人物プロフィール
キングオブコント2025で初めて決勝へ進み、翌2026年にも2年連続でファイナリストとなった元祖いちごちゃん。
その独特なコントの中心にいるのが、相方・植村侑史さんと長く活動してきたハイパーペロちゃんです。
現在の姿からは想像しにくいものの、生まれたのは東京・六本木で、子供時代は父親が働いていた弁当店の社宅で家族5人が暮らしていました。
高校卒業後すぐに芸人になったわけではなく、いったん大学受験を経験し、その後1年間アルバイトをしてNSCの学費を貯めています。
東京NSCでは植村さんとすぐコンビになったわけでもなく、別々の相方、即席トリオ、複数の3人組を経て、現在の2人へたどり着きました。
六本木から川崎へ移った子供時代、高校卒業前の進路、東京NSC14期での出会い、舞台にほとんど立てなかった若手時代を順番にたどっていきます。
ハイパーペロちゃんの生い立ちと家族|六本木の1DKで育った子供時代
ハイパーペロちゃんの出生地は東京都で、本人は六本木で生まれたと明かしています。
華やかなイメージの強い土地ですが、本人が後年語った家庭の様子は、そのイメージとはかなり違っていました。
弁当店で働く父の社宅で兄・弟を含む5人暮らし
父親は弁当店で働いており、一家が住んでいたのはその店の社宅でした。
きょうだいは3人で、兄と弟がいる5人家族だったといい、六本木では1DKの部屋で家族5人が暮らしていたと本人がテレビ朝日logirlのインタビューで語っています。
周囲には社長や馬主の子供もいる環境だった一方、本人は自分の家を「貧乏だった」と振り返っていました。
小学校は麻布小学校に通っており、外国の大使館が多い土地柄から外国人の子供も身近にいたそうです。
子供のころから滑舌には特徴がありましたが、六本木で暮らしていた時期には、それを周囲から強く意識されることはなかったといいます。
家で見られた数少ないバラエティが『バカ殿』だった
自宅にあったテレビは1台で、チャンネルを決めるのは主に父親でした。
演歌、野球、相撲、競馬など父親が好む番組が流れる家庭で、ハイパーペロちゃんが子供のころに見ていた数少ないバラエティが『志村けんのバカ殿様』でした。
「子供のころ、唯一観てたバラエティが『バカ殿』で、それでお笑いが好きになりました」
テレビ朝日 logirl
志村けんさんやザ・ドリフターズがお笑いとの早い時期の接点になりました。
後にはM-1グランプリも見るようになり、アンタッチャブルの柴田英嗣さんのようなツッコミにも憧れていたと話しています。
現在は独特なボケの印象が強いハイパーペロちゃんですが、若いころに思い描いていた芸人像は現在と同じではありませんでした。
10歳で六本木から川崎へ引っ越し、生活環境が変わる
生活が大きく変わったのは10歳ごろでした。
六本木の社宅を離れることになり、一家は神奈川県川崎市へ移ります。
本人によると、競馬好きだった父親が競馬場の近くに住みたがったことも川崎へ移った理由の一つだったそうです。
父親は酒を飲むことも多く、子供たちと遊んでいる最中にハイパーペロちゃんがけがをして、救急車で運ばれたこともあったと本人が語っています。
ただし本人は、父親について単純に悪い人物だったという語り方はしておらず、父親なりに子供たちと遊んでいたのだとも振り返っています。
川崎での学生時代|いじめを経験した中学時代から高津高校へ
六本木から川崎への転居は、住所が変わっただけではなく、学校での過ごし方にも変化をもたらしました。
六本木では特に問題にならなかった本人の特徴が、新しい学校ではからかいの対象になったといいます。
転校後、滑舌や六本木出身をからかわれるようになった
川崎へ移ってからは、滑舌の悪さや六本木から来たことを理由に、周囲からからかわれるようになりました。
以前通っていた学校を聞かれて「麻布小学校」と答えたことから、発音をもじったあだ名を付けられたこともあったそうです。
本人はもともと活発に前へ出るタイプではなかったといい、環境が変わったことでさらに内向的になっていきました。
中学生になるといじめはさらに強くなり、本人は後年、生きることをやめようと考えるほど追い詰められた時期があったことを公に話しています。
14歳ごろに「生きている証を残したい」と考える
その時期を振り返ったインタビューでは、14歳ごろに一度深く追い詰められたあと、考え方が変化したことを話しています。
「そのときに生きてる証を残したいって考えて、お笑いをしようって浮かんだ」
LIVE GAGA
