人物プロフィール
演劇とコントを行き来する8人組「ダウ90000」のメンバーとして舞台に立ち、蓮見翔さんとの漫才コンビ「1000」ではM-1グランプリにも挑んでいる園田祥太さん。
2025年にはNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で水野為長を演じ、学生時代から続けてきた舞台以外にも活動の場を広げています。
ところが、大学へ入るころまでの園田さんには、芸人になるという明確な夢も、演技の経験もありませんでした。
進学先の日本大学芸術学部も親の一言をきっかけに受験し、そこで偶然出会ったのが、のちにダウ90000を率いる蓮見翔さんでした。
しかも2人が仲良くなるきっかけは、園田さんが授業で発表して大滑りした一本の動画でした。
園田祥太の生い立ちと家族|いじられ役だった10代
園田さんの10代をたどると、現在ダウ90000で見せている姿と重なる部分が早くからあった一方、将来については意外なほど決めていなかったことが分かります。
家族構成や父親・母親、兄弟姉妹について詳しい公表情報は多くありませんが、大学進学の方向を決める場面では、親の何気ない一言が大きく関わっていました。
人気芸人のモノマネをしていた子ども・学生時代
園田さんは自身の10代について、基本的には「いじられキャラ」だったと明かしています。
子どものころから人に嫌われたくないという気持ちがあり、学校では自分から強く前へ出て笑いを取りにいくというより、周囲からいじられると笑って返すタイプでした。
それでも人前へ出ること自体は嫌いではなく、クラスメートの前で当時人気だった芸人のモノマネをすることもあったそうです。
ただし、このころからお笑い芸人を目指していたわけではありません。
学校で人を笑わせる場面はあっても、それを将来の職業へ結びつけて考えてはいませんでした。
目立ちたくて生徒会長、それでも内気だった学生生活
園田さんは10代の自分について、「目立ちたい」「嫌われたくない」「内気」という三つの性格が同時にあったと説明しています。
目立ちたい気持ちから生徒会長を務める一方、内気な面もあり、女子とはほとんど話せなかったというほどでした。
積極的にボケ続けるのではなく、周囲にいじられてニコニコと返すという立ち位置も、このころにはすでにできていました。
「10代のときなんか、1秒も焦ったことなかったですよ(笑)」
Steenz
周囲に将来やりたいことを持つ人がいても、18歳、19歳ごろの園田さん自身には焦りも具体的な目標もなかったといいます。
高校卒業後の進路|親の一言で日本大学芸術学部へ
園田さんの小学校・中学校・高校の校名は、本人や所属先による確かな公表情報では明らかにされていません。
高校卒業が近づいても、園田さんには「これを仕事にしたい」というはっきりした進路はありませんでした。
そんなとき、たまたま家で見ていたニュース番組で日本大学芸術学部が特集されます。
一緒に見ていた親から、日芸へ行って映画監督などになれば目立てるのではないかという趣旨で勧められ、園田さんも「受けてみるか」という程度の気持ちで受験しました。
日芸への進学は、昔から映画監督を目指して準備していた結果ではなく、テレビを見ていた親の一言から動き始めました。
日本大学芸術学部へ|夢も目標もなかった18歳
園田さんが進んだのは日本大学芸術学部映画学科でした。
大学へ入ってからも、俳優や芸人になることを目標にしていたわけではなく、最初に興味を持っていたのは別の分野でした。
アニメ好きからシナリオを学ぶ道へ
園田さんはもともとアニメが好きで、映画学科ではシナリオを学ぶコースへ進みました。
本人によれば、大学へ入るまでお笑いを熱心に見てきたわけでもなく、自分に何か才能があればいいという程度の感覚だったといいます。
「僕がなんにも目指してなかったんですよ。演技もしたことなかったですし。」
Bezzy
シナリオコースだったため脚本を書く機会もありましたが、初期には筋トレをしすぎて肩がガンダムのようになるという設定の作品を書き、蓮見さんらから厳しく意見を言われたこともありました。
脚本家として頭角を現して前身団体へ入ったのではなく、むしろ大学で作品を作りながら失敗する側の経験も重ねていました。
