人物プロフィール
お笑いトリオ「cacao」の中央に立ち、コントではツッコミを担う浦田スタークさん。
2024年にはcacaoとしてキングオブコント初の決勝進出を果たしましたが、お笑いの大会で結果を残したのはプロになってからが最初ではありません。
高校3年生だった2016年、同級生とのコンビ「午前午後」で、高校生漫才の全国大会「ハイスクールマンザイ2016」を制しています。
ところが卒業後すぐに芸人になる道は選ばず、大学受験、1年間の浪人を経て、神戸大学とNSC大阪校へ同時に入学するという進路を選びました。
高校生のころから漫才日本一になっていた浦田さんが、どんな家庭で育ち、なぜ一度大学進学を目指し、その後芸人になることを決めたのかを幼少期からたどります。
浦田スタークの生い立ちと家族|大阪府摂津市出身、兄と妹がいる子ども時代
浦田スタークさんは1998年10月24日生まれ、大阪府摂津市出身で、家族には兄と妹がいます。
テレビで見せる姿からさらに時間をさかのぼると、兄妹と同じ画面を囲んで過ごしていた子ども時代の記憶が残っています。
兄・妹とテレビデオを囲んだ幼少期、小学生のころから勉強が得意だった
2021年に本人がよしもと漫才劇場のコラムで「ビデオ」をテーマに昔を振り返った際、小学生くらいまでVHSが身近にあり、兄と妹の3人で『アンパンマン』や『ドラえもん』の映画を見た記憶を書いています。
使っていたのは、おそらくテレビとビデオデッキが一体になった「テレビデオ」だったそうで、友人宅では「電化製品は叩いたら直る」という話を聞き、調子の悪かったPlayStation 2を実際に叩いて壊してしまったという思い出も残しています。
一方で勉強については、本人によると小学生のころから比較的得意で、兄は自分から真面目に勉強するタイプ、妹は自分とは違うタイプだったため、家の中では浦田さんが特に勉強について言われることが多かったそうです。
教育熱心な母と「勉強しなさい」と言われ続けた家庭環境
浦田さんが後年のインタビューで繰り返し触れているのが、母親から勉強を求められていた家庭環境です。
本人は母親を受験に熱心なタイプだったと説明し、自分は少し勉強ができたため、「なぜ自分ばかり勉強しなければならないのか」という感覚を長く抱えていたと話しています。
子どものころにはまだ芸人になるという具体的な進路があったわけではありませんが、勉強できることによって進学を期待される生活は、のちに浪人生活の途中で進路を考え直す場面につながっていきます。
茨木高校の野球部から「午前午後」で漫才日本一へ
中学を卒業した浦田さんが進んだのは、大阪府立茨木高校でした。
本人によると文理学科に在籍し、高校では勉強だけでなく野球部でも活動していました。
高校3年の夏、寝屋川戦で代打の決勝打を放つも履正社に敗退
高校生活で長く取り組んでいたのは野球で、2016年夏の大阪大会では、2回戦の寝屋川戦に代打で出場して決勝打を放っています。
続く3回戦の相手は、その年に甲子園へ出場することになる履正社高校で、茨木高校は6回コールドで敗れました。
野球部ではレギュラーとして常に試合へ出続けていたわけではありませんでしたが、高校最後の夏に代打で勝負を決める打席を経験し、その数週間後にはまったく別の舞台へ立つことになります。
前田颯志を誘い、自らネタを書いてハイスクールマンザイへ
高校時代の浦田さんには、部活が終わると仲の良い5人ほどでコンビニのイートインスペースなどに集まり、何時間も話して過ごす日々がありました。
本人は2025年のインタビューで、クラス全体では目立つ側ではなかったものの、その仲間内では「自分たちが面白い」という感覚を持っていた当時を振り返っています。
そして高校生のお笑い大会「ハイスクールマンザイ」の存在を知ると、仲間の中から前田颯志さんを選び、自分から声をかけてコンビを結成しました。
コンビ名は「午前午後」で、2017年に銀シャリと対談した際には、相方を誘うところから大会へのエントリー、ネタ作りまで浦田さんが中心になって進めていたと明かしています。
高校野球最後の夏を終えた同じ年、今度は漫才で全国大会の舞台へ進みました。
2016年にNGKで全国優勝、それでも学校生活はほとんど変わらなかった
