人物プロフィール
宮下草薙の宮下兼史鷹さんは、草薙航基さんの不安や暴走を受け止めながら、低い声で言葉を返す姿で知られています。
テレビでは冷静なまとめ役に見えますが、漫談を一人で作り続けた養成所時代や、売れる前に身につけたおもちゃへの深い知識など、一つの型に収まらない歩みがあります。
高校1年で学校を離れ、家族の生活を支えるために働きながら、養成所へ入る資金を貯めました。
芸人としてはピンの漫談から始まり、養成所で出会った草薙さんを自分から誘い、所属していた事務所を一度離れてコンビを組んでいます。
群馬で過ごした子ども時代から、大工仕事、相方との出会い、客席の少ないライブを経て仕事が増えるまでを、出来事が起きた順にたどります。
宮下兼史鷹の生い立ちと家族|群馬県玉村町で育った幼少期
宮下さんは1990年11月16日、群馬県佐波郡の出身です。
子ども時代を過ごした玉村町では、家の内外で人を笑わせる時間と、家族の状況が変わっていく時間が重なっていました。
芝根小学校では小学3年生ごろまでクラスの人気者
通っていたのは、後年に創立150周年記念講演で母校を訪れた玉村町立芝根小学校です。
「小3ぐらいまでは、周りを笑わしているようなクラスの人気者タイプ。」
bizSPA!フレッシュ
同じころに見ていた『志村けんのバカ殿様』にも夢中になり、小学3年生の宮下さんは本気で「バカ殿になりたい」と考えていました。
一方でぜんそくがあり、ほかの子と同じように運動できないこともありました。
両親の離婚が重なった小学4年生ごろからは、それまでの自分とは違う振る舞いをするようになったと、宮下さん自身が当時を振り返っています。
小学5年生から、5歳下の弟を世話する
小学5年生になるころには、家の中で弟の面倒を見る時間が増えていました。
弟とは特撮作品を一緒に見ており、同年代の友達が仮面ライダーから離れていったあとも、弟がいたため宮下さんの興味は途切れませんでした。
なかでも日曜朝に放送されていた『仮面ライダークウガ』は、兄弟で毎週見る作品になりました。
父親は地下格闘家として活動した人物で、息子を強くしたいと考え、遊びの中にも格闘技を持ち込んでいました。
父とじゃれ合っていた際に宮下さんが鼻血を出して泣くと、その遊びはそこで終わったといいます。
父から初めて買ってもらったゲーム機では対戦格闘ゲームの『ストリートファイター』を遊び、弟とは変身ヒーローを見続けるという、後のおもちゃの仕事にもそのまま残る時間を過ごしていました。
中学・高校時代|母の入院を機に学校を離れる
中学生になると、人を笑わせる側に立つより、笑いの作り方そのものを見るようになっていきます。
高校へ進んだあとには家庭の事情が大きく変わり、考えていたはずの学校生活は短期間で終わりました。
芸人のものまねをする同級生へ向けた厳しい一言
中学校には、当時テレビで人気だった芸人のものまねをして、教室を笑わせる同級生がいました。
宮下さんはその友人に対し、受けているのは芸人が考えた言葉のおかげであり、本人の手柄ではないという趣旨の言葉を投げています。
中学生になるころには、自分でもお笑いをやってみたいと考えるようになりました。
高校1年の夏休み後、家族を支えるため働き始める
高校へ進学したものの、1年生の夏に家庭の生活が大きく変わりました。
「母親が心を患って入院することになったので、僕が働かなきゃいけなくなったんです。」
bizSPA!フレッシュ
高校1年の夏休みが明けたころに学校を中退し、家計を支える仕事へ移りました。
この時点では芸人になる準備より、目の前の生活を成り立たせることを優先しました。
大工仕事で養成所の資金を貯め、芸人を目指す
学校を離れた宮下さんが最初に入ったのは、建設の仕事でした。
働きながら趣味のおもちゃを買う一方で、やがて養成所へ通うための費用も自分で用意していきます。
母の交際相手だった大工の棟梁のもとで1年半働く
