天才ピアニストますみの生い立ち|看護師から27歳で芸人へ、竹内知咲と組むまで

人物プロフィール

本名
清水麻清
生年月日
1987年4月28日
身長
158cm
血液型
unknown
出身地
奈良県 大和高田市
コンビ・グループ名
天才ピアニスト
相方・メンバー
竹内知咲
結成年
2016年
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
2016年
養成所・スクール
NSC大阪校 38期

天才ピアニストのボケとして、漫才やコントだけでなく、上沼恵美子さんのものまねや「看護師あるある」でも知られるますみさん。

現在の姿から先に知った人にとって意外なのは、芸人になる前に少しだけ看護師を経験していたのではなく、病院で後輩指導や夜勤リーダーまで任されるところまで働いていたことです。

しかも芸人を目指す決断をしたのは、学生時代でも就職直後でもありません。

看護師として丸6年が終わろうとしていた27歳の夜、自宅で解剖学を勉強している最中に、ふと「お笑いをやってみたい」と思い、その場でNSCを検索しました。

そこからNSC大阪38期へ入り、同期の竹内知咲さんと出会い、2016年5月に天才ピアニストを結成します。

奈良県大和高田市で過ごした子ども時代から、看護師を目指した理由、27歳で進路を変えた夜、竹内さんとコンビを組むまで、そしてTHE W優勝へ向かう若手時代を順番にたどります。

