人物プロフィール
現在は『水曜日のダウンタウン』やドラマなどで知られるようになったひょうろくさんですが、芸人として歩き始めたころは一人ではありませんでした。
2012年から2020年まで組んでいた漫才コンビが「ジュウジマル」で、その相方が鹿児島県出身の橋口ひとしさんです。
しかも、会社員だったひょうろくさんをお笑いの世界へ誘ったのは橋口さんのほうで、コンビ結成後もネタ作りや出演するライブの選択などを橋口さんが担っていました。
現在のひょうろくさんの芸人人生をさかのぼると、高専時代の同級生だった橋口さんからの誘いにたどり着きます。
ジュウジマルは8年以上活動を続けましたが、2020年12月、橋口さんが地元へ戻ることになり解散しました。
その後、橋口さんは東京を離れて鹿児島へ戻り、本人のXには娘と過ごす様子も登場しています。
橋口ひとしの生い立ちと家族|鹿児島で育ち、高専でひょうろくと出会う
橋口さんとひょうろくさんの関係は、芸人になってから始まったものではなく、鹿児島で過ごした学生時代までさかのぼります。
ここで知り合った二人は、卒業後にいったん別々の道へ進み、数年後に今度は漫才コンビとして再び同じ方向を向くことになります。
1988年生まれの鹿児島県出身|「橋口仁」表記も残る
橋口ひとしさんは1988年1月30日生まれで、出身地は鹿児島県です。
M-1グランプリ公式のジュウジマルのページにも、生年月日が1988年1月30日、出身が鹿児島県と記録されています。
過去のタレントプロフィールには「橋口仁(はしぐちひとし)」という漢字表記も残っており、生年月日や出身地、相方などの情報は橋口ひとしさんと一致しています。
ジュウジマル時代のプロフィールでは、趣味にビリヤード、フットサル、ギャンブル、酒、特技には卓球と料理が挙げられていました。
一方、父親や母親、きょうだいなど、橋口さんの幼少期の家族構成について公に語られている具体的な情報は多くありません。
成人後には結婚し、後年の本人Xには娘も登場しますが、この家族については実際に登場する時期まで話を進めてから触れていきます。
鹿児島工業高専で白澤直樹と同級生になる
橋口さんが後に相方となる白澤直樹さん、現在のひょうろくさんと出会ったのは、鹿児島工業高等専門学校でした。
ひょうろくさんは同校へバレーボールの推薦で進学しており、そこで橋口さんと同級生になっています。
このころの橋口さんについて、学校でどのような性格だったのか、部活動や交友関係がどうだったのかまで詳しく語った資料は多くありません。
ただ、卒業して社会人になったあとでも、白澤さんへ「一緒にお笑いをやろう」と声をかけられる関係が続いていました。
芸人になるための養成所で偶然知り合った二人ではなく、同じ鹿児島で学生時代を過ごした同級生同士だったことが、ジュウジマルの出発点です。
会社員だったひょうろくを橋口がお笑いへ誘う
高専を卒業すると、二人はそのままコンビを組んだわけではありませんでした。
白澤さんは千葉県の建築系企業へ就職し、設計や営業の仕事を経験しながら会社員として数年間を過ごします。
卒業後は別々の道へ|白澤は建築会社で会社員に
白澤さんは高専卒業後、すぐに芸人を目指したわけではなく、建築関係の会社へ入りました。
本人の後年のインタビューでは、会社員時代は400万~500万円ほどの年収があり、芸人とはまったく違う生活を送っていたことも明かされています。
お笑い芸人について詳しかったわけでもなく、この時点で白澤さんの中に強い芸人志望があったわけでもありません。
そんな会社員生活の4年目に連絡してきたのが、高専時代の同級生だった橋口さんでした。
会社員4年目の白澤へ橋口から「一緒にお笑いをやろう」
ひょうろくさんは後年、橋口さんから誘われた当時をインタビューで振り返っています。
「会社員生活4年目のときに、高専時代の同級生(橋口ひとし)に誘われて、コンビ(ジュウジマル)を組みました。」
