人物プロフィール
『世界の果てまでイッテQ!』で海外ロケや難しい企画へ飛び込み、相方のよしこさんと体を張った姿を見せているガンバレルーヤのまひるさん。
吉本興業の公式プロフィールでは鳥取県大山町出身、NSC大阪校35期生と紹介され、特技には野球、ソフトボール、ヘッドスライディング、背面キャッチなどが並んでいます。
現在の姿からさかのぼると、子どものころは大山の自然の中で育ち、男子に交じって野球を続け、高校ではソフトボールの強豪校へ進んだスポーツ少女でした。
高校時代には学校へ行けなくなった時期もありましたが、中学生のころから抱いていた「芸人になりたい」という夢を手放さず、高校卒業後すぐ大阪へ向かっています。
そこで待っていたのが、同じマンションに偶然住んでいたよしこさんとの、一度聞いたら忘れにくい出会いでした。
まひるの生い立ちと家族|鳥取・大山町で野球に夢中になった少女時代
まひるさんが育ったのは、鳥取県西部にある大山町です。
2026年のインタビューでは、冬になると腰ほどまで雪が積もり、海が近かったため水泳の授業を海で行うこともあったと、子どものころの環境を振り返っています。
大山の自然の中で育ち、相撲大会では男子を相手に優勝
小学生時代のまひるさんは、学校と家を往復するだけではなく、地域の自然の中へ出て体を動かしていました。
夏休みには「チャレンジ探検隊」という活動へ参加し、登山をして万年雪を触りに行ったり、自分たちで竹を切っていかだを作り、海でレースをしたりしていたそうです。
水を張った田んぼでビーチフラッグや相撲をすることもあり、現在『イッテQ!』でさまざまな企画に挑む姿よりずっと前から、見慣れないことへ飛び込む機会が身近にありました。
地元で毎年開かれていた相撲大会にも小学6年生まで出場し、高学年になると参加する女子が減っていく中でも土俵へ上がり続けました。
「男の子も投げ飛ばして優勝したことがあります!」
こども新聞首都圏版
5年生のときには年上で体の大きな6年生男子と対戦し、怖さを感じながらも土俵に立ったという場面も本人の記憶に残っています。
祖父とのキャッチボールから始まった野球|両親を1年かけて説得
まひるさんが野球に興味を持ったきっかけには、広島カープのファンだった祖父の存在がありました。
家で祖父と野球中継を見るうちにキャッチボールをするようになり、小学2年生になると「自分も野球部に入りたい」と家族へ伝えます。
ところが当時は、周囲に野球をしている女の子がほとんどおらず、両親はすぐには賛成しませんでした。
そこで諦めるのではなく、祖父とのキャッチボールを続け、自分がどれだけ投げられるのかを家族へ見せ続けました。
およそ1年間キャッチボールを続けた末、父親と母親から「いいよ、頑張りなさい」と背中を押され、小学3年生から野球を始めています。
吉本興業の現在の公式プロフィールでも、趣味に「キャッチボール」「壁当て」、特技に「野球」が残っており、小学生のころ始めた野球は大人になってからも続くものになりました。
家族で毎週ジブリを見る生活|『千と千尋』を丸ごと暗記
スポーツだけでなく、家で過ごす時間には別の習慣がありました。
まひるさんの家では、毎週金曜日にビデオを借りて、家族みんなでジブリ作品を見るというルールがあったそうです。
繰り返し作品を見ているうちにせりふを覚えるようになり、『千と千尋の神隠し』については映画一本分を暗記するほどになりました。
小・中学校時代の親友からも、ジブリや『トイ・ストーリー』だけでなく国語の教科書まで暗記していたという証言があり、当時から記憶力の強さは周囲に知られていたようです。
その特技は現在も消えておらず、吉本興業の公式プロフィールにも「暗記(ジブリ映画のセリフを暗唱できる、など)」と掲載されています。
大山中学校時代|女子1人で野球を続け、イモトアヤコに憧れる
小学生で始めた野球は、中学校へ進んでも続きました。
一方で、このころテレビを通じて、スポーツとは別に進みたい道も見え始めます。
小学3年から中学3年まで男子に交じって野球
まひるさんは小学3年生から中学3年生まで野球を続け、チームでは女の子が1人だけという環境でプレーしていました。
小学生のころはスポーツ刈りにしており、見た目から男の子と間違えられることもあったと、日本テレビ『嵐にしやがれ』で紹介されています。
