人物プロフィール
ファイヤーサンダーでネタ作りを担当し、キングオブコントでは2023年から3年連続で決勝へ進んだ﨑山祐さん。
緻密に展開していくコントの印象が強い一方、芸人を目指すきっかけは、和歌山で暮らしていた小学生時代にまでさかのぼります。
高専2年生ごろには、図書館で誰に見せるわけでもないネタを書いていました。
NSCへ進んだあとは、現在のさや香・新山さんとコンビを組み、その解散を経て、同期だったこてつさんとファイヤーサンダーを結成します。
和歌山県日高町で育った少年が、どこでお笑いと出会い、なぜ高専卒業後に芸人を選び、現在までコントを書き続けてきたのかを順番にたどります。
﨑山祐の生い立ちと家族|和歌山県日高町で育った子ども時代
﨑山祐さんが育ったのは和歌山県日高郡日高町です。
現在は東京を拠点に活動していますが、芸人になるまでの学生生活は和歌山で過ごしました。
日高町池田で育ち、内原小学校・日高中学校へ
地元紙「日高新報」は、﨑山さんを日高町池田出身と紹介しています。
通った学校は内原小学校、日高中学校、和歌山工業高等専門学校で、小学校から高専卒業まで地元・和歌山で過ごしました。
現在の公式プロフィールでは和歌山県出身とされていますが、市町村単位まで見ると、日高町で育った人物であることが分かります。
出典:日高新報
小学5年、転校生から『爆笑オンエアバトル』を教わる
﨑山さんがお笑いへ強く興味を持ったのは、小学5年生のときでした。
大阪からやってきた転校生に、NHKのネタ番組『爆笑オンエアバトル』を教えてもらいます。
テレビで芸人を見ること自体は珍しくない時代でしたが、﨑山さんにとっては、その転校生が新しいお笑いの世界を持ち込んできた形でした。
本人が後年「お笑いにハマりました」と振り返っている最初の具体的な出来事が、この小学5年生の出会いです。
両親とのエピソードから見える家庭での﨑山祐
﨑山さんは両親の職業や兄弟姉妹など、幼少期の家族構成について細かく公表しているわけではありません。
一方、後年のインタビューでは、こてつさんから「自分の物差しで人を測るなと両親に言われなかったか」と聞かれた際、言われたことがあると答え、両親から「祐は本当にすごくできるから」という言葉をかけられていたことも明かしています。
少なくとも、子どものころの﨑山さんを両親が高く評価していたことが分かるエピソードです。
成人後も和歌山との縁は続いており、2025年に全国ネタツアーで和歌山を回った際には、祖母が公演へ来ることを本人が楽しみにしていました。
和歌山高専でネタを書き始め、芸人という進路を選ぶ
中学校を卒業した﨑山さんは、和歌山工業高等専門学校へ進みました。
この時期になると、お笑いはテレビを見るだけのものから、自分でネタを書くものへ変わっていきます。
ジャルジャル・天竺鼠・ラーメンズに夢中だった高専時代
小学生のころに『爆笑オンエアバトル』へ夢中になったあとも、お笑いへの関心は続きました。
地元紙の取材では、『エンタの神様』もよく見ており、陣内智則さん、ジャルジャル、天竺鼠などを好んでいたと紹介されています。
本人も後年、学生年代にはジャルジャルや天竺鼠といった当時の大阪の若手コント師に加え、ラーメンズも好きだったと話しています。
漫才だけではなくコントへ惹かれていたことは、のちにファイヤーサンダーでコントを続ける経歴とも重なります。
高専2年ごろ、図書館で誰にも見せないネタを書き始める
高専へ入ってから、﨑山さんは本格的に芸人を目指すようになります。
高専2年生ごろには、学校の図書館でネタを書くようになっていました。
まだ舞台へ出るための台本ではなく、本人によれば「誰に見せるでもない」ネタでした。
人前で披露する予定がなくても、一人でネタを書く時間を持っていたという点は、現在まで続く﨑山さんのネタ作りを考えるうえで見逃せない場面です。
「卒業したら大阪吉本に入るつもりでした」
logirl
卒業直前に突然芸人を思いついたのではなく、高専の早い段階ですでに進路を決めていました。
卒業後は大阪吉本へ進むと決め、2011年にNSC34期へ
和歌山高専を卒業した2011年、﨑山さんはNSC大阪校34期へ入学します。
同じ34期には、現在の相方となるこてつさんのほか、さや香・新山さん、蛙亭らがいました。
