海野裕二の生い立ちと現在|西本に誘われ芸人へ、ジェラードン結成・休養・脱退まで

人物プロフィール

生年月日
1987年11月17日
身長
171cm
血液型
A型
出身地
愛知県 名古屋市
養成所・スクール
NSC東京校 12期

ジェラードンの3人組時代、アタック西本さんとかみちぃさんが強烈なキャラクターを演じ、その間に入ってストレートなツッコミを飛ばしていたのが海野裕二さんです。

2021年末から長期間の休養に入り、2025年1月にジェラードンへ復帰しましたが、翌2月には吉本興業との契約を終了し、グループを離れました。

一方で、海野さんの芸人人生を最初までさかのぼると、意外にも高校生のころから芸人を目指していたわけではありません。

大学への推薦が決まっていた高校3年生のとき、同級生だったアタック西本さんから誘われたことで、お笑いの道へ進むことになりました。

しかも、最初から海野さんが誘われたわけではなく、西本さんが別の友人2人に断られたあとに声がかかったという、後のジェラードンらしい笑い話まで残っています。

海野裕二の生い立ちと家族|名古屋で育った学生時代

海野裕二さんは1987年11月17日生まれ、愛知県名古屋市出身です。

父親や母親、兄弟姉妹など幼少期の家族構成については、本人が詳しく語った公の資料が多くありません。

そのため家族関係を推測で広げることはできませんが、海野さん自身が過去に公開した写真やインタビューからは、スポーツやゲームに親しみながら育った子ども時代が見えてきます。

小学生のころからゲームとスポーツが身近に

海野さんは後年、子どものころの写真を自身のSNSで公開していました。

小学生のころからゲームとスポーツが身近に

海野さんは過去に自身のXで、小学校の卒業アルバム写真を公開していました。

本人によると、写真を撮る約1週間前に転んで前歯が欠けてしまい、卒業アルバムでは口を開けずに少しぎこちない笑顔で写っていたそうです。

また、吉本興業在籍時のプロフィールでは、趣味や特技としてゲーム、サッカー、フットサルなどを挙げており、スポーツとゲームは昔から身近な存在でした。

特に高校へ進むとサッカーを続け、その場所で後に約20年近く一緒にお笑いをすることになる人物と出会います。

吉本興業在籍時のプロフィールでは、趣味にゲーム、サッカー、フットサルなどを挙げており、後の芸人活動とは別に、昔からスポーツとゲームが生活の身近なところにありました。

特に高校へ進むとサッカーを続け、その場所で後に約20年近く一緒にお笑いをすることになる人物と出会います。

高校のサッカー部で西本武徳と同級生に

海野さんが通っていたのは名古屋大谷高校で、同級生だったのが後のアタック西本さんこと西本武徳さんです。

2人は同じサッカー部にも所属していました。

ただし、常に同じチームで一緒にプレーしていたというわけではなく、海野さんは後年、西本さんとの部活時代について、自分はAチームで、西本さんとは遠征や合宿を一緒にしたことがなかったとSNSで振り返っています。

海野さんと西本さんは高校の同級生で、同じサッカー部にも所属していました。

海野さんは西本さんが2020年に結婚した際、高校時代を振り返り、自分はAチーム、西本さんは第4ゴールキーパーだったため、遠征や合宿を一緒にしたことはなかったと明かしています。

それでも高校卒業後は一緒に上京し、長く芸人として活動することになりました。

出典:お笑いナタリー「ジェラードン西本が一般女性と結婚『こんな僕でも』」

高校時代の2人を結びつけていたのは、サッカーだけではありませんでした。

海野裕二の高校時代|西本と学校のお笑い好きに

高校生だった海野さんと西本さんは、すでに学校の中でお笑いを楽しむ側の生徒でした。

もっとも、この時点で海野さん自身が「将来は芸人になる」と決めていたわけではありません。

卒業アルバムの「面白い人ランキング」は西本1位、海野3位

2021年のbizSPA!のインタビューで、西本さんは高校時代、卒業アルバムの「面白い人ランキング」で1位だったと話しています。

すると海野さんは、自分は3位くらいだったと返しました。

「で、僕3位とかなんですよ」

bizSPA!