天才ピアニストますみの生い立ちと家族|奈良・大和高田で育った幼少期

ますみさんは1987年4月28日、奈良県大和高田市出身です。

大人になってから看護師と芸人というまったく異なる2つの仕事を経験しますが、最初に将来の仕事を意識するきっかけは、小学生のころにありました。

小学2年と4年で入院し、看護師という仕事に興味を持った

小学2年生のとき、ますみさんは整形外科へ入院しました。

本人のインタビューによると、子どもだったますみさんが入ったのは高齢の患者が多い病室で、約3カ月にわたる入院生活を経験しています。

そこで身近に接したのが、病室へ来て世話をしてくれる看護師たちでした。

「看護師さんって、何かいいなあ。すてきやなあ」

Will Friends

小学4年生のときにも再び入院し、同じように看護師の仕事を間近で見ました。

2度の入院生活の中で抱いた自然な憧れが、後に看護師を選ぶ最初の入口になりました。

家では漫才や吉本新喜劇を録画して見るお笑い好きだった

一方、子どものころから生活の中にはお笑いもありました。

ますみさんは後年、漫才や吉本新喜劇が好きで、テレビで放送されるものを録画して見ていたと話しています。

当時から自分を「面白い」と思う感覚もありましたが、小学生の段階では芸人を現実の職業として考えていたわけではありません。

「看護師さんはいい仕事だな」という気持ちと、「お笑いを見るのが好き」という気持ちは、このころはまだ別々に存在していました。

小学校4~6年は加護亜依と同じクラスだった

小学校時代には、後にモーニング娘。で活動する加護亜依さんと同じ学校に通っていたという珍しい縁もあります。

ますみさんは2026年に、小学4年生から6年生まで加護さんと同じクラスだったことを明かしています。

その縁は何十年も後、天才ピアニスト結成10周年のイベントでも再びつながり、2026年5月には加護さんがサプライズゲストとして登場しました。

中学・高校時代|お笑いへの憧れと看護師への進路

子どものころから見ていたお笑いは、中学生になると「見るもの」から少しだけ「自分もやってみたいもの」へ変わります。

ただし、その気持ちがすぐ芸人への進路につながったわけではありません。

中学生でbaseよしもとに夢中になり、自分もやってみたいと思った

中学生のころ、大阪・梅田にあった若手芸人の劇場baseよしもとが人気を集めていました。

ますみさん自身もこの時期がお笑いを「やってみたい」と最も強く思っていた時期だったと振り返っています。

それでも芸人は、看護師のように進学先や資格取得までの道筋が見える職業ではありませんでした。

そのため、中学生のますみさんにとってお笑いは強い興味の対象ではあっても、卒業後に選ぶ具体的な進路にはなっていませんでした。

父の進路アドバイスを受けて高校へ進み、3年間理系クラスで学んだ

中学校卒業が近づくと、進路選びには父親が関わりました。

当時、父親は小学校の校長を務めており、進路指導にも詳しかったといいます。

ますみさんの成績を見ながら、少し頑張れば学校内で上位に入り、その先の推薦も狙える高校をいくつか提案してくれました。

その助言を受けて私立高校へ進学し、高校3年間は理系クラスで過ごします。

中学生ではお笑いへの憧れが強くなっていたものの、高校を卒業するころの進路として選んだのは、子どものころから身近に感じていた看護の道でした。

大学ではなく看護専門学校へ|実習に追われた学生時代

ますみさんの進学先は大学ではありません。

高校卒業後は奈良県病院協会看護専門学校へ進みました。

同校も公式サイトで、ますみさんを「本校の卒業生」と紹介しています。

奈良県病院協会看護専門学校で看護師を目指した

看護専門学校に入ると、中学生のころまで持っていた「お笑いをやってみたい」という気持ちは次第に薄くなっていきました。

理由は単純で、看護師になるための勉強に余裕がなかったからです。

講義を受けるだけではなく、実際の病院へ出る実習も始まります。

病院実習と大量の記録に追われ、同じ班の仲間と乗り切った

本人が特に大変だった時期として挙げているのが病院実習です。

患者へのケアを行う前には手順をまとめ、実習が終われば記録を残し、翌日の準備も続きます。

準備ができていなければ患者のもとへ行くことすらできず、その日の実習単位にも影響するため、学生たちは毎日の課題に追われていました。

そんな時期を支えたのが、同じ実習グループの仲間です。

メンバー同士で助け合い、社会人経験を経て入学していた年上の学生がグループを引っ張ってくれたことも、ますみさんはよく覚えています。

お笑いへの気持ちをいったん脇へ置くほど、学生時代は看護師になるための勉強と実習に集中していました。

卒業後も続いた看護学校の仲間とのつながり

看護学校で一緒に過ごした仲間との関係は、卒業で終わりませんでした。

芸人になってからも交流が続き、ますみさんのライブへ足を運んだり、花を贈ったりする仲間もいたといいます。

2022年には天才ピアニストとして母校の奈良県病院協会看護専門学校を訪れ、卒業を控えた学生の前で看護師・看護学生のあるあるネタを披露しました。

学生時代に苦労した実習の経験を持つ卒業生が、今度は芸人として後輩たちの前へ戻ってきたことになります。

看護師6年|消化器外科から脳神経外科へ

専門学校卒業後、ますみさんは奈良県内の総合病院へ就職しました。