入学時には約600人いたと本人が振り返っており、こてつさんとはクラスも別だったため、この段階では「将来の相方」という関係ではありませんでした。
高専から一般企業への就職ではなく、そのままNSCへ進んだことで、学生時代から書いていたネタを実際の舞台へ持っていく生活が始まります。
NSC34期で初舞台|トリオから新山との「オリオン」へ
NSCへ入った時点では、固定の相方が決まっていたわけではありませんでした。
最初のキングオブコントには3人組で出場し、その後、現在はさや香として活動する新山さんとコンビを組みます。
キングオブコント1回戦で初舞台、緊張で体の半分が痺れる
﨑山さんの記憶では、NSC在学中のキングオブコント1回戦が、ほぼ人生最初の舞台でした。
まだ相方が決まっていなかったためトリオを組み、「甲子園の砂」を奪い合うコントを披露します。
砂を集めているうちにショベルカーまで登場し、最後にはもう一人が「栄冠は君に輝く」を歌いながら現れるというネタでした。
初舞台の緊張は強く、本人は体の半分が痺れていたと振り返っています。
それでも1回戦を通過し、同期の中でも通過したのは7〜8組ほどだったと記憶しています。
最初の舞台からコントを選び、相方が決まる前から自分で設定を作っていたことが分かります。
さや香・新山と「オリオン」を結成し、5upで仮合格
NSC在学中の11月ごろ、﨑山さんは新山さんと「オリオン」を結成しました。
本人の2025年の回想では、NSC在学中から卒業後1年ほど一緒に活動しています。
卒業後には、当時の若手劇場5upよしもとで、最下層から上がるためのオーディションライブ「サードチャレンジ」に挑戦しました。
2分ネタがつまらなければ途中で音楽が流れて強制終了する仕組みでしたが、オリオンは最初から2分を完走し、仮合格を得ています。
「カニ」を使った小道具コントで注目される
オリオン時代の芸風は、現在のファイヤーサンダーとはかなり違いました。
﨑山さんは当時、小道具を使うコントが好きだったと話しています。
5upで披露したネタでは、新山さんが赤いランドセルを背負い、ジェイソン風の仮面をかぶった﨑山さんが現れるところから始まりました。
後半には突然「カニ」を持ち出す展開があり、﨑山さん自身、そのボケを思いついたときには手応えを感じたことを覚えているそうです。
現在のような会話や設定を緻密に積み上げるコントだけが、﨑山さんの出発点だったわけではありません。
ネタ作りの違いが見え始め、「オリオン」は解散へ
活動を続けるうち、新山さんとの間にはネタ作りに対する違いが見えるようになります。
2025年に元相方同士で振り返った際、新山さんは﨑山さんが考えるネタの量についていけなかったことや、お互いにネタを作るタイプが違ったことを話しています。
「やっぱ崎山のペースに俺、全くついていかれへん」
スポニチアネックス
﨑山さん自身も、芸歴1年目だった当時は自分が正しいと思った案を強く押し通していたと振り返っています。
後年の本人インタビューでは、新山さん側に漫才をやりたい気持ちや、自分のやりたいことが生まれていたことも説明されています。
単純な一つの理由で別れたのではなく、ネタを作る速度や方向性、やりたい芸風の違いが重なっていきました。
こてつとファイヤーサンダー結成|ポケモンカードから始まった関係
オリオン解散後、﨑山さんはすぐ現在のコンビへ移ったわけではありません。
別のコンビもうまくいかない時期を挟み、NSC同期だったこてつさんとの距離が少しずつ近づいていきます。
オリオン解散後、ポケモンカードをきっかけにこてつと接近
意外な接点になったのがポケモンカードでした。
オリオン解散後、次に組んだコンビもうまくいかず、私生活でも時間ができていた﨑山さんは、急にポケモンカードをやってみたくなります。
すでに遊んでいたこてつさんへ「教えてくれ」と頼み、一緒にカードで遊ぶようになりました。
こてつさんは当時、一人でカードショップの大会へ行き、小学生と対戦することもあったほどで、﨑山さんやロングコートダディ・兎さんと遊べるようになったことを喜んでいたそうです。
TBSのキングオブコント公式プロフィールでは、ファイヤーサンダーの結成は2014年11月とされています。
どちらからコンビ結成を持ちかけたのかについて、2人の記憶ははっきりしていませんが、現在は「こてつさん側だったと思う」という認識で一致しています。