大滑りした一気飲み動画が蓮見翔との出会いになった
大学入学直後、映画学科の授業で「自分を紹介する短い映像」を作る機会がありました。
園田さんが考えたのは、努力する性格を表すため、500mlの水を一気飲みできるようになったという内容の動画でした。
ところが、みんなの前で上映すると作品はまったくウケず、教授からも厳しい評価を受けます。
同じ授業で蓮見翔さんが発表した映像は対照的に笑いを取っていました。
その後、園田さんが大学の学食にいると、それまで面識のなかった蓮見さんが近づき、先ほどの動画について率直に感想を伝えてきました。
園田さんにとって大滑りした最初の大学課題が、蓮見翔さんと初めて話すきっかけになりました。
園田さんは嫌な印象を受けず、2人はその場から意気投合して仲良くなります。
この時点では、のちに2人で長く舞台を作り、さらに漫才コンビまで結成することになるとは決まっていませんでした。
演技未経験で「はりねずみのパジャマ」へ
蓮見さんと知り合ったあと、園田さんの学生生活に舞台が入ってきます。
その入口となったのが、ダウ90000の前身にあたる「はりねずみのパジャマ」でした。
「断らなそう」で誘われ、遊びのつもりで初舞台へ
はりねずみのパジャマは、園田さんと蓮見さんが大学1年だった2017年3月に初公演を行い、当初は男性8人で始まりました。
園田さんは演技に興味があって自分から参加を申し出たわけではありません。
人数が必要になった際、蓮見さんたちから「断らなそう」という理由で声をかけられ、本人も面白そうだからやってみようという軽い気持ちで加わりました。
舞台へ誘われた時点で、園田さんには演技経験が一度もありませんでした。
ところが実際に演じてみると周囲から評価され、蓮見さんも後年、園田さんは最初から演技がうまかったと振り返っています。
本人にとっても、経験ゼロで始めた演技を褒められたことが、そのまま舞台を続ける理由になりました。
教室と蛍光灯で公演、客4人だった学生時代
現在のダウ90000は各地の劇場で公演していますが、学生時代の環境はまったく違いました。
園田さんたちは映画学科の学生だったため、演劇学科のようにホールを借りられず、主な公演場所は大学の教室でした。
テーブルを立てて舞台袖を作り、照明は教室にもともとある蛍光灯を使います。
作品を上演してもなかなか人が集まらず、看板を持って観客を呼び込んでいた時期もありました。
蓮見さんが振り返った公演の中には、客が4人しかいない一方で、出演する側は15人ほどいたという日まであります。
大勢で舞台に立ちながら、その人数よりずっと少ない観客を相手に作品を見せていたのが、園田さんたちの学生時代でした。
園田と蓮見の20分の会話が大ウケした日
少ない観客の前で公演を重ねる中、後のダウ90000の作風へつながる一場面も生まれています。
のちにメンバーとなる忽那文香さんが学生時代に見た公演では、園田さんと蓮見さんがブルーシートに世界地図を広げ、国旗を覚えるという設定のネタがありました。
その中で2人が約20分にわたって会話を続ける場面があり、そこが非常に大きな笑いを取ったといいます。
園田さんと蓮見さんが長く話し続けるだけの場面が客席に届いたことで、蓮見さんは会話劇を磨く方向へ進む手応えを得ました。
まだダウ90000という名前もなく、大きな劇場もなかったころ、現在につながる会話のテンポは大学の教室で少しずつ形になっていました。
大学卒業後は就職せず、ダウ90000結成へ
学生団体で舞台を続けていても、大学を卒業すれば生活のために進路を決めなければなりません。
園田さんの場合、その時点でも一般企業へ就職する道は選びませんでした。
卒業後の半年間はアルバイト生活
園田さんは会社勤めが自分の性格には向いていないと考え、大学卒業時に就職活動をして会社員になる道を選びませんでした。
卒業後は半年ほどアルバイトをしながら生活していました。
この時期も「絶対に芸人として成功する」と将来を決めていたわけではなく、本人の表現では、かなりゆっくりした生活を送っていたといいます。
そこへ前身団体を取り巻く状況の変化と、新型コロナウイルスによる活動停止が重なりました。
コロナで活動が止まり、2020年9月にダウ90000として再出発