文春オンライン
白澤さんは芸人の知識がほとんどなかったものの、「楽しそう」という感覚で誘いを受け、その場で決めたと話しています。
白澤さん自身も、橋口さんがなぜ自分を相方として選んだのかは分からないと語っています。
つまり、ジュウジマルだけでなく、ひょうろくさんがお笑いの世界へ入った直接の入口そのものが橋口さんからの誘いでした。
橋口さん自身がいつから芸人を志望し、なぜお笑いを仕事にしようと考えたのかについては、本人が詳しく語った公開資料が少なく、その動機まで断定できる情報は残っていません。
それでも、芸人志望ではなかった同級生を誘い、自らコンビを始める側だったことは、その後のジュウジマルでの役割ともつながっています。
2012年7月11日にコンビを結成し、浅井企画へ
M-1グランプリ公式サイトでは、ジュウジマルの結成日は2012年7月11日と記録されています。
所属は浅井企画で、橋口さんと白澤さんはプロの漫才コンビとして活動を始めました。
二人がNSCなどの大手養成所で出会った記録はなく、学生時代からの関係をそのままコンビへ発展させた形です。
後年の紹介では初期に「ナリタブライアン」という名称を使ったとする情報もありますが、改名時期や命名の詳しい経緯を二人自身が説明した一次資料は限られています。
少なくとも2010年代前半にはジュウジマルとしてライブやコンテストへ出演し、鹿児島出身の同級生コンビとして活動を広げていきました。
ジュウジマルの若手時代|橋口がネタ作りと活動面を担う
ジュウジマルでの橋口さんを知るうえで重要なのが、舞台上の役割だけではありません。
コンビの裏側では、橋口さんがネタ作りやライブ選びを担っていたことを、ひょうろくさん自身が後年明かしています。
ネタは橋口がすべて書き、出演ライブも決めていた
芸人になったばかりのひょうろくさんは、周囲に面白い芸人が大勢いることに驚きながらも、自分が何を頑張ればいいのか分からなかったと振り返っています。
その横で、ネタを書き、どのライブへ出るかを決めていたのが橋口さんでした。
ジュウジマルは橋口さんが白澤さんを誘って始まり、活動が始まってからも橋口さんがコンビを動かす部分を多く引き受けていました。
現在のひょうろくさんだけを見ると想像しにくい部分ですが、ジュウジマル時代の8年間では、橋口さんの存在を抜きにしてコンビの活動を説明することはできません。
浅井企画の若手ライブや単独ライブで漫才を続ける
ジュウジマルは浅井企画の若手芸人として、「55☆NEXT!!」や「54☆LIVE!!」などのライブへ出演していました。
テレビ出演だけを目指していたわけではなく、若手ライブや営業、イベントなどで漫才を重ねる日々が続きます。
練馬放送では「ジュウジマルのきんごきんごラジオ」にも出演しており、舞台以外でも二人で活動していました。
2016年には「ジュウジマル単独ライブ~風は南から~」も開催しており、結成して数年が経ったころには自分たちの単独公演を行うところまで活動を積み重ねています。
同じ浅井企画の先輩だった流れ星☆のライブで前説や手伝いをしていた時期もあり、若手芸人として先輩の現場にも入っていました。
2014年には仙台お笑いコンテストの舞台へ
ジュウジマルの若いころの漫才を映像で確認できる資料の一つが、2014年の第6回仙台お笑いコンテストです。
主催者側のYouTubeには当時のジュウジマルの予選映像が残っており、現在テレビで見るひょうろくさんとは違う、コンビとして漫才をしていた時代の二人を見ることができます。
結成から間もない時期からこうした大会へ出場していたことからも、二人が漫才を活動の中心に置いていたことが分かります。
橋口はバイト先から社員に誘われる人物として紹介された
橋口さんの若手時代の人物像を伝える興味深い資料が、2019年の東北大学祭に残っています。
