ジャルジャル後藤淳平の生い立ちと家族|高校で福徳秀介と出会い芸人になるまで

人物プロフィール

生年月日
1984年3月20日
身長
177cm
血液型
AB型
出身地
大阪府 吹田市
コンビ・グループ名
ジャルジャル
相方・メンバー
福徳秀介
結成年
2003年
所属事務所
吉本興業
芸人活動開始年
2003年
養成所・スクール
NSC大阪校 25期

ジャルジャルの後藤淳平さんといえば、福徳秀介さんと次々にコントを生み出し、単独ライブやYouTubeでも長くネタを発表し続けている芸人です。

2020年にはキングオブコントで優勝し、その後もテレビ出演だけに活動を寄せることなく、新作コントを作って舞台に立つスタイルを続けています。

そんな後藤さんがお笑いを始めた場所は、養成所でも劇場でもなく、高校時代に福徳さんと過ごしたラグビー部や教室、放課後のグラウンドでした。

2人は最初からコンビを組むつもりだったわけではなく、けがをした福徳さんに後藤さんが付き添ったことから距離が縮まり、授業中のメールや遊びが少しずつネタへ変わっていきます。

大阪府吹田市で育った少年が、どのような家族の中で過ごし、なぜ高校の友人と芸人の道へ進み、現在までコントを作り続けることになったのでしょうか。

後藤淳平の生い立ちと家族|大阪・吹田で育った少年時代

後藤淳平さんは1984年3月20日、大阪府吹田市出身で、現在も吉本興業の公式プロフィールには吹田市出身と記載されています。

家庭では父と母、後藤さん、弟、妹が暮らしており、兄弟では一番上でした。

父・後藤圭二さんと母、弟、妹がいる家庭で育つ

父親は後藤圭二さんで、のちに吹田市長となった人物ですが、後藤さんが子どもだったころは吹田市役所に勤務していました。

後藤家では、ただ静かに食卓を囲むというより、家族の中で「誰がおもろいか」という感覚が身近にあったようです。

「我が家では“おもろい”が大事。」

ライブドアニュース

父・圭二さんによると、家族の中では妹が一番おもしろく、次が母親、その次に後藤さんと弟が並び、父親は飼い猫より下という扱いだったそうです。

家の中で「おもしろい」という感覚がごく普通のものとして存在していたことは、後藤さんの少年時代を知るうえで印象的な話です。

3歳下の弟との遊びに残る子ども時代のエピソード

後藤さんには3歳下の弟がいて、幼いころは兄という立場をかなり自由に使っていたようです。

おまけ付きのお菓子を買ってもらった際、弟の方に良いおまけが入っていると、自分のものと交換させることもあったと後年明かしています。

本人は大人になってから当時を振り返り、兄の力を使っていたことを申し訳なかったと笑いながら話していました。

幼少期から中学時代|吹田で過ごした少年期

芸人になる前の後藤さんは大阪・吹田で育ち、吉本興業のプロフィールには現在も趣味として卓球、音楽鑑賞、車、ビートルズが挙げられています。

中学2年生ごろには実家で猫を飼い始め、その猫は約20年生きたため、大人になってからも多くの思い出が残っていると話しています。

猫は最終的に3匹となり、父親が連れてきた猫に続いて、福徳さんが拾ってきた猫を後藤家で飼うことになった時期もありました。

このころの後藤さんには、まだプロのお笑い芸人としての経歴はありませんでしたが、高校へ進むと、人生を長く共にすることになる人物と出会います。

関西大学第一高校で福徳秀介と出会う

後藤さんは関西大学第一高校へ進学し、ラグビー部へ入りました。

そこで同じラグビー部に入ってきたのが、のちにジャルジャルの相方となる福徳秀介さんです。

ラグビー部で初対面|「吉田栄作みたいな高校生」だった福徳秀介

初対面の福徳さんは日焼けしており、新しいラグビー部の練習着を着た姿で自己紹介をしたと後藤さんは覚えています。

その姿について後藤さんは後年、「吉田栄作さんみたいな高校生」だったという印象を語っています。

ただし、この時点では2人がすぐに親友になったわけではなく、ラグビー部員の一人として顔を合わせる関係でした。

福徳秀介のけがと病院への付き添いで距離が縮まる

関係が変わったのは、ラグビー部の活動中に福徳さんが鎖骨を骨折するけがをしたときです。

顧問の先生から病院への付き添い役に指名されたのが後藤さんで、診察を待つ時間を2人で過ごしました。

福徳さんが水を欲しがった際、後藤さんは病院内を探し回ったものの、人見知りだったため看護師に声をかけられず、水を持って帰れなかったという細かな出来事まで残っています。