2020年、コロナ禍で公演ができなくなり、前身団体の活動は約3か月止まりました。
もう一人の主宰とも連絡が取れなくなり、大学を卒業した蓮見さんは、このままではいけないとグループを仕切り直すことを決めます。
2020年9月、メンバーへ本気で活動を続ける意思があるかを伝えました。
「これからマジで売れるので、就職するつもりの人は抜けてください」
logirl
ここで前身団体を仕切り直し、「ダウ90000」として本格的に活動する道が始まりました。
園田さんは、会社勤めをしなくてもこの活動で生きていけるかもしれないと考え、蓮見さんについていくことを決めます。
養成所へ入り直したり芸能事務所のオーディションから始めたりしたのではなく、日芸で出会った仲間との学生時代の活動が、そのまま仕事へ移っていきました。
「あの子の自転車」で月15本の新作コントを4か月
ダウ90000として仕切り直したあと、まず2021年1月の第1回演劇公演『フローリングならでは』を目標にしました。
その公演へ観客を呼ぶため、毎月開催したのがコントライブ『あの子の自転車』です。
初回は大人数をコントでどう動かすか難しさが残ったものの、その後も新作を作り続けました。
1か月に新作コント15本を下ろす生活を、4か月連続で続けています。
当時のYouTubeは200回ほどの再生にとどまることもあり、『あの子の自転車』も約30人の会場を知人へ声をかけながら埋めている段階でした。
学生時代の客4人の教室から場所は変わっても、まだ世間に広く知られたグループではありませんでした。
若手時代のダウ90000|少ない観客から8人体制へ
大量の新作を作り続ける中で、ダウ90000は人数の多さそのものを生かすコントを見つけていきます。
その一方で、現在の8人になる直前には、公演そのものを作り直さなければならない出来事も起きました。
大人数コント「フロント」で手応えをつかむ
『あの子の自転車』第2回で披露された「フロント」は、当時のメンバー10人全員が出演するコントでした。
それまでは3人や5人などに分かれて出演するネタが中心でしたが、「フロント」では10人が次々としゃべり、あるタイミングで蓮見さんが反応する構造を作ります。
このネタが、それまでとは違う形で客席にウケました。
「人数が多い」という特徴そのものを笑いへ変えられる感触をつかみ、後のダウ90000らしい大人数コントが増えていきました。
その後の「顔合わせ」「AED」「まちがいさがし」なども、「フロント」から派生した形だったと蓮見さんは説明しています。
「旅館じゃないんだからさ」3週間前に2人が脱退
現在の8人体制が決まる直前、大きな変更を迫られたのが第2回本公演『旅館じゃないんだからさ』でした。
本番のおよそ3週間前に2人がグループを離れることになり、そのうち1人はすでに出演を前提に脚本が完成していました。
メンバーたちは約3時間話し合い、一度外へ出て考えてもらうことにします。
その人が戻るまでの間、残ったメンバーが自分たちのコントのセリフから作品名を当てる遊びをしていると、最後に偶然出たタイトルが「脱退」でした。
そこへ本人が戻ってきて、グループを抜ける意思を伝えます。
公演3週間前に脚本を書き直し、残った8人で舞台を完成させることになりました。
『旅館じゃないんだからさ』は上演後に評判を得て、上演台本は第66回岸田國士戯曲賞の最終候補に選ばれます。
8人で今後も続ける意思を確認するため区民館で一人ずつ真剣に話した際、蓮見さんは園田さんの様子をこんなふうに覚えていました。
「園田はずっと『早く終わんないかな』って顔してました。」
logirl
周囲が熱く思いを語る場でも、園田さんについてはこうしたエピソードが残っています。
冠ドラマで「サークル気分」から仕事へ変わった
ダウ90000の仕事が増え始めても、園田さんの中には長く、大学サークルから続いている感覚が残っていました。
その意識が変わったのが、2022年に放送された初の冠ドラマ『ダウ90000 深夜の内風呂で』の撮影でした。
ドラマでは、自分たちの舞台とは比較にならないほど多くのスタッフが動き、大きなお金がかかり、それぞれが責任を負って作品を作っています。
その現場を経験したことで、園田さんの中から「サークルの延長」という感覚が消え、活動を仕事として捉えるようになりました。