子供のころに『バカ殿』を見ていた経験に加え、中学生のころには「お笑い」という進路が本人の中に浮かぶようになりました。
この時点ですぐ養成所へ向かったわけではなく、実際に芸人への一歩を踏み出すまでには高校生活と進路選択がありました。
川崎市立高津高校で芸人を進路として口にする
浅井企画の公式プロフィールでは、ハイパーペロちゃんの出身高校は神奈川県川崎市立高津高等学校と記載されています。
高校生になるころにはM-1などのお笑いも見るようになっており、高校卒業後はお笑いをやりたいと考えていました。
高校3年生になり進路を決める時期が来ると、本人は三者面談で初めて「芸人になりたい」と口にします。
しかし、担任教師から勧められたのは、まず大学へ進んで社会を見るという進路でした。
高校卒業後に大学受験を経て芸人の道へ
ハイパーペロちゃんが東京NSCへ入るまでには、大学受験と1年間のアルバイト生活が挟まっています。
芸人になるという目標だけを一直線に追ったわけではありませんでした。
三者面談で芸人志望を伝え、いったん大学進学を目指す
高校3年の三者面談で芸人志望を伝えた際、教師からは本人にとって厳しい言葉が返ってきたといいます。
それでも話し合いの末、まず大学を受験することになりました。
ちょうどそのころ、3歳年上の兄も大学受験をすると言い出し、兄弟で夏期講習に通っています。
兄は合格した一方、ハイパーペロちゃんは受験した大学に合格できませんでした。
大学受験に不合格、NSCの募集時期も逃す
大学へ進まないことが決まった時点で、もともと希望していたNSCの入学時期もすでに過ぎていました。
ここで翌年まで待つことになり、その時間を使って養成所へ入るためのお金を用意します。
1年間アルバイトで学費を貯め、東京NSC14期へ入学
高校卒業後の1年間はアルバイトをし、自分でNSCの学費を貯めました。
「1年間バイトして学費を貯めて入りました」
テレビ朝日 logirl
こうして入ったのが東京NSC14期でした。
ここで、後に長くコンビを組むことになる植村侑史さんと出会います。
東京NSC14期で植村侑史と出会う
ハイパーペロちゃんと植村さんは養成所の同期ですが、入学した時点ではお互いを相方に選んでいません。
現在の元祖いちごちゃんになるまでには、別コンビでの活動とNSCの夏合宿がありました。
最初は別のウエムラと「ブルーバード」を組みツッコミを担当
NSCへ入ったハイパーペロちゃんが最初に組んだのは、植村侑史さんではなく、別の「ウエムラ」という同期でした。
コンビ名は「ブルーバード」で、このころのハイパーペロちゃんはツッコミを担当していました。
アンタッチャブル・柴田英嗣さんのようなツッコミに憧れていたという話ともつながります。
植村さんにも別の相方がおり、2人の芸人人生はしばらく別々に進んでいました。
最初のネタ見せで5分間の壁当てネタを披露
NSCに入って間もないころ、最初のネタの授業で「ネタができる人」を募る場面がありました。
誰も手を挙げない中で、最初に名乗り出たのがハイパーペロちゃんでした。
本人は、早い段階で面白いところを見せれば、同期からコンビに誘われると聞いていたため、自分から前へ出たと説明しています。
披露したのは、壁にボールを投げ、跳ね返ってきたボールが自分に当たるという動作を繰り返すネタでした。
本人の体感では短時間だったものの、植村さんによると約5分も続き、途中で終わったように見せて再開する場面まであったそうです。
本人にとって、人前で何かを披露した最初の経験だったといいます。
狙ったようには受けませんでしたが、その姿を見た同期たちが次々に手を挙げ始めたことを植村さんが後年笑いながら振り返っています。
夏合宿の即席トリオ「とんちんかんぷん」で3位に入る
2人の距離が一気に近づいたのは、NSCの夏合宿でした。
ハイパーペロちゃんはブルーバードの相方が合宿に来ず、植村さんも当時の相方を失って一人で参加していました。
そこで、もう一人の同期を含めた3人で即席トリオ「とんちんかんぷん」を結成します。
それまで選抜に入るような存在ではなかった3人でしたが、合宿最後のネタ大会では3位に入りました。
この即席トリオで初めて手応えを得たことが、植村さんとハイパーペロちゃんが一緒に活動する入口になりました。
植村の誘いを一度断ってから「いちごちゃん」結成へ
夏合宿で結果を出したからといって、そのまま現在のコンビが生まれたわけではありません。
植村さんからの誘いをハイパーペロちゃんが一度断ったところから、現在まで続く2人の関係が始まります。