大学祭公式Xはジュウジマルを紹介する際、橋口さんについて、仕事を非常に真面目にこなし、アルバイト先から社員にならないかと声をかけられることがある人物として紹介していました。
芸人として舞台へ立つ一方、日常の仕事では別の職場から社員登用を持ちかけられることもあったという紹介は、橋口さんの芸人以外の一面が見えるエピソードです。
特技として挙げていた卓球でも、2019年には芸能事務所対抗の「芸人卓球2019」へ浅井企画チームの一員として参加しています。
M-1やラフターナイトへ|漫才を続けたジュウジマル後半期
ジュウジマルは結成してすぐに売れたコンビではなく、2010年代を通してライブや賞レースへの挑戦を続けました。
なかでもM-1グランプリでは、コンビ後半期にそれまでより先のラウンドまで進む年が出てきます。
2019年のM-1で3回戦へ進出
M-1グランプリ2019では1回戦、2回戦を通過し、ジュウジマルは3回戦へ進出しました。
結成から7年ほどが経った時期で、橋口さんとひょうろくさんは若手ライブだけではなく、全国規模の賞レースでも漫才を続けていました。
ジュウジマルのM-1で確認できる最高到達点の一つが、2019年の3回戦進出です。
ただし、この結果をそのまま「ブレイク」とすることはできません。
その後にコンビの仕事が一気に増えたわけではなく、二人は引き続きライブやラジオ、イベントなどを中心に活動していました。
東北大学祭のお笑いライブにも出演
同じ2019年には、第71回東北大学祭のお笑いライブにANZEN漫才とともに出演しました。
東北大学の公式資料にもジュウジマルの出演が残っており、東京の若手ライブだけではなく各地のイベントへ呼ばれていた時期だったことが分かります。
大学祭公式の紹介写真では、ひょうろくさんと橋口さんが並んでポーズを取り、二人組として活動していたころの雰囲気を見ることができます。
結成当初から長く一緒に漫才を続け、地方イベントや学園祭へも足を運ぶ生活が、ジュウジマルの活動の大きな部分を占めていました。
2020年もTBSラジオで漫才を披露
2020年7月には、TBSラジオの若手芸人発掘番組「マイナビ Laughter Night」へ出演しています。
番組公式ページでは、当時のジュウジマルは「浅井企画所属・漫才」として掲載され、ひょうろくさんが左、橋口さんが右に並ぶコンビ写真も掲載されています。
その年のM-1グランプリでも1回戦を通過し、2回戦まで進みました。
解散する2020年まで漫才コンビとして舞台へ出ていたため、活動後半にネタをやめてタレント活動へ完全に移っていたわけではありません。
しかし、その年の終わりに8年以上続いた二人の活動を終える出来事が起こります。
2020年、橋口が鹿児島へ戻ることになりジュウジマル解散
ジュウジマルの解散については、M-1の結果だけを見て「賞レースに敗れたから」と説明できるものではありません。
後年のひょうろくさんの証言からは、解散前の橋口さんの家庭と生活拠点、そして本人が相方へ伝えた言葉までが分かっています。
結婚後は妻が鹿児島、橋口は東京という生活だった
ひょうろくさんによると、橋口さんは解散より何年か前に結婚していました。
その後は妻が鹿児島にいて、橋口さん自身は東京で芸人活動を続ける生活になっていたといいます。
一方で、それ以前に二人の間で何度も解散話が出ていたわけではありませんでした。
ひょうろくさんはコンビ結成時から、自分のほうから辞めるとは言わないという意向を橋口さんに伝えていたそうです。
ネタを書き、ライブを選び、コンビを始めるきっかけを作った橋口さんが活動を続ける間は、ひょうろくさんもジュウジマルを続けるつもりでした。
橋口からひょうろくへ「地元に帰る」と伝える
その状況が変わったのは、橋口さんから地元へ戻るという話が出たときでした。
お笑いへ誘ったのも橋口さんでしたが、8年余り続いたコンビに区切りをつける話を切り出したのも橋口さんでした。
