすでに活動していましたが、あえて養成所を通る形で太田プロ入りを目指しました。
ヤマザキモータースさんには、ネタ見せから直接所属を狙うより養成所を卒業する正規のルートを通った方が、事務所内でも信頼されやすいという考えがあったそうです。
二人は太田プロエンタテイメント学院8期として学び、2016年9月に卒業しました。
大学卒業から約2年半を経て、現在まで所属する太田プロダクションでの活動が始まりました。
所属事務所が変わっても、活動の中心にあったのはテレビよりライブとネタ作りでした。
『笑あがき』やK-PROの舞台でネタ作りを重ねる
太田プロ所属後、ストレッチーズはNHKのドキュメンタリー番組『笑あがき』へ出演しました。
若手芸人が約1カ月間先輩芸人についてお笑いを学ぶ企画で、二人はオーディションを経てパンクブーブーから指導を受けています。
その後は新ネタを次々と披露する60分ライブも始め、本人たちが「正確な数は分からない」とするほど大量のネタを書いていきました。
K-PROのライブにも芸歴1年目ごろから継続して出演し、児島気奈さんから早い時期から面白いと言ってもらっていたことを二人が振り返っています。
M-1で準々決勝へ進むとライブのオファーも増え、ハナコ、トンツカタン、東京ホテイソンらとユニットライブへ出演する時期もありました。
若手時代にはダチョウ倶楽部の上島竜兵さんにもかわいがられ、ネタを続ける二人へ言葉をかけていたと報じられています。
「お前たちは売れる。今はネタを頑張れ」
日刊スポーツ
初期にはポロシャツやコーデュロイシャツなどの衣装も試し、THE MANZAIの予選で結果が出なかった際には、ネタだけでなく衣装も見直して二人でスーツを買いに行っています。
さまざまな種類の漫才を大量に作りながら劇場へ立ち続ける一方、なかなかM-1準々決勝より先へ進めない時期が続きました。
M-1準々決勝敗退から漫才を作り直す|「怒ってる?」が転換点に
ストレッチーズは漫才コント、福島さんが変人になるネタ、高木さん側が変わった人物になるネタなど、多くの型を試していました。
ネタ数が増える一方で、客や周囲からは「ストレッチーズが何者なのか分からない」と言われることもあったといいます。
2020年の敗退後、「会話をしていない」と気づく
大きな見直しが始まったのは、2020年のM-1グランプリでした。
この年も準々決勝で敗退し、二人はそれまでの漫才を改めて振り返ります。
そこで気づいたのが、漫才をしているのに二人が実際にはあまり「会話」をしていないことでした。
福島さんが一人で状況を説明し、高木さんがそこへコメントを入れていく形式のネタが多く、掛け合いそのものを中心にしたネタが少なかったのです。
二人で本当に話している構造の漫才を作ろうとして生まれたのが「怒ってる?」でした。
コント漫才を一度封印し、しゃべくり漫才へ絞る
「怒ってる?」では、タイトルどおり「怒ってる?」「怒ってないよ」という二人の会話からネタが進んでいきます。
それまでのストレッチーズには少なかった形でしたが、舞台で反応があり、二人はこの方向を掘り下げました。
さらに、漫才の途中で「○○をやりたいからお前○○やって」とコントへ入る形式を一度やめ、しゃべくり漫才だけを作って舞台へかける時期を設けます。
高校時代に変な言葉を叫び、大学時代にはさまざまな型を試し、プロになって大量のネタを作った二人が、ここで会話を中心にした形へ絞りました。
その流れで生まれた代表的なネタの一つが「水掛け論」です。
2022年ツギクル芸人グランプリ優勝で家族の反応も変わる
漫才を作り直してから迎えた2022年5月、ストレッチーズは「ツギクル芸人グランプリ2022」へ出場しました。
ファイナルステージではGパンパンダと同票になり、一般審査員からより多く票を獲得したストレッチーズが優勝しています。
大学生M-1以来の大きな優勝を、プロ8年目の2022年につかみました。
この時点でも高木さんは建設現場の警備員としてアルバイトをしており、賞レースの優勝とアルバイト生活が同じ時期に重なっていました。
そして、大学卒業時には何度も家族会議を開いて芸人への進路に反対した母親も、息子の優勝を見届けています。
「すごく感動した」
RBB TODAY
番組側から家族写真の提供をお願いされると、母親は拒否し、妹も同じく断ったことまで紹介され、高木さんの家族らしいやり取りも放送されました。
芸人になることに反対していた母親が、プロ8年目の賞レース優勝を喜ぶところまで時間が進みました。
同年M-1で初の準決勝へ
ツギクル優勝から約半年後、もう一つ長く越えられなかった壁も動きます。
ストレッチーズはM-1グランプリ2022で準決勝へ進出しました。
それまで何年も準々決勝で敗退してきた二人にとって、初めての準決勝でした。
決勝進出には届かず敗者復活戦へ回りましたが、大学時代から続けてきたM-1で、プロになって初めて準決勝の舞台まで進みました。
同じ2022年7月には、ストレッチーズとして初めての単独ライブ『ヘマル』も開催しています。
高木貫太の現在|学生時代から続く漫才を軸に活動
2022年以降もストレッチーズは漫才とライブを軸に活動を続け、テレビやラジオなどへ出演の場を広げています。
現在もコンビの活動の中心には、高校時代から二人で続けてきた「人前に立って笑いを取ること」があります。
賞レース、ライブ、テレビ、ラジオへ活動が広がる
ツギクル芸人グランプリ優勝後は、2023年の第44回ABCお笑いグランプリ決勝へ進み、単独ライブ『ヘマル2』も開催しました。
同年にはTBSラジオ『マイナビ Laughter Night』のチャンピオンLIVEでマイナビ賞を受賞するなど、漫才とラジオの両方で活動を続けています。
2025年にも高木さんは、カジュアル単独ライブを告知する際に「漫才沢山やります!」と発信していました。
さらに2026年8月には、かつて自分たちも通った太田プロエンターテイメントカレッジとタイタンの学校による養成所対抗戦『新宿ダービー vol.1』で、ストレッチーズがMCを務めています。
養成所へ入り直す形で太田プロ所属を目指した時期から約10年が経ち、今度は現役養成所生がネタを競う舞台を進行する側に立ちました。
数学と高学歴も個性の一つとなった現在
高木さんの数学検定準1級と高校数学教員免許は、現在も太田プロの公式プロフィールに特技として掲載されています。
大学卒業時には教員や塾講師も考えていた数学の知識が、芸人になった後はクイズや高学歴企画などで使われる機会も増えました。
浦和高校、慶應理工、教員免許という経歴を持ちながら、高木さんが大学卒業後に選んだのは、福島敏貴さんと漫才を続ける道でした。
母親とM-1を見ていた少年は、浦和高校で福島さんと出会い、文化祭でスベり、大学では学生お笑いの舞台へ進みました。
就職面接を寝過ごした日に芸人になると口にし、家族の反対を受けながら始めたプロ生活は、ライブでネタを作り続ける時間を経て、ツギクル芸人グランプリ優勝やM-1準決勝へつながりました。
そして現在も、高校時代から隣にいた福島さんとストレッチーズとして漫才の舞台に立ち続けています。












コメントを残す