最初の勤め先は、当時母親と交際していた大工の棟梁のもとでした。
およそ1年半がたち、母親と棟梁が別れたあとも建設の仕事を続け、今度は父親のもとで働いています。
高校生活を送る年代で現場へ出て得た収入は、仮面ライダーのベルトやフィギュアなど、子どものころから好きだった物にも使われました。
家の状況が落ち着いたあと、父の仕事を手伝いながら芸人養成所の学費を貯めました。
『バカ殿』への憧れから太田プロの養成所を選ぶ
宮下さんが望んでいたのは漫才でしたが、一緒に始める相手が見つからなかったため、まず一人で芸人になる道を選びました。
養成所を選ぶ際に目を向けたのが、劇団ひとりさん、有吉弘行さん、土田晃之さんらが所属する太田プロダクションでした。
いずれもコンビ解散後に一人で活動の幅を広げた先輩であり、相方のいない自分が進む先として具体的に想像できたといいます。
自分で貯めた資金を使い、太田プロエンタテイメント学院東京校の芸人コース5期へ入りました。
養成所時代|100本の漫談と草薙航基との出会い
養成所へ入った宮下さんは、相方探しを急がず、ピン芸人として舞台に立つ準備を始めます。
同じ5期生の中には、のちに長く隣に立つ草薙航基さんもいましたが、最初から親しい二人ではありませんでした。
養成所へ入る前から100本の漫談を書きためる
バカリズムさんがピンで活動し始めたころのネタに影響を受け、養成所へ入る前から100本ほどのネタを書きためていました。
入学後に取り組んだのは、フリップなどの道具に頼らず、自分の話だけを聞かせる漫談でした。
酒に酔った自己紹介から、互いを警戒した二人
二人が互いを認識したきっかけは、養成所の自己紹介でした。
人前に出る緊張を紛らわせようと酒を飲んできた草薙さんは、ひどく酔った状態で前へ出て、吐きそうになりながら席へ戻ります。
その姿を見た宮下さんの第一印象は、短く言えば「ヤバいヤツ」でした。
授業が始まると、宮下さんは生徒同士で面白かった人を選ぶ投票の上位に入り、ほかの生徒がネタについて意見を聞きに来る存在になります。
ただし、講師や作家から低い評価を受けたときに素直に引き下がるタイプではありませんでした。
「俺のことを面白くないっていうあなたがセンスないっすよ」
文化放送
この返答を後ろで見ていた草薙さんは宮下さんを怖いと感じ、宮下さんの側は最初の自己紹介を忘れず、互いを警戒したまま養成所の日々を過ごしました。
草薙航基を誘い、宮下草薙を結成
2014年3月に養成所を卒業すると、宮下さんは太田プロに所属してピン活動を続けました。
一方の草薙さんは所属に至らず、相方を替えながら三つのコンビを経験します。
3組目の解散後、「俺とやれば売れる」と草薙を誘う
ピンでライブへ出ていた宮下さんは、自信を持って臨んだ漫談で、同期のコンビ・さすらいラビーに敗れたことがありました。
一人で続ける道だけでなく、コンビで戦う選択肢が意識に入り始めた時期でした。
そのころ、草薙さんの3組目のコンビが解散し、宮下さんが声をかけます。
「俺とやれば売れるけどね」
ananweb
同期からは組み合わせを心配する声も出ましたが、宮下さんは草薙さんに、多くの人へ届く雰囲気と、予測できない爆発力を見ていました。
草薙さんがコンビ解散を重ね、このまま芸人を辞めるかもしれないと聞いたことも、声をかける理由になりました。
周囲の反対より自分の見立てを優先し、草薙さんを相方に選びました。
コンビを組むため太田プロを離れ、約2年間フリーに
草薙さんと組むには、宮下さんだけが太田プロ所属という状態を解消する必要がありました。
事務所からコンビ活動は「ゼロから」になると説明されると、それまでのピンの実績が消えるように感じた宮下さんは反発しました。
「宮下が、僕と組むために事務所を辞めてくれたんですよ。」
ニッポン放送 NEWS ONLINE
二人は別の事務所のオーディションも受けながら、約2年間フリーで活動しました。