ブルーバード解散後、ハイパーペロちゃんから「やっぱり組もう」
合宿で3位になった植村さんは、手応えを感じた3人で正式に活動したいと考えました。
ところが、ハイパーペロちゃんともう一人のメンバーは、その誘いを断ります。
植村さんはかなり落ち込み、一時はNSCの授業を休んだと後年話しています。
その約1か月後、ハイパーペロちゃんのブルーバードが解散しました。
「やっぱ組みましょうか」
テレビ朝日 logirl
一度は植村さんの誘いを断ったハイパーペロちゃんが、今度は自分から声をかけました。
ここで2人の「いちごちゃん」が始まります。
「まめぞう」など3人組を繰り返した若手時代
ただ、2人は夏合宿で3人組として受けた感触が忘れられず、しばらくはトリオにこだわっていました。
植村さんも当時はボケをやりたかったため、3人目としてツッコミ役を加える形を考えていたといいます。
合宿時代の「とんちんかんぷん」から、2人の「いちごちゃん」、3人目が加わった「まめぞう」、さらに別のメンバーを入れたトリオの「いちごちゃん」へと形が変わっていきました。
一緒に暮らしていた3人目と私生活上の事情から別れた時期があり、その後加わった別のメンバーとは約2年間活動したものの、その人物が病気になったことで再び編成が変わっています。
なお、ハイパーペロちゃん本人が特定の病気を公表した公式情報はありません。
元祖いちごちゃんの過去を振り返った本人・相方のインタビューで「病気」として語られているのは、この時期に活動していた3人目のメンバーについての話です。
最初の2人へ戻り「元祖いちごちゃん」となる
3人目が抜け、再び植村さんとハイパーペロちゃんの2人だけになりました。
最初の「いちごちゃん」の2人へ戻ったことから、コンビ名に「元祖」を付けることになります。
浅井企画の公式プロフィールでは、現在の元祖いちごちゃんは2014年10月結成とされています。
NSC時代から2人で活動した時期はありましたが、「いちごちゃん」の編成が何度も変わっているため、養成所で最初に組んだ年と現在のコンビの公式結成年は分けて考える必要があります。
2008年にNSCで出会い、別コンビやトリオを経て、2014年に現在の元祖いちごちゃんという2人組へ落ち着きました。
コンビ名と「ハイパーペロちゃん」という芸名の由来
「いちごちゃん」という名前が決まったのは、2人がマクドナルドで話していたときでした。
店内にいちごシェイクの看板があり、さらに2人とも漫画『いちご100%』が好きだったことから「いちご」を選び、かわいさを出すため「ちゃん」を付けたと話しています。
「元祖」は最初の2人へ戻ったことに加えて、漫画『元祖!浦安鉄筋家族』からも取っています。
一方、「ハイパーペロちゃん」という芸名は、NSC時代に本人が考え抜いて付けたものではありません。
同期の芸人が突然そう呼び始め、周囲にいた植村さんやバベコンブらが笑ったことで名前が広がりました。
本人は、舌が長く、滑舌に特徴があることが名前の由来ではないかと話しており、浅井企画の公式プロフィールでも「舌を鼻につけること」が特技として掲載されています。
吉本で舞台に立てない時代を経てオフィス北野へ
NSCを出たあとも、すぐにライブやテレビの仕事が増えたわけではありません。
むしろ吉本時代は、舞台へ上がること自体が難しい状態が続いていました。
ネタ見せを通れず、ライブの手伝いが続いた吉本時代
当時は本社のネタ見せを通過できず、一番下のランクのライブでビラ配りなどの手伝いをする時間が多かったと植村さんが語っています。
数年間在籍しながら、舞台へ出た回数は10回にも満たないのではないかというほどでした。
当時は『爆笑レッドカーペット』などを背景に短いネタが多く求められ、1分ほどの尺では、元祖いちごちゃんが後に武器にするゆっくりとした「間」を使いにくかったといいます。
短い時間にボケを重ねるスタイルとも噛み合わず、なかなか上のライブへ進めませんでした。
最終的に吉本を離れ、フリーで活動することになります。
22歳ごろに両親が離婚、その後父親と再会する
芸人として活動を始めて間もない22歳ごろには、家庭でも大きな変化がありました。
父親の借金が重なった時期に両親が離婚し、それまでの家族の生活が終わったと本人と植村さんが明かしています。
家の片付けには植村さんや親しい芸人仲間も加わっていました。
その後、ハイパーペロちゃんは父親がどこで暮らしているのか分からない時期を過ごします。
約10年後、兄から父親が末期がんだと知らされ、入院先へ会いに行くことになりました。