野球だけをしていたわけではなく、相撲、海での水泳、地域活動などにも参加していたため、学校の外まで含めて体を動かす時間の多い子ども時代でした。
中学校は地元の大山中学校へ進み、男子と一緒に野球を続けて中学3年生までプレーしました。
中学生のころ「芸人になる」と決意|同郷のイモトアヤコがきっかけ
野球を続けていた中学生のころ、まひるさんが好きで見ていた番組の一つが『世界の果てまでイッテQ!』でした。
番組では、オーディションを経て加入したイモトアヤコさんが世界各地へ出かけ、さまざまな企画へ挑んでいました。
まひるさんとイモトさんはともに鳥取県出身で、さらに、まひるさんが中学生のときに教わった先生が、かつて中学生だったイモトさんも教えていたというつながりがありました。
先生からは、イモトさんが足が速く陸上大会でも活躍していたころの話を聞いていたそうです。
「自分もイモトさんみたいになりたい」「『イッテQ』に出たい!」
こども新聞首都圏版
同じ鳥取で育った人物がテレビのスターになっていく姿を見たことが、まひるさんがお笑い芸人を目指す直接のきっかけになりました。
幼いころから『志村けんのバカ殿様』も好きでしたが、「テレビを見る側」から「自分もそこへ行きたい」と進路が具体的になったのは、中学生になってからでした。
野球引退後には幼なじみ・入江聖奈の紹介でボクシングも経験
中学3年生で野球を引退したあとには、短い期間ながらボクシングにも触れています。
きっかけを作ったのは、のちに東京五輪ボクシング女子フェザー級で金メダルを獲得する入江聖奈さんでした。
まひるさんと入江さんは鳥取県西部で育ち、母親同士が親しかったことから子どものころから交流がありました。
入江さんが通っていた米子市のシュガーナックルボクシングジムを紹介してもらい、まひるさんも一緒に練習した時期があります。
入江さんは野球漫画『MAJOR』を読むためにまひるさんの家へ遊びに行っていたこともあり、大人になった2021年に鳥取県のイベントで再会した際には、子どものころのそんな時間も語られました。
米子松蔭高校時代|ソフトボール強豪校でキャプテンになり学校へ行けなくなる
中学校を卒業すると、野球で培った力を生かして米子松蔭高校へスポーツ推薦で進み、今度はソフトボール部に入りました。
全国大会へ出場する強豪校で競技を続けた高校時代は、まひるさんの進路が大きく動いた時期でもあります。
スポーツ推薦で進学し、ソフトボール全国ベスト16へ
吉本興業の公式プロフィールには、現在も「ソフトボール(全国ベスト16)」と実績が記されています。
高校2年生の終わりごろにはキャプテンにも指名され、全国大会を目指すチームをまとめる立場になりました。
中学校まで男子に交じって野球を続けてきたまひるさんでしたが、高校では周囲も競技経験のある選手ばかりという環境に変わり、練習も厳しくなっていきます。
そんな生活の中でも、家に帰って『イッテQ!』などのバラエティ番組を見る時間は残っており、芸人になりたいという気持ちも消えていませんでした。
キャプテンの重圧と大事な試合での敗戦を経て学校から離れる
高校生活の後半になると、ソフトボールを続けることが難しくなる時期が訪れます。
2021年に高校時代を振り返った際には、キャプテンになったことによるプレッシャーが重なり、最後の全国大会を控えた時期に心身の調子を崩し、学校へ行けなくなったと語っています。
2023年の『しゃべくり007』ではさらに具体的に、全国大会出場5連覇がかかった大事な試合で自分が暴投し、準々決勝で敗れたことも振り返りました。
キャプテンとして感じていた重圧に重要な試合での敗戦も重なり、その後は約半年にわたって学校へ行けない状態が続きました。
それまで長く続けてきたソフトボールからも離れ、家で過ごす時間が増えていきました。
恩師のノートと「芸人になる」夢を支えに高校を卒業
学校から離れていたまひるさんの家へ通っていたのが、ソフトボール部顧問の福田敦子先生でした。
福田先生は毎日のようにメッセージを書いたノートを家まで届け、それをおよそ半年間続けたといいます。
クラスメートも心配し、親しい友人が家まで訪ねてきていました。
福田先生は、まひるさんが以前から芸人になりたいと話していたことも知っていました。
