人物プロフィール
「TT兄弟」や和泉元彌さんのものまね、独特な小道具を使ったコントなど、次々と違う形の笑いを生み出してきたチョコレートプラネットの長田庄平さん。
現在はテレビだけでなく、YouTubeや単独ライブでも新しい企画やコントを作り続けています。
そんな長田さんは、子どものころから芸人一筋だったわけではなく、京都の町工場が身近な環境で育ち、高校卒業後は嵯峨美術短期大学でプロダクトデザインを学んでいました。
さらに短大卒業後は京都で陶芸教室の仕事をしており、25歳になるまで、本格的にお笑い芸人として活動していませんでした。
そこから東京へ出てNSCへ入り、松尾駿さんとの少し意外な出会いを経てチョコレートプラネットを結成し、すぐに賞レースで評価されながらも、世間に広く知られるまでには長い時間がかかっています。
長田庄平の生い立ちと家族|京都の町工場で育った幼少期
長田さんは1980年1月28日、京都府で生まれました。
育ったのは京都市上京区の西陣周辺で、観光地として知られる京都とは少し違う、職人や町工場の仕事が身近にある環境で子ども時代を過ごしています。
祖父と木のパズルを作り、町工場の工具に触れて育った
長田さんの「ものを作る」という感覚は、かなり幼いころから生活の中にありました。
本人の話では、祖父は機織りや機械部品づくりなど、ものづくりに関わる仕事をしており、長田さんも幼稚園くらいのころから祖父のそばでさまざまな工作を経験していました。
小学生になると、祖父のアイデアで木の板を動物の形にくり抜き、組み合わせて遊ぶ「どうぶつパズル」を一緒に作ったこともあります。
実家の町工場には電動ノコギリをはじめとする工具があり、長田さんは子どものころからそうした道具に触れていました。
現在は精巧なコント用小道具を作る姿が知られていますが、このころは「将来、小道具を作る仕事をする」と考えていたわけではなく、工作が普通に身近にある子どもでした。
父が作る不思議な道具が家族のアウトドアにも登場
ものづくりが身近だったのは、祖父だけの影響ではありません。
父親は電気関係の会社で働いていた時期があり、自宅でもマルチACアダプターやモーター付きの簡易シャワーなどを自分で作っていたといいます。
家族でアウトドアへ出かけるときにも父親の自作品が登場し、あるときはエアーマットの上へパイプを組んだ「海でできるブランコ」まで作りました。
ところが、このブランコは実際に海へ出すと、一度使っただけですぐに沈んでしまったそうです。
完成品を買うより、必要なものや思いついたものを自分で作ってみるという光景が、長田家では日常の中にありました。
小学生時代はムードメーカーで、理科・体育・図工が得意だった
小学校では、ものづくり以外にも活発な一面を見せていました。
本人によると、通知表にはクラスを盛り上げるような存在だったことと同時に、「落ち着きがない」といった内容も書かれていたそうです。
「クラスのムードメーカー的な感じのことと……落ち着きがない」
ニコ☆プチ
得意だった教科は理科、体育、図工で、文房具も好きだったため、消しゴムやキラキラしたシールを集めていました。
人前でにぎやかに過ごすことと、手を動かして何かを作ることの両方が、小学生時代の長田さんにはありました。
中学・高校時代|運動好きから美術系の進路へ
小学生時代から体育と図工が得意だった長田さんは、その後も運動とものづくりの両方に触れながら学生生活を送ります。
この時点では、まだ芸人を職業にする道は見えていませんでした。
中学時代、深夜テレビで『ファンタスティック・プラネット』に衝撃
中学生のころ、長田さんの部屋には小さなテレビがありました。
ある夜、そこで偶然見たのがフランスのアニメーション映画『ファンタスティック・プラネット』でした。
独特な生き物や不思議なデザインが登場する作品で、それまで見たことのない世界観に強い衝撃を受けたと後年のインタビューで語っています。
お笑いより先に、映像やデザインの「変なもの」「見たことのないもの」に惹かれる感覚が育っていたことが分かる学生時代のエピソードです。
