人物プロフィール
トム・ブラウンのみちおさんといえば、大柄な体から繰り出される怪力や、布川ひろきさんと見せる予測不能な「合体漫才」で知られています。
ところが、若いころから一直線に芸人を目指していたわけではなく、中学では相撲、高校では柔道に打ち込み、高校卒業後にはプロスノーボーダーになろうとしていました。
高校時代に布川さんから一度お笑いへ誘われていますが、このときは断り、数年後に布川さんとは別の相手と芸人活動を始めています。
そこから何度もコンビを組み替えた末に高校時代の先輩と再び合流し、トム・ブラウンが生まれました。
みちおの生い立ちと家族|札幌市東区で姉2人の末っ子として育つ
みちおさんの本名は道音雄太(みちおと・ゆうた)で、芸名の「みちお」は名字の道音から取られています。
北海道札幌市の出身で、2026年に札幌市東区からふるさと応援アンバサダーを委嘱された際には、本人たちも上京するまで東区で暮らしていたことを明かしています。
上京するまで暮らした札幌市東区と、かわいがられて育った子ども時代
みちおさんには2人の姉がいて、3きょうだいの末っ子として育ちました。
本人によれば、子どものころは両親からかなりかわいがられ、何をしても「かわいい」と言ってもらえる家庭だったそうです。
「僕、親に甘やかされ過ぎたんです」
QJWeb
実家周辺は同じ札幌市内でも比較的のどかな場所で、歩いて7〜8分ほどのところには牧草ロールが並ぶ一帯があり、子どものころはそこでかくれんぼをして遊んでいました。
札幌で8月に行われる「ろうそく出せ」の時期には、町内の子どもたち10〜20人ほどで家々を回り、お菓子をもらっていた記憶も残っています。
現在の強烈な舞台上の姿とは違い、みちおさんの原風景は札幌市東区の住宅地にありました。
家族みんなが食卓から『バイオハザード』を見ていた中学生時代
家の中でよく遊んでいたものの一つがゲームで、特に『バイオハザード』には家族ぐるみの思い出があります。
中学生のころ、居間でみちおさんがゲームを始めると、祖父母、両親、姉2人が食事をしながら画面を見守り、進めそうな場所を見つけると声を掛けていたそうです。
後にゲームやアニメ、映画から奇妙な発想を膨らませる芸人になりますが、このころはまず一人のゲーム好きな中学生として、家族に囲まれて遊んでいました。
中学は相撲、高校は柔道|みちおの怪力につながる学生時代
テレビでは果物を素手でつぶすような怪力を披露してきたみちおさんですが、10代のころから格闘技系のスポーツに打ち込んでいました。
現在の公式プロフィールにも相撲・柔道・スノーボードが特技として並び、柔道は講道館初段を取得しています。
札苗北中学校で相撲を始め、全道優勝から全国大会へ
出身中学校は札幌市立札苗北中学校で、布川さんの公式ブログでも母校名が紹介されています。
もともとは格闘技をやりたかったものの学校に柔道部がなく、格闘技系の部活動として相撲部を選びました。
ところが、相撲を始めて間もないころに札幌市内の大会で3位に入り、自分にも才能があるのではないかと感じて本格的に打ち込むようになります。
中学3年になると全道大会の団体戦で全勝優勝し、そのまま全国大会へ進みました。
高校入学時には「中学で相撲の全国大会へ行った1年生がいる」と校内で噂になるほどの実績を残していました。
札幌東陵高校で布川ひろきと出会い、柔道部へ
進学先は北海道札幌東陵高校でしたが、そこには相撲部がありませんでした。
みちおさんが1年生だったころ、柔道部の2年生だった布川ひろきさんは「相撲で全国大会へ行った新入生がいる」と聞きつけ、1年生の教室まで直接勧誘にやって来ます。
入学したばかりの教室へ突然上級生が現れたため、みちおさんは最初こそ少し怖さを感じました。
その後の部活紹介で、布川さんが体育館を前回り受け身で進んでいく姿を見て印象が変わり、「面白い先輩」と感じるようになります。
芸人としての相方との最初の接点は、養成所でもライブハウスでもなく、高校の柔道部への勧誘でした。
入部半年で敬語をやめた1学年差の先輩後輩
柔道部は上下関係だけで固まった雰囲気ではなく、練習後にみんなで食事へ行くこともある部活で、みちおさんは1学年上の布川さんたちと頻繁に遊ぶようになりました。