そのとき一緒に病院まで行ったのが植村さんでした。
長期間会っていなかった父親は痩せており、最初は本人が気づかなかったといいますが、その後は時間の融通が利いたハイパーペロちゃんが何度も病院へ足を運んだそうです。
同期と元町公園で過ごしていた売れる前の日々
仕事が多くない若手時代には、NSC同期のバベコンブらと頻繁に集まっていました。
場所は水道橋の元町公園で、週4〜5回ほど顔を合わせ、鬼ごっこをしたり、近くの大学の学食へ行ったりしていたと話しています。
芸人として大きな仕事があるから集まるのではなく、泊まり、遊び、また会うという時間が続いていました。
現在の賞レースで名前が知られる以前には、こうした同期との日常が長くありました。
フリーを経てオフィス北野へ挑戦する
吉本を離れたあと、2人が次の所属先として目を向けたのがオフィス北野でした。
ビートたけしさんがいる事務所だったことに加え、マッハスピード豪速球、キュウ、ランジャタイ、スーパー3助さん、バベコンブなど、2人と近い若手芸人が集まっていた時期でもありました。
ただし、希望すればすぐ所属できる環境ではありませんでした。
元祖いちごちゃんが正式に所属するまでには、長いネタ見せと審査の期間が待っていました。
再挑戦で「間」を評価され、元祖いちごちゃんの芸風が固まる
現在の元祖いちごちゃんを見たときに特徴として分かりやすいのが、たっぷり時間を取る「間」です。
しかし2人は最初から、それが自分たちの武器だと考えていたわけではありませんでした。
最初の評価で終わらず、2人でもう一度ネタを見せる
オフィス北野の審査では、最初にサンキュータツオさんへネタを見せた際、厳しい評価を受けました。
当時一緒に活動していた3人目のメンバーは、その結果もあって芸人を辞めています。
植村さんも再挑戦には乗り気ではありませんでしたが、もう一度受けようと話したのはハイパーペロちゃんでした。
「ふたりでもう一回受けたら、結果も変わるんじゃない?」
テレビ朝日 logirl
ここで2人だけのネタをもう一度見せたことが、その後の芸風をはっきりさせる出来事になりました。
長い「間」が初めて武器だと評価される
再挑戦で披露したネタは、現在の元祖いちごちゃんにも通じるゆっくりした空気を持つコントでした。
そこでサンキュータツオさんから指摘されたのが「間」でした。
植村さんは、それまで自分たちでは「間」が持ち味だと気づいていなかったと話しています。
トリオ時代には3人目が入ることで空白が埋まり、結果的にその特徴が出にくくなっていたとも振り返っていました。
吉本時代には短いネタの中で弱点のように見えていた長い「間」が、別の場所では元祖いちごちゃん特有の面白さとして評価されました。
オフィス北野からフリーを経て2019年に浅井企画へ
最初の審査を通ったあとも、正式所属までには「チャレンジコーナー」などのネタ見せがありました。
当時はキュウやランジャタイらも参加しており、元祖いちごちゃんは思うように1位を取れなかったといいます。
最終的にはスタッフから審査会への推薦を受け、お客さんから必要な得票を獲得して所属が決まりました。
オフィス北野に正式所属したのは2016年です。
ところが、ようやく所属が決まったあとに事務所を取り巻く環境が変化し、2人は再びフリーとなりました。
そして2019年1月に浅井企画へ所属します。
浅井企画に入ってからは、オーディションの機会が増えたことにハイパーペロちゃん自身が驚いたと語っています。
長いライブ生活からキングオブコント決勝へ
浅井企画へ移ったからといって、すぐ全国的なブレイクが訪れたわけではありません。
元祖いちごちゃんはライブへ出ながら、キングオブコントへの挑戦を続けていきました。
2020年にKOC準決勝へ進むも、その後は決勝まで届かない
浅井企画の公式記録では、キングオブコント2019で準々決勝へ進み、2020年には準決勝まで進出しています。
ところが、その後はなかなか決勝へ届きませんでした。
2026年のlogirlインタビューで植村さんは、2020年の準決勝後、4年続けて準々決勝で敗れた時期を振り返っています。
2023年には設定や演技を変え、2024年には手応えのあるネタもあったものの、それでも決勝には進めませんでした。
一方で、2人が活動の中心にしていたライブでは、自分たちのネタが受ける感覚は残っていました。
アルバイトを続けながら芸人仲間とネタを磨く
2025年に初めてKOC決勝へ進んだ時点でも、ハイパーペロちゃんはアルバイトを続けていました。