最初のネタ合わせで8案を全却下、初ライブから衝突
コンビを組んだ直後から、﨑山さんのネタへの細かさは表に出ました。
以前のコンビでネタを書いていたこてつさんは、最初のライブへ向けて8本ほどの案を持参します。
ところが﨑山さんは、その案をすべて「面白くない」と却下しました。
台詞の演技指導も細かく、「てにをは」が少し違うだけでもやり直しを求め、本番直前に台詞を変更することもありました。
現在の「﨑山が100%ネタを書く」という体制につながる関係は、結成最初期からかなりはっきりしていました。
蛙亭イワクラのひと言で、こてつがコンビ継続を決める
初ライブを終えたこてつさんは、「こんな相手とは続けられない」と思うほどでした。
舞台後、同期の蛙亭・イワクラさんと飲みに行き、﨑山さんの指導が厳しかったことを話します。
するとイワクラさんから、﨑山さんがそういう人物であることは最初から分かっていたはずだという趣旨の言葉を返されました。
こてつさんは、その言葉を受けて「もう少し続けよう」と考え直します。
現在まで続くファイヤーサンダーですが、最初のライブが終わった時点では、すでにこてつさんが離れることを考えるほどの状態でした。
初舞台では「砂漠の水筒」コントを披露するも手応えは薄かった
ファイヤーサンダーとして最初に舞台へ持っていったのは、砂漠で遭難した2人が水筒の水を分け合うコントでした。
ネタそのものには今でも自信があると﨑山さんは話していますが、当時の舞台ではあまりウケませんでした。
こてつさんは後年、ネタではなく当時の2人の技術が追いついていなかったのではないかと振り返っています。
また、コンビ名はポケモンの「ファイヤー」「サンダー」を連想させますが、﨑山さんは過去のXで、特別な由来があったわけではなく、適当につけた名前だったと説明していました。
コントを続けるため大阪を離れ、2015年に東京へ
ファイヤーサンダーを結成してから約1年後、2人は大阪を離れることを決めます。
現在の事務所へ移籍することを先に決めたのではなく、最初は吉本を離れてフリー芸人として東京へ出るという選択でした。
漫才中心へ変わる劇場環境の中で吉本を離れる
結成前後、大阪の若手劇場は5upよしもとからよしもと漫才劇場へ変わりました。
﨑山さんの回想では、漫才を重視する環境へ変化しており、周囲には東京へ移る芸人もいました。
ファイヤーサンダーはコンビを組んだ段階からコントを続けるつもりだったため、その流れの中で上京を選びます。
テレビへ出るためというより、「コントをやりたい」という理由が大阪を離れる大きな要素でした。
﨑山さん個人には当時の失恋で大阪を離れたかったという事情もあり、仕事と私生活の両方が重なった上京でした。
「引退を受け付けました」の通知を受け、フリー芸人として上京
2人は東京吉本へそのまま移籍したわけではありません。
﨑山さんによれば、当時は大阪から東京吉本へ移れる組数に制限がかかっており、さらにファイヤーサンダーは吉本へ正式なコンビ結成届を出す前でした。
そのため事務所側では、ピンで活動していた2人が辞めるような扱いになり、こてつさんのもとには「引退を受け付けました」という通知まで届いたといいます。
2015年、2人は所属先の決まっていない状態で東京へ移りました。
K-PROでのライブをきっかけにワタナベから声がかかる
東京ではフリーとして、お笑いライブ制作会社K-PROのライブへ出演します。
そこでK-PRO代表の児島気奈さんが、フリーで面白い芸人を探していたワタナベエンターテインメント側へファイヤーサンダーを紹介しました。
突然の話だったため﨑山さんはすぐには決めず、周囲の芸人にも相談しながら考えます。
その後「とりあえずネタ見せへ」と声をかけられ、3回ほどネタ見せへ通った末、所属が決まりました。
ワタナベでは養成所経由で所属する芸人が多い中、2人は外部から入る形でした。
所属決定を知ったこてつは「8人目」だった
所属が決まったあとにも、2人らしい出来事がありました。
事務所とのやり取りを担当していた﨑山さんは、所属決定を周囲の芸人や親へ先に伝え、相方のこてつさんへ知らせたのは3日ほど後でした。
本人の感覚では、こてつさんは8人目くらいだったそうです。
「会ったときに言えばいい」と考えていた﨑山さんと、「相方を早く喜ばせてほしい」というこてつさんの温度差は、結成当初から変わらない2人のやり取りとして残っています。