布川さんの同級生たちが遊びに行く場にも、2年生だったみちおさんだけが混ざり、少ないお金でメダルゲームをしたり、当時安かったマクドナルドのハンバーガーを食べながら時間を過ごしたりしていました。
入部から半年ほどたったころには、ウエートトレーニングをする場所で先輩の布川さんにこんなお願いまでしています。
「すみません。布川さん、敬語やめてもいいですか?」
道新スポーツ
布川さんが了承すると、完全な同級生口調ではないものの、先輩後輩としてはかなりフラットな関係になっていきました。
布川さんは後年、高校時代のみちおさんについて、スベってもまたボケに行くような人物だったと記憶しています。
高校卒業後はプロスノーボーダー志望|布川のお笑いの誘いを一度断る
柔道部で親しくなった2人ですが、卒業後すぐにトム・ブラウンが始まったわけではありません。
1学年上の布川さんが高校を卒業する際、みちおさんをお笑いへ誘ったものの、その時点でみちおさんには別の目標がありました。
中学2年から続けたスノーボードを専門的に学ぶ
みちおさんは中学2年ごろからスノーボードを始めており、高校を出るころには、それを仕事にしたいと考えるようになっていました。
布川さんから「お笑いやらない?」と声を掛けられても、プロスノーボーダーになりたいという理由で断っています。
その後はニセコでアルバイトをするなど雪山に関わる生活を送り、専門学校でもスノーボードを学び、インストラクター資格を取得しました。
公式プロフィールにもSAJスノーボード検定1級が記載されており、「芸人になる前に少しスノーボードをしていた」という程度ではなく、本気でプロを目指していました。
インストラクター資格を取得するも、友人の大けがでプロを断念
技術を身につけていく一方で、プロになるには「できるか分からない技」へ踏み込む覚悟も必要だと感じるようになります。
そんな時期、身近な友人がスノーボードで大きなけがをする場面を目にしました。
そこで自分には命を懸けるところまで踏み込めないと感じ、プロスノーボーダーになる道を断念します。
高校卒業時にはお笑いを断るほど明確だった進路が、ここでなくなりました。
みちおが芸人になったきっかけ|テレビに出る布川を見て別コンビを結成
スノーボードをやめようとしていたころ、先に札幌で芸人になっていた布川さんの姿が思わぬところから再び目に入ります。
ただし、みちおさんはそこで布川さんへ連絡してすぐコンビを組んだわけではありません。
札幌のローカル番組に出る布川を見て、お笑いの世界へ
布川さんは高校卒業後に札幌吉本へ入り、ピン芸人などとして活動しながら北海道のローカル番組にも出演するようになっていました。
スノーボードの進路を諦めかけていたみちおさんがテレビを見ると、そこには高校時代の先輩だった布川さんが映っていました。
「布川さんがテレビに出られるのなら、簡単な世界なのだな」
ニッポン放送 NEWS ONLINE
このテレビ出演を見たことが、みちおさんがお笑いへ実際に動き出す直接のきっかけになりました。
本人は21〜22歳ごろから芸人を始めたと振り返っており、時期としては2007年前後にあたります。
高校の同級生らと組んでは解散を繰り返したトム・ブラウン以前
最初に選んだ相方は布川さんではなく、高校時代の同級生など別の人物でした。
コンビを組んで札幌のお笑いオーディションへ出るようになりますが、短期間で解散しては新しい相方と組むことを繰り返します。
布川さんによると、みちおさんが持ってくるネタは当時からかなり独特で、元相方から「何を言っているのか分からない」という趣旨の話を聞いたこともあったそうです。
布川さんがMCをしていた札幌のオーディションライブにも別コンビのみちおさんが現れ、高校卒業時に自分の誘いを断った後輩がお笑いを始めていることをそこで知りました。
1〜2カ月ほどで相方が替わる時期もあり、解散が続いた末に、みちおさん自身もピンで活動することを考え始めます。
布川から二度目の誘い|2009年にトム・ブラウンを正式結成
高校卒業時の最初の誘いから数年がたち、今度は2人ともすでにお笑いの舞台を経験した状態で向き合うことになりました。
布川さんにとっても、養成所で初対面の誰かを探すより、高校時代から性格を知っている後輩と組む方が安心感がありました。