最初の配属は消化器外科で、その後、脳神経外科へ異動します。

消化器外科から脳神経外科へ異動した

新卒から約1年半が過ぎ、消化器外科の集中治療室にも関わるようになったころ、看護師長から次の異動先を告げられました。

行き先は脳神経外科でした。

本人は最初こそ脳神経外科への異動に戸惑ったものの、その後はそこで経験を積み、急変対応まで任されるようになります。

プリセプターや夜勤リーダーを任され、主任候補になった

芸人へ転身する直前のますみさんは、まだ仕事を覚えている途中の新人看護師ではありませんでした。

新人を一対一で指導するプリセプターを何年も担当し、夜勤ではリーダーを務め、別の病棟で急変が起きた際に応援へ行くこともありました。

そして看護師として丸6年が終わるころ、翌年度から主任にならないかという話が出ます。

仕事が嫌になっていたわけではなく、本人は当時、病棟で必要とされる技術や知識、人間関係について自分なりに手応えを感じていました。

芸人へ向かったのは看護師として行き詰まった時期ではなく、むしろ職場で次の役職を打診されるところまで進んでいた時期でした。

病棟でも医師や患者を相手に笑いを取ることがあった

病院で働いているころも、お笑いが完全に生活から消えていたわけではありません。

スタッフや患者との会話で笑いが起きたり、病棟内で人の特徴をつかんだものまねをしたりすることもあり、自分の引き出しの多さを面白がっていたと後に話しています。

それでも、この段階では看護師を辞めて芸人になる計画を立てていたわけではありません。

27歳で芸人になる決断|解剖学を勉強していた夜にNSCを検索

ますみさんの人生で、看護師と芸人が初めて一本につながるのが27歳の秋です。

長く迷い続けた末の転職ではなく、きっかけは自宅で過ごしていた一晩でした。

主任への昇進話が出た時期に、中学生以来のお笑いへの思いが戻った

看護師として働きながら、ますみさんは認定看護師や専門看護師など、さらに専門性を高める道があることも知っていました。

ただ、自分はそこを強く目指したいわけではない。

主任という役職にも、特別な憧れがあるわけではありませんでした。

そんな時期のある夜、自宅で解剖学を勉強していると、中学生のころまで持っていたお笑いへの気持ちが突然浮かびます。

ここで、27歳まで現実の進路には入っていなかった「芸人」が初めて具体的な選択肢になります。

「お笑いをやってみたいな」

Will Friends

思い立ったその場でNSCへ資料請求し、親にも職場にも言わず受験した

思いついたあと、ますみさんは翌日まで待ちませんでした。

「スマホでNSC検索して、その場で入学資料を取り寄せました(笑)」

Will Friends

資料が届くと自分で願書を書き、面接を受けました。

しかも、この段階では両親にも病院の上司にも相談していません。

まず自分でNSCへ応募し、合格してから「芸人になるので退職したい」と職場へ伝えました。

看護師として主任候補になった27歳で、ますみさんはNSC大阪38期へ進むことを決めました。

合格してから退職を伝え、芸人への挑戦を始めた

病院側に退職を伝えたのは11月で、退職希望は翌年2月でした。

突然の申し出に看護部長や師長たちは驚きましたが、すでに本人が決めていることも分かっていました。

家族にとっても、看護師として働いていた娘が突然芸人を目指すという話です。

それでも、長期間準備して周囲を説得してから動いたのではなく、ますみさん自身が最初の行動を起こしてから周囲へ知らせる順番になりました。

NSC大阪38期|28歳で始まった芸人人生

2015年、ますみさんはNSC大阪38期へ入ります。

吉本興業の現在の公式プロフィールでも、ますみさんと竹内知咲さんはともにNSC38期と記載されています。

10代・20代前半の同期に囲まれ、“年上”を意識したNSC生活

28歳で入ったNSCでは、年齢の違いを強く感じました。

高校を卒業したばかりの10代や20代前半の同期もいる中で、自分はすでに社会人として6年間働いています。

同期から見ても、ますみさんは少し年上の「お姉さん」のような立ち位置でした。

後に竹内さんも、NSC時代のますみさんについて、飲み会などを仕切る「皆のお姉さん」のような存在だったと語っています。

一方の本人は、若い同期が持つ勢いや瞬発力を見ながら、自分には同じものがないと感じる時期もありました。

年齢を使った漫才を試し、若い同期との差に悩んだ

そこで一時は、「年上であること」を自分のキャラクターとしてネタにしようとします。

しかし講師からは、その方向を止められました。

NSCという限られた場所では年齢差が大きく見えても、芸人として舞台へ出れば、それまでの社会人経験そのものが別の色になります。

ますみさん自身も、ネタで前へ出られるようになるにつれ、看護師として学んだことや国家資格を持っていることを「自分にしかないもの」と捉えるようになっていきました。

最初は気になっていた「28歳からのスタート」が、次第に他の同期にはない経歴へ変わっていきました。

ツッコミとネタ作りも経験した天才ピアニスト結成前

現在のますみさんは天才ピアニストのボケですが、NSC時代からこの役割だったわけではありません。

当時はツッコミを担当し、自分でネタを書く側でもありました。