2022年秋のインタビューでは、その直前の2〜3か月ほどはアルバイトをしなくても何とか生活できる状態になったとも話しています。
蓮見翔と漫才コンビ「1000」を結成
日芸の学食で初めて話し、前身団体からダウ90000まで一緒に活動してきた園田さんと蓮見さんは、やがて8人組とは別に2人だけで漫才をするようになります。
そこで生まれたコンビが「1000(セン)」です。
2023年、大学時代からの同期2人で漫才へ
M-1グランプリ公式サイトでは、1000の結成年は2023年7月31日と登録されています。
園田さんが左、蓮見さんが右に立つ漫才コンビで、2人は「超能力少年」というお笑いライブも主催しています。
大学1年で出会ってから約6年後、演劇やコントを一緒に続けてきた同期2人が、正式な漫才コンビとしてM-1へ挑むようになりました。
園田さんの芸人人生は、最初から漫才師として始まったものではありません。
演技未経験で学生劇団へ入り、会話劇とコントを経たあとに、漫才という新しい形が加わっています。
M-1準々決勝へ進み、ダウとは別の2人の形が生まれる
1000は結成した2023年のM-1グランプリで準々決勝へ進出しました。
さらに2025年大会でも準々決勝へ進み、ダウ90000の中から生まれた一時的な企画ではなく、2人の活動の一つとして漫才を続けています。
学生時代には世界地図を前に約20分会話していた2人が、今度はマイクの前で会話を組み立てるようになりました。
俳優として大河『べらぼう』へ|園田祥太の現在
大学で初めて演じたころは、舞台に立つこと自体が予定になかった園田さんですが、活動は演劇やコントの外にも広がっていきました。
2025年にはNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』へ出演しています。
名前のなかった「家臣」から水野為長役へ
園田さんが演じたのは、松平定信に仕える水野為長です。
最初から名前のある役として決まっていたわけではなく、当初の役名は「家臣」でした。
「最初の役名はただの『家臣』だったんですが、『水野為長』と言う名前をいただきまして」
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その後、役には水野為長という名前が付き、第11〜12話、第29話から最終話まで出演しました。
大学で演技経験ゼロから舞台に立った園田さんは、2025年には大河ドラマで名前のある役を演じ、最終回まで出演しました。
演劇・コント・漫才・俳優を行き来する現在
現在の園田さんは、どれか一つだけを活動の中心に固定しているわけではありません。
ダウ90000では演劇とコントに出演し、1000では蓮見さんと漫才を行い、個人ではドラマなどにも出演しています。
2020年に旗揚げされたダウ90000自体も、所属先の公式プロフィールで「演劇とコントの境界線を飛び越えた8人組」と紹介される存在になりました。
学生時代には演技かお笑いかを決めてから参加したわけではなかった園田さんにとって、複数のジャンルを行き来する形がそのまま現在まで続いています。
全国10都市の「40000」とキングオブコント2026へ
2026年、ダウ90000は約2年ぶりのコント単独公演「40000」をスタートさせました。
大阪、東京、札幌、仙台、福岡、広島、鹿児島、金沢、名古屋、横浜の全国10都市を巡る公演です。
さらに2026年8月24日には、ダウ90000のキングオブコント2026準決勝進出も発表され、9月4日の準決勝へ進むことが決まっています。
客が4人だった日芸の教室で演技を続けた学生時代から、園田さんは蓮見さんや仲間たちと舞台を重ねてきました。
芸人になる夢を決めて日芸へ進んだわけではなく、大滑りした大学の課題から蓮見さんと知り合い、「面白そう」と参加した舞台がそのまま仕事へ変わっていきました。
現在はその延長で、ダウ90000の演劇とコント、1000の漫才、そして俳優としての仕事にも立っています。












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