この病院で一緒に過ごした時間を境に、2人は学校でも話すようになっていきました。

授業中のメールからネタ作りへ|放課後はグラウンドの端で練習

親しくなった後藤さんと福徳さんは、学校で普通に会話するだけでなく、携帯電話のメールを使って互いを笑わせる遊びを始めます。

当時の学校では携帯電話の使用が認められていなかったものの、2人は授業中にもメールを送り、休み時間になると「どれが一番おもしろかったか」を話していました。

やがてメールだけでは終わらなくなり、台本のようなものを書いたり、人前でやることを想定して動きを付けたりするようになります。

ラグビー部の練習が終わったあとには、グラウンドの端で2人だけでネタのようなものを試すこともありました。

まだ養成所にも入っていない高校生2人が、学校生活の中で少しずつ「2人で笑いを作る時間」を増やしていたのです。

高校2年の終わりに「芸人になれたらおもろそう」と考え始める

高校2年生の冬ごろになると、それまでの日常的な遊びが、仕事としてのお笑いへ近づいていきます。

「これを仕事にできたらいいな」

関西大学「Reed」

後藤さんにとっては、突然テレビを見て芸人に憧れたというより、福徳さんと遊びながら作っていたものが、そのまま職業としてのお笑いへ近づいていったという流れでした。

芸人になる決断|福徳秀介の誘いからNSC大阪25期へ

高校卒業が近づくと、2人は「おもしろいことをしている高校生」から、実際に卒業後の進路を決めなければならない立場になります。

そこで具体的な選択肢として出てきたのが、吉本興業の養成所であるNSCでした。

福徳秀介がNSCへ誘うも一度撤回、後藤淳平が「行こうや」と引き戻す

最初に「一緒にやろう」と持ちかけたのは福徳さんでした。

ところがNSCへ入る直前になると、福徳さんの方が一度「やっぱりやめよう」と言い出します。

そこで今度は後藤さんが福徳さんを誘い直し、2人でお笑いの道へ進むことになりました。

誘った福徳さんが一度止まり、後藤さんが再び背中を押したことで、2人の芸人人生が動き出しています。

両家の親に説得され、芸人一本ではなく大学進学も選ぶ

高校時代の2人は、当初は大学へ進まず、そのままお笑いを始めるつもりでした。

しかし、後藤家と福徳家の親が連絡を取り合い、大学には進ませようという話になったことで進路が変わります。

芸人を諦めたわけではなく、大学へ通いながらNSCにも入るという方法を選びました。

結果として、この大学生活はお笑いの邪魔になるどころか、2人がネタを作り続けるための時間と場所を確保することになります。

2002年、関西大学とNSC大阪校へ同時に通い始める

高校を卒業した後藤さんは関西大学へ進み、同じ2002年に福徳さんとともにNSC大阪校25期へ入りました。

大学生と芸人養成所の生徒という2つの生活を同時に始めましたが、2人にとって大学はネタ作りができる場所でもありました。

大学・NSC時代|ジャルジャル結成へ進んだ2人

高校で始まった2人のお笑いは、大学とNSCへ進んだことで、遊びから人に見せるネタへ変わっていきます。

ただ、NSCへ入ればすぐ評価されたわけではありませんでした。

大学の空き教室と図書館前までネタ作りの場所にする

後藤さんは大学時代を振り返った際、授業よりもネタ作りの記憶の方が濃いと話しています。

2人は授業のない時間に空き教室へ入り、長時間ネタを考えていました。

大学の総合図書館前では、昼休みに学生がいる場所を舞台代わりにしてネタを披露し、反応を見ることもありました。

大学のキャンパスそのものが、ジャルジャルになる前の2人にとってネタ作りと実演の場所になっていました。

NSCでは思ったほどウケず、自分たちのコントで初めて手応えをつかむ

NSCへ入った当初、後藤さんたちには「自分たちは面白い」という感覚がありました。

ところが実際のネタ見せでは期待したほど笑いが起きず、思い描いていた状況との違いに戸惑います。

講師によって求められるものも異なるため、授業ごとにさまざまなパターンのネタを試しました。