2016年8月28日、なんばグランド花月で開催されたハイスクールマンザイ決勝には各地区を勝ち抜いた8組が出場し、近畿地区代表の午前午後が優勝しました。
決勝で披露したのはコンビニ店員とクレーマーを題材にした漫才で、当時17歳だった浦田さんは本名の「浦田勇太」として新聞にも登場しています。
審査委員長だったオール巨人さんは、舞台袖にいる段階から2人が気になっていたと当時の取材で話しており、野球部員だった高校生コンビがNGKで高校生漫才の日本一になりました。
ただ、全国優勝によって翌日から学校の人気者になるような変化が起きたわけではなく、2017年の対談では、周囲は優勝を知っていたものの、本人たちが普段から前へ出るタイプではなかったため、学校では意外なほど静かだったことを話しています。
高校生漫才日本一になった時点でも、浦田さんは卒業後すぐプロになることまでは決めていませんでした。
銀シャリ・千鳥・ダイアンを見ながら、ツッコミまで研究していた
一方で、お笑いそのものへの関心はかなり深く、2017年にハイスクールマンザイ王者としてM-1王者の銀シャリと対談した際には、好きな芸人として銀シャリ、千鳥、ダイアンの名前を挙げています。
特に銀シャリは以前から見続けていたようで、元相方の前田さんは当時の浦田さんについてこう話していました。
「しょっちゅう『これ見て』ってYouTubeを見せてくる」
ハイスクールマンザイ2017
浦田さんは午前午後でツッコミを担当しており、対談では銀シャリ・橋本直さんに、ツッコミの言葉選びや例えをどう生み出しているのかまで質問しています。
ただ漫才を見るだけではなく、自分のツッコミに取り入れる前提でプロの漫才を見ていた高校生でした。
大学受験に失敗して浪人|芸人になる決断が生まれた1年
ハイスクールマンザイを制した浦田さんには、優勝特典としてNSCの入学金・授業料が免除される特待生の権利がありました。
それでも2017年春に向かったのはNSCではなく、大学受験でした。
神戸大学に届かず浪人、2017年にはNSCへ入りたい気持ちを明かしていた
高校卒業時に受験したのは神戸大学でしたが、この年は合格できず、浦田さんは1年間の浪人生活に入ります。
ハイスクールマンザイ優勝時の取材では将来は芸人になりたいという気持ちも口にしていましたが、本人は後年、高校卒業時について「高卒ですぐNSCへ入る覚悟まではできていなかった」という趣旨で説明しています。
2017年7月の銀シャリとの対談では、浪人生活を送りながらも「自分はNSCへ入りたい」という意向をすでに示し、大学へ進んでいた前田さんにも一緒に入ろうと声をかけ続けていました。
つまり、芸人への憧れは高校時代からあり、実際の進路として腹を決めたのは浪人生活の中だったという順番になります。
母への反発も重なり、浪人途中で「芸人になる」と決める
浪人生活では、子どものころから続いてきた母親との「勉強」をめぐる関係が再び大きくなりました。
小学生のころから勉強が得意だったことで自分だけ強く勉強を求められてきた感覚があり、浪人中、その積み重ねに対する反発が強くなったと本人は話しています。
大学へ入り、その先も勉強を続ける人生を想像する中で、自分が本当に選びたい道を考えるようになりました。
「浪人の途中に芸人になろうって決めてますね」
よしもと漫才劇場「マンゲキサインヒストリー」
ハイスクールマンザイ優勝から約1年を経て、芸人は「いつかなりたい仕事」から、自分が進む道へ変わりました。
親に予備校へ通わせてもらった責任から大学も再受験
芸人になると決めても、浦田さんは大学受験そのものをやめませんでした。
親に予備校へ通わせてもらっていたため、どこにも進学しないまま終えるのは違うと考え、もう一度大学を受験しています。
そして今度は神戸大学に合格し、大学生活と芸人になるための養成所生活を同じ年に始めることになります。
神戸大学とNSCへ同時入学|「午前午後」の最後とピン芸人時代
2018年、浦田さんは神戸大学へ進む一方で、NSC大阪校41期としてお笑いの世界にも入りました。
一度は別々の進路へ進んでいた「午前午後」の2人も、このタイミングで再び同じコンビとして活動します。
ハイスクールマンザイの受講料免除を使い、2018年NSC大阪41期へ