「芸人になるんでしょ。こんな所で立ち止まってていいの?」
日刊スポーツ
高校を卒業して芸人になるという先の目標が残っていたことも、再び学校へ向かう理由になりました。
まひるさんは学校へ戻り、高校を卒業します。
卒業後に選んだのは、ソフトボールを続ける道ではなく、中学生のころから考えていたお笑いの世界でした。
高校卒業後すぐ大阪へ|NSC大阪校35期から芸人生活が始まる
高校を卒業すると、まひるさんは地元・鳥取を離れます。
向かった先は東京ではなく、吉本興業の養成所がある大阪でした。
大学や就職ではなく、18歳でNSCを選んだ理由
2017年のインタビューで、まひるさんは高校を卒業した翌日にNSCへ入るため大阪へ行ったと語っています。
入学したのはNSC大阪校35期で、吉本興業の現在の公式プロフィールにも同じ期が記載されています。
幼いころに好きだった『志村けんのバカ殿様』、中学生になって身近に感じたイモトアヤコさん、そして高校時代につらい時期にも見続けていたバラエティ番組が、お笑いを仕事にするという進路へつながっていました。
18歳で鳥取を出たまひるさんは、学校を卒業した直後から芸人になるための生活へ切り替えました。
鳥取を離れて始まった大阪での一人暮らし
家族のいる大山町を離れ、大阪では一人で暮らし始めました。
後年の『嵐にしやがれ』では、「1年間は鳥取へ帰らない」と自分の中で決めて大阪へ来ていたことも明かしています。
ただ、知らない土地での生活は簡単ではなく、ホームシックになって毎日のように泣いていた時期もありました。
その大阪のマンションで、芸人人生だけでなく、その後長く生活をともにすることになる人物と偶然顔を合わせます。
よしことの出会い|同じマンションのエレベーターからガンバレルーヤ結成へ
愛知県から大阪へ来ていたよしこさんも、同じNSC大阪校35期へ入る予定でした。
ところが、2人が最初に知り合った場所はNSCではありません。
腹痛でうずくまるまひるによしこが声をかけ、きんぴらごぼうを届ける
2人は大阪で、偶然にも同じマンションへ引っ越していました。
ある日、まひるさんが便秘による激しい腹痛でマンションのエレベーターにうずくまっていると、そこへ乗ってきたよしこさんが「大丈夫ですか?」と声をかけます。
その場で別れたあと、よしこさんはスーパーへ向かい、食材を買ってきんぴらごぼうを作りました。
およそ30分後、よしこさんは聞いていた部屋番号を頼りにまひるさんの部屋を訪ね、作ったきんぴらごぼうを届けます。
突然知らない人が部屋まで来たため、まひるさんは最初、怖くなって居留守を使おうとしたほどでした。
この時点では、互いに芸人志望だとは伝えていませんでした。
まひるさんは自分を「ソフトボールの実業団」と説明し、よしこさんも介護関係の仕事をしているように話していたため、同じ目的で大阪に来ているとは分からないままです。
ところがその後、NSCの入学式で再会し、2人とも芸人になるために大阪へ来ていたことが分かりました。
それぞれ別のコンビ・トリオを経験し、ほぼ同時期に解散
NSCで再会したからといって、すぐガンバレルーヤを結成したわけではありません。
よしこさんは別のメンバーとトリオを組み、まひるさんも別の相手とコンビを組んでいました。
日本テレビで紹介された当時の話では、まひるさんの相方が歌手を目指すことになり、そのコンビが解散します。
すると翌日には、よしこさんが組んでいたトリオも解散しました。
先にマンションで知り合い、NSCでも顔を合わせ、普段から親しくなっていた2人が、ほぼ同じ時期に組んでいた相手を失うことになりました。
NSC帰りに「私とコンビを組んでください」
それぞれのグループがなくなったあと、NSCの授業から帰る途中で、まひるさんがよしこさんへ声をかけました。
「よっちゃん 私とよかったらコンビ組んでください」
フジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』
よしこさんはその場ですぐ承諾せず、一度「考えさせて」と返しました。
ところが翌朝にはまひるさんのもとへ行き、コンビを組むことを伝えています。
マンションのエレベーターで偶然助けてもらった相手が、そのまま芸人人生をともにする相方になりました。
吉本興業の公式プロフィールでは、ガンバレルーヤの結成年月日は2012年6月12日とされています。