その中で、怒られるかもしれないと思いながら自分たちらしいコントを見せたところ、それまでとは違う評価を受けます。

「これが手ごたえか」

よしもとニュースセンター

高校時代に保健室などでやっていた、ネタなのか遊びなのか分からないようなやり取りをコントにしたことが転換点になりました。

プラス・マイナスらNSC大阪25期の同期と過ごした養成所時代

NSC大阪25期にはプラス・マイナスや、のちに銀シャリを結成する橋本直さん、鰻和弘さんらもいました。

後藤さんは当時のプラス・マイナスの漫才を見て、同期とは思えないほど完成されていると感じたことを明かしています。

同じ「同期」でも、全員が同じスタイルで育ったわけではなく、ジャルジャルは自分たちが自然に続けられるコントへ徐々に寄っていきました。

「ジャルジャル」という名前が生まれ、2003年4月に正式結成

コンビ名を考えていた大学時代、2人の目の前に水が止まりにくくなっていた蛇口がありました。

そこから水が「ジャルジャル出ている」という会話になり、ジャルジャルという名前が生まれます。

一時は「スピードスター」へ改名しようとしたこともありましたが、その案は採用せず、吉本興業の公式プロフィールでは2003年4月結成となっています。

最初は漫才|後藤がボケ、福徳がツッコミからコント中心へ

現在はコントの印象が強いジャルジャルですが、活動初期は漫才から始めています。

当初は後藤さんがボケ、福徳さんがツッコミという形で半年ほど漫才をしていました。

漫才では後藤さんが中心になってネタを考えることが多く、1本をひねり出す作業に苦労していた一方、コントになると2人で自然にアイデアを広げられるようになりました。

コントなら「息をするように」ネタができる感覚が生まれ、ジャルジャルの活動はコントへ大きく傾いていきます。

若手・下積み時代|劇場へ出るためのオーディションが続く

NSCで自分たちらしいコントを見つけても、卒業後すぐに劇場で安定して仕事がもらえたわけではありません。

ジャルジャルはbaseよしもとの舞台へ立つため、オーディションを受け続けました。

落ちればその月の劇場仕事がなくなるオーディション生活

後藤さんによると、当時は月に一度のオーディションに落ちると、その後1か月は劇場への出番がありませんでした。

合格してもレギュラーメンバーとの入れ替え戦があり、そこで負ければ再び最初から挑戦する生活が続きます。

この状態は短期間ではなく、3〜4年ほど続いたと後藤さんは振り返っています。

「一生、この生活ちゃうんか」

済生会

会場を借りて自主ライブを開き、チケットを手売り

劇場の出番が少ない間も、2人はネタを止めませんでした。

自分たちで会場を押さえてライブを開催し、チケットを直接手売りして客を集めることもありました。

今のように多数の観客が単独ライブへ集まる状態とは違い、まず見てもらう相手を自分たちで探さなければならない時期です。

仕事がない月にも自分たちで舞台を作り、ネタを続けていたことが、若手時代の具体的な生活でした。

トリオ化まで考えた時期と、バッファロー吾郎Aとの出会い

オーディションに落ち続ける中では、2人のままでは駄目なのではないかと考え、トリオになってみようかと検討した時期もありました。

それでもジャルジャルとして活動を続けていると、先輩のバッファロー吾郎Aさんが2人の存在を知ります。

オーディションで苦戦していた時期に、バッファロー吾郎のイベント「ホームラン寄席」へ呼ばれたことは、会社の劇場とは別の場所で先輩にネタを見てもらう機会になりました。

劇場からテレビへ|ジャルジャルが知られていくまで

オーディションと自主ライブを続けた時期を経て、ジャルジャルは少しずつ賞レースやテレビで名前が知られるようになります。

ここからは単に出演番組が増えたのではなく、2人がネタを見せる場所そのものが大きくなっていきました。

新人賞や劇場での評価を重ね、仕事が少しずつ増える

2007年にはNHK新人演芸大賞の演芸部門で大賞、2008年にはABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞を受賞しました。