ハイスクールマンザイ優勝でもらったNSC特待生の権利は翌年限定ではなく、浦田さんによると「いつでも使っていい」と伝えられていたため、浪人を終えた2018年に利用できました。
神戸大学への入学とNSC大阪校への入学は同じ2018年で、大学生と芸人の卵という2つの生活が同時に始まります。
大学については、その後卒業せず中退したことを本人が明かしています。
さらに2025年のインタビューでは、大学3年が終わるころに親へ休学を伝えた際、芸人を続けていたことが本格的に伝わり、家を出るよう言われた当時のやり取りも語っています。
大学2年になった前田と再びコンビを組むも、芸人への温度差が残った
浦田さんが1年間浪人していたため、NSCへ入ったとき、元相方の前田さんはすでに大学2年生でした。
高校時代から浦田さんは自分が前田さんを誘ったと話しており、NSCについても浦田さんは芸人になるつもりだった一方、前田さんは授業料が免除されるなら挑戦してみようという温度感だったといいます。
ハイスクールマンザイ全国優勝という結果を持って2人でNSCへ入っても、将来も芸人を続けたいかどうかについては最初から同じではありませんでした。
NSC卒業で「午前午後」解散、浦田スタークとしてピン活動を開始
NSCで1年間活動した末、卒業のタイミングで前田さんは芸人として続けないことを選び、午前午後は解散しました。
高校時代から自分で誘い、ネタを書き、NSCまで一緒に進んだ相方とはここで別れ、浦田さんは一人で活動を続けます。
NSC卒業後は「浦田スターク」という名前でピン芸人になりました。
このころを知る同期のソマオ・ミートボールさんは、ピン芸人だけが出演するライブ「ピンズ」で浦田さんと出会ったことを後年の交換日記に書いています。
「浦田はピン芸人の時から優秀で」
よしもと漫才劇場「交換日記」
高校時代の漫才コンビがなくなったあともお笑いを離れず、ピンで舞台に立っていた姿を同期芸人も見ていました。
ピンで活動しながらR-1にも挑戦、「才」と名乗った時期も
ピンで活動していた浦田さんはR-1グランプリにも挑戦し、普段の「浦田スターク」とは別に「才(さい)」という一文字の芸名を使った大会もありました。
本人によると「才能」の才というより「才覚」の才という感覚で付けた名前で、cacao結成後にもR-1ではこの名義を使ったことがあります。
現在のサインに書かれている「s」は一見「スターク」の頭文字に見えますが、実際にはこの「才=sai」から残ったものだと明かしています。
ピン芸人として活動していた期間は長くありませんでしたが、その時期に次の相方となる同期との距離が急に縮まります。
cacao結成|ほとんど話したことのなかった同期2人とトリオへ
NSC大阪41期には、浦田さんとは別に高橋さんとたっぺいさんがいました。
同じ期に在籍していても、3人が最初から親しい仲だったわけではありません。
高橋・たっぺいは「7ワープ」、浦田はピンという別々の1年目
NSC卒業後、高橋さんとたっぺいさんは「7ワープ」というコンビで活動し、浦田さんはピン芸人として活動していました。
浦田さんとたっぺいさんは同じNSC41期でも、たっぺいさんの記憶では在学中から芸歴1年目が終わるころまで約2年間、ほとんど会話したことがありませんでした。
たっぺいさんは高橋さんとのコンビで1年ほど活動しても思うような結果が出ず、後輩たちが少しずつ結果を出し始める中で、このままでいいのかと考えていた時期だったと後年説明しています。
同期の打ち上げで初めてまともに話し、たっぺいが浦田を誘う
転機になったのは、芸歴1年目が終わろうとしていたころに参加したライブ後の打ち上げでした。
そこで初めてまともに浦田さんと話したたっぺいさんは、浦田さんがその場を盛り上げている笑いが自分の好みに合っていると感じます。
「初めて会話をして、今まで会話しなかった事を後悔しました。」
よしもと漫才劇場「マンゲキ芸人リレーコラム」たっぺい編
たっぺいさんはその帰り道、ピンだった浦田さんに、自分と高橋さんのコンビへ加わってトリオにならないかと持ちかけました。
高橋さんには事前にきちんと相談しておらず、2025年の3人へのインタビューでは、高橋さんが普段どおりネタ合わせへ行くと浦田さんがいて、そこで加入を知らされたという話も出ています。