ピン活動を考えていた時期に布川から声をかけられる
別コンビで解散を重ねていたみちおさんへ、布川さんが改めて「一緒に組もう」と声を掛けます。
高校時代から遊んできた関係でしたが、芸人としてはそれぞれ別々に遠回りをしてからの合流でした。
2009年1月12日、2人は正式にトム・ブラウンを結成します。
布川さんから最初に誘われてから、スノーボードと別コンビでの活動を挟んで生まれたコンビでした。
好きだった漫画から「トム・ブラウン」と名付ける
「トム・ブラウン」というコンビ名は、2人が好きだった漫画『ペナントレース やまだたいちの奇蹟』に登場する選手名から取られています。
結成初期は現在のような合体漫才が完成していたわけではなく、コントを中心に活動し、布川さんがネタを書く形が多くなっていました。
ネタによっては布川さんがボケ、みちおさんがツッコミに回ることもあり、現在の役割とはかなり違う形も試しています。
路上ライブを経て、札幌BLOCHの初単独へ
札幌では路上や無料ライブなどに出ながら経験を積み、上京を前に約100席の劇場「BLOCH」で本格的な単独ライブを行うことになりました。
ところが本番前日になっても、用意した8本のネタのうち、みちおさんが覚えていたのは1本ほどでした。
コミュニティFMのスペースを借りて朝5時ごろまで練習し、立ったまま眠りそうになったら起こしてもらうため、後輩芸人にも付き添ってもらっています。
なんとか本番を迎えると客席から反応が返り、舞台を終えたみちおさんには初めてはっきりした手応えが残りました。
「あれ、これイケんじゃね?」
logirl
札幌でその感覚を持ったまま、2人は東京へ向かいます。
上京後の下積み|オーディション連続不合格からケイダッシュステージへ
2009年、コンビ結成と同じ年に上京したトム・ブラウンは、東京の事務所に所属するためオーディションを受け始めました。
最初は驚くほど順調でしたが、その感覚は長く続きませんでした。
マセキのオーディションで2カ月連続の手応え
上京して間もなくマセキ芸能社のオーディションを受けると、初回から合格し、翌月も通過しました。
東京では簡単に受からないと聞いていたオーディションを続けて通過したことで、2人は「東京でもいける」と感じます。
三四郎の相田周二さんからも順調に所属へ近づいているような話をされ、上京直後としてはかなり好調なスタートでした。
木村カエラのCMネタを境に8カ月連続で落選
流れが変わったのは3回目のオーディションでした。
みちおさんが木村カエラさんの格好をして『ホットペッパーの唄』を歌い、布川さんが横から反応するネタを約3分続けましたが、この回は不合格となります。
それでも「落ちるはずがない」と翌月にもほぼ同じネタを持ち込み、そこから本人たちが後年振り返るところでは8カ月連続で不合格になりました。
上京直後の2カ月連続合格から、何をやっても通らない時期へ一気に変わりました。
フリーライブでネタを作り直し、ケイダッシュステージへ
マセキのオーディションを受け続けるのをやめると、フリーライブを回りながら、まず人前でしっかり反応が取れるネタを作ることに集中します。
手応えのあるネタが4本ほどそろったころ、先輩芸人からケイダッシュステージのネタ見せに誘われました。
そこでトム・ブラウンは合格し、現在まで続く所属先が決まります。
ファミリーマートなどのアルバイトを続けながら舞台に立つ
事務所に所属しても、すぐ芸人の収入だけで生活できたわけではありません。
みちおさんは自転車店などさまざまな仕事を経験し、東京ではコンビニのファミリーマートでも長く働いていました。
文藝春秋の近くにあった店舗では、単発の仕事を仲介するサービスをきっかけに入り、店側から継続して来てほしいと言われ、朝8時から13〜14時ごろまで約2年間勤務した時期もあります。
2018年12月にM-1決勝へ進んだ時点でもアルバイトは続いており、決勝直後の配信で、みちおさんは数日後に夜勤のシフトが入っていることを明かしていました。
コントから漫才へ|みちおの発想を生かすネタ作りに変わる
所属後もトム・ブラウンの芸風は定まっておらず、現在の姿とは違うネタを何度も試していました。
その過程で大きく変わったのが、コント中心だった活動とネタの作り方です。