オーディションに落ちれば劇場へ出られなかった数年前から、ネタそのものが賞で評価される時期へ移っていきます。

2009年『爆笑レッドシアター』で広がった芸人仲間との関係

2009年からはフジテレビ系のコント番組『爆笑レッドシアター』へレギュラー出演しました。

劇場や賞レースを中心に活動してきたジャルジャルが、全国放送のコント番組へ継続的に出演する時期に入ります。

同世代の芸人たちとテレビでコントを作る環境が増え、ジャルジャルというコンビ名を知る人も広がっていきました。

2010年『めちゃイケ』新メンバー入り|テレビの中で学んだこと

2010年には『めちゃ×2イケてるッ!』の新メンバーに選ばれ、テレビでの活動がさらに大きくなります。

ただ、ネタを作って舞台で評価されてきた2人にとって、大人数のバラエティー番組には別の難しさがありました。

「何やってもうまくいかないし、手応えもない」

ORICON NEWS

後藤さんは当初、『めちゃイケ』で目立つことをジャルジャルが売れるきっかけにしたいと考えていました。

その時、加藤浩次さんから、個人が目立つことより番組一回一回を面白くすることを優先する考え方を伝えられます。

ネタで自分たちの面白さを押し出す舞台と、大人数で番組全体を作るテレビでは求められる動きが違うことを経験する時期になりました。

2013年ABCお笑いグランプリ優勝までネタを続ける

テレビの仕事が増えても、2人はネタを作ることを止めませんでした。

2013年には第34回ABCお笑いグランプリで優勝し、『めちゃイケ』で共演していた岡村隆史さんからも祝福の連絡が届いたと後藤さんは明かしています。

テレビタレントとして知られる一方で、漫才とコントを作り続けるコンビという軸も残り続けました。

M-1ラストイヤーとテレビ終了後に強まった「ネタ」への思い

30代になると、ジャルジャルはテレビ出演と並行しながらM-1や単独ライブにも力を注ぎます。

特に2018年は、長年出演した番組の終了とM-1ラストイヤーが重なった大きな節目でした。

2018年M-1で3位|最後まで独自のネタで挑む

ジャルジャルは2010年、2015年、2017年、2018年にM-1グランプリ決勝へ進出しています。

結成15年以内という当時の出場資格から、2018年はジャルジャルにとってM-1最後の年でした。

ファーストラウンドでは「国名分けっこ」の漫才で648点を獲得して最終決戦へ進み、最終順位は3位でした。

最後のM-1でも、自分たちが長く作ってきた独特な反復や言葉遊びの漫才で最終決戦まで進みました。

『めちゃイケ』終了を機に、自分たちが一番やりたい仕事を見直す

同じ2018年3月には、2010年から出演していた『めちゃイケ』が終了しました。

テレビの大きなレギュラーが終わった一方で、ジャルジャルはライブとネタ動画へ活動の比重を広げていきます。

後藤さんは後年、『めちゃイケ』が終わり、M-1決勝やYouTubeでネタを出していく中で、「ネタをたくさん持ち、ネタをするのが好きな人たち」と受け取られるようになったことで活動しやすくなったと話しています。

ライブとYouTube「ジャルジャルタワー」へ活動の軸を広げる

2018年2月から、ジャルジャルは公式YouTubeチャンネル「ジャルジャルタワー」でネタ動画の公開を本格化しました。

台本を細かく書き込むのではなく、2人きりで即興的にやり取りを始め、ネタになりそうなものを残していくという作り方は、高校時代から続く2人の方法にも重なります。

テレビのレギュラーが減った時期に、仕事を待つだけではなく、自分たちでネタを作って発表できる場所を大きくしていきました。

13回目の挑戦でキングオブコント優勝、現在も新作コントを作り続ける

ジャルジャルにとってコントの大きな節目となったのが、2020年9月26日のキングオブコント2020です。

第1回から挑戦を続けてきた大会で、ようやく優勝に届きました。

2020年キングオブコント優勝|4度目の決勝で頂点へ

2020年大会はジャルジャルにとって13回目の挑戦で、決勝進出は4度目でした。

ファーストステージを1位で通過し、ファイナルステージでも首位となって13代目キングに決定します。

「今年、優勝できなかったらどうなんねん」

ORICON NEWS

同世代の芸人が大会への出場を終えていく中でも、ジャルジャルは優勝するまで挑戦を続けました。

高校で福徳さんと遊び始めてから約20年、NSC、劇場、自主ライブ、テレビ、M-1を経た2人がコントの大会で初めて頂点に立ちました。

大量のコント制作と単独ライブを続ける現在のジャルジャル

KOC優勝後も、ジャルジャルは賞レース王者という肩書きだけで活動しているわけではありません。

公式チャンネルでコントを発表しながら、舞台では全編新作のコントライブを継続しています。

2026年春夏にも東京・名古屋・大阪で新ネタのコント単独ライブを行い、同年秋冬には全国9か所・全31公演の「マルゲリータ男とキャンパスガール ~JARUJARU CONTE TOUR 2026AW~」が発表されています。

40代に入っても、新作を作って単独ライブで見せることがジャルジャルの活動の中心にあります。

高校時代から続く後藤淳平と福徳秀介の2人の作り方

現在の2人は、テーマと台本を先に完成させてからネタを作るのではなく、2人きりの空間でどちらかが動き出し、相手がそこへ乗る方法で数多くのコントを作っています。

高校時代にも、授業中のメール、休み時間のやり取り、放課後のグラウンドで、相手が何をおもしろがるかを確かめながら遊んでいました。

大学へ進んだあとは空き教室でネタを作り、NSCで自分たちらしいコントを見つけ、若手時代には劇場へ出られない月も自主ライブを開きました。

「2人で作って、実際にやってみる」という時間が、高校時代から現在まで途切れず続いています。

大阪・吹田の家庭で育った後藤淳平さんにとって、お笑いが具体的な進路になったのは、関西大学第一高校で福徳秀介さんと出会ってからでした。

ラグビー部の病院付き添いから始まった関係は、メールで笑わせ合う遊び、NSCへの進学、ジャルジャル結成へと形を変え、劇場やテレビ、賞レースを経験していきます。

現在も2人は、新しいコントを作って舞台に立ち、高校時代から続いてきたやり方で次のネタを生み出しています。

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