後に芸人になるきっかけでも、海野さんは西本さんから声をかけられた「3人目」だったため、本人たちのインタビューではこの偶然も笑い話になっています。

『ガキ使』をまねし、友人たちと大喜利をしていた高校生活

西本さんによると、高校時代には『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』のまねをしていました。

さらに学校の中で面白いと思っていた仲間5人ほどが集まり、大喜利のような遊びもしていたといいます。

海野さん自身もお笑い番組を見ることは好きでした。

ただ、テレビのお笑いを見ることと、自分が職業として芸人になることは、まだ別の話でした。

高校卒業が近づいたころには、大学への推薦も決まっていました。

海野裕二が芸人になったきっかけ|大学推薦から一転して東京へ

海野さんの進路を大きく変えたのは、卒業前に西本さんからかかってきた声でした。

西本さんも最初から自分でNSCを探していたわけではありません。

先生にNSCを勧められた西本から、3人目の候補として誘われる

西本さんは卒業時の進路を考えていたころ、高校の先生から、普段からお笑いのようなことをしているなら「東京のよしもとの学校はどうだ」と勧められました。

そこで初めてNSCの存在を知ります。

ただ、一人で東京へ行くのは心細かったため、西本さんは相方になりそうな同級生を探しました。

最初に誘った友人には断られ、同じサッカー部だった別の友人もバンドをすると断りました。

そこで3人目として声をかけたのが海野さんです。

「いや、俺3位かい!」

bizSPA!

ところが、ここからは西本さんの予想以上に話が早く進みました。

芸人志望ではなかった海野が「西本となら」と大学推薦を手放す

海野さんにはすでに大学推薦が決まっていましたが、西本さんの誘いを受け入れました。

しかも西本さんによれば、東京へ行く準備は海野さんのほうが早かったほどでした。

なぜ、それまで芸人志望ではなかった海野さんが、そこまで迷わず動けたのでしょうか。

理由の一つは、高校時代の西本さんを間近で見ていたことでした。

「こいつ高校時代スーパースターだったんで」

bizSPA!

海野さんは西本さんについて、エピソードやギャグなど「お笑い能力の五角形」が全部高かったと表現し、一緒なら売れると思ったと話しています。

西本さんから誘われなければ、自分はお笑いをやっていなかったと思うとも明言しています。

「アタックに誘われてなかったらお笑いやってなかったと思います」

bizSPA!

NSC東京校12期へ入り、高校時代とのレベル差を知る

高校卒業後、2人は上京してNSC東京校12期へ進みました。

高校では周囲から面白いと思われていた2人でしたが、NSCへ入ると状況は一変します。

西本さんは、当時はネタの作り方すら分からず、自分たちのレベルが全然高くなかったことに気づいたと振り返っています。

海野さんも短く、「覚悟が足りなかったよね」と返していました。

高校の中で笑いを取っていた2人が、ここから初めてプロのお笑いを学び始めます。

かみちぃとの出会い|西本とのコンビがジェラードンになるまで

NSC東京校12期には、後にジェラードンの3人目になるかみちぃさんもいました。

ただし、3人がNSCへ入ってすぐジェラードンになったわけではありません。

NSCの同級生・かみちぃと同じアルバイト先で親しくなる

NSC時代、西本さんと海野さんは2人でコンビを組んでいました。

一方のかみちぃさんは、2人を見て「この2人に入りたい」と思うようになります。

とりわけ海野さんとはアルバイト先が同じで、家も近かったことから親しくなっていました。

かみちぃさんが軽いノリで「入れてくれない?」と海野さんへ話すと、海野さんは「全然いいよ」と前向きに応じたといいます。

西本さんも最初は承諾し、翌日のネタ見せから3人でやる話まで進みました。

一度は決まりかけた加入を、西本がコーラを持って断りに来る

ところが、その日の夜に話がひっくり返ります。

かみちぃさんの家へ西本さんが突然やってきました。

手には、かみちぃさんが好きだったというコーラ1本を持っていました。

「かみちぃ、すまん、俺はやっぱり2人でやっていきたい。ちょっと諦めてくれ」

bizSPA!