「頑張れるように」からガンバレルーヤへ|結成当初はギャル漫才師志向
コンビ名について、2017年のインタビューでまひるさんは、最初はシンプルに「頑張れるように」という意味から付けたと明かしています。
「ハレルヤ」の意味は後から加えたもので、現在の名前には2人で活動を続けていく気持ちがそのまま入っています。
現在のガンバレルーヤからは少し意外ですが、結成当初に目指していたのは「ギャル漫才師」でした。
まひるさんは2018年、『THE W』の会見に結成当時の花柄ワンピースで登場し、当時ギャル漫才師を目指していたことを明かしています。
ただ、よしこさんは関西出身ではなく、ツッコミにも手応えを感じられず、まひるさんがどこでボケているのか分からないこともあったそうです。
そこで次第に、はっきりしたツッコミを置く漫才から、2人のやり取りを生かせるコント中心のスタイルへ移っていきました。
大阪の若手時代|月1,500円ほどの芸人収入とどぶさらいのアルバイト
コンビを組んでも、すぐ芸人だけで生活できるようになったわけではありません。
舞台へ立ちながら、それぞれがアルバイトをして生活費を稼ぐ時期が続きました。
アルバイトをしながら舞台へ立った若手時代
日本テレビ『嵐にしやがれ』で若手時代を振り返った際、当時の芸人としての稼ぎは月に約1,500円だったと紹介されています。
まひるさんがしていたアルバイトの一つが、川を掃除する「どぶさらい」でした。
一方のよしこさんはスナックで働いており、2人ともアルバイトの時間を挟みながら芸人活動を続けていました。
テレビで知られるようになる前には、芸人の仕事だけでは暮らせず、アルバイトをしながら舞台へ向かう生活があったのです。
2014年のよしもと漫才劇場に残る若手時代のネタ
若手時代のガンバレルーヤがどんな舞台へ立っていたのかは、公式の映像でも残っています。
2014年12月、よしもと漫才劇場のお披露目公演に出演し、「いつか生まれてくる我が子をどう逞しく育てるか」という設定のネタを披露しました。
現在のバラエティ番組で2人を知った人にとっては、東京進出前の声や間合い、舞台での立ち姿を確認できる映像です。
よしこと暮らしながら続いた大阪での活動
マンションで知り合った2人は、やがて同居するようになり、仕事以外の時間も一緒に過ごすようになりました。
大阪へ来たばかりのころ、鳥取へ1年間帰らないと決めながらホームシックで泣いていたまひるさんを見て、よしこさんが手作りのアルバムと鳥取へ帰るためのチケットを用意したこともあります。
まひるさんは気持ちを受け取りながらも、自分で決めた「1年間帰らない」という約束を守るため、チケットを返しました。
大阪時代には京セラドームの近くで暮らしていたこともあり、2026年に同球場でセレモニアルピッチを務めた際、2人はその周辺でネタの練習をしていたことを振り返っています。
同じ部屋で生活し、アルバイトへ行き、ネタを考え、舞台へ向かう日々が数年続きました。
2017年『内村てらす』が転機|東京進出で仕事が変わる
大阪を拠点に活動していたガンバレルーヤに、全国放送へつながる機会が訪れたのは2017年です。
その入口となった番組が、内村光良さんがMCを務めていた日本テレビ系『内村てらす』でした。
ダイアンの推薦で『内村てらす』へ出演
2017年2月2日と9日の放送では、前年に番組へ出演していたダイアンがオススメする芸人として、ギャロップ、アイロンヘッドとともにガンバレルーヤが登場しました。
番組内ではネタだけでなく、2人がどう出会ったのかというエピソードも紹介されます。
一度の出演で終わらず、3月には「おかわりスペシャル」として再び呼ばれ、5月からは『内村てらす2』のレギュラーになりました。
内村さんが2人を見た際、独特のキャラクターを面白がって手を叩いて笑ってくれたことを、まひるさんは後年まで覚えていました。
内村光良に評価され、2017年5月に東京進出
『内村てらす』への出演が続いた2017年5月、ガンバレルーヤは活動拠点を大阪から東京へ移します。
当時のよしもとニュースセンターによると、2人はその約2年前から東京への移籍を希望しており、その理由を「全国放送のテレビに出たいから」と話していました。