NSC在学中には何度かコンビ結成と解散を経験し、一時的にピンでコントをしていた時期もあります。

竹内さんも同じくツッコミでネタを書く側だったため、NSCに入った当初の2人には「一緒にコンビを組む」という発想がありませんでした。

竹内知咲と天才ピアニスト結成|2016年にボケへ転向

NSCで出会った竹内知咲さんは、ますみさんより5歳年下で、高校の理科の非常勤講師を経験してからNSCへ入った同期です。

2人とも社会人を経験してからお笑いの世界へ入り、さらにNSCではどちらもツッコミとネタ作りを経験していました。

NSCでは別々のコンビを組み、卒業後に距離が近くなった

NSC時代の2人は同じクラスの同期で、たまに一緒に飲みに行く程度の関係でした。

竹内さんはNSC在学中に4回、ますみさんも3回ほどコンビ解散を経験したと2人で振り返っています。

卒業後は家が近かったこともあり、一緒に食事やお酒へ行く機会が増えました。

ともにツッコミでネタを書く立場だったからこそ、それまでのコンビで感じていた悩みも話しやすい相手でした。

ますみのピンコントを見た竹内から「一度ユニットで」と声がかかった

コンビ形成が動いたのは、それぞれが以前のコンビを解散したあとです。

ますみさんが一人でコントをしている姿を見た竹内さんは、「ボケとしてもいける」と感じました。

「一度、ユニットでやってみる?」

月刊芸人

最終的に声をかけたのは竹内さんでしたが、ますみさんの中でも、それ以前から竹内さんと組むことを考え始めていました。

竹内さんの書く台本をNSC時代から面白いと感じており、自分がネタを書くよりも、竹内さんのネタで自分がボケへ回った方が面白くなると考えていたからです。

それまでツッコミとネタ作りをしていたますみさんは、竹内さんと組むことでボケへ転向しました。

こうして2016年5月、天才ピアニストが結成されます。

最初の「UP TO YOU!」で社会人経験を使ったネタが受けた

結成後、2人が最初期に出たオーディションの一つが、よしもと漫才劇場への出演を目指す「UP TO YOU!」でした。

そこで披露したのは、2人の社会人経験を背景にした「一般人あるある」のネタでした。

NSCでは若い同期との違いを気にしていたますみさんにとって、看護師として働いてきた時間は、ここではむしろ他の芸人と違う色になります。

「社会人を経験してから芸人になったこと」が、結成直後からネタの材料として使えるものになりました。

「年上パイロット」と迷った末に「天才ピアニスト」へ

コンビ名は、覚えてもらいやすい既存の言葉を組み合わせる方向で、2人がたくさんの候補を出しました。

最終候補まで残ったのは「年上パイロット」と「天才ピアニスト」。

ますみさんの父親は、別案として「天才アルマジロ」を推していたというエピソードも残っています。

最終的には「天才ピアニスト」を選びましたが、2人ともピアノを特技にしているわけではありません。

名前だけを見た人から「ピアノは弾かないのか」と聞かれるところまで含め、結果的に一度聞くと忘れにくいコンビ名になりました。

芸人と看護師を両立した若手時代|上沼恵美子ものまねでテレビへ

天才ピアニストを結成しても、ますみさんと病院との関係がすぐ完全に切れたわけではありません。

芸人として舞台へ立ちながら、看護師資格を使った仕事も続けました。

正職員を辞めたあとも単発夜勤などで看護師を続けた

芸人になるため病院の正職員は辞めましたが、職場からは「別のアルバイトをするなら戻っておいで」という趣旨の声をかけてもらいました。

その後は単発の夜勤などで看護師勤務を続け、芸人の仕事が急に入った際には、以前の同僚が勤務を代わってくれることもあったといいます。

吉本興業の公式プロフィールに現在記載されている「10年の病院勤務経験」は、芸人になる前の約6年間だけではなく、この転身後の勤務期間も含む経歴です。

健康診断で採血などを行う仕事や、芸人とは別のアルバイトを経験した時期もありました。

2020年に新型コロナウイルスの影響で舞台や営業が止まった際には、看護協会へ連絡し、療養者を受け入れる宿泊施設で約1カ月働いたことも本人が明かしています。

上沼恵美子ものまねが注目され、テレビの仕事が先に増えた

若手時代、ますみさん個人の名前を早く広めたのが上沼恵美子さんのものまねです。

濃いメイクと話し方を取り入れたものまねが注目され、全国ネットの番組へ出演する機会が生まれました。

ますみさんにとってテレビへ出られることは大きな機会でしたが、一方では複雑な感覚もありました。

「自分たちのネタも面白いのにな」

Will Friends

テレビから求められるのは上沼さんのものまねを取り入れた企画が中心で、天才ピアニストとして作っている通常の漫才やコントとは別のものでした。

ますみさん個人のものまねが先に知られ、その間も竹内さんはコンビのネタを書き続けました。

劇場ではものまねに頼らず、竹内と漫才・コントを磨いた

天才ピアニストのネタ作りは基本的に竹内さんが担当します。

ただし、台本を書いて渡して終わりではありません。

2人はネタ合わせを始める前に30分ほど普通にしゃべり、その会話からネタの種が出ることもありました。

竹内さんは、ますみさんが普段の会話やロケ、楽屋で見せる表情や声、動きも観察し、「ますみが演じたときに面白くなるか」を考えながら設定を作っています。

