人物プロフィール
ファイヤーサンダーのこてつさんは、2018年のABCお笑いグランプリ優勝を経て、キングオブコント2023・2024・2025で3年連続ファイナリストとなったコント師です。
現在はコントの舞台で知られていますが、芸人になる前は学校の教師を目指して大学へ進み、教員免許まで取得していました。
その進路が動くきっかけになったのが、子どものころからすぐ近くで育った、さらば青春の光・東ブクロさんでした。
教師になるつもりだった大学生が、いとこの芸人入りを見て、自分もお笑いの世界へ進み始めます。
そこから大阪NSC、最初のコンビ、﨑山祐さんとの出会い、東京でのフリー生活、アルバイトを続けた時期を経て、現在のファイヤーサンダーへ続いていきました。
こてつの生い立ちと家族|大阪・茨木で東ブクロと育った幼少期
こてつさんは1987年12月16日生まれで、ワタナベエンターテインメントの公式プロフィールでは大阪府茨木市出身と紹介されています。
芸人になるよりずっと前から、お笑いは家庭のテレビを通して身近な存在でした。
週末は吉本新喜劇、小柄な少年が池乃めだかに親しみを持ったころ
大阪で育ったこてつさんにとって、土日に吉本新喜劇を見ることは特別なイベントというより、日常の一部でした。
小学生のころは背が低く、同じく小柄な池乃めだかさんを見ながら、大人になっても小さかったらめだかさんのようになろうと漠然と思っていたそうです。
「土日は(吉本)新喜劇を観るのが日常でした。」
テレビ朝日 logirl
この時点で将来の職業を芸人に決めていたわけではなく、学校生活を送りながらテレビのお笑いを自然に見ていた少年時代でした。
東ブクロとは家が約200メートル、同じ小学校・中学校で育つ
こてつさんの家族関係で芸人人生と深く結びつく人物が、母方のいとこにあたるさらば青春の光・東ブクロさんです。
二人の実家は茨木市内で約200メートルしか離れておらず、小学校と中学校も同じでした。
親戚の集まりで会うだけの関係ではなく、幼いころから一緒に遊んでいた近所のいとこ同士でした。
こてつさんは現在も東ブクロさんを本名にちなんで「よしくん」と呼んでおり、2025年にテレビで幼少期を振り返った際にも「小さい時からめっちゃ仲良かった」と話しています。
ただし、このころの二人は性格がかなり違い、こてつさん自身は比較的ひょうきんなタイプだった一方、東ブクロさんについては子どものころは静かな人物だったと覚えていました。
教師を目指した学生時代|大学M-1と東ブクロが変えた進路
子どものころにお笑いを身近に感じていても、こてつさんが最初に現実的な進路として選んだのは芸人ではありませんでした。
高校から大学へ進む時期には、学校で教える側になる将来を考えていました。
教員免許を取得し、学校教師になるつもりだった大学時代
こてつさんは大阪府立三島高校を経て大阪教育大学へ進学し、教育の道を目指しました。
現在のワタナベエンターテインメント公式プロフィールにも、こてつさんについて「教員免許あり(小中高理科)」と記載されています。
本人はもともと学校そのものが好きだったといい、後にNSC時代を語る際にも、教師を目指した理由と学校好きだった性格を結びつけて話しています。
大学へ進んだ時点では、卒業後に教壇へ立つ未来のほうが具体的でした。
大学生でM-1初挑戦、大滑りした最初のお笑いの舞台
そんな大学時代、こてつさんは一度だけ観客の前で漫才をすることになります。
一緒に出場したのは、後に漫画『監禁嬢』『夜者』などを手がけることになる河野那歩也さんでした。
二人でM-1グランプリに挑み、自分たちは面白いという感覚で舞台へ上がったものの、披露した漫才はほとんど反応を得られませんでした。
ネタを終えた二人は会場のトイレへ行き、そこで体が震えるほどの大きな失敗を味わいました。
その経験をしたからといって、すぐ芸人を志したわけではなく、この時点ではまだ教師になる進路が残っていました。