「『内村てらす』がきっかけで東京に進出したので、本当にありがたいです」
マイナビニュース
賞レースの優勝ではなく、番組で内村さんに見つけてもらい、繰り返し出演するようになったことが東京進出を動かした大きな転機でした。
全国放送の仕事が増え『イッテQ!』へ
東京へ移ってからは、『内村てらす』のレギュラー出演を足がかりに、全国放送のバラエティ番組へ呼ばれる機会が増えていきます。
そして、中学生のころにイモトアヤコさんを見ながら「出たい」と思っていた『世界の果てまでイッテQ!』にも出演するようになりました。
現在の吉本興業公式プロフィールでも同番組は代表的な出演番組として掲載されており、ガンバレルーヤは海外ロケや「ど根性シリーズ」などでさまざまな企画へ挑戦しています。
野球少女だった過去と地元・鳥取が現在の仕事へ
東京進出後、テレビで知られるようになってからも、子どものころのスポーツや鳥取との接点は途切れていません。
むしろ現在の仕事の中には、大山町で過ごした時間と重なる場面がいくつもあります。
子どものころ憧れた『イッテQ!』で挑戦する側に
2026年のインタビューでまひるさんは、『イッテQ!』で難しい課題を告げられたとき、本心では挑戦することを楽しみにしていると話しています。
番組に出始めたころは周囲に合わせて嫌がる反応をしていたものの、2人だけのロケで思わず「やったー!」と喜んだところ、スタッフからその反応を面白がられたそうです。
「挑戦することが好きだから、めっちゃやりたい!」
こども新聞首都圏版
大山で登山をしたり、いかだを作ったり、相撲大会へ出たりしていた子どものころと同じように、番組でも初めて経験する課題へ向かっています。
2026年にも、韓国で超高速のタットダンスへ挑む「ど根性シリーズ」が放送され、番組公式Xでは細かな動きに苦戦する様子が紹介されました。
『冠ルーヤ』で大山中学校や故郷へ戻る
地元とのつながりがそのまま番組になっているのが、日本海テレビの『ガンバレルーヤの週末移住バラエティ 冠ルーヤ』です。
番組では山陰各地を巡っており、まひるさんの故郷・大山町もたびたび舞台になっています。
2025年末から2026年にかけての大山町編では、子どものころに利用した大山青年の家を約20年ぶりに訪れ、昔を知る人たちと再会しました。
続く回では母校の大山中学校へ足を運び、授業中の中学3年生と交流しています。
体育館では生徒たちと一緒に17年ぶりに校歌を歌い、中学時代を思い出して涙を見せる場面もありました。
中学生のころにテレビを見ながら芸人への道を考えていた場所へ、今度は芸人として戻る機会が生まれています。
始球式やMyMまで広がった現在の活動
長く続けた野球とソフトボールは、芸人になったあとも仕事の中で顔を出します。
2026年5月4日には京セラドーム大阪で行われたオリックス対ロッテ戦の「牛牛牛っと鳥取デー」に登場し、まひるさんが投手、よしこさんが捕手を務めてセレモニアルピッチを行いました。
試合前には鳥取県米子市出身の九里亜蓮投手とキャッチボールで肩を作り、本番では90キロの速球を投げています。
その京セラドーム周辺は、売れる前に2人が暮らし、ネタの練習をしていた場所でもありました。
小学生で祖父と始めたキャッチボール、高校まで続けた競技経験、若手時代にネタを練習した大阪の街が、同じ一日の仕事の中で重なっています。
活動はバラエティだけにとどまらず、2024年には森三中の大島美幸さん、よしこさんと3人で音楽ユニット「MyM」を結成し、ファーストシングル『ASOBOZE』をリリースしました。
MyMでは3人で作詞にも取り組み、2026年にも新曲を発表するなど音楽活動を続けています。
鳥取・大山で野球や相撲に夢中だったまひるさんは、中学生になると同郷のイモトアヤコさんをテレビで見て、お笑いという進路を自分のものとして考え始めました。
高校を卒業するとすぐ大阪へ向かい、同じマンションにいたよしこさんとの偶然の出会いからガンバレルーヤを結成し、アルバイトと劇場の時代を経て東京へ進みました。
現在は、かつて憧れた『イッテQ!』で新しいことへ挑みながら、地元・鳥取へ戻る仕事や野球、音楽へも活動を広げています。












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