職場にはウルトラスーパーコバタナックスの田中祐司さんや、4000年に一度咲く金指さんなどの芸人がいたそうです。
「休憩中もお笑いの話をして、お笑い漬けの毎日でした」
TBSテレビ「キングオブコント2025」ファイナリストインタビュー
長く付き合いのある芸人仲間からも「お前らはおもしろい」と言われ続け、それが活動を続ける支えになったと2人は話しています。
M-1で1回戦敗退した際には、植村さんが本気で芸人を辞めることを考えた時期もありました。
それでもコンビは解散せず、地下ライブを中心にネタを続けました。
2025年に初のKOC決勝進出
転機が来たのはキングオブコント2025でした。
5年ぶりに準決勝へ進み、そのまま現在のコンビとして初めて決勝進出を決めます。
この年に大きく方向転換したのではなく、それまで持っていた「間」とダークな言葉を使う世界観を、さらに伸ばす方針を選んでいました。
長年変えずにきた元祖いちごちゃんらしさを深めた年に、初めてKOC決勝への扉が開きました。
ファイナリスト発表で名前を呼ばれたハイパーペロちゃんは、驚きや緊張が一気に押し寄せ、頭が真っ白になったとTBSのインタビューで明かしています。
決勝ではスーパーの店員と客を題材にした「試飲販売」のコントを披露しました。
大舞台でも本人の様子は普段と大きく変わらず、MCの浜田雅功さんを見て気さくに声をかけたことも後日のインタビューで語られています。
植村さんによると、番組の裏側では浜田さんからハイパーペロちゃんについて面白がる言葉もあったそうです。
2026年も決勝進出し、2年連続ファイナリストに
初決勝から約1年後の2026年9月10日、キングオブコント2026のファイナリスト10組が発表されました。
その中には元祖いちごちゃんの名前が再びありました。
2025年の初進出に続き、2026年は2年連続2回目のキングオブコント決勝進出です。
ハイパーペロちゃんは発表後、1回だけなら偶然と思われるかもしれないが、2回決勝へ行けたことへのうれしさを口にしています。
「あとは昨年の順位を超えたいなって思います!」
TBSテレビ「キングオブコント2026」
キングオブコント2026の決勝は2026年10月17日に予定されており、現時点では決勝進出までが確定しています。
ハイパーペロちゃんの現在|絵とラジオ、コントを続ける日々
KOCで広く知られるようになった現在も、活動は賞レースだけではありません。
ライブ、ラジオ、YouTubeなど、元祖いちごちゃんとして続けてきた活動が並行しています。
闇クレヨンアートや絵日詩を続ける
浅井企画の公式プロフィールでは、ハイパーペロちゃんの趣味として「絵を描くこと」「闇クレヨンアート」「絵日詩」が掲載されています。
芸名やコントのキャラクターだけでなく、絵を描くことも以前から続けている活動の一つです。
特技には舌を鼻につけられる「舌芸」が記載されており、NSC時代から語られてきた長い舌という本人の特徴も現在のプロフィールに残っています。
GERAやライブなど活動の幅が広がる
2026年6月には、お笑いラジオアプリGERAで「元祖いちごちゃんのいちご1000%」がスタートしました。
浅井企画の公式プロフィールでも毎週火曜日20時配信のレギュラー番組として掲載されています。
コンビ名を決めるきっかけの一つだった漫画『いちご100%』を思わせる番組名で、NSC時代から続く2人らしいタイトルになっています。
地上波番組への出演だけでなく、浅井企画のお笑いライブや各種ライブへの出演も継続しています。
子供のころから続いた道の先でコントを続けている
六本木の1DKで家族と暮らし、『バカ殿』を数少ないバラエティとして見ていた子供時代がありました。
川崎での学生生活を経て高校3年で芸人志望を口にし、大学受験のあと1年間働いて自分で学費を用意して東京NSCへ入りました。
そこで植村さんと出会ったあとも、別コンビ、即席トリオ、3人組、吉本、フリー、オフィス北野と活動の形は何度も変わっています。
その中で2人だけになったときに評価された長い「間」は、現在も元祖いちごちゃんを特徴づけるコントの武器になっています。
そして2025年に初めてキングオブコント決勝へ進み、2026年には2年連続でファイナリストに選ばれました。
高校卒業後に1年かけてNSCへ入ったころから長い時間を経ても、ハイパーペロちゃんは植村さんとともにコントを続けています。












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