高校では陸上部に入り、走り幅跳びに取り組んだ
高校時代は陸上部に所属し、走り幅跳びの選手として活動していました。
2015年には東京都内でひったくり事件に遭遇した際、逃げる男を追いかけて取り押さえたことが報じられましたが、そのニュースでも高校時代に陸上部で走り幅跳びをしていた経歴が紹介されています。
一方、卒業後の進路を考える時期になると、スポーツではなく美術の方向へ気持ちが動いていきました。
高校卒業を前にデッサンを始め、美術短大を目指した
高校卒業が近づくと、両親からは大学への進学を勧められました。
ただ、長田さん自身は勉強が好きではなく、それなら以前から興味があった美術の道へ進もうと考え、そこからデッサンの勉強を始めています。
「勉強は嫌いだったけど、美術は好きだしなあ」
CINRA
高校時代まで本格的に美術一本だったわけではなく、進路を決める段階になってから美術系への道を選びました。
美術短大と陶芸教室時代|芸人になる前も「ものづくり」の中にいた
高校を卒業した長田さんは、京都の嵯峨美術短期大学へ進みました。
芸人になる前の数年間は、美術と陶芸に関わる生活が続いていきます。
嵯峨美術短期大学でプロダクトデザインを学ぶ
短大で選んだのはプロダクトデザインでした。
絵画だけを学ぶのではなく、実際に使われる製品の形や機能を考える分野で、現在の長田さんが作るコント用の道具にも近い部分があります。
本人は後年、小道具を作る際にも工業デザインを意識すると話しており、単に見た目がおかしいものを作るのではなく、「本当にありそうな道具」に仕上げる感覚は短大時代に学んだ分野と重なっています。
ただし、この段階でも卒業後にデザイナーとして進む明確な就職先が決まっていたわけではありませんでした。
卒業後は京都の陶芸教室で修学旅行生らを指導
短大卒業後、求人誌で見つけた陶芸教室で働き始めます。
京都へ修学旅行に来た生徒などを相手に、一日体験の陶芸や絵付けを教える仕事でした。
陶器は焼く過程でひびが入ったり割れたりすることがありますが、NSC時代を振り返った吉本のトークライブでは、生徒が作った作品が割れてしまった際、長田さんがそっくりに一から作り直すこともあったと明かされています。
芸人になる直前まで、長田さんは人に陶芸を教え、自分でも物を作る生活をしていました。
23歳ごろ、実家の町工場を継ぐ将来が見え始める
陶芸教室で働いていた23歳ごろ、長田さんは自分の将来を具体的に考えるようになります。
そのころには、実家の町工場を継ぐという選択肢もありました。
町工場を継ぎ、普通に働き、結婚して家庭を持つという人生を頭の中で進めてみると、その先の自分まで想像できてしまったそうです。
そこで長田さんが気になったのは、仕事の安定や収入ではなく、もっと先に年を取った自分が「何を話せるのか」でした。
「エピソードを作りたい」から25歳で東京へ|長田庄平が芸人になったきっかけ
長田さんがお笑いの世界へ進んだ理由は、「幼いころから芸人になるのが夢だった」というものではありません。
町工場を継ぐ未来まで想像したところから、人生そのものを少し違う方向へ動かそうとします。
老後に話すことがないと気づき、人生を変えようと考えた
長田さんが気にしていたのは、将来おじいさんになった自分が、孫に話せるような出来事をどれだけ持っているかでした。
「孫に話すエピソードトーク少なっ!」
i:Engineer
「人生のネタ」を作るために、これまでとは違うことを始めようと考えたことが、芸人を目指す直接のきっかけでした。
その新しい選択肢として出てきたのが、以前から好きだったお笑いでした。
好きだったお笑いを選び、NSC東京校11期へ
長田さんはダウンタウンが出演していた『ダウンタウンのごっつええ感じ』が好きで、とくに変わった小道具が登場するコントを好んで見ていました。
25歳になるころ京都を離れて東京へ出ると、2005年にNSC東京校11期へ入学します。