コンビは2016年1月1日に結成され、名前は二人の名字を並べた「宮下草薙」に決まります。
結成した2016年には、M-1グランプリにも初めて出場しています。
宮下さんは「ファイトクラブ」、草薙さんは「はみがき粉」という案をそれぞれ内心で考えていましたが、互いに口へ出さなかったため、名字を使う案へ落ち着きました。
ネガティブ漫才が生まれ、舞台上の立ち位置も逆になる
結成当初から、草薙さんが不安や不満を口にし、宮下さんが会話を前へ進める漫才を作っていました。
一度はテンポの速い漫才を試したものの手応えがなく、二人の普段の関係が見える話し方へ戻しています。
舞台での立ち位置は、現在とは左右が逆でした。
草薙さんが右側から見える客席を怖がり、ネタの途中で反対側へ移動したところ笑いが起きたため、その日から草薙さんが向かって左、宮下さんが右に立つ形が定着しました。
若手・下積み時代|おもちゃ店とライブの日々
コンビを組んでも、すぐに舞台だけで生活できる収入が生まれたわけではありません。
宮下さんは群馬で働きながらライブへ通い、店と舞台の両方で、自分の知識や言葉を試す日々を送ります。
地元のおもちゃ店でバトルトイ・グランドマスターに
テレビの仕事が増える前、宮下さんは地元の有名な中古おもちゃ店でアルバイトをしていました。
店には分野ごとに商品知識を認定する「マスター」の仕組みがあり、カードゲームやミニ四駆など、ほぼ全ジャンルにわたる約12の称号を得ています。
売り場では、倉庫に眠っていた珍しいベイブレードを袋詰めし直して専用コーナーを作り、一か月でおよそ100万円を売り上げたこともありました。
その働きを見た店長は、宮下さんのために「バトルトイ・グランドマスター」という称号を新設し、社員並みの時給へ上げました。
「芸人にしとくのは惜しい」
KAI-YOU Premium
子どものころから集めてきた物の知識が、売れない時期の収入を支える具体的な技能になっていました。
チケットノルマを自分たちで買ったフリー時代
フリーの二人が出演したライブでは、客席が少なく、出演者に割り当てられたチケットを売り切れないことも珍しくありませんでした。
所属芸人の輪へ入りにくかった二人は会場の隅で一緒に過ごし、ネタ合わせも公園へ行って二人だけで行っていました。
ノルマを埋めるため、自分たちの分を買うときには、受付でファンを装ってこう告げていました。
「宮下草薙で2枚下さい」
モータースLIVE
自分たちの客がいない会場で、自分たちのチケットを自分たちで買って舞台に立っていた時期です。
それでも毎回来てくれる白髪の女性客が一人おり、カレーせんべいを差し入れてくれたことを、宮下さんは後年も覚えていました。
当時は草薙さんが暮らすアパートの二つ隣に宮下さんも住み、物がたまった相方の部屋をたびたび片付けに行っていました。
太田プロへ戻り、事務所ライブで5連覇
ほかの事務所のオーディションを経て、最後は二人で頭を下げ、太田プロへ戻ってコンビとして所属します。
事務所ライブ「月笑」では、かつて宮下さんがピンで敗れたさすらいラビーを相手に、宮下草薙が5回続けて勝つところまで進みました。
漫談だけで勝とうとしていた時期に生まれた悔しさへ、今度は草薙さんと二人で結果を返した形です。
『おもしろ荘』3位のあとに訪れた、辞めたくなった時期
客席の少ないライブからテレビへ移る最初の機会は、順調なオーディションの結果ではありませんでした。
手応えのなかった審査でスタッフの目に留まり、深夜の特別番組へ進みます。
オーディション最下位から『おもしろ荘』3位へ
『ぐるぐるナインティナイン』の若手発掘企画「おもしろ荘」のオーディションでは、二人のネタはほとんど受けませんでした。
後から聞かされた順位は最下位でしたが、審査にいたスタッフが「この二人は面白い」と番組側へ強く推し、本番への出演が決まります。
2017年12月31日深夜の放送で、宮下草薙は3位に入り、初めて広く名前が知られる機会を得ました。