東ブクロが芸人になると知り、自分もお笑いの道を意識
進路が変わり始めたのは、近所で一緒に育った東ブクロさんが先に芸人の世界へ進んだときでした。
子どものころの東ブクロさんを知っていたこてつさんにとって、静かだったいとこがプロのお笑い芸人になったことは意外な出来事でした。
「僕がお笑い始めるきっかけはいとこ(東ブクロ)なんです」
ENCOUNT
教師を目指していたこてつさんにとって、東ブクロさんの芸人入りが「自分もやってみる」という最初の具体的なきっかけになりました。
教員免許まで取得していた進路から方向を変え、2011年、こてつさんは大阪NSC34期へ入ります。
大阪NSC34期へ|オストンプレスで始まった芸人生活
NSCに入ったこてつさんの周囲には、同じように芸人を目指す若者が集まっていました。
後に現在の相方となる﨑山祐さんも同じ34期でしたが、当時はクラスが別で、まだ一緒にコンビを組む関係ではありませんでした。
2011年にNSC入学、同期と将来を語った養成所時代
こてつさんにとってNSCは、厳しい修業だけの場所というより、同じ目標を持つ人間が一度に集まった新しい学校のような場所でもありました。
一人暮らしをしている同期の狭い部屋へ集まり、お金がない若手同士で将来について話す時間もあったといいます。
学校が好きで教師を目指していたこてつさんは、NSCで過ごした時間を「青春の延長」のように楽しんでいました。
同じ34期には後にさや香となる新山さんや蛙亭などがいましたが、同じ期だからといって全員が同じコンビや同じクラスで動いていたわけではありません。
オストンプレス結成、NSC道場で手応えを感じた初期の舞台
NSCを経たこてつさんは、幸地さんという相方と「オストンプレス」を結成し、本名の藤田崇之で活動しました。
プロとして初期に立った舞台の一つが、若手芸人が多数出演して順位を競う「NSC道場」でした。
約60組の中から上位20組が入賞する舞台で、オストンプレスはいきなり11位に入り、こてつさんは手応えを感じます。
当時披露したのはガンマン同士が撃ち合い、撃たれた人物へガーゼを貼ると治ってしまうというコントでした。
「そこそこがんばってるな、筋悪くないじゃん」
テレビ朝日 logirl/﨑山祐
﨑山さんはまだ相方になる前からオストンプレスのネタを覚えており、小道具を使ったこてつさんたちのコントをこのように見ていたそうです。
元コンビ解散を経て、新しい相方を探す時期へ
最初の舞台で11位に入ったオストンプレスでしたが、その後ずっと同じ結果が続いたわけではありませんでした。
約3年間の活動を経て、2014年5月にコンビを解散します。
解散時の投稿では、幸地さんとこてつさんの二人とも芸人を続けることが明かされており、こてつさんはここでお笑いの道そのものをやめることはありませんでした。
﨑山祐との出会いとファイヤーサンダー結成
オストンプレスが終わったころ、同じNSC34期で別の道を歩いていた﨑山さんにもコンビの変化が起きていました。
﨑山さんは一時期、現在のさや香・新山さんと「オリオン」を組んでおり、その後も別のコンビを経験していました。
NSCでは別クラス、ポケモンカードを通じて距離が縮まる
NSC同期ではあっても、入学当初のこてつさんと﨑山さんは別クラスで、最初から親しい二人だったわけではありません。
距離が縮まるきっかけの一つになったのが、意外にもポケモンカードでした。
こてつさんはアルバイトをしていたコンビニでポケモンカードのパックを見つけ、懐かしさから再びカードを始めました。
当時は周囲に一緒に遊ぶ大人が少なく、カードショップで小学生と対戦したり、一人で大会へ参加したりしていたそうです。
その後、﨑山さんからカードを教えてほしいと言われ、ロングコートダディ・兎さんらも交えて遊ぶようになりました。
芸人としては別々のコンビを経験していた二人が、舞台の外で一緒に過ごす時間を増やしていきます。