同期にはシソンヌのじろうさんと長谷川忍さん、パンサーの向井慧さんらがおり、ここで後に相方となる松尾駿さんとも出会いました。
ただ、本人の感覚としては、この時点でも「絶対に芸人として成功する」と背水の陣で上京したわけではありませんでした。
「ちょっとエピソード作ったら地元に帰ろうかな」
TOKYO FM「SUNDAY’S POST」
「芸人を一生続ける」と決めて東京へ来たのではなく、まずはやってみようという入口から芸人人生が始まりました。
NSCではピン芸人「長紫庄屋仁時」に
NSCへ入ったからといって、最初から現在のチョコレートプラネットで活動していたわけではありません。
固定の相方が決まらない時期を経て、ピンでは「長紫庄屋仁時(おさむらさきしょうやじんとき)」という非常に長い芸名を名乗っていました。
しかも名前を付けただけではなく、「長紫庄屋仁時」と書いた帽子やTシャツ、ジーンズまで自分で作っていたといいます。
同期のシソンヌ・長谷川忍さんもその姿を覚えており、2020年に当時の格好がテレビで紹介されると、長田さん本人が恥ずかしそうに顔を隠す場面もありました。
芸人生活のかなり早い時期から、自分で名前を考え、服や道具まで作るスタイルがすでに見えていました。
NSCで松尾駿と出会い、チョコレートプラネット結成へ
長田さんと松尾さんはNSC東京校11期の同期でしたが、出会ってすぐに意気投合したわけではありません。
むしろ最初は、互いに距離のあるところから現在のコンビが始まっています。
松尾は最初、前方で目立つ長田が「大嫌いだった」
NSC時代の松尾さんは、友達もあまりおらず教室の後方で静かに授業を受けていた一方、長田さんは前のほうに座り、周囲とにぎやかにしていたそうです。
松尾さんは後年、NSCの合宿くらいまで長田さんのことを「大嫌いだった」と吉本のトークライブで明かしています。
その合宿では、長田さんの当時の相方が参加しなかったため、急きょ俳優コースの女性と組んで発表へ出場しました。
そこで2位になり、その様子を見た松尾さんは長田さんのネタを「めっちゃ面白かった」と感じています。
人としては苦手でも、芸人としての面白さは別に見ていたことになります。
シソンヌの2人が同じ日に松尾へ「長田と組めば」と勧めた
その後、ピンで活動していた松尾さんが相方を探していた時期に、現在のコンビにつながる出来事が起こります。
ある日の昼、同期のシソンヌ・じろうさんが松尾さんへ長田さんと組むことを勧めました。
すると同じ日の夜、今度はじろうさんの相方である長谷川忍さんからも、ほぼ同じように「長田と組めば」と勧められます。
シソンヌの2人から同じ日に別々に長田さんを推薦された松尾さんは、その日のうちに長田さんへ電話しました。
長田さんはほかの芸人からもコンビ結成の話を持ちかけられていた時期で、松尾さんからの誘いにすぐ「やろう」と返したわけではありません。
松尾からの誘いを一度断り、2006年1月にコンビ結成
当時の松尾さんは現在よりかなり細く、五厘刈りに近い髪型で眉毛も短くしており、長田さんから見るとかなり怖い外見でした。
「こいつと組んでも絶対売れへんやろうなあ」
TOKYO FM「SUNDAY’S POST」
テレビへ一緒に出ている姿が想像できず、長田さんはいったん返事を保留しました。
それでも、芸人として「面白い」と思っていた相手の中では松尾さんが一番だったため、最終的に誘いを受けます。
こうして2006年1月、長田庄平さんと松尾駿さんによるチョコレートプラネットが結成されました。
コンビ名は、二人が好きな言葉を一つずつ出し、略して呼べそうな名前にしようとして決めたもので、松尾さんが「チョコレート」、長田さんが「プラネット」を持ち寄っています。
コントを始め、長田が自分で小道具を作るようになった
コンビを組んでコントを始めると、長田さんが子どものころから触れてきたものづくりが、お笑いの中へ本格的に入ってきます。
長田さんが好きだった『ダウンタウンのごっつええ感じ』のように、変わった小道具が登場するコントをやろうとしても、若手の二人には道具や衣装を専門業者へ頼むお金がありませんでした。