アドリブ漫才の反応をきっかけに漫才中心へ
あるライブで新しいネタを十分に用意できず、2人はアドリブに近い形の漫才を試しました。
すると、それまで作り込んでいたネタより客席の反応がよく、ここから少しずつコント中心から漫才中心へ軸が移ります。
初期には布川さんがボケ、みちおさんがツッコミを担当するネタもありましたが、試行錯誤の中で現在に近い役割へ変わっていきました。
布川が全部書く形から、みちお自身の言葉を生かす形へ
札幌時代から初期のトム・ブラウンでは、芸歴が先行していた布川さんがネタを書くことが多く、みちおさんは渡されたセリフを覚えていました。
しかし東京で活動するうちに、布川さんは自分が書いた言葉をみちおさんがしゃべると、どこか「言わされている」ように見えることへ気づきます。
そこで、みちおさん自身にもネタを考えてもらうようになり、一時期はみちおさんが漫才、布川さんがコントを書くような分担も生まれました。
みちおさんが持ってくるアイデアは、そのままでは突然機関銃が登場するような飛躍したものも多く、2人で話しながら舞台で見せられる形へ整理する方法に変わっていきます。
2016年に生まれた合体漫才|売れない時期から代表ネタが形になるまで
事務所ライブでは上位クラスへ行くこともありましたが、客席から好かれていたとは言いにくく、登場すると席を立つ人がいた時期もありました。
地下ライブでは反応があっても大きな舞台では通用しないことが続く中、2016年の単独ライブ準備で現在のトム・ブラウンを決定づける発想が飛び出します。
「一休さん5人を合体させる」みちおの一言から始まった
2016年の単独ライブでは、元芸人の神田慶太郎さんにネタを見てもらい、「いつもと違うものを1本やってみては」という趣旨の意見をもらいました。
その場でみちおさんが突然出したのが、一休さんを複数集めて別の存在へ変えるというアイデアでした。
「一休さん5人集めて合体させて、『キング一休さん』作るってどう?」
logirl
この一言から、後に代表作となる「合体漫才」の原型が始まりました。
ゲーム好きのみちおさんは後年、複数のスライムが集まる『ドラゴンクエスト』のキングスライム、『女神転生』の悪魔合体、映画『ザ・フライ』、合体ロボットなどが頭のどこかにあったのかもしれないと話しています。
最初は5人の一休さんを合体させたのに別の登場人物が出来上がるなど、2人自身もどう処理すればいいのか分からない状態でしたが、単独ライブで披露すると、それまでとは違うざわつきを伴った笑いが起きました。
さらに縁のなかった長崎での単独ライブでも反応があり、2人は合体という仕組みに初めて広い客層へ届く感触を持ちます。
浜谷健司や若林正恭らの助言を受けながら2人の見せ方を磨く
それでも2016年のM-1では2回戦で敗退し、布川さんはアルバイト帰りに結果を見て膝から崩れ、みちおさんも数カ月ほどぼんやり過ごすほど落ち込みました。
そのころ、ハマカーンの浜谷健司さんが2人を食事へ誘い、合体ネタを高く評価したことが再び続ける後押しになります。
みちおさんの衣装もワイシャツとネクタイからペンギン柄のトレーナー、白いズボンへ変えるなど、ネタの中身だけでなく見た目も調整しました。
2017年のM-1準々決勝後には、オードリーの若林正恭さんから、布川さんが真面目そうな見た目のまま突然「ダメ〜!」と叫ぶため、観客が笑う前に驚いてしまうのではないかという助言を受けます。
布川さんは「キャーッ!」という強いツッコミを早い段階へ移し、髪も伸ばし始め、2017年から2018年にかけて現在よく知られる2人の見た目と漫才の形が固まっていきました。
2018年M-1決勝で全国へ|地下ライブからテレビ出演が増えるまで
合体漫才を始めてからもすぐ全国区になったわけではなく、2018年まで細部を直し続けました。
その年、M-1より少し前に出演したテレビ番組で、成績とは別の形で周囲の反応が変わり始めます。
『にちようチャップリン』での低評価と周囲の反応が空気を変える
2018年5月、トム・ブラウンはテレビ東京系『にちようチャップリン』で、テレビでは初めて合体漫才を披露しました。
結果は本人たちによれば番組史上最低得点でした。