何度も誘われて本気だと気づき、2020年2月にcacao結成
一方の浦田さんは、最初にトリオへ誘われたとき、たっぺいさんがその場のノリで言っているのだと思っていました。
ところが、その後もたっぺいさんが何度も誘ってくるため、本気の提案だと気づいて考え始めます。
浦田さん自身もコントをやりたい気持ちがあり、加入後のインタビューでは、うまくいかなければそのとき考えればいいというくらいの感覚で2人の中へ入ったことを話しています。
こうして2020年2月、高橋・浦田スターク・たっぺいの3人で「cacao」が結成されました。
トリオ名「cacao」は浦田とたっぺいの会話から軽いノリで決まった
3人の経歴を知ると意味が込められていそうに見える「cacao」というトリオ名ですが、名付け方はかなりシンプルでした。
浦田さんとたっぺいさんが2人で名前を考えていたときに、たまたま「cacao」という言葉が出てきて、そのまま候補になったそうです。
「特別な意味は無いんです(笑)」
DOMOぱど「cacaoインタビュー」
高橋さんはその話し合いの場にもおらず、あとから名前を知らされましたが、そのまま受け入れました。
高校時代には浦田さん自身が相方を選んで「午前午後」を始めましたが、cacaoでは、ほとんど話したことのなかった同期から誘われる側になりました。
結成直後に劇場が止まったcacao|無観客ネタ見せからマンゲキへ
2020年2月にトリオとなった3人が、すぐに通常の劇場活動を始められたわけではありませんでした。
結成から間もなく、新型コロナウイルスの影響で劇場公演が止まります。
コロナ禍で約半年活動できず、客前でのUP TO YOU!を経験しなかった
浦田さんは結成直後について、劇場が閉まり、半年ほどほとんど活動がない時期が続いたと振り返っています。
本来であれば若手がライブでネタを見せ、客の反応を受けながら劇場メンバーを目指す時期でしたが、cacaoはその通常ルートをそのまま通れませんでした。
そのため、3人になってから観客が入った状態の「UP TO YOU!」へ出演した経験がないまま、次の段階へ進むことになります。
会議室の無観客配信で作家の評価を受け続ける
2020年夏ごろになると、会議室からネタを配信し、観客票ではなく作家の評価によって結果が決まる形式のライブが行われるようになりました。
cacaoはその無観客の舞台へ3、4回ほど出演し、まだ客席の前で3人のコントを十分に試せない状況のまま評価を積み重ねました。
結成してすぐ劇場が閉まったトリオが、会議室での無観客ネタ見せを経て劇場入りを目指していた時期です。
2021年2月によしもと漫才劇場メンバー入り
2021年1月の「Kakeru翔チャレンジバトル」でcacaoは1位となり、翌2月からよしもと漫才劇場の所属メンバーになりました。
2020年2月の結成から約1年で劇場メンバーに入りましたが、その間のかなりの期間は客前に立てない状態だったことになります。
ここからcacaoは、劇場を中心に少しずつ外の大会やテレビ企画でも名前を残していきます。
小さな結果を重ねても越えられなかったキングオブコントの壁
マンゲキ所属後のcacaoには、一度に大きく状況が変わるというより、結果が一つずつ増えていく時期が続きました。
一方で、3人が目標にしていたキングオブコントでは、なかなか準決勝へ届きませんでした。
笑ラウドネス、あさパラS、今宮戎と少しずつ結果が出始める
2021年には、観客の笑い声と拍手を数値化して競うABEMAの「笑ラウドネスGP」で、821組から選ばれた決勝進出者に入りました。
2022年2月には読売テレビ『あさパラS』の企画「ブレイク芸人を探せ!2022」で優勝し、その後はロケにも出演しています。
さらに今宮戎神社のマンザイ新人コンクールで奨励賞を受賞するなど、結成数年で複数の大会や企画に結果が残り始めました。
ネタパレ初代チャンピオンになっても、KOCは準々決勝が壁だった
2023年にはフジテレビ系『ネタパレ』の「ニュースター勝ち抜きパレード」で5週連続勝ち抜きを達成し、初代チャンピオンになりました。