そこで長田さんは、「手に入らないなら自分で作る」という方法でコント用の小道具を作り始めます。
町工場の工具に触れていた幼少期、美術短大のプロダクトデザイン、陶芸教室で手を動かしていた経験が、ここで初めて芸人の仕事の中へ入っていきました。
結成2年でキングオブコント決勝|評価されても仕事は増えなかった
チョコレートプラネットは、結成から長い年月を経て初めて評価されたコンビではありません。
かなり早い時期からコント師として結果を出していました。
2008年KOC決勝で「コントをやる」と方向性が固まる
2008年、結成から約2年で第1回キングオブコントの決勝へ進出します。
若手のうちに全国大会の決勝へ進んだことで、長田さんは「自分たちはコントでやっていく」という方向を強く意識するようになりました。
ところが、決勝進出とテレビで売れることは同じではありませんでした。
「最初は期待しました。でも、全然仕事は入ってきませんでした」
OCEANS
決勝後も仕事は急増せず、若手時代の模索が続いた
長田さんは2008年のキングオブコント後について、仕事そのものは以前より増えたものの、大会翌日から4日間休みだったと振り返っています。
一方で、決勝進出後はアルバイトをしなくても生活できるようになり、芸人の仕事だけで続けられる段階には進みました。
賞レースでは評価されたものの、世間で一気に名前が広がるような「爆発」は起きませんでした。
ネタは評価されてもバラエティー番組のひな壇などへはなかなか呼ばれず、長田さんが金髪にしたり、松尾さんがおかっぱ頭にしたりと、見た目やキャラクターも変えながら試行錯誤を続けます。
劇場やコントで活動を続けながら、「次に何をすれば仕事が広がるのか」が見えない時期が続きました。
2014年KOC準優勝、2015年NHK新人お笑い大賞でも売れきらなかった
再び大きな結果が出たのは、2014年のキングオブコントでした。
決勝では、コンビ結成のきっかけにも関わった同期のシソンヌと優勝を争い、チョコレートプラネットは準優勝となります。
翌2015年にはNHK新人お笑い大賞を受賞しました。
賞レースで結果を重ねても、本人たちが思い描くような形で仕事が増えない状況は変わりませんでした。
「ここまでやって無理ならもう無理なんじゃないか」
スポニチアネックス
長田さんは2014年ごろ、ここからブレイクのきっかけがなければ芸人を辞めていた可能性があると後に明かしています。
事務所を離れることまで具体的に考えた時期もあり、結成から約10年間続けてきた「コントで結果を出せば状況が変わる」という道だけでは先へ進めなくなっていました。
ものまねが突破口に|約10年の停滞からTT兄弟まで
コントを続けてきた二人が仕事の幅を大きく広げるきっかけになったのは、キングオブコントの優勝ではありませんでした。
それまで主軸にしてこなかったものまねが、新しい入口になります。
2016年末のものまね番組でコント以外の可能性が見えた
2016年12月、チョコレートプラネットは日本テレビ系『ものまねグランプリ ザ・トーナメント』へ敗者復活から出場しました。
長田さんは氷室京介さんや和泉元彌さん、松尾さんはIKKOさんなどのものまねを披露し、決勝では3位に入ります。
長くコントを中心に戦ってきた二人にとって、「コント以外でも届く」という感触が初めて大きな形になった時期でした。
そこから、ものまねで番組へ呼ばれる機会が増え始めます。
2017年、IKKOものまねと『ウチのガヤ』を境に仕事が増加
2017年に日本テレビ系『ウチのガヤがすみません!』が始まると、松尾さんのIKKOさんものまねが番組の中で大きく受け入れられていきました。
長田さんはこの時期について、IKKOさんのものまねが大きく跳ねたところで「活路が開けるかもしれない」と感じたと話しています。
2017年前後から、約10年間続いていた「ネタは評価されるのに仕事が大きく広がらない」という状態が少しずつ変わり始めました。