ところが千鳥の2人は大きく笑い、さらにラッパーの呂布カルマさんがXでトム・ブラウンを面白かった芸人として取り上げたことで、お笑い好きの間に名前が広がります。
それ以前は舞台へ出ただけで見た目に反応され、ネタそのものを受け止めてもらいにくいこともありましたが、次第に客席が最初から2人の漫才を見る空気へ変わりました。
最低得点だったテレビ出演が、半年後のM-1へ向かう途中で「トム・ブラウンのネタをまず見てもらう」きっかけの一つになりました。
M-1初決勝で6位、長い下積みから仕事が変化
M-1の予選でも反応が変わり、3回戦ではみちおさん自身が人生でも上位に入るほどウケたと感じる舞台になりました。
先輩・仲間から細かな言葉の間まで助言を受けながら調整を重ね、2018年、トム・ブラウンは結成後初めてM-1グランプリ決勝へ進出します。
決勝では633点を獲得し、公式結果は10組中6位でした。
決勝進出が発表されたときの感覚について、みちおさんは長く地下ライブで活動してきた時間を独特な言葉で表しています。
「ずっと土の中にいたモグラが外に出てきた感じですね」
THE CHANGE
M-1決勝を境にテレビから声が掛かる機会が増え、ファミリーマートの夜勤を続けていた生活も大きく変わっていきました。
再びネタを軸に|M-1再決勝、キングオブコント、故郷・札幌へ
2018年のM-1後はテレビ出演が増えましたが、みちおさんにとって、それで漫才が完成したわけではありませんでした。
むしろ仕事が増えたあと、一度ネタとの距離が変わり、そこから再び漫才やコントへ比重を戻していきます。
テレビ出演が増えた時期を経て、再びネタへ比重を戻す
M-1決勝後の1〜2年について、みちおさんはテレビの仕事を頑張ろうとする一方で、ネタがおろそかになる瞬間があったと後に語っています。
テレビの現場にもまだ慣れておらず、そこで結果を出そうとする時間が増える中、ライブでネタを続けているうちに、本人の中で再びネタをしている時間の方が楽しいという感覚が強くなりました。
テレビへ出ること自体をゴールにせず、トム・ブラウンは単独ライブや賞レースで新しいネタを作る活動へ戻っていきます。
2024年M-1で6年ぶりの決勝、再び6位に
2018年の初決勝から6年後、トム・ブラウンはM-1グランプリ2024で再び決勝へ進みました。
2009年結成の2人にとって出場資格上のラストイヤーとなる大会で、ファーストラウンド823点を獲得し、順位は2018年と同じ6位でした。
地下ライブから初決勝へ進んだ2018年とは違い、6年間テレビや単独ライブを経験した状態で再び同じ決勝舞台へ戻りました。
初期のコント経験を生かし、2025年キングオブコント初決勝へ
M-1への挑戦が一区切りとなった翌2025年には、漫才とは別の賞レースでも結果を残します。
結成初期にはコントを中心に活動していたトム・ブラウンが、史上最多3449組がエントリーしたキングオブコント2025で初めて決勝へ進出しました。
決勝進出が決まった際、みちおさんは率直に喜びを口にしています。
「決勝に行けてめちゃくちゃ嬉しいです。」
TBSテレビ「キングオブコント」
漫才で全国へ知られたあとに、結成当初から取り組んでいたコントでも初めて決勝へ届きました。
2026年、札幌市東区ふるさと応援アンバサダーに就任
2026年8月には、布川さんとそろって札幌市東区ふるさと応援アンバサダーに就任しました。
2人はともに東区出身で、近年は北海道の番組でも地元を訪れ、母校の札幌東陵高校など自分たちのルーツに触れる機会が増えています。
札幌市の委嘱式では、みちおさんたち自身が「上京するまで東区に住んでいた」と話し、長く離れていた地元を今度は仕事で紹介する立場になりました。
札幌市東区で育ち、プロスノーボーダーを目指していたみちおさんは、布川さんのテレビ出演をきっかけにお笑いへ進みました。
別コンビでの活動を経て高校時代の先輩と再び組み、長いライブとアルバイト生活の中からトム・ブラウン独自の漫才が形になりました。
現在も漫才とコントの両方で新しいネタを作りながら、かつて暮らした札幌へ仕事で戻る活動を続けています。












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