アルバイトと毎日のネタ合わせ|ABC優勝までの下積み時代
ワタナベエンターテインメントへ所属しても、すぐ芸人だけで生活できるようになったわけではありません。
2018年のABCお笑いグランプリ優勝まで、ライブとアルバイトを続けながらネタを作る時間が続きました。
ライブとオーディションを続けながらアルバイト生活
2018年5月の地元紙取材では、ファイヤーサンダーは月に10本ほどのライブやテレビ番組のオーディションへ出演していました。
それでも芸人としての収入だけでは生活できず、アルバイトを続けています。
東京へ出ればすぐ環境が変わるわけではなく、舞台へ出てネタを試しながら、生活費は別の仕事で補う時期でした。
こてつに毎日ネタの「設定のタネ」を求め、約2,000案が集まる
当時は現在のように、すべてを﨑山さん一人だけで作っていたわけではありません。
こてつさんにも「家族会議」「節分」といったコントの設定になりそうな単語を毎日10個ほど考えてもらっていました。
こてつさんによると、その数は合計で約2,000個に達したそうです。
ただし、そこからネタを組み立てる部分はほとんど﨑山さんが担当しており、本人は当時の割合を自分が95%、こてつさんが5%ほどと表現しています。
アルバイトをしながら、毎日ネタ合わせを行い、新しい設定を出し続ける生活が約3年間続きました。
『ダイイングメッセージ』などのコントが注目され始める
東京でライブへ出続ける中、ファイヤーサンダーは設定から物語を広げていくコントを増やしていきます。
ABCお笑いグランプリでは『ダイイングメッセージ』などを武器に勝ち上がり、ファイナルステージへ進出しました。
小道具を前面に出していたオリオン時代とは異なり、設定そのものの違和感を掘り下げる現在に近いスタイルが見えるようになっていました。
2018年、第39回ABCお笑いグランプリで優勝
2018年7月、ファイヤーサンダーは第39回ABCお笑いグランプリへ出場しました。
ファーストステージを突破すると、決勝では「無人島」を舞台にしたコントを披露し、東京ホテイソン、蛙亭を上回って優勝します。
ABCテレビの公式記録では、ファイナルステージでファイヤーサンダーが653点を獲得し、第39代チャンピオンとなりました。
結成から約4年、上京から約3年で初めて大きな賞レースのタイトルを手にします。
優勝賞金は100万円で、当時の﨑山さんは両親へ渡す分やパソコン購入などについても話していました。
ABC優勝でも売れなかった5年間|ネタを作り続けた﨑山祐
ABCお笑いグランプリで優勝したことで、ファイヤーサンダーの状況が一気に変わったようにも見えます。
しかし、本人たちの実感は大きく異なっていました。
優勝後もテレビ仕事はほとんど増えなかった
優勝直後、こてつさんは「これで急に売れたらどうしよう」と不安になり、﨑山さんもテレビ出演が増えた場合を心配していました。
打ち上げでは、元相方の新山さんに「テレビではどうすればいいのか」と尋ねたほどです。
ところが実際には、ABC優勝後もテレビ出演はほとんど増えませんでした。
大阪の大会を東京の事務所所属のコンビが制したこともあり、大阪の番組へ頻繁に呼ばれる形にもならず、深夜ドラマやラジオなど一部の仕事にとどまりました。
賞レースで優勝した瞬間を、そのままファイヤーサンダーの「ブレイク」とすることはできません。
周囲が先に売れても「いいネタができている」と焦らなかった
その後の5年間、こてつさんは焦りを感じるようになります。
一緒にライブへ出ていた空気階段、オズワルド、真空ジェシカらがお笑いだけで生活できるようになり、蛙亭やさや香も賞レースの決勝へ進んでいきました。
一方、﨑山さんは比較的落ち着いていました。
「おもしろいネタは全然できてたんで」
logirl
自分で面白いと思えるネタが作れているなら、そのまま続けていけば順番が回ってくるという感覚だったと話しています。
仕事量よりも、ネタが作れているかどうかを自身の基準にしていました。
2020年『キングオブう大』の低評価でネタ作りのフォームを崩す
ただし、ずっと迷いがなかったわけではありません。
2020年、かもめんたる・岩崎う大さんがコントを審査する企画『キングオブう大』で、﨑山さんは厳しい評価を受けました。