西本さんはダウンタウンに憧れ、コンビとして売れるつもりで名古屋から出てきていました。

さらに海野さんが先に加入を了承したことにも少し腹を立て、「かみちぃが海野と2人でやりたいのでは」とまで考えていたそうです。

こうしてNSC時代のトリオ化はいったん白紙になりました。

2年間で約8回の誘いを経て、3人のライブがトリオ結成を決める

それでもかみちぃさんは諦めませんでした。

別のコンビを組むなどしながらも西本さんと海野さんの2人に入りたいという思いが残り、約2年間で8回ほど加入を申し込んだと話しています。

やがて西本さんも折れ、まずは3人でライブへ出てみることになりました。

海野さんによれば、「ライブで1位を取れたら考える」という流れになり、実際に1位を獲得したことで3人で組むことが決まります。

「ライブで1位を取れたら考えるという流れで、1位をとれて組むことになり今に至る感じです!」

Seventeen-Web

2008年にジェラードン結成|名前はスティーヴン・ジェラードから

2008年、西本さん・海野さん・かみちぃさんの3人でジェラードンを結成しました。

トリオ名は、サッカーの元イングランド代表選手スティーヴン・ジェラードに由来します。

高校でサッカー部だった海野さんと西本さんが含まれるトリオらしい名前でもありました。

西本さんとかみちぃさんが強いキャラクターを演じ、海野さんがツッコむスタイルは、やがてジェラードンの大きな形になっていきます。

ジェラードンの若手時代|すぐには売れなかった3人

2008年にトリオとなったからといって、すぐテレビで知られるようになったわけではありません。

3人は劇場やライブへ出演しながら、コントを続けていきました。

トリオ初期には、海野の冗談からネタ合わせが大騒動に

売れる前の3人には、後年まで語られるネタ合わせ中の出来事もあります。

プロレスラーを題材にしたネタを合わせていた時期、海野さんが酒を飲んだ状態で遅れて現れ、「芸人を辞めてマッサージ師になる」という話を始めたことがあったと西本さんが明かしています。