ひょうろくさんは当時、コンビ活動で大きな手応えを感じられない状態が続いていたものの、自分から辞めるとは言わずに活動していました。
そこへ橋口さんから鹿児島へ戻る話があり、ジュウジマルは終わりへ向かいます。
2020年12月7日に解散|橋口は「職業変更」と投稿
2020年12月7日、ジュウジマルは正式に解散しました。
同日、橋口さんは自身のXで、これまで人を楽しませる側だった立場から、楽しませる人たちを見る側への「職業変更」だと投稿しています。
浅井企画からも同日にジュウジマルの解散が告知され、M-1公式に残る2012年7月11日の結成から約8年5か月で二人のコンビ活動は終わりました。
確認できる中心的な事実は、橋口さんが地元へ戻ることを相方へ伝え、その後ジュウジマルが解散したという流れです。
結婚や2020年のM-1結果を解散の単独の原因とする説明も見られますが、橋口さん本人が「これが理由だった」と明言した一次資料までは残っていません。
そのため、家庭だけ、賞レースだけと原因を一つに決めるより、本人と相方が公にした範囲までを見るのが実際の経緯に近いでしょう。
解散後の橋口ひとし|東京を離れ、再び鹿児島へ
ジュウジマル解散後、ひょうろくさんは東京でピンの活動を続けましたが、橋口さんは芸人として表舞台へ出続ける道を選びませんでした。
二人はここから別々の生活へ進んでいきます。
2022年に「東京離れて1年以上」と本人が投稿
橋口さんが鹿児島へ戻った後の生活は、本人のXから一部を見ることができます。
2022年5月10日には、東京を離れて1年以上が経っていることに触れたうえで、芸人時代の先輩が今も気にかけてくれていることを書いていました。
その投稿には娘も登場し、「自分も鹿児島で頑張るぞ」と現在の生活拠点が鹿児島であることを本人自身が伝えています。
コンビ時代は妻が鹿児島、橋口さんが東京という生活でしたが、解散後には本人も鹿児島へ戻ったことになります。
娘との生活も見える鹿児島での投稿
芸人時代には公に出る機会が中心だった橋口さんですが、鹿児島へ戻った後のXでは家庭での時間が垣間見えるようになりました。
2022年5月の投稿で娘に触れていることから、少なくともこの時期には父親として鹿児島で生活していたことが分かります。
芸人を辞めた後もXのアカウントは残り、ひょうろくさんやかつての芸人仲間に関係する話題へ反応する投稿もありました。
2022年10月にも橋口さんのXから発信が確認されており、解散と同時に過去の芸人仲間とのつながりまで完全になくなったわけではありません。
現在の職業は断定せず、公に確認できるその後まで
橋口さんの解散後の勤務先については、鹿児島の飲食店で働いていたとする紹介が複数あります。
ただし、2026年現在も同じ勤務先・職業であることを本人や勤務先が継続的に公表している資料は確認しにくく、現在の職業として固定することはできません。
確実にたどれるのは、2020年にジュウジマルを解散して芸人としての活動に区切りをつけ、東京を離れ、鹿児島で生活していることを本人が発信したところまでです。
一方のひょうろくさんは、ジュウジマル解散後に一人で活動を続け、さらば青春の光のYouTubeなどへの出演を経て、バラエティーや俳優業へ活動の場を広げました。
その芸人人生の最初にあった「一緒にお笑いをやろう」という誘いをした人物が、橋口ひとしさんでした。
鹿児島の高専で知り合った二人は、社会人になった後に橋口さんの一言から漫才コンビになりました。
橋口さんはネタを書き、ライブを選び、ジュウジマルとして8年以上舞台へ立ったあと、自ら鹿児島へ戻る道を選びました。
現在は別々の場所を歩いていますが、ひょうろくさんが芸人として最初の一歩を踏み出した2012年のそばには、同級生だった橋口さんがいました。












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