コントをやめてものまね芸人になったのではなく、コントに加えてものまねという別の入口を持てるようになったことが大きな変化でした。
2018年、和泉元彌ものまねとTT兄弟で知名度がさらに広がった
2018年になると、長田さんの和泉元彌さん、松尾さんのIKKOさんという組み合わせが広く知られるようになります。
同じ年にはキングオブコントで3度目の決勝へ進出し、3位となりました。
さらに『有吉の壁』から生まれた「TT兄弟」が大きな人気を集め、コントやものまねを普段あまり見ない層にも二人の名前が届いていきます。
賞レースで評価され続けたコント、ものまね、そして誰でもまねしやすいTT兄弟が重なった2018年前後が、チョコプラの知名度が大きく広がった時期でした。
町工場と美術短大で培ったものづくりが現在の長田庄平へ
テレビで知られるようになってからも、長田さんはコントの小道具を自分で作ることをやめていません。
幼少期から続いてきた「手を動かす時間」は、売れた後も芸人の仕事の中に残っています。
小道具からコントを作る独自のネタ作り
長田さんの小道具作りには、ネタを先に考えて必要なものを作る場合と、先に面白い物体を思いつき、そこからコントを考える場合があります。
コント『業者』で使われる「ポテチクリーナー」は、頭の中で考えた構造をもとに約1週間かけて作り、内部にはミニ四駆のタイヤやモーターも使われました。
一方、『地元』のように、風呂に入っているときに小道具の形を思いつき、そこからネタを膨らませたものもあります。
長田さんにとって小道具制作はコントと別の趣味ではなく、ネタを考える工程そのものになっています。
実物の業者が使っていそうな質感に寄せたり、道具だけが目立ってコントの設定を壊さないよう調整したりするところには、短大で学んだプロダクトデザインの経験も生かされています。
ものまね・キャラクター・YouTubeへ表現の場所を広げた
ものまねで仕事が増えたあとも、二人は一つのヒットだけに活動を固定しませんでした。
「TT兄弟」のほか、「Mr.パーカーJr.」など新しいキャラクターを作り、YouTubeでもコントや企画を次々と公開しています。
2025年8月に放送された『情熱大陸』では、YouTube撮影の際、松尾さんがネタの詳細をほとんど知らないまま本番へ入り、長田さんが用意した設定にその場で反応していく制作風景も紹介されました。
NSC時代の合宿で、松尾さんが長田さんの即興的な面白さを見つけたころから長い時間が過ぎても、二人の間には「長田が仕掛け、松尾がその場で返す」という場面があります。
結成20周年を越えても舞台と新作を続ける現在
2025年には結成20周年を記念したイベント「ULTRA SWEET GALAXY」が国立代々木競技場第二体育館で開催され、これまで生み出してきたキャラクターや仲間たちが集まる大規模な企画へ発展しました。
同年には、長田さんが作ってきた小道具やコントのセットなどを展示する「チョコプラ博物館」も開催されています。
そして2026年8月からは、過去最多となる全国11都市19公演の単独ツアー「CHOCOLATE PLANET LIVE TOUR 2026『Spacy』」がスタートしました。
ツアーは過去の人気ネタを並べるだけではなく、全編を新作コントで構成し、9月27日まで公演が予定されています。
「単独ライブを過去最多カ所で色々回ります!」
FANY Magazine
町工場で工具に触れていた少年は、美術短大と陶芸教室を経て25歳でお笑いの世界へ入りました。
そこで松尾さんと出会い、すぐにキングオブコント決勝へ進みながらも約10年にわたって試行錯誤を続け、コントの外へ踏み出したものまねやTT兄弟が新しい仕事を連れてきました。
2026年になっても、長田さんは自分で考え、作り、舞台へ持ち込むというやり方で、新しいコントを作り続けています。












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