西本さんとかみちぃさんが話を聞いた末、海野さんは冗談だったと明かしました。

しかもそのとき3人はプロレスラー役のネタ合わせ中で、覆面をかぶったまま真剣な話をしていたという、ジェラードンらしい光景になっていました。

劇場とコントを続け、2015年『おもしろ荘』へ

トリオ結成後は、吉本の劇場を中心に活動を続けました。

2015年には日本テレビ系『ぐるぐるナインティナイン』の若手芸人企画「おもしろ荘」に出演します。

ただ、この出演だけで一気に全国区となったわけではありません。

ジェラードンの仕事が目に見えて変化していくまでには、さらに劇場でコントを続ける時間がありました。

2017年に流れが変わる|BAKE-MON優勝からテレビへ

結成から約9年が過ぎた2017年、ジェラードンに大きな結果が続きます。

∞ホール最上位へ昇格し、667組のBAKE-MONで優勝

2017年7月、ジェラードンは「ファースト∞ブレイクスルーチャレンジ」で優勝し、ヨシモト∞ホールの最上位クラスへ昇格しました。

さらに同年11月、タウンワークが開催したお笑いオーディション「BAKE-MON」でも優勝します。

参加したのは667組。

長く劇場で活動してきたジェラードンにとって、形として大きな結果が出た時期でした。

優勝しても仕事は急増せず、ネタ動画が広がってテレビ出演へ

ただし、BAKE-MONで優勝した瞬間に売れたわけではありません。

かみちぃさんは後年、優勝すれば絶対に売れると言われていたものの、すぐ仕事が増えたわけではなかったと振り返っています。

転機の一つになったのが、スポンサー側がYouTubeへ掲載したジェラードンのネタでした。

動画が広がると、テレビ番組でもコントを披露する機会が増えていきました。

賞レースの結果だけではなく、ジェラードンのキャラクターコントが動画で見られる環境が整ったことも、その後の活動を大きくしていきます。

大宮の劇場でも活動を重ねる

その後は、大宮ラクーンよしもと劇場を拠点とする芸人たちとの活動も増えました。

テレビだけへ移るのではなく、劇場でコントを続けながら知名度を上げていった時期です。

YouTubeとキングオブコント|海野のツッコミが支えた3人のコント

テレビへの出演が増える一方で、ジェラードンにとって新しい活動の柱になったのがYouTubeでした。

YouTubeを「コントだけ」に絞り、週4本のネタ制作へ

ジェラードンはYouTubeで、コント動画を中心に投稿する方針を取るようになります。

2021年のインタビューでは、週4本ほどのペースでコント動画を投稿していると語っていました。

舞台用だけでなく動画用にも常に新しいコントを考える生活になり、3人のネタ作りそのものにも変化が生まれました。

西本さんとかみちぃさんがクセの強い人物を演じ、海野さんが正面からツッコむ構図は動画でも機能しました。

2021年、14回目の挑戦でキングオブコント決勝へ

2021年には、キングオブコントで初めて決勝進出を果たしました。

ジェラードンにとっては14回目の挑戦でした。

高校卒業後に東京へ出てから約15年、トリオ結成から約13年を経てたどり着いた決勝でした。

決勝では5位となりました。

ところが、その年の終わりから海野さんの芸人人生は別の局面へ入ります。

海野裕二の休養とジェラードン脱退|現在まで

海野さんについては「病気」「なぜ休んだ」といった情報も多く検索されています。

ここで分けておきたいのは、以前からあった顎の脂肪腫と、2021年末から公表された体調不良による休養です。

公式に長期休養の具体的な病名が発表されたわけではないため、脂肪腫だけを長期休養の原因として扱うことはできません。

顎の腫れを調べ、脂肪腫の手術へ

海野さんは以前から下顎のふくらみについて、ジェラードンのYouTubeでも経過を公開していました。

その後、顎にできた脂肪腫の手術も受けています。

2022年7月に一度復帰した際、本人も休養中に顎の手術があったことを説明していました。

2021年12月に体調不良で休養、2022年7月に一度復帰

2021年12月、吉本興業は海野さんについて、以前から続く体調不良のため一時休養すると発表しました。

西本さんとかみちぃさんは、その間2人でジェラードンとして活動を続けます。

約7カ月半が過ぎた2022年7月11日、海野さんはトークライブで活動へ戻りました。

本人はこの時期について、体が疲れていたので休ませてもらったという趣旨で説明し、少しずつ仕事を再開する予定でした。

復帰3日後、再び休養へ

しかし復帰から3日後の7月14日、海野さんは再度の休養を発表しました。

「体調が本調子ではなく、ベストなパフォーマンスが出来ないと判断しました」

スポニチアネックス

その後、海野さんが舞台へ戻るまでには長い時間がかかりました。

一方、西本さんとかみちぃさんは2人でジェラードンの活動を継続し、YouTubeやテレビ、劇場へ出演していきます。

2025年1月、約3年ぶりにジェラードンへ復帰

2025年1月6日、海野さんは大宮ラクーンよしもと劇場の舞台に立ちました。

約3年ぶりとなる復帰でした。

かみちぃさんも3人が並んだ写真を公開し、少しずつではあるものの再び3人で活動していくと発信しました。

Instagramで投稿を見る

海野さん自身も、待っていた観客や相方、関係者への感謝をつづり、ジェラードンの一員として再び頑張っていくと報告しました。

長期間2人で活動していたジェラードンに、海野さんのツッコミが戻った瞬間でした。

翌2月、体調改善を優先してジェラードンを離れる

ところが復帰から約1カ月後の2025年2月、再び大きな発表がありました。

吉本興業は、海野さん本人からの申し出により、2025年2月9日付でマネジメント契約を終了すると発表しました。

メンバーとも話し合ったうえで、体調の改善を最優先にするための申し出だったとされています。

これによって海野さんはジェラードンを離れ、西本さんとかみちぃさんが2人でジェラードンを続けることになりました。

西本さんは脱退発表後、海野さんとは今後「地元の同級生」として付き合っていくという趣旨の言葉を投稿しました。

高校時代からの関係までなくなったわけではありませんでした。

2026年に再び舞台へ|西本・かみちぃとも交流が続く現在

吉本興業との契約終了後、海野さんがそのまま完全にお笑いから離れたわけでもありません。

2026年1月16日には、ランジャタイが出演する「ランジャタイのともだちんライブその6」へゲストとして出演しました。

公演の公式案内にも、ゲストとして「海野裕二」の名前が掲載されています。

また同じ2026年1月には、西本さんが海野さん、かみちぃさんと一緒にいる3ショットを公開し、3人が現在も交流している様子が伝わりました。

現在確認できる海野さんのInstagramプロフィールには、「ゆっくり暮らしてまたいつかお笑いを目指してる途中です」という言葉も記されています。

高校3年生で西本さんから声をかけられなければ、お笑いをやっていなかったと話していた海野さん。

そこから上京し、NSCでかみちぃさんと出会い、長い劇場時代を経てジェラードンの3人でキングオブコント決勝まで進みました。

2025年にジェラードンを離れたあとも、2026年には再びライブの舞台に立ち、かつての相方たちとの交流も続いています。

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