指摘されたのは、﨑山さん本人のキャラクターとネタが合っていないという点でした。
その助言を意識してネタの作り方を変えてみたものの、うまくいかず、それまでキングオブコント準決勝へ進んでいた流れの中で、2021年は準々決勝敗退となります。
外からの評価を取り入れたことで、それまで自然に続けていた作り方を一度崩した時期でした。
大量に作り、自分に合うネタを選ぶ方法へ戻る
そこで﨑山さんは、考え方を切り替えます。
自分のキャラクターに合う一本を最初から狙うのではなく、これまで通り大量にネタを作り、その中から自分に合うものを選ぶ方法へ戻しました。
ネタを作る幅自体も少しずつ広がり、再びキングオブコントで上位を狙えるところまで進んでいきます。
2024年の決勝前にも、﨑山さんは大きくスタイルを変えたのではなく、今やっていることを続けているという趣旨の話をしていました。
「今やっていることは絶対正しい」
マイナビニュース
キングオブコント3年連続決勝へ|ネタを作り続ける現在
ABC優勝から5年がたった2023年、ファイヤーサンダーはようやくキングオブコント決勝へ進みます。
ここから3年間、毎年決勝の舞台に立つことになりました。
2023年に初のKOC決勝、2024年・2025年もファイナリストに
2023年、ファイヤーサンダーはキングオブコントで初めて決勝進出を果たします。
決勝では『日本代表メンバー発表』を披露し、最終順位は4位でした。
翌2024年はさらに順位を上げて3位となり、2025年にも3年連続で決勝へ進出します。
2025年はブラックな題材を扱った『復帰』を決勝へ持ち込み、5位となりました。
2018年のABC優勝からすぐ売れたのではなく、5年間ネタを増やし続けたあとにKOC常連となりました。
単独ライブと全国でのネタ活動へ比重を広げる
KOC決勝へ進むようになったあとも、活動の中心からネタが外れたわけではありません。
2018年に最初の単独ライブを行ったあと、2024年には第2回単独ライブ「いいから褒めろ」を開催しました。
2025年には第3回単独ライブ「まだ足りない」を行い、さらに初の全国ネタツアー「巡る回る」で和歌山など各地を回っています。
地元・和歌山公演について、﨑山さんは祖母が来場することを楽しみにしていました。
小学生から高専まで過ごした和歌山へ、芸人としてネタを持って戻る機会も増えています。
2025年に上下碧と結婚、私生活でも新しい時期へ
2025年10月には、元「仮面女子」でタレントの上下碧さんとの結婚を発表しました。
﨑山さんは自身のXに2人の写真を投稿し、短い言葉で結婚を報告しています。
婚姻届の証人の一人は、芸人仲間のヒコロヒーさんが務めました。
結婚そのものを芸人人生の大きな物語へ広げる発言はしていませんが、翌2026年には賞金の使い道を聞かれ、新婚生活に伴う引っ越し費用へ触れる場面もありました。
2026年ワタナベお笑いNo.1初優勝、第4回単独ライブへ
2026年3月、ファイヤーサンダーは「ワタナベお笑いNo.1決定戦2026」へ出場しました。
ファイナルラウンドまで勝ち上がり、四千頭身、フタリシズカ、豆鉄砲との決戦を制して、同大会で初優勝します。
ABCお笑いグランプリから約8年後、所属事務所の大会でも初めて頂点に立ちました。
大会後、﨑山さんは今後について、ネタを作ることを中心に置いた言葉を残しています。
「一番面白いネタをやる人たちであり続けたい」
お笑いナタリー
同年7月には東京・座・高円寺2で、第4回単独ライブ「どう考えても」を3日間開催しました。
小学生のころテレビで見つけ、高専の図書館で一人書き始めた「ネタ」は、2026年現在も活動の中心にあります。
和歌山で『爆笑オンエアバトル』を教えてもらった小学5年生のころから、高専の図書館、NSC、新山さんとのオリオン、こてつさんとのファイヤーサンダーへと、﨑山祐さんは時期ごとに相手や環境を変えながらネタを書いてきました。
ABC優勝後も状況が一気には変わらない中で作り続け、2023年からはキングオブコント3年連続決勝、2026年にはワタナベお笑いNo.1初優勝まで進んでいます。
学生時代に誰にも見せず書いていたネタは、現在ではファイヤーサンダーの舞台そのものになっています。












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