テレビ番組の前説すら経験していなかった二人は、綾瀬はるかさんらが見守る本番へ突然進み、宮下さんは放送中ずっと浮ついた感覚だったといいます。
仕事が増えず、『アメトーーク!』で流れが変わる
3位に入った直後も、出演依頼が一気に増えたわけではありません。
「このあとが一番芸人を辞めようと思った」
TOKYO FM
テレビへ出たことで期待が生まれた分、状況が変わらない時間は、客席の少ないライブだけを続けていたころとは違う苦しさを伴いました。
流れが変わったのは、草薙さんが『アメトーーク!』の人見知り芸人を扱う企画へ出演したころです。
草薙さんの不安や人との距離の取り方がスタジオで伝わり、番組を作る側にも、その個性をどう見せればよいかが共有されていきました。
草薙さん個人への注目を入口に、隣で言葉を受ける宮下さんを含め、コンビで呼ばれる仕事も増えていきます。
テレビへ出始めた当初は草薙さんへ注目が集まり、宮下さんには「じゃない方」という見方がつき、番組の打ち合わせでスタッフと目が合わないこともありました。
宮下さんはロケ先でまずスタッフを笑わせることを意識し、『あちこちオードリー』で自身の話に長い時間を割いてもらったあとには、業界の人から声をかけられる機会が増えています。
昔の経験が現在の仕事へつながるまで
テレビ出演が増えたあと、宮下さんの活動は漫才やバラエティだけにとどまらず、ラジオ、おもちゃ、文章へ広がりました。
養成所で磨いた一人しゃべりと、群馬のおもちゃ店で身につけた知識が、それぞれ別の仕事に使われていきます。
連載の書籍化を経て、ラジオとおもちゃの発信へ
2019年には、宮下さんが『TV LIFE』で執筆していた連載「宮下草薙の不毛なやりとり」が書籍になり、二人の日常会話が宮下さんの文章と草薙さんの4コマ漫画で収められました。
文化放送では2020年1月に『宮下草薙の15分』が始まり、二人だけの会話を毎週届ける場ができました。
短い放送の中では、草薙さんが宮下さんの頑固さを語り、宮下さんが細部を訂正するという、養成所時代から続く距離感もそのまま音声になります。
2020年に母親と番組へ出演したあとには、東京駅まで見送り、初めて自分のお金で食事をごちそうすると、母親は喜んでスキップしながら帰っていきました。
同じ2020年4月には、宮下さんがおもちゃを紹介する公式YouTubeチャンネル「宮下草薙 宮下のバトル・トイ・グランドマスター」が開設されました。
仮面ライダーの変身ベルトをスタジオへ持ち込み、中古店で培った目線でバトルトイを扱う仕事は、子どものころから弟と続けてきた遊びを、専門的に話す仕事へ移したものでした。
弟と描いた漫画、30分になったコンビのラジオ
2022年にはテレビ番組の企画で、宮下さんが原作を考え、弟の史久将さんが作画する漫画制作に取り組みました。
小学生の宮下さんが面倒を見て、一緒に仮面ライダーを見ていた弟と、大人になって今度は一つの作品を作る仕事です。
完成した『潜入勇者』は、藤田和日郎さんの講評を受けたのち、2023年9月に全3話が公開されました。
2024年に実家から帰る際には、母親から、おでんと山菜の炊き込みご飯を合わせた初めて見るおにぎりを持たされたことも、自身のSNSで伝えています。
コンビのラジオは2024年10月に『宮下草薙の30分』へ拡大し、二人が話す時間は番組開始時の倍になりました。
群馬の教室で笑いを作る人を気にしていた少年は、建設現場とおもちゃ店を経て、自分の言葉で漫談を作る芸人になりました。
養成所で互いを警戒した草薙さんへ自分から声をかけ、所属先まで離れて組んだことが、その後の舞台とテレビ、ラジオの出発点になっています。
現在はコンビの会話を続けながら、幼いころから蓄えたおもちゃの知識や、弟と共有してきた物語までを仕事にしています。












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