テレビ企画や新人向けの大会では結果が出る一方、キングオブコントでは準々決勝から先へ進めない年が続きました。
2023年にも手応えはあったものの準決勝には届かず、浦田さんは翌年のインタビューで、大きな賞レースではまだ結果を出せていないと話しています。
本人が「低空飛行」と振り返った若手時代
浦田さんは2022年から2024年ごろまでのcacaoを、自分たちは「低空飛行芸人」のようだったという言葉で振り返っています。
仕事や評価がなくなるわけではなく、厳しくなりそうな時期に大会や企画で次の結果が出るため、本人は結果が出るタイミングには恵まれていたという感覚を持っていました。
それでもキングオブコントの準々決勝という壁だけは残り、2024年まで一度も準決勝へ進んだことがありませんでした。
キングオブコント2024で初決勝|2026年も再び準決勝へ
2024年、結成5年目のcacaoに、それまで何度も止められてきたキングオブコントで大きな変化が起きます。
準々決勝を突破し、初めて準決勝の舞台へ進みました。
2024年、初めて準々決勝の壁を越えて準決勝へ
2024年大会の準々決勝後、cacaoは初めて準決勝進出35組に選ばれました。
前年も本人たちには手応えがあっただけに、結果発表まではかなり緊張していたと浦田さんは話しています。
その一方で、2024年夏にはよしもと漫才劇場の「翔総選挙」で浦田さん個人が1位となるなど、劇場でも存在感を強めていた時期でした。
そして準決勝も突破し、cacaoは初めてキングオブコント決勝へ進みます。
「ちょっとまだ実感はわいてない」
TBSテレビ「キングオブコント2024」
決勝進出者発表の場で名前を呼ばれた浦田さんは、驚きと喜びはあったものの、まだ現実として受け止めきれていない様子を見せていました。
3139組から初の決勝10組に入り、「部屋練」を披露
キングオブコント2024には当時史上最多の3139組がエントリーし、cacaoはそこから決勝10組まで残りました。
2024年10月12日の決勝で披露したのが、部員不足でグラウンドを使えない野球部が室内で練習を続けるコント「部屋練」です。
浦田さん自身も茨木高校野球部の出身ですが、本人は後の取材で、野球経験が直接ネタに生かされたとは考えていないと話しており、ネタの発想自体はたっぺいさんが近距離でキャッチボールをしたら面白いのではないかと考えたところから始まっています。
実際のボールを使わず、投球や打撃の動きへ効果音を合わせて見せるため、3人は舞台で繰り返し調整しながらネタを仕上げていきました。
高校3年の夏に野球部員として大阪大会を戦った浦田さんが、8年後にはコント師としてキングオブコント決勝で野球部員を演じましたが、この2つを直接のネタ作りの因果関係として結びつける必要はありません。
決勝後にはcacao公式YouTubeチャンネルも開設され、「部屋練」の決勝ネタが公式動画として公開されました。
その後の2025年のインタビューで浦田さんは、実家へたまに帰るようになったことや、祖母がキングオブコントを見に来ていたと家族から聞いたことも明かしています。
2026年8月現在もキングオブコント準決勝35組に進出
キングオブコント初決勝から約2年後の2026年8月24日、大会公式サイトで2026年大会の準決勝進出35組が発表され、その中には再びcacaoの名前がありました。
2026年の準決勝は9月3日と4日に東京・ニッショーホールで開催される予定で、8月24日時点ではまだ結果が決まっていません。
高校時代の「午前午後」で漫才日本一になり、浪人中に芸人になると決め、ピン活動を経て加わったcacaoで、再びコント日本一を目指す位置まで進んでいます。
兄と妹とテレビデオを囲み、母から勉強を求められていた子ども時代を経て、浦田さんは茨木高校で野球と漫才の両方に取り組みました。
ハイスクールマンザイ優勝ですぐ進路を決めたのではなく、大学受験と浪人を経験したあとに芸人を選び、神戸大学とNSCへ同時に進んでいます。
高校時代に自分から始めた「午前午後」、一人で舞台に立ったピン時代、同期から誘われて始まったcacaoという順番を経て、2026年8月現在もコントの舞台でその先へ進んでいます。












コメントを残す