こてつ側から声をかけたと振り返る、2014年のコンビ結成
それぞれの旧コンビが終わったあと、新しい相方を考える中で二人が組む話が具体化しました。
後年のインタビューで﨑山さんは、こてつさん側から声をかけた記憶があると話し、こてつさん自身も「たぶんそう」と答えています。
本人たちも細かなやり取りまでは覚えていないため、どんな言葉で誘ったのかまでは断定できませんが、2014年11月にファイヤーサンダーを結成しました。
NSCでは別クラスだった二人が、元コンビの解散とポケモンカードでの交流を挟み、現在のコンビへたどり着きました。
最初のライブでネタ案をほぼ全却下、イワクラへの相談で続行へ
ところが、ファイヤーサンダーとしての最初のネタ作りは穏やかには始まりませんでした。
以前のコンビでは自分でもネタを書いていたこてつさんは、初ライブへ向けて8本ほどの案を用意して﨑山さんのところへ持っていきました。
﨑山さんはその案をほぼすべて面白くないとはっきり伝え、セリフの細かな言葉遣いや演技にも修正を入れました。
本番直前にもセリフが変わり、こてつさんはライブを終えたころには、もう一緒にできないと感じるほどでした。
舞台後、同期の蛙亭・イワクラさんと飲みに行ったこてつさんは、﨑山さんの厳しさについて不満を口にします。
するとイワクラさんから、﨑山さんがそういう人物であることは最初から分かっていたはずだという趣旨の言葉を返され、こてつさんはもう少し続けることにしました。
ファイヤーサンダーは、最初のライブを終えた時点ですでに、こてつさんがコンビ継続を迷うほどネタ作りでぶつかっていました。
最初からコントを選び、二人でネタを磨き始める
ファイヤーサンダーの初舞台で披露したのは、砂漠で遭難した二人が水筒の水を分け合う設定のコントでした。
ネタの発想には手応えがあったものの、当時は演じる技術が追いつかず、舞台では大きな笑いにはつながらなかったと二人は振り返っています。
それでも、結成時から二人が選んだのは漫才ではなくコントでした。
「コンビを組んだ時からコントをやろう」
朝日放送テレビ「第39回ABCお笑いグランプリ」
ここから、ネタを書く﨑山さんと、その要求に応えながら舞台に立つこてつさんという現在につながる形が少しずつ作られていきます。
吉本を離れて上京|フリー芸人からワタナベ所属へ
ファイヤーサンダー結成後も、二人がそのまま大阪で活動を続けたわけではありませんでした。
コントを続ける場所を考える中で、活動拠点そのものを変える選択が現れます。
吉本ではコンビ登録せず、インディーズライブを中心に活動
当時の大阪では5upよしもとからよしもと漫才劇場への移行期を迎え、若手を取り巻く劇場環境も変わっていました。
コントを中心にやりたかった二人は、ファイヤーサンダーとして吉本の正式なコンビ登録をしないまま、インディーズライブにも出演していました。
こてつさんによれば、吉本を離れる際にはコンビとして退所したというより、個人の手続きとして扱われ、後に「引退を受け付けた」という趣旨の連絡まで届いたといいます。
実際には芸人を辞めたわけではなく、二人が考えていたのは次に活動する東京の舞台でした。
コントを続けるため、2015年秋に東京へ
大阪でコント師として売れ、その後に東京でもう一度評価されるより、早い段階で東京へ出ようという考えから、二人は上京を決めます。
2015年秋、ファイヤーサンダーは吉本を離れ、コントを続ける場所を求めて東京へ移りました。
結成からまだ約1年という早い段階で、大阪の劇場に残るのではなく活動拠点そのものを変えたことになります。
東京へ移った時点で次の所属事務所が決まっていたわけではなく、そこから約1年間はフリーでライブへ出続けました。
K-PRO周辺のライブを経て声がかかり、ワタナベ所属へ
フリー時代は東京のさまざまなライブへ出演し、K-PRO周辺の舞台にも立ちながらネタを続けました。
その中でワタナベエンターテインメント側から声がかかり、オーディションを経て2016年にワタナベエンターテインメント所属となります。