テレビではものまねで知られていく一方、劇場では2人の漫才とコントを積み重ねる時間が続きました。

2020~2022年|看護師あるあるとTHE Wがコンビの転機に

2020年、天才ピアニストの活動に新しい軸が加わります。

舞台へ立てない時期に始めた「看護師あるある」です。

コロナ禍に始めた「看護師あるある」が看護現場へ広がった

動画を本格的に作り始めたのは2020年3月ごろでした。

竹内さんが「看護師で芸人という経歴を動画にしよう」と提案し、最初の100~150本ほどの題材は、ますみさん自身の看護師経験から考えました。

その後は現役看護師や看護学生からも「あるある」が寄せられるようになります。

以前勤めていた脳神経外科の師長から連絡が届いたほか、かつて一緒に働いていた看護師から「勤務先でも動画が知られている」と伝えられることもありました。

2021年には看護師ネタの配信ライブ「入り明け休み」を企画し、医療従事者を中心としたファンにも活動が広がっていきました。

小学生のころに憧れて選んだ看護師という仕事が、十数年後には天才ピアニストにしか作れない笑いの題材になりました。

THE W 2020の悔しさから毎月の単独ライブを始めた

賞レースで大きな変化が起きる前に、2人には強く悔しさが残った大会がありました。

THE W 2020では、決勝進出者に何かあった場合に備えるリザーブ枠となり、リハーサルには参加したものの、本番でネタを披露することはできませんでした。

この経験をきっかけに、それまで半年に一度ほどだった単独ライブを毎月開催する方針へ変えます。

竹内さんが新しいネタを書き、2人で舞台にかけ、次のネタをまた作る回数が増えていきました。

翌2021年にはTHE Wの決勝へ進出します。

2021年準優勝を経て、2022年にTHE W優勝

2021年のTHE Wではファイナルステージまで進み、準優勝。

翌2022年5月には第52回NHK上方漫才コンテストで優勝し、コンビとして初めて大きなタイトルを獲得しました。

さらに同年12月、THE Wへ再び挑戦します。

1本目を勝ち上がり、最終決戦でもネタを披露した結果、天才ピアニストが第6代女王となりました。

2022年12月、天才ピアニストは「女芸人No.1決定戦 THE W 2022」で優勝しました。

「全国ネットでネタを2本やることができたことがうれしかった」

クランクイン!

ものまねでテレビへ出始めたころから、ますみさんが望んでいたのは「天才ピアニストとしてのネタを見てもらうこと」でした。

THE Wでは、竹内さんが書き、2人が劇場で磨いてきたネタを全国放送で2本披露して優勝しました。

受賞後の天才ピアニスト|結成10周年を迎えた現在

THE W優勝後も、天才ピアニストはテレビ出演だけへ活動を移したわけではありません。

劇場で漫才とコントを続けながら、次の賞レースへも挑戦しています。

2023年以降も漫才・コントで受賞を重ねた

2023年には上方漫才協会大賞で大賞を受賞し、同年のNHK新人お笑い大賞でも優勝しました。

2024年には上方漫才大賞新人賞、2025年には大阪市の咲くやこの花賞・大衆芸能部門を受賞しています。

咲くやこの花賞の受賞理由では、天才ピアニストが漫才とコントの両方に取り組み、新ネタを毎月6本作っていることも評価されました。

竹内さんがネタを書き続け、ますみさんがその設定の中の人物を演じる形は、若手時代から現在まで続いています。

テレビ・ラジオへ仕事が広がっても劇場のネタを続ける

2026年時点では、吉本興業公式プロフィールに「newsおかえり」「大阪ほんわかテレビ」「よ~いドン!」、NHKラジオ「天才ピアニストの今夜もグッジョブ」など複数のレギュラーが掲載されています。

活動の幅が広がっても、2人が今後の目標として挙げ続けているのはM-1グランプリやキングオブコントなど、まだ獲得していない賞レースです。

東京進出についても「必ず行く」「大阪に残る」と決めているわけではなく、2026年5月の結成10周年時点でも、必要なタイミングが来れば柔軟に考えるという姿勢を示しています。

2026年、天才ピアニストは結成10周年を迎えた

2016年5月に始まった天才ピアニストは、2026年5月に結成10周年を迎えました。

記念企画「天才ピアニストWEEK!! かなり最高。」では、なんばグランド花月やよしもと漫才劇場など複数の会場でイベントを開催し、最終日には漫才劇場を約10時間使った6公演を行っています。

10年前、NSCを卒業したばかりの2人が社会人経験を使ったネタで舞台へ出始めたころから、活動する場所は大きく広がりました。

それでも、竹内さんがネタを書き、ますみさんと舞台へかけるというコンビの中心は変わっていません。

小学生の入院で看護師に憧れ、実際に病院で働き、27歳で突然NSCへ進んだ経験まで含めて、現在のますみさんの芸人人生があります。

看護師として主任候補まで進んだ夜に開いたNSCのページから、竹内知咲さんとの天才ピアニストが始まりました。

ものまねで先にテレビへ出た時期も、看護師として夜勤を続けた時期も、2人で漫才とコントを作る時間は途切れませんでした。

結成10周年を迎えた現在も、天才ピアニストは劇場で新しいネタを作りながら、まだ獲っていない賞レースを次の目標にしています。

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