所属の話が出た際、こてつさんが相談した相手の一人が、芸人になるきっかけにもなった東ブクロさんでした。
東ブクロさんから背中を押される一方、コンビ内では﨑山さんのほうが所属決定を先に知っており、家族や周囲へ知らせたあとで、こてつさんに伝わったのはかなり後だったという二人らしい話も残っています。
下積み時代|アルバイトと毎日のネタ会議
所属事務所が決まっても、すぐにお笑いだけで生活できるようになったわけではありません。
こてつさんは後年、上京後から2018年のABCお笑いグランプリ優勝までを、芸人生活の中でも特に苦しかった時期として挙げています。
ガソリンスタンドで働きながらライブを続ける
東京での若手時代、こてつさんはガソリンスタンドなどでアルバイトをしながら舞台へ立っていました。
2018年にABCお笑いグランプリで優勝した時点でもまだガソリンスタンド勤務を続けており、賞金100万円の使い道を聞かれた際には、職場の年上の先輩の父親から吉野家の牛丼をおごってもらっていたという日常の話までしています。
事務所に所属してライブへ出演しながら、その合間に働く生活が続いていました。
1日10個の設定案、約2,000個を考えたネタ作りの日々
アルバイトだけでなく、当時のこてつさんを追い込んでいたのが毎日のネタ会議でした。
現在は﨑山さんがネタ作りをほぼすべて担当していますが、当時はこてつさんにもアイデアを出す役割がありました。
求められたのは完成したコントではなく、「家族会議」「節分」のようなネタの設定になる種を1日10個考えることでした。
こてつさんが送った設定案は累計で約2,000個に達しました。
いつか売れたら一覧を公開しようと残していたものの、携帯電話が壊れたことでデータは消えてしまったそうです。
昼間に働き、ライブへ出て、その間にも毎日ネタの種を考えるという時間が、ABC優勝前まで続いていました。
「30歳までに結果が出なければ辞める」と両親へ伝えていた
大学で教員免許を取りながら芸人へ進んだこてつさんは、いつまでも結果が出なくても続けるつもりではありませんでした。
両親には、自分の中で一つの期限を伝えていました。
「30歳になって、なんの結果も出んかったら芸人辞める」
テレビ朝日 logirl
その30歳という節目で、こてつさんの芸人人生に初めて大きな結果が出ます。
2018年ABC優勝|30歳で結果を出しても生活はすぐ変わらなかった
2018年、ファイヤーサンダーは若手芸人を対象とする第39回ABCお笑いグランプリへ挑戦しました。
大阪を離れて約3年がたっていましたが、こてつさんにとってABCは大阪時代から見ていた大会でした。
北大阪地震の翌日に最終予選へ向かい、ABCお笑いグランプリ優勝
最終予選の前日には、北大阪を震源とする大きな地震が発生しました。
実家がある茨木市は震源に近く、こてつさんは家族や実家を心配しながら、予選へ行ってよいのか迷う状況で当日を迎えています。
それでも予選を勝ち抜き、7月8日に行われた決勝へ進出しました。
全国570組のエントリーから12組が決勝へ進み、ファイヤーサンダーはファーストステージを突破すると、最後は「無人島」のコントを披露して653点を獲得しました。
30歳のこてつさんは、第39回ABCお笑いグランプリで優勝し、両親へ伝えていた期限の年に初めて大きなタイトルを手にしました。
ファイヤーサンダーにとって、これが最初の大きな賞レース優勝でした。
優勝してもテレビ仕事は急増せず、アルバイト生活が続く
ABC優勝が決まったとき、こてつさんは急にテレビへ呼ばれるようになるのではないかと考え、テレビで何もできないかもしれないという別の不安まで抱えていました。
ところが、実際には仕事が一気に増えることはありませんでした。
東京の事務所に所属していたこともあり、大阪のテレビ番組へ次々と呼ばれる展開にはならず、アルバイト生活も終わりませんでした。
ABCで優勝してから、こてつさんがアルバイトを辞められるまでには約5年かかりました。
その間には、同じ大阪吉本時代を知る蛙亭やさや香が賞レース決勝へ進み、新ネタライブで一緒だった空気階段、オズワルド、真空ジェシカらがお笑いだけで生活するようになっていきました。
﨑山さんがネタの出来に手応えを持ちながら淡々と続ける一方、こてつさんは周囲との差を意識し、焦りを抱えていたといいます。
2020年に藤田崇之から「こてつ」へ改名
ABC優勝から約2年後の2020年11月15日、それまで本名の藤田崇之で活動していた名前にも変化がありました。
本人はXで「藤田」から「こてつ」へ改名すると発表し、以降は現在の芸名で活動しています。
改名理由について本人から具体的な説明は公表されていないため、名前の由来を推測で補うことはできません。
KOC初決勝から3年連続ファイナリストへ|現在のファイヤーサンダー
ABC優勝後もすぐには売れず、ファイヤーサンダーは新しいコントを作りながらキングオブコントへの挑戦を続けました。
準決勝まで進みながら決勝へ届かない年も重ね、ABC優勝から5年後にようやく大きな変化が訪れます。
2023年、結成から約9年でキングオブコント初決勝
2023年、ファイヤーサンダーは初めてキングオブコント決勝へ進出しました。
決勝で披露したのは、サッカー日本代表のメンバー発表を題材にしたコント「日本代表メンバー発表」でした。
こてつさんは大声を使う場面が多いこのネタで喉を酷使しており、決勝直前に声が出なくならないかという不安も抱えていたそうです。
8番手で登場したファイヤーサンダーは466点を獲得し、初めてのKOC決勝を4位で終えました。
ABC優勝から5年、アルバイトを続けながらネタを積み重ねた末に、初めてKOCの決勝舞台へ届きました。
2024年3位、2025年5位と3年続けて決勝の舞台へ
初決勝の翌年もファイヤーサンダーは勝ち上がり、キングオブコント2024で2年連続の決勝進出を決めました。
2024年の決勝では「毒舌散歩」でファイナルステージまで残り、最終順位は3位でした。
続く2025年も決勝10組に入り、これで3年連続3回目のKOC決勝となります。
2025年は芸能人の復帰を題材にした「復帰」を披露し、457点で5位となりました。
2023年4位、2024年3位、2025年5位と、ファイヤーサンダーは3年続けてKOC決勝の舞台に立っています。
2026年にワタナベお笑いNo.1初優勝、ライブを軸に活動を続ける
2026年3月14日には、所属事務所の芸人が競う「ワタナベお笑いNo.1決定戦2026」へ出場しました。
ファーストラウンドで金の国を破ってファイナルラウンドへ進み、最後は豆鉄砲、フタリシズカ、四千頭身と争います。
審査員票と視聴者票による接戦の末、ファイヤーサンダーが大会初優勝を決め、賞金100万円を獲得しました。
「やっと優勝できた、という気持ちです。」
Watamedia
ABC優勝から8年後、KOC3年連続決勝を経て、ファイヤーサンダーは所属事務所の大会でも初めて頂点に立ちました。
同年7月には第4回単独ライブ「どう考えても」を開催し、こてつさん自身も単独ライブや賞レースでネタを続けていく意思を語っています。
大阪・茨木で吉本新喜劇を見ながら育ち、教師を目指して大学へ進んだこてつさんは、東ブクロさんの芸人入りをきっかけに自分もNSCへ進みました。
オストンプレスの解散、﨑山祐さんとの結成、東京でのフリー生活、アルバイトと毎日のネタ会議を経て、30歳でABCお笑いグランプリの優勝を経験します。
その後もすぐには生活が変わらない時期を重ねながら、2023年からKOC3年連続決勝へ進み、2026年もファイヤーサンダーとしてコントの